シーン8 冒険者の店〈黄金の太陽〉亭
「ライくん、この金貨の袋は何だっけ?」
「それはラルカス学長からターバ神殿への寄進だろ」
「違うよ。学院からの宝物はあっち側。こっちにあるのは王宮からもらったやつ」
「そうか? 純金のマーファ像なんてあったかな?」
「あれ、おかしいな。レイリアさん、ちょっと目録貸してくれる?」
「少し待ってください。シン、その銀貨の小箱は教団への寄進じゃなく、陛下から皆さんへの報酬ですよ。右の山に移してください」
「マジか。20箱くらいあるんだけど」
「大変ですけど、混ざったらもっと面倒ですから」
スーヴェラン邸での激闘の翌朝。
山と積まれた金銀財宝を前にして、4人は悪戦苦闘していた。
ルーィエがドラゴンの巣穴に例えた宿の部屋は、足の踏み場もないほどの宝物で埋め尽くされている。
現金だけでおよそ30万ガメル。横には美術品や工芸品の類がずらりと並ぶ。他にも魔法のアイテムや魔晶石が大量にあり、分かっているだけでも時価総額50万ガメルは下らないだろう。
「けどさ、どれだけ高価な宝物でも、片付ける方にとっては重たいだけの荷物だよね」
疲労を隠そうともせず、肩をほぐしながらルージュがため息をつく。他の冒険者たちに聞かれたら、嫉妬のあまり呪い殺されそうな台詞だ。
「あーもう、やめやめ。アウスレーゼが迎えに来たら、あいつにも手伝わせようぜ。とりあえず一休みだ。やってられるか」
ライオットが心底うんざりした様子で仕事を放り出す。
すると、銀貨の小箱を抱えたシンが、ため息混じりに窘めた。
「アウスレーゼが馬車で迎えに来る前に、分類だけでも済ませておこうって言ったのお前だろ。言い出しっぺが最初に逃げるなよ」
「そうだよライくん。やると言ったことは必ずやり遂げるっていうのが、唯一の取り柄でしょ? 諦めたらそこで取り柄終了ですよ」
「ルージュさん、さらっと酷いこと言いますね……」
白い神官衣の袖にたすきをかけ、腰までの黒髪をポニーテールにまとめたレイリアが、思わず口を挟む。
するとルージュは、あっさりと首を振った。
「あのねレイリアさん。男っていう生き物は甘やかすととことん付け上がるから、こういう時に優しい顔を見せちゃだめ」
「そうなんですか。参考になります」
生真面目に頷くレイリア。
それを見て微妙な顔をするシンに、ライオットが無言で視線を向けた。お前が余計なこと言うからだ、と言わんばかり。
だがここでコメントを返す愚は百も承知だったので、男どもは黙って作業に戻った。
女性陣に指示されるままに、銀貨の木箱の山を移動させ、彫刻に布を巻いて梱包し、マーファ神殿への寄進と自分たちへの報酬を丹念に仕分けしていく。
どれくらい戦いが続いたのだろうか。
ただ機械的に作業を続ける4人を現実に引き戻したのは、パニックになって階段を駆け上がってきた宿の主人だった。
「た、た、大変ですお客さん! とんでもない方々がお見えに!」
額の汗をぬぐって振り向いたシンが、視線だけで続きを促す。
王宮からもらった目録で宝物をチェックしていたルージュも、羊皮紙から顔を上げて主人を見た。
「宮廷魔術師のリュイナール様と、ロートシルト男爵夫人が、お揃いで訪ねておいでです!」
主人は興奮のあまり口から泡を吹きそうだ。
「何をそう慌ててるんだ? リュイナールは昨日も来たばかりじゃないか」
ライオットは不思議そうに言いながら、窓から表の通りを見下ろした。
正式訪問だからだろう。通りは大勢の衛視が並んで完全に通行止め。馬車が4台ほど並び、護衛らしい兵士たちの姿もある。
「あの方がリュイナール様だと知っていれば、昨日だって慌てましたとも!」
ライオットの言葉に主人が胸を張る。
その様子に小さく吹き出すと、レイリアは袖をしばっていたたすきを外した。
「いずれにせよ、お待たせするわけにはいかないでしょう。この部屋にお招きするのは無理みたいですし、下に降りましょうか」
「そうだな」
シンが肯いて、壁に立てかけてあった剣を取る。
レイリアを先頭にぞろぞろと階段を下りていくと、1階の酒場は異様な雰囲気に包まれていた。
壁沿いには10名ほどの護衛兵が列を作り、中央の丸テーブルにリュイナールとラフィットが腰掛けている。
