「お金が無い」
氷河期が到来した自らの財布を眺めつつ、プロデューサーはその心からあふれ出た言いようのない思いを吐き出した。
社会人になると、金はまるで滝のように財布の中から流れ出ていく。
学生まではせいぜい自分の趣味の範囲から、ほどほどの自分に都合がよい程度の付き合いぐらいしかお金は飛ばないものである。
つまりに学生は自分が思うようにお金を使えることが多い。
しかし社会人となって独り立ちをしようものならばそうはいかない。
なぜならそこに税金や、付き合いたくもない飲み代、そしてスタミナドリンクとエナジードリンク代が入ってくるからだ。
新人社員であり、勤める事務所は姉歯製で崖の先に立っているような危うさ。
そんな彼の手取りはあまりにも切ない。切なすぎた。
そしてその少ない給料さえも、半分は笑顔が眩しいちひろさんの懐に消えていくのである。
「……流石に塩パスタはまずいな。納豆ごはんと味噌汁、おかず無しで食いつなぐか」
お金がないからといって、学生気分のままに塩パスタという究極の手段を行った場合。
まず、この事務所では生きられない。少なくともこの激務を過ごすためには栄養が必要なのだ。
むしろ下手に節約して栄養を減らした場合、スタミナドリンクでしのぐことになるのでちひろの懐がさらに潤うであろうことは、入社三か月目で学ばされた。
「お仕事おわっター!」
心淀んで死にたくなってきたその時、事務所に明るい声がこだました。
顔を向ければそこには輝かんばかりの笑みを向けるうちのアイドルがいた。
どうやら仕事を終わらしてきたらしい。先ほど連絡があったが、なかなかによい映像が撮れたと監督が喜んでいた。
「お疲れさん、ナターリア」
「プロデューサー、ワタシお仕事がんばったネ!」
「そうだな」
「がんばったから、ナターリアごほうびがほしいナ!」
「ほう」
その言葉に自分は微笑みながら、輝かしい太陽のような笑みを向ける自分のアイドルに向き直った。
「お金が無くて欝な俺にとって、その言葉は『死ね』って言っているようなものだけど、一応聞いておこう」
「ナターリア、スシたべたいっ!」
「やっぱお前死ねって言ってるだろ?」
もう一つのお金が消えていく理由がこれ。
アイドルのモチベーションアップのオネダリ。
女には金がかかると決まっているが、仕事に女がかかわるとお金はさらに飛んでいく。
「いいか、ナターリア。寿司はな、お金持ちが食べるものなんだぞ?」
「お金持ちが食べるものがスシ?」
「そうなんだ、そして俺はお金が無い。つまり言いたいことはわかるな?」
「よくわからないけれど、ナターリアはプロデューサーと一緒にスシ食べたいっ!」
「わかってもらえないと俺、餓死するんだけど?」
うちの事務所は今日も平和です。
第五話「日本のゴハン・・・スシ!スシ食べる!」
ナターリア。
リオ・デ・ジャネイロ出身の14歳である。ちなみに特技はベリーダンス。
そんな彼女を例えるならば『純粋無垢』。
穢れを知らない子供のような笑顔。加えて健康的な小麦色の肌。
たどたどしい日本語で必死に自分の意思を伝えようとするその姿は大変に微笑ましいものだ。
見ているだけで癒される、優しい気持ちになれる。がんばろうと思える気持ちになれる。そんなアイドルこそ彼女、ナターリアである。
が、外国育ちのためか日本の世と語学に疎い。
そこがむしろ良いという人間もいるらしいが、さきほどのように無邪気に俺を殺しにかかってくる。
彼女の好物がスシなのだ。
旅行鞄にスシを詰め込んで外国行きの飛行機に乗るぐらい好きだ。
もっともそのスシは異臭を放っていたために、到着後すぐに捨てさせたが。
とりあえずプレゼントが欲しいと言ったときは、スーパーのスシを買ってきて与えてあげれば大抵は解決するのである。
「……プロデューサー?」
「どうしたナターリア、お前の切望したスシだぞ?」
「なんでピクルスが入っているのしか無い?スシ無いヨ?」
「これはかっぱ巻きといって、ジャパニーズ忍者が用いるスシだ。あのNOBUNAGAやTOYOTOMIもこのスシを食べていたんだぞ」
「オオ~、ニンジャもスシ食べたのカ。これすごいネ!」
そんな日本のことに疎いナターリアに、彼はこのように自分に都合がよいことを教えていた。
というより都合の良いことしか教えていなかった。
「……プロデューサーさん、ナターリアちゃんに自然にだまして変なこと教えないでください。普通にお金が無くてかっぱ巻きしか買えないって言ったらいいじゃないですか」
