璃正が意識を取り戻した時、もう全てが終わってしまった後だった。
静重と璃正を追い詰めた白い槍兵の姿はどこにもない。地下の酒蔵には空気に染みついた酒の香りと、静寂があった。
剣戟が響く音や、ロビーから聞こえてくる銃声などはもう過去となってしまっている。
そして璃正以外の酒蔵にいるのは〝二人〟だ。
静重はカウントしていない。心臓を貫かれ、物言わぬ躯となった人間を生者の列に加えることはできない。
酒蔵にいる一人は遠坂冥馬。ナチス兵相手に大立ち回りをしたばかりからか、顔には疲労の残滓が垣間見える。
だが璃正が目を剥いて注視したのはもう一人。冥馬の隣りにいる蒼い騎士だった。
「…………そうか。召喚できたのか」
心から璃正は安堵する。魔術師ではない璃正には内包している魔力を計測するなんて真似はできないし、サーヴァントのステータスを見ることも叶わない。
しかし言峰璃正は職業柄多くの聖遺物を目にしてきた経験があり、その経験則が告げていた。
ここにいる蒼い騎士は自分が回収してきた聖遺物などとは隔絶した、神秘そのものの具現。過去に名を馳せた偉人そのものであると。
「目が覚めたのか、璃正」
こちらに気付いた冥馬がやや急ぎ足で近付いてくる。
冥馬は璃正を立ち上がらせるためにと手を伸ばしてきた。自分で立ち上がるから良い、と断ろうと思ったが、寸前に言峰璃正を庇った静重の横顔が脳裏を過ぎった。
「すまない」
璃正は冥馬の手を借りて立ち上がる。本人の言っていた通り冥馬は武術も嗜んでいるのだろう。その手は魔術師にはない力強さがあった。
「なんで璃正が謝る?」
「……私は君のお父上を守ることが出来なかった。みすみすランサーの非道を許してしまった」
「それは璃正の責任じゃない。そもそも監督役は中立だろう」
監督役は中立、そんなこと百も承知だ。中立というのはどちらにも肩入れしないこと、誰にも敵対せず誰にも味方しない無色の存在なのである。
だから中立である監督役が特定の参加者の味方をするなんて有り得ないことだし、逆に参加者の足を引っ張るということもあってはならないのだ。
「私をランサーから庇う為、君の父君は召喚の詠唱を取りやめた。結果的に私はこうして生き恥を晒しているが、君のお父上は――――」
「構わない。父さんが璃正を助けようと決断したのなら、父さん自身の責任でしたことだ。璃正神父が気に病むことじゃない。……ただもし父上が今わの際になにか言い残していたのなら教えて欲しい」
「それは」
璃正は神父だ。死者の言葉を、生者に伝える責任がある。
目を閉じ、あの時の光景と問答を振り返りながら口を開く。
「聖杯戦争を監督することと、聖杯の正しい担い手を選定するよう。貴方の父君は私にそう仰られた」
「だったらそれを全うしてくれ」
「無論」
特に『聖杯の正しい担い手を選定』すること、これは絶対に果たさなければならない。
元々聖堂教会からも聖杯が良からぬ者の手に渡らぬよう目を光らせよ、と言付かっていたが、今回のナチス襲撃で改めて決意した。
一般人がいる中でルールを踏み躙り、聖杯を奪取しようという蛮行。あんな連中に『聖杯』を渡せば碌な事になりはしない。それこそ世界に未曽有の災厄が振り撒かれる危険性がある。
もしもあのような手合いが聖杯に指をかけたのならば、中立という立場をかなぐり捨ててでも止めよう――――璃正はここに監督役としての自分の『義務』を見定めた。
「しかし聖杯戦争の初代監督役が初日でいなくなるなんて悲劇は回避できて良かったよ。派遣された監督役が聖杯戦争開始一日目で死んでしまいました、なんて聖堂教会の手前とてもではないが報告できない。
私もアインツベルン等と共に聖堂教会に監督を依頼した面子が丸つぶれになるところだ」
素の自分を完全に奥へ引っ込め『貴族』としての優雅な皮を被りながら冥馬が言う。
名優が演じる貴族、という璃正の見方は正しかったようだ。さっきまでのフランクな口調を使う冥馬が遠坂冥馬の被り物をしていない姿なのだろう。
なんとなく素の冥馬と貴族としての冥馬のギャップが可笑しく、璃正は笑いそうになるのを必死で堪える。
「む。なにが可笑しいんだ璃正神父?」
