船舶というのは物資の輸送には非常に適した移送手段だ。
浮力を利用したその仕組みは他では到底真似できないほどの積載量を可能にする。古来より海洋国家が交易を行いその国力を増してきたことは歴史が証明している。
しかし、それはあくまで物資の輸送の場合。人の交通手段として見た場合、船舶はそこまで有用と言えるだろうか。
速度においては飛行船に劣る。潮流に大きく影響を受けるため安定性が高いとも言えない。海域によっては沈没する危険も高い。
だから船舶は輸送手段として考えるべきなのだ。私はそう思う。
「だというのに、なんで船で行くんだ……? 会場のザバン市は近くの空港からバスも出ているというのに。ほら、この薬を飲め」
「あう……ううう……ち、ちょっと楽になってきたかも」
ゾンビと化しているハルカに膝を貸し、煽いで風を当ててやる。大した揺れもないというのに、なんてことだ……
だが、薬もあげたし、もうしばらくすれば元気になるだろう。多分。
ハンター試験に参加することに決めた私は、試験会場がザバン市ということを知り、会場へ向かうルートを調べだしたのだが―――ハルカが船で行くルートを強行に主張した。
それもわざわざ遠回りするルートだ。くじら島経由、ドーレ港行きの便。ヨークシンからザバン市に向かうのならば飛行船で向かう方が明らかに早いのだから、何故と思わずにはいられない。
理由を尋ねると、ハルカは「そこに出会いがあるからよ!」と力強く言っていた。よく判らないが、そういうことらしい。
私としてはそのルートを拒否しなければならない理由も特になかったので、結局海路を取ることになったのだった。
だが、言いだした本人が真っ先にダウンしてどうするというのか……
私はハルカに聞こえないように溜息を吐きながら、周囲の乗客を見渡した。
乗客の中には、ただの旅行客と見られる人々が数名。そして残る十数人は明らかにカタギでないと思われるゴロツキばかりだ。きっと彼らもハンター試験の受験生なのだろう。
だが受験生という割には鍛え方が足りない。肉体的な鍛錬はもちろんのこと、精神的にも。
見せびらかすように威圧的な気配を放つ者。周囲を威嚇するかのように鋭い視線を送り続ける者。これ見よがしにナイフの手入れを続ける者。
馬鹿な連中だと思う。自分の底を晒しているようなものじゃないか。子供同士が強さを比べているかのような滑稽さを感じる。
こいつら相手ならば、念なしのハルカでもそこそこいい勝負になるのではないだろうか……
見る限り、客の中で良い気を出しているのは二人くらいか。
ハンモックで寝ている、男性だか女性だか判らない―――多分男性だろう―――美少年と、妙に鼻の下を伸ばして本を読んでいる青年だ。
他の有象無象はどうでもいいかと思い、その二人は覚えておくことにして窓の外を見た。
天気は快晴。カモメたちが騒いでいる。陸が近いのか、船の速度が落ちているようだった。
『間もなくこの船はくじら島に到着致します。お降りの方は下船の準備をお願いします。尚、くじら島出港後はドーレ港に向かいますが、大変危険な航路を取りますので、ハンター試験受験者以外の方のご利用はおやめ下さい』
アナウンスが流れる。
危険な航路、か。おそらくこれもハンター試験のふるいの一環なのだろう。他のルートで会場に向かっても、同様の障害が用意されていたと考えるべきか。
何はともあれ、この状態のハルカを危険な航路に連れて行ったら大変なことになりそうだった。くじら島にいる間に体調を回復させないといけない。
窓から見える景色に他の船が移り、緑豊かな島の様子が見え、船が停止する。
観光客と思われた人々が下船し、受験生と思われた連中が予想通り一人も降りない中、私はハルカを連れて船のデッキに出た。ひとまず風に当たらせよう。
乗員から椅子を借りて座らせてやり、背中を擦った。
「ほら、しっかりしろ。そろそろ薬が効いてきただろう」
「う、ん……だいぶ楽になった」
「ここからは危険な航路ということだが……大丈夫なのか?」
「や、やばいかも……」
まだ顔が青いハルカを見て、やれやれだ、と肩を竦める。