店内には5名ほどの常連冒険者たちがいたが、ラフィットの放つ存在感は、完全に彼らを圧倒していた。
ラフィットの背後では、男性武官の制服を着たアウスレーゼが、蒼氷色の瞳で冒険者たちを撫で斬りにしている。おまけにそのテーブルの上には、《エネルギーボルト》と《バルキリージャベリン》で地獄を見せた銀毛の双尾猫までいるのだ。せいぜい4レベルの中堅冒険者では対抗できるはずもない。
この店の常連は彼らなのに、悲しいかな、今は完全に場違いだった。彼らにできるのは、酒場の隅に集まって小さくなり、嵐が過ぎるのをひたすら待つことだけだ。
「遅いぞ、ノロマども。荷物の片づけごときに何時間かければ気が済むんだ? このまま日が暮れるかと思ったぞ」
テーブルでラフィットたちの相手をしていたルーィエが、振り向いていつもの毒舌で迎える。
「済みません、ルーィエさん。でも、もう終わりましたから。すぐにでも積み込めますよ」
今回の旅で毒舌にもすっかり慣れたレイリアが、苦笑して受け流す。
ラフィットとリュイナールは、レイリア一行の姿を見ると立ち上がって迎えた。
「レイリア様、昨夜は楽しい時間をありがとうございました。本当はもっと御一緒したかったのですが、ターバにお戻りになるとうかがい、迷惑を承知でご挨拶に参りました」
兵士や冒険者たちを気にしてだろう。昨夜のような親しみではなく、宮廷儀礼を全面に出した言葉遣い。
「それと、スーヴェラン卿の件を聞きました。妾のために皆様がたいそう危険な目に遭われたとか。お詫びの申しようもありません」
そう言って眉を曇らせるラフィットに、レイリアは微笑んで首を振った。
「とんでもない。男爵夫人のお役に立てれば、私たちにとってこの上ない喜びです。それで、犯人はどうなったのですか?」
ちらりとリュイナールを見る。
紅玉のサークレットをはめた宮廷魔術師は、曖昧な微笑を浮かべると部屋の隅に視線を向けた。
先客の冒険者たち。彼らに話を聞かれたくないということだろう。
それを察して、ルージュが彼らに声をかける。
「ここは雰囲気がよくないでしょ? 少し外の空気でも吸ってきたら?」
彼らも本当は逃げ出したかったのだろう。銀髪の魔女に水を向けられると、冒険者たちはこれ幸いと店を出ていった。
シンが無言で店の主人を一瞥すると、彼も心得てカウンターの奥へと姿を消す。
邪魔者がひとり残らず席を外すと、アウスレーゼも兵士たちを引き連れて店の外に出ていった。あっという間に人の気配がなくなり、店全体が貸し切りになってしまう。
「お姉様、こちらに来てお座りになってください。せっかくのご厚意ですから」
部外者がいなくなると、ラフィットは態度を豹変させた。先ほどまで周囲を圧倒していた存在感が嘘のように消え去り、ただの中学生の少女にしか見えなくなる。
ラフィットが隣の椅子をぽんぽん叩いて差し招くと、レイリアはにこりと笑ってそこに腰かけた。
豪奢なラフィットと清楚なレイリアでは、美しさの種類が全く違う。それでも、並んで座るふたりは仲の良い姉妹のようだった。
相手と一緒にいることが嬉しいのだと全力で主張するラフィットの瞳と、それを暖かく包むレイリアの笑顔。
権力の中枢で陰謀と隣り合わせの生活を送っているラフィットにとって、このひとときは本当に貴重なものなのだろう。
その様子を微笑ましく眺めると、リュイナールはシンたちにも座るように促した。
全員が席につくと、一同を見回してから話し始める。
「さて、まずは私もお礼を申し上げます。衛視隊だけでは確実に全滅していただろうと、ベデルから報告がありました。20名ほどは犠牲になったそうですが、残る80名が助かったのは皆さんのおかげです」
黒髪の宮廷魔術師が深々と頭を下げる。
紅玉のサークレットが小さく揺れるのを見ながら、シンが問いかけた。
「それで結局、昨日の戦いは何だったんだ?」
シンの質問には無駄が一切ない。まるで彼の剣技のようだ。
それに対して、顔を上げたリュイナールは、少し考え込むような様子を見せた。
