インターミッション5 シン・イスマイールの場合
シンが掲げる松明の光の輪に、いびつな巨像が照らし出されていた。
化石となった骨に岩盤で肉付けし、負の生命力を与えられて蘇った太古の竜。
その亡骸だ。
脚や胴体に残る戦斧の痕を見るだけで、ドワーフ戦士団の猛攻の凄まじさが伺える。
そして、そのまま視線を上げると、竜の体は滑らかな断面を見せて消失していた。
竜の象徴たる長い首や牙の並んだ頭部が、左の翼もろとも抉り取られて消え失せているのだ。
「どういう威力の魔法なんだよ?」
この場にはいない魔女を責めるように呟くと、シンは肩をすくめて周囲を見回した。
激戦の跡。
とはいうものの、瓦礫が散乱する荒れ果てた場所ではない。むしろ逆だ。
ルージュの巨大魔術は化石竜の上半身を、塵ひとつ残さずに蒸発させてしまった。
犠牲者の遺体や前線に集積されていた物資はとうに片付けられ、あたりは空虚なまでに殺風景な眺めが広がっている。
もはやここには何もない。
それが一目瞭然なのだ。
「竜の頭は、やはり残っておらんようじゃの」
シンが渋い顔で戦場を見渡していると、傍らで同じように松明を掲げるギムが、いささか残念そうに言った。
「あれはいい剣であったがな。人の手で鍛えたものである以上、剣は不滅ではない。お嬢ちゃんの魔法に巻き込まれて消滅したのではないか?」
“精霊殺しの魔剣”ズー・アル・フィカール。
化石竜との戦いで行方不明になったシンの愛剣を探すために、シンとギムのふたりは戦場を訪れていたのだが。
「……そう、なのかもな」
明らかに気落ちした様子のシン。
失言であったか。
ギムは顎髭を撫でながら唸ったが、やがて言い訳をするように言った。
「剣士が剣を失ったのだ。気持ちは分かる。だがの、ボイル王がおぬしに渡した剣とてドワーフ族の秘宝じゃ。おぬしの新しい愛剣にふさわしかろうと思うぞ」
いま、シンの背には真新しい剣が収まっている。
剣の銘は“孤高なる銀嶺”アロンダイト。
最高純度のミスリル銀を“永久の炉”で精錬し、ドワーフ族最高の刀匠が“ブラキの鉄床”で鍛え上げた、伝説級の大業物だ。
両手持ち、両刃の大剣で、分類としてはグレートソードに入るだろう。鋭い刃で切り裂くことよりも、重量と勢いで叩き斬ることに主眼をおいた造り。
それ自体が武器になりそうな頑丈な鞘は黒く塗られ、同じくミスリルで精緻な装飾が施されている。黒地に銀という色使いながら、地味ではなく繊麗に見えるあたり、きっと名のある鞘職人が手がけた傑作なのだろう。
シンはライオットと違って剣道を習ったわけではないから、剣や戦い方が変わること自体には抵抗がない。
軽く振ってみただけで、この剣が凄いことは分かる。特に打撃力は、ついでに言えば値段も、精霊殺しの魔剣よりずっと上なのだろう。
だが今の、そしてこれからのシンが必要とするのは、剣単体のスペックではないのだ。
「アロンダイトが凄い剣だってのは分かる。だけど俺には、精霊殺しの魔剣がどうしても必要なんだ。あれがあるのとないのじゃ、これから先の苦労が全然違う」
思い詰めたようなシンの言葉に、ギムは首を傾げた。
「よく分からん話だの。邪教の司祭どもはおぬしが苦労するほどの相手には見えんし、仮に苦労したとしても、優れた剣の方が戦いやすいのではないか?」
「俺の敵はあいつらじゃない。世界そのものなんだよ」
まるで謎かけのような答えだが、シンはそれ以上説明する気がないようだった。
ギムはじっとシンを見つめたが、やがて、小さく吐息をもらした。
「そうか」
ギムが初めてシンと剣を合わせたとき、シンの剣はまるで嵐のように激しく、ギムを翻弄した。
ギムが初めてシンと肩を並べて戦ったとき、シンの心はまるで子供のように怯え、ギムを驚かせた。
奇妙なことだとは思っていたが、少なくともあの頃は、自分とシンは同じものを見ていたはずだ。
だが、あれから季節が巡り、ロードス北辺を短い夏が駆け足で過ぎ去った今。シンが見ているものが、ギムには見えない。
