シーン2 ターバの村
アラニア王国の王都アランから、北の白竜山脈に向けて伸びる街道。
北端には大地母神マーファの大神殿があり、結婚の祝福を受けるために旅する若者たちが多く往来することから、“祝福の街道”と呼ばれている。
ターバの村は、その大神殿の門前町として栄える、アラニア王国北端の村だ。
完全に雪に閉ざされる冬を除き、巡礼のために訪れる若い男女は後を絶たない。彼らを受け入れるために、ターバには数多くの宿屋が立ち並んでいた。
その中の一軒、〈栄光のはじまり〉亭。
1階は食堂、2階は宿泊施設という、TRPGでは定番の店である。
3人がその店の扉をくぐったのは、日が落ちて2時間ほどたった頃だった。
先客はざっと数えて20人くらい。ほとんどが新婚カップルのようだ。店内は酒臭く、いい感じに酔った男女が酒と料理を囲んで笑い、騒いでいる。
日本の居酒屋と、さほど印象は変わらなかった。
「一番奥にしよう。俺たちちょっと場違いみたいだし」
軽く店内を見渡したシンが、奥のテーブルを指さす。
一般人しかいない店の中で、武装した3人は嫌でも目立つ。先客たちはちらちらと注意を向けてくるものの、目が合うと弾かれたように視線をそらした。
「まるでチンピラ扱いだな」
「冒険者なんてそんなイメージなのかもね」
ライオットとルージュは顔を見合わせて苦笑した。
さして広くもない店内、テーブルの間をすり抜けるようにして奥に向かう。
「はいはい、ごめんよ。通しとくれ」
シンたちが奥のテーブルを占領すると、カウンターの奥から恰幅のいい中年女性が寄ってきた。
この店の女将だろう。
とりあえずビールとばかりに、まだ注文もしていないのに3杯のエール酒がテーブルに置かれる。
「あんたたち、巡礼の新婚夫婦って感じじゃなさそうだね。冒険者かい?」
陽気で威勢のいい大声。
店の喧騒の中でもその声はよく通り、先客たちが聞き耳を立てているのが分かる。
「そうだ」
代表してシンがうなずいた。
パーティーには新婚夫婦も含まれるが、説明が面倒なのでそこは省略する。
「物騒で済まないな。冒険者の店を探したんだが、土地勘がなくて分からなかった」
「気にしなさんな。ここも本当は冒険者の店だから」
あっけらかんと女将は言う。
「今月は最高司祭のニースさまが自ら祝福を下さるから、巡礼が多くてね。この辺はマーファ大神殿の神官戦士団が巡回して妖魔を駆除しちまうもんで、冒険者の出番がなくなるんだよ」
それで冒険者がよそへ出稼ぎに行ってしまい、一般客も受け入れているらしい。
「それにしてもあんた、かなりの腕利きみたいだね」
シンの全身を、女将は遠慮なく眺めまわす。
浅黒い肌に精悍な容貌。動きのひとつひとつに隙がない。しなやかに鍛えられた全身は、人と言うよりむしろ野生動物のよう。
「こっちのお兄さんは騎士さまみたいだし、お嬢さんも魔術師だろ」
優秀な冒険者を抱える店は、大きな依頼が入り、儲けも大きくなる。
冒険者にとって依頼を仲介する店が必要なように、店にとっても依頼をこなす冒険者は必要なのだ。
自然と、優秀な冒険者を見抜く目は養われることになる。
シンたちが他の連中と違う“本物”だということは、女将にも分かったようだ。
「歓迎するよ、〈栄光のはじまり〉亭へようこそ。ゆっくりしてっておくれ。食事にするかい? それとも酒にする?」
「1杯目は来たみたいだから、とりあえず食事を。それと、部屋があれば2~3日泊まりたいんだが」
女将はすぐにうなずいた。
「1部屋でよければ、用意できてるよ。ベッドは4つあるから広さは十分だろうけど……2部屋必要なら、ちょっと時間をもらわないとね。どうする?」
その場の全員から向けられた視線に、少し迷ったライオットは、
「そうだな、二部屋もらおうか。男部屋と女部屋で」
「じゃあ、2人部屋を2つでいいかい? 食事の間に用意しとくよ。1泊2食でひとり50ガメルだ」
値段はルールブックに書いてある相場どおりだった。
もっとも、冒険者相手にぼったくりをする冒険者の店など、あるはずないのだが。
