マスターシーン 大隧道
鎮魂の隧道の入口近く。
大隧道の壁際に、ターバ神殿から持参した野営用の天幕が並んでいる。
内部は小さな部屋で区切られ、折りたたみ式の木製寝台が1つと椅子が2つ、それぞれの部屋に用意されていた。
前線で戦う戦士を支えるため、後方支援要員が整えた仮設の救護所だ。
ルージュの先制攻撃で戦いが始まって10分あまり。最初の部隊が戻ってきたらしく、救護所には少なからぬ数の戦士たちが訪れるようになった。
魔法で癒さねばならないような重傷の患者はいないが、それでも天幕の外には怪我人が列を作っている。
瓦礫の向こう側ではどんな戦いが行われているのか。
最前線にいるシンは無事なのか。
胸中に浮かんでくる不安を穏やかな表情で覆い隠して、レイリアは目の前の老ドワーフに意識を集中した。
「痛んだら遠慮なく言って下さいね」
油脂の燃えるランプの下、できるだけ丁寧に傷口を洗っていく。
老ドワーフの戦士が腕につけられた擦過傷は、舐めておけば2~3日で治る程度の軽傷だ。
だが、それをつけたのが屍兵だと聞いて、レイリアは救護に当たる司祭たちに消毒の徹底を指示していた。傷口から腐毒が回り、破傷風にでもなっては一大事だ。
「む……」
傷口にドワーフ特製の火酒をかけられて、老ドワーフが顔をしかめた。
強力な酒精の匂いが狭い天幕に充満する。
相当染みたのだろう。レイリアはできるだけ手早く消毒を済ませると、薬草を塗った布を傷口に当て、親友に目配せした。
「一人前の戦士が、そんな情けない声出さないの。そんなに痛かった?」
助手を務めるソライアが、老ドワーフの腕を手際よく包帯で固定していく。
「痛くなどないわ。馬鹿にするでない」
老ドワーフが憮然と応じたとき、ソライアはもう包帯を巻き終わっていた。
端末を小さく結ぶと、包帯の上からぽん、と腕を叩き、満足そうに笑う。
「これでよし。ちょっとくらい激しく動いても、緩んだり取れたりしないわよ。保証する」
応急処置はターバ神殿の必修技能だが、ソライアのそれは十分以上に水際立っている。
生傷の絶えない神官戦士団の訓練。その毎日の中で必要に迫られて身につけた技能だ。効果は自分自身の体で確認済みである。
解放された腕を曲げたり伸ばしたりして、老ドワーフは包帯の感触を確かめた。
なるほど、確かに動きを阻害しないし、緩んだりする様子もない。包帯を巻くという単純な作業だが、ここにはどうやら職人の技が発揮されているらしい。
自身も別の道では一家言ある玄人として、この少女の技には相応の敬意を表さねばなるまい。
「世話になった。これでまた戦える」
老ドワーフが律儀に頭を下げると、ソライアはにこりと笑い、レイリアは穏やかにうなずいた。
「もう怪我などなさらないよう、どうか気をつけて下さい」
「そうだな、火酒は飲むものだ。地面に吸わせるものではない。無駄に使わせぬよう肝に銘じるとしよう」
「問題はそこなの?」
即座につっこむソライアに、軽妙な笑声が広がる。
髭を震わせる老ドワーフが会釈を残して天幕を出ていくと、ソライアはてきぱきと治療に使った道具を片づけていった。
ここではレイリアが治療担当、ソライアは補助だ。同い年の親友同士とはいえ、ふたりの位階には厳然たる上下がある。
騎士階級の令嬢であるソライアはそこを履き違えず、親しさと礼儀を絶妙に線引きできる娘だった。
「ありがとう、ソライア。あなたがいてくれて助かります」
あっという間に次の患者を迎える準備を整えてしまったソライアに、レイリアはしみじみと頭を下げた。
彼女の動きを見ていると、常に二手先、三手先を考えているのがよく分かった。ただ機敏なだけでなく、動作が効率的で無駄がないのだ。
機転が利くとか、頭の回転が速いとか、そういう表現はきっとソライアのためにあるのだろう。