「ちひろさん。男にはすべてをかけてやらなくちゃいけない時があるんですよ」
「かっこいいこと言ったみたいな雰囲気ですけど、かっぱ巻きに男をかけてる時点で相当かっこ悪いですからね?」
誇らしげに腕を組むプロデューサーに、容赦なくちひろはメスを差し込んだ。
さすがちひろ、一切のためらいがない。
だてに多くのプロデューサーを金欠に追い込んでいない。
いったい何百人のプロデューサーが彼女に塩パスタ生活へと追い込まれたことか。
「カッパ巻にプロデューサーの何かをかけるのカ?プロデューサーかけて!」
「……ナターリア、流石にお前にそんな上級プレイは早い。あと俺にはぶっかけプレイなんて趣味はない」
「ん?かけるとスシますますおいしくなるんじゃないノ?」
「いや、余計に生臭くなる。というかイカ臭くなる」
「ナターリア、イカ大好きネっ!」
「俺はアワビが好きだな。あとクリ拾いも好きだ」
「クリ!?ナターリアもクリ食べたい、今度プロデューサーも一緒に拾いに行こうヨ!」
「一緒に拾ったら俺のプロデューサー生命終わるからなぁ……悪いけどイけないんだ。ごめんな?」
「ウゥ、残念。でもいつか一緒に行きたいネ!」
「そうだな、まぁあと2年経ったら」
「そろそろ止めてもいいですよね、私我慢しましたよね?」
が、このプロデューサーはさらに上を行っていたようだ。
プロデューサーの日本語マジックにナターリアの純粋さが掛け合わさることで、彼らの会話はもはや形容しがたき何かに変わっている。
というかこれでは高度なセクハラである。
「ナ、ナターリアちゃん?あまりこの人のいうことは聞いちゃ駄目だからね」
「ん?何でプロデューサーの言う事聞いちゃ駄目なノ?」
「プロデューサーは変な事ばっかりいうから」
その言葉を聞いてプロデューサーに向き直るナターリア。
目は不安そうに震えており、まるでチワワのようである。
「プロデューサー、変なこと言ってル?」
心配そうに尋ねるナターリアに、プロデューサーは真剣な顔で何度も頷いた。
「言ってないよ」
何の躊躇いもない言葉であった。
格ゲー初心者に待ちガイルを躊躇いもなく選択する男。それがプロデューサーである。
「ちひろ!プロデューサー変な事言って無いっテ!」
「そう、良かったわねナターリアちゃん」
「ウン!」
まるでご主人様大好きワンちゃんのようなキラキラした目を向けられて、さすがのちひろも諦めたようだった。
この二人、噛み合っていないようで噛み合っているのである。
そして外国育ちなのか、日本人以上にナターリアは自分の気持ちをダイレクトで表現している。
愛情表現も親愛表現もスキンシップもほかに比べて著しい。
しかし。
「私、プロデューサーのこと大好きネ!」
「そっか、俺もお前が人気のうちは大好きだぞ~」
「に、人気?無くなったらどうなル?」
「俺が死ぬ」
「ナ、ナターリアがんばる!すごくがんばりマスっ!」
まったくその気がない。
あまりにもなさ過ぎて、事務所内で『プロデューサーはゲイ』と囁かれる始末である。
真面目にプロデュースしているのにひどい言われようである。
「ナターリア、アイドルになった日カラ、ずっと一緒にいるよネ♪」
「そりゃプロデューサーだからな。むしろいなかったらクビにされるからね」
「これからもずっと、そばにいて欲しいノ♪ねっ、ダーリン♪」
「ごめん、スシで家計が圧迫されるのはちょっと……」
「だいじょうぶネ!ナターリアが養ってあげルっ!」
「よっしゃ、社長に辞表出してくる!」
そういって懐から辞表を取り出して社長のデスクへと向かうプロデューサー。
常日頃から辞表を持ち歩いているあたり、彼の会社に対する心労がにじみ出ているように思えてならない。
というかヒモになるのに一切のためらいがないのかあんたは。
「……ナターリアちゃん、そんな『養う』なんて日本語をどこで覚えたの?」
「三船さんに教えてもらっタっ!」
「三船さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん早まっちゃだめですよぉぉぉぉぉぉぉ!」
幸が薄い女、三船さん26歳。
同じ事務所のアイドルであるが、いろいろと追い込まれ気味である。
「くっそぉ。よくよく考えればこれぐらいで止めれていたら今までこの事務所にいないよなぁ。失敗したなぁ。勢いとノリでアイドル事務所なんて入ったらだめだわ」
「ノリと勢いでアイドル生命を動かさないで下さいよ」
「何の前振りも指導もなくプロデューサーになったんだぞ。ぶっちゃけノリと勢いでやるしかなくない?」
