一言にアイドルと言っても、その種類は実に多い。
グラビアや写真集などで、自身の豊満なボディや溢れ出る魅力を表現するグラビアアイドル。
テレビや雑誌で活躍するのではなく、インターネットの世界で自らの可愛さをアピールするネットアイドル。
ごく一部のアキバ系の人達に向かって秋葉原を中心に活動するアキバ系アイドルと、実に様々なアイドルが存在している。
ちなみにうちの事務所にもそのようなアイドルは多い。
廚二病をアピールし、既に過ぎ去った悪しき記憶を呼び起こして成人男性を苦しめる『廚二病系アイドル』。
年齢不詳で永遠の17歳を何年経っても貫こうとする涙ぐましい決意をした、自称ウサミン星からやってきた『ウサミン系アイドル』。
何て言うかもう働かなくてよくね?という欲望が何故か大ヒットした『ニート系アイドル』。
ぶっちゃけよく俺の精神が持ったと褒めてもらってもいいんじゃないかな?
なにこれ、俺に対する新手の嫌がらせか?
ぶっちゃけ誘ってしまった段階で『できれば断って欲しいな~』なんて思った連中が軒並み大ヒットするとか、あれだろ。
俺の胃を確実に殺しに来ているだろ。
昨日なんてまゆ→幸子→蘭子→きらりという死のデスコラボレーションだった。
ぽんぽんが痛すぎて一日何も食えなかった。心配したきらりのベアバックでトドメをさされた。
というか普通のアイドルはベアバックでプロデューサーを失神させません。
一度で良い、一度で良いんだ。俺に安寧の日々を思い出させて欲しい。
俺に平和な日々を送らせて欲しい。
「プロデューサーさんはプロデューサー失格です!」
なのに何でお前はそんな事言うのだ泣くぞコラ。
「毎日深夜1時に帰宅して翌朝7時に仕事場に来る生活を送っている俺にお前はそんな事を言うのか?」
心からの言葉だった。
そして涙目であった。
「え、いや、その、プロデューサーに足りないものがあると思いまして」
「春菜。俺は数十人のアイドルを一人で担当しているんだぞ?同業者にいったら冗談だと笑われたんだぞ?」
「そ、その」
「なぁ、俺に何が足りないんだ。あれか?甲斐性か?そんなもの持ってたら生きている自信が無いぞ」
予想以上に追い詰められていたのか、しどろもどろになる担当アイドル。
あまりにマジすぎて驚いたのか、うまく声が出ないらしい。
「さぁ、言ってみろ。大丈夫だ、怒らないから。俺も担当アイドル相手にぶち切れることはないよ」
「そ、そうですか」
「ああ、言ってごらん?」
それでもこのプロデューサー、アイドルのプロデューサーとしての常識が身についているようだ。
まるで死にかけたキリストのような儚い笑みを浮かべている。
その言葉に若干安心したのか、彼のアイドルは苦笑いを浮かべたあとにゆっくりと声を出した。
「その、プロデューサーさんにはメガネが足りないと思います!」
「はっ倒すぞヒューマン!?お前の写真を全部川島さんコラに編集してネットに流すぞコラァ!」
「えええぇぇぇぇぇぇぇ!?めっちゃ怒ってるぅぅぅぅ!?」
うちの事務所は今日も平和です。
第七話「やっぱりフレームはピンクかなぁ」
「済まない、ちょっと最近寝不足でな」
「は、はぁ。そうですか」
「それで、どうしてお前は急にそんなことを言い出したんだ。何だ、あれか。生理か?」
「メガネです」
「悪い、生理のほうがマシだった」
上条春菜。18歳。
静岡県出身のメガネアイドルである。
恐らくこのアイドル業界一、メガネを心から敬愛しているアイドルだと断言していいい。
この事務所で行われた面接で、いきなり自分のメガネについて尋ねてくるあたりその本気度がうかがえる。
ちなみにその時のプロデューサーの回答は、『うどん食っているとき曇りそうだな』であった。
メガネのファッション性とか有無とかの話題を一切ぶった切ってこの回答。
ある意味プロデューサー自身も凄まじいバイタリティを秘めているといえよう。
「私、思うんです。この事務所にはメガネ成分が足りないと」
しかし彼女もそれに負けずにメガネについて熱く語りだした。
何が彼女をそこまで突き動かすのか、その理由は話すまでもない。
メガネだ。
「765プロにはメガネのプロデューサーが二人もいるんです!やっぱり事務所の伸びしろにはメガネが関わってくると思うんですよ!」
「あれエンディングによっては竜宮のプロデューサーは離反する素振りがあるぞ?実質一人じゃないか」
「それでも一人はいます!」
「たくましいなぁ、おい」
