シーン8 ザクソンの村
物見櫓でけたたましく銅鑼が鳴り、村人たちが悲鳴を上げて逃げまどっていた。
ザクソンの北側、恵みの森から侵入した妖魔は全部で15匹。このうち3匹ほどが別れて村外れに向かったが、ボスに率いられた本隊は一塊になって順番に家を襲っている。
押し入られた家は滅茶苦茶に荒らされ、家畜や食料は根こそぎ奪い取られた。逃げ遅れた者はゴブリンたちの棍棒の餌食になり、血まみれになってぐったりと倒れている。
「女、子供は村長の家に逃げろ! 戦える男は武器を持って広場に集まれ!」
愛用の弓を持って村の広場に駆けつけたザムジーが、右往左往する村人たちに声を張り上げた。
3日前ならこんな状況にはならなかっただろう。見張りがゴブリンを発見し、柵を破られる前に男たちが集まり、村に入れることなく撃退できたはずだ。
だが冒険者たちが助けにきて以来、何か起きたら頼ればいいという甘えが村人たちに蔓延してしまった。今日は冒険者たちが不在になると知らせがあったのに、村人たちにまるで警戒心がなかったのが、この悲劇の原因だ。
「悪い、遅くなった!」
ザムジーが舌打ちしていると、息急ききった声とともに、数名の若者たちが加勢に駆けつけた。
後方には大斧を持った木こりのライオットが続いている。これで戦える味方は5人。だが、まだ足りない。
「状況は?」
額に汗を浮かべて走ってきたライオットが、ぼそりと尋ねる。
「良くないな。集団がバラけないんだ。こっちもそれなりの人数を集めないと手が出せない」
この5人で戦いを挑んでも、逆に囲まれて犠牲者が増えるだけだ。せめて妖魔と同じ人数がいないと勝ち目がない。
それが、大勢の犠牲者を出してザクソンが学んだ教訓だった。
「で、ハグレの奴らはどうなった?」
「雑貨屋のモートが3人連れて退治に行った。向こうは何とかなる」
両手持ちの大斧を地面に突き立て、ライオットが憎々しげにゴブリンの群れを睨みつける。
唯一の救いは、妖魔どもが火を使わないことだ。これが人間の盗賊団だったら、今ごろ村は火の海だったことだろう。
村人の避難が一段落して、すっかり人気のなくなった村の中央広場。
ザムジーたちには為すすべもなく、ゴブリンどもが好き勝手に暴れ回るのを遠巻きにするしかなかった。
群れの中心には、極彩色の鳥の羽根で全身を飾りたてたボスがいる。こいつの命令に従って、他のゴブリンたちは奇怪な声を上げながら村を蹂躙しているのだ。
家の中からは皿の割れる音や物が壊れる音、楽しげな歓声などが聞こえ、しばらくすると食料や衣服をかかえて妖魔どもが出てくる。
その繰り返しだ。
広場の一角にはゴブリンどもが戦利品を集めた山が作られ、家が襲われるごとに山は大きくなっていく。
決して豊かではないザクソンの村人たちが、長い冬を越えるために懸命に蓄えた財産。
それを略奪されても手を出せない自分たちの無力さに、ザムジーは血が滲むほどに唇を噛みしめた。
「皆さん、危ないですから下がってください!」
凛とした女性の声が聞こえたのはその時だった。
マーファの白い神官衣。美しい黒髪。使い込まれた小剣を手に走ってくるのは、シノンの世話をしていた女性司祭だ。
「ルーィエさんが魔法を使います! 早く下がって!」
魔法? あの美人の魔術師は、仲間たちと一緒に洞窟の調査に行ったのではなかったか?