仕方がない。私がサポートするとしよう。もともとそのためについて来たのだし。
そんなことを考えながら、出発まであとどのくらいかなと思い、港の方をぼんやりと眺めた。
小さな港だが、そこには多くの人々がいる。荷物を積む人、下ろす人。そして一際目立つ気を放つ一人の少年。
「ほう……」
思わず感嘆のため息が漏れる。
その少年の気は力強く、明るい輝きを放っている。
素晴らしい才能だ。どの世界にも天才というものは存在するが、彼はまさしくその類の人種だ。
その少年は多くの島民から激励の言葉や選別を貰っていた。まだ十代前半のように見えるが、彼もハンター試験を受けるのだろうか。
まあ、年齢は大きな問題ではないだろう。少年は見る限りよく鍛えられているようだし、この船に乗っている大多数の者たちよりもはるかにハンターの資質がありそうだ。
少年と話をしていた島民の一人が、少年の背後を指さす。そこには一人の女性がいた。
少年の母親、あるいは姉だろうか。駆け寄った少年と女性は僅かな間別れを告げると、固く抱擁を交わして別れた。
「元気でねー!! 絶対立派なハンターになって戻ってくるからー!!」
デッキから身を乗り出すほどの勢いで大きく手を振り、女性に別れを告げる少年。
船が出発し、くじら島が指先ほどの大きさになっても、彼は港の方をじっと見つめていた。
「くっくっくっ、立派なハンターか……なめられたもんだな」
その別れに水を差すかのような、嘲りの混じった笑いが入る。
気にも留めてなかったので気付かなかったが、いつの間にか他の受験生たちが数人デッキに出てきて少年を睨んでいた。
「この船だけで十数人のハンター志望者がいる。毎年全国からその数十万倍の腕利きがテストに挑んで、選ばれるのはほんの一握り」
顎が割れた男が得意げに語る。それに合わせて他の受験生たちも嫌な笑みを浮かべた。
「狙う獲物によっては仲間同士の殺し合いも珍しくねェ職業だ。滅多なことを口にするもんじゃねーぜ……ボウズ」
「……」
馬鹿にされていることに気付いたのか、流石に少年の眼が多少険しくなる。
だが彼は言い返すでもなく、怒りを露わにするでもなく、黙って船室に入って行った。
「……ふん、下らない」
格付けは済んだな。
よく吠える奴は弱い。そのことは結局どの世界でも大して変わらない。
そもそも彼我の差を理解できずに少年に吠えるとは、三流以下と言わざるを得ない。
だが、嫌な雰囲気がその場に流れていた。
「荒れるな……」という船長の一人言が妙に耳に残った。
荒れた。
これ以上ないってほど荒れた。人ではなく海が。
吹きすさぶ暴風。荒れ狂う海。雷鳴轟く暗い空。
これはもはや航海可能なレベルではないと思う。船が空中で回転するものだなんて初めて知った。
この嵐に突っ込むまでは余裕ぶっていた受験生たちも、今ではゾンビの群れと化している。床はもう吐瀉物の海だ。酸っぱい臭いが充満して我慢ならない。周囲の風を遮断し、私とハルカのまわりに新鮮な大気を確保した。
「予想はしてたけど、凄い嵐ねー……船って飛ぶものだったんだ……」
呆れたのか感心したのか判らない声で隣のハルカが呟く。私たちは今入口の階段に腰掛け、ゾンビたちの汁がかからないように退避している。
ちなみに何故ハルカがこのゾンビたちの仲間入りをしていないのかというと、私が能力を使っているからだ。
「大気の精霊」を使い、船とハルカの間に一センチほどの厚さの空気の膜を作る。船から伝わる振動を読み取り、それを打ち消すように大気の振動を制御。大気のクッションが揺れを防ぐ。そうすることでハルカにかかる負担を極力減らした。その効果は絶大だ。ハルカはくじら島に着くまでの醜態が嘘のように平然としている。
一方でゾンビたちは嵐を抜けても気分の悪さは抜けないらしく、動く気力もないかのようにグロッキー状態だ。
この船に乗っていた受験生はほとんど全滅だ。残ったのは私たちの他に、くじら島の少年、中世的な美少年、スーツ姿の青年の三人か。
手持無沙汰になった私は、くじら島から乗ってきたツンツン黒髪の少年をなんとなく眺めた。
