インターミッション4 ライオットの場合
「痛え。誰かが本気で殴るもんだから体中ガタガタだ」
「アホか。先に手を出したのはお前の方だろ」
壮絶な殴り合いの果て。
ルージュに容赦なくこき使われ、全部の皿を洗い終わって片付けまで済ませてから、ライオットとシンはようやく宿に戻ってきた。
剣を棚に立てかけると、崩れるようにベッドに身を投げ出す。
色々とありすぎて、精神的にも肉体的にも疲労困憊した1日だった。
明日は鍾乳洞の再探索の予定だ。早く寝て体調を整えなくてはならない。十分すぎるほどに分かっているのだが、ふたりにとって今日のメインイベントはこれからだった。
横になったまま、うす汚れた天井を見上げて、ライオットがぽつりと言った。
「マイリーの声を聞いたんだ」
無言で続きをうながすシン。
「見極めて答えを出せと言われた。俺にとって勇気とは何か。戦いとは何か。倒すべきものは、守るべきものは何か。どうやら、俺にはそれが分かってないらしい」
ロードスに来てすぐの頃、シンがライオットに教養された内容そのままだ。
この期に及んで悩みの内容がそれとは。警察官として出した結論では、やはりこれ以上戦えないということか。
「で? 勇気ってのは虚勢とやせ我慢じゃダメなのか?」
シンがいささか皮肉っぽく尋ねると、ライオットはため息をついた。
「自分より相手が強ければ、それで合ってると思うんだけどなぁ」
ゴブリンに乱暴され、血まみれで倒れているシノンを見たときの想い。自分よりはるかに弱い相手を虐殺しようという決意を、何と呼べばいいのだろう。
胸にもやもやとしたものが立ちこめてきて、ライオットは大きく嘆息した。
まったく、ゴブリン退治とは世界で一番簡単な依頼だと思っていたが、とんでもない。これなら邪教の司祭と戦っている方がまだ気が楽だ。
それからライオットは、脈絡もなく、思いつくままに内心を吐露していった。
ぽつりぽつりと続く話に言いたいことは山ほどあったが、シンは黙ってそれを聞き続ける。
どうやら問題は、勇気がどうとか戦いがどうとかいうマイリーの宿題ではないらしい。
要するにライオットには、敵を殺戮する自分というものが許容できないのだ。
話が一段落すると、シンはようやく口を挟んだ。
「やっぱりゴブリンは殺したくないか」
「まあな」
「だったら、どんな相手なら殺したい?」
あっさりと尋ねるシン。
思わず絶句したライオットに、シンは言葉を続けた。
「王都ミッションの時、ラスカーズが言ったんだ。俺があいつを殺せないのは甘いってさ。お前も俺が甘いと思うか?」
レイリアを付け狙う邪教の司祭、ラスカーズ。
ピート卿とイメーラ夫人を斬り、レイリアをなぶり、シンをも敗北の一歩手前まで追いつめた邪悪きわまる男。
「あの時は、深追いすればこっちもただじゃ済まなかっただろう。司祭長とやらも出てきたし、ラスカーズを見逃すのはやむを得ない結論だったと思う」
「ごまかすな」
シンは上体を起こすと、まっすぐに親友を見た。
漆黒の瞳に見下ろされて、ライオットが決まり悪そうに視線をそらす。
「分かってるんだろ? 現実から目をそらすな。俺はラスカーズに一太刀あびせて無力化していた。お前の相手をしてたでかいのも、ルージュの《ライトニング・バインド》に拘束されて身動きできなかった。俺たちは一撃で奴らを殺せたんだ。でも殺さなかった。それをどう思うかと聞いてるんだ」
容赦のない舌鋒が、ライオットの古傷をえぐり出す。
あのとき感じた矛盾と苛立ちを思い出して、ライオットは深々とため息をついた。
「そうだな……」
自分でもよく分からないうちに問題をすり替えていたらしい。
そうだ。アンティヤルは自分より強かった。だが、それでも自分は相手を殺すことを躊躇したのだ。
認めなければならないらしい。
自分は、相手が誰だろうと『殺す』という行為が嫌いなのだ。
「分かった、認める。甘い。甘かったよ俺は」
ライオットは肩をすくめると、ベッドから身を起こして窓辺に歩み寄った。
真夏の夜。窓が1つしかない部屋では風が吹き抜けることはないが、それでも、窓辺にはいくらか涼しい空気が流れ込んでくる。