ザムジーの脳裏に疑問が浮かんだが、答えが見つかる前に、後方から飛んできた炎が目の前をかすめた。
「のろまども、伏せろ!」
高く澄んだ声。
深紅の火線はゴブリンたちの足下に突き刺さり、轟音とともに櫓より高く炎を噴き上げた。
地震かと思うほど激しく大地が鳴動し、炎に巻き込まれたゴブリンが黒こげになって宙に舞う。村人たちにも容赦なく熱波が襲いかかり、ザムジーはあわてて顔をかばった。
「あなたたちの相手は、この私です!」
レイリアは足を止めずに村人たちの横を駆け抜ける。
ゴブリンたちはルーィエの《ファイアボール》で大混乱。この機を逃さず、今のうちに可能な限り数を減らすべきだ。
愛用の小剣を肩口に構え、狙いすました一撃を放つ。銀光となって突き込まれた剣先は、容赦なくゴブリンの喉を貫いた。
すぐさま身を翻して向き直り、今度は横薙ぎに一閃。慌てて受けようとしたゴブリンの棍棒を根本から斬り飛ばし、返す刀で首筋を狙う。
ぞくりとした悪寒を感じたのはその時だった。
視界の隅に黒々とした闇が映る。考えるより早く体が反応した。反対側に身を投げ出して、地面を二転三転し、距離をとってから跳ね起きる。
夜空を切り取って浮かべたかのように、不自然な闇がたゆたっていた。触手を伸ばす魔法生物のごとく形を変えて広がりながら、闇はレイリアを押し包もうと迫ってくる。
「司祭、そいつは恐怖を司る闇の精霊だ。普通の武器は通用しないし、少しでも接触すると心が壊されるぞ。できれば触らない方がいい」
音もなく追いついてきた銀毛の双尾猫が、レイリアに下がるように促した。
「何とかなりませんか?」
その言葉に従ってじりじりと下がりながら、レイリアがルーィエに尋ねる。
「何とかするのは俺様の仕事だ。司祭はゴブリンどもを牽制して、こっちに近づかないようにしていればいい」
紫水晶の双眸が闇を貫き、向こう側にいるゴブリンシャーマンを射抜く。
ただの下等妖魔かと思ったが、なかなか考えてるじゃないか。そう楽しげに呟くと、ルーィエは謳うように呼びかけた。
『ウィル・オー・ウィスプ、輝ける光の精霊よ。汝の力により闇を打ち払え』
精霊語の呼びかけに応じて、小さな太陽のような輝きが生まれた。
光を押し包まんとする闇と、闇を貫こうとする光。相反する2つの精霊が、その力を領域を相殺しながら近づいていく。
そして、光と闇が入り乱れた。生まれて初めて見る精霊たちの演舞。レイリアが慎重に身構える前で、2つの精霊は混ざり合い、やがて溶けるように消えていった。
ルーィエの魔法とレイリアの剣で半数を失い、残るゴブリンは5匹のみ。
その中央に守られたゴブリンシャーマンは、闇の精霊が消滅すると、憎々しげにレイリアを睨みつけた。
「人間ヨ。誓約ヲ破ッタノミナラズ、マタシテモ我ラノ邪魔ヲスルカ」
配下のゴブリンたちは、手に小剣や棍棒を構えているが、襲ってくる様子はない。堅くボスを守ったままレイリアの出方を窺っているようだ。
「誓約だか何だか知りませんが、あなたたちが村を襲うというなら、私は村を守ります。当然のことです」
小剣を構えたまま、毅然としてレイリアが応じる。
濡れた犬歯の間から呪詛の呻きをもらすと、ゴブリンシャーマンは憤怒の声を上げた。
「貴様ラ人間ガ誓約シタコトデハナイカ! 我ラガ北ノ神殿カラ手ヲ引ク代ワリ、北ノ森ト、コノ村ヲ我ラニ捧ゲルト! ソノ誓約ノ証トシテ、コノ壷ヲ差シ出シタノデアロウ!」
妖魔のその言葉に、レイリアは耳を疑った。
北の神殿から手を引かせる代償として、この村を生け贄に差し出したと、そう言ったのか?
それではまるで、ターバ神殿がザクソンを切り捨てて保身を計ったように聞こえるではないか。
「そんなの嘘です!」
「嘘デハナイ! ナラバ人間ヨ、コノ誓約ノ壷ヲドウ説明スルノダ!」
赤、青、黄。派手な原色の羽根を震わせながら、ゴブリンシャーマンが両手で古びた壷を掲げる。
精緻な装飾と厳重な封印が施された、明らかに人の手による壷。
口から出任せを言っているようには聞こえない。この妖魔の怒りは本物だ。
熾烈な糾弾にレイリアが返す言葉を失うと、武器を持った村人のひとりが、弱々しい声で問いかけた。
「レイリア司祭、まさかターバ神殿は本当に……? だから神官戦士団は助けに来てくれなかったのか?」
「馬鹿が、妖魔の口車に乗せられるな! そんなことあるはずないだろうが! 村を襲ったゴブリンの言うことを信じるのか!」
ザムジーがすぐに若者を叱りつける。
だが、その言葉がザムジー自身に向けられていたのは気のせいだろうか?
