シーン6 鎮魂の隧道
「死してなお魔神になぶられるか。さぞ悔しかろう。そなたらの無念、決して忘れぬ」
ボイル王が眦をつり上げ、食いしばった歯の間から地鳴りのようなうめき声を絞り出す。
次の瞬間、銀色の暴風が屍兵を袈裟掛けに両断し、魔神に操られてさまよい出てきたドワーフの亡骸は隧道に崩れ落ちた。
緩慢な動作。
単調な攻撃。
朽ち果てた亡骸には、もう武器を使いこなすような知性も、痛みを感じるような意識も残っていない。
肉体をバラバラにされるまで動き続けるしぶとさが唯一の取り柄だが、それとてドワーフたちの戦斧の前では問題にならなかった。
最前線に列ぶ戦士たちは弩弓を戦斧に持ち換えると、まるで竜巻が麦畑を蹂躙するように、容赦なく屍兵を刈り倒していく。
負ける要素などどこにもない、一方的な展開だ。
だが、変わり果てた姿の同族を血泥に沈めていくその戦いは、確実に戦士たちの正気を磨耗させていった。
彼らにとって、この屍兵は単なるモンスターではない。
祖父や祖母かもしれない。友人かもしれない。丁寧な葬儀で喜びの野へと送り出し、心安らかに眠ってもらうべき同朋なのだ。
「死者を冒涜するにもほどがある……!」
ライオットが吐き捨てる。
前線で戦っている戦士たちの胸中を思うと、言葉にできない怒りで臓腑が焼けるようだった。
「ボイル王、ここは俺たちが前に……」
シンも同じことを感じたらしい。
自分たちにとっては見知らぬ他人の亡骸だ。ドワーフたちが相手にするよりは心も痛まない。そう言って配置の交換を申し出ると、ボイルはシンに血を吐くような怒声を叩きつけた。
「引っ込んでおれ! 我らが同朋の亡骸を1体とて貴様らの手に掛けてみよ、絶対に許さぬぞ!」
血走った目でシンをにらみ、その動きを止めると、ボイルは再び正面の屍兵に向き直る。
明確な拒絶。これは意地であるとともに、第二の弔いなのだ。シンたちが手を出したのでは、単なるアンデッドモンスターの退治で終わってしまう。
彼らが怪物だなどと、断じて認めるわけにはいかなかった。彼らが誰で、どういう存在だったのか、それを知る自分たちの手で葬ってやらねば意味がない。
同族の亡骸は、自分たちの手で再び眠りにつかせる。その強い意志を込めて、戦士たちは戦斧を暴風のように振り回し、当たるを幸い薙ぎ倒していった。
腕を切り落とし、首を跳ね、胴を両断して動きを止める。凄惨極まる戦いは一方的に進み、ドワーフ戦士団はみるみる戦線を押し上げていく。
「ひどすぎる。このまま戦ったって誰も幸せになれないよ。《ファイアボール》か何かで荼毘に付してあげたら駄目かな?」
ルージュは冗談めかそうとして失敗し、声に悲痛な本音が滲んだ。
水袋が割れるような、にぶく湿った音。
飛び散る腐汁、胸の悪くなる腐敗臭。
オレンジ色の薄闇に照らされるのは、腐乱したまま動きまわる亡骸の群れ。
もはやリアル肝試しを超越し、リアルバイオハザードと呼ぶべき状況だ。
ドワーフたちの内心もさることながら、暗いところと怖いものが大嫌いなルージュにとっても、この世の地獄と表現すべき様相を呈している。
もし自分が最前線に立っていたら、なりふり構わず魔法をまき散らしただろう。それだけは自信がある。
「気持ちは分かるけど、ボイル王に斬られたくなければやめておいた方がいい」
妻の内心をほぼ正確に洞察しながら、ライオットが自分にも言い聞かせるように肩を叩いた。
せめて暗い方だけでも何とかしようと、ルージュがそこら中に《ライト》の魔法を飛ばしていく。
薄闇を魔法の明かりが駆逐すると、陰惨な光景も敵の陣容も、彼らの目に明らかになってきた。
屍兵の数は少なく見積もっても100は下るまい。