認めよう。
心のどこかで弟子のように感じていた青年は、すでにギムの手の届かない大空へと羽ばたいたのだ。
世界が敵だから、失われた剣が必要だ、と。
鉄の王国を救ってくれた英雄が断言するなら、受けた恩義を返す方法は1つしかない。
「ならば探すとしようか。なに、半日も探せば見つかるじゃろうて」
口髭の下で笑みを作ると、ギムは化石竜の足下を掘り始めた。もしかしたら踏んでいるのでは、と思ったのだ。
「すまない、助かる」
シンは素直に礼を言うと、自分も剣を探そうと視線を地面に落としたが、すぐに顔を上げた。
「そうだギム、迷惑ついでにもうひとつ頼みがある。上等の酒を調達して欲しいんだ。今夜までに」
「剣を探すよりは、そっちの方が得意分野じゃの。任せておけ。夕食までにとっておきを用意しよう」
ギムは目を細め、自信たっぷりに請け負う。
大隧道の天井に突き刺さった剣が発見されたのは、その1刻後。
街に戻って採掘工たちに助力を求め、足場を組んで何とか剣を引き抜いたのは、さらに2刻後のことだった。
その晩の宴は盛大なものだった。
明日の朝、神官戦士団はターバに帰還すると決まったからだ。
昨日の激戦、そして今日はカザルフェロ戦士長の蘇生の儀式が行われたばかり。もう少し休んで疲れを癒してはどうかとボイルは打診したのだが、ターバ神殿の現状がそれを許さなかった。
神官戦士団のほぼ全軍のみならず、手の空いている司祭たちもほとんど根こそぎ派遣となり、今のターバにはわずかな留守番が残るのみ。
今度は神殿の方が悲鳴を上げ、落ち着いたら速やかに帰還するようにと、ニースの名前で指示が届いたのだ。
それならばと鉄の王国からは大量の振る舞い酒が提供され、酔い潰して帰還を阻止しようと言わんばかり。もう夜も遅いというのに、宴席の方からは人間とドワーフが肩を組んで笑う声が聞こえてくる。
「あいつら、明日ちゃんと動けるんだろうな? 二日酔いの阿呆がいたら叩き直してやる」
体の自由が利かず、早々に宴席から下がったカザルフェロが、宿舎の寝台で忌々しげに舌打ちした。
「大丈夫ですよ。みんな限界は心得てるはずです」
不機嫌を隠そうともしないカザルフェロの傍らで、ソライアは楽しそうに応じた。
「それに戦士長、まだ杯も満足に持てないんでしょう? 叩き直すって言ったって、今の戦士長じゃ返り討ちにされるだけですよ」
蘇生したばかりで、まだ魂と肉体がきちんと結びついていないのだ。今のカザルフェロは、寝台に上体を起こして軽い物を持つのが精一杯。
とてもではないが、立ったり歩いたりできる状態ではない。
「それとも、ただ単にみんなが飲んでるのが羨ましいんですか?」
「……ソライア。俺を苛めるのは楽しいか?」
寝台のそばで果物を切りながら、悪戯っぽい笑顔を向けてくるソライアに、カザルフェロは恨みがましい視線を返した。
「楽しいですよ。決まってるじゃないですか」
以前ならば誤魔化したであろう問いかけに、ソライアはにこりと頷く。
カザルフェロが生きて、自分の顔を見て、自分の名を呼んでくれる。これがどれほど幸せなことか、きっとカザルフェロには分かるまい。
おまけに今この時間、カザルフェロを独占しているのはソライアなのだ。
恋しい男性とふたりきりの時間を過ごしていて、喜ばない女がどこの世界にいるものか。
「戦士長、林檎がむけましたよ。どうぞ」
きれいに切った瑞々しい果物を、指先でつまんでカザルフェロの口に持っていく。
突きつけられた果物に冷や汗を流している上司に、ソライアは満面の笑みで追い打ちをかけた。
「はい、あ~ん」
「いやソライア、ちょっと待て……」
カザルフェロは周囲を見回すが、この部屋にいるのはふたりきり。助けはない。
「なに恥ずかしがってるんですか。せっかく親切でむいてあげたんですから、無駄にしたら林檎と私に失礼ですよ?」
「だがな、それとこれとは話が」
「往生際が悪いです」
頬を膨らませて抗議するソライアに、カザルフェロの目が泳ぐ。