村の必死の悲鳴にも、神官戦士団はまったく動かず、ターバの冒険者たちも応じようとしなかった。
ニースがそのような取引を許すとは思えないが、物事の表面だけを見れば、ターバ神殿が保身を計ったように見えなくもない。
ゴブリンたちの襲撃で家族や隣人を失い、財産を奪われたザクソンの村人たちがどう受け取るか。
それを思うと、レイリアは村人たちの顔を見ることができなかった。
「マアヨイ。王ハビエラハ倒レ、王国ハ崩壊シタ。最後ノ部下ヲ率イテココニ来タノハ、貴様ラニ裏切リノ報イヲクレテヤル為ヨ。強キ者ドモハ洞窟ニアリ、貴様ラヲ守レル者ハオラヌ。己ガ罪ヲ思イ知ルガイイ」
そしてゴブリンシャーマンは、壷に施された封印をむしり取ると、空に向かって放り投げた。
「古ノ魔神ヨ! 今ココニ解放セン! 天ニ呪イヲ! 地ニ破壊ヲ! 人間ドモニ等シク滅ビヲ!」
甲高い音とともに壷が内側から破裂した。
強烈な風が吹き、漆黒の煙が広がって辺りを覆い隠す。
黴くさい臭い。
煙が目に入ると、刺すような痛みとともに涙があふれた。
「のろまども、さっさと逃げろ! こいつはヤバいぞ!」
ルーィエがめずらしく、せっぱ詰まった口調でザムジーたちを怒鳴りつける。
剣を持っていない左手で涙をぬぐいながら、レイリアは細目を開けて前を見た。
黒い煙が、大地をすべるように吹き払われていく。
そこには見上げんばかりの巨大な怪物が姿を現していた。
身の丈4メートルはあるだろうか。全身が赤黒い鱗で覆われ、コウモリのような巨大な翼が生えている。
レイリアなど指1本でひねり潰せそうな強靱な手足。鱗に覆われた長大な尻尾は、ほんの一振りで城壁でも崩してしまいそう。
腕には鋭い鉤爪が生え、大樹のような脚で直立して、力強く地面を踏みしめている。
長く伸びた鼻、鋭い牙が並ぶ口など、顔は絵物語で見たドラゴンにそっくりだ。ひとつの胴体から凶悪な頭が2つ、横に並んで生えている。
言うなれば、二本足で直立した双頭の竜神。
その、どこまでも深く淀んだ赤黒い瞳が、じっと人間たちを見下ろしていた。
「そんな……魔神……!?」
レイリアがあえぐ。
魔神。
今から30年前、封印から解き放たれてロードス全土を暴れまわり、世界を恐慌に陥れた異界の怪物だ。
「キヒャヒャヒャヒャ! 行ケ! 殺セ! 人間ドモニ裏切リノ報イヲクレテヤルノダ!」
けたたましく笑いながら、ゴブリンシャーマンが躍り上がって命令する。
耳障りな奇声にゴブリンたちが同調し、武器を打ちならして囃したてた。力強い味方を得て、形勢逆転だと完全に調子に乗っていた。
『黙れ』
足下を一瞥した竜の魔神が、牙の間から下位古代語を紡ぎだす。
鱗に包まれた脚がゆっくりと持ち上がり、次の瞬間、ゴブリンシャーマンの頭上に叩きつけられた。
重い地響き。
水袋が破れるような濡れた音。
赤黒い液体が地面に飛び散り、脚の下からはみ出した腕が小さく痙攣する。
人間もゴブリンも、その場の全員が息をのんで凍りついた。
魔神の力に圧倒され、辺りを静寂が支配すると、ふたつの顔が地上を睥睨した。
『我を封印せし者はいずこか?』
低いうなり声。
下位古代語を解したのはルーィエだけだったが、普段は不遜な猫王も、今は強大な魔神と目が合っただけで竦みあがってしまった。
本能が逃げろと悲鳴を上げている。
この魔神は圧倒的すぎる。戦うなど無謀の極み。存在の大きさが違いすぎるのだ。
『いずこか!』
もうひとつの頭が、天に向かって咆吼した。
怒りの声が空気を震わせ、レイリアの全身に鳥肌が立った。
同じ巨体でも、以前目にしたオーガーとは比べものにならない。
あの時は、冷静に戦えば勝てない相手ではなかった。だがこの双頭の魔神は違う。レイリアがどんなに善戦しても、竜のごとき腕の一振りだけで、ゴブリンシャーマンと同じ運命をたどるだろう。
「これが、魔神……」
体が小刻みに震えるのを抑えられない。
避けられない死を予感して、諦めが胸に広がっていく。
誰もが同じ思いなのだろう。
30年前、魔神戦争でどれほどの人が死んでいったか。
いくつの村が全滅させられたか。
そして、ニースたちが比類なき英雄として世界中で賞賛され、尊敬と信頼を集めているのはなぜか。
それを否応なしに理解させられた。
『我は耐えた。幽き牢獄で永き歳月を』
『我は誓った。我を封印せし者に、必ずや復讐を果たさんと』
左と右の頭が交互に呪詛の言葉を紡ぎ出す。
『再度問う』
『我を封印せし者はいずこか!』
魔神の怒りの咆吼とともに、強大な尻尾が大地を打ち据えた。下敷きになったゴブリンが2匹、悲鳴も上げられずに冥府の門をくぐる。
その衝撃で金縛りが解けたのだろう。残った最後の2匹が、武器を捨てて逃げ出した。
だが。
『汝か!』
『それとも汝か!』
鋭い鉤爪が襲いかかり、1匹の胴体を引きちぎった。残る1匹には炎の魔法が襲いかかり、劫火の中に焼き尽くしてしまう。
ほんの一呼吸の間で妖魔を皆殺しにした魔神は、ゆっくりと視線を人間たちに向けた。
「……司祭。逃げるぞ」
「駄目です、ザムジーさんたちを見捨てるわけには」
低く囁いたルーィエに、レイリアは首を振った。
武器を持って最後まで踏みとどまった男たちも、今は腰を抜かして魔神を見上げるばかり。このままでは確実に殺されてしまう。
「悪いけどな、ここで司祭に死なれると、あとで俺様が黒いのに殺される。ついでに言えば、黒いのは確実に宮廷に殺されるぞ」
レイリアの死は、単なる一司祭の死では収まらない。輪廻する“亡者の女王”の解放を意味するのだ。