「頭では分かってた。あいつはあの瞬間に殺すべきだった。ルージュの魔法はすぐにバグナードに解呪される。次のチャンスはないかもしれないってな。ゴブリンの時も同じだ。ここで逃がせば村人が襲われるかもしれないって分かってた。だけど殺せなかった。俺の甘さだ」
胸の中のもやもやを言葉にして吐き出してしまうと、いくらか気が楽になった。代わりに外の空気を吸い込んで、不愉快な何かを少しでも薄めようとする。
そんなライオットを見て、シンは小さく笑った。
「俺はそうは思わないな。お前は甘くなんてない。正しかった。何も間違えてなかった」
「…………」
まさか自分を肯定されるとは思っていなかったライオットが、驚いてシンを見返す。
「もちろん俺もだ。俺は相手を殺すために戦ってるんじゃない。殺さなきゃ『甘い』呼ばわりされるなら、俺は甘くて結構だ。俺がどうするかは俺が決める。他人に口出しはさせない」
戦うとはどういうことか。
己の剣と力は何のためにあるのか。
その答えに揺るぎなく立ったシンは、いささかの迷いもなく、まっすぐにライオットを見つめていた。
「今さら言うまでもないけど、俺はレイリアを守るために戦ってるんだ。見知らぬ他人なんてどうでもいい。正義とか平和とかを守ろうとも思わない。俺に守れるものは、この剣の届く範囲のものだけだからな」
シンはそこまで言うと、棚に立てかけた精霊殺しの魔剣に手を伸ばした。
魔剣は軽い音を立てて鞘走り、純白の燐光を発した刀身が姿を現す。
磨きあげられた刃をランプの明かりにかざして、シンは言葉を続ける。
「だから、俺はレイリアを離さないよ。彼女が俺の隣にいる限り、敵が誰だろうと絶対に守りきってみせる。レイリアに剣を向ける奴がいたら、その時は、相手が誰だろうと俺はためらわない」
刀身に映る自分自身に誓うように、シンは力強く断言した。
ラスカーズのような殺人狂の変態でもない限り、相手の命を奪うというのは不愉快な行為だ。それでも相手の血に手を染めるのは、それ以上に価値のある何かを守るためでしかない。
己の身を危険にさらし、様々なリスクに身を投じてでも守りたいものは何なのか。
その答えが見えないうちは、戦いなど苦痛でしかない。
「あの日、スーヴェラン卿の屋敷で戦ったとき、俺はラスカーズを殺さなかった。ラスカーズが襲ったのは俺であってレイリアじゃなかったからだ」
他人が聞けば、ラスカーズがレイリアを狙っているのは確実なのだから、シンの論理は詭弁だと言うかもしれない。
だがシンにとっては、レイリアを現に差し迫った脅威から守るという切迫性が、相手を殺すためには絶対必要な要素だった。
守るのが自分だけであれば、ラスカーズごとき10回戦って10回勝つ自信がある。わざわざ殺すほどの相手ではないのだから。
「結論から言えば、相手を殺さなかったっていう俺とお前の行動は同じに見える。だけど理由は全然違うんだ。なぜなら、俺たちは戦う理由が全然違うからだ」
「戦う理由、か……」
ライオットにとっては、漠然として言葉にできないもの。
シンはそれを明確に認識して、自分と親友の差異さえも理解しているらしい。
「お前が戦う理由はさっき言ったとおり。警察官だから犯罪者を許しておけないのさ。だから見知らぬ他人のためにも戦える。シノンの怪我にも責任を感じてしまう。けど犯人と犯人じゃない奴を明確に区別するから、シノンを襲ってないゴブリンは傷つけたくない。洞窟で戦ったときは、襲ってきたのが向こうだから反撃はできたけど、相手が逃げ出したら追撃はできない。日本の警察官は、逃げる犯人の背中には発砲できないことになってるからな」
シンは歯切れのよい言葉でライオットを評価していく。
今までもやもやして形にならなかった内心が、シンの言葉ではっきりとした輪郭を与えられて、ライオットの中でどんどん整理されていった。
オーガーの前では足に根を生やして硬直していた民間人のSEが、今では自分の前を歩いているのか。
ふとそう思って、ライオットはようやく自分の増長を認識した。
さっきシンが言ったとおりだ。心のどこかで、自分はシンやルージュを『守るべきもの』だと決めつけていたのではないか?