隧道の奥、“鎮魂の間”と呼ばれる広間まで点々と屍兵が連なり、不気味なうめき声を上げながら、鈍重な足取りでこちらに向かってくる。
敵は大群だが、逆に言えばそれだけ屍兵に依存しているということだ。
ライオットに言わせれば好都合だった。屍兵を無駄にすりつぶしたくはないだろうから、無差別攻撃型の範囲魔法は、しばらく心配しなくて済む。
「それはどうかな? ドワーフたちの実力だと、壁を削りきるのにそれほど時間は必要ないぞ」
シンが疑義を呈する。
相手をしているのが数名単位の冒険者ならば、100のゾンビで相当な時間が稼げるかもしれない。
だがここにいるのは“鉄の王国”の最精鋭だ。実力でも数でも敵を圧倒している。
「この状況は長くは続かない。あと10分はかからないはずだ。壁がなくなる前に、敵だって勝負をかけてくるんじゃないか?」
シンの言葉どおり、ボイル王に率いられたドワーフ戦士たちは、鎧袖一触とばかりに屍兵を殲滅しながら進んでいく。
嫌な戦いなのは間違いないだろう。だがその怒りを力に変えて、彼らは常識はずれの突破力を発揮していた。
「ボイル王の話だと、この先は“鎮魂の間”で行き止まりだ。そこに入るときが勝負だな。でかいのが一発来るはずだから、それを無力化して乱戦に持ち込めばこっちの勝ちだ」
「リーダー、無力化って簡単に言うけどさ……」
ルージュが小さくため息をつく。
今のルージュには、発動した魔法を無効化する手段はない。
となれば、発動前に介入して敵を黙らせるしかないのだが、この状況で最前線に出ていけば、ボイル王に何をされるか知れたものではなかった。
(あの脳筋樽、完全に頭に血が上ってるからな。今のあいつは野獣と同じだ。本能に駆られてるだけで、理性的な判断は期待できないぞ)
精神感応でつながったルーィエが、やれやれと言わんばかりに鼻を鳴らした。
(この際、いい薬だ。最初の一発はあいつらに受けてもらって、頭が冷えたところでお前らが出て行ったらどうだ? 敵は調子に乗ってるだろうし、脳筋樽どもは混乱中。ちょうどいい奇襲になるんじゃないか?)
ルージュがその提案を通訳する。
ドワーフたちの犠牲を度外視すれば、純粋に戦術として有効なのは間違いなかった。
そもそも、瓦礫突破後に敵の先制攻撃を受けることを想定して、第1陣は編成されているのだ。その役目を果たしてもらうと考えれば、想定どおりの展開でもある。
ライオットはその誘惑に内心よろめいたが、寸前で踏みとどまって首を振った。
もしこれで5人死ねば5人分の、10人死ねば10人分の命。助けられるのに助けないのでは、ライオット自身が殺すのと変わらないではないか。
「それは駄目だ。後で思い出したとき後悔が残るようなやり方は、何よりもまず自分のためにならない。今できることは全部やるべきだ。心安らかに過ごせる自分自身の未来のために」
人は誰だって、思い出すだけで叫び回りたくなるような黒歴史を抱えているだろう。
もう一度その場面に戻ったら、絶対に同じ選択はしないと心に誓えるような後悔。人は失敗にしか学べない生き物だが、一度後悔して学んだのなら、わざわざそんな黒歴史を増やす必要はない。
「俺の尊敬する人が言っていた。道に迷ったら、3日後でも1年後でもいい、未来の自分を想像しなさい。その時に胸を張って生きている方の道を選びなさい、ってさ」
めずらしく真面目な台詞を吐くライオットに、ルージュが目を瞬かせて黙り込む。
するとシンも、憑き物の落ちたような顔でうなずいた。
「そうだな、行こう。この際一時的に恨まれたって構うもんか。進むか止まるか悩んだら、とりあえず進めって俺は習った」
自分たちは何のためにここにいるのだ?
無駄な犠牲者をひとりでも減らす為に、策を考え、行動してきたのではなかったか?