それはアラニア王国とマーファ教団にとって、至上命題の失敗と同義。シンが大口を叩いて国王から護衛を請け負った以上、失敗の責任は必ず追求される。
「ですけど……!」
全身を竦ませるほどの恐怖とそれを上回る義務感、それにシンへの想いの板挟みになって、レイリアは混乱を極め、涙を浮かべてルーィエを見た。
自分でも分かってはいるのだ。ここで村人の盾になっても、一瞬で殺されてしまうだけだということは。
自分が死ねば、様々な人たちの献身が無駄になり、取り返しのつかない事態を招くのだということも。
それでもレイリアには、ここでザムジーたちを見捨てることはできなかった。
少女が浮かべる苦渋の表情に、ルーィエは盛大に舌打ちした。
こんな顔を見せられたら、黒いのでなくとも何とかしてやりたいと思ってしまうではないか。
「……要するに、あそこで腰を抜かしてるのろまどもと一緒なら、逃げるんだな?」
魔神の怒りを目の当たりにして、恐怖のあまり失禁している村人たちを一瞥してから、ルーィエは自嘲気味に口をゆがめた。
「いいだろう。何とかしてやる」
重い振動とともに竜神の脚が踏み出される。
もう時間がない。あれがここに届いたときが自分たちの死ぬときだ。ルーィエは縮みあがりそうになる自分自身を叱咤し、ほとんど自棄になって叫んだ。
『戦乙女よ、お前の槍で敵を討て!』
純白に輝く透き通った美女が、ルーィエの頭上に姿を現す。手に槍を携え、羽根飾りのついた兜と古風な甲冑をまとった勇気の精霊だ。
戦乙女の底なしに冷たい目が双頭の魔神を射抜くと、光の槍が白銀の奔流となって襲いかかった。
これは対個人用として最高威力の魔法だ。いかに魔神といえども、当たればただでは済まないはず。
だが、ルーィエの視線の先で、双頭の魔神は薄笑いを浮かべた。
『これしきの魔法など』
『我には効かぬ』
魔神が鱗に覆われた腕を無造作に振る。
ただそれだけで、乾いた音がして光の槍がはじき散らされた。
「んな……ッ」
首の1つ、腕の1本くらいもぎ取ってやる心算だったルーィエが、あまりのことに絶句してしまう。
渾身の一撃をあっさりと無効化されて呆然とするルーィエに、魔神の竜頭がにやりと笑った。
『小さきものよ、汝を敵と認めたぞ』
『死ね』
次の瞬間、ルーィエのいた場所に鉤爪が叩きつけられた。
轟音とともに大地が陥没する。
隣に立っていたレイリアの頬を魔神の鱗がかすめ、細い傷がついた。
いつの間にここまで近づいたのか。
魔神の強靱な腕が自分のすぐ横にあるというのに、レイリアは前を向いたまま、視線すら動かせなかった。
『逃げ足だけはそれなりよな』
『せいぜい足掻くがよい』
レイリアの頭上で、魔神が愉快そうにつぶやく。
首のひとつが視線を巡らし、俊敏な動きで回避したルーィエを追った。
「司祭! 今のうちだ、逃げろ!」
全力でジグザグに疾走しながら、ルーィエが叫ぶ。
反射的にレイリアが目を向けると、今度はそこを魔神の尻尾が薙ぎ払った。
攻撃を捨てて防御に徹したルーィエは、紙一重で何とかかわしながら、広場の向こうへと逃げていく。
事ここに至って、レイリアにもルーィエの意図が理解できた。魔神を自分に引きつけ、レイリアと村人たちが逃げ出す隙を作ろうとしているのだ。
この時間を無駄にはできない。
レイリアは神官衣をひるがえして村人たちに駆け寄った。
「立ってください! 早く!」
だが村人たちは動けない。
あまりにも次元の違う力を目の当たりにして、完全に心を折られていた。
ゴブリン相手に勇戦したザムジーやライオットでさえ、魂が消し飛びそうな恐怖に腰を抜かしているのだ。地面に失禁の染みを広げた若者たちは、ただ呆然と座り込むことしかできない。
初めてオーガーと対峙し、何もできずに立ち尽くしていたレイリアと同じだ。
シンやライオットの目には、あの時の自分はこう見えていたのだろうか。
そう思えば村人たちを一方的に責めることはできないが、今この瞬間はルーィエの危険を代償に流れている時間なのだ。
レイリアは焦りと苛立ちを抑えきれず、ザムジーの頬を平手で張りとばした。
「目を覚ましてください! 今は呆けている時ではありません!」
口を開けていたザムジーの顔に、意志の力が戻ってくる。
何も映していなかった目に焦点が戻ったのを見ると、レイリアはザムジーに手を貸して立ち上がらせた。
「怖いのは分かります。でも、今は走らなきゃいけない時なんです。ライオットさん、あなたも。できますね?」
「……ああ、分かった」
「やるしかない」
ザムジーとライオットがうなずく。
そして、手分けして残る若者たちを叱咤していると、背後で再び炎が上がった。熱波と轟音が背中を叩き、レイリアが反射的に振り向く。
右腕を突き出して直立した魔神が、黒く焼け焦げた地面を見下ろしていた。
すばしこく逃げ回るルーィエに業を煮やして、炎の魔法を使ったのだ。
ということは、魔神の視線の先、体毛から煙を上げて横たわる小さな影は。
「ルーィエさん!!」
レイリアの悲痛な叫びに、その影は弱々しく震えながら顔を上げた。
「逃げろ……司祭……」
口は悪いが常に他人を気遣い、甘やかすことなく進むべき道を示してきた銀毛の猫王。
彼が今、窮地に追いつめられている。
牙をむき出しにして嘲う魔神が、もう一度だけ腕を振るえば、そのときがルーィエの最期だ。
『我を幽き牢獄に封じ』
『我に永き絶望を与えた罪』
ことさらにゆっくりと、魔神がルーィエに歩み寄る。
『汝の命を以て』
『償うがよい』
このままでは殺される。
あのルーィエがいなくなってしまう。
そんなことは、絶対に許容できない!
