喧噪に混じり届く報告を聞き、ゲンヤは眉間に刻まれた皺をより濃くした。
眼前にあるタクティカルスクリーンには迎撃対象である十機ほどの機械兵器と、迎撃に出ている四小隊の魔導師が交戦を行っていることが示されている。
不意に行われたテロリストによる地上本部の襲撃。それに対応したのは首都防衛隊だったのだが、クラナガンから目標を廃棄区画へと誘導してからは、他の陸士部隊と合同で対処を行っていた。
敵の最大戦力であろう戦闘機人には、引き続き首都防衛隊のエース級が当てられているが、戦闘の終わりは見えてこない。
AMFなどという、現時点では対処法もロクに存在しない防御手段を持ち出され、ゲンヤが戦闘指揮を行っている機械兵器との戦闘も管理局魔導師の消耗が増え続けるだけだ。
……ったく、相手の目的はなんだってんだ。
胸中でそう毒吐きながら、ゲンヤは指示を出す。
不意の本部襲撃――そう、本当に不意の、だ。そこにどんな意味があるのか、まったくと言って良いほどに分からない。
管理局の警備のずさんさを突いて、反管理局体勢組織を勢いづけるためのものか。そう考えるも、この襲撃はあまりにも中途半端だろう、と考え、頭を振る。
確かに今交戦している戦闘機人と機械兵器は厄介だ。しかし、厄介だが、それだけだ。決して打倒できないわけではない。
どんなに質が良くとも、この程度の数で地上本部を襲うのが間違いだ。落とせるわけがない。
それに、本部を襲撃するなどということ事態が有り得ない。そんなことをすれば陸の逆鱗に触れて、意地でも――いや、意地で今回の事件関係者を一人残らず捕らえるだろう。
ただでさえ、外に目を向けてミッドチルダの治安を軽視する、といった風に海を軽蔑する傾向があり、自分たちだけでミッドチルダを守る、といった思考に染まりかけている陸が、大規模テロを起こした者たちを許すはずがない。
本当に、このあまりにもお粗末な挑発にしか思えないテロは一体なんなのだろうか。
腑に落ちない、とゲンヤは舌打ちする。頭の片隅でそんな余計なことを考えながら、到着した増援と機械兵器の相手をして負傷した魔導師を入れ替えるように指示し、
「……こいつぁ」
戦術画面の隅に出現したオーバーSクラスの魔力反応。瞬く間にこちらへの距離を、冗談みたいな速度で詰めてきている。
少しの間を置いて現れたその魔力反応に関する情報を見て、ゲンヤは目を見開いた。
そして、
『こちら、首都防衛隊作戦部第三課所属、エスティマ・スクライア三等陸尉です。
遅れてすみません。ただ今より戦線に参加します。指示を頂けますか?』
はっきりと、どこか強い意志を感じさせる声が響く。
通信を入れようとボタンに手を伸ばすが、どんな言葉をかければいいのか。驚きが抜け切れていない今の状態では、上手く口が動いてくれない。
それでも、部隊を動かしている者の義務感に後押しされ、ゲンヤは彼――エスティマへと、通信を繋いだ。
「……指揮を行っている、ゲンヤ・ナカジマだ。調子は戻ったのか、執務官」
『……ゲンヤさん』
名を呼び、エスティマは言葉を止めた。
しかし、数秒の沈黙を経ると、彼は再び強い口調に戻る。
『はい。戻りました』
「なら当てにさせてもらうぜ。病み上がりに悪ぃな」
『いえ。では、データリンクをお願いします』
「おう」
エスティマのデバイスへと敵、味方の配置、状況の説明を転送する。
エスティマの速度ならば、もう一分も経たない内に機械兵器と交戦を始めるだろう。
その前に一言――
「……エスティマ」
『はい』
「……いや、なんでもねぇ。AMFには気を付けろよ」
『大丈夫です。任せてください』
彼の声を聞き、ゲンヤは歯噛みする。
一言。一言だけでも謝ろうとしてこの様か。
クイントが死んで追い詰められたのが自分や子供たちだけのはずがない。
それを忘れて追い打ちをかけるような真似をしたというのに、こうしてまた、娘たちとそう変わらない歳の子供に頼るしかないだなんて。
……情けねぇぜ。
この戦いが終わったら、頭を下げよう。それぐらいしかできることがない。
そう、心に刻んで、ゲンヤは機械兵器と戦闘を行っている魔導師たちへと通信を繋いだ。
「第三課の到着だ。こっから巻き返すぞ!」
上空から撒き散らされるレーザーの雨。
夜空を引き裂いて飛翔する機械兵器。地上から放たれる射撃魔法はAMFの前では無意味であり、接近しようにも並の空戦魔導師では敵に追い付くことも叶わない。
半ばやけくそになったかのように弾幕を張るが、それを嘲笑うかのように機械兵器は空を踊り、機体の下部にある砲門からレーザーを地上へと撒き散らす。
阿鼻叫喚とはいかないまでも、交戦している魔導師は誰もが逃げ腰となっていた。
もし相手が人間ならばまだ戦いようはある。しかし、相手は疲れを知らない機械だ。有効打を見いだせない今、消耗し続けるのは自分たちの方。
動作パターンを読んで攻撃をしようにも、罠に嵌めようとしても、AMFに邪魔をされて蹴散らされる。
ヴァリアブルバレットが有効だということは分かっていても、それを使える一握りの魔導師は既に消耗している。航空魔導師も同じく。今の自分たちにできるのは、次の増援がくるまでの時間稼ぎだけだった。
残り十機。たったそれだけだというのに、どうしてもその残り十機を破壊することができない。
「AMF持ちの機械兵器なんて、そんなのありかよ……!」
誰かが叫んだ。
そして、この場にいる誰もが、同意する。
機械兵器に対する管理局員の一般認識は、大したことがない、といったものだった。
動作パターンが決まっていて、人間の指示がなければまともな兵器として機能しない。そんなものだ。