シンたちがいればうまくいくと、瓦礫の向こうでレイリアは信じている。
できることは全てやると、絶対に手を抜かないと、ボイル王やギムに約束したではないか。
だったら何も迷うことはない。
前線に出て自分たちのスペースを確保し、魔神に介入する。そう方針を決めたとき、ルーィエから再び念話が届いた。
(いいか、もうすぐ《トンネル》が閉じる。番犬が言うには、その前に交代部隊30人を送り込むそうだ。脳筋樽の説得はそっちでやっておけ)
ルージュの通訳に、ライオットが即断する。
「ちょうどいい。その第2陣と一緒に前線に出よう。ボイル王には一度引っ込んでもらって、第3陣の指揮を依頼する。嫌だって言うなら戦士団に力ずくで連行させればいい」
短時間で交代というのは、今回の作戦の要として全部隊に徹底してある。戦士団も今さら拒否はするまい。
第2陣で屍兵を完全に排除し、魔神の一撃を阻止して“鎮魂の間”への突破口を開く。
そこで再度交代し、第3陣で広間へ突入すれば、ボイル王の顔も潰さなくて済むだろう。
積み木を重ねるように戦術を構築していくライオットに、シンは無条件でうなずいた。
「それでいこう」
ルージュが念話でルーィエに対応を伝えている間に、ライオットはボイルに駆け寄って交代を告げる。
最前列でハルバードを振るっていたボイルは、ライオットの言葉にあからさまな舌打ちで応じた。
「引っ込んでおれと申したぞ。わしらはまだまだ戦える。重傷を負った者もおらぬし、口出しは無用だ」
先日の魔神相手の激戦に比べれば、この程度は前座にもならない。
そう言って交代を拒否したボイルに、ライオットは粘り強く声をかけた。
「この程度で苦戦はしないでしょうが、全員が無傷というわけでもありません。変な腐毒が回っても困るし、傷は小さいうちに癒しておくべきです」
怪我をした部下の面倒を見るのは指揮官の勤めだ。敵を倒すことは重要だが、犠牲を減らすことだって同じくらい大切なはず。
そもそも“鉄の王国”は、戦士たちの犠牲を減らすためにターバに増援を求めたのではないか。
そう進言すると、ボイルは渋々とうなずいた。
「やむをえん。そなたの策を受け入れたのは我らだからな。第1陣は下げるとしよう」
「言っておきますが陛下、自分だけ残るっていうのは駄目ですからね。いったん向こう側に戻って、次は第3陣の指揮を執ってもらいます。第3陣の任務は魔神への突入です。彼らの弔いは第2陣に任せてください」
「……よかろう」
食えない男だと言わんばかりの一瞥をくれると、ボイルは配下の戦士に前線を任せ、ようやく後列に退いた。
退くのは気が進まないが、次こそは魔神と直接刃を交えられる。そう思えば我慢できないことはない、といった心境なのだろう。
ちょうど、後方では《トンネル》から続々と増援の戦士たちが出てくるところだった。
第1陣が一方的に押しまくったおかげで“鎮魂の間”まではもう指呼の距離だ。
背後の《トンネル》出口側には広大なスペースが確保できている。屍兵たちの圧力もほとんどないし、交代はスムーズに進むだろう。
そんなことを考えながら、ボイル王と並んで交代の指揮を執っていると。
不意に、ライオットの持つ“勇気ある者の盾”で緑柱石が輝いた。
今まで見たこともない魔法の光。
怪訝そうなボイル王が何かを言いかけたとき、理屈を超越した悪寒がライオットの背筋を駆け上がった。
「来るぞ!!」
とっさに怒鳴る。
スーヴェラン卿の屋敷で、炎の精霊王を見上げたときと同じ感覚だ。緊迫感にあふれたライオットの叫びが隧道を震わせ、それを聞いた戦士たちが身構える。
刹那。
隧道の中央部に、闇の奔流がなだれ込んだ。
魔法の明かりを塗りつぶすように、黒々とした闇が殺到する。それが何なのかと考えるいとまもなく飲み込まれ、ぐらりと視界が揺れた。
強烈な目眩と浮遊感。
立ちくらみに似た症状だが、その強さは桁違いだ。闇はライオットの魂を容赦なく削り取り、意識を深淵へと引きずり込もうとする。