遅めの昼食として栄養皆無のカップ麺をすすりつつ春菜を眺める。
俺に弁当を提供してくれるような素晴らしい人物はいない。
彼女はいたけれど、職場環境のひどさを語ったところ。先が見えたのか新しい男を見つけた。
後日、納豆を郵便受けに入れておいた。
もちろん健康に良い藁納豆だ。手間をかけないようちゃんと醤油を入れてかき混ぜたものを入れておいた。
たぶん声を上げて喜んでくれるだろう。別れた彼女に贈り物をする心優しい俺には、きっと新しい彼女ができると信じている。
まあ、それはまったく別として。うちの事務所の連中は軒並み美人なのに、必ずといっていいほどこいつみたいな変なオプションが付いている。
「第一さぁ、俺はメガネじゃなくてコンタクレンズ派だぞ?」
「異端査問ものですね」
「弁護人を呼べ」
「弁護人は私です」
「完全なマッチポンプじゃねぇか」
カップ麺はやっぱり醤油だよな。安定感が他のやつよりも堅い。
たまにカレーとかシーフードも食いたくはなるが、やっぱり醤油が原点だ。
「プロデューサーさんは何でコンタクトレンズなんてものをしているんですか!?それでもプロデューサーですか!?」
「プロデューサーだけど?」
「アイドルのプロデューサーはメガネかけていなければプロデューサーじゃないんですよ!?かけていない奴は全員パチモンです!」
「じゃぁお前はいったい誰にプロデュースされたんだ?」
「誰って、プロデューサーさんじゃないです。何を当たり前のこと言っているんですか?」
「……そうかぁ。俺はメガネかけていないぞ?」
「……じゃぁ私は誰にプロデュースされたのでしょう?」
「よっしゃ、ちょっと俺の担当アイドルからお前外してやるから待ってろ」
「ちょ」
冗談いってねぇで仕事しろって社長に突き返されました。
ふて腐れて席に戻って再びカップ麺を食べ始めるプロデューサー。
まさかマジで実行するとは流石に思っていなかったのか、目を虚空に泳がせている春菜。
彼は行動力だけは突き抜けている男である。
突き抜けすぎて誰にも理解できないというか、したら終わりなところまで行き詰めた男だ。
「つうかお前は社長の方にメガネ勧めろよ。この会社の顔だぞ?」
「あの人はメガネかけているかどうか以前に、そもそも顔自体が見えないじゃないですか。なんか黒っぽくもやがかかっていますよ?」
「それっぽくない?うちの会社の顔が黒くもやがかかっていて見えないとかさ、うちの事務所らしくて」
それ絶対アイドル事務所に有って良い顔じゃないです。
とは流石に春菜は言えなかったのか、非常に曖昧な笑顔でごまかした。
もし言ったらこの事務所を辞められさせる予感がしてならないという、非情に世知辛い事情があった。
「というかさ。アイドル業界の社長ってのは、全員顔がもやがかっているもんじゃね?」
「いや、それはおかしいです」
「だってこの前765プロの社長さんと挨拶したけれど、顔は真っ黒だったぞ」
「それは、ほら。ヒサロに行ったんですよ」
「ジュピターで有名な961プロの黒井社長も顔が真っ黒だったぞ?」
「たぶんそれ顔洗ってないだけです」
黒井社長が聞けば、全力でこの事務所を潰しかねない会話である。
ある意味で765プロ以上の好敵手だろう。関わった瞬間に落ち目になりそうだが。
「というかメガネですよメガネ!プロデューサーさん付けましょうよメガネ!」
「え~。メガネよりもコンタクトの方が……」
「解っていないですねぇプロデューサーさん」
ふふん、と得意げに笑う。そして懐から何やらテロップを取り出した。
よく街角でテレビが行うようなあれである。
「お前それどこから出した?」
「メガネの力です。それよりもこのテロップを見てくださいよ!」
『メガネのおかげで彼女ができました!』
『メガネのおかげで大学合格できました!』
『メガネのおかげでお金持ちになれました!』
『ガネメのおかげで毎日が幸せです!』
『メガネのおかげでバレンタイン凛ちゃんとウサミンSR手に入れました!』
「どうですか!?この人達全員メガネのおかげで」
「一人ガネメになってね?」
「素晴らしいことじゃないですか!」
春菜のメガネに向ける愛情の一割でもアイドル業に向ければ、今頃はBランクなんて余裕な気がしてならない。
この前は軽いドラマがあり、台本がどうしても覚えられないと悩んでいた。
冗談で『語尾に全部メガネつければ覚えられるんじゃね?』って言った。
十分後には全部覚えてきやがったというソースがある。
もう全部メガネでいいじゃね?