だが笑い声は抑えられても、顔には出てしまったらしい。冥馬が訝しんでくる。
「大した事ではありません。にしても口調といい言葉遣いといい百八十度変わるものなのですな」
「……仕方ないだろう。魔術協会であんまり地の自分でいると舐められるし、そもそも遠坂の家訓は『常に余裕をもって優雅たれ』だ。
近世というより中世の貴族が掲げるような家訓だが、遠坂の当主たるもの家訓は守らなければならないだろう」
「そういうものなのか……」
「そういうものなんだ。お前は魔術協会がどういうところか見た事がないからそんな他人事で言えるんだよ」
「実際他人事ですから」
「璃正、最初は堅物だと思ったが意外とお前もアレだな」
苦笑いしながら冥馬は首を振った。
自分としたことが、らしくもなく悪乗りというものをしてしまったらしい。璃正は自分でも余り見ない自分の側面に驚く。
どうにも第三次聖杯戦争の監督役を引き受けてからというものの驚いてばかりだ。
「ところで冥馬殿」
「冥馬でいいよ。もう俺も璃正って呼ぶから」
「では冥馬、そちらのサーヴァントは君が召喚したのか?」
「――――――」
黙ったまま璃正たちの会話を伺っているサーヴァント、蒼い騎士へ視線をやる。
ランサーの槍で静重が絶命した以上、他にサーヴァントを召喚できるマスターは冥馬だけだ。
だとしたら――――璃正は気絶した故、想像するしかないのだが――――酒蔵に駆けつけた冥馬がランサーの隙を突いて、サーヴァントを召喚して、そのサーヴァントにランサーを追い払わせたのだろう。
「違う」
璃正の推論は冥馬によって切って捨てられる。
「サーヴァントを召喚したのは父上だ。父上は心臓を貫かれながらもサーヴァント召喚を続行し、私に令呪を託した。これがその令呪だ」
「――――!」
冥馬の手には静重の腕に刻まれていたものと寸分違わぬ形の令呪が宿っている。
控えているサーヴァントが何も言わないということは事実なのだろう。
「本当、なのか……?」
「ああ」
「なんという精神力だ」
璃正としても凄いと、賞賛するしか出来ない。
人間を止めた化物なら兎も角、魔術師は魔術回路があるだけの人間に過ぎない。そして人間は心臓を貫かれれば死ぬものだ。なのに生きているとなれば、生物学には記述されていない要素、精神力の為したことだろう。
無論ただの人間が精神力で己の命を繋ぎとめることなど出来はしない。
遠坂静重は優秀な魔術師というだけでなく、きっと優れた精神をもつ人間だったのだろう。
もしかしたら魔術師と神父という垣根すら超えて尊敬するに値するほどに。
「監督役の責務として改めて確認させてほしい。君の召喚したサーヴァントは、そこの騎士で相違ないか?」
「第三次からは聖杯戦争に参加するマスターは教会に届け出をするルールだったかな。だったらそのルールは遠坂が最初に果たすとしよう。
相違なしだ。遠坂家四代目当主、遠坂冥馬。ナチスの凶弾により命奪われた父にかわりマスターを引き継ぐ」
引き継ぐ、と言ったのは自分の令呪が父より継承したものであり、蒼い騎士の召喚者と最初のマスターは父だったという意思表示だろうか。
なんだかんだで己の義務は遵守する性質の遠坂冥馬らしいといえばらしい。
「結構。では遠坂冥馬、そしてセイバーのサーヴァントよ。存分に戦い合い給え」
形式上の開戦宣言。だが何故か当の冥馬は渋い顔をしていた。
「どうしたのだ? なにか問題でも?」
「――――それは俺が答えよう、監督役」
ぶっきらぼうに割って入ったのは蒼い騎士だった。
「お前は俺をセイバーと言ったな。奇しくもそれはついさっき俺のマスターが通過した過ちだ。俺のクラスはキャスター、セイバーじゃない」
「……!」
セイバー、もといキャスターから告げられたことは信じられることではなかった。
しかしキャスターのマスターである冥馬を見ると、ばつの悪そうに苦笑している。冥馬の態度がキャスターの言葉が真実であるという一番の証明だった。
「キャスター曰く、強引な召喚のツケらしい。場合が場合だったからこういうことが起こるのも仕方ない。それにキャスターがアーサー王なのは間違いないし、魔術師としての力をもっているのは本当だ」
アーサー王が魔術師としての側面をもつなど初耳だ。