本音と建て前を使い分けて生きてきたカザルフェロにとって、裏表のないこの少女は眩しすぎるのだ。持ち前の闊達さに加えて、蘇生の一件以来、好意を隠そうともせずにぶつけてくる。
大観衆の面前で唇を重ねたから、周囲もそういう目でふたりを見ているし、これでは戦場の方がよほど気が楽というものだ。
「俺は武骨者なんだがな」
カザルフェロがあきらめて口を開きかけたとき、木製のドアがノックされた。
客人を招いた覚えはないが、この羞恥の時間を終わらせてくれるなら誰でもいい。
急に生気を甦らせたカザルフェロに、ソライアは再び頬を膨らませた。
「もう」
持っていた林檎の切片をカザルフェロの口に押し込み、渋々と立ち上がってドアを開ける。林檎をくわえたままの姿を披露することが、せめてもの報復だった。
ふたりきりの時間を邪魔する来客を、どうやって追い返してやろうか。
ソライアは考えながらドアを開け、そこに立っていた人物を見ると、表情を一変させた。
穏やかに微笑むレイリアと、平服に着替えたライオット、それにシンとルージュまで一緒だ。
どうやって抜け出してきたのか知らないが、今宵の宴の主役が勢ぞろいではないか。
言葉を失っているソライアに、レイリアは申し訳なさそうに言った。
「せっかくの時間なのに、邪魔してごめんなさい。シンから戦士長にお話があるそうなんです」
魔神殺し、竜殺しの英雄たちとカザルフェロ戦士長の会談なら、邪魔者はむしろ自分の方だ。ソライアが寝台を振り返ると、カザルフェロと目が合った。
「構わないから入ってもらえ。それとソライア、シン・イスマイールに異論がなければお前も同席しろ」
くわえていた林檎をサイドボードの皿に戻して、カザルフェロは姿勢を正した。寝台に寝たきりの身ではあるが、部下たちの命を救ってくれた恩人には払うべき礼儀というものがある。
ソライアが開けたドアからシンたちが入ってくると、カザルフェロは素直に頭を下げた。
「お前さんたちのおかげで、部下には一人の犠牲も出なかった。礼を言う」
その言葉にライオットが応じる。
「じゃあ俺からも礼を言わせてくれ。あんたのおかげでルージュは傷ひとつ負わないで済んだ。本当に助かったよ。ありがとう」
死者の蘇生という究極の奇跡を成し遂げた司祭が、同じように頭を下げる。
「やめてくれ。マイリー教団の最高司祭が、俺みたいな半端者に礼なんか言うもんじゃない」
本気で嫌がるカザルフェロに、ライオットが顔を上げた。
「どこから突っ込めばいいんだか分からない台詞だな。俺は最高司祭じゃないし、あんたも半端者じゃない」
「堅っ苦しい話はそこまでだ」
謝礼合戦にソライアやレイリアまで参戦しそうな気配を察して、シンがばっさりと切り捨てる。
「俺たちはそんな話をするために来たんじゃない。本題はこれだよ、これ」
シンが掲げてみせるのは、ギムに頼んで入手した火酒のボトルだ。つまみは食堂に頼んで干し肉をもらってきた。
「宴もすぐに下がってきたみたいだし、どうせ飲み足りないんだろ? ちょっと付き合ってくれよ」
シンは遠慮なく寝台に腰掛けると、魔法のようにグラスを取り出してカザルフェロに握らせる。
半分だけ注がれた火酒から燃えるような芳香が広がった。
鉄の王国の誇る最高級の蒸留酒だ。一口含めば、その名のとおり喉が焼けるような感覚を味わえるだろう。
「こいつは上等だな。金を出せば買えるって類の品じゃないぞ」
無愛想なカザルフェロの顔が、思わず嬉しそうに崩れた。
グラスに入った火酒は筋力の限界に達するほど重かったが、これほどの逸品にはそうそうお目にかかれるものではない。
さしたる時間もかけずに一杯目を空にすると、シンはすかさず二杯目を注いだ。
「いける口みたいだな」
「剣では敵わんがな。こっちでは負けんよ」
シンとカザルフェロが差しでグラスを空けている間に、レイリアはナイフを取り出して干し肉を薄切りにしていく。