そう思ったとたん、恐怖と焦りで余裕のなかった心から、不意に漣が消えた。
視線はまっすぐ魔神に向けたまま、傍らの村人たちに別れを告げる。
「私はもう手伝えません。何とかみんなで逃げてください」
自分でも驚くほど平坦な声が出た。
「レイリア司祭、あんたも一緒に」
「できません」
レイリアの脳裏に、ピート卿の屋敷での惨劇がよみがえる。
父と母の献身で救われた命。
邪教の司祭の思うがままに蹂躙され、ただ守られるだけだった自分。
あんな思いをするのはもうまっぴらだった。
「今度は私が守る番です。今ここでルーィエさんを見捨てたら、私はきっと自分を嫌いになってしまいます」
もしここで生き残っても、ルーィエを犠牲にして逃げた命では、シンの顔を見ることなどできはしない。
彼の前で恥じない自分自身でありたい。シン・イスマイールの隣に立つにふさわしい女性でありたい。
だったら、進むべき道はひとつしかないではないか。
もしも人生に、勝てないと分かっていても戦うべき時があるなら、それは今をおいて他にない。
「みなさん、どうかご無事で」
レイリアは小剣を握りしめると、神官衣の裾をさばいて駆けだした。
一直線に。ルーィエのところへ。
魔神の首のひとつが視線を巡らせ、レイリアを見下ろす。ただ見られただけなのに、重いプレッシャーを感じて冷たい汗が噴き出した。
「今度は私が相手です!」
大声とともに内心の恐怖を無理やり吐き出して、レイリアはひたすらに走った。
とにかく何とかして一撃をかわす。そしてルーィエに癒しの魔法をかけるのだ。今ならまだ間に合う。
その後のことは、その後だ。
『弱き人間よ』
『邪魔だてするなら汝から殺すぞ』
吐き捨てるような声。レイリアに下位古代語は解らないが、相手が気分を害したことだけは十分に理解できた。
ルーィエに止めを刺そうとしていた双頭の魔神が、ゆっくりとレイリアに向き直る。
不可視の重圧が激増した。
空気が震えそうなほどの殺気を浴びて、自分の体が思い通りに動かなくなる。破滅に向かって進もうとするレイリアに、体と心が悲鳴を上げて抗っているのだ。
ほんの一瞬だけ上を向けた視線が、自分を見下ろす魔神と交錯した。
底なしの憎悪と闇を宿した目。
肌がぞくりと粟立ち……反射的に身を投げ出したレイリアのすぐ脇に、長大な尻尾が打ち下ろされる。
轟音と地響き。
土煙が舞い上がり、一瞬前までレイリアがいた場所を赤黒い鱗が叩き潰していた。
『よくぞ避けたものよ』
『なれど、これで終わりだ』
魔神の竜頭が牙を剥き出しにして嘲った。追いつめた獲物をいたぶる肉食獣のように。
地面に転がったままでは、次の一撃は避けられまい。そんなことはレイリアにも分かっている。
だがこれで十分だ。ここからルーィエまで10歩もない。
「マーファよ! 勇敢なる猫族の王に癒しを!」
レイリアは神に祈りながら、右手をまっすぐルーィエに伸ばした。
癒しの奇跡が大地を通じ、焼け焦げた銀色の毛皮を優しく包む。
暖かな光を全身に浴びて、瞳に覇気をみなぎらせた猫王が跳ね起きた。
「無茶しやがって。命を粗末にするにも程がある」
「お互い様です。ルーィエさんに万一のことがあったら、ルージュさんが悲しみますよ」
苦しまぎれの小細工に苛立ちを露わにする魔神の足下で、いつもどおりの微笑を浮かべる。
これが最後でも後悔はしない。自分にできることをやり遂げたのだから。
シンには申し訳ないことをしたが、きっと彼なら褒めてくれるだろう。
竜頭の魔神が巨大な鉤爪を振りかざすのを、レイリアはまるで他人事のように見上げた。
「司祭! 諦めるな! 立て!」
毛を逆立てたルーィエが、少しでも気を引こうと《ファイアボール》の呪文を唱える。魔法は魔神の頭部に命中し、上半身を紅蓮の炎で包んだが、魔神は煩わしげに首を振っただけだった。
『愚かな』
『汝ごときの力など通じぬ』
銀毛の双尾猫など一顧だにせず、容赦なく鉤爪を打ち下ろす。
うなりをあげて迫る死の影に、思わずレイリアが目をつむった瞬間。
「させるか!」
唐突に叫び声が聞こえた。
頭上で壮絶な金属音が響く。
レイリアを引き裂くはずの衝撃は、いつまでたっても襲ってこなかった。
おそるおそる目を開けると、目の前に白銀の甲冑が立ちふさがっていた。魔神の一撃を避けるそぶりもなく、凧型の大盾をかざして真正面から受け止めている。
「だああああッ!」
全力で押し合いながら、戦士が吼えた。鉄靴がくるぶしまで大地にめり込む。