目を開けているはずなのに視界は真っ黒だった。三半規管が上下左右にゆさぶられ、ともすれば精神が肉体から振り落とされそうだ。
だめだ、ここで意識を手放したら死ぬ。
間違えようのない事実にぞっとするような恐怖感を覚えて、ライオットは必死で細い糸にしがみついた。
永劫にも思える時が過ぎ、やがて、黒一色だった視界に光が戻ってくる。
莫大な労力を費やしてうっすらと目を開けると、自分が盾に取りすがっているのが分かった。
いつの間にやら膝をついていたらしい。
遠くから戦士たちの怒号が聞こえてくるが、何を言っているのか分からない。
顔をしかめて辺りを見回す。
隧道に展開していた戦士たちのうち、中央部を担当していた10人あまりが地面にうずくまっている。中には意識を失って倒れた者もいた。体を起こしているライオットはまだマシな部類らしい。
「魔神めが、不可思議な術を使いおって……」
隣でボイル王がうめく。
ハルバードを杖のように突いて何とか立っているが、額には脂汗が浮かび、声にも覇気がない。
ライオットが震える膝を叱咤して立ち上がった時、頭上をルージュの魔法が駆け抜けた。
純白の閃光。空気を焦がす鋭い音。上位魔神の首すら消し飛ばす必殺の《ファイアボール》だ。
魔法は屍兵たちの頭上も素通りして“鎮魂の間”に到達。そこに炸裂して炎と破壊をまき散らした。
鈍い振動が隧道全体を揺るがし、白い炎が周囲を焼き払う。
熱波に巻き込まれた何体かの屍兵が、黒焦げになって宙に舞い、壁に叩きつけられて動きを止めた。
「手を出すなって言われてたけど、もうそんな状況じゃないからね」
ルージュは魔法樹の杖を掲げたまま、冷厳とした口調で介入を宣言する。
だがライオットもボイルも、視線は隧道の奥に釘付けになっていた。
ルージュの炎が照らし出した“鎮魂の間”。
一瞬だけそこに浮かんだシルエットは、圧倒的な存在感で己を誇示しているように見えた。
全高20メートルに近い巨体。
ずんぐりした胴体と細長い首。
まるで鰐のように牙の並んだ顎。
胴体から生える、大きな1対の翼。
世界最強の生物種としてあまりにも有名な存在が、確かに“鎮魂の間”に君臨していたのだ。
「ドラゴン……?!」
まともに回らない理性が、呆然とその名前を紡ぎ出す。
できれば信じたくない光景だった。
あまりのことにライオットは立ち尽くしたが、状況は余計な時間など与えてくれない。
再び闇に隠れた“鎮魂の間”から、岩と岩とをこすり合わせるような重い咆吼が響いてくると、再びライオットの盾で緑柱石が輝きを放った。
何が起こるか考えるまでもなかった。
神経を走り抜けた緊迫感が、重く体を覆う疲労や目眩を吹き飛ばす。
「もう1回くるぞ! 気合いを入れろ! 気を抜くと死ぬぞ!」
“勇気ある者の盾”を真正面にかざし、ライオットが両足を踏ん張って怒鳴った。
「闇の攻撃は通路の端には届かないから! みんなは壁際によけて!」
ルージュが後ろから叫ぶ。
その具体的な言葉は、混乱した部隊に示された唯一の指示だった。
戦士たちは本能に従って、ルージュの言葉どおり隧道の左右に待避していく。中央に残ったのはライオットとボイル、それに倒れて動けない戦士たちだけだ。
「ボイル王!」
それは誰の叫びだったのか。
続く言葉をかき消すように、再び漆黒の激流が隧道を蹂躙した。
かろうじて間に合ったルージュの防御魔法がふたりの体を包むと、ライオットとボイル王は正面を睨みつけたまま、闇の中へと飲み込まれていった。
ライオットの持つ魔法の盾には、敵の攻撃を集中させるという特殊効果がある。闇の奔流からドワーフの戦士たちを待避させるため、ライオットはあえて動かずに攻撃範囲を固定しているのだ。
おそらくこの闇は、精神点攻撃の一種なのだろう。何の外傷も破壊ももたらさないまま、戦士が行動不能になって倒れたのだから他には考えられない。
「いったん引こう」
