目が覚めてから今日で二日目。
その間やったことと言えば、検査、検査、検査、だ。
血液を採られたり、レントゲンっぽいのを撮られたり、魔法の行使に問題がないか調べたり。
フィアット・エチェントさん――俺専属のピンクロリ看護婦――が言うには、なんの問題もないとか。
そうなのかなぁ。俺としては心持ち、なんだか魔力の制御が上手くできなかったんだけど。
まぁ、それは鈍っているとかそこら辺なのだろう。なんだかんだ言って、一月もの間眠っていたのだし。
……一月も眠っていれば筋力が落ちてもおかしくないはずなのになぁ。魔力の制御以外は以前となんら変わらないってのはなんだか妙な気が。
まぁ良い。今の俺にとって、リハビリに時間を取られないことは悪いことじゃない。
早くここから出たいね。
などと思っていると、不意に病室の扉が開いた。
姿を現したのはフィアットさん。どこをどう見ても俺と同い年ぐらいにしか見えないが、立派な社会人らしい。
胡散臭いなぁ。
彼女は今日も使い道の分からない機材を運び込んでくると、にっこりと笑みを浮かべる。
「おはよう、エスティマ」
「おはようございます、フィアットさん。
今日は何をするのでしょうか」
「うん。昨日、魔力の制御に違和感があると言っていただろう?
その原因がなんなのか、調べるんだ」
「あー、単純に腕が鈍っているだけ、って可能性もあるので気にしない方が」
「駄目だ。身体に問題がある状態で、君を外に出すわけにはいかない」
彼女はボタンを押して機材を起動させると、体温計を差し出してくる。
脇の下にはさみ、一瞬で結果が出たり。
無駄にすごいよなぁ、こういうの。元の世界じゃ数分はじっとしてないといけなかったのに。
「三十六度五分。平熱ですよ」
「分かった。……朝食はちゃんと食べたか?」
「ええまぁ」
「まったく。ちゃんと食べろと言っているのに、なんで君は。
不摂生な生活をしていたら、背が伸びないぞ」
「明日は食べます。努力しますよ」
「ふん」
ボードに何やら書き綴り、小さく頷くフィアットさん。
いや、ここのご飯、異様に不味いんですよ。
しっかしこの人、外見とかから考えると、どうにもごっこ遊びをしているようにしか見えないのはご愛敬か。
それにしても、二日で大分慣れたなぁ。
初日に注射を打たれた時、針を三本折ったとは考えられない。
……心臓が止まるかと思いましたよ、本当。この人、不器用な上に無駄に力が強い。
「……何か不穏なことを考えてないか?」
「いえ、別に」
「そうか。また人の外見的特徴を指摘するつもりなのかと思ったぞ」
「いや、自分でそういうこと言うからからかわれるんじゃ……」
「背が低くて悪かったな!」
「いや、背が高ければ良いってもんじゃ……」
「子供っぽくなどない!」
はい、すみません。
けど、先回りして自分で言うのはどうかと思う。
つーん、とそっぽを向くフィアットさん。
外見を気にするなら、まず服装とかどうにかするべきだと思うんだよなぁ。
色をピンクから白に変えるべきだよ。
取り敢えず、検査を終わらせると、いつものようにフィアットさんとお喋りを開始する。
ここは娯楽がないのだ。ついでに、俺は病室から出ることを禁止されている。
なんでも研究施設の内部を見せるわけにはいかないからだとか。
暇潰しの相手を買って出てくれる辺り、なんとも面倒見が良いよ、この人。
リリカル in wonder
高町なのはは、海鳴へと戻ってきていた。
ここ最近、ヴォルケンリッターの活動は海鳴に固定されているわけではない。
少し前まではなのはの身の安全のために家に帰ることを禁止されていたが、それもようやく解禁された。
海浜公園に降り立ち、風に流される髪の毛を抑える。
……久し振りだなぁ。
内心で呟き、彼女は家へと脚を向ける。
目に入る街並みはほぼ一月振りだというのに、変わり映えはしない。
当たり前か。
一月で彼女を取り巻く状況が変わったとしても、それと関係のないことがほとんどだ。
友人がバラバラになってしまったとしても、自分以外の者にとって大した変化じゃないはずだ。
そのことに少しだけ気を沈ませながら、なのはは携帯電話を取り出す。
メールボックスには、こちらの友達であるアリサやすずかからのメールがいくつも溜まっていた。
彼女たちには、到着が一日遅れるように伝えてある。
今日だけは、一人になりたかった。
本局にいる間に充分休んだとしても、疲れが抜けた感じがしない。
気の休む暇がなかったからだろうか。