施設の防衛など、警備の者が現場に到着するまでの時間稼ぎが精々の案山子。
だというのに、今自分たちが交戦している機械兵器は一体なんだ。
戦闘が始まってから五時間以上が経っているというのに、燃料切れの兆候もない。AMFを展開し続けるあの機体には、どんな動力が使われているというのか。どんな理屈で飛び続けている。
反撃すらままならない状況に、絶望すら湧いてくる。
増援はまだか、と、焦燥が身を焦がす。
自分たちはあの機械兵器を叩き潰すために出てきたというのに、こうやって物陰に身を隠して足止めをするのが精々だ。
「くそ……!」
耐えきれなくなったのか、一人の魔導師が飛び出して空へと射撃魔法を放つ。
だが、結果は今までと同じ。直撃コースの魔法は弾かれ、お返しとばかりにレーザーが降り注ぎ、魔導師は地面を転がった。
一人、また一人と同僚が倒れてゆく。
そんな状況に限界を感じたのか、一人の魔導師は天を仰ぎ――
「……あれは」
視線の先。ビルの谷間から覗いた夜空に、一筋の帚星が尾を引いていた。
色はサンライトイエロー。速い。高度がどれほどかは知らないが、それだけははっきりと分かる。
航空魔導師の増援か、と思い浮かべ、たった一人だけしかきていないことに首を傾げ、
『第三課の到着だ。こっから巻き返すぞ!』
「……第三課?」
疑問の声が上がった。
首都防衛隊第三課。前回の任務で部隊は壊滅。所属していた人員は他の部隊へと回され、解体されたと聞いていたが――
しかし。しかし、だ。
空を見上げる誰もが、以前の戦技披露会で戦っていた少年を思い出す。
サンライトイエロー。金色に似た色を纏いながら海の魔導師と互角に戦っていた彼。
だが、あの少年は今、療養中ではないのか。エスティマのことを知っている者は、誰もが疑わしげに夜空を横断するサンライトイエローに視線を向ける。
そして、
「……降りてくる?」
緩やかな弧を描きながら、魔力光が地上へと向かってくる。
しかし、緩やかだと思えたのは最初だけで、肉薄してくる速度は尋常ではない。
『この空域の機械兵器を殲滅します。破片に気を付けてください』
その場にいる局員全員へと、念話が届く。
聞き心地の良い、どこか少女然とした声色。それが響き渡り、十秒と経たない内に、
「……っ!?」
甲高い擦過音と、爆音が響き渡った。
見れば、上空を――機械兵器の合間を縫うようにしてサンライトイエローの光が乱舞している。加速する度に火薬が爆ぜるような音――大気の壁を突破した、音速超過での移動が行なわれている。
上空から逆落としに、一機。減速など不可能と思われる馬鹿げた速度だというのに跳ね上がり、更に一機。
ビルの合間に轟音を反響させ、ガラスをビリビリを震動させながら動き続け、光の軌跡が描かれる度に機械兵器が破壊される。
光に切断された機械兵器は二つに割れて地上へと墜落し、あっという間に十機の機械兵器が鉄屑へと変貌した。火炎の華が咲き、夜の帳が落ちた廃棄都市が朱色の明りに染まる。
……あんなにも自分たちが手こずっていた相手を、一瞬の内に片付けてしまった。
なんの冗談だ、と誰かが呟く。
まるで悪魔の所行か何かのようだ。高ランク魔導師と平凡な局員との間に埋めがたい差があることは知っていたが、ここまでとは、と。
機械兵器を殲滅すると、高ランク魔導師――第三課の執務官、エスティマ・スクライアは両肩のアクセルフィンを大きく羽ばたかせて滞空する。
そしていまだ戦闘の続いている――戦闘機人のいる方角を睨むと、右手に握った白金のハルバードを両手で掴み、再び移動を開始した。
……今の戦闘はついで。もしくは前座でしかなかったと言うのか。
サンライトイエローの尾を引いて次の敵を撃破しに飛び立ったエスティマを見上げ、この場にいた局員は全員、呆然とした。
リリカル in wonder
誘導弾が乱舞する空間を、経験と直感、強化された反射神経を頼りに、ロッテは跳ね回っていた。
自分と対峙する魔導師を見て、海ならば小隊長ていどの実力か、と当たりを着ける。
練度は悪くない。経験もおそらくはかなりのものだ。明らかに実力が上の自分が未だに戦闘を続けているのも、すべては敵の異様と言っても良いほどの粘り強さ――戦闘経験からくるものだろう。
だが、致命的に魔力が足りない。
腕に掠った誘導弾に微かに顔を顰めながらも、大したダメージを受けていないためそのまま戦闘を続行する。
AMF。身体の半分以上が機械化された今のロッテは、魔力の結合を解除される状況下でも戦闘が可能だ。
だが、一般の魔導師がAFM下で戦闘を行うためには、専用の訓練を受けた上でフィールドを無効化する類の魔法を習得していなければならない。
そして、もし習得しているのだとしても、元手となる魔力がなければどうしようもない。
陸の人材不足は本当に深刻だったのか、と、場違いなことを考えながら、ロッテは一人の魔導師へと躍りかかった。
体勢を低くして、這うように接近し、跳ね上がる。
カートリッジロード。右手首から炸裂音が響き、活力が満ちる。
魔導師は咄嗟にプロテクションを展開するが、上空に存在する機械兵器のAMFによって強度は紙のようなもの。
遠慮なくロッテは蹴りを叩き込み、プロテクションごと魔導師を弾き飛ばした。
ただでさえ高かった身体能力に、機械化された身体。重い一撃に咄嗟に持ち上げたデバイスを砕かれ、ビルの側面に突っ込み、粉塵が上がる。
「あと、二人……残り、三発」
肩を上下させながら、途切れ途切れにロッテは呟いた。
カートリッジは残り三発。それを使い切れば、もう自分は戦えない。グレアムとのリンクが途切れている今、使い魔である彼女は魔力なしでは生きていることができないのだ。
……アリア、まだなの?