「ほい、水だよ。この草噛むと楽になるよ」
少年はゾンビの群れの中を甲斐甲斐しくも動きまわり、水と薬草を配っている。船に乗った直後、真っ先に少年を馬鹿にした男にも介護をしてあげていた。
それは少年の持つ性質なのだろう。真直ぐで、素直で、過去のことを引き摺らない。心がホッとするような清涼さが一目で見てとれる。
無償の優しさというものを久しく見ていない私には、その姿はどこか眩しく、心が温まるものだった。
「……優しい子だな」
「当然よ!」
何故かハルカが我がことのように胸を張っていた。
何で君が威張るんだ、と突っ込みを入れる。その時には少年は汚れたタオルなどを籠に抱えて甲板の方へ走って行くところだった。
『これからさっきの倍近い嵐の中を航行する。命が惜しい奴は今すぐ救命ボートで近くの島まで引き返すこった』
船室のそこかしこから悲鳴が上がった。
立ち上がることも億劫そうなゾンビたちが、沈没する船から逃げ出す鼠のような勢いで出口に殺到する。
全力でお近づきになりたくない私たちはゾンビの進路から離れるように移動した。
「二度と来るか―!!」と捨て台詞を残して、ゾンビたちは波の向こうに消えていった。
「結局客で残ったのはこの五人か。名を聞こう」
「オレはレオリオという者だ」
「オレはゴン!」
「私の名はクラピカ」
「アゼリアだ」
「はっ、初めまして! ハルカです!」
結局予想通り、船に残ったのは良い気を出していた三人と私たちだけだった。
まさに海の男といった風に筋骨隆々とした、しかしやや小柄な船長は、船室の壁に手をついて問いかける。
「お前ら、何故ハンターになりたいんだ?」
「……? おい、えらそーに聞くもんじゃねーぜ、面接官でもあるまいし」
「いいから答えろ」
「何だと?」
ずいぶんと居丈高な物言いに噛みついたのはレオリオと名乗ったサングラスの男だ。
船長の高圧的な物言いに対し、声に不機嫌な響きが混じる。
しかし、元気のいい少年がその声を遮るように手を上げて答えた。
「オレは親父が魅せられた仕事がどんなものかやってみたくなったんだ」
「おい待てガキ!! 勝手に答えるもんじゃねーぜ、協調性のねー奴だな」
「いいじゃん、理由を話すくらい」
「いーや、ダメだね。オレは嫌なことは決闘してもやらねェ」
「私もレオリオに同感だな」
レオリオの声に同意を示したのはクラピカと名乗った美少年だ。
偽証は最も恥ずべき行為であり、しかし初対面の人間に正直に話せる志望理由ではない。よってこの場で質問に答えることはできない、と。
彼がそう述べている間、レオリオは呼び捨てにされたことにひどく反発し、「レオリオさん」と訂正するよう騒いでいた。
その返答を聞いた船長は、すっと眼を細めて、告げた。
「ほーお、そうかい……それじゃお前らも今すぐこの船から降りな」
「何だと?」
「まだ判らねーのか? すでにハンター試験は始まっているんだよ」
それからの船長の説明は、私の予想を裏付けるものだった。
ハンター資格を取りたい人間全員を審査出来るほどの余裕は試験管に人的余裕も時間もない。だから試験に至るまでに志望者をふるいにかける。既に船を下りた人間たちは脱落者として報告されているというのだ。
「―――お前らが本試験を受けれるかどうかはオレ様の気分次第ってことだ。細心の注意を払ってオレの質問に答えな」
船室の空気が一気に重くなった。
波に揺れる船がギシギシと軋む音まではっきりと聞き取れる。
ここでの返答だけで、今年のハンター試験が決まってしまうのだ。下手な答えは出来ない。
しばらくの沈黙。それを破ったのはクラピカだった。
彼の語る志望動機は、私でさえ驚かされるものだった。
「私はクルタ族の生き残りだ。四年前、私の同胞を皆殺しにした盗賊グループ、幻影旅団を捕まえるためハンターを志望している」
クルタ族……幻影旅団による歴史的な傷痕の一つ。失われた民族。
幻影旅団に会いたいと、そう繰り返し述べていたハルカに私自身何度も言ったことだ。幻影旅団の危険性を。
その被害者が、目の前にいる。