こいつメガネにプロデュースされたほうが数十倍いいじゃないかと最近切に思う。
「ってそうじゃなくてだ。今回は前回のオーディションの話を振り返ろうって春菜を呼んだつもりなんだが」
「う、前回のオーディションって……」
落ちた。
いくら才能があり、メガネに熱い情熱を燃やそうといえど。
やはりオーディションは珠美の時と同様に、向こうの需要にそわなければ意味はないのである。
しかし一応このプロデューサーもプロデューサーの一人であり、ある程度はそのあたりに目星を付けてある。
経験によれば春菜の演技力と持ち味があれば、9割は堅かったはずなのだ。
「別に春菜を責めるわけじゃないよ。ただ自分が読み違えた事に対して違和感があってなぁ。何か調子でも悪かったのか?」
「あ、あれは」
「あれは?」
「……私の」
「私の?」
「メガネのレンズが曇っていたので!」
「ふけよ」
流石のプロデューサーもこれには頬が引き攣っていた。
本人は照れ笑いしているが、照れる要素が全くない。現にプロデューサーはもう帰りたくなっていた。
「ほら、面接だったらメガネの曇りは関係ないだろ?面接はどうだったよ」
「メガネについて熱く語りました」
「うん、原因がよく解った。お前馬鹿だろ?」
春菜が受けたドラマのオーディションは家族の和気藹々ドラマである。
決してメガネの相沢のドラマではない、というかあってたまるかそんなドラマ。
「だって私のアピールポイントはメガネじゃないですか!?」
「かといってメガネだけ押してどうすんの!?確かにお前のメガネはアピールポイントだが、他にもいろいろとあるだろ!?」
「メガネを超えるアピールポイントはありません!」
「だったらお前のメガネだけオーディション出してるわ!?」
「……私が出ないと意味ないじゃないですか?」
「お前一瞬それいい考えだと思っただろ?な、そうなんだろ?」
最近、春菜の本体はメガネなのではないかとすら思えてきた。
この前春菜のメガネを春菜だと思って話しかけてしまったし。
「お前そのうちダブルメガネとするんじゃねぇか?」
「よく知ってますねプロデューサーさん!」
何気なく言った言葉にノリノリの春菜。
嫌な予感がした。ものすっごい嫌な予感がした。
鞄から二つ目のメガネを取り出した。
そしてそれをにやにやと笑いながら大切そうに額へとかける。
「必殺!ダブル眼鏡!ふっふっふ、どうです?これで眼鏡の魅力が2倍、いえ3倍伝わるはずです!!」
それを見ながらプロデューサーは悟った。
だめだこいつ。早く何とかしないと。
いや、もう手遅れくさいけれど。
「春菜、ちょっとテストしたいから質問させてもらうぞ?」
「へ、なんのテストですか?」
「SUN値チェックだ」
どこから取り出したのか伊達メガネを用意して装着、さらに引き出しから白衣も取り出して装着。
ちなみにこれらは全て備品として経費で落としている。
「プロデューサーさんです!私の知っているプロデューサーさんです!やっぱりプロデューサーさんはメガネをかけていませんとあきまへん!」
その課程で春菜のテンションがスーパーハイテンション状態になったが、面倒くさいので無視した。
「はい、それじゃ診断を始めます。質問一。五日前食べた夕飯は?」
「……す、スパッゲティ?ええと、おでん?」
「質問二、一ヶ月前にかけていたメガネは?」
「VOLTEFACE(ボルトファース)URBTAモデルですね」
「質問三、三秒でこの絵に描かれている人の数を数えろ?ほい……はい、終わり」
「ちょ、いくらなんでも無理ですよ!?軽い目視だけで20人ちょっとはいたんじゃないですか!?」
「質問四、この絵に描かれているメガネの数を一秒以内に答えろ。ほ」
「47です」
「……質問五、目の前の崖にあなたのお母さんとメガネがぶら下がっています、どちらか1人しか助けられません。どちらを助けますか?」
「どちらも死ぬ気で助けます、私のお母さんメガネかけているので」
