インターミッション シン・イスマイールの場合
ロードス島に来て嵐のような1日が過ぎた後、生活は打って変わって穏やかなものになっていた。
レイリアとギムがマーファ神殿から引き出した報酬は、半年程度なら遊んで暮らせる額であり、ライオットとルージュは分け前を握りしめて何やら動き回っている。
彼らが忙しそうにしているため新しい依頼を受けるわけにもいかず、かといってシン自身には、特にやりたいこともない。
というわけで、ただぶらぶらとターバの村を散歩するのが、ここ数日のシンの日課になっていた。
街道に出没したオーガーを退治した冒険者たちの噂は村中に広まっており、村人たちはけっこう気さくに話しかけてくれる。
見るものすべてが新鮮なファンタジー世界である。
屋台で買い食いをしたり、巡礼者相手の土産物屋を見物したりして、シンはけっこう楽しく過ごしていた。
そんなある日の昼下がりのこと。
腹ごなしの散歩でもと、市場のあたりを歩いていたシンは、雑踏の中に見覚えのある背中を発見した。
背中に流れる艶やかな黒髪。
すらりとした身体のラインを強調するような、マーファの白い神官衣。
野菜がいっぱいに詰まった籠を重そうに抱え、よろめきながら歩いている少女は。
「レイリア!」
シンが声をかけると、黒髪の少女は左右を見回し、声の主を見つけると嬉しそうに微笑んだ。
「こんにちは、シン。お散歩ですか?」
「まあね。レイリアは?」
「神殿で使う食材の買い出しです。こんなにたくさんあるのに、1日で無くなっちゃうんですよ?」
苦笑しながら籠を抱え直す。
中にはジャガイモやニンジン、タマネギなどの野菜がぎっしりと詰まっていた。軽く10キロはあるだろう。
「どれ、ちょっと貸して」
ひょい、と籠を取り上げる。
「重いでしょう? 買い出し当番は本当は2人なんですけど、もうひとりの子が熱を出してしまって」
今日は私ひとりなんです、とレイリアが肩をすくめた。
シンにとっては大した重さではないが、女性が一人で抱えるには重労働だろう。
「神殿まで2時間はかかるよね。歩いて帰るの?」
「そうです。買い出し当番はいつも半日がかりですね」
返してください、と両手を差し出しながら、レイリアがうなずく。
シンは少し考え込んだ後、にこりと笑った。
「じゃあこのまま、神殿まで付き合うよ。どうせ暇だったし、散歩のついでだ」
片道2時間なら、夕食までには宿に帰れるだろう。美少女と歩くなら楽しいし、重い荷物を持たせたまま見送るのは、ちょっと心苦しい。
「そんな。悪いです」
荷物係なんてとんでもない、と黒髪の少女は首を振る。
「いいから。祝福の街道はオーガーが出たばかりだし、美人が独りじゃ危ないよ。護衛代わりだと思って」
「ですけど……」
「それなら、俺の散歩に付き合ってもらうって事でどうかな? どうしてもイヤなら、無理にとは言わないけど」
今度はレイリアが困ってうつむいた。
シンの申し出は正直嬉しかったし、彼とはもっと話をしてみたい。
しかし、荷物持ちを頼むには、マーファ神殿はいささか遠すぎた。
だからと言って同行を断ってしまえば、一緒にいるのがイヤだと誤解されてしまいそう。
さんざん迷ったあげく、レイリアが出した結論は、
「じゃあ、荷物持ちは交代でお願いします。30分ずつくらいで」
というものだった。
「オーケー。じゃあ行こうか。俺、ターバの大神殿って見たことないんだよ。当分結婚もしそうにないし、男が独りで見に行くには悲しい場所だろ?」
シンの言葉に、レイリアはくすりと笑った。
「そうですね。新婚さんばっかりですから、私も時々うらやましくなります」
「やっぱり神官は女性ばっかりなのかな?」
「ええと、全員が女性じゃないですよ。最高司祭はお母さまですが、ほかの司祭には男性もいますし、神官戦士団はほとんどが男性ですから」
でも高位のプリーストはほとんどが女性ですね、とレイリアはうなずいた。
うららかな日差しのもと、祝福の街道を涼やかな風が吹き抜けていく。
なびく髪をレイリアの白い指が押さえ、その仕草を純粋に綺麗だな、と思いながらシンが見つめ。
ふと、ふたりの間に沈黙が降りた。
不思議と気まずくはない。
さくり、さくりとリズミカルに土を踏む音は、どこか心が落ち着くような響きで。
アスファルトもビルもない自然そのままの風景は、どこか懐かしい匂いがして。
「こないだも同じ道を通ったのに、まるで違う感じがするな」
思わず、シンはぽつりと呟いていた。
「前は緊張してましたからね」
レイリアが、自分の失態を思い出して、ちょっと頬を赤くする。
オーガーを見たとたんに恐怖で立ちすくみ、ルージュが倒れるまで何もできなかった。
ルージュを治療した後もシンの背中に守られるばかりで、戦士として訓練した自分は何だったのかと、あれから数日は自己嫌悪に悩まされたものだ。
「あの時は、みっともないところを見せちゃったな」
シンが天を仰ぎながら言う。