「答えは2つありますね。表面的、と言いますか、宮廷に提出する報告はこうです。昨夜、シン・イスマイール殿の助力を得て、衛視隊がスーヴェラン卿の屋敷に踏み込んだ。屋敷では邪教の司祭たちと熾烈な戦闘になったが、最終的には炎の部族の守護神《イフリート》が現れ、スーヴェラン卿を討ち果たした」
事実は正確になぞっているが、途中経過を省略したため、イフリートの敵味方が逆になっている。
思わず顔を見合わせたシンたちに、リュイナールはすました顔で続けた。
「スーヴェラン卿はイフリートの一撃を受けて、真っ黒焦げで発見されました。真相はどうあれ、ラスター公とノービス伯はこう受け取るでしょう。『砂漠の黒獅子を怒らせるとロクな事にならない』とね」
カーラが画策した、この戦いの目的のひとつ。
砂漠の黒獅子がスーヴェラン卿を討ったという形の成立は、この上なく完璧な形で演出されたわけだ。
これでシンが、そしてその背後にいるレイリアが、ラフィット寄りの立場にいるという事が派手に喧伝された。
事実の有無は関係ない。貴族たちがそう受け取れば、これからは敵対的な行動をとることに躊躇するだろう。
誰だってイフリートなんかに襲われたくないのだから。
「何と申しますか、リュイナール様は状況を利用なさるのがお上手ですね」
感心半分、皮肉半分といった様子でラフィットが宮廷魔術師を見る。
王都の夜に屹立した炎の精霊王の姿は、卿の館から離れた王宮でも見ることができたという。おそらく大勢の人間に目撃されたことだろう。
その現象をどう受け取ろうと見た者の自由だが、淡々と事実を示すことで思考を誘導するリュイナールの手際は見事と言うほかない。
「宮廷の貴族たちに対しては、これで十分なのですが。シン殿の問いに対するもうひとつの答えに関しては、正直なところ五里霧中です」
もうひとつの答え。
すなわち、昨夜の戦いにどんな意味があって、これから状況がどう転ぶか、という現実の話だ。
肩をすくめたリュイナールは、申し訳なさそうにシンを見た。
「率直に申し上げますが、私はスーヴェラン卿が邪教と通じていたとは考えていなかったのですよ。あそこでイフリートさえ現れなければ、捕らえたスーヴェラン卿を締め上げて、洗いざらい真相を吐かせたのですが」
敵に口を封じられてしまい、真相は闇の中。
昨夜から屋敷を捜索しているが、おそらく証拠の類は残っていないだろう。
「総括すると、政治的な意味では当初の目的を達成した。しかし男爵夫人襲撃を含めて、事件の真相は全く分からない。そういうことか?」
端的にまとめたライオットの言葉に、リュイナールは素直に肯いた。
「おっしゃるとおりです。ここまで邪教が肩入れしているとなると、男爵夫人を襲わせたのがラスター公爵であるという前提も、疑問視せざるを得ません」
もしかしたら、本当に邪教が襲わせたのかもしれない、ということだ。
自分も襲われたことのあるレイリアが、気遣わしげにラフィットを見た。
「何か、邪教に襲われるような心当たりはありますか?」
すると、それまで年齢相応の少女だったラフィットが、急に大人びた表情を浮かべた。
レイリアの問いに直接は答えず、いったん目を閉じて考え込む。
やがて目を開くと、ゆっくりと一同を見渡した。
「妾を襲う人は大勢います。今回は邪教の司祭が現れたそうですが、他にもラスター公爵さまやノービス伯爵さま、あるいはその取り巻きたちもそうです」
ラフィットは言葉を選んで、慎重に続けた。
「そんな方々、例えばAという陣営に属している人間は、Bという陣営とはまったく無関係なのでしょうか。妾は、そうは言い切れないと思うのです。お姉様に無礼を働いたラスカーズ卿がそうであったように」
ラスター公、あるいはノービス伯の派閥に所属することと、邪教の手先であることは矛盾しない。
極論してしまえば、ラスター公爵は、スーヴェラン卿が邪教の徒であることを承知の上で、万一の時には責任を押しつけることを考えて利用したのかもしれない。
ラフィットはそう続けると、年齢不相応に厭世的な表情を浮かべた。
「宮廷は虚と実が入り乱れる毒蛇の巣です。誰もが笑顔で会話を交わしますが、本音を語る人などひとりもいません。何が本当で、何が嘘なのか。それを嗅ぎ分けながら権勢を築いたおふたりを、あまり甘く見ない方が宜しいかと存じます」