ライオットが窓際にあったテーブルを寝台のそばに運ぶと、ルージュの皮袋から照焼き肉と野菜のサンドイッチが大量に出現し、テーブルに並べられた。
どうやら酒を飲めないふたりは、これから夕食にするらしい。
炭火で焼いた香ばしい肉の匂いが部屋に充満し、皆の胃袋を刺激する。
「ソライアはどうする? 麦酒と葡萄酒もあるけど?」
食堂でもらってきたオレンジの絞り汁を用意しながら、ライオットが尋ねた。
ライオットとルージュは果汁、レイリアは葡萄酒。完全にやりたい放題だ。
ふたりきりの愛の時間を、あっと言う間に飲み会に変えてしまった英雄たちに、ソライアは深々とため息をついた。
「どれだけ飲む気なんですか。夜通しとか言い出さないでくださいよ? ちなみに私は葡萄酒がいいです」
言った途端にグラスが出現し、ルージュが楽しそうに微笑みながら葡萄酒を注ぐ。
ソライアは様々な不満ごとグラスをあおり、すぐに目を丸くした。
鮮やかな色合い、グラスから立ち上る芳醇な香り、甘口で酸味の少ない味わい。どれをとっても尋常ではない。葡萄酒が舌にふれた瞬間に違いが分かる。
「これは……」
「おいしいでしょ? ラフィット・ロートシルトの499年だよ」
「“宮廷の貴婦人”じゃないですか!」
宮廷の品評会で特等を取り、辛口の批評家として知られるパーカー卿が絶賛したという至高のラベル。
最高級葡萄酒の代名詞として、辺境の村ターバにまで音に聞こえる品だ。間違っても、ストレス発散のためにがぶ飲みしていい代物ではない。
「あっちの男ふたりは火酒らしいから、レイリアさんとふたりで空けちゃってね」
同量の金貨に等しい葡萄酒を気軽に渡され、ソライアの手が震えた。
もし落としたら、とてもではないがソライアの財産では弁償できない。
「足りなかったら、おかわりもあるから」
軽いルージュの一言に、ぐらりとソライアの視界が揺れた。
ラフィット・ロートシルトをもう1本。
自分やカザルフェロ戦士長の生活では、こんな機会は2度と来ないだろう。それだけは断言できる。
心の中で優先順位の針がカザルフェロから“宮廷の貴婦人”に振れると、ソライアは小さく咳払いしてレイリアの隣に腰を据えた。
「いただきます」
そこから先は、場は和んでいく一方だった。
臨死体験経験者であるライオットとカザルフェロが“向こう側”の景色について議論を戦わせる一方、ルージュがシンの彼女いない歴について披露すれば、ソライアはレイリアの修行時代の失敗談を暴露する。
王国をひとつ救った英雄たちは、手酌と持ち込みの軽食、それに他愛ない話題だけで、心から楽しそうに笑い合った。
ライオットがシンとの賭けに負け、全裸で雪原に飛び込んだ話では、あのカザルフェロまでもが声を上げて笑ったのだ。
酒はそれぞれの心に巡らされていた城壁を崩し、城門の閂を開いていく。
背負っている責任も、抱えている重荷もすべて投げ出し、ただの人として過ごせる時間。
持ち込んだ酒の半分を消費する頃には、すでに心の壁は取り払われていた。
ふとした拍子に沈黙が部屋に降りても、気まずくなる気配などない。
ただ黙って酒を味わえばいいだけのこと。
静かになった部屋の中、カザルフェロが空けたグラスに何度目かの火酒を注ぎながら、シンはしんみりと言った。
「あんたさ、言っただろ? 俺のやり方を続けてたら、いずれはマーファ教団とアラニア王国ぜんぶを敵に回さなきゃならないって」
恨むでも、文句を言うでもなく、ただ淡々と語っていく。
シンが答えを求めていないことは瞭然だったので、カザルフェロは黙って注がれた火酒を見つめた。
話が本題に入ったのを悟って、レイリアとソライアも黙って耳を傾ける。
「レイリアにどんな生活をさせたいんだって聞かれた時、正直さ、頭を殴られた気がしたよ。俺はまだまだガキだから、そんなことも考えてなかった。ただ宮廷や邪教の刺客を追い払って、レイリアに手出しをさせないようにしようって、そんな目先のことしか見えてなかったんだ」
普段あまり自分のことを語りたがらないシンが、珍しく吐露する心情。