「まあ、レイリアはおっとりしてるって言えば聞こえはいいけど、ちょっと鈍くさいからね。適材適所ってことで」
「鈍くさい……」
少なからずショックを受けた表情で、レイリアが鸚鵡返しにつぶやく。
親友のそんな様子には頓着するそぶりもなく、ソライアはからりと笑った。
「ごめん、言い過ぎた。ちょっとトロい、くらいでいいかな?」
「それ何も変わってませんよね?」
「普段のあなたを見てるとさ、稽古で全然勝てないのが理解できないんだよね。お父様に散々鍛えられた私が、どうしてこんなトロい娘から一本取れないのか……ホント信じられない」
「ひどいです、ソライア」
拗ねたレイリアが頬を膨らませると、天幕の入口が開いて長身の人影が姿を見せた。
鍛えられた身を鎧うのは年季の入ったスタデッド・レザー。腰に大小2本の剣を吊り、切りっぱなしの髪と無精ひげが印象的な壮年の男。
「ソライアより機敏に動ける奴なんぞ、ターバ神殿にはほとんどいないさ。俺も含めてな」
にやりと野生的な笑みを浮かべて入ってきたのは、神官戦士団の長たるカザルフェロ戦士長だった。
あわてて礼をするレイリアの横で、ソライアは不満そうに頬を膨らませる。
「だったらどうして勝てないんですか? 納得いかないんですけど」
「お前の方が弱いからだろ」
一言でばっさり斬って捨てられ、さすがのソライアも二の句が継げない。
カザルフェロは至極あっさりした口調で続けた。
「ついでに言えば、お前がレイリアより弱い理由はたったひとつ。稽古が足りないからだ」
「私だって結構鍛えてるつもりなんですが」
「全然足りない。だから勝てない。どうしても勝ちたいなら、お前も俺が直々に鍛えてやろうか?」
冗談めかしてはいるが、この戦士長は限りなく本気に近い。それを察してソライアの頬がひきつった。
カザルフェロ直々の稽古。
神官戦士団の戦士たちに地獄として口伝されるイベントだ。ソライアが一度だけ目撃した光景は、稽古というより虐待と呼ぶべきシロモノだった。
「いえ、その、戦士長もお忙しいでしょうから」
「ま、その気になったらいつでも言え。できれば俺が生きてるうちにな」
すっかり腰の引けたソライアの返答に、カザルフェロは皮肉っぽい一瞥で応じる。
気まずそうにソライアがうつむくと、今度は視線がレイリアに向けられた。
「厄介なことになった。一緒に来てくれ」
それだけ言ってきびすを返し、さっさと天幕を出ていってしまう。
相変わらずの言動に、残されたふたりはやれやれと苦笑を交わした。
無駄口は多いくせに、肝心なことはあまり話したがらないカザルフェロ。いつも口にするのは結論だけで、状況の説明が欠落しているのだ。
男は背中で語るもの、黙って俺について来い、というわけだ。
面倒見が悪いわけではないし、終わってみれば対処はいつも正しいのだが、カザルフェロには他人に事情を理解してもらおうという意欲が決定的に欠けていた。
「ちゃんと説明すればいいのに。こんなんだからレイリアのカレシと喧嘩になるのよね」
「否定はできませんね」
裾をさばいて立ち上がったレイリアが、困惑顔でうなずく。
何とかしたいが、自分の立場は微妙だ。変な口出しをすると余計に仲がこじれてしまいそう。
憂鬱な内心をため息に乗せて吐き出すと、レイリアは気分を入れ替えて天幕を出た。
大隧道には煌々と篝火が焚かれ、洞窟の中なのにまるで真昼のように明るく照らされている。
カザルフェロはいちばん外側に設置された、ひときわ大きな天幕へ向かっているようだ。治療の順番を待つ戦士たちに目礼して、レイリアとソライアは小走りにその後を追った。
「ソライア、あの天幕って」
表情を曇らせるレイリアに、ソライアがうなずく。
「そう。戦死者を安置する予定の天幕」
ちらりと振り向いたカザルフェロは、ふたりを確認すると中に入っていく。