「何か適当な豆知識語って」
「ウィキペディアには『眼鏡フェティシズム』と『眼鏡キャラクター』のページがちゃんとあるのはみんな知っていることですが……」
「うん、もういいや」
疲れたようにメガネを外すと、プロデューサーは天を仰いで神に祈った。
こいつ重病だわ、もうなんていうか手遅れだわ、ここに彼女の墓を建てよう。
たぶん墓がメガネ型だったら喜んで埋葬されてくれるはずだ。
「ええと、今の検査の結果はなんだったんですか?」
「え?ああ、もうメガネでいいんじゃないかな?」
「マジですか、最高の結果じゃないですか」
「お前の中ではそうなんだろうよ、お前の中ではな」
もうこいつあれだ。桃鉄でキングボンビーがメガネかけていたら、死力を尽くしてそのキングボンビーを奪いかかりそうな気がする。
「よく解りませんが、そろそろメガネの魅力が伝わりましたよね!?」
「お前はあの会話のドッチボールでどうしてそんな結論がでたわけ?」
「だってプロデューサーのメガネパワーの上昇を感じますよ?」
「マジで?上がるとどうなるよ」
「視力が悪くなります」
「BADステータスじゃねぇか」
そうでなくとも最近はパソコンの家計簿ソフトの見過ぎで目が痛いというのに。
意外と家庭的な男であるプロデューサー、家庭的な男はモテるという女性向け雑誌を読んで家庭的な男になったのだ。
なってから気がついた、家庭的な面を見せる相手がいなかった。
「……プロデューサーさん?」
「くそ、流石BADステータスだ。嫌な思い出を振り替えさせられるとは」
「たぶんそれメガネ関係無いと思いますけど」
「いいや、メガネだね。絶対メガネだね、メガネのせいだね」
「いけない、プロデューサーのメガネパワーが暗黒面に!?」
春菜の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
そしてその場に崩れ落ちると、両手を地について泣き叫ぶ。
「選ばれしものだった!コンタクトを滅ぼすはずだったプロデューサーさんが、コンタクトにつくとは!」
「マジで?俺いつの間にそんなどうでもいい運命しょっちゃってんの?」
「メガネに均衡をもたらすはずが、自らをコンタクトの中に葬るなんて!」
「聞けや」
本人はノリノリだが、内容はあまりにも酷すぎてオビ○ンですら暗黒面に落ちる会話だ。
流石のシスの暗黒卿もこの暗黒面は知るまい、というか知っていたらシスは全員メガネだ。
「つうかどうしてお前はそんなメガネに執着するようになった?うちに来たときは既にその醜態だったけどさ」
「私がメガネを愛するようになったワケ……ですか?」
さりげなく言い換えやがった。
「……あれは、小学三年の冬。そう、あの日は雪が降ってました」
儚げに微笑む春菜。
何かに想いを寄せているのであろう。
今の彼女からはメガネの狂気は消え失せており、とても穏やかな顔と雰囲気を身に纏っている。
もうそのままで良いじゃないかとプロデューサーは思ったが、珍しく空気を読んで黙っていた。
というか何も言えないように春菜に右足を踏まれていた。いてぇ。
「私は特に勉強ができたり運動能力があったり、もちろん歌だってうまいというわけではありませんでした。だから自分に自信が無かったんです」
「へぇ~」
「あ、メガネはもちろんありましたからね」
「メガネはなくても良かったんじゃないかな。」
「でもその頃は私自身、メガネが好きではなかったんです。ほら、私が子供の頃ってまだメガネがファッションの主役じゃなかったですよね」
「メガネがファッションの主役であったことなんて歴史上あったっけか?」
「プロデューサーさんの鼻って整ってますよね?」
「ごめんなさい」
春菜はメガネを外しかけていた。
あれはメガネに血がかからぬよう最大の配慮を行う彼女なりの“決意”である。
故に流石のプロデューサーも今度は本当に黙った。なんか頭上に死兆星見えたし。