「とんでもない! 全然そんなことないです。私たちを守ってくれた上に、一撃でオーガーを倒したじゃないですか」
「あれはライオットの《戦いの歌》があったからだよ。あの魔法がなければ、俺はきっと逃げ出していた」
「そんなことありません」
自嘲気味のシンの言葉を遮ると、レイリアは足を止めてシンの目を見上げた。
「神聖魔法っていうのは、無いものを付け足すことはできないんです。寿命が尽きる寸前の人に治癒の魔法をかけても効果がないみたいに。だからマイリーの加護で勇気が出たなら、それは最初からシンの胸に眠っていた勇気なんです。あの時のシンの背中がどれくらい頼もしかったか、あなたには分かってないから……」
驚いて見返してくるシンの顔を見て、レイリアはふと我に返り、自分が口走った言葉を反芻すると耳まで赤くなった。
「ご、ごめんなさい。私、興奮すると止まらなくなっちゃって。生意気言ってすみません」
「そんなことないよ」
歩こうか、と促して、シンは言った。
「ライオットっていただろう。金髪の」
「はい。マイリーの神官戦士の方ですよね」
半歩おくれて続きながら、レイリアがうなずく。
「あいつとはもう20年くらいの付き合いなんだけどさ。何て言うのかな、いつも俺の1歩先を歩いてるような奴でね。恋人を見つけるのも、結婚するのも、俺より早かったからさ」
ルージュと知り合ったのは俺が先だったんだけどな、とシンは笑う。
「ルージュさんは、ライオットさんの奥さんだったんですね」
「そうだよ。そう見えなかった?」
「仲良さそうだなとは思ってました」
レイリアが納得したようにうなずく。
ライオットに微笑みかけるたび、ルージュの視線が棘をはらんでいたのは、どうやら気のせいではなかったらしい。
「あの時もね。あいつが動くまで俺は動けなかったし、あいつの魔法がなければ俺は役に立たなかったと思う。だからかな、自分では、自分の行為にそれほど価値を見出せなかったんだ」
青い空をゆっくりと流れていく雲を見上げながら、シンは言葉を続けた。
「けどさ、あの後ライオットが言ったんだよ。あいつはルージュを守りきれなかったけど、俺は君を無傷のまま守りきったって。だからあの戦いに関して、あいつより俺の方が得点が高いってさ。得点って言い方はどうかと思うけど、今になってやっと意味が分かった」
自分の言葉をかみしめるように語るシンの横顔を、レイリアは黙って見上げていた。
収まりの悪い黒髪。浅黒く焼けた肌。
レイリアでは持ち上げるのがやっとの籠を軽々と抱え、その歩みはゆっくりだが着実なもの。
「何者の力を借りようと、どんな無様な戦いだろうと、君が怪我をしないで済んだなら、それで十分な成果だったんだよな」
満足そうにそう結ぶシン。
「シンは、強い人ですね」
レイリアは目を伏せると、穏やかな声で言った。
「強い? 俺が?」
予想外の言葉に、シンが苦笑する。
「弱いよ俺は。あいつと一緒にいるとよく分かる」
「本当に弱い人は、自分が弱いなんて言えませんよ。しかも会ったばかりの、私みたいな小娘を相手に」
レイリアはそれ以上言わず、ただ黙って、嬉しそうに微笑んだ。
なにがしかの答えを見つけたような、そんな様子に、シンもそれ以上の言葉を紡ごうとはしなかった。
結局、マーファ大神殿までの道のりを、文句を言われながらもシンは野菜の籠を渡すことなく持ち続け。
神殿ではレイリアからの夕食の誘いを謝絶して別れを告げ、その足で〈栄光のはじまり〉亭へとって返した。
「……お前アホか。なんでそこで帰ってきたんだ?」
遅めの夕食のテーブルを囲みながら、処置なしと言った風情でライオットが首を振る。
「いや、早く帰らないとこっちの晩飯に間に合わないかと思ってさ」
「そんなのどうでもいいだろ。別にこっちで食わなきゃいけないわけじゃないんだし」
「それはそうだけど、人を待たせるのはよくない。実際、今日だって俺のこと待ってたじゃないか」
「そりゃまあ、そうだけど」
やりこめられてライオットが黙る。
すると、男同士のやりとりを黙って眺めていたルージュが、フォークを持つ手を休めて言った。
「リーダー、次はご馳走になっておいでよ。私たちは気にしないから」
「次があったらな」
気のないふうを装って、食事に戻るシン。
「それでレイリアさん、次の買い出しはいつだって?」
「4日後だそうだ。当番は4日サイクルで回ってくるって言ってた」
反射的に答えてから、イイ笑顔を浮かべる夫婦に気づき、シンは自分があっさりハメられたことを悟った。
「もう約束したんだろ?」
「じゃ、次は先にご飯食べてるからね」
満足そうに視線を交わし、食事に戻るライオットとルージュを見て。
やっぱりかなわないな、とシンはため息をもらした。
シナリオ1『異郷への旅立ち』
獲得経験点 2500点
今回の成長
技能、能力値の成長はなし。
レイリアとちょっぴりいい雰囲気になった。
経験点残り 9000点。