それにセイバーを引き当てられず最弱のキャスターを召喚してしまったことは、仕方ないの一言で済ませる範囲をオーバーしている。
だがキャスターのマスターである冥馬が仕方ないというのならばそうなのだろう。
本人たちが問題ないと認識しているならば、監督役である璃正が口を挟むことではない。
「いつまで経ってもここにいても仕方ない。ナチスは撤退したが、また襲撃を仕掛けてくるとも限らない。早くここを出よう」
「うむ」
「主従関係が成立して最初の命令が逃げろ、とはな。だが文句は言わないさ。正しい選択だ」
冥馬の提案に璃正は頷く。キャスターも毒づきながらも合意した。
魔術の漏洩に殊更気を使い、一般人に犠牲を出すまいとする冥馬とは異なり、ナチスは明らかに聖杯戦争に勝てれば何をしても良い、というスタンスで掛かってきている。
ここに留まり続ければ、今度は戦闘機で特攻を仕掛けてくるくらいはやりかねないだろう。
キャスターが霊体化する。
冥馬の後に璃正は静重の亡骸を抱えて続く。……冥馬は自分で運ぶと言ったが、戦闘が起こる可能性を示唆して璃正は亡骸を運ぶのを譲らなかった。
冥馬へと言った表向きの理由もあるが、それ以上に璃正は自分の命を庇った静重を自分の手を酒蔵から連れ出したかったのである。
魔術師の遺骸を率先して運ぶなど、信仰心の厚い聖堂教会の同僚が見れば後ろ指刺されるだろうと理解しながらも。
「―――――――」
地下から一階のロビーへ出ると、そこには戦場跡が残っていた。
滅茶苦茶に破壊された椅子やテーブルなどの家具類。割れたガラスや花瓶、壁や床にある銃弾の痕。
そして、
〝物言わぬ躯となった無辜の人々〟
聖杯戦争に一般人の犠牲者が出ることなど分かっていた。
だが一人の信仰者として、例え目の前で倒れている人々だったものが教会にとっての『異教徒』であろうと嘆かずにはいられない。その死を悼まずにはいられない。
「………………」
冥馬は無言だった。無言のまま背中に銃弾を浴びて倒れている紳士と淑女たちのもとに腰を下ろす。
女性が握りしめていたもの、それは結婚式場の案内だった。
「――――っ」
その瞬間、遠坂冥馬にあったのは〝怒り〟だった。
果たして純粋に非道に対して激怒していたのか。一般人を聖杯戦争に巻き込んだことに義憤していたのか。
璃正には冥馬の心中を推し量ることはできない。ただ一つ言えるのは冥馬の怒りは本物だった。演技などではなく本気で怒りを宿していた。
そしてそれは決して悪い怒りではないとも思う。
「魔術師は血の臭いを染みつけているものだが、お前はどこか甘いな」
キャスターが霊体から現実へ干渉できる存在へ、実体化する。
「戦争に一般人を巻き込まないなんていうのは理想論に過ぎない。押し寄せてきた征服者が狙うのは抗う力をもたない弱者であるし、国が貧しければ戦力を整えるために己が国の民草から物資を徴用することもあるだろう」
キャスターは冷徹な裁判官のような雰囲気で冥馬を見下ろしている。
敵意こそないが、キャスターは遠坂冥馬という己のマスターに不信の目を向けていた。
「もっとも俺の国にも現実を理解できず、犠牲など要らずとも勝てるなどとほざく頭が宴会場になってる馬鹿もいたが、お前もそれと同じ類なのか?」
キャスターの厳しい追及に冥馬は「いや」と答えた。
「聖杯戦争で一般人にも犠牲者が出ることくらい父から聞いていたよ。命を背負うなんて憚るつもりもない。英雄ともなれば違うのかもしれないが、人間の背中はそんなに沢山の命を背負えるほど広くない。
ただ遠坂の後継者として聖杯戦争で失われた命を忘れることはしない。これは遠坂家の後継者である私の義務だ」
「ならばいい」
その返答に満足したのかキャスターが再び霊体化して姿を消す。
冥馬が立ち上がった。キャスターに語りかけている時も静かな声色だったが、横顔からはやはり怒りが消えていない。
「だが遠坂の義務として、ここまで虚仮にしてくれた借りは必ず利子含めて全額返却する。遠坂の利子は一日ごとに10%……いや、20%だ」
冥馬と璃正はホテルのロビーから出た。
異例な形であるが第三次聖杯戦争はここに開幕したのだ。
「戻ったぞ、ダーニック」