父様を助け出したら連絡する、と言っていた姉妹の言葉を思い出しながら、ロッテは戦闘を再開する。
ロッテが陽動を行っている内にアリアがグレアムを助け出して、そのまま長距離転送で離脱。
その手はずとなっているのに、アリアからの連絡は一切こない。
もう戦闘を始めてから何時間も経っているというのに、状況に動きらしい動きがまったくない。
投降の呼びかけをされたときにもアリアの名前がなかったから、まだ捕まってはいないのだろうが、事態がどう動いているのかまるで分からない現状に焦りが募る。
……もう、限界が近いのに。
視界の隅――以前は存在しなかった情報画面のデータを見て、ロッテは奥歯を噛み締める。
自分の身体と戦闘機人の技術は相性が悪かったのか、洗練されていないのか。無理矢理機械化された身体は、ずっと悲鳴を上げていた。
脳内麻薬が出ているのか、妙な機能があるのかは知らないが、一時間ほど前から痛みという痛みをまるで感じない。疲労も。動きを鈍くさせる要素は、精神的なものだけだろう。
しかし、痛みを感じないとしても身体に負担がかかっていることに変わりはない。
あまり長く保たないんだから、と、ここにはいない姉妹に悪態を吐きながら、動き続ける。
そうしていると、
『ごめんロッテ。遅くなったわ。指定のポイントに転移してきて』
『アリア! 父様は!?』
『うん、助け出したよ』
良かった、と胸を撫で下ろしながら、ロッテは頬を弛ませる。
そしてアリアから送られてきたデータを確認すると、残ったカートリッジを全て消費しながら、ビルの側面を一気に駆け上がった。
そして屋上に到達すると、その場で長距離転送の準備を開始する。
この転送で魔力をすべて使い果たすだろう。けれど、父様がいるなら大丈夫だ。そう思いながら、ロッテは術式を完成させて、跳んだ。
僅かな間を置いて視界が開ける。
魔力光の残滓が大気に熔け、それを視界の端で眺めながら、ロッテは周囲を見回す。
猫が素体となった彼女は、暗闇の中でも僅かな光さえあれば視界を確保できる。少しでも早くグレアムとアリアの姿を見付けようとするが、二人は一向に姿を現さない。
どうしたんだろう、とアリアに念話を送ってみるが、返事はない。
まったく人気のない廃墟群。ついさっきまで戦っていた場所からはそれなりの距離があるため、微かな戦闘音が風に乗って届いてくる。
だが、それ以外は酷く乾いたものだけが並んでいた。
ひび割れた道路に、煤けたビルディング。いくつもの月に照らされて窓ガラスは鈍い光りを放っており、幻想的とも、退廃的とも言えるその風景は怖気すら誘う。
「……アリア、どこなの?」
もう魔力も心許ない。今の状況で管理局魔導師と鉢合わせしたら、逃げられる気がしない。
「アリア!」
声を張り上げるも、虚しく反響するだけで返事はない。
もしかしたら何かあったのでは――そう考え、今にも力尽きそうな身体に鞭を打ちながらエリアサーチを使おうとして――
「はーい、お疲れ様」
……嘲笑をたっぷりと含んだ少女の声に、思わず顔を上げた。
ビルの屋上。二つの月をバックに、三つの人影がある。
目を細め、焦点を合わせながらズームアップしてみると、お揃いの青を基調としたスーツを身に纏った三人の少女がいた。
視界の隅にデータが表示される。
戦闘機人、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ。
それを目にした瞬間、ロッテは背中に寒気が走った。
……まさか、こいつらが父様とアリアを?
「お前たち、父様とアリアをどこにやった!」
「いやーん、すごい剣幕。こわーい」
身をくねらせつつ、メガネをかけた少女――クアットロは、ロッテを見下ろす。
おどけた口調。それに苛立ちを募らせながら、ロッテは手を握り締める。
「答えろ! 父様とアリアはどこだ!」
「え、なんのことぉ? さっぱり分からないんですけどー」
「この……!」
どれだけ言っても無駄か。ならば力ずくで、と考えた瞬間だ。
ガクン、と膝が折れ、ロッテはその場に跪いた。
瞬間、忘れていた激痛が全身に走る。間接という間接が軋みを上げ、熱を孕んでいた筋肉の痙攣にようやく気付く。
が、と蛙の潰されたような声を上げながら、ロッテは受け身も取らずにうつ伏せに倒れ込む。
……視界の隅。赤いバーで囲まれたメッセージには、痛覚遮断解除、と表示されている。
なんで、こんなときに……!
「くそぉ……!」
「はは」
這い蹲るロッテ。彼女を見下ろしながら、クアットロはメガネのブリッジを人差し指で押し上げた。
口元は嘲笑に歪んでいる。
彼女は得意げに胸を張ると、やれやれ、と大仰な仕草で頭を振った。
「まったく。こんな大規模なテロを起こすだなんて、困っちゃいます」
「……クアットロ。早く仕事を片付けて帰るぞ」
「あーん、三分、三分だけお願い、トーレ姉様」
「……お前という奴は」
溜息を吐きながら、トーレはこめかみを抑える。
それで許可が下りたと見たのか、クアットロは再び視線をロッテへと向けた。
それを、視線だけで殺せそうなほどの憎悪を乗せた目でロッテは睨み返す。しかし、クアットロに堪えた様子はない。
身体を揺すり、コートの裾をはためかせながら、彼女はにっこりとした笑顔で口を開く。
「さっき、父様とアリアをどうした、って言ってたましたね。せっかくだから、その問いに答えてあげましょう」
「何を……」
「まず、グレアムおじさま。あの人は本局が管理している施設にいますよ。今もね? そして、あなたの姉妹も同じ。
二人はどちらも、ミッドチルダにはいませんよぉ?」
「……え?」
「あらあら。全然気付いてなかったみたい。……時間も押してるし、では、ここで種明かしと行きましょう!」
声高くそう宣言すると、クアットロの足元にテンプレートが出現した。
そして、IS――シルバーカーテンが発動する。
クアットロのIS。対象としたものの知覚を騙すという、偽りの銀幕。
それはセンサーの類すらも騙し、生半可な手段では真贋の判別が困難な代物だ。
そのISで生み出された虚像。
同じグレアムの使い魔であるアリアが、クアットロの隣に姿を現す。
姿形が自分と良く似通ったアリア。センサーも、AMFで大分弱まったリンクも、あのアリアは本物だと告げている。
しかし――そんなはずはない。
何故ならば、アリアは、あんな笑みを――嘲笑をロッテに向けることは、今まで一度もなかったのだから。
クアットロによって生み出されたアリアは、本来の彼女を知っているロッテが信じられないような楽しげな表情をしながら、両腰に手を当ててロッテを見下ろす。
「はーい、ロッテ。お元気?」
「あらあらアリアさん。妹さんのお姿はどんな具合ですか?」
「んー、なかなか嗜虐心をくすぐられる格好ですねー」
「あら、気が合いますね。私もそう思うの」
「……やめろ」
見上げていた顔を俯かせ、荒廃した道路の破片を握り締めながら、ロッテは呟く。
だが、クアットロと彼女の作り出したアリアは口を閉じようとしない。
偽物のアリアが口を開く度に、際限なく怒りが沸き上がってくる。
やめろ、と再び呟くが、それでも尚、アリアは口を閉じてくれない。
……父様は、そもそもミッドチルダに――本部に移されてはいなかった。
……なら、研究施設で閲覧したデータは最初から嘘だった? 嘘が混ざっていた? 途中から嘘にすり替わっていた?