相手は全高4メートルを超える巨体である。破壊力といい重さといい、本来なら人間に耐えられるような打撃ではないはずだ。戦士も全身の筋肉が一瞬で膨張し、限界を超えた腕から血がしぶいた。
だがそれでも、戦士は歯を食いしばってレイリアを守りきった。守るということに特化した存在である以上、己の誇りと存在意義に賭けて、これだけは絶対に譲れない一線だった。
「ライオットさん!」
レイリアが目を見開く。
「悪かったな、シンじゃなくて」
背中で守った少女をちらりと見て、ライオットがにやりと笑う。まるで余裕のない苦しそうな声だったが、そこには役目を成し遂げた男の誇りがにじんでいた。
まさか防がれるとは思っていなかったのだろう。双頭の魔神は鉤爪を振り下ろした姿勢のまま、驚愕のあまり固まっている。
そのわずかな静寂に、玲瓏な声が割り込んだ。
『万能なるマナよ! 破壊の炎となれ!』
次の瞬間、ジェットエンジンのような轟音とともに激しく明滅する何かが飛来し、竜頭のひとつに炸裂した。
席巻する炎が純白の華を咲かせ、高熱のあまり景色が歪む。
今まで聞いたこともない、空気が焦げる鋭い音。
業火の向こうで魔神がのたうち、苦悶の絶叫が上がった。
「これはルーィエを可愛がってくれたお礼。人間が創る炎の味はどう? あなたのとはひと味違うでしょ?」
余裕たっぷりに嘲弄するルージュの左手から、最高級の魔晶石が粉となって散っていく。
カーラに教わったとおり、極限まで緻密に組み上げた構成の代償だ。ルール的に言えば拡大10倍消費、達成値+9という乾坤一擲の魔法である。
炎は赤いものというフォーセリア世界の常識すら覆した構成。イメージしたのはアセチレンだ。金属溶接にも使われる酸素アセチレン炎の燃焼温度は3330℃。魔神がどれほど頑丈だか知らないが、これに耐えられる道理はない。
レーティング表を一回転したルージュの《ファイアボール》は、ダメージ+14という非常識な魔力を乗せ、文字どおり会心の一撃となって魔神を焼き尽くした。
純白の炎が消え去ると、魔神の首のひとつは跡形もなく消滅していた。かろうじて残ったもうひとつの頭も、鱗が融けてケロイド状に垂れ下がっている。
「ああ、ごめん。頭を消し飛ばしちゃったら、味なんか分かるわけないよね」
肩までの銀髪と漆黒のローブを爆風になびかせ、紫水晶の瞳が冷酷に光る。
相棒たるルーィエを傷つけられて、内心の怒りは沸点をはるかに超えていた。舌鋒にも魔術にも情け容赦がない。
普段ライオットに見せる冷たい微笑など、ルージュにとっては遊びでしかないのだ。
『おのれ、おのれおのれおのれ! 人間ごときが!』
2つに減った瞳に憤怒と憎悪を浮かべ、魔神が咆吼した。不遜なる人間どもを殲滅するべく、右腕を振り上げて鉤爪を光らせる。
とりあえずの標的は、足下で盾を構えている男だ。この盾は実に目障り。上位魔神たる自分を次元の牢獄に幽閉した、500年前の魔術師どもと同じ臭いがする。真っ先に冥界へ送ってやらねば気が済まない。
そのとき、追い打ちをかけるように声が響いた。
「残念、まだこっちのターンだ!」
漆黒の影が戦場を疾駆する。魔神の死角、失われた頭部の側から肉薄し、音もなく跳躍。
精霊殺しの魔剣が燐光を引き、三日月型の軌跡を描いて残された首に襲いかかった。
魔神が驚愕の表情を浮かべたが、もう遅い。人の限界を極めた剛速の斬撃は、堅固な鱗をものともせずに切り裂き、最後の首を空高くはね飛ばしていた。
黒ずくめの剣士が軽やかに舞い降り、魔神の首は地響きをたてて地面に落ちる。
勝者と敗者の明白な差異。
ただの一撃で完璧な勝利を演出した“砂漠の黒獅子”に、レイリアは言葉もなく見とれていた。
あれほどの猛威をふるった魔神を、反撃も許さずに倒してしまうとは。いったいどれほどの才能を開花させたのだろうか。
ザムジーたちもしわぶきひとつ立てずに注目する中。
「ごめん。また遅くなった」
シンは横たわったままのレイリアに歩み寄ると、申し訳なさそうに手を差し出した。
「い、いえ。とんでもありません」
我に返ってその手を取り、レイリアがあわてて立ち上がる。
そのまま引き寄せられてシンの胸に手をつくと、レイリアは複雑な思いで黒い瞳を見上げた。
シンがまた自分助けてくれたという事実は、レイリアにとって歓喜以外の何物でもない。
だが、危険にさらしたものの大きさを思うと、無条件に喜んではいけないような気がした。緩みそうになる頬を意志の力で引き締め、努めて冷静に答える。