14歳の少女とは思えないほど重々しい言葉に、リュイナールまでもが押し黙る。
建国以来の宿敵であるカーディス教団さえも利用して、権力闘争に明け暮れる宮廷。
その闇がどれほど深いのか。身を置いたラフィットだからこそ分かる感想に、誰もが言葉を返せなかった。
だが、そんな空気も長続きはしなかった。
「けれどお姉様、邪教に関して心配はご無用です」
がらりと雰囲気を変えたラフィットが、にこりと微笑む。それだけで場の空気は色を転じてしまった。
「妾は、邪教と対立する立場にはありません。邪教が妾を襲っても意味がありませんから」
それどころか、レイリアの墓所封印を撤回させたラフィットは、邪教にとって好都合な存在とさえ言えるかもしれない。わざわざ襲って亡き者にしたところで、彼らには何ら利益をもたらさないだろう。
「ラフィット。油断は禁物です。そう都合良くいくかどうか」
心配そうなレイリアに、ラフィットは首を振った。
「いいえ。むしろ危険なのはお姉様の方です。彼らが真っ先に狙うのはお姉様なのですから」
今回は、たまたま離宮にいたから危険な目に遭わずに済んだ。
だが、次も無事に済むとは限らない。
何しろレイリアは“亡者の女王”の転生体。最高司祭ナニールの生まれ変わりなのだ。
「もし奴らが襲ってきたら、レイリアは俺が守るよ。何度でも」
ラフィットの言葉に、シンが力強く答える。
幾度目かの死線をくぐり抜けて、またひとつ自信を深めた様子だった。言葉にまったく迷いがない。
それを聞いて、レイリアが嬉しそうな笑顔を浮かべた。
完全に無防備な表情は、彼女がどれほどシンを信頼しているか、その深さを如実に感じさせる。
ずっとシンを見つめてきたレイリアには、成長ぶりが誰よりもよく分かるのだろう。
少しずつ強くなる主人公と、それを見守るヒロイン。これがマンガなら、背景に花が咲き乱れそうな展開だ。
「シン……」
「俺さ、何となく分かった気がするんだ。戦うってどういう事なのか。何のためにこの剣があるのか」
部外者を排除して、ふたりの周囲にバラ色の結界が形成される。
これでしばらくは、外の声など耳に入らなくなるだろう。
処置なしという風情でライオットとルージュが肩をすくめると、リュイナールが苦笑いを浮かべた。
「“砂漠の黒獅子”がレイリア殿を守ろうとする理由が、よく分かりましたよ」
「分かりやすくて助かるだろ?」
ライオットがにやりと笑う。
カーラの立場では、砂漠の黒獅子がマーファ教団と接触したことに、必ず政治的な目的があると考えていただろう。
もちろんそんなものはない。このバカップルを見れば誰にでも分かる。
結果として接触した意義は生まれるかもしれないが、シンにとってはどうでもいいこと。それもこの上なく明確に理解できたはずだ。
「ごめんなさいね、男爵夫人。すぐ済みますから」
「そうでしょうか?」
ライオットの隣でルージュが頭を下げると、ラフィットは面白くなさそうに唇をとがらせた。
「お姉様は妾よりもシン様の方がお気に入りのご様子。どうせ妾など眼中にないのですわ」
不機嫌を隠そうともしないラフィットに、あわててレイリアが向き直る。
「そんな事はありません。私にとってラフィットは一番の友人です」
「どうかお気遣いなく。妾はそのお言葉だけで十分です。お姉様は存分にシン様との逢瀬をお楽しみなされませ」
「逢瀬って、そんな……」
年若い寵姫がひとしきり拗ねて見せ、レイリアが彼女を懸命になだめる。
そのありふれたやりとりが、ラフィットにとってどれほど救いになることだろう。
国王の愛妾として宮廷に絶大な影響力を持ち、男爵夫人として貴族の一員に列せられる彼女が、14歳の素顔を見せられる時間は今しかないのだ。
砂時計にダイヤモンドを砕いて流すような時が流れる。
誰もが黙って見守る中、ラフィットは不意に言った。
「お姉様。実は妾には、もうひとつ本当の名前があるのです」
「本当の名前?」
レイリアが小首を傾げる。
「はい。ラフィットでもロートシルト男爵夫人でもない、妾の本当の名前です。お姉様だけにお教えします。誰にも、シン様にも内緒にして下さいますか?」