……そして、私たちをこんな状況に――闇の書事件に横槍を入れた連中に一泡吹かせるという計画は、向こうが描いたシナリオの一つだった?
「そんな……ことって……ないよ」
分からない。なんでそんなことを相手が許したのか、さっぱり理解できない。
ただ分かるのは、復讐のために動いていたつもりが、最初から掌の上で弄ばれていたということだけだ。
せめて一太刀。そう思うも、身体は思うように動いてくれない。
立ち上がることもできない今、ロッテにできることは何もない。
胸に灯っていた熱が加速度的に冷えてゆき、意識が混濁を始める。
そうなった頃にようやくクアットロは飽きたのか、満足げに深々と息を吐いた。
「ははは、あー可笑しい! それでは、あなたを始末して……っと。
あとは陸の魔導師があなたを殺したことにすれば、全ては丸く収まるわけです」
パチリ、とクアットロが指を打ち鳴らすと、夜空から四機の機械兵器が輪郭を浮かび上がらせる。
いつからそこに――そう考え、もう無駄か、と諦める。
……ごめん、父様。アリア。
目を閉じ、アスファルトから伝わる冷たさに身を委ねようとし――
轟音が、夜空に木霊した。
「……あらあらぁ?」
おかしいな、とクアットロは首を傾げる。
機械兵器のレーザーで使い魔を蜂の巣にするつもりだったが、その肝心な機械兵器が唐突に爆散した。
なぜそうなったかは分かる。上空から突き刺さった、サンライトイエローの砲撃魔法が機械兵器を吹き飛ばしたのだ。
サンライトイエロー。その魔力光を持っている魔導師を、クアットロは知っている。
だが、彼がこの場所にいるはずがないのだ。今は病室のベッドで、心を壊したまま自分たちの元へくるのを待っている。そのはずだ。
それなのに――
「……え、エスティマ……なのか?」
隣から、怯えと驚きを多分に含んだ声が上がる。
ナンバーズ・チンク。彼女は目を見開いて夜空へと視線を向けている。
まさか、と思いながらクアットロは妹の視線を追って――忌々しげに顔を歪めた。
白いバリアジャケットに、両肩にサンライトイエローのアクセルフィン。腰だめに構えたデバイスは、フルドライブのモードB・ガンハウザーとなっている。
「レリックウェポン・プロト……あの坊やぁ?」
「クアットロ……お前という奴は、本当に……!」
「ま、まぁまぁ、トーレ姉様。あの子一人で何ができるっていうのですか?」
トーレからの突き刺さるような視線を受け流しながら、クアットロは頬をひくつかせる。
なんだこれは。聞いていない。
『ドクター? あの坊や、なんでここにいるんでしょうか?』
『ふむ。私も知らないのだが……はは、そうか……!』
スカリエッティもエスティマが目を覚ましたことを知らなかったらしい。通信越しに聞こえた声で、彼が酷く楽しそうな顔をしていることが安易に想像できた。
その様子に、クアットロは微かに目を細める。
まだあの子供から興味を失っていなかったのか。最高傑作たる自分たちがいるというのに。
微かに唇を噛み締め、しかし、彼女はすぐに薄ら笑いを浮かべる。
どうせこの事件の真相は表に出ない。
死亡とされた使い魔を使ったテロ。
その目的は、首都防衛隊第三課――ストライカー級魔導師と二人のエース級魔導師、そして将来有望な執務官一人を使い潰した地上本部の失態から目を逸らさせたい、という最高評議会から依頼があったために打った芝居だ。
本局が捕らえた犯罪者が地上で暴れ回り、それを最高評議会の魔導師が捕らえ、後日、使い魔の戦闘機人を生み出した違法研究者を――もっとも、それはスカリエッティのスケープゴートだが――捕まえる。
それを果たすことができれば、犯罪者を逃した本局の失態を追求することができ、戦闘機人の研究を行っていた犯罪者を捕まえた事実を得て、先日の戦闘機人事件の汚名を返上できる。
唯一真実を知っているエスティマもこちらの手に落ちる予定だし、使い魔もここで口を封じれば何も問題はない。捕らえられているアリアの方にも、いつでもマスターを殺すことができるのだから余計なことは言わないように、と脅してある。
すべては闇から闇へ。煌びやかな嘘で塗り固め、都合の悪いものには蓋をする。
そう――何も問題はなかったはずだ。
それなのに……!
「計画に狂いが発生した……けど、まあ良いでしょう。あの坊やさえなんとかすれば、問題はありません。
そうですよね? トーレ姉様。チンクちゃん」
「ああ」
「……そう、だな」
トーレの声にはどこか楽しげな響きが混じっていた。以前の戦闘の雪辱戦のつもりか。
そしてチンク――彼女は、俯いて顔を上げようとしない。
困った子、と肩をすくめて、クアットロはエスティマへと再び顔を向ける。
「ご機嫌よう。いつお目覚めになったのですか、エスティマ様ぁ?」
「ついさっきだ……ああ、お前らがいるとは流石に考えてもなかったよ」
「あらぁ……」
それは運が悪かった、とクアットロは溜息を吐く。
「エスティマ様。ここは大人しくデバイスを収めてくれませんかぁ?」
「断る」
「そこをなんとか。ほら、チンクちゃんからも何か言ってあげて」
「わ、私は……」
どもりながら、チンクは俯いていた顔をゆっくりと上げた。
視線が交差する。チンクは瞳に戸惑いを浮かべたまま。対するエスティマは、迷いの一切ない、強固な意志を。
口を開くが、は、と息が漏れただけで言葉が出てこない。
何を言ったら良いのか――おそらく、数日前ならば再び誘いの言葉をかけただろう。
だが、今は違う。軽々しくそんなことを口にしてはいけないと、どうしても躊躇してしまう。
ただ黙り込む。そんなチンクにクアットロは愛想を尽かすと、見た目だけはにこやかな笑みを顔に張り付かせた。
「あのぉ、エスティマ様――」
「もう黙れ。お前と言葉を交わすつもりはない」
揺らぎや迷いの一切ない断言。
そんなエスティマの様子に、クアットロは首を傾げた。
以前も強固な意志は確かにあった。しかしそれは、脆さと紙一重だったはずだが――
……なんだか面白みのない人間になってるわ。
直感でそう判断する。
そして、その解答を提示するかのように、エスティマが声を発する。
徐々に空気が冷めてきた夜空に響き渡る、芯の通った声色で。
「時空管理局執務官、エスティマ・スクライアだ。
テロリズム煽動、扶助の罪で、お前たちを拘束する」
「良いのですかぁ? 愛しのチンクちゃんを捕まえるような――」
「それがどうした」
チンクの名を出され、しかし、だからなんだ、と切って捨てる。
チンクはびくりと身体を震わせるが、それにかまわずエスティマは言葉を続けた。
「見逃したところでなんになる。
