インターミッション3 シン・イスマイールの場合
馬車2台に満載された、文字どおりの宝の山。
その荷台をのぞき込んで、ターバ神殿財務担当司祭・マッキオーレは、にやける口許を引き締めることができなかった。
これだけあれば、当分は余裕のある神殿経営ができるだろう。
王都からターバまでの道中、ルージュが鑑定して作った財宝リストと評価額一覧に、マッキオーレがふふふと笑みを漏らす。
「しかし、血は争えませんな。ニース様のお若い頃もそうでしたが、レイリア様もこれからのターバに必要不可欠なお方になるでしょう。信者獲得の上でも、収入確保の上でも」
司祭と言うより商人のようだ。黒い思惑が透けて見える言葉に、レイリアの笑みが軽くひきつる。
大地の女神、豊饒神という神格があるからだろう。マーファ教団は他の宗派に比べて自給自足の傾向が強い。神殿は農村に根付き、信徒たちからの寄進も農作物が大半を占めている。
そこには何の問題もない。だがその反面、司祭たちが金銭を軽視するようになったのは問題だ、とマッキオーレは思う。
最高司祭ニースが気前よく住民を支援するため、ターバ神殿は毎年多額の出費を強いられている。それを支えるのはニンジンでもジャガイモでもなく、彼らが軽視する金銀なのだ。
護符の販売や司祭たちの魔法でいくらかの現金収入はあるが、決して十分ではない。ニースが氷竜ブラムドから譲り受けた宝物がなければ、とうの昔にターバ神殿は破産していただろう。
毎年赤文字で収支報告書を作りながら、マッキオーレは何とかしようと日々頭を悩ませていたのだが、そんな心配もこれで一挙に解消された。
見習い神官たちを総動員して財宝を宝物殿に運ぶよう指示すると、マッキオーレは若い2人に顔を向けた。
「レイリア様、シン殿、よくやってくれましたな。これでターバ神殿も一息つけるでしょう」
「いえ、全ては国王陛下とラルカス最高導師の御芳志です。私たちはただ、それを預かってきたに過ぎません」
にこりと微笑んでレイリアが応じる。
「調子いいな。出かける前は、無駄遣いするな、贅沢するなって口を酸っぱくして言ってたくせに」
すっかり態度の変わったマッキオーレに、シンがぼそりと呟いた。
ニースから王都への護衛任務を引き受けるに当たって、シンたちへの依頼料はひとり1万ガメル、プラス必要経費という契約だった。高額の依頼料に渋面になったマッキオーレは、少しでも必要経費を削ろうと口うるさく注文をつけてきたのだ。
だが蓋を開けてみれば、王都から持ち帰った財宝は少なく見積もってもその数十倍。シンたちに対するマッキオーレの評価は急上昇している。
「シン……」
レイリアが窘めるようにシンを見たが、マッキオーレは気にした様子もない。
「ははは、これは手厳しい。お詫びと言ってはなんですが、必要経費は審査なしで全額認めますぞ。遠慮なく請求して下さい」
愛想良く応じると、マッキオーレは辺りを見回した。
「そういえば、ライオット殿とルージュ殿はどちらへ?」
「あの2人ならニース様のところに行った。今度は宮廷魔術師を脅して金品をむしり取る算段をするらしい」
国王の命令で護衛についていた兵士が盗賊に買収され、手引きをした件だ。
調査の結果、宮廷の陰謀とは全く関係なく、兵士の目が欲に眩んだだけと判明した。だが真相が単純であるため、王国政府としては言い訳もできない。マーファ教団は大きな貸しを作ることになるはずだ。
リュイナールが苦虫を噛み潰しながら《テレポート》で跳んでくると、ライオットとルージュは護衛兵隊長を伴ってニースの私室にこもっている。
きっと今頃は、難しい話の真っ最中だろう。
「なるほど。すると、財宝はまだまだ増えそうですな」
マッキオーレがにやりと笑う。
彼の耳に聞こえているのは銀貨の鳴る音か、はたまたチャ・ザの声か。
