インターミッション3 ルージュ・エッペンドルフの場合
宮廷魔術師リュイナールこと、灰色の魔女カーラ。古代王国の秘術の継承者。数百年の年月を閲してきたロードス最強の魔術師。
まさかその彼女に、直接魔法の講義を受ける日が来ようとは。世界中の魔術師が羨むに違いないシチュエーションだ。
リュイナールと並んで馬車に揺られながら、ルージュはしみじみと自分の幸運に想いを馳せていた。
「約束ですから、何でもお望みの呪文をお教えしますよ。この都にはちょうどいい場所がありますので、これから一緒に如何ですか?」
ロートシルト男爵夫人とともに〈黄金の太陽〉亭を辞去するに当たり、リュイナールはそう言ってルージュを馬車に誘った。
行き先は賢者の学院。新しい魔術の修得には、やはり遠慮なく魔法を使える空間が一番だという。
前後を護衛の兵士に囲まれながら、馬車は学院へと続く坂道を登っていく。
夫の愛車である国産スポーツカーも乗り心地が悪いが、この馬車はもっと酷かった。車輪は木製で、それを鉄で補強したもの。衝撃をいなすサスペンション機構など存在せず、あらゆる振動がダイレクトに客室に伝わってくる。
日本の技術を懐かしく思い出しながら、その揺れに身を任せて窓の外を眺めていると、不意にリュイナールが口を開いた。
「ルージュ殿。ひとつだけ聞いてもよろしいですか?」
「どうぞ。答えるかどうかは保証しないけど」
心中でいささか身構えながら、ルージュがリュイナールを見返す。
黒髪に黒い瞳の、穏和な表情の男性。
外見からはどこまでも優しいイメージしか受けないが、この相手は“灰色の魔女”なのだ。油断はできない。
相手の警戒を気にした様子もなく、リュイナールは言葉を続けた。
「ルージュ殿はなぜ、このロードスに来たのですか?」
「…………」
それまでちょっと気だるげだったルージュから、すっと表情が消えた。
この魔女はどこまで知っているのだろう。
カーラが知りたいのは、井上喜子がロードス島に来た理由なのか。それともルージュ・エッペンドルフが来た理由なのか。
場合によっては重大な決断をしなければならない。
ルージュは紫水晶の瞳を細めて、紅玉のサークレットを見た。
「これはニース殿の持論なのですが。ロードスは、英雄を必要とする時代に英雄を生む能力を持っているそうです。400年前のアラニア建国も然り、30年前の魔神戦争も然り。この島には幾多の英雄が産声を上げ、伝説級の武勲を打ち立ててきました」
あなたもその英雄のひとりでしょ、とツッコミたかったが、ぐっと我慢。氷のような無表情を維持して内心を覆い隠す。
ルージュが答えずに沈黙を守っていると、リュイナールは窓の外に視線を向けた。
「私の見たところ、あなたもそのひとりのようだ。失礼ですが調べさせていただきました。ライデンに上陸する前の経歴を調べるのは苦労しましたよ。“奇跡の紡ぎ手”アルトルージュ皇女殿下」
「……バグナードといいあなたといい、どこから調べてくるわけ?」
ため息をつきながら、渋々と口を開く。
内心の安堵と呆れ。
どうやらこの世界には、ルージュとしての強固な過去が存在するらしい。それを飛び越えて真実にたどり着くのは、カーラといえども至難の業だろう。
「調べものは魔術師の基本ですから」
答えになっていない答えを返してはぐらかすと、リュイナールは正面からルージュに向き直った。
「ルージュ殿。あえてルージュ殿と呼ばせていただきますが、あなたがお求めになった魔法に《ディメンジョン・ゲート》が入っていました。古代語魔法の奥義と言える魔法だ。失礼ながら、今のあなたに使えるとは思えません。それでも希望なさったのは何故です?」
どこまでも穏和な口調だが、逃げることは許さないという意志も感じさせる。これに答えない限り、この魔法を教えてもらうことはできないだろう。
嘘はつけない。カーラが相手ではすぐにバレる。
直感的に悟ったルージュは、静かに目を閉じた。
ふと故郷を思う。
築40年のボロ官舎や、ローラー滑り台のある近所の公園。夫と自転車で買い出しに行ったスーパーマーケット。すぐ近くにあるまあまあのケーキ屋と、ちょっと遠くにある美味しいケーキ屋。
特別でも何でもない、ごくありふれた日常の風景。
「もう一度故郷を見たいから、かな?」
ぽろりとこぼれた言葉に、リュイナールの眉が動く。
小さく息をもらすと、ルージュは目を開けた。
「ロードス島に来た理由はね、私にも分からない。来たくて来たわけじゃないから。私は臆病だから、戦うのも好きじゃない。だから思ったの。《ゲート》があれば、いつでも故郷に帰れるんじゃないかって」
リュイナールは無言で聞き入っている様子。
カーラ相手にこんな庶民的な感覚が通用するかどうか知らないが、ルージュは自分の想いを、できるだけ正確に綴ろうとした。
夫にも話したことのない、本当の本音。
たぶん、2度口にすることはないだろう。