「私の方こそ、無茶をしてしまいました。シンが来てくれなければ今ごろ─」
そのとき。
「シン!」
ライオットの鋭い叱声が叩きつけられた。
間髪入れずに大気が重くうなり、立ちふさがったライオットが大盾をかざす。
首を両方とも失ったはずの魔神が、まるでダメージを感じさせない動きで鉤爪を打ち下ろしたのだ。
「そんな……」
常識ではありえない事態に、レイリアが蒼白になってあえぐ。
まるで破城槌のような一撃。
ライオットが両足を踏ん張り、歯を食いしばってそれを受けた。魔法の盾すらも軋むような重い打撃に、殺しきれなかった呻きがもれる。
先ほど傷ついた腕から再び血が噴き出し、袖を内側から赤く染めた。
背後に庇った仲間や村人たちを守るため、攻撃を回避せずにわざと受けているのだ。
相手はモンスターレベル11の上位魔神である。いかにライオットといえども、そう何度も耐えられるものではない。
「悪い。こいつを甘く見てた」
シンが瞬時に黒獅子の顔に戻り、身を翻してライオットの横を駆け抜ける。
「気にするな。俺もだ」
渾身の力で押し返しながら、ライオットが突撃するシンに苦笑を返した。
背後からはルージュが新しい呪文を詠唱する声も聞こえる。2ターン目の攻防。先手こそ敵に許したが、今度はこちらの番だ。
魔神は“勇気ある者の盾”の魔力に拘束され、シンやルージュの動きにはまったく反応を示さない。いや、目も耳も失った状況では、そもそも認識できないのか。
いずれにせよ、この状況でそれは致命的だ。“砂漠の黒獅子”と“奇跡の紡ぎ手”を自由にさせて、ただで済むはずがない。
それぞれが己の為すべきことを成しながら、完璧な連携を見せる仲間たち。趨勢は定まったも同然だ。
精霊殺しの魔剣が一閃。肘から魔神の腕を斬りとばすと、ライオットの盾から圧力が消えた。
もし首が健在だったら、さぞや盛大な悲鳴を上げたことだろう。
そんなことを考えながら、ライオットは隙なく身構える。油断は一度で十分だった。
考えてみれば、魔神の中には全身をバラバラに切断されてなお、寄り集まって復活するような者までいたのだ。胴体だけで動く程度の芸当は驚くに値しない。
案の定、魔神は巨大な尻尾をしならせた。今度は辺りを横薙ぎにするつもりだ。
上からの打撃なら地面で支えられるが、水平に来る衝撃には堪えきれない。単純な質量差が招く現実。
このままだと盾ごと吹き飛ばされる。避けるか、流すか。ライオットが慌ただしく計算していると、背後でルージュの魔法が完成した。
『雷よ!』
青白い竜が咆吼し、うねりながら魔神に襲いかかった。
直視できないほどの閃光を発しながら、電撃の怒濤が問答無用で魔神を飲み込む。
つんざくような雷鳴。
稲妻が鱗にはじけて青い火花を散らし、蹂躙された筋肉組織が激しく痙攣する。
ほんの一呼吸ほどで雷の魔法が駆け抜けると、後には全身を焼かれ、黒い煙をくすぶらせる魔神が無防備に立ち尽くしていた。
追い打ちをかけるなら今だ。
本能的に察したライオットに呼応するように、シンがたて続けに斬撃を打ち込んだ。
脚を、腕を、尻尾を、当たるがさいわい徹底的に斬り裂いていく。
膝から下を失って魔神の巨体が崩れた。
とどめとばかりにルージュの魔法が降り注ぎ、爆炎が天高く噴き上がる。
もはや魔神に反撃する手だてはない。あとは一方的な展開だった。
死に対する絶対の耐性を与える禁呪《ワードパクト》を警戒して、シンたちの攻撃は徹底を極めた。
四肢を失った魔神をさらに剣で切り刻み、炎で焼き、聖なる光の戦鎚で叩き潰す。情け容赦のない蹂躙戦。端から見れば、凄惨としか言いようのない光景だろう。
だが、手を弛めることはできない。
自分たちが手を抜けば、その代償は村人たちが払うことになる。血まみれになって横たわっていたシノンの姿を思い出せば、目の前の魔神を誅滅することにためらいなどなかった。
複数の手段で死体を細切れにし、すり潰し、ルージュの《ディスインテグレート》で塵にまで分解して、戦いはようやく終わりを迎えた。
「ま、こんなもんでいいだろ」
精霊殺しの魔剣を一振りして鞘に収め、シンが仲間たちを振り返る。
モンスターレベル11の上位魔神を、単独で完封してみせたライオット。
強大な魔法を連発し、消耗して蒼ざめた顔のルージュ。
命を賭して互いを守りきったレイリアとルーィエ。
このロードスという世界で、誰よりも信頼に足る仲間たちだ。