この世界にもっとも適応できないのが自分なのに、何と烏滸がましいことだろう。
「つまり今の俺は、犯人を逮捕するために戦ってるってことか……」
シンの言葉を咀嚼して、ライオットはそう結論づけた。
相手を捕らえて官憲に突き出すという意味ではない。
戦うに当たって自分で決めた交戦規定が、警察官職務執行法の範囲を1歩も出ていないということだ。
よくよく思い出してみれば、ライオットが今まで殺した相手はオーガーとゴブリンのみ。その状況も、『自己もしくは他人の防護』という、正当防衛に当てはまる場面に限定されていた。
これでは、東京での警察官としての活動と何ら変わらない。
「そうなるのかな。あともうひとつ俺が言いたいのは、お前が全部自分でやろうとしすぎるってことさ」
シンは精霊殺しの魔剣を手に持ったまま、ベッドから一挙動で起き上がった。
ライオットの前を通り過ぎ、壁に立てかけてあった魔法の大盾に歩み寄る。
「警察官だったら、盾になって民間人を守るのも、戦って犯人を逮捕するのも、全部自分でやらなきゃいけないんだろうけどさ。今ここにいる“ライオット”は、警察官として生まれたわけじゃないだろ?」
シンはそう言って、ライオット愛用のカイトシールドに左手を伸ばした。
革を巻いて握りやすくしたグリップには手垢が付き、黒ずむほどに使い込まれている。今まで幾多の強敵から仲間を守り抜いてきた歴戦の防具。
これこそがライオットというキャラクターの象徴だ。
「思い出せよ。お前がライオットを創ったとき、目指したものは何だった?」
キャラクターメイクで他のPCから借金をしてまで、プレートメイルとラージシールドにこだわったのは何故か。
レイド帝国の滅亡を巡るキャンペーンで、聖堂騎士団のエースとして与えられた異名は何だったか。
忘れるはずもない。
「……“不敗の盾”だ」
ライオットが低く答える。
「俺たちパーティーを1人の人間だとすれば、剣を持つ右手じゃなく、盾を持つ左手になりたかった。どんな強敵が来ても仲間を守れる、不敗の盾に」
だから重装甲で身を鎧った。
シンが両手武器で打撃力を上げるのとは対照的に、回避力と防御力を上げることに専念した。
GMに魔法の武器と魔法の盾どちらが欲しいかと聞かれ、迷わず盾を選択した。
崩れざる壁となるために、回復魔法を求めてプリースト技能を上昇させた。
すべては必然の上に乗った成長だったのだ。
「そうだよな。俺たちはずっとそうやって戦ってきたんだ。お前が敵の攻撃を遮断している間に、俺とルージュとキースの3人がかりで粉砕する。俺たちは4人でひとつだった」
シンたちはライオットの防御力を信じて攻撃に専念し、ライオットはシンたちの打撃力を信じて防御に専念する。
皆が互いを信頼し合っていたから、それぞれが全力で役目に集中できた。
「だけど今は違う。お前は俺たちを信じてない。“不敗の盾”としてシンやルージュを守るんじゃなく、“警察官”として桧山伸行や井上喜子を守ってる。未だに俺たちの保護者のつもりなんだ。だから何から何まで面倒を見ようとする」
右手に精霊殺しの魔剣を。
左手に魔法の大盾を。
それぞれ構えて、シンはライオットに向き直った。
「お前がやろうとしてるのはな、この盾で攻撃を受けて、この盾で敵を倒すことだ。それでうまく敵が倒せなくて、盾の使い方が悪いんじゃないか、盾の覚悟ができてないんじゃないかって悩んでるんだ」
右手の剣をだらりと下げたまま、シンは左手の盾を高く掲げた。
斬撃を受け、敵を殴り、また受け、また殴る。
左手一本で激しい演舞を繰り返しながら、シンはライオットに燃えるような視線を向けた。
「これが今の俺たちだ。どうだ、うまく戦ってるように見えるか? もしそうなら、右手の剣の立場はどうなる?」
そして動きを止めると、シンはライオットに盾を放り投げた。
相手が無言で盾を受け止めると、ことさら静かに問いかける。
「お前さ、役目を代わってくれって言ったらどうする? レイリアが一列目に出て、その盾でラスカーズやアンティヤルの攻撃を防ぐって主張したらどうする?」
「そんなことできるわけないだろ。危険すぎる」
むっとしてライオットが答えた。
守るべき対象を最前線に出すなど、議論にすら値しない。仮定の話としてもナンセンスだ。
すると、シンは小さく口許を歪めた。
「そうだよな。普通はそう思う。けどな、それを、盾に隠れて全力防御ばかり、楽をしてて申し訳ないって言った奴がいるんだ! ふざけんな!」