ルージュが唇を引き結んでライオットのいた場所を見つめていると、シンがその背中に声をかけた。
本来なら、ライオットが攻撃を引き受けている間に、シンとルージュで敵を撃破しなければならないのだ。それは充分すぎるほど分かっている。
だが現状、シンたちには打つ手がなかった。精霊殺しの魔剣は言うに及ばず、ルージュの魔法でさえ敵が有効射程に入っていないためだ。
敵に接近するためには屍兵の布陣を突破しなければならないが、ドワーフ戦士団は闇攻撃で大混乱。
その反面、精神攻撃無効の屍兵には何の影響もないため、構築した戦線は中央から崩されて完全に崩壊していた。
少なくない数の戦士たちが無力化され、その数はこの2撃目でさらに増えるだろう。
何の対策もなく突入するなど愚の骨頂だ。頭突きの他にも使い道があると自負する頭なら、死ななくていい命を無駄に使い捨てるなど許容すべきではない。
「今はとにかく時間が必要だ。負傷者を治療して、体勢を立て直して、頭を冷やす。勝負はそれからだ」
隧道の中央部を薙ぎ払った闇の奔流は、拡散するように薄れると次第に消えていく。
少しは《カウンター・マジック》の効果があったのか、ライオットとボイルは微動だにせず姿を現したが、他の戦士たちはほとんどが地面に倒れていた。
「やれやれ、いいようにやられたな」
視界と意識を覆ってた闇が吹き流されると、ライオットは大きく息をついて肩を鳴らした。
隧道の両翼は戦士たちが保持しているが、中央部はもはや壊滅状態だ。屍兵が不気味な声を上げながら浸透してきて、ライオットとボイルはすでに半包囲されている。
「して、どうするのだ? 何か策はあるか?」
杖のように突いていたハルバードを構え直し、ボイルが前を見据えたまま問いかける。
「ないって言ったらどうします?」
「知れたことよ。突撃して魔神の首をはねる」
「あれを2発も食らったのに、ずいぶん元気ですね」
「戯言を言っている場合ではない」
「ごもっとも」
そこまで言うと、ライオットは右手の剣を一閃した。正面から襲いかかってきた屍兵の腕が両断され、どろりとした腐汁を引いて飛んでいく。
横ではボイルのハルバードが大きな円弧を描き、3体の屍兵をまとめて腰断した。下半身に引きずられるようにして上体がぐるりと回転し、濡れた音をたてて地面に落ちる。
ふたりとも、精神力を闇に削り取られて相当に疲弊しているはずだが、その様子など微塵も感じさせない動きだった。
「とりあえず突撃は却下で。それよりあの影は何だったんです? ドラゴンにしか見えませんでしたけど」
片手では打撃力不足と判断したのか。ライオットは愛用の盾を背後に放り捨て、魔剣に炎を纏わせると、両手持ちにして振り回した。
これで打撃力30。早さと鋭さに重さを加えた斬撃は、圧倒的な破壊力を発揮して屍兵を打ち倒していく。
「おそらくドラゴンで間違いあるまいよ。正体に見当はつく。話すと長くなるぞ」
「ともかく、一度撤退を。どうせ今の俺たちでは満足に戦うこともできません。ちょっと休憩する間に、その話は全部聞かせてください」
「……よかろう」
屍兵相手ならいくらでも戦って見せよう。
だが、今の状態で魔神と刃を交えるなど無謀だ。それはボイルが一番よく分かっている。
ボイルが退却を決断したとき、後方で戦士たちの喚声が上がった。
「おのれ、魔神めが!」
「進め! わしらの手で首を上げてくれようぞ!」
ルーィエの《トンネル》から出てきた第2陣の戦士たちが、あまりの惨状に憤激して、武器を手に戦闘を始めたのだ。
中央部から浸透してきた屍兵を蹴散らし、地面に沈めながら戦線を押し戻していく。
闇攻撃さえなければ、ただの屍兵などドワーフ戦士たちの敵ではない。崩壊した戦線は瞬く間に修復され、戦士たちは孤立していたボイル王とライオットを自陣に取り込んでしまった。
「王よ、ご無事で何より」
「うむ」
第2陣を指揮していた戦士頭が様子を見に来ると、ボイル王はうなずきながら矢継ぎ早に指示をとばしていく。