ハルカはそれを見てどう思っているのだろうか……そのことがふと気にかかった。
「賞金首狩り志望か! 幻影旅団はA級首だぜ。熟練のハンターでもうかつに手を出せねェ。ムダ死にすることになるぜ」
「死は全く怖くない。一番恐れるのはこの怒りがやがて風化してしまわないかということだ」
その眼に映る光は、彼の言葉が虚勢でも何でもなく、全くの本心であることを示していた。
死を恐れない強さ。捨て身の覚悟。それは何としても死ぬことの出来ない私とは異なる質の強さだ。
仇討ちなどハンターにわざわざならなくても出来るだろうと言うレオリオに対して、ハンターでなければ出来ないことが数えきれないほどあるということを言っていたクラピカ。そんな彼を見ていると、言いようのない感情が湧いてくる。
きっとそれは焦燥だ。彼は、私の将来の姿かもしれないのだから。
ヴィオレッタを失ったならば、私だって復讐する。この命が失われようとも。
考えるだに恐ろしい空想。しかし、それは決してあり得ないことではない。私の心の冷静な部分が無情にもそう告げる。
半年前、ヴィオレッタの病気が念能力と判ってから、自由に病院に出入りできるハルカに頼んで調査を調べてもらったのに……状況に進展がないのだから。
「―――おい、お前は? レオリオ」
「オレか? あんたの顔色をうかがって答えるなんてまっぴらだから正直に言うぜ! 金さ!! 金さえありゃ何でも手に入るからな! でかい家!! いい車!! うまい酒!!」
その言葉にそっと滑り込むように、静かな軽蔑の念が込められた一言がクラピカの口から漏れた。
「品性は金で買えないよ、レオリオ」
空気が、変わった。
クラピカの言葉がレオリオの逆鱗に触れたことがはっきりと判る。
怒りに燃える眼でクラピカを睨みつけ、レオリオが言う。
「……三度目だぜ。表へ出な、クラピカ。うす汚ねェクルタ族とかの血を絶やしてやるぜ」
互いの胸元に刃を突きつけているかのような、鋭い視線の交錯。
この言葉もまたクラピカの逆鱗に触れた。
「取り消せレオリオ……」
「レオリオさん、だ」
退く気は無し、と態度で示し甲板へ向かう二人。
船長は自分の試験を受けない気かと慌てて止めに入るが、その船長を止めたのはゴンの一言だった。
彼らが怒っている理由は、きっと彼らにとってとても大切なことだ。だから止めない方がいいと。
だが、二人の怒りにも喧嘩の顛末にもさしたる興味の無かった私は一歩引いたところにいた。
今は試験がどうなるかを気にするべきだろう。
「なぁ、試験はどうする―――」
「船長!! 予想以上に風が巻いています!!」
「ちっ……悪いな嬢ちゃん。試験はまた後でだ」
船長は船員を追って甲板に飛び出していき、ゴンもまた船室から出ていく。船室には私とハルカだけが残された。
「ふ……くふふ。いよいよね……」
「……ハルカ?」
押し殺すような笑い声。振り向くと、ハルカは堪え切れないと言った風に顔で喜びを表していた。
「ようやく動き出すわ、物語が! ほら、アゼリア、私たちも行きましょう」
「……私は別に彼らの決闘の顛末に興味はないのだが」
「いいから! どうせここに居てもやることはないでしょ? いいシーンが見れるわ。それに……あなたにとっても、素敵な出会いになると思うわ」
私の手を掴んで甲板へぐいぐい引っ張っていくハルカ。
まぁいいか。確かにここにいてもやることなんてないのだから。
甲板に出ると、レオリオとクラピカは互いににらみ合い、戦闘を開始する直前だった。
その周りでは、船を引っ繰り返しそうな勢いで吹き荒れる風に対処するべく船員たちが動きまわっている。
「今すぐ訂正すれば許してやるぞ、レオリオ」
「てめえの方が先だ、クラピカ。オレからゆずる気は全くねェ」
それは互いの最後通牒だった。
レオリオはナイフを、クラピカは鎖に繋がれた双剣を取り出す。
「行くぞ!!」
「来やがれ」
その瞬間だった。
船のマストの一つがあまりの暴風に耐えきれずへし折れ、船員の一人が船の外へ吹き飛ばされる。
下は凄まじい激流。飲まれればまず生きてられない……!