「暗くてメガネをかけていた私は、クラスでいじめられました。毎日毎日メガネ猿とかガネメとからかわれて、泣いていたものです」
今考えれば名誉な事なんですけど、と笑う春菜と頬を引きつらせるプロデューサー。
「泣いたらお腹が空きますよね?だからその日は駄菓子屋によってブタメンを買ったんです」
「もちろん、にんにくダイナマイト味だよな?」
「邪道ですね、とんこつ味ですよ。お湯を入れてもらって近所の空き地に入り、一人食べようとした、その時でした。あの人と出会ったのは」
▲ ▲ ▲
『面妖な……まさかこのような事になってしまうとは』
空き地の前を通りかかったのは、美しく輝く銀色の髪をたなびかせたお姉さんでした。
その姿はまるで絵本から飛び出したお姫様みたいで、思わず私は惚けてお姉さんを見つめていたことを覚えています。
『しかし……お腹が空きましたね。ですがこの時代のお金はありません、いかがしたものでしょうか』
『……お姉さん、どうしたの?』
『おや、随分と可愛らしい。……その手の中にあるものは!?』
『……これ?』
『芳醇で濃厚な豚骨すーぷをできうる限り安価で製造しようとした企業の努力、そして懐かしいいんすたんとの麺との共和の香り!?』
『……ブタメン、食べる?』
『よろしいのですか!?』
『……うん、ホームランバットと五円チョコがまだあるからいいよ。お姉さんにあげる』
▲ ▲ ▲
「今でも色あせず心に残っています。涎を垂らして目が血眼、鼻息が荒いあのお姉さんの姿を。……たまに夢に出るほどに」
「トラウマになってるじゃねぇか」
思い出を美化しようと努力している春菜の額には汗が浮かんでいた。
どれだけブタメンに必死だったんだそのお姫様。
「それで気がついたらその人に、いろいろと心の中のわだかまりをぶちまけちゃってて」
▲ ▲ ▲
『そうですか、そのようなことが……』
『わたし、暗くて、メガネで、自信が持てなくて……うぅ、ひっく』
『大丈夫です。ほら、可愛いお顔が台無しですよ?』
苦しくて涙を流す春菜を優しく抱きしめる。
そして涙を流す春菜をしばらく見つめていたいた銀髪の女性は、彼女がかけているメガネを見て何かを思いついたようであった。
『春菜、顔を上げてください』
『……』
『えい』
銀髪の女性は人差し指を宙で一回しすると、優しく春菜のメガネに触れた。
『いまの、何?』
『これは月の魔法です、その魔法を貴方のめがねにかけました。これで何も心配することはありません』
『……魔法?』
『はい、魔法です。らぁめんのささやかなお礼です』
幼い春菜の目元の涙を小指でぬぐいながら、銀髪の女性は優しく微笑んだ。
これで貴方は暗くなんてなくなり、明るく元気になれます。
勉強だってくらすで一番になれるはずです。かけっこだって男の子にも負けません。
そのめがねがある限り、貴方は学校一の人気ものにだってなれます。
だから……。
▲ ▲ ▲
「努力を惜しまず、常に前を向いて、貴方らしく元気に生きなさいって。あの人は言ってくれました」
どんな酷い話がくるかと思えば、予想以上のまともな話だったとプロデューサーは感心した。
幼い自信が持てないメガネの少女、そんな少女に自信を持たせるために魔法をかけてあげた銀髪の美しい女性。
ちょっとしたいい話だ。間違いなく美談で語られる内容である。
「その後、今まで嘘のように私は変わりました。運動会で一番目立つ活躍、テストは毎回百点。友達だって沢山できて、いつのまにか私をいじめる子なんていなくなってました」
春菜の能力は高い。
難しくスタミナがすり減るようなダンスを悠々とこなし、台本一冊をなんだかんで三日で覚えきる才能。
学校内でも評判が良く、テストは必ず上位陣に名を連ねる。
そんな彼女の実力を、自信を引き出すきっかけになった出来事なのだろう。
もちろんメガネにそんな力なんてあるわけがない。だが自分に自信が持てない彼女のために、何かよりどころをその女性はその場で用意したのだ。