「やっぱり付いてこいってことよね。どうしてあなたを呼んだのかな?」
中に広がっているはずの光景を想像して、ソライアが首をひねった。
そこにいるのが負傷者ならばできることは山ほどあるが、亡くなった相手には祈りを捧げることしかできない。
負傷者が大勢いる今、治療の手を減らしてまで急ぐことではないと思うのだが。
「ひょっとして……」
誰か知り合いがいるのかしら、と続けようとして、ソライアはあわてて言葉を切った。
ターバの神官戦士団はまだ前線に出ていない。中にいる知り合いと言えば、相当な高確率でレイリアのお相手だ。
「急ぎましょう」
レイリアは固い声で言うと、歩調を早めた。
シーン7 鎮魂の隧道
先陣が為すすべもなく撃退され、ボイル王までが撤退してくると、戦士団の駐屯地は騒然となった。
ドワーフたちは口々に報復と再戦を叫び、よけい旺盛になった戦意は制御不能なほど。負け戦に意気消沈する様子など全くない。
ボイルは掘削作業の中断と厳重な見張りを命じると、戦士たちに混ざって出迎えたライオットをじろりと見上げた。
「それで、あのドラゴンの件であったな」
喧噪を避け、壁際に移動してどかりと胡座をかく。
集まってきたドワーフ戦士団の上級指揮官や、神妙な面もちの冒険者たちが王を囲むように腰を下ろすと、ボイルは不審そうに周囲を見回した。
「ところで、カザルフェロ戦士長は如何いたした? 姿が見えぬようだが」
これから行われるのは軍議だ。増援部隊の指揮官がいないのでは話が始まらない。
「あの番犬なら何人か司祭を連れて、さっき倒れた戦士たちの様子を見に行ってるぞ。すぐに戻ると言っていたが、呼び戻すか?」
銀毛の猫王が紫水晶の瞳で見上げる。
ボイルはすぐにかぶりを振った。
「ならばよい。戦士長の邪魔をしてはならぬ」
あの精神攻撃で倒れた戦士たちを癒せるとすれば、それはターバの司祭たちをおいて他にない。今は治療が先決というカザルフェロ戦士長の判断は正しかろう。
ボイルは改めて集まった戦士たちを見回し、重々しく口を開いた。
「魔神めをこの隧道に追い込んだのは失敗であったな。よもや眠っていた亡骸を邪法で操ろうとは。痛恨の過ちだ」
鎮魂の隧道は一本道で、しかも鎮魂の間で行き止まりになっている。
閉じこめるという一点では最良の選択だったが、結果だけを見れば裏目に出てしまった。
「確かにこれなら、表の大隧道で魔神だけを相手にしておった方が楽でしたな」
両手に余る数の屍兵を鎮めてきた戦士頭が、苦々しげに同意した。
今や魔神の前には同族の亡骸が壁をなし、謎の闇攻撃は防ぐ手だてすらなく、奥にはドラゴンまで待ち構えている。
下手を打てば、魔神にたどり着くまでに戦士団が全滅しかねない状況だった。
ドワーフたちが難しい顔をならべて唸っていると、それまで黙っていたライオットが口を挟んだ。
「陛下、そろそろ教えてもらえますか? あのドラゴンはいったい何だったんです?」
いささか余裕のない口調。
ほんのわずかな棘を感じてボイルが視線を向けると、先ほどまで軽口を叩いていた神官戦士は顔が青白く、血色も悪い様子だ。
疲労と言うより過労の領域で体を支えているらしい。
「そういえばそなたも、あの闇攻撃を2度浴びたのであったな」
自分自身も倦怠感に耐えられず、地面に腰を下ろしていたボイルが、口髭の下でにやりと頬をゆがめた。
「よかろう。そなたの治療の前に、まずはその話をしよう。一言で言えばな、あれは亡霊だ」
その言葉が浸透するのを待って、ボイルは話し始めた。
今から120年あまり前。
ボイルがまだ若い戦士であった頃、鉄の王国で拡張していた坑道のひとつが、巨大な空洞を掘り当てた。
不思議なことにその空洞には続く道がなく、それまでの幾星霜を外界と途絶した状況で過ごしてきたらしい。
では、神代から残されてきた遺物が眠っているのではないか?