「レイリアさん、本当にありがとう。ルーィエを守ってくれて」
ルージュが深々と頭を下げた。
「そんな、とんでもありません。私の方こそ、ルーィエさんや皆さんに助けられたんです」
恐縮したレイリアがあわてて手を振る。
だが、顔を上げたルージュは首を振った。
「それは事実。だからレイリアさんもルーィエやライくんに感謝していいよ。だけどその代わり、私の感謝も受け入れてもらわないとね」
そしてにこりと笑い、レイリアの手を取る。
ルージュのこんな顔は初めて見た。感謝と喜びにあふれた、まるで太陽のように暖かい表情だった。
「だって、それが仲間ってものでしょ」
こっそりと魔法で自分の傷を癒したライオットが、違和感の残る腕を振りながらシンに言った。
「とりあえずさ、なんで魔神がいたのかとか、ゴブリンはどうなったとか、そういう事情聴取は後回しだ。お前もレイリアに言いたいことがあるんじゃないか?」
にやりと意味ありげに笑うライオットに、シンが堂々とうなずく。
「当たり前だ」
黒衣の獅子がレイリアに歩み寄ると、ルージュが気を遣って1歩下がった。
「レイリア」
「はい」
頭ひとつ高いところにある黒い瞳を、レイリアが緊張気味に見上げる。
亡者の女王を宿した身でありながら、自分の死を軽く考えすぎだと怒られるのか。それとも、シンの留守を守り抜いたことを褒めてくれるだろうか。
そんな思いで表情をこわばらせるレイリアに、シンが手を差し出す。
「ごめん。また遅くなった」
「そこからかよ」
思わずつっこんだライオットに、全員の笑い声がはじけた。
戦闘や凄惨な処理で蓄積した緊張と疲労が、それだけで嘘のようにとけていく。
「何だ、文句あるのか?」
「それはもういいんだよ。ギャラリーはもっと色気のある展開を期待してるんだ。それこそ、体が痒くなって耐えられないような」
「お前の言ってることは訳が分からない」
呆れてため息をつくシン。
すると、にこりと笑ったレイリアが、ためらいもなくシンの胸に寄り添った。
「私は褒めてほしいです、シン。よく頑張ったって」
真銀の鎖帷子に頬を埋め、ねだるようにささやくレイリアに、シンの顔が一瞬で紅潮する。
華奢な肩を抱こうとして果たせず、シンの手はむなしく宙をつかむばかり。公衆の面前で抱きつかれて、完全に思考がフリーズしていた。
「ほらリーダー、しっかりしてよ」
ルージュがその手を叩き、レイリアの肩に落とす。
「信じてました。シンならきっと来てくれるって」
「レイリア……」
ようやく形になったふたりに満足すると、これ以上の精神攻撃はごめんだとばかり、ルージュとライオットが視線をそらす。
最後まで残っていた村の男たちも、冒険者たちの様子を見て、危機は去ったと理解したのだろう。
失禁で濡れたズボンを互いに冷やかしながら、興奮した様子で今見た戦いについて語り合っている。
少し情けないような気もするが、彼らは大混乱に陥った村を救おうと武器を取った勇者なのだ。最後までこの場に踏みとどまり、一部始終を見届けたのだから、勝利の余韻を共有する資格くらいあるだろう。
そんな思いで若者たちを眺めていたザムジーは、ふと、談笑を続ける冒険者たちを振り向いた。
村の若者たちを勇者と認めるなら、彼らは勇者という言葉では足りない。村を救うという結果も残したのだから。
だったら、ふさわしい称号は。
「なあライオット。ああいう奴らを、きっと“英雄”って呼ぶんだろうな」
隣にいた相棒に小声でつぶやく。
すると、大斧をかついだ無口な巨漢は、めずらしく熱のある口調で言った。
「30年前、ロードスに跳梁した魔神を退治した勇者たちは、“魔神殺し”(デーモン・スレイヤー)と呼ばれたそうだ。彼らもそう呼べばいい」
どうやら、ザクソンのライオットも興奮しているらしい。
それが少しだけおかしくて、ザムジーは小さく笑った。
「なるほど。そいつはぴったりの呼び名だ」
そして、少しだけまぶしそうに冒険者たちを見つめる。
ゴブリンは自滅し、魔神も倒れた。もう村を襲う妖魔は残っていない。
今度こそ、これまでと同じ日常が帰ってくるだろう。
長い戦いの日々に終止符を打った、4人と1匹の若き英雄たち。
村人たちが見つめる中、英雄たちの笑声は平和の到来を告げる狼煙となって、ザクソンの空に響いていった。
シナリオ4『守るべきもの』
MISSION COMPLETE
獲得経験点
上位魔神ラグアドログ(モンスターレベル11)
11×500=5500点