「その後、お礼を言いたくて何度も空き地に通いました。何回も、何十回も通い詰めて、ある日。ようやく再会できたのです」
▲ ▲ ▲
『お姉さん!』
『おや、貴方は……』
私はメガネにかけてくれたお礼を言いました。
あなたのおかげで今の私は絶好調なんですよって。
そしたらあの人は……。
『ふふ……ではうまくいったようですね。実は、魔法はメガネにかかっていなかったのですよ?』
『え……それって、もしかして』
『そうです……』
まるでお母さんのようにやさしく微笑んでくれるお姉さん。
そう、私は気が付いてしまったんです。お姉さんが魔法使いではないことを。
そして……。
『そのすべてはあなた自身の……』
『メガネのおかげだったんですね!』
『……はい?』
メガネがいかに素晴らしいものであったのかを。
『学校のかけっこで一番!テストで毎回百点!いじめられなくなったことも!全部、全部メガネのおかげだったんですね!』
『いえ、そうではなく……』
『私は自分のメガネをダメなものだなんて考えてました!だからお姉さんはメガネの素晴らしさを教えるべく、魔法なんていう方便を使ってくれたんですよね!』
『春菜、少し落ち着いて……』
『ですよね!』
しばらく黙りこんでいたお姉さんでしたが、不安げになってきた私を見ると、私の手を取って神妙深くうなずいてくれました。
『……その通りです。めがねとは素晴らしいものなのです』
『はい!私、これからメガネと共にがんばります!』
『……そ、そうですね。日々精進です』
『はいっ!』
ちょっと右頬がひきつったお姉さんを私は笑顔で見送りました。
そう、あのお姉さんはきっと神様がメガネの素晴らしさを伝えるために、わざわざ私のところに来てくださったメガネの天使様なんだって。
▲ ▲ ▲
「あのお姉さんこそ、メガネの神様が遣わした天使。そして私はメガネの神の啓示を受けたメガネの聖人なのです」
「お前は目の視力の矯正よりも、心のケアを推奨するわ」
本人はその光景を思い出しているか、目を潤ませて感涙の涙を目じりに浮かべている。
しかしプロデューサーはあの話のどこに感動していいのかまったくわからなかった。
思わず黄色い救急車を呼ぼうとするが、電話番号がわからなかった。
とりあえず、ちひろに電話をかけた。
『はい、千川ちひろですが』
「消費者庁のものですが」
『え?』
「すでに警察と弁護士の方からお話はされていると思いますが、このような結果になって残念です。法廷で会いましょう」
『え、あ、ちょっ!?』
まだちひろは何かを電話越しに叫んでいるが、かまわずプロデューサーは電話を切った。
そして一仕事を終えたとばかりに額の汗をぬぐう。
「えーと、プロデューサーさん。何をしたんですか?」
「悪は去った。この戦い、私たちの勝利だ」
「……控えめに見ても、ちひろさんにいたずら電話をしたようにしか見えなかったんですけれど」
「勝利とは、時にむなしいこともある。今みたいに」
「いや、勝利とかそういう次元じゃ」
「大人になれ、春菜」
「……えぇー」
冷めた目で見つめる春菜を諭しつつ、プロデューサーは資料を手に取った。
手に持っているのは海外で行われるアイドルフェスの概要が書かれているもの。
「春菜、お前がメガネのことを愛していることは解った。納得は小さじ一杯分ももしていないが」
だけどな、そう続けてプロデューサーは椅子に深く腰をかけた。
「お前自体の魅力はどうなんだ、春菜」
「……え?」
「お前はメガネをかけていないと意味はないのか?お前がファンに伝えるのはメガネだけなのか?そこに上条春菜の姿はないのか?」
「それは……」
「俺はお前のメガネに対する愛を否定しない。馬鹿にはするけどな」
「ちょ」
「だがお前がメガネに頼り切るのなら、それはメガネを使っているだけだぞ?メガネと共に歩みたいのなら、お前はメガネによりかかるのではなく、メガネの隣にいるべきだ。違うか?」