お前らが俺から何を奪ったのか――それを忘れたなんて、言わせない。
……ああそうだ。だから、これ以上は何も奪わせない。そして取り返す。
そのために俺は、ここにいる!」
左手で胸元を掴みながら、エスティマは告げた。
込められた意味はクアットロたちに向けているのか、自分自身に向けているのか。
彼の様子に、これは駄目だ、とクアットロは諦めた。
この場で抱き込むことができれば、この事件を有耶無耶にできただろうが、あの様子では不可能だろう。
ならば、
「残念ですわ、エスティマ様」
指を鳴らし、それに反応して機械兵器が四機、姿を現す。
寄り添ったAMFは強固なものとなり、狭くはあるが魔力の結合を遮断する結界を作り上げた。
トーレが前に進み出て、間接にインパルスブレードを形成。足元にテンプレートを形成し、ISの発動準備に入る。
「あなたが何を考えようが、何をしようが関係はありません。
何事も闇から闇へ。大人しく私たちに協力していれば、苦しむこともなかったでしょうに。
まぁ、精々ドクターを喜ばせてくださいな」
「IS発動――ライドインパルス!」
クアットロが言い終わると同時に、トーレが陽炎をたなびかせて飛翔した。
速い。AMFが展開されていない状況下で互角ならば、勝負は見えている。
戦闘は足し算引き算ではないのだから、決してAMFだけで勝敗は決しない。だが、魔導師の扱う魔力の結合を断たれてしまえば、まともな戦闘は――
「……え?」
勝利を確信して頬を弛ませるが、目の奥に微かな痛みを感じて、クアットロはメガネを持ち上げて瞼を擦る。
うっすらと開いた目で高速戦闘を開始したトーレとエスティマを目で追おうとするが、センサーが不可思議な動きを捉えるのだ。
なんだあれは、と胸中で呟く。
センサーを切って目で追おうとしても追い付けない。故に、センサーを発動する。しかし、そうするとエラーが出る。
……一体、何が起こっている?
エスティマと戦闘を行っているトーレ。彼女もまた、クアットロと同じようにセンサーの異常に翻弄されていた。
いや、トーレの場合は高速戦闘を行う分、対象を追う機能がクアットロよりも優れている。広範囲をカバーすることはできないが、加速した状態で敵を追う能力ならばナンバーズの中でも随一だろう。
故に、トーレはクアットロ以上にエスティマの行動に踊らされているのだ。
インパルスブレードを叩き込むべく肉薄する。が、横滑りをするように回避されて、目の奥に痛みを感じる。
目標をロックして逃さないよう視線が相手を自動追尾する――が、その対象は五つ。
そのどれもがエスティマの魔力反応を示している。おまけに質量も。
調べれば、魔力反応にも質量にもばらつきがあり、どれが本物かは判別可能。しかし、高速戦闘を行い瞬時の判断を要求される今、咄嗟に真贋を見分けるのは至難の業だ。
魔力反応、質量反応が共にある分身――?
そんなもの聞いていない。エスティマ・スクライアが幻影魔法を扱えるなど。
「くそ……!」
悪態を吐き、振りかぶった腕を叩き付ける。
しかし、それが貫いたのは残像であり――覚えのある微かな手応えに、まさか、と脳裏に一つの可能性が浮かんできた。
……バリアジャケットなのか?
『Zero Shift――クロスファイア』
デバイスの音声が響き渡ると、エスティマの周囲に六つの誘導弾が浮かび上がる。
だが、それらがトーレに向けられることはない。高速で動き続けるエスティマの周りにあるだけで、放たれる様子はない。
なんのつもりだ、と疑問が浮かぶも、トーレはエスティマへの接近を止めようとはしない。
向こうのデバイスは砲撃形態のままだ。懐に飛び込めばこちらのものだし、エクセリオンを発動していると言っても装甲は精々が一般局員レベルまで上がった程度。
どの道装甲は薄い。お互いに加速状態ならば、当たれば落ちる。
そう判断して、雄叫びを上げながら突撃し
「何……!?」
至近まで距離を詰めた瞬間、誘導弾が射出された。
誘導弾を防御に――近接戦闘の迎撃に使うのか。辛うじて回避したトーレがエスティマへと視線を向けると、彼との距離はより離れていた。
エスティマはその場で百八十度ターンし、砲口をトーレへと向ける。
しかし、そのまま砲撃が吐き出されるかと思った瞬間だ。真横から殺到したガジェットのレーザーに阻まれ、エスティマは顔を歪めながら再び慣性を嘲笑うかのような、出鱈目な機動を開始した。
ガジェットのレーザーがエスティマへと掠ったのを見て、やはりか、とトーレは確信する。
剥がれ落ちているバリアジャケットの破片が大気に熔けるまでの刹那、防護能力を失う寸前の残りカスを、エスティマは纏っている。
元がバリアジャケットなので質量も持っているのか。恐らくは、微弱なフィールドバリアとしての能力も持っているのだろう。
魔導師同士の戦いならば、気休め程度のバリアだろうが、センサーの類を五感に埋め込んである戦闘機人にとってこの特性は厄介なことこの上ない。
どんなインチキだ、と舌打ちをして、トーレはエスティマを追撃した。
エスティマはトーレの追撃をやりすごしながら、淡々と機械兵器を撃墜する。クアットロがISで隠しているため、AMFを維持するだけの数は残っているが、墜とした分だけエスティマは本来の力を取り戻してゆく。
その前に、なんとか――そう、焦りながら、上空に逃げたエスティマに追い付こうとして、
『カウリングパージ』
バン、と爆ぜるような音。なんの前触れもなく引き起こされた事態に、トーレは目を見開きながら逡巡した。
白金の外装に包まれたデバイスがその外装を打ち棄て、基礎フレームである金色の槍へと変貌する。
そして、その打ち棄てられた外装は、エスティマを追っていたトーレへと真っ直ぐに向かってきた。
防ぐか、避けるか――そう考える内にも選択肢は狭まり、苦々しい顔をしながら、彼女は速度を一気に落として両腕で顔面を守った。
次いでやってきたのは衝撃だ。重厚な砲を形成していた外装が二の腕へと激突し、骨が砕ける嫌な感触――そして、言葉にできないほどの激痛が彼女の動きを止める。
は、と息を吐きながら視界がぼやけ――
「……受けてみるか? 俺の全力を」
『Zero Shift――フルスキル・コンビネーション』
朦朧とした意識のまま声の出所に拳を叩き込むが、乾いた音を立てて受け止められる。
そして、
「フォトンランサー」
トリガーワードと共に六発の光槍が叩き込まれ、
「ディバインバスター」
右脇に抱えた白金のハルバードの矛先が腹へと向けられ、切っ先にサンライトイエローの光が集束する。
トーレが認識できたのはそこまでだった。