喜び勇んだドワーフたちは大量の明かりを持ち込み、そして息を飲んだ。
空洞の壁面に、見上げんばかりに巨大なドラゴンが、雄々しく翼を広げていたのだ。
最初は壁画かと思った。
だが壁画にしては妙だ。外観を描くのではなく、レリーフのように骨格を浮き彫りにしている。
その姿は精緻を極め、今にも動き出しそうなほど現実感に満ちていた。
無数の松明に照らされて揺れるドラゴンの姿。勇気のある者が手を触れ、調査をしていくうちに、ドワーフたちはひとつの結論に至った。
これは壁画でも浮き彫りでもなく、ドラゴンの亡骸だ、と。
骨は気の遠くなるような歳月を経て石のようになり、鱗はかすかな模様として痕跡を残すのみだが、確かにここにはドラゴンが翼を広げていたのだ、と。
次に問題となったのは、竜の眠るこの空洞をどう扱うかという点だ。
このまま坑道として掘り抜くのは論外。
だが単に倉庫とするには忍びない。
さりとて、居住区画から遠く離れた鉱山区では、他の用途など思いつかぬ。
喧々囂々たる議論の末、とある老ドワーフの一言が全てを決した。
「ならば墓所とすればよい。わしらの眠りを妨げる者がないよう、このドラゴンが護ってくれるであろう」
老ドワーフの言葉は、実体のない観念論でしかない。
喜びの野に旅立った後、抜け殻となった体がどれほど重要なのかと考えた者もいる。
だが愛する家族に先立たれた者たちにとっては、この雄々しいドラゴンの姿は、墓所の守護者としてこの上なく相応しいものだと思えたのだ。
「かくして、ここは“鎮魂の隧道”と呼ばれるようになったのだ。我らが父祖の、そして壁に刻まれたドラゴンの魂が安らかならんことを願ってな」
ドワーフ族の中にも、その経緯はあまり知られていなかったらしい。戦士団の幹部も神妙に聞き入る中、ライオットがぽつりと呟く。
「化石竜、ってとこか……」
「ふん、なかなかうまい名を付ける」
ボイルが小さく笑う。
「まあ呼び方などどうでもよいが。あの魔神めは邪法で亡骸を操った。亡骸を操る邪法があるならば、それがドラゴンのものであっても操れるのではないか? そういうことだ」
まさしく邪法だ。同族同士で殺し合いを余儀なくされた、あの凄惨で救いのない光景を思い出して、ライオットは顔をしかめた。
勝つために、生き残るために魔神なりに必死なのかもしれない。ある意味では魔神も被害者と言える。
だが、人々を殺すためだけに存在する魔神との共存は不可能だ。そうでなくとも、かつて“石の王国”を滅ぼし、今も幾多の戦士たちを殺してきた魔神を許すつもりなどないだろうが。
撃退されてきた先陣の戦士たちから話が伝わり、今やドワーフ戦士団の戦意は沸騰状態だ。あちこちで怒りの叫びが上がり、武器を打ち鳴らして悲憤を露わにしている。
熱く刺々しい雰囲気の中、シンは傍らのルージュに問いかけた。
「ドラゴンの化石をゾンビ化って、そんなことできるのか?」
ルージュは首を横に振る。
「ふつうに考えれば無理だよ。《クリエイト・アンデッド》をドラゴンの死体に適用しようとしたら、体積だけで拡大1000倍だよ? そんなコスト誰にも支払えっこない」