戦線の構築と負傷者の搬送。それに撤退の準備だ。
やるべきことは多いが、一刻の猶予もない。いつまた闇攻撃が飛んでくるか分からないのだから。
その様子を横目で見ながら、シンとルージュがライオットに駆け寄った。
「ライくん、大丈夫?」
「最初のは効いたよ。2回目はどうってことなかったけどな」
全身を蝕む疲弊を隠して、心配そうな妻ににやりと笑ってみせる。
「あの闇は精神点攻撃だな。抵抗に成功すればほぼノーダメージだから、たぶん威力半減じゃなく0レーティングまで落ちてると思う」
「とりあえず引くぞ。落ち着いて作戦を考えないと、ここの突破は無理だ」
シンが言う。
「分かってる。ボイル王もそのつもりだよ。俺たちが殿軍に残れば、撤退はスムーズにいくだろ」
第1陣の戦士たちは、負傷者に肩を貸しながら順次撤退を始めている。闇攻撃に晒されて意識のない者も、数名がかりで担いで後送していた。
ルーィエの《トンネル》が切れれば、ここは敵地に孤立してしまう。取り残される者が出ないよう、撤退は慎重を期さなければならない。
「こっちの心配はもういいから。殿軍は俺に任せて、お前はもう引っ込め。その盾を持って前に出ると、またあの闇攻撃が飛んでくる気がする」
シンが地面に落ちた“勇気ある者の盾”をちらりと見る。
「む……」
引っ込めと言われても納得できないが、シンの言葉に反論できる材料がない。
ライオットは言葉に詰まった。
敵の攻撃を牽引する、という効果を持つ魔法の盾。
使いようによっては便利な道具だが、この狭い隧道の中、範囲攻撃を誘発させるとあっては迷惑きわまりない。
そんなもの無い方がいい、という考え方には同意せざるを得なかった。
「向こうに戻ったらレイリアに《トランスファー》してもらって、精神点を補充しとけ。どうせ次は最前線だ。ちゃんとフル満タンにするんだぞ」
シンはそう言って戻るように促したが、ライオットは困惑顔で立ち尽くしていた。
自慢ではないが、こと防御力に関してはこの場の誰よりも上であるという自負がある。撤退戦をやるなら、壁になるのは当然ライオットであるべきなのだ。
それなのにボイル王や戦士たちを残して、自分だけ真っ先に後退などと。
性に合わないこと甚だしかった。
「だったらさ、盾は持たないで残ればいいだろ?」
苦しまぎれに絞り出した言葉は、呆れた様子のシンに一蹴された。
「他の奴にその盾を持たせる気か? 危ないからやめろ。何かあったらどうするんだ?」
並レベルの戦士が盾の魔力で集中攻撃を受けたら、どんな事故が起こるか想像に難くない。
この魔法の盾は、鉄壁の防御力を誇るライオットが持つからこそ意味があるのだ。
「もういいから、さっさと行け。こっちは大丈夫だ。ゾンビ相手に苦戦するほど俺たちは弱くない」
無駄な議論を打ち切るように、シンがぴしゃりと断言する。
これ以上は時間の無駄。今はそんなことをしている場合ではない。
ボイル王と戦士頭の指揮で、ドワーフたちは少しずつ前線を下げている。ここに残っていても邪魔になるだけだ。
無言で結論を突きつけるシンの眼差しに、ライオットは大きく吐息をもらした。
「……分かった。後は任せた」
落ちていた盾を拾い上げると、迷いを振り切るように身をひるがえす。
ライオットが撤退する戦士たちに混ざり、ルーィエの《トンネル》へと姿を消すと、ようやくルージュの顔に安堵が浮かんだ。
まったく、精神点攻撃というのは厄介だ。目に見える傷がないため、どの程度弱っているのか他人には判断できない。
「ライくんって弱音を吐きたがらない人だから」
「めったに愚痴も言わないしな、あいつは」
あの闇攻撃を受けて、種族特性で精神点20を超えるはずのドワーフたちが、為すすべもなくバタバタと倒れていったのだ。
それを真正面から2度も浴びたライオット。表面上は平静を装っても、中身まで平気なはずがなかった。
「レイリアさんには、最優先で《トランスファー》してもらわないと」