「ご苦労」
白い槍兵、ランサーがダーニックが滞在しているホテルの一室へ戻ってきたのは丁度冥馬と璃正がホテルから姿を消した頃だった。
帰ってくるなりランサーはずかずかとダーニックの前へ来て口を開く。
「お前のオーダー通りに働いてやったんだ。さっさと〝報酬〟を出せ。私は無償奉仕だとかボランティアが大嫌いなんだ。働いた分の報酬を出さないとストライキを起こすぞ」
自分のマスター相手に無礼といえば無礼な物言い。しかしダーニックはその態度に怒ったりなどはしない。
それは自分には三画の令呪がありランサーの生殺与奪を握っているからでもあるし、ランサーという英霊に対する敬意でもある。
ダーニックは如何にマスター無しでは世に留まれぬ哀れな存在であろうと、英霊である以上、相応の敬意を払うことも吝かではなかった。とはいえそれは令呪があるからこその敬意であって、別にランサーという英霊に心底より畏まっているわけではないが。
なによりこのランサーはマスターに報酬こそ要求するものの、報酬さえ払えばマスターである自分に忠実だ。
主従関係の円満のためにもダーニックはランサーにある程度の自由と、望む報酬を与えていた。
「ストライキなどされては困るな。心配せずとも君の仕事ぶりに対する報酬、即ち代金は用意しているとも。
だがそれは君の報告を聞いてからだ。戦いで得た情報を私に伝えるというのも仕事内容に含まれている。それともランサー、君は自分の仕事を全うしないままに依頼主に代金を求めるのかな?」
「馬鹿にするな、私は私の仕事には誠心誠意取り組む主義だ。ああお前の言う仕事を果たしてやるさ。あのサーヴァントのことだろう? 何が聞きたい?」
「セイバーの真名はアーサー王で間違いないのか?」
「選定の剣、カリバーンを振るう英雄が他にいるなら私が教えて欲しいものだな」
「ふむ」
遠坂冥馬を倒せず、監督役から聖杯を奪うことこそ出来なかったが、聖杯戦争における最優のクラスたるセイバーの真名を知れたのなら無駄骨ではなかった。
こちらが真名を知ったのに対して、ランサーの真名と能力に関する情報はまるで盛れていない。
ナチスの兵士達が何人か犠牲になったが、それは大した損害ではないだろう。
「ただ一つ訂正だ。あのサーヴァントの真名はセイバーじゃなくキャスターだ」
「なんだと!?」
「退散する途中、興味本位で作った盗聴用のアイテムを落としてきた。聞くか?」
「……頼む」
ランサーから黒色の耳栓のようなものを受け取り、耳に入れる。すると遠坂冥馬とキャスターの会話が再生された。
「なるほど。二重召喚によりキャスターとセイバーのクラス別技能を併せ持つとはな」
ランサーの言うところの盗聴用アイテムから得た情報は非常に良いものだった。
これでキャスターの真名だけではなく『二重召喚』という珍しい固有技能についても知る事が出来た。
懸念といえばこの盗聴用アイテム――――最終的にキャスターと遠坂冥馬に気付かれ、破壊されたことだろう。
二人も馬鹿ではないのだ。もう同じ手段で会話を盗み聞くことは不可能と考えて良い。
「どうだ? そっちのオーダーには応えたと思うが」
「申し分ない。完璧以上だよランサー。ご苦労、報酬は君に与えた部屋に用意している」
「これだけ働いたんだ。上等なものを用意しているだろうな」
「―――――それは私が保障するよ。ランサー、見事な働きご苦労」
ダーニックの部屋にロディウス・ファーレンブルク大佐が拍手をしながら入ってきた。
「この堅物ダーニックの言う事じゃいまいち信憑性にかけるが、ロディウスが言うなら信じても良いな。じゃあな、ダーニック。またオーダーがあったら言え。報酬分は働いてやる」
ランサーが霊体化して消える。自分の部屋に戻っていったのだろう。
本来サーヴァントは魔力さえあれば睡眠も食事の必要もなく、一日中寝ずにマスターの身辺を警護するべきなのだが、ダーニックは他多くのマスターと違いナチス兵という護衛を既に持っている。
わざわざサーヴァントに寝ている最中の護衛を任せる必要はない。――――というのは表向きで、ダーニックはナチスがいつ自分に牙をむいても良いように、寝ている最中も罠を張り巡らせているが、今はまだ関係のないことだ。
