インターミッション4 シン・イスマイールの場合
チェインメイルの上から黒の長衣を羽織り、銀の飾り帯を締める。精霊殺しの魔剣を鞘ごと背負って位置を調整すると、それで出発の準備は整った。
ザクソンで5日間を過ごした〈良き再会〉亭。
古びたベッドや傷だらけのテーブル。お世辞にも綺麗とは言えない部屋だったが、不思議と居心地のいい場所であったように思う。
シンは少しだけ名残惜しそうに部屋を見渡すと、旅用のマントを肩にかけて踵を返した。戸口でドアを開けて待っていたライオットに出発を告げる。
「悪い、待たせた」
腕を組んでドアにもたれていたライオットは、部屋を出ていくシンを目で追い、その背中に言葉を投げた。
「本当にいいのか、もう1日残らなくて?」
「ああ。ザクソンの戦いは終わった。これ以上は邪魔になるだけだ」
振り返らずに答えると、背後でドアの閉まる音が聞こえた。ライオットの鉄靴が後に続いてくる。
「昨日がいい例だろ。良くも悪くも、俺たちがいると村人は頼りたくなる。本当なら、たかが10匹ちょいのゴブリンなんて、俺たち抜きで撃退できたはずなんだ」
「そして魔神に皆殺しにされるのか?」
「そいつは結果論だ。俺が言ってるのは心構えの話」
階段を下りる足を止めると、シンは振り向いてライオットを見上げた。
「今回の戦いでさ、ザクソンがどれだけの犠牲を払ったか知ってるか?」
シンの2段上で立ち止まったライオットは、かすかに眉をしかめて首を振る。
「正確なところは知らない」
「死者8名、重傷12名、軽傷はだいたい70名だ。ザクソンの村人たちは必死に戦った。でも勝てなかった。俺たちが村に来なければ、今ごろ村は壊滅してただろう」
魔神を抜きにして考えても、40匹もの妖魔を撃退する力はなかった。
自分たちが村に着いたときの、絶望と焦燥が入り交じった興奮。戦場としか呼びようのない刺々しい雰囲気を思い出して、ライオットは口をつぐむ。
「その強敵をさ、俺たちは簡単に倒しすぎたんだよ。道端の小石でも蹴飛ばすようにゴブリンロードを殺して、群れのほとんどを殲滅した。村人たちが死の恐怖に震えながら戦わなくても、わざわざ10人近い死者を出さなくても、冒険者がいれば簡単に終わるんだって。そう見せつけたんだ」
だから昨日、ゴブリンシャーマンに率いられた残党が襲来したとき、戦おうとする村人はほとんどいなかった。
自分たちが戦わなくても、冒険者が戻ってくれば何とかしてくれる。そう学習してしまったからだ。
「お前さ、昨日の戦いの後、レイリアやシノンと一緒に怪我人の治療に行っただろ? そこで癒しの魔法をほとんど使わなかったそうだな。レイリアにも使わせなかった。どうしてだ?」
ライオットは頭をかきながら視線をそらす。都合が悪いことを指摘されたときの癖だった。
親友が答えないと見ると、シンは小さく笑った。
「村人たちは、やっぱり司祭の魔法は金がないと受けられない、神は貧乏人は救わないんだって文句を言ってたそうだ。その分、手を抜かずに治療に当たったシノンの株が上がった。村人たちは、使ってもらえない魔法より、シノンの薬草術の方がずっと頼りになるって思ったはずだ。つまりお前、安易に魔法に頼ることを覚えさせたくなかったんだろ?」
「……上から目線の傲慢な考え方だけどな」
夫が苦しむのを看病する妻にとっては、できるのにやらないライオットは憎悪の対象でしかないだろう。ライオットが癒しの魔法を行使したのは、死の淵に瀕していた数名の重傷患者のみ。それも、怪我が完治するような使い方はしなかった。
「でも、レイリアはそれが不満みたいだ」
「なんだ、もう1日残りたい理由はそれか?」
シンはライオットの言葉を笑い飛ばした。
「レイリアには俺が言っておくよ。彼女だって理屈では分かってるはずなんだ」
ザクソンに定住して、一生面倒を見るならいい。
だが、レイリアにそれはできない。