だけど、とルージュは続けた。
現にドラゴンはいるのだ。
隧道を封鎖してからのわずか数日の間に、どこかの野良ドラゴンが《テレポート》で出現し、たまたま魔神と仲良くなって助太刀を買って出たという偶然を信じないのであれば。
「何とかズルをして呪文を通したって考えるのが自然じゃないかな?」
「消費精神点のことを考えたら、無限の魔法とか言ってる時点ですでにおかしいからな。敵はGMだ。魔晶石なり何なり、とりあえず消費は気にしなくていいだけの設定は組んであるんだろ」
「かくして竜は甦った、ってわけか」
シンが諦めたように苦笑する。
隣で壁にもたれて座るライオットが、厄介なことだ、と嘆息した。
「それと厄介ついでにもうひとつ。俺のこの盾だけどさ、例の闇攻撃が来る直前に、不思議な光り方をしたんだ。ボイル陛下も見ましたよね?」
「しかと見た」
いかに松明を焚いたとはいえ、隧道は薄闇の中だ。“勇気ある者の盾”が発した緑色の輝きは、多くの戦士たちが目にしていた。
「今までも魔力を発揮して攻撃を集中させたことはあったけど、あんな光り方は初めてだ。それで思い出した。この盾には、もうひとつ特殊効果がある」
ロードス島に来てからの数ヶ月間を連れ添ってきた愛用の盾を眺めながら、ライオットは意味ありげに言った。
「敵のブレス攻撃を100%集中させるんだ。必ずこの盾の使用者を標的にする、と明記されてる。例外はない」
ブレス攻撃、と聞いて、シンとルージュが顔を見合わせる。
あの闇攻撃が何であったのか、今の段階で断定する材料はない。だが仮に、あれがドラゴンゾンビのブレス攻撃であったなら。
盾が何らかの魔力を発動した理由も、2度ともライオットを狙った理由も、そしてライオットが退がった途端に攻撃が止んだ理由も、すべて説明できてしまう。
「なるほど。ドラゴンどもが吐く炎のブレスは、身体に宿した火の精霊力の象徴だからな。あのドラゴンがゾンビだというなら、負の精霊力を持ったブレスを吐いても不思議じゃない」
ルーィエが尻尾を揺らしながら肯定すると、シンは心底面倒そうに顔をしかめた。
「つまりあれか、何とか魔神に肉薄して討ち果たしても、あの闇攻撃はなくならない可能性が高いってことか」
今後の展開として、一点突破からの強襲を考えていたのだろう。
だが魔神と戦っている最中に、背中から闇ブレスを吐かれたのではたまったものではない。
「やれやれ、まるでイゼルローン要塞を攻めあぐねる同盟軍だな」
シンが隧道の天井を仰ぎながら慨嘆する。
大軍を展開できない狭隘な回廊。
圧倒的な長射程と破壊力を誇る要塞主砲。
味方の要塞攻略を阻害する敵艦隊。
まさしく数百万の屍を積み上げてきた同盟軍と同じ状況だと言えよう。
すると、ライオットが何かを思いついたように呟いた。
「……そうか、敵はイゼルローンか」
シンの言葉がもたらした閃きは、バラバラだったピースを組み上げるように、脳裏に勝利への地図を描き出していく。
現段階で最大の問題点は、闇攻撃を打開する方法がないことだ。
逆に言えば、闇攻撃さえ何とかできれば、問題の大半は片づいたも同然。あとはボイル王の希望どおり力押しに押し込んで、魔神の首を跳ねれば済む話なのだ。