「……プロデューサーさん」
春菜は己の身を恥じた。
いつから自分はメガネを縛っていたのだろうか。
独りよがりにメガネを愛するあまり、メガネへの愛を妄執へと変化させてしまった。
それはメガネへ愛をささげる自分の姿、それを好ましく思える自分が心のどこかにあったからだろう。
プロデューサーはそんな自分の目を覚まさせるべく、きっとわざとメガネにつらく当たったのだ。
私のために、彼はメガネを自らの手で傷つけたのだ。
そこにどれほどの嘆きと慟哭があったのか、私には計り知れない。
そして春菜はそこではっと気が付いた。
「……プロデューサーさんは、メガネを愛するが故に。自らメガネから離れてコンタクトをつけていたんですね」
「……そうだ」
神妙深く彼はうなずいた。そんな事実は無い。
本人はうどんを食べているときにメガネが曇るから、コンタクトをつけているだけである。
「愛するが故に、自ら離れる……ですか。あはは、目が曇っていた私にはそれがわからなかったんですね」
「離れるからこそ気がつくことがある。良いメガネっていうのは、例え離れていても……繋がっているんだよ」
「プロデューサー……」
そう、俺達はたった今昇り始めたばかりなんだ。
この果てしないメガネ坂を……。
一仕事を終えたプロデューサーは冷蔵庫にあった「かな子」と名前が張ってあったコーラのふたを開けて飲み始める。
飲み始めるまで一切の躊躇いがなかった。
「……って、プロデューサー。それってかな子ちゃんのコーラですよね?」
「そうだな。む、これゼロじゃないか。あいつダイエット始めたのか?」
「いや、そうだなじゃなくてですね。人の物を勝手に飲んだらダメじゃないですか!?」
激昂する春菜をよそに、プロデューサーは一気に最後の一滴まで飲み干した。
「ふぅ。春菜はそういえばしらなかったな」
「え?」
「俺が冷蔵庫から勝手に何故、法子のドーナッツや柊さんのお酒、早苗さんのイカ焼きに奈緒のぜんざいに智絵里の金平糖、藍子のマドレーヌに加蓮のイチゴワッフル、それと……」
「もしかして、私のフルーツケーキ食べたのってプロデューサーですか?」
「うん」
華麗な右フックがプロデューサーを襲った。
「落ち着くんだ春菜。いや、これには明確な理由があるんだ」
「ふー、ふー……。良いでしょう、どんな理由があって私や他のアイドルの食べ物を貪りやがったのですか?」
猫のように息を荒くして威嚇する春菜に対し、プロデューサーは実に堂々としており、まるで自分が正しい事が当然であるといった様子。
もしかして、本当にプロデューサーが正しいのではないか?
そんな考えが春菜の頭をよぎった。
「この事務所に入ったときに、『この事務所は自分の家のように思ってくれて良い』って社長言ってくれてな。自分の家のように食い飲みした」
「OK、プロデューサーさん。覚悟は良いですね、ちなみに返事は聞きません」
「ちょ」
頭をよぎっただけだった。
その日、プロデューサーは春菜によって大地の肥やしとなり、さらに事実を知った他のアイドル達に踏みならされた。
……今日も、この事務所は平和です。
■ ■ ■
春菜ちゃん=メガネ
これでおおよそ間違いはないです。逆に言えばこれだけで話が書けます。
少なくとも私は書けました。
ちなみに私もメガネかけています。
もちろん、春菜ちゃんへの愛ですよ!
……決して、乱視が強くてコンタクトがつけられないなんてことはありません。
メガネ重い、ずり落ちる、そして眠い。
それにしても一ヶ月ぶりですね、お久しぶりです。SS速報VIPでちょくちょく書いていました。
書いたものはブッダ「シンデレラガールズ?」イエス「うん」などなど。
聖☆おにいさん面白いですよね、書いていて楽しかったのでまた今度、続きを書こうかなぁ。
そして次回辺りはその他版に移ろうか、そんな事を考えつつ今日も道場を巡っています。