ライオットと馬が合いそうだな、と思ってシンが眺めていると、視線に気づいたマッキオーレが咳払いした。
「それはそうと、最近こんな話がありましてな」
声を低くしてふたりを順に見る。
話題を逸らそうとしているのはバレバレだが、いかにも重要な話をするかのような雰囲気に、シンとレイリアは思わず身を乗り出した。
「2ヶ月ほど前、街道に食人鬼(オーガー)が出没する事件がありました。退治なさったのはシン殿ですから、もちろんそれはご存じでしょうが、話には続きがあるのです」
シンにとっては初陣にあたる事件。もちろん忘れるはずがない。
あの時は醜態を晒したが、今の自分なら、ギムの横で恥ずかしくない戦いができるはずだ。
機会があれば今の自分を見てもらいたい。
ライオットはシンに言った。戦いに必要なのは虚勢とやせ我慢だと。
こと実戦に関して、ライオットはシンより遥かに多くの経験を積んでいる。先達の言うことを否定する気はないが、シンがたどり着いた結論は、それとは違うものだった。
戦うとはどういうことか。
その問いに明確な答えを手に入れた今のシンは、2ヶ月前とは別人になっている。
遠い目をしてうっすらと笑みを浮かべたシンを、レイリアが頼もしそうに見つめていた。
魔神戦争の英雄ニースをして、実直にして至誠と言わしめたシンのまっすぐな人柄。それは邪教400年の怨念や宮廷の策謀に曝されても、いささかも曇っていない。
力に驕ることなく、溺れることなく、流されることなく、まるで向日葵のように、まっすぐに太陽を向いている。
レイリアは思うのだ。
もし30年前にシンがいたら、魔神戦争の英雄として歴史に名を刻んだ戦士は“赤髪の傭兵”でも“白騎士”でもなく、この“砂漠の黒獅子”だったのではないか、と。
「先月巡回に当たっていた神官戦士団の報告によれば、あの騒ぎと前後して、白竜山脈の北部一帯からゴブリンやコボルトといった下級妖魔の群れがいなくなったそうです。戦士長は、オーガーの餌にされるのを嫌って南に逃げ出したのではないか、と申しておりました」
ゴブリンに代表される下級妖魔は、訓練を受けた戦士からすれば弱いと言えるが、農民たちにとっては十分な脅威だ。
そのため神官戦士団が定期的に駆除を行い、ターバ周辺の安全を守っているのだが、今年はそれが空振りに終わったらしい。
レイリアがシンにそう補足すると、シンは首を傾げてマッキオーレに尋ねた。
「ということは、南の方で被害が出そうなもんだけど。そんな話はないのか?」
「そのような報告はございませんでした。つい先日までは」
我が意を得たり、とマッキオーレの目が光る。
「〈栄光の始まり〉亭の女将が神殿に話を上げてきたのが3日前になります。ターバから2日ほど南にある小さな村……ザクソンというのですが、この村の郊外にゴブリンの群れが移動してきたらしい、と」
どこからかオーガーが現れた。
ゴブリンが南に逃げた。
そこにはザクソンの村があった。
ここまで分かっているなら、次に起きる事件は誰の目にも明らかだ。
「それで、神官戦士団が駆除に向かったわけだ」
「いいえ」
シンの言葉を一刀両断にして、マッキオーレが首を振った。
「神官戦士団は動いておりません。動く予定もありません」
シンの眉が跳ね上がる。
「なぜ?」
「これは宮廷の仕事だからです」
あっさりとした答えに、シンの目つきが険しくなる。気のせいか空気まで刺々しくなったよう。
威圧感さえ漂わせるシンを、マッキオーレは正面から見つめ返した。
「言っておきますが、仕事をサボろうとしているわけではありませんぞ。その点は誤解なきように。神官戦士団からは、行かせてくれと矢のような催促が来ております」
「だったらなぜ?」
「ターバ神殿が公的に手を伸ばせば、武力による侵略と言いがかりをつけられる恐れがあるからですよ」
誰から?