ダメージによるエラーでISが中断され、感覚加速が切れる。次いで、衝撃。視界を埋め尽くさんばかりのサンライトイエローが放たれ、ビルの側面へと叩き付けられた。
魔力砲撃と衝突の勢いで意識が混濁しそうになり、しかし、エスティマはそれを許さない。
袈裟に、横一文字に身を裂かれる痛みが走り、胸へと何かが突き立てられた。
今の三連撃を目視することは叶わず、何が起こったのか認識するよりも早く胸に突き立てられた何か――長剣型の魔力刃が破裂し、トドメとばかりに視界を紫電が埋め尽くした。
胸が軋む。流石にフルドライブ――それもエクセリオンだなんて馬鹿みたいに負荷の高いモードを使ったままのゼロシフトは洒落にならない。
それでも以前よりはずっとマシか。レリックとリンカーコアを融合させられたお陰で、大出力にも耐えられるようになっているのかもしれない。
腕を歪ませ、全身に擦過傷を負ったまま気絶したトーレを地上に下ろしてバインドで縛る。
取り敢えずはこれで一人。
残るは二人か。
『申し訳ありません、旦那様。カウリングを強制排除したため、モードBの使用が不可能となりました』
「いや、良い。悪くない判断だった」
『ありがとうございます』
さっきのパージした外装を敵に当てるという策は、Seven Starsが俺に断りなしに行ったことだった。
そのお陰で砲撃モードが使用不可になったが、それと引き替えに一人倒せたんだ。
本当、悪くない判断だっただろう。
さて、と周囲を警戒しながらSeven Starsのグリップを握り締める。そしてバインドを引き摺りながら再び飛翔すると、地面に倒れ伏しているロッテの元へと急いだ。
この戦いにどんな思惑が絡んでいるのかはさっぱり分からないが、取り敢えずはロッテを守らなければ。
報告にあった戦闘機人はロッテ――彼女がなぜ戦闘機人となっているのかも分からないが――ただ一人だけだったはずなのに、この場にはナンバーズまで存在している。
……本当に、何が起こっているっていうんだ。
取り敢えず、ガジェットでロッテを始末しようとしていたことから見ると、スカリエッティ側からすれば彼女は邪魔な存在なのだろう。
この事件の裏に何があったのか。それを明るみに出すためには、ロッテを死なせるわけにはいかない。
そう。この戦いがスカリエッティと関係しているのならば、俺は負けるわけにはいかない。
俺の人生を邪魔するというならば、力ずくで排除しなければならない。
いつまでも道化でいてやるつもりなんかないんだ。
路上を滑るように移動し、ガジェットへとフォトンランサーを叩き込んで――無効化されるので牽制にしかなっていないが――倒れ伏したロッテの隣に降り立つ。
ちら、と視線を向ければ、弱々しくはあったが彼女の肩は上下していた。
よし、生きてる。
エリアサーチを飛ばしながら、周囲に防御用としてクロスファイアを発生させる。
敵の気配を伺っていると、散発的にガジェットのレーザーが飛んできた。それをフィールドとシールドの二重バリアで弾きながら、さて、と思案する。
トーレを回収するためには俺に近付かなければならいわけだが、どう出る?
周囲にクアットロと……チンクの姿はない。
おそらくはISで姿を消しているのだろうが……。
「……厄介だな」
思わず、そんな言葉が漏れ出した。
光学迷彩などではなく、対象の感覚を騙す、という辺りがシルバーカーテンの面倒なところだろう。
いくらエリアサーチに引っ掛かったとしても、それを俺が認識できなければ意味がない。
大まかな場所はSeven Starsに任されば良いだろうが、細かな位置が分からないと接近戦など不可能だ。砲撃を直撃させるのだって同じく。
……ならば、飽和射撃で焙り出すか。いや、いくらなんでも――
『問題なし。可能です、旦那様』
「Seven Stars?」
念話で届くSeven Starsの声に、思わず問う。
『敵の潜む方角さえ分かれば可能です。モードDの使用を提案します』
「……こんな街中でか?」
『いいえ、はい。街中だからこそ、です。
旦那様が勝利を収めるためのシミュレーションを行いましたが、今のままでは管理局の増援が到着する前に力尽きると判断します。
向こうが幻影を操り、それの判別が不可能な以上、予想される敵のポイント周辺を破壊し尽くすのが最善でしょう』
「……いくら廃棄区画といえど、流石に問題なんじゃ」
『いいえ。これから行われる破壊活動は、戦闘機人によって引き起こされたものとなるでしょう』
「……性格が悪いなお前」
『はい。旦那様に似たのかと』
ああそうかい、と溜息を吐きつつ、グリップを滑らせ石突きに近い部分を握り込む。
そして、
「……まあ良いさ。それでいこう」
『はい。モードD――カウリング・スレイヤーをセレクト』
Seven Starsの宣言と同時に、変形が始まる。
ハルバードを形作っていた外装は虚空へと消え、新たな純白の装甲が金色のフレームを包む。
握っている部分をそのまま残し、ロッドと穂先は液体へと変わった。
そして、装弾数が六発の回転式弾倉と、デバイスコアの埋め込まれた鍔が手元に寄ってくる。
柄と巨大な鍔。これだけ見たら、酷く簡素なデバイスだが――
『刀身形成』
Seven Starsを握った腕を振り上げ、それに応じて鍔元から金色の刃が伸びる。
Seven Starsの基礎構造に使われている特殊な液体金属。それは魔力を注がれることによって固体となり、硬度を増す代物だ。
その特性により、通常のデバイスが変形するならばパーツの組み替え程度が限界だというのに、Seven Starsはそれ以上の変形を行う。
基礎構造からして別物の武器へと、姿を変える。
そしておそらくは、この形態が最もSeven Starsの特性を生かした形態と言えるだろう。
――遠慮を知らないとでも言うように際限なく俺から魔力を吸い上げ、それに比例して伸びる金色の刃。
それに沿って数多もの魔法陣が出現し、吐き出されたチェーンバインドによって夜空に刃を縫いつける。
――光を透し、煌めく。薄い。降り注ぐ月光が透過する程度の厚みしかない。が、硬度は折り紙付き。
天を突かんと伸び続ける刃は周囲を取り囲むビルをあっという間に追い抜き、夜空に強烈な自己主張を行う。
更にチェーンバインドで身体を地面に縫いつけ、刀身を風に流されるSeven Starsを取り落とさないよう必死に耐える。
そして刀身が三百メートルを超えた時点で、歯を食いしばりつつ腰を据えた。
「……見えてるぜ」
エリアサーチに引っ掛かったものがある。
それは慌てて戦闘区域から離れようとしているが――
「遅い」
『――Zero Shift.