男としてのプライドを酒で眠らせ、ただ穏やかな口調で語る“砂漠の黒獅子”に、カザルフェロは渋い笑みを返した。
「俺にはその“目先のこと”すらできなかったんだがな。俺が手も足も出なかったあの変態野郎から、お前さんは何度もレイリアを守ってきた。俺が近づくことすらできなかった魔神を、お前さんは一刀で片づけたそうじゃないか」
認めたくなかった事実を、本人を前にしてさらりと認めてしまう。
さしたる抵抗感もなくそれができてしまったということは、おそらく自分は相当酔っているのだろう。
だがカザルフェロは、それが恥ずかしいとは思わなかった。
男の人生とは、重い荷物を背負って、果てしなく続く遠い道を歩くようなもの。たまには酒の力を借りて休憩したっていいではないか。
それが旨い酒なら尚更だ。
カザルフェロが自分の負けを心地よく認めていると、今度はシンが首を振った。
「邪教とか魔神とか、剣が通じる相手なら負けないよ。だけど今の俺じゃ、剣が通じない相手には勝てない。宮廷もそうだし、ターバ神殿だってそうだ。今の俺じゃ勝てない。今のままじゃレイリアを守れない。あんたの言うとおりなんだ」
シンが並べる言葉だけを聞けば、自嘲と取れなくもない。
だが強くなっていくシンの口調と、双眸に浮かぶ峻烈な意志の光は、全員にまるでちがう印象を与えた。
シンが言いたいのは、こんな弱音ではない。
重大な決意を秘めている。
全員がシンに注目し、決定的な言葉を待つ。
それを感じ取ったか、シンは顔を上げ、きっぱりと断言した。
「だから決めた。俺は王になる」
あまりにも突拍子のない結論。
カザルフェロやソライアが絶句し、場にそれまでとは違う沈黙が降りたが、シンは気にせずたたみかけた。
「俺は国を作る。アラニア王国にもターバ神殿にも屈しない、強い国を」
「作るってその、シン、どうやって?」
酔いを消し飛ばした様子のレイリアが、おそるおそる問いかける。
アラニア王国は末端まで支配の行き届いた強固な王国だ。ターバ周辺こそ神殿の自治が認められているが、こんな辺境の村が独立したところで、宮廷に対抗できるほどの力はない。
「“風と炎の砂漠”を統一する」
ライオットとルージュも、シンがそこまで決断したことに驚きを隠せなかった。
シンの決断は唐突だが、合理的で正しい。
剣に対抗するなら剣が、国に対抗するなら国が必要。まったくもって疑問の余地もない正答だ。
正しいのだが、それは現代日本の常識で言えば世迷い言に属する。一歩間違えば厨二病である。
民主主義の常識と教育で育った男が、王になるなどと本気で発言するには、どれほどの葛藤を克服する必要があったのか。
皆の驚愕の視線の先で、シンは持ってきた剣を掲げてみせた。
「俺が炎の部族の出身なのは知ってるだろ? この剣は炎の部族の英雄の証。俺はこれを使って“風と炎の砂漠”を平定する」
暗黒神ファラリスの教団と繋がりの深い族長ダレスを追放し、炎の部族を支配下においたら、風の部族を従えるのだ。
傭兵王カシューが単なる傭兵からのスタートだったのに比べ、シンは部族の英雄からのスタート。砂漠の統一はずっと容易に終わるはず。
「砂漠を支配下においたら自由都市ライデンを吸収し、“火竜山の魔竜”シューティングスターを討って“火竜の狩猟場”を解放する。それでロードス随一の交易都市と広大な沃野が手に入る。どんな国にも負けない、ロードス最強の王国の誕生だ」
すべてはターバ神殿とアラニア王国の干渉を排除し、レイリアの自由を守るために。
大まじめに語るシンに、カザルフェロやソライア、それにレイリアまでもが、奇妙な表情を浮かべて沈黙していた。
おそらく、何と言って諫めるべきか考えているのだろう。
国を作るなどと、常識で考えれば荒唐無稽な話だ。現実的ではない。
だがそんな空気を、ライオットは遠慮なく叩き割った。
「シンにはできないと思うか?」
不遜なまでに自信たっぷりの表情で、ライオットはカザルフェロに問いかけた。