ならば、選択できない楽な道を見せることは、将来に向かって禍根を残すだけだ。魔法を使って一瞬で痛みを消された人間が、これから後、シノンの行う根気と時間のかかる治療に満足できるはずがないのだから。
それで村人とシノンの間に溝でもできようものなら、レイリアが善意で使う回復魔法が、逆にザクソンの人間関係を破壊してしまうことになる。
「村の復興だってそれと同じだ。人は誰だって、便利に使える道具があれば使おうとするよ。ビルの10階まで上るのに、エレベーターがあればわざわざ階段を使わないようにな。けど今のザクソンに必要なのは、自分の力で階段を上ろうっていう気概と、その苦労を支え合う絆なんだ」
そのためには、村にエレベーターがあってはならない。
たった1人でも楽をしようとすれば、絆はボロボロに朽ち果てて空中分解してしまう。
他に道はない、自分たちで頑張らないと村は復興できない、そういう環境を作るためには、シンたちの存在は便利で強力すぎるのだ。
「だから、俺は1日も早くいなくなるべきだと思う。俺たちは非日常の象徴。戦いの終焉とともに消えるべき存在だ」
迷いのないシンの眼差しに、ライオットは深々と吐息をもらした。
「……神殿が奇跡の代償に大金を要求するのも、こうして考えれば意味のあることなのかもしれないな」
そんな言葉でリーダーの決断を受け入れる。
2人が階下に降りると、すでに旅立ちの準備を整えたルージュとレイリアが待っていた。
冒険者たちを見送りに来たらしいフィルマー村長と猟師のザムジー、それにシノンと子供たちが周りを取り囲んで別れを惜しんでいる。
ルージュはよそ行き用の微笑。レイリアはどこか申し訳なさそうな顔で対応しているが、これは負傷者の治療をしないのが心残りだからだろう。
シンたちの足音に気づいて皆が振り向くと、フィルマー村長が深々と頭を下げた。
「シン殿、このたびは本当にお世話になりました。村を代表して心から礼を申します」
もしこの冒険者たちがいなければ、今ごろ村はどうなっていたことか。フィルマーは想像するだけで背が震える思いだ。
「俺たちは、報酬を受け取って依頼を遂行しただけです。礼を言われるようなことじゃないですよ」
当然のことだとシンが手を振る。
浅黒い頬にかすかに朱が指しているから、ひょっとすると照れているのかもしれない。
フィルマー村長の相手をシンに押しつけ、ライオットがさりげなく距離をとると、そこにザムジーが手を差し出した。
「もう帰るのか。2?3日ゆっくりしても罰は当たらないと思うが」
金は無理だが、酒と料理なら村中からかき集めて用意する。
ほとんど本気で提案するザムジーに苦笑を返すと、ライオットは差し出された右手を握った。
「酒ならたらふく飲んだよ。これ以上飲むとルージュに怒られる」
レイリア、シノンと談笑しているルージュ。その柔らかい微笑みを見て、ザムジーが羨ましそうに慨嘆した。
「あんな美人の嫁さんになら、俺も怒られてみたいもんだ」
「ああ、ルージュを怒らせるのだけは、絶対やめておいた方がいい。それはもう確実に」
恐れを知らないザムジーの言葉に、ライオットがしみじみと忠告する。
しばし無言で視線を交わし、男同士で何かを分かり合った後、ふたりは小さく吹き出した。
意味ありげな笑い声にルージュが一瞥をくれたが、どうやら見逃してくれるらしい。銀色の髪が揺れ、紫水晶の瞳が隠れると、ライオットはふと尋ねた。
「そういえば、ザクソンのライオットは元気にしてるか?」
「あいつは若い者を5人ばかり連れて森に行った。もう大丈夫だとは思うが、ハグレ妖魔が残ってると面倒だからな」
恵みの森はザクソンの生命線だ。薪を集め、獲物を狩り、薬草や果実を採取する。その重要な場所に、妖魔がうろつき回っているようでは安心して生活できない。
「そうか……」
ライオットは少しだけ意外そうに、だが満足そうに頷いた。