もちろん宮廷からだ。
マーファ教団はアラニア王国の臣下ではない。ターバ周辺の自治を認められ、半ば独立国家のような存在である。
それに対して、ザクソンは完全にアラニア領。村から税を取る権利も、村を庇護する責任も、全ては宮廷にある。
距離こそ近いが、ターバとザクソンの間には国境線と呼べるほど明確な境界線があるのだ。
シンにとって政治的駆け引きは専門外だが、その理屈は理解できた。不承不承矛を収める。
だが理解できたからと言って、不満まで解消されるものではない。
「けど、宮廷の奴らがこんな辺境まで兵を送るか?」
「まあ、送らないでしょうな。住民もさほど期待していないでしょう。だから冒険者の店に依頼があったのですよ。ゴブリンの群れを退治してほしい、と」
そこで〈栄光の始まり〉亭が出てくるわけだ。
シンは店の常連たちの顔を思い出した。決して高レベルではないが、ゴブリン程度なら何とかしてくれるだろう。
宮廷は動かない、神殿も動けないという状況では、冒険者というのが次善の策だ。腰が軽く対処も早い。
この世界で冒険者という存在が認められる理由の一端を知って、シンは納得したように頷いた。
「なるほど。それなら安心だ」
「ところが安心ではないのです。それで済めば神殿に話など回ってきません」
マッキオーレが首を振る。
ザクソンの狩人たちが偵察した結果、ゴブリンの数はおよそ40と推測された。かなりの規模の群れだ。中には“王”(ロード)というべきボスもおり、単なる下級妖魔と侮ってかかれば返り討ちにされるだろう。
となると初級の冒険者では対応できないが、ザクソンは寒村だ。中堅以上を雇えるほどの報酬を用意できなかったらしい。
駆け出しの若者たちは依頼の難易度に後込みし、中堅たちはリスクにあわない報酬に見向きもしない。
「その結果、依頼はどこにも引き受け手がなく、困り果てた〈栄光の始まり〉亭の女将が相談に来たのですよ」
冒険者たちを責めるのは酷だろう。彼らは趣味や慈善事業で妖魔退治をしているわけではない。生きる糧を得るための業として、命を賭けて戦うのだ。
命に釣り合うだけの報酬を求めるのは当然と言える。
「だったら話は簡単だ」
話を最後まで聞くと、シンは事もなげに言った。
「今から〈栄光の始まり〉亭に行って、俺が依頼を受ける。ライオットとルージュと3人で行ってくるよ」
その言葉を聞いて、かかった、と言わんばかりにマッキオーレの目が光った。
「ザクソンが用意できた報酬は、全部で2500ガメルですぞ?」
王都ミッションの10分の1以下。シンたちから見ればコーヒー代程度の感覚だ。常識的に考えれば、この端金で熟練冒険者が動くものではない。
あくまでも表面上は勧めない風を装って、マッキオーレが止めに入る。
すると、シンは想定したとおりの反応を示した。
「ザクソンに困ってる人たちがいて、俺たちが行けば助けられるんだろ? だったら行かない理由なんて何もないさ」
青くさい理想論。
だがシンには、それを実現させるだけの実力が備わっているのだ。気負う様子など微塵もなく、ちょっとそこまで散歩に、という程度で答えてしまう。
「シン……」
期待するとおりの勇者像。
胸の前で手を組んだレイリアが、きらきらした瞳でシンの横顔を見上げている。気のせいか頬が赤く染まっているようだ。
目ざとくそれを見つけたマッキオーレが、しれっと口を挟んだ。
「そこまで言われては、私にどうこう言う権利はありませんな。レイリア様、我々はここで無事を祈るとしましょう」
わざとらしく聖印を切ると、はっとしたレイリアが毅然と声を上げる。
「いいえ。私も行きます」
「レイリア様。無茶をおっしゃらないで下さい。神殿の司祭が出向くわけにはいかないと、いま説明申し上げたばかりですぞ」
ため息混じりの声にも、レイリアは頑なに首を振る。