何の指導もなく、アイドルすら存在しなかった事務所を伸し上げた男の言葉は重かった。
自らアイドルのスカウトを街中で行い、社長のわずかばかりの伝手を使って仕事の幅を広げていき、今ではテレビでも引っ張りだこのアイドルを抱えた事務所に変えた。
そんな彼のプロデュースはやけでやっていた感が否めない。
ノリである。勢いである。若さゆえである。超ハードモードである。
いきなり一城の主になって、地方を統一してのけたようなものである。
「よくわからないけれど、プロデューサーはすごいよネ!」
「ああ、事務所だといまだに肩幅狭いが、頑張っているほうだと思う。というかもうゴールしてもいいよね?」
「ナターリアもプロデューサーとゴールしちゃう?」
「そのゴールはBADENDだと思うな。お前ってモバマスでたっくさん絵柄があるほど人気なんだぞ?ぶっちゃけファンに殺される」
「ナターリアマラソンの時はだいぶ儲けさせていただきました」
「おいこら止めろ、この話は早くも終了ですね」
あの惨劇は多くのプロデューサー生命を奪った悲劇であった。
前回のイベントがあまりにもボーダーラインが低いものであった。
そのため「これもしかして入賞余裕じゃね?」という、『孔明の罠』ならぬ『広範囲殲滅型ちひろの罠』にかかった多くの新規参加者が、入賞得点であるナターリアを狙った。
その結果、ひぐらしもその日暮しになるような真っ青な惨劇が起こったのである。
100位から2000位の成績が横並び。
スタミナ振りのプロデューサーたちがスタミナドリンク2000本使っても入賞できない。
つまりリアル換算で20万使ってもランキング入りができないという悲劇が起こった。
このあまりの大惨事に、多くのプロデューサーたちはこの事件を『ナターリアマラソン事件』と号して語り継ぐこととなってしまった。
「もう全部ちひろさんが悪いでいいじゃないかな」
「っちょ」
ひどいんですよ私だって運営の被害者なんですと必死に弁護を試みるちひろを放置しつつ、プロデューサーは再びナターリアへと向き直った。
「ともかくあんまりそういうこというんじゃないぞ」
「どうしテ?ナターリアはプロデューサーのこと大好キ!」
「200万人も入ればそのうち一人ぐらいは確実に俺を殺しに来るやつがいると思うんだ」
「よくわからないけれど、そういう事言ったらダメっ!」
脳内に変な電波を受信し始めたプロデューサーに、さすがの彼女も頭から冷や汗が流れ出た。
「あいつらやべぇよ、マジで未来を生きていている連中だよ。そのうちジェダイになれるぞあいつら」
「プロデューサーも未来に生きているノ?」
「少なくとも俺のライトサーベルはダークサイドには落ちてはいない。マスターヨーダ並みの瞬発力と速さは誇っているつもりだ」
「スゴイ!」
「早かったらダメじゃないですかね?」
さりげなくちひろにディスられるも、これを華麗にスルー。
かと思いきや額に玉の汗が浮かんでいる。
「早いこといいことネ!私も足が速くてほめられタっ!」
「違う、違うのよナターリアちゃん」
悲しげに瞳を伏せながらナターリアの肩をつかむちひろ。
その切なげな様子にナターリアは僅かばかり左へ首を傾ける。
「いい?男は早かったら女の人はイけないのよ」
「何がいけない?ダメ?早いこと問題あル?」
その言葉に苦しげに大きくうなずいた。
「……そうね、人類存続レベルでの問題だわ」
「そしてちひろさんには恐らく縁がない問題だ」
プロデューサーが事務所の窓から宙を舞った。
そんな様子を影から伺っていた杏は思った。
今日はサボろう。
そしてナターリアはもう日本語覚えなくてもいいと思うなと、珍しく彼女は怠惰を以外を原因としてこの問題を諦めたのであった。
……うちの事務所は今日も平和です。
下から怒号と悲鳴が聞こえる中で、ちひろは窓から広く青いを眺めながら微笑んだのであった。
■ ■ ■
ちょっと文字の濃さを入れました。
うちのフロントで何故かいるナターリアちゃん。
基本クールで固めていますが、杏やこの子がたまに表に出てくる、そんな事務所です。
下ネタが多めですが、純粋な子にこそ下ネタと使いたいという自身のリビドーに身を任せた結果です。
とりあえず今回書いて解ったことは、純粋なキャラだとかなり汚れギャグが書きにくいですね。
安易に下ネタに逃げましたが、今回の教訓は次に生かそうと思います。
そしてナターリアは俺の嫁とナターリアフロントを固めた友人が笑っていました。
お前何気にあのマラソン勝ち残ってたのか……修羅がここにいたとは。