「ちっ……!!」
―――大気の精霊……!!
甲板に放置されていた荒縄を引っ掴み、船員に向けて放つ。
風を纏うロープは自在に動き、今にも海に落ちようとする船員の体に巻きついていく。
その時、振り向きざまに見た光景に私は眼を疑った。
決闘中であったはずのレオリオとクラピカが、いつの間にか勝負を投げ出してその船員を救おうと手を伸ばしていたのだ。
決闘の最中に相手から目を逸らすなんて、致命的な隙だ。自分が攻撃される危険性を無視して、見知らぬ他人を助けに入る? 考えられない判断!
だが、何よりも驚いたのは、私の投げ放ったロープが船員の体に巻き付くと同時に、その足を掴んだ者がいたこと。
ゴンだ。
完全に体を船から投げ出して、海流に飲み込まれそうなダイブ。
如何に彼の身体能力が優れていようとも、荒れ狂うこの海流に飲まれてはなんの意味もない。
レオリオとクラピカは、船員に届かなかった手を慌ててゴンの足に伸ばし、ゴンと船員、二人を救った。
示し合わせていたわけでも、助かる保証があったわけでもない。もしも二人がゴンの足を掴むのに失敗していたらどうするつもりだったんだろうか。いや、そもそも彼らがゴンたちを救おうとしなかったら……? そんな分の悪い賭けに自分の命を賭ける? ありえない……!
「よくやったボウズ!」
「ボウズ!! 礼を言うぞ!」
仲間を救われた船員たちにゴンが賞賛されるなか、ゴンのあまりの無謀さにレオリオもクラピカも声を大にして叱りつけていた。
だがそれも、「掴んでくれたじゃん」というゴンの何気ない一言でなんとも言えない空気が流れてしまう。
レオリオもクラピカもしばしの間見つめ合った後、和解した。
「くっくっくっ、ははははは! お前ら、気に入ったぜ! 今日のオレ様はすごく気分がいい!! お前らみんな、オレ様が責任もって審査会場最寄りの港まで連れて行ってやらぁ!!」
ゴンは船長についていき、舵取りの方法を教えてもらうらしい。
その場には甲板に座り込んだまま友好的な雰囲気を流すレオリオとクラピカ。二人に駆け寄り、タオルを差し出して自己紹介をしているハルカ。そして信じられない思いで呆然と彼らを眺める私がいた。
「あれ、どうしたのアゼリア? そんなナマケモノみたいな顔して」
「おお、そういえばアンタも助かったぜ、さっきのロープ! 危うくゴンたちを落としちまうところだったからな」
「私からも礼を言う。キミのフォローが無ければ危なかったかもしれない」
そう、それだ。私の胸の中で渦巻く、苛立ちにも似たこの感情の元は。
危険はあった。それはゴンたちに対する危険だけでなく、レオリオとクラピカにも降りかかる可能性が。
なのに、何故? どうしてその危険を犯すことが出来る? さっき会ったばかりの見知らぬ人間だろう? 自分の命と比べるべくもないじゃないか。死を恐れないから? そんなものはただの馬鹿だ。勇敢と蛮勇をはき違えているだけだ。理解できない。理解できない。
気がついたら、その疑問を口に出していた。
「……何故、彼らを助けた? 決闘の最中に敵に背を向けるなど、殺してくれというようなものだ……いや、そうでなくても、君たちが海に落ちる危険だって十分すぎるほどにあったのに……何故?」
きょとんとした顔をするレオリオとクラピカ。その顔はそんなことを聞かれるとは思ってなかった、と雄弁に語っていた。
二人はしばらく見つめ合った後、レオリオは指で頬を掻きながら答えた。
「あー、なんでって言われてもな……つい体が動いただけだ。人を助けるのに一々理由なんていらねェだろ?」
「レオリオの言う通りだ。人を助けるのに理由はいらない。もっとも……恥ずかしながら、私はレオリオが飛び出していくまで決闘を投げ出すつもりはなかったのだがな」
「そんな昔のことはもう忘れちまったよ。結果良かったんだから、気にするな!」
笑い声をあげながらバンバンと平手でクラピカの背を叩くレオリオをクラピカが小突く。
だが、そんな二人のやりとりを眺めている私の胸中は複雑だ。
見知らぬ他人に対する、無償の善意。打算も何もない、衝動的な行動。
そんなものは本当はないのだと、そう考えていた。私の生きてきた世界にそんなものはなかったのだから。
少し、羨ましくなる。
金の亡者のように振舞っても、復讐のために全てを捨てる覚悟をしていても、彼らの本質は善人だ。