エグゼキューション』
呟き、身体を固定するチェーンバインドを強引に引き千切りながら、音速超過の斬撃を繰り出した。
袈裟に振り抜き、一拍遅れて、衝撃が切断したビルを倒壊させる。
メキメキと鈍い音を上げながら隣のビルを、そしてまた隣のビルを巻き込んで次々と建造物が倒壊し、轟音と共に盛大な粉塵が夜空へと舞い上がった。
けたたましい騒音に聴覚が麻痺して、地響きに体勢を崩しそうになる。
なんとか耐え抜いてエリアサーチに感覚を向け――
「何……!?」
唐突に、視界を覆わんばかりのダガーが出現する。
IS・ランブルデトネイターか。だとしたら――
舌打ちしつつフェイズシフトを発動し、足元に転がっているロッテとトーレを抱きかかえて回避する。
……やっぱり、本気なんだな。
戦うと決めていたのに、やはりどこかで期待している自分がいたのか。
彼女――チンクが全力で殺しにかかってきたことに、僅かな胸の痛みを感じる。
しかし、俺はもう立ち止まるわけにはいかない。
あの人が敵だっていうのなら。
ロッテとトーレを投げ捨てて、バインドで空中に固定する。
そしてスライディングしながら振り返り、Seven Starsを構えて、眼前の光景に愕然とした。
さっきまで立っていた場所は、チンクのISによって無惨に破壊し尽くされている。
だが――どういうわけだろうか。
俺がいた場所だけは、避けたように無事なアスファルトが残っていた。
……なんでだ?
なんで、彼女は俺がいた場所だけを避けるなんて器用な真似をしたんだ。
「……チンク」
「……エスティマ」
彼女はダガーを指の間に挟みながらも、腕をだらりと下げている。その様子から交戦の意志は伺えない。
……歯を食いしばり、戦意を保つ。
背後にいるロッテとトーレに二重三重のチェーンバインドを行い、姿の見えないクアットロの警戒をしながら、どうして、と胸中で呟いた。
……どうしてそんな顔をしてるんだ。
チンクは何かを言い足そうに口を開け閉めするが、言葉が紡がれることはない。
目は俺から逸らされ、じっと足元に注がれている。
小柄な身体をすっぽりと包むコートの裾は揺れていて――きっと、彼女は震えていた。
『旦那様。AMFの反応、ありません。機械兵器は先程の一撃で全機撃墜したと予想します。
今の状況ならば、戦闘機人も大した驚異ではありません』
『……ああ、そうかもな。
……Seven Stars』
『はい、旦那様』
『エリアサーチの制御を頼む』
『了解しました』
疑いもせずに請け負ってくれたSeven Starsに声に出さず感謝して、息を吐きながらチンクを見据える。
今の彼女は、怯えている――のだろうか。
見たことがない。不安を顔に張り付かせ、見た目相応の小ささを感じさせる今の彼女の姿なんて。
……なんで、そんな顔をするんだ。
苛立ちがどこかから沸き上がってくる。
「……チンク。何をしているんだ、君は」
「わ、私は……」
そこで一度、彼女は言葉を句切り、
「……どうしても、お前に謝りたくて」
「……なんだって?」
ざり、と一歩後退る。
……何を言っているんだ、この人は。
「すまなかった。私は、お前のことを何も分かっていなかった。
辛い思いをしてまで戦っていた理由を、何も考えず……あんなことを言ってしまって」
「……待て。いや、待ってください。なんで、謝ってるんですか?」
ハルバードの穂先を向けて距離を保ちながら、最大の疑問を口にする。
謝るぐらいなら、なんだってあんなことを――
……いや、止めよう。
どうあったって彼女は俺から見れば奪う側の人間だ。
だったら、俺が取る態度は決まっている。
左腕を前に突き出し、足元にミッド式の魔法陣を展開して、フォトンスフィアを四つ発生させる。
宙に固定されたスフィアは紫電を散らし、目標をチンクへと定め、いつでも発射できる状態へと。
……だが、それを目にしてもチンクは顔色一つ変えない。
微かに眉を動かしただけで、諦めた――否、違う。
何をされても受け入れると、そう、態度で示している。
くそ……!