「何か思いついたようだな」
ボイルが顎髭をしごきながらライオットに言う。
この神官戦士の考える策は決してドワーフ好みではないが、有効なのは間違いない。このまま正面から突撃するよりは、はるかにマシな結果をもたらすだろう。
「ええ。イゼルローンは、魔術師がいれば陥とせることになってるんです。偉大なる先人に学びましょう」
ライオットは悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべた。
要諦は2つだ。すなわち要塞主砲の無力化と、要塞と艦隊の分断。
しかる後にまず要塞を落としてしまえば、艦隊戦力の撃滅など何の造作もない。
戦士たちの注目を浴びながらライオットは即興の策を披露していった。
和製スペースオペラの金字塔、その中で最も有名な作戦の丸パクリだ。解説が進むにつれて、次第にルージュの表情が険しくなっていく。
「私は反対。危険すぎるよ。それだと、もしライくんに万一のことがあっても、フォローできる人が誰もいないじゃない」
「背中を支えるだけがフォローじゃないよ。俺は“砂漠の黒獅子”と“奇跡の紡ぎ手”を信じる。だから俺を信じろ。意地でも終わるまで耐えきってみせるから」
そうやって俺たちは戦ってきたんだろ、とライオットが微笑むと、ルージュは反論を封じられて黙り込んだ。
表面上は一か八かの賭けにも思える。
だが、それぞれが得意分野できっちりと役目を果たせば、光の見えない状況をひっくり返す起死回生の一撃となるのは間違いない。
「わしは賛成だ。そなたらに異存がなければ、さっそく戦士の選抜を始めるが?」
どうやら好みの作戦だったらしく、ボイルはにやりと唇をゆがめて歯を見せた。
周囲の戦士たちも同様だ。緒戦はわけの分からない闇攻撃に翻弄されるままだったが、次はまともな戦いになると察して、旺盛な士気を込めた目で冒険者たちに注目している。
「勝算は?」
沸き立つ周囲に流されることなく、シンは冷静に問いかける。
「8割ってとこか。10ラウンドまでは保証する。あとはそっちの殲滅スピード次第だな」
ライオットは即答した。
8割。
成功率としてはかなり高く見積もっているようだ。
だが、10回戦えば2回は死ぬという確率を、許容するか否か。
明確に反対を表明したルージュの視線を浴びながら、シンがじっと考え込んでいると。
「ボイル王! 一大事です! 戦士たちが司祭を襲っておりますぞ!」
あわてふためいた老ドワーフが、耳を疑うような報告を持って転がり込んできた。
「……は?」
にわかには内容を理解できず、ライオットが眉を寄せて問い返す。
老ドワーフは腕に包帯を巻いているから、後方の大隧道で治療を受けていた戦士なのだろう。
だが何と言った?
ドワーフの戦士が、ターバの司祭を襲っていると言ったのか?
「ありえないだろ……」
シンが思わず苦笑をもらした。
鉄の王国とターバ神殿は完全な友好関係にある。しかも今は上位魔神を相手に共同戦線の真っ最中だ。
今ここで仲間割れをする阿呆がどこにいるというのか?