ささやかでも、ふたりだけの秘密ということだろう。
破顔したレイリアが肯くと、ラフィットは耳に唇を寄せた。
吐息を感じてくすぐったそうにするレイリアに、ラフィットがひとつの名前をささやく。
アドリー、と。
その名前を心の中に書き留めると、レイリアは正面からラフィットを見つめ返した。
「お約束します。この名前は、私とラフィットだけの秘密です。シンにも教えません」
「ありがとうございます、お姉様」
権力も財産も関係なく、互いの本音だけを語り合って心から笑い合える、世界で一番大切な人。
宮廷という鳥籠の中で夢見てきた存在。
その相手に、ラフィットはそっと抱きついた。
「お姉様。どうか、妾たちにとってよき未来が訪れますように。誰にも邪魔されずに、またお茶を楽しむ時間が持てますように。妾、毎日神様にお願いいたしますわ」
祈るように、誓うように、ラフィットがささやく。
少女の背に腕を回して抱き返しながら、レイリアはそっと瞳を閉じた。
「必ずまた会いに来ます。お約束します」
神聖とさえ呼べるような情景の中、それぞれの想いを乗せて、静かに時間が過ぎていく。
望むもの。
求める未来。
それが重なり合っていることを信じて、少女たちはただ、互いの暖かさに身を委ねていた。
シナリオ3『鳥籠で見る夢』
MISSION COMPLETE
獲得経験点
バグナード(ソーサラー10レベル)
アンティヤル(ファイター10レベル)
10×500=5000点
マスターシーン ロートシルト男爵夫人邸
レイリアへの挨拶をすませてラフィットが離宮に戻ると、小さな主人をメイドたちが一斉に取り囲んだ。
外出用の外套を受け取る者、飲み物を差し出す者、髪に櫛を入れる者。それぞれが与えられた役割を素早く果たし、一礼して引き下がっていく。
最後に残った秘書役の侍女・ランシュが、小声でラフィットに耳打ちした。
「導師様がお目通りを願っておられます。如何なさいますか?」
「導師様が?」
少しだけ驚いて、ラフィットがランシュを見返す。
彼女は国王に与えられた使用人ではなく、以前からラフィットに仕えてきた部下だ。口の堅さは信用できるし、その忠誠も疑いない。
「面白い物を手に入れたのでお目にかけたい、と」
彼が自ら行動を起こすなど、珍しいこともあったものだ。よほど昨夜の一件が腹に据えかねたと見える。
今夜は王宮へ出かけて、また国王の伽を勤めねばならない。その前にどれくらい時間が取れるかと考えながら、ラフィットはランシュに頷いた。
「いいわ。着替えたらお部屋に伺いますとお伝えして」
「かしこまりました」
ランシュは小さく頭を下げると、主人の言葉を伝えるため足早に去っていく。
対照的にゆっくりとした足取りで自室に向かいながら、ラフィットは廊下の窓から外を眺めた。
手入れの行き届いた庭の向こうには、遠くターバのマーファ神殿があるはずだ。
「お姉様……」
抱き合った肌の暖かさを思い出し、そっと胸に手を当てる。
大地母神の聖女に守られた、彼女が姉と慕う女性。
再会の日は、そう遠くはないはずだ。
何の希望も持てずにただ耐えた歳月に比べれば、蒔いた種が芽吹くのを待つ時間など、むしろ楽しみでさえある。
次に会ったら何を話そう。また肌を重ねることを許してくれるだろうか。その時は愛情と技巧の限りを尽くして、法悦の極地へと導いて差し上げよう。
下腹部に熾き火のような熱を感じながら、ラフィットは自室で着替えを済ませ、客人に提供している別館へと向かった。
本館から離れた小さな別館。ここは使用人たちの立ち入りを厳しく禁じてある。出入りが許されているのは、ラフィットが信頼するごく少数の者だけだ。
「お待たせしました、導師様」
別館の2階。
王宮の尖塔を眺望できる上質な部屋に入ると、ラフィットはにこりと微笑んで会釈した。
中には3人の男たちが待っていた。
「わざわざお呼びだてして申し訳ない」
そう言って頭を下げたのは、秀でた額が印象的な長身の魔術師。名をバグナードという。
“墓所”の情報と引き替えに、保護を求めてきた男である。
「お帰りなさいませ、アドリー司祭長」