「今更だって……分かってるんですか?」
「ああ、分かってる。こんな私だからお前を追い詰めたのだと、やっと気付いた。
私は、お前を理解したつもりになっていただけなんだと、な。
……だからお前を傷付けた。知ったようなことを言ってしまった。
許して欲しい」
「許して欲しいって……アンタは……!」
伸ばした左腕が震える。あと少しでも冷静さを欠けば、今すぐフォトンランサーを発射してしまいそうだ。
だが、それを分かっているだろうに、ようやく――フィアットさんは俯いていた顔を上げて、俺と目を合わせた。
思わず息を呑む。
「……許して欲しいんだ、私は。お前に憎まれたままだなんて、嫌なんだ。
だってお前は、私が、初めて――!」
カラン、と固い音を上げて、彼女の握っていたダガーが地面へと落ちる。
そして空いた両手で胸を押さえ、彼女は続く言葉を飲み込んだ。
……何を言おうとしたのだろうか。
俺にはそれを、想像することしかできない。
……そうか。
そういうことか。
フォトンランサーを保ったまま、溜息を吐く。
……この人は、俺を裏切っていたわけじゃないんだな。ただ、巡り合わせが悪かっただけで。
そして、俺も俺で馬鹿だ。
許して欲しいと、俺をじっと見詰めるフィアットさんの姿を直視できないのだから。
ああ、そうか。俺にとっては、この人もまた守りたい幸いの一つだったんだな。
だからこそ裏切られたと分かったときに、あんなにもやるせない気持ちになったんだ。
何か言葉を返そうと口を開いて――
「チンクちゃん、ナイス!」
「何!?」
俺の背後へと、クアットロが現れる。
ビルの倒壊に巻き込まれたのだろう。全身は粉塵に汚れ、メガネはなくなり、縛られていた髪の毛は片方だけ解けている。
彼女はロッテとトーレを抱きかかえて飛び立とうとするが、バインドに縛られた二人を地面から引き剥がすことはできない。
そうしてロッテの方を諦めたのだろう。トーレだけを地面に縫いつけられたバインドから引き抜いた。
一連の行動は唐突で、反応が遅れた。
舌打ちしながらも左腕をクアットロへと向け、
「ターン!」
『ファイア』
フォトンスフィアがクアットロへと向きを変え、掃射される。
フォトンランサーは吸い込まれるようにしてクアットロの背中に次々と着弾するが――駄目だ。
魔力弾を受けながらもクアットロは姿を消し、ISの残滓である光の粒子だけが宙に残った。
振り返れば、フィアットさんの姿も消えている。おそらくはISの対象とされているのだろう。
思わず溜息。
……くそ。
まぁ、ガジェットは殲滅したしロッテも確保したから最低限の戦果は上げているんだけど。
「……また騙されたんですかね、俺は」
『ち、違う、私は――!』
「……冗談ですよ」
独り言のつもりだったのに返事があって、思わず苦笑した。
念話で届く焦った声にそう応えながら、俺はSeven Starsを肩に担ぐ。
俺には、人の心を読むなんてことはできない。
だから、フィアットさんが嘘を吐いているのかどうかだなんて、分からない。
……けど、そんなことはあまり関係がない、かな。
再び苦笑し、グリップを握る手から少しだけ力を抜いた。
「フィアットさん」
『……ああ』
「俺は時空管理局の執務官です。犯罪者であるあなたを見逃すつもりはありませんし、第三課壊滅の片棒を担いだあなたを許すつもりもありません」
『……そうか』
「ええ。だから――いつか必ず、俺がこの手で捕まえて、罪を償ってもらいます」
『…………そう、か』
絞り出すような声で返ってきた彼女の念話に、これぐらいにするか、と息を吐く。
恨み言は今ので最後だ。
……彼女が、俺のことを憎からず思ってくれているのだというのならば、
「――そうしたらまた、遊びに行きましょう。
気兼ねすることもなく、以前と同じように」
『え……?』
「俺から言うことは、これで終わりです。
……また、戦場で会いましょう」
強張っていた肩から力を抜く。
エクセリオンモードを解除し、瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。
……病み上がりにやっちまったなぁ。いや、体調だけは万全だったけど。
バリアジャケットの胸元を押さえ、猫背になって節々から上がる痛みに耐える。
リンカーコアがしくしくと――
『接近警報』
「は?」
Seven Starsの言葉に声を上げ、次いで、何か妙なものが唇に当たった。
ぷっくりとして柔らかな、と思ったら、ガチン、と前歯がぶつかって地味に痛い。
何事だよ。
顔を顰めつつ思わず手で口を覆うと、鼻を懐かしい匂いがくすぐった。
それだけじゃない。頬を細い髪の毛に撫でられる感触もだ。
姿形は見えないが、きっとそこには彼女がいるのだろう。
『い、痛い……こんなはずでは……』
「……フィアットさん?」
『なんでもない! 今のはノーカウントだ!
と、とにかく!
……また戦場で、だ。
………………ありがとう、エスティマ』
それっきり。
フィアットさんから念話が届くことはなかった。
じんじんと痛む前歯を舌で舐める。
「……頭突きでもされたのか、俺」
『はい、いいえ、旦那様。鼻の下は急所の一つです。おそらくはそこを狙われたのではないかと』
「酷い話だ……まぁ、とにかく」
つい、と視線をロッテへと向ける。
バインドで幾重にも縛られ、気絶した彼女。取り敢えずは、事情を聞こうか。
この事件の真相を。
「おお……おぉ……!」
大仰な素振りで両腕を上げ、目を見開き、歪んだ三日月のように口を歪ませながら、ディスプレイを食い入るように見詰める男が一人。
ジェイル・スカリエッティ。碩学にして狂人である彼は、画面の向こうで行われていた戦闘映像に見入っていた。
既に戦闘は終了している。だというのに彼は、映像が終わればまた最初から、を繰り返し、何度も自分の娘たちとエスティマが戦うシーンを眺めていた。
「はは……! そうか、エスティマくん!
それが君の答えか! 壊れた末に辿り着いたのは、成る程、そこなのか!
それが君の欲望か……!」
同時に映されている、数多もの映像の一つ。そこには、エスティマがクアットロに対して声を張り上げて宣言しているシーンが映っている。
幸せを掴む。そのために取り戻す。立ち向かう。
掌の上で踊るしかできなかった少年は、こうして、自分と対決する道を選んだのか。
正義でもなんでもなく、ただ、自分のために、と。
そんなエスティマをスカリエッティは、
「ははは……!」
ただ面白いと、哄笑する。
「私の与えた力で、私に歯向かおうというのか、君は!」
いや、既に一太刀浴びせられている。
今回の事件を闇に葬れなかった代償は、スカリエッティ自らに返ってくるだろう。
本来手にするはずだった駒に手を噛まれ、隠蔽するはずだった事実はおそらく明るみに出る。
スポンサーである最高評議会が手を回して隠されたのだとしても、スカリエッティの立場が悪くなることだけは確かだ。
「ははは……! こんな屈辱を味わうのは久し振りだよエスティマ・スクライアくん!
あぁ……実に惜しい。私の手を離れた瞬間に燦然と輝き出すとは……欲しかったなぁ」
声だけは悔しそうに、しかし、表情は驚喜に歪んだままで、スカリエッティは振り上げた両手で顔を覆う。
そして爪先立ちとなり、背中を反らしながら、ああ! と吐息を漏らす。
「良いとも……ああ、良いともエスティマくん。
君が私の敵を名乗るならば、私は君の敵で在ろう。
ふひははは……!
またいずれ……君の前に姿を現そうじゃないか……!
ああ、何度だって立ち上がってみせるさ……!
君がそうするのならば、敵である私も、そうしようではないか!」
叫び声は徐々に、盛大になってゆき、
――研究所内に、たった一人の喝采が鳴り響いた。