私とは違う。妹を助けたいという自分の想いのために、言われるままに人を殺し続けている私とは。
彼らを見ていると、眩しすぎて眼を逸らしたくなる。
居たたまれなくなって、逃げるように踵を返そうとした。
そのとき―――
『なにやってるの、早く来なさいよ』
―――ふと、そんな声が聞こえた気がした。
驚いて足を止め、視線を巡らせると、じっとこちらを見つめているハルカと目が合った。
その眼は何かを訴えるように、無言で語りかけてくる。
君が見せたいものとはこれだったのか?
私も幸せにならなきゃ嘘だと、君はそう言った。
だから、彼らに引き合わせようとしたのか?
ゴンも、クラピカも、レオリオも、きっといい人だ。
彼らと会っていれば、私の人生も変わっていただろうか?
今からでも、変えられるだろうか……?
自分で踏み出す一歩というのがこんなに重いだなんて、知らなかった。
それでも私は近づいてみたくなっていた。光のあたる世界に。
それが火に群がる虫のように自分の身を焦がすものだと薄々気付いていても……
緊張で喉がカラカラになりそうで、心臓がどきどきと破裂しそうで。
ごくり、と唾を呑みこむ。
何とか声が震えないようにして、握手を求めた。
「名乗り遅れた。アゼリア=クエンティだ。道中よろしく頼む」
それでいいのだと、ハルカが頷くのが見えた。
たったそれだけのことが、私にはとても心強かった。
蝋燭の炎が淡く室内を照らしだす。窓から差し込む月光は儚く、窓辺の僅かを明るくするだけだ。
アンティーク調のインテリアで飾られた室内で、男―――カーティスは安楽椅子に腰掛けワインを傾けていた。
ぼんやりと虚空を眺める彼の眼に映るのは、壁に掛けられた年代物の時計などではない。今後の計画。それを頭の中で冷徹に計算していた。
組織内部の勢力図はかなり塗り替えられたと言っていい。
大概の幹部たちは、叩けばいくらでも埃が出てくる。それも組に対して言い訳出来ないほどの大きな埃が。
その証拠を掴み、失脚させる。あるいは武力にモノを言わせて粛清する。
この一年間、そうして副首領派の人間を多く潰してきた。それに伴いアレッサンドロ顧問を筆頭とした派閥の力は必然的に増し、当然カーティスの発言権も増していった。
以前は圧倒的に多くの支持を得ていた副首領派も、今では相談役派と拮抗する状況にまで来た。ここまでは全てが順調に進んでいる。
ことの起こりは、去年の春に行ったギュンターの捕獲だ。その際にギュンターから聞きだした情報と、自分で独自に得た情報。それらを組み合わせることで、カーティスは幹部たちの金の流れや不正を見極めていった。
ギュンターから聞きだした情報はその大部分を自分の手元で止めた。自分が手柄を立てるためだ。そしてその試みは大成功と言っていい。カーティスは今、副首領や相談役などの大幹部を除けば、他の幹部たちよりも一歩以上抜きんでた地位にいる。この成果についてはカーティスは十分満足していた。
だが、重要なのはここからだ。
派閥の勢力が拮抗したことで、今までは守勢に回っていた副首領派も尻に火がつく筈だ。
こちらとしても、ギュンターの情報をもとに暴ける幹部たちの不正はそろそろ打ち止めである。
つまり、これからはより激しい派閥間の争いが起こる。そしてこれまでのように事前の情報から有利な状況を確保できるとは考えない方がいい。
出る杭は打たれるという言葉もある。
敵は自分たちの衰退の原因となった、当面目ざわりな相手であるカーティスを潰しにかかるだろう。
直接的な手段に訴えてくるか、間接的な手段で失脚させてくるかは判らない。だがいずれの場合であっても、自分の身を守り、かつ正当な理由をもって功績をあげられるような策が必要だ。
そのためには何手必要だ? 傍らの机に置かれたチェスの駒を弄びながら、カーティスは計算する。
「……まずは駒が足りないですね」
導き出された結論は、手駒の不足だった。
ボルフィード組の中でのカーティスの役割は、戦闘向け念能力者の統制と管理である。
そのため自分が動員できる戦力は、一体一体が他の幹部連中よりも強大だ。
だが、単純に手数が足りない。
状況はイーブン。
ゲームはスタートしたばかりだ。
だが、手にする駒が違う。自分の手駒はその多くがナイトやルーク。しかし一方で相手は駒の数が多い。
ならば、勝利を手繰り寄せるためには?