「どうせ自分では言い出せないだろうから、俺たちから頼んでおこう」
そんなことを言いながら、戦士たちに合わせて後退していく。
撤退戦は順調だ。
あれ以降は闇攻撃も来ないため、戦士たちは余裕を持って屍兵をあしらいながら戦線を下げていく。
後ろを見れば、もう負傷者も残っていないようだ。ここにいるのは第2陣の戦士が20名程度、それとボイル王、シン、ルージュだけ。
あとは仕上げを残すのみだった。
「じゃ、最後に一発かまして、逃げ出すとしようか」
戦士たちを一気に下げ、その間隙に魔法を叩き込んで屍兵を一掃する。その間に全員で《トンネル》を抜けるのだ。
「了解。リーダー、タイミングはよろしく」
ルージュは《トンネル》の脇まで下がると、魔法樹の杖を構えて呪文の詠唱を開始した。
今度は魔晶石を使い潰すような拡大はしない。どうせ相手は屍兵のみ。素の発動で十分だ。
上位古代語の旋律が隧道に響き、それに気づいたボイル王がシンと視線を交わしながら撤退の機を計る。
ルージュの魔力が高まるにつれ、隧道に風が巻きだした。
マナを封殺する構成を放棄したため、強大な魔力に圧縮されたマナが溢れ、目に見える形で干渉を始めたのだ。
真紅の輝点がひとつ、またひとつとルージュの頭上に現れる。
「ボイル王! 今です!」
ルージュの視線を受けて、シンが合図を出す。
ボイルは大声で最後の号令を下した。
「退却だ! 全速力で走れ!」
目の前の屍兵に最後の一撃を打ち込むと、次が来る前に戦士たちはきびすを返した。
今までのような秩序を保った後退ではない。我先にと逃げ出すような勢い。事情を知らない者が見たら総崩れと評しただろう。
だが、今はそのスピードが必要なのだ。
屍兵の鈍重な足取りでは戦士たちに追いつけず、敵味方の間に広い空間が生じる。
戦士たちが駆け抜けていくのを横目に、ルージュは生み出した火球をさらに圧縮していった。
前線を支えていたドワーフの姿がなくなると、不気味なうめき声を上げながら迫る屍兵が視界いっぱいに広がる。
恐怖感と嫌悪感に心臓を握りつぶされそうになりながら、ルージュは高らかに呪文を完成させた。
『万能なるマナよ、破壊の炎となれ!』
その言葉は撃鉄となってマナを打ち、ルージュの準備した火球が一斉に撃ち出された。
計算された着弾点によって、破壊範囲は隧道全体をくまなく覆っている。狭い空間に爆発の轟音が幾度も反響し、隧道に咲き乱れた炎の華は、前後左右から容赦なく屍兵に襲いかかった。
腐乱した肉体を瞬時に焼き尽くされた屍たちが、揺らめく炎の向こう側で力つき、次々に倒れていく。
それは納棺された遺体が荼毘に付される光景と同じだ。
炎の魔法を選んだのは、ルージュなりの弔いだった。
「圧倒的だの……」
理不尽な破壊をまき散らす古代語魔法の猛威に、ボイルは苦い表情で沈黙した。
神官戦士団が魔神を撃退した、炎晶石による飽和攻撃。
それと変わらぬ破壊を、この娘はただのひとりでやってのけた。
かくも魔術師というのは恐ろしい。この炎の嵐の中に入れば、ボイルとて生き残るのは厳しかろう。
「よし、じゃあ逃げようか。あと10も数えれば《トンネル》が塞がるってルーィエが言ってる」
魔法樹の杖を下ろし、ルージュがシンたちを振り返る。
2回戦目もこちらの負けだ。
行き当たりばったりで突入して、敵の逆撃を食らい撤退。屍兵には少なからぬ打撃を与えたが、魔神にはダメージどころか姿を見ることすらかなわなかった。
でも敵の手の内を知ることはできた。きっとライオットがいい作戦を立案してくれるだろう。次は負けない。
ルージュがそんなことを考えていると、ボイルが悔しげに怒鳴った。
「魔神めが、わしはすぐに戻ってくるぞ! 首を洗って待っておれ!」
ドワーフ王の叫びは、闇を裂いて隧道の空気を震わせる。
それに応えるかの如く“鎮魂の間”から響いてきた地鳴りを聞きながら。
最後まで踏みとどまっていた3人も、魔神に背を向けて《トンネル》の奥へと引き返していった。