バラバラになってゆく友人たちにそれとなく声をかけても、みんな自分のことで精一杯で、周りが見えていないようだった。
……それは私も同じかも。
少女に似合わない自嘲を浮かべ、彼女はゆっくりと足を進める。
一歩一歩、踏み締めるように。
そうしている内に、彼女は自宅へとたどり着く。
武家屋敷、と言っても良い外観のそこに踏み込むと、鍵を差し入れる。
しかし、鍵は開けられている。誰か帰ってきているのだろうか。
「ただいま」
「……あれ? あー! おかえり、なのは!」
リビングから顔を出したのは姉だった。
なのはは家に上がると、姉に誘われるままリビングへ向かう。
自分が嘱託魔導師として出て行ったその時のまま。なんの変化もない風景に、彼女は少し不思議な気分となる。
美由希の出してくれた紅茶を飲みつつ、なのはは自分がいなかった間にあったことを聞く。
そのどれもが、戦闘などと無縁の穏やかな内容。
そういえば、こういうのが普通なんだったな、となのはは思い出す。
そうしていると――
「……なのは、何かあったの?」
「え?」
「なんか元気がないよね」
「そ、そんなことないよ」
咄嗟に口に出したことだが、自分でも分かるぐらいに動揺した声だった。
……怒られる。
そんなことはありはしないというのに、何故かなのははそんな風に思ってしまった。
まるで自信がない。何か間違ったことをしたら怒られてしまう。
自然と、そんなことが頭に浮かび――
「……ね、話してみない? 私は魔法なんて使えないから、なのはの悩みを聞いてあげることしかできないけど。
それでも誰かに愚痴れば、楽になるかもしれないよ?」
美由希の言葉に、目を見開いた。
なのはの家族は、彼女が時空管理局の嘱託をして働いていることを知っている。
父は最後まで良い顔をしなかったが、それでも兄や姉、母は、誰かを助けたいという自分の夢を後押ししてくれた。
美由希が今浮かべている表情は、背中を押してくれた時と同じ柔らかなものだ。
「あ……」
それに気付いた瞬間、なのはは目頭に熱を感じた。
泣いちゃ駄目だと我慢をして、顔を俯ける。
「ほら。なのはがそんな顔をしていると、みんな心配するよ?
何か悩んでいることがあるなら、聞かせて」
「……うん」
顔を俯けたまま、なのははゆっくりと言葉を紡ぐ。
どう説明したら良いだろうか、と考えながら。
「あのね、お姉ちゃん。その、エスティマくんが、すごい怪我をしちゃって……」
「うん」
「それで、その怪我は、ひょっとしたら死んでもおかしくないぐらいで――
彼のお兄さんとフェイトちゃんが、すごい怒ってて……」
要領を得ない話し方だ、と思っていても、なのはは言葉を続ける。
美由希は相づちを打つだけで、話を止めようとはしない。
頑張らないと、と思う。
「でも私、エスティマくんに怪我をさせた人にだって何か理由があるはずだからって、そう思って。
だから話し合った方が良いって思ったのに……フェイトちゃんに、怒られたの」
「どうして?」
「兄さんを傷付けた人をなんで庇うの。なのはは兄さんのことがどうでも良いの……って。
そんなつもりは全然なかったのに、私、フェイトちゃんに嫌われちゃって……!」
不意に、涙が決壊する。
しゃくり上げ、流れる涙を手で拭うも、次々と流れてくるそれを止めることはできない。
美由希はなのはが泣き止むまで待つと、彼女が落ち着いたのを見計らって、うん、と頷いた。
「……そうだね。フェイトちゃんの気持ちは、良く分かるよ」
「……え?」
「私も、もしなのはが誰かに大怪我を負わされたら、絶対に怒ると思う。
それこそ、その人を庇う人がいたら苛立つぐらいに」
けど、と繋ぎ、
「それはきっと、私がなのはの近い場所にいるからだよ。
私は、なのはのお姉ちゃんだから。
そして、フェイトちゃんはエスティマくんの妹なんでしょう?
だったら、うん。視点が違うのは仕方がないよ。
冷たい言い方かもしれないけど、なのははそれで良いと思う。
怒るのはフェイトちゃんやお兄さんに任せて、なのはは自分が正しいと思うことをやっても良いんじゃないかな」
「でも、私だってエスティマくんが大切で、だったら怒るべきなんじゃないのかな……って。
分からないよお姉ちゃん。
……私、冷たいのかなぁ」
「ううん。なのはは、優しいよ。
だって、大切な友達を傷付けた人を、許そうとしているじゃない。
確かに、フェイトちゃんから見たら冷たく見えるんだと思う。
だけど……。
フェイトちゃんが周りを見る余裕がないのなら、なのはがその代わりになってあげよう?