「はははは。とんだサーヴァントを召喚したものだね。よもやあそこまで欲の皮丸出しなサーヴァントとは私も召喚するまで思いもよらなかったよ」
「大佐等にはいらぬ出費をさせてしまい申し訳ありません」
「構わないよ。あれだけの報酬で英霊の座に招かれし者が我々の為に働いてくれるなら安いものだ」
「はい」
ランサーが仕事を受けるかわりに要求している報酬というのは、人間の魂や生け贄の血肉だとかいう物騒なものではない。
かなり信じ難いことだがランサーが求めているのは舌が蕩けるような御馳走やワインであり、この時代の娯楽だった。
ランサーに『聖杯』を求める理由はなく、本人によれば『オーダーを受けたから来てやった』とのことらしい。
なにはともあれロディウスの言う通り御馳走や娯楽程度でサーヴァントが忠実な駒となるのならば実に安いものだった。
「そういえばダーニック、帝国陸軍が派遣したマスターが分かったよ」
「……ほう。どのような手合いですか?」
ナチスドイツと結託したダーニックと同じく、国家権力を背景に聖杯戦争に挑んできている帝国陸軍。
それが選び出したマスターとなれば、ダーニックとしても興味のある事柄だった。
「名前は〝相馬戎次〟。帝国陸軍所属、階級は少尉。聖杯戦争のために日本が引っ張り出してきたとっておきの秘密兵器だよ」
「…………知らない名前ですね。一応魔術協会だけでなく、フリーランスの魔術師やこの国に根付いている魔術組織についても調べはしたのですが」
「事情が事情だから無理はない。相馬戎次、彼の家はえーと、トヨトニー・ヒデヨスィーだったか?」
「豊臣秀吉です、大佐」
「そうそう、そのひでなんとか。それがこの国のカンパイ? カンブツ? まぁいいや。王様的な立場だった時代から続く『魔術使い』の家の出身だ」
「魔術使い?」
あらゆるものの始まり、根源を目指し探究するのが魔術師であるが、中には魔術を金や悪事などのため私利私欲に使う輩も存在している。
そういった連中をダーニックたち魔術師は魔術使いと呼び嫌悪の対象としているのだ。だが魔術師の一族ならまだしも、魔術使いの一族とは聞いた事がない。
「私はこの国の歴史に詳しいわけじゃないんだが、この国の戦乱の時代に火縄銃を始めとした西洋の技術や文化が伝来したそうだが――――伝わったのがそれだけじゃないことは君も知っているだろう?」
ダーニックは神妙に頷いた。
そう。あの時代に日本に伝来したのはなにも西洋文化だけではない。今尚も世界で信仰されている一大宗教や、西洋魔術、更には吸血鬼などといった西洋の怪物も伝わって来たのだ。
「そのヒデヨスィーは教会を警戒する中、同じように伝来してきた魔術師にも警戒したらしくてね。万が一魔術師と事を構えても対策できるように、当時はこの国古来の魔術を使う家だった相馬家に西洋魔術を学ぶように要請したらしい。魔術を知らなければ、魔術に対策することは出来ないからね」
そうして相馬家は歴史の裏舞台で西洋からの悪意ある来訪者を狩り、時に家名を捨て〝武士〟となり国の為に身を捧げてきたという。
ロディウスの話を聞き終わるとダーニックは含み笑いをする。
「成程。大佐が魔術使いの一族と仰られた意味が分かりました。魔術師とはあくまで根源を目指す研究者。国を守るために魔術を身に刻んできた一族なのであれば、それは魔術師ではなく魔術使いの一族だ」
「彼には警戒がした方がいいね。真贋は定かではないが、聖堂教会の殺し屋――――代行者が十人は必要、なんて怖れられた死徒を、たった一人で殲滅したなんて情報もある。
なんといっても日本という国家が必勝を期して送り込んできたマスターだからね。きっととんでもない奴に違いない」
「分かっています。相馬戎次について正しい情報を得るまでは彼とは戦わないようにしましょう」
そもそもナチスがいる以上、ダーニックが前線に赴くなど余程のことがない限り有り得ないのだが、その余程は出来る限り避けようとダーニックは決めた。
ロディウスが持ってきた書類、そこには適当に切りそろえられた黒髪に、刀のような鋭い目つきをした男の白黒写真が写っていた。、
こうして第三次聖杯戦争、最初の一日は更けていく。