その横では、空の右袖を揺らしながら、美貌の騎士が臣下の礼を取った。
アラニア銀蹄騎士団の上級騎士。レイピアの名手にして邪神カーディスの司祭、ラスカーズだ。
「ただいま戻りました。ラスカーズ、アンティヤル。傷の具合はどうです?」
妖艶な美貌の騎士から、赤銅色の肌をさらした蛮族の戦士へと視線を流す。
アンティヤルは2メートルを超える巨体で胸を張った。
「俺様はすぐにでも戦える。司祭長、いつでも命令してくれ。今度こそあの小僧を殺してやる」
「私も同様です。今度こそレイリア様をお迎えし、終末の女神の恩寵をこの忌々しい世界に」
カーディスの加護で、傷はすっかり癒えたようだ。ラフィットは満足そうに頷くと、改めてバグナードに向き直った。
「導師様。妾にお話がおありとか?」
「左様。昨日の戦いで思い知りましてな。シン・イスマイールとライオット。正面から破るにはいささか骨の折れる相手だ。あのルージュという魔術師もなかなかの切れ者。そこで面白い物を用意した」
バグナードがテーブルを示した。
そこには、古代語で何やら刻まれた古びた壷が3つ、並んでいる。
「これは?」
興味深そうにラフィットが尋ねる。
「“魔神封印の壷”。この中には、30年前の魔神戦争でアラニアを荒らし回った上位魔神が封じてある。いかな手練れの戦士といえども、正面から戦えば勝ち目はない」
「その魔神を、妾どもに貸していただけるのですか?」
「然り。ただし、できるのはこの中から魔神を解放することだけだ。命令することはできぬ。それと、これを提供するにはひとつ条件がある」
「条件?」
ラフィットの声に楽しそうな色が滲んだ。
今までおとなしく従ってきたバグナードが、いよいよ本性を現したらしい。
好奇心を抑えきれずに黒の導師を見返すと、バグナードは無表情を保ったままで問いかけた。
「司祭長殿らは、前世の記憶を保ったままで転生を繰り返すと聞いた。これはカーディスの司祭に与えられた能力なのか?」
「その通りです。全員というわけではありませんが、高位の司祭の中には、転生の加護を受けた者が何人かおります」
ラフィットが肯くと、バグナードはあごに手を当てて考え込んだ。
「ふむ……つまり、カーディスを信仰して高位の司祭にならねば、その加護は受けられぬと言うことか?」
「当然そうなりましょう」
この魔術師が、転生の加護に興味を持っていることは知っていた。
だが、バグナードがそれを手に入れることはできない。カーディスを信仰するという要素が決定的に欠けているからだ。
そこまでは自明のこと。
ラフィットが興味を持ったのはその先。それを知ったこの魔術師が、いったいどう反応するかという点だ。
しばらく沈黙したバグナードは、やがて顔を上げると、ラフィットに問いかけた。
「では司祭長殿にお願いいたす。『ふたつの鍵、ひとつの扉。かくしてカーディスは甦らん』。この伝承の真実をご教授いただきたい。カーディスが甦るとはどういう事なのだ?」
その言葉に、ラスカーズの眉が跳ね上がった。
アンティヤルが音もなく戦斧を手繰り寄せる。
カーディス教団の秘奥を突く質問に、生かしておくことは危険だと感じたのだろう。
このふたりでかかれば、一瞬でバグナードの首を宙に飛ばすことができる。
だがラフィットは、部下たちを制すると、口許に凄絶な微笑を刻んだ。
「いいでしょう」
国王を籠絡し、シンたちすら飲み込んだ圧倒的な存在感が部屋に満ちる。
完全に部屋を支配下におくと、ラフィットは正面からバグナードを見据えた。
「導師様にはいろいろとお世話になりました。お教えいたしましょう。ただし聞くからには、もうしばらくの間、妾たちにお付き合いいただきますよ?」
「承知した」
バグナードは利己的だが、口先だけの嘘はつかない男だ。
それを見極めると、ラフィットはゆっくりと語り始めた。
最高司祭たちの生命を代償に、カーディスが創造した祭器の秘密を。
そして、ひとつの鍵として生み出された少女の悲劇を。
それは神話の時代から続く戦いの宿命。
呪われた島の名にふさわしい、血で綴られた物語だ。
その物語が、このロードスにどのような終幕をもたらすのか。
今はまだ誰も知らない。