「シンは単なる戦士じゃない。炎の部族の次期族長に一番近い男なんだ。それに今回、ボイル王に大きな貸しを作ったから、一度や二度の援軍は期待できるだろう」
そして従う仲間は“不敗の盾”ライオットと“奇跡の紡ぎ手”ルージュ。
すでに“竜殺し”たちの名声は鉄の王国にくまなく轟いている。神官戦士団やターバへの巡礼者を介して、ロードス全土に広まるまでさほど時間は要しないだろう。
第三の導き手たるライオットが従う勇者となれば、シンの旗の下にはロードス全土のマイリー教徒たちが集まってきても不思議ではない。
シンの王国がマイリー教団を、マイリー教団がシンの王国を、互いに支援するような仕組みができれば、相乗効果で両者の勢力はさらに強化されていく。
もはやシンたちは、単なる個人ではないのだ。
今度こそ絶句したカザルフェロを、シンはまっすぐに見つめた。
「今夜はこれを言いに来た。俺がレイリアに、どんな生活をさせたいのか。これが俺なりの答えだ。あんたにはきちんと言うのが礼儀だと思った」
そして今度は、真剣な表情でレイリアに向き直る。
自分が人生の岐路に立っていることを自覚し、心なしかおびえた様子のレイリアに、シンはきっぱりと告げた。
「レイリア。俺は君に、王になるまで待っててくれなんて言う気はない。一緒に来て欲しい。ターバ神殿を出て、俺と一緒に戦って欲しい。俺たちの未来を、俺と一緒に切り開いて欲しい」
「シン……」
「もちろん、今日明日にでも出ていくって訳じゃない。まだ俺自身決めたばかりだし、砂漠に行くにも準備だって必要だろう。だけど、俺は本気だから」
愛する男性が、自分のためだけに見せた決意。
ピート卿の屋敷で誘われたときとは比べものにならないほどの強固な意思を示されて、レイリアは自分の血が熱くなるのを感じた。
「分かりました」
考えるよりも早く、心が答えていた。
“戦士”という殻は完全に割られ、シンは大きく花開こうとしている。
シンの道の行き着く先がどこなのか、レイリアには想像もできない。
けれどこれだけは分かる。
この純粋な魂と共にあるために、自分は生まれてきたのだ。
「あなたに付いていきます。どこまでも」
未来にどんな苦難が待っていても、シンと一緒なら乗り越えられる。喜びも悲しみも、ぜんぶ分かち合って同じ道を歩こう。
そう決断できた自分が、レイリアは誇らしかった。
「……やっぱり敵わねえな、お前さんには」
寝台の上でカザルフェロが小さく笑った。
「王になる、か。ターバの戦士長で満足してた俺には、とても思いつかない台詞だ。だが、それが言えない男じゃレイリアは守れないんだろうな」
グラスに残った火酒を一息に呷り、喉を焼かれる感触に顔をしかめる。
胸に残った様々な思いを熱い吐息に乗せて吐き出すと、カザルフェロは正面からシンを見つめた。
「お前さんの決断に敬意を表する。レイリアは任せた。もう余計な口出しはしない」
背負っていた荷物の半分を目の前の若者に預けると、カザルフェロは改めてシンを見た。
ニースがシンを買っていた理由がよく分かる。
自分が限界だと思って引いた線を、この若者は何の躊躇もなく、軽々と跳び越えてしまうのだ。
すると期待してしまう。自分にできなかった何かを、この若者は成し遂げてしまうのではないか、と。
「後は頼んだぞ、シン・イスマイール」
ターバを守ることしか思いつかなかった自分の出番は、ここまでだ。
カザルフェロは空になったグラスを突きだし、再び注がれた火酒を喉に流し込んだ。
目頭が熱くなったのは、強い酒のせいだ。
そう信じようとして、カザルフェロは火酒を呷り続けた。
シナリオ6『決断』
獲得経験点 5000点
獲得アイテム
“孤高なる銀嶺”アロンダイト
ミスリル銀製、伝説級品質のグレートソード。
必要筋力が6低く作られている。
必要筋力16(打撃力基準筋力22)
打撃力32
攻撃力+3
クリティカル値±0
追加ダメージ+3
今回の成長
技能・能力値の成長はなし
経験点残り 29000点