老ドワーフの報告は非常識を通り越して荒唐無稽と言うべきだ。むしろ本人の錯乱を疑った方がいい。
「おい、治療用の火酒で酔っぱらってるんじゃないだろうな? 本番はこれからなんだ。とりあえず顔を洗って出直してこい」
ルーィエも呆れ果てた声でばっさり切り捨てる。
今回ばかりはボイル王も同感だったらしく、巌のような顔にしかめつらしい表情を浮かべて、老ドワーフに詰問するような声を向けた。
「わしには理解しがたい状況だな。もう一度言ってみよ」
どうやら信用してもらえないらしいと悟って、老ドワーフはしゃかりきになって声を荒げた。
「王よ、私の言葉が信じられなくとも、ご自分の目なら信じられましょう! ともかく一緒に来てくだされ! 闇に飲まれて倒れたはずの戦士たちが、突然動き出して司祭たちを襲っておるのです! あれではまるで……!」
それを聞いて、シンの脳裏に雷光が走った。
どうして実直なドワーフ族が嘘をつくなどと思ったのか。無駄にした数秒を後悔しながら、弾かれたように立ち上がって仲間たちに号令する。
「行くぞ!」
緊迫した様子に驚いて見上げるドワーフたち。
だがライオットとルージュは事態を察知し、シンにほとんど遅れずに武器を取っていた。
これはもう知識と経験の差だ。アンデッド・モンスターの中には、精神攻撃で殺した相手をアンデッド化させてしまう能力の持ち主がいる。
あの闇攻撃も、おそらくそれに近い状況を生み出したのだろう。
だとすれば、戦士たちの生存は絶望的なだけでなく、懐に敵を入れてしまったことになる。
「ライオット、倒れた戦士は全部で何人だった?」
「12人」
第1陣のドワーフ戦士たちは精鋭中の精鋭だ。ターバの神官戦士団では荷が重かろう。
それ以上の言葉は不要だった。シンたちは老ドワーフを置き去りにしたまま、全速力で大隧道へと駆け出した。
「まさかレイリアも一緒にいないだろうな!」
「そう祈れ!」
「ルーィエ! あなたも来て!」
「当たり前だ。半人前だけに任せておけるか」
大声で言葉を交わしながら走り去っていく冒険者たち。
その後ろ姿を見送りながら、ボイルは改めて老ドワーフに問いかけた。
「それで? まるで何のようだったのだ?」
あの過敏な反応を見れば、おおよその見当はつく。あくまでも確認のつもりだった質問には、予想どおりの答えが返ってきた。
「まるで、魔神に操られた亡骸のようでございました」
「……そうか。ならば、迷わぬように送ってやらねばならぬな」
ボイルは目を伏せ、またしても増えた犠牲に哀悼の意を表する。
そして再び顔を上げたとき、その瞳には爛々と怒りが燃えていた。真銀のハルバードを握り、力強く大地に打ちつけると、周囲の戦士たちに下命する。
「ひとりとてターバの司祭たちに犠牲を出してはならぬ。参るぞ」
「はっ!」
ボイルが周囲の戦士たちを引き連れて大隧道に戻ろうとした、そのとき。
今度は壮絶な地響きが隧道全体を揺るがした。
軋んだ天井から砂埃が降りそそぎ、地面が震えて土煙が舞う。
突然の出来事に右往左往する戦士たちを、ボイルの怒声が張り飛ばした。
「うろたえるな! 今度は何事だ?! 持ち場を確認して報告せよ!」
混乱は広がる前に収拾され、戦士たちは緩んだ緊張の糸を張りなおして周囲に目を配る。
ほどなくして2度目の地響きが隧道を襲うと、最前線で異変が起きた。
「ボイル王! 瓦礫の壁が!」
戦士たちから悲鳴のような報告が上がる。
貴重な炎晶石を湯水のように使って岩盤を砕き、天井を落として作った封鎖線。
その瓦礫の城壁が、向こう側から激甚な打撃を受けて崩されているのだ。
まるで破城鎚のように、繰り返し襲いかかる衝撃は隧道全体を揺らし、瓦礫の壁とドワーフたちの平静を着実に削ぎ落としていく。
もう長くは保たない。
誰の目にも明らかな事実を認識して、ボイルは皮肉っぽく嘲った。
「そうよな。我らが手を出すまで大人しく待っている道理もなかったか」
魔神にしてみれば、ドワーフ戦士団が混乱しているうちに追撃を仕掛けるのは当然のこと。のんびり休憩している場合ではなかったのだ。
「まあよい。魔神めが出てくるのであれば、奥まで突撃する手間が省けたというもの。あとはここで首を跳ねるだけの話よ」
そんな言葉で自分を慰め、瓦解した作戦を諦める。
そしてボイルは、またしても浮き足だった戦士たちを叱咤するべく、腹一杯に息を吸い込んだ。