何気なく指に触れた黒のクイーンを、盤の中央に据える。
せめて、あともう一つ……
〈後書き〉
邪気眼への反響が凄い。ふはははは、計算通り……!!
とまぁ、冗談は置いておき、間が空きましたが原作入りの話を投稿してみました。
原作の雰囲気を壊さず、しかし原作にはない流れを作りたい。そうじゃないとオリキャラがいる意味がない。そう思っているのですが、出会い編からぶった切ってしまうにはストーリーを考える力量が足らなかったため、ここはあまり変化なしです。二次創作の難しさを知る。
それでは、次の更新の時に。
〈蛇足的な文章〉
前回の感想コメでハルカの念能力についての考察とか質問とかをいろいろ戴いたのですが、ハルカの能力を軽く解説。
『邪気眼』はこんな厨二病な名前の技ですが、要するにただの「凝」です。普通の「凝」よりも強力ですが。
キルアがレオリオに「凝」を「簡単に言うとものすごーく注意して見ること」と説明していましたが、『邪気眼』は「それよりももっと注意してみること」程度の違いです。
普通の「凝」が目にオーラを70程度振り分けるのだとすれば、ハルカのそれは目に90近くのオーラを割り振っている。その結果普通の「凝」では見通せないものも見えるようになった、ということです。これはハルカが「凝」が得意で、相性が良かったということもありますが、オーラの量が膨大な人物ならば再現が十分可能な能力となっています(あくまでこのSS内の話。「凝」で普通よりも多くのオーラを込めれば作中であげたようなものが見える、というのはこの作品の独自設定ですので)
ハルカが堅が二十分続かないと戦闘で使えなかったというのは、これを発動すると必然的に他の体の部分の守りが少なくなるので、ほとんど「硬」をやるくらいのつもりでないと能力を発動できないようなレベルでは、まだ戦闘中の使用は出来ないということです。ズシが最初に「凝」を使った時、彼は「凝」が使えていましたが、それを戦闘で使えるかというとオーラが足りなくて無理です。そういうこととお考えください。
また除念に近い能力である、というのもあくまでこの能力の範疇内の話であり、特質系的な要素ではありません。言うならばハルカは「相手の能力の設計図」も見えるようになったのです。そしてその設計図に基づいて、相手の能力を壊すためにはその能力のどこを攻撃すればいいのかを見きり、結果として除念と同じ効果を得ています。もっとも全てを見通せるわけではないので、相手の能力を見ただけで完全に把握できるわけではないのですが。
そしてこの能力は強化系の能力で問題はないと作者は考えています。何故なら、まず能力自体はただの「凝」の進化系みたいなものですし、結果として起きていることも眼の強化です。絶対的な聴覚を持つセンリツも系統は放出系ですしね。ただセンリツの場合は闇のソナタを聞いたために得た能力であり、それもあってか常時発動出来ていますが、ハルカはそうした制約がないので(あるとしても使用後に目が痛くなる程度)、発動のためには結構なオーラが必要になります。そうした違いがあります。
とまぁ、筆者はこのように考えています。異論・反論はいろいろあると思いますが、この作中ではこうした解釈で成り立っているとお考えください。