……大切な、友達なんでしょう?」
「うん」
それで良いのだろうか。
まだ納得は出来ない。
美由希が背中を押してくれても、あの日、フェイトに投げ付けられた言葉は深く心に突き刺さっている。
エスティマが大事ならば、怒るべきだ。
確かにそうだろう。
思考を切り替え、ずっと考えないように、思い出さないようにしてきたこと。
……あの日、エスティマの姿を見付けて、錯乱から復帰したあとに考えたことは一つ。
誰がこんなことを、と。
困惑は確かにあった。
しかし、あの時の自分は、確かに怒っていたのだ。
そして、それを飲み込んで話し合いをするべく戦場に出たら、経験したこともないほどの敗北を味わった。
分からない。何が正しいのか、何が間違っているのか。
誰も教えててはくれない。背中を押したり、助言はしてくれても、何が正しいと言ってはくれない。
……自分は、何がしたのだろうか。
『……分かったわ』
シグナムからの念話に頷きを返すと、彼女は溜息を吐いた。
遂に夜天の書に溜まった頁数は四百を超えた。
ほんの一月と少し。
異常とも言えるその速度に、シグナムの必死さが透けて見える。
……もう後ろを振り返る余裕なんてないわね。
彼女は虚空から夜天の書を取り出す。
シグナムから送られてきたそれを開くと、頁は四百十二まで埋まっていた。
それらの全てに偽装スキンを張り、シャマルは部屋を出る。
階段を一段ずつ降りて、リビングへ。
広々とした空間には、三つの影がある。
ヴィータははやてと寄り添いながらテレビを見て、狼姿のザフィーラはその脇で横たわっていた。
リビングにはただテレビからの音が響くだけで、笑い声は一切ない。
……シグナムが消えてからしばらくして、ずっとこの調子だ。
笑いが絶えたわけではない。
しかし、以前の穏やかな雰囲気は徐々に失われており、こうして空々しい雰囲気が満ちることが、最近では珍しくなくなってしまった。
エスティマからの手紙が届かないこともあるだろう。
一週間に一回のペースでやりとりをしていた手紙が途絶えてから、はやては配達員がポストに手紙を入れる際、毎回落胆している。
また違ったわ、と寂しそうに笑う彼女の姿は、酷く痛々しい。
愛想尽かされたのかもなぁ、と自嘲するあの子の姿など、見ていられない。
……ごめんなさい。
胸中で小さく謝り、唇を噛み締める。
自分とシグナムは、主から大切な友人を奪ってしまった。それはきっと、取り返しのない罪だ。
はやてが傷付く、という以上に、どんな言葉を投げ付けられるのかが怖くて、殺したことを告白することが出来ない。
……私もシグナムのことを責められないわね。
自嘲する。その表情を一瞬で掻き消して、シャマルははやてへと念話を送った。
『はやてちゃん。少し大切な話があるので、二人っきりになってもらえませんか?』
『ん、ええよ? ちょっと待ってな』
ごめんなー、と断りを入れ、はやてはヴィータとザフィーラから離れて、シャマルと共に二階へ向かう。
そして彼女の部屋に入ると、シャマルは話を始めた。
「はやてちゃん。大切なことを話し忘れていたので、聞いてもらえませんか?」
「ええよ。なんや、そないな怖い顔して。シャマルには似合わんでー」
「あ、あはは……そうですか?」
顔に出ていたか、と後悔しつつ、シャマルは笑顔を作るように努める。
そうして彼女は夜天の書をはやてに差し出すと、全力で柔らかな笑みを浮かべた。
「多分、ヴィータちゃんもザフィーラも覚えてないと思うのですけど……。
この闇の書にも、意志があるんです」
「え? どういうこと?」
「見た目は本ですが、この子も生きているんですよ」
「……そうだったんか」
ごめんなー、とはやて夜天の書を抱き締める。
本の形状となっている夜天の書の外観に変わりはないが、どこか照れて、嬉しそうにシャマルには見えた。
夜天の書、というキーワード。
それを切っ掛けにして、シャマルとシグナムは忘れていた数々のことを思い出していた。
その一つがこれ。
夜天の書の管制人格の存在。
意志があるのはなんとなく覚えていた。しかし、以前ならば主と夜天の書に余計な関係を持たせようとは思わなかったはず。
故に、おぼろげな記憶を頼りにして夜天の書を起こそうなどとは思わなかったが――
「はやてちゃん、その子を起こしてあげてください。闇の書の管理者として、命令を」
「えっと……どうすればいいん?」
「ただ声をかけてあげてください。それだけで良いですよ」
「分かった、シャマル。……闇の書よ――って、なんか変やな。
意志があるなら、やっぱ名前もあるべきやし。
……ん、そうね」
考え込むように顔を俯かせ、そして、パッと上げた彼女の表情は、楽しげに輝いていた。
「名前をあげる。リインフォース。私の家族。
寝坊助さん、はよう起きて」
『――闇の書、管理者の承認により人格起動を行います。
おはようございます、主はやて』
「わぁ……!」
年相応の笑み。
愛くるしいとも言えるそれを浮かべながら、彼女は夜天の書をきつく抱き締める。
その光景に、シャマルは笑みを浮かべつつ――
『夜天の書――いえ、リインフォース。
ちょっと聞きたいことがあるのだけれど』
可能なことと不可能なこと。
それらをはっきりさせるべく、湖の騎士は最後のヴォルケンリッターに念話を送った。