「覚えたからって、本当に帰れるかどうかは分からないよ? 仮にゲートが開いてあっちと繋がっても、私はライくんと一緒じゃなきゃ嫌だし、ライくんはリーダーに付き合うつもりだから。結局、リーダーとレイリアさんの問題が片付くまではここにいなきゃいけないんだと思う。だけどさ」
馬車が大きく揺れて停止した。学院の正門に着いたらしい。
警備の兵士が門番に何事かを告げると、馬車は再び走り出した。先日訪れた本館ではなく、大きく回り込んで別の建物へと向かう。
「だけど、『帰れない』のと『帰らない』のは全然ちがうでしょ? ずっとじゃなくていい。1日だけでもいい。いつかまたライくんとふたりで、満開の桜並木を散歩できるならさ。頑張って魔法のひとつも覚えようって気になるじゃない?」
そう言って故郷を懐かしむように微笑したルージュを見て、リュイナールはまぶしそうに目を細めた。
古代王国の滅亡期。ロードスに栄えていた都が灰燼に帰するのを、貴族の令嬢だったカーラは悲痛な想いで見つめていたはずだ。
故国を滅ぼされ、故郷を追われたアルトルージュ皇女と同じ立場。カーラの琴線に望郷という想いが共鳴したのかもしれない。
「なるほど。よく分かりました」
リュイナールが納得した様子で頷く。
それからしばらく、どちらも口を開かなかった。
決して居心地の悪くない、穏やかな沈黙が続く。
馬車が再び止まったのは、体育館のような巨大な建物の前だった。
護衛の兵士を外で待たせ、ふたりだけで中に入る。
そこは、柱のない巨大な空間だった。
一面に古代語のルーンが刻まれ、明らかに魔法の防護がかかっている様子。
「ここは修練の間。壁にも屋根にも床にも、強力な《ルーン・シールド》の魔法が恒常化されています」
つまり、どんな強力な攻撃魔法を使っても壊れないということだ。
他には誰もいない空間に、ふたりの足音だけが響く。
その中央で足を止めると、リュイナールはルージュにひとつの指輪を差し出した。
「これを差し上げます。指にはめて、これから私が作る魔術の構成を目に焼き付けてください。あなたの故郷へと帰る門の設計図です」
「分かった。ありがとう」
七色に輝く小さな指輪。ルージュがそれを指にはめると、視界にマナが『見えた』。
魔術師が“力ある言葉”で操る万物の根元を、一言でマナと呼ぶ。
本来目に見えるものではない。おそらく人によって違うのだろうが、ルージュは心象風景として風に流れる蜘蛛の糸のようなものをイメージしていた。
それが、光り輝く霧のように、うっすらと見えたのだ。
「これは……!」
「私が昔作ったものです。ルージュ殿、あなたの魔術は強力ですが、構成がまだまだ荒い。もっと緻密にイメージしてください。それができなければ《ゲート》は開けません」
リュイナールがすっと手を挙げ、複雑な動きとともに呪文の詠唱を始めた。
すると動作に応じて光の霧が寄り集まり、圧縮され、線となって再配置されていく。腕の振り、肘の角度、指1本の動きに至るまでマナは敏感に反応して、世界の設計図を書き換えていく。
ルージュは呆然としてその魔術を見つめていた。
光の文様は複雑に重なり合い、積層型魔法陣とでも呼べるオブジェを空間に現出させている。
それはまだ下書きのようなもの。マナを活性化させて現実に干渉するまでは、誰の目にも見えないただの幻だ。
「すごい……」
だが、それが信じられないほど緻密に構成されていることに気づいて、ルージュは思わずため息をもらした。
レベル10以上と規定されたカーラの魔術師技能。
その真価を垣間見て、心底思い知らされた。魔術師として、自分の能力は彼女に遠く及ばない、と。
『万能なるマナよ、彼方への門となってその姿を現せ!』
呪文の最後の一説に呼応して、魔法が発動して現実に干渉し、世界を一気に書き換えていく。
積層型魔法陣は回転しながら床に舞い降り、そこに銀色の円盤を現出させた。
《ディメンジョン・ゲート》。時空を越え、遙か遠くへと世界を繋げる次元の門だ。
「ルージュ殿、これが《ゲート》です。あなたが故郷を見たければ、同じものをあなたが作らなくてはなりません」
リュイナールが腕を下ろし、静かに振り向く。
あまりの規模と緻密さに圧倒されて、ルージュは硬い表情で銀色の円盤を見つめていた。
「そりゃ遺失もするよね。こんな魔法、使える人間がぽんぽんいるはずない」
誰かが使えても、それを継承する者が出てこなければ途絶えてしまう。
どうやら、故郷への道のりはかなり遠そうだ。
多難な前途を思ってため息をついていると、リュイナールが銀盤へとルージュを差し招いた。
「あなたに見ていただきたいものがあります。一緒に来てもらえませんか?」
なるほど、これは《ディメンジョン・ゲート》。どこかへ繋がっているはずだ。
リュイナールの見せたいものが何なのか、ルージュは興味を覚えて素直に従った。