ザクソンはもう歩きだしているのだ。冒険者たちに頼らず、自らの力で安全を確保するために。
シンの言ったとおり。自分たちが居残ることは、どうやら村のためにならないらしい。
「まったく、いつだって正しいな、お前の言うことは」
口の中でつぶやいて、20年来の親友を眺める。
浅黒い肌に切りっぱなしの短髪。実直という言葉を絵に描いたような姿の戦士は、ちょうど村長と握手を交わして仲間たちに向き直ったところだった。
シンの視線の先では、レイリアが出発の準備を整えながら、シノンに最後の言葉をかけている。
「シノンさん。さっきの話、考えておいてください。もし乗り気なら、母に頼んで紹介状を書いてもらいますから」
「ありがとうございます、レイリア様。あとでエトとじっくり相談します」
姉とパーンの危機に、至高神ファリスの声を聞いたというエト。
『あまねく世界に光を示せ』。
そう啓示を受けたと知ったレイリアが、ファリス教団の総本山、神聖王国ヴァリスでの修行を奨めたのだ。
今のヴァリス国王は、魔神戦争の英雄としてニースとともに戦った“白騎士”ファーンだ。宗派こそ違うが、ニースの紹介状があれば相当な便宜を図ってくれることだろう。
姉とレイリアの会話を聞きながら、エトは視線を落として不安そうにしている。
無理もないだろう。アラニアから遠く離れた異国で、たったひとり信仰に身を投じるのは簡単なことではない。
すると、それまで黙っていたパーンが、エトの肩を力強く叩いた。
「行けよ、エト。こんな小さな村で満足してたらダメだ。オレたちはもっと広い世界を見て、もっと強くならなきゃいけないんだ。シンたちみたいに」
小さな体に覇気をみなぎらせて、パーンがエトを見つめる。
「オレは大きくなったら、シンみたいな強い戦士になる。そして親父のあとを継いで、ヴァリスの聖騎士になるんだ。だからエト、お前はファリスの司祭になれ。そしてこんなことが二度と起きないように、正義の力で村を守ろう」
「パーン……」
「テシウスの正義と、至高神ファリスの正義。ふたつ合わされば、どんな邪悪からだってきっと村を守れるぜ」
子供っぽい単純な考えだと、そう言い捨ててしまうこともできる。
だが、村を守ろう、強くなろうとするパーンの決意は本物だ。
混じりけのない純粋な願いは、いつの日か必ずや実現する。エトがそう信じられるだけの何かが、パーンの瞳や声には宿っていた。
だから、エトは我知らずうなずいていた。
「分かった。僕はヴァリスで一人前の司祭になるよ。だからパーン、ふたりで村を守ろう」
守られていた子供から、守る大人へ。
望む自分になるために何をするべきか、それを見つけた子供たち。
シンは微笑を浮かべると、右手をパーンの頭に、左手をエトの頭にぽんと乗せた。
「ふたりとも、今の約束を忘れるな。そうすれば、お前たちなら絶対にできる」
憧れの英雄に保証されて、子供たちに満面の笑みが浮かんだ。
そのままぐりぐりと髪をかき回しながら、シンが続ける。
「だけど、少しばかり目標が小さいな。せっかく正義が2人分あるんだ。もう少し大きいものを守ったらどうだ?」
予想外の言葉を投げかけられて、パーンとエトが顔を見合わせる。
だが、困惑は一瞬だった。
パーンは挑戦的に目を輝かせると、シンを見上げて宣言する。
「だったら……だったらさ。オレたちは、ロードスの平和を守る!」
その言葉に、村の大人たちが微笑ましげに頬をゆるめた。
子供たちの大言壮語。夢は大きければ大きいほど輝かしく見える。それを追い求めて、少しでも大きく育ってほしい。その程度の認識なのだろう。
意味ありげな表情で、冒険者たちは視線を交わし合った。
子供たちの決意は、ほんの7年後、現実のものとなる。
それを知っているのは、今はまだ、この3人だけだった。
シナリオ4『守るべきもの』
獲得経験点 5500点
今回の成長
技能・能力値の成長はなし
経験点残り 24000点