何の前触れもなく純白の刀身がひるがえり、ライオットに襲いかかった。10レベルファイターの完全な奇襲。速度といい重さといい、相手がラスカーズ程度なら首を取れる一撃だ。
だがライオットは、脊椎反射でシンの一撃を受け止めていた。
こと防御に関する限り、ライオットは難攻不落と評してよいだろう。シン・イスマイールの奇襲を完璧に防御できる人間など、ロードス全土を探しても3人といないはず。
であればこそ、そこに価値を見出そうとしないライオットの言動が、無性にシンを苛立たせた。
「人殺しに向いてない? それがどうした? 俺たちは4人でひとつ。お前の仕事は盾になることだ。この先、どんな強敵が出てきても砕けない“不敗の盾”にな。その役割に誇りを持てよ。敵を倒すことじゃなく、攻撃を防ぐことに全てを賭けろ。古竜だろうが魔神王だろうが、現れた敵は全部完封しろ」
魔法の剣と盾が干渉し、青白い火花が散る。
至近距離で親友の目を睨んでから、シンはすっと剣を引いた。
「その代わり、俺たちが敵を倒す剣になる。どんな敵が立ちはだかっても、必ず打ち倒してみせる。言ったはずだぞ。俺たちはもう、お前に守られるだけの民間人じゃない。“砂漠の黒獅子”と“奇跡の紡ぎ手”なんだからな」
手慣れた動作で剣を鞘に納める。
シンの声から怒りや苛立ちが消え、一転して真摯に訴えかけるような口調になった。
「お前が戦う理由とか、勇気の意味とか、そんなもんは夜寝る時にでものんびり考えればいい。だけどこれだけは忘れないでくれ。守るべきものも、倒すべきものも、お前ひとりだけのものじゃない。俺たち4人が全員で共有すべきものなんだ」
その言葉は、壮絶な衝撃となってライオットを殴りとばした。
蒼氷色の瞳が大きく見開かれる。
頭の中で混沌の霧となっていた思考が、いきなり吹き払われて地平が見えた。
自分を保護者に任じてすべてを抱え込み、マイリーの信託を受けてから、ライオットは出口のない迷宮に閉じこめられていたのだ。シンの言葉は、その迷宮を壁ごとぶち抜いてライオットを外に連れ出した。
そもそも、ロードスにいるのが自分だけだったら、倒すべき敵も守るべき味方もいるはずがないのだ。ライオット個人とロードスの住民の間には利害関係など存在せず、戦う理由も必要もないのだから。
にも関わらず、自分だけの問題だと決めつけてしまったから、見えるはずのない答えを求めて悩むようなことになった。
「そうか……共有するものがあるから、戦うんだよな」
自分ひとりのものではなく、4人で共有すべきもの。
かつてニース最高司祭が評したのと同じ言葉だった。喜びも悲しみも、全てを分かちあって同じ道を歩もうとする者たち、と。
互いを信頼する絆の強さこそが、シンたちの強さの根元だと。
だが、シンの言ったとおり、ライオットは本当の意味ではシンやルージュを信頼していなかった。
守らなければという義務感や、攻撃に参加しなければという罪悪感に邪魔されて、シンやルージュの力を信じられなかった。
だからひとりだけ歯車が噛み合わず、物事がうまく進まなかった。ニースが評した強さに、ライオットは寄与しきれていなかったのだ。
シンはレイリアを守りたい。
だがその想いは一方通行ではない。レイリアだってシンを守りたいのだ。その循環こそが本当の強さに繋がる。
「やっと分かった。俺はどうやら、ひどいレベルで思い違いをしてたらしい」
憑き物の落ちたような清々しい表情で、ライオットが肩をすくめた。
互いが互いを思いやる、信頼の円環。
ライオットは、自分がそこに参加していなかったという事実を、今さらのように認識していた。
今日までは圧倒的なレベルにものを言わせて、力任せに敵を粉砕してきた。だが明日からは違う。
ひとりだけずれていた歯車は、音を立てて正しい位置に組み込まれた。
「目が覚めたか」
「ああ、ようやく。待たせて悪かった」
にやりと笑ったシンが拳を突き出すと、ライオットが苦笑を浮かべて拳を合わせる。
倒すべきもの。守るべきもの。まだ、それを明確な言葉にすることはできない。
だが、それは確かに、自分の中にある。
シンに見せられた景色を胸に刻みつけると、ライオットは顔を上げた。
窓の外。白み始めた東の空に、紫色の雲がたなびいていた。
シナリオ4『守るべきもの』
獲得経験点 5500点
今回の成長
技能・能力値の成長はなし
経験点残り 12000点