ふたりが並んで銀盤に立つと、足からゆっくり沈んでいく。
軽く目眩を覚えて目を閉じ、軽く頭を振って再び開けたとき、付近の風景は一変していた。
白く輝くような初夏の日差し。
膝丈のやわらかな草原が広がり、小鳥のさえずる声や風の渡る音が聞こえてくる。
そして、正面には蒼く大きな湖。
どこまでも深く透き通った美しい湖面は、ゆっくりと流れる雲を映して、漣ひとつない。
悠久。
清浄。
そんな言葉が似合いそうな風景だった。
人の手が入った様子はなく、ただ汚れない世界がそこにある。
「綺麗なところだね。なんていう湖なの?」
草の匂いのする風を胸一杯に吸い込んで、ルージュは大きく背伸びをした。
本当に美しい景色だ。邪教だの亡者の女王だのに悩まされた心が癒されそう。きっとマイナスイオンがいっぱいに違いない。
猫のように目を細めたルージュに、リュイナールは静かに答えた。
「ルノアナ湖。そう呼ばれています」
その言葉を聞いて、ルージュの動きが止まる。
そっと巡らせた視線の先で、リュイナールはとても穏やかな顔をしていた。
「今はもう何もありませんが、私にとってここは大切な場所なのです」
ルノアナ。今から500年前まで、ロードス全土を治めていた太守の都があった場所だ。
ということは、この湖の底には都が沈んでいることになる。他でもない、カーラ自身が生まれ育った都が。
「そんな所に、どうして私を連れてきたの?」
湖ではなく過去を見つめる横顔から目をそらして、ルージュが尋ねる。
帰ってきたのは苦笑だった。
「気を悪くされそうですが、あなたを選んだことに理由はありません。ただ、私以外の誰かに、この景色を見て欲しかっただけなのです」
後ろ半分は本当だろう。
だが、前半分は嘘だ。
故郷を追われた女同士、懐旧に身を任せる時間を共有したかったのではないか。ルージュは理由もなくそう思ったが、それを口に出すのは無粋と言うべきだった。
「そう? なら、そういうことにしといてあげる」
ん~、と背伸びの続きをしながら、再び視線を湖に向ける。
リュイナールがもの言いたげな様子だったが、それは無視した。
カーラにとって、これは墓参りのようなものなのだ。部外者と対話するより、過去と対話してもらった方がいいに決まっている。
それがルージュなりの礼儀だった。
リュイナールもことさらに口を開かず、穏やかな沈黙が降りる。
どれくらいそうしていたのだろう。
「そろそろ帰りますか」
閉じてしまった《ゲート》をもう一度開くために、リュイナールが呪文の準備を始める。
また芸術品のような構成が刻まれていくのを眺めながら、ルージュはふと口を開いた。
「ねえ、リュイナールさん。ここがあなたの大切な場所だって言うなら、ここに家を建てて、この景色を守りながら生きていく気はないの?」
宮廷の策謀も灰色の陰謀もすべて忘れて、この美しい土地で過ごした方が、ずっと幸せなのではないか。
そんな願いを込めた言葉に、リュイナールは少なからず驚いたようだ。
せっかく展開した構成が、風に流されて霧散してしまう。だがそれを気にした様子もなく、黒い瞳はルージュを見つめていた。
「ここに、家を?」
「そう。アラニアを牛耳って世界征服したいって言うなら止める気はないけど。そうじゃないなら、ここでのんびり過ごすのも悪くないと思うよ」
ルージュの冗談めかした本音に、リュイナールはしばらく黙っていたが、やがて小さな笑みを浮かべた。
今までのように表情をつくろった穏雅な微笑ではなく、呆れと驚きが奇妙に同居した、心が透けて見えるような苦笑だった。
「ルージュ殿。あなたの発想力には本当に驚かされますね」
リュイナールはそう言うと、再び腕を振りあげて呪文の詠唱を始めた。
ルージュも今度は口を挟まずに見守る。
呪文が完成し、銀色の円盤が姿を現すと、リュイナールは言った。
「今の私には、為すべき事があります。それがひと段落したら、あなたの忠告に従う日が来るかもしれません」
「そしたらお茶くらい付き合うよ。レイリアさんと男爵夫人みたいに」
故郷を追われた女同士、愚痴と思い出話に花を咲かせるのも悪くない。
ほんの少しだけ灰色の魔女に親しみを感じながら、ルージュはにこりと頷いた。
静寂の湖ルノアナに、新しい風が吹き始めていた。
シナリオ3『鳥籠で見る夢』
獲得経験点 5000点
獲得アイテム
ミスリルローブ
必要筋力 1(防御力 6)
ダメージ減少 +2
精神抵抗力 +2
カーラの指輪
魔術師が指にはめることで、常に
《センス・マジック》
《アナライズ・エンチャントメント》
が働いている状態になる(魔法強度は使用者に依存する)
今回の成長
技能・能力値の成長はなし
以下の古代語魔法の遺失限定が解除された
6レベル《マインド・スピーチ》
8レベル《スタン・クラウド》
10レベル《ディメンジョン・ゲート》
経験点残り 14500点