「神殿の司祭だからダメなのでしょう? だったら私も、冒険者として〈栄光の始まり〉亭で依頼を受けます」
そしてレイリアはシンを見上げると、複雑な表情で見下ろす黒い瞳に懇願した。
「父の館で言いましたよね? 一度だけ冒険者として一緒に冒険するって。お母様の許可は私が取ります。シン、どうか私も一緒に連れて行って下さい」
「レイリア、妖魔の数は多い。何が起こるか分からないし、今回はやめておいた方が……」
一緒に行ってくれるというのは正直嬉しいが、無用の危険に晒すのは本意ではない。シンがためらいがちに言うと、レイリアは勢いよく首を振った。
「足手まといにはなりません! こう見えても剣の腕には自信があります。邪教の司祭には敵いませんでしたが、相手がゴブリンなら絶対負けません!」
確かに、レイリアはファイター5レベルという設定だ。その言葉に嘘はない。
それを思い出してなおも逡巡していると、レイリアはシンの両手を取り、きゅっと握りしめた。
「シン。あの時言ってくれましたよね。俺には君が必要だって。あの言葉は嘘だったんですか? 私がいると邪魔ですか?」
清純派美少女が、自分の両手を取って、半分涙目で懇願してくる。
今この場面で言葉を間違えると、自分たちの関係に致命的な結果をもたらす。本能的にそれを察したシンは、表情を改めてレイリアを見つめ返した。
「嘘なんて言わない。俺には君が必要だ。邪魔なんてことあるはずないだろ。だけど俺は、君が必要だから一緒にいてほしい訳じゃない」
予想外の言葉に驚いて、レイリアが目を見開く。
しまった、口が滑った。ここまで言うつもりじゃなかったのに。
自分の失言を後悔したシンだが、今さら黙ることなど許されるはずもない。
無言で先を促すレイリアのプレッシャーに負け、ほとんど自棄になって言い放つ。
「理屈じゃないんだ。君と一緒にいたい。少しでも長く。いつも君の顔を見ていたい。それだけだ。以上」
そして頭まで真っ赤になったシンは、耐えられなくなってそっぽを向いた。
驚きで染まっていたレイリアの表情が、次第にほころび、色づいて花開くのを見なかったのは、シンにとって幸運だったのか、不幸だったのか。
「シン、ありがとうございます……私も同じです」
レイリアの手が、そっとシンの背中に回される。
白い頬は、真銀の鎖帷子に。
黒獅子の腕は、司祭の肩に。
不器用に距離をつめてきた若いふたりは、今、生まれて初めての感覚に心と体を震わせていた。
「計算どおりとは言え、これは効きますな」
やれやれとつぶやきながら、マッキオーレが静かにその場を離れる。
ターバの村に冒険者を送り込むため、ニースが命じた報酬への補助。当初12500ガメルを想定していた予算は、どうやら支出せずに済みそうだ。
一気に黒字に転じた帳簿に思いを馳せて、マッキオーレが黒い笑みを浮かべる。
だがその顔も、ふと2人を振り返ったとたん、まるで孫娘を見る祖父のようなものに変わってしまった。
魔神戦争という動乱に青春を捧げ、女性として当たり前の幸せを失ってしまったニース。
彼女の愛を一身に受けて育ち、清く美しく成長したレイリア。
ふたりの生き様を見守ってきたマッキオーレは、長い長い吐息に乗せて、小声でつぶやいた。
「ニース様。レイリア様はどうやら、あなたが手に入れられなかったものを、しっかりと手にしたようですぞ」
母娘2代にわたる過酷な運命。
砂漠の黒獅子がそれを断ち切ってくれることを、マッキオーレは心から祈っていた。
シナリオ3『鳥籠で見る夢』
獲得経験点 5000点
獲得アイテム
ミスリルチェイン
必要筋力15(防御力25)
回避力修正 ±0
ダメージ減少 +1
今回の成長
技能・能力値の成長はなし
レイリアと相当いい雰囲気になった。
経験点残り 18500点