「ではそれで。とりあえず3日頼む」
シンが言うと、女将はうなずいてカウンターに帰っていった。
奥で何やら指示を出すと、10代半ばと思われる女の子が、階段を上がって2階に消えていく。部屋の用意に行ったのだろう。
「あれだ、繁忙期のリゾートバイトって感じだよな」
なんとなく女の子を視線で追っていたシンが、木製のジョッキに入ったエールを舐めながら言う。
「新婚夫婦ばっかりの宿じゃ、お子様にはちょっと刺激が強すぎるんじゃないか?」
にやりと笑うライオットに、ルージュはため息をついた。
「みんな聞いてるよ。セクハラ発言自重」
「大丈夫だって。どうせみんなやることは一緒なんだから」
勢いよくジョッキをあおり、すぐに顔をしかめてテーブルに戻す。
「悪い。俺、こっちの世界でも酒飲めないらしい」
身体が変わったから大丈夫だと思ったんだが、と言い訳しながら、ライオットはジョッキをシンの前に滑らせた。
「あ、私もお酒パス」
ルージュも夫を見習ってジョッキを押し出す。
「酒の美味さが分からないとは、かわいそうな奴らだな」
あっという間に1杯目を空にしたシンは、遠慮なく受け取ってライオットのジョッキに口をつける。
「それで、これからどうする?」
これから。
避けては通れないその話題に、3人の顔がちょっと真面目になった。
「俺は一生ここで暮らしても構わないけど、まぁそうもいかないよな。向こうには親兄弟もいるし」
アルバイトっぽい女の子Bを呼び、果物のジュースを注文しながら、ライオットが言う。
「いつかは日本に戻らなきゃいけないけど、その方法が問題だ」
「方法ならあるよ」
難しい顔のライオットに、あっさりとルージュが答えた。
「10レベルの古代語魔法に《ディメンジョン・ゲート》っていうのがあるの。普通に使うなら“どこでもドア”だけど、術者がよく知っていれば異世界に繋ぐこともできるってルールブックには書いてあった。ただね・・・」
「経験値、か」
渋い顔でシンがうなる。
ターバへと向かう道すがら、ルージュは「総合火力演習」と称して、無人の草原で高レベルの魔法を使いまくった。
稲妻や火球が乱れ飛び、あたり一面に毒の霧が立ちこめ、大岩は一瞬で塵にまで分解され。
結果、ルージュのソーサラー9レベルは使用可能であるという結論に達していたのだが。
「ソーサラーを9から10に上げるのに、必要な経験点っていくらだっけ?」
「2万5000点。ちなみに未使用経験点が2500あるから、残り2万2500点。それと、もうひとつ問題があって。《ディメンジョン・ゲート》は遺失魔法なの」
ただレベルを上げるだけでは駄目だということ。
誰かその呪文を知っている人物に、教えを乞わなくてはならない。
「今のロードスで、《ディメンジョン・ゲート》を使えそうな奴って誰だろ?」
「“大賢者”ウォートなら、たぶん大丈夫じゃね? 何しろ大賢者だし」
「バグナードとか。できれば関わりたくないけどね」
「邪神戦争の終結まで待てば、スレインでもいいはずだぞ。あと24年後でよければ」
原作知識と年表を総動員して、検討を加える。
24年も待つのは論外。
バグナードでは、おそらくまともな交渉にならないから却下。
ウォートだってろくでもない要求をしてくるだろうが、この中で一番マシだろうか。
「あとは……“灰色の魔女”だな」
2杯目のエールを空にしたシンが、ジョッキを勢いよくテーブルに置いた。
ロードスの歴史を陰から操ってきた古代王国の魔女、カーラ。
おそらく、この世界に現存する最強の魔術師。
「この時代、このターバからキャンペーンが始まったって事は、当然GMの構想にはカーラが入ってたんだろうけど」
ライオットが思わずため息をつく。
新王国歴503年。
魔神戦争の終結から29年。この年、ロードス島では歴史の転換点となる大事件が起きる。
名もなき魔法戦士として魔神戦争で活躍したカーラが、ターバのマーファ大神殿を襲撃。太守の秘宝のひとつ“真実の鏡”を強奪し、レイリアを連れ去るのだ。
原作ではほとんど触れられていないが故に、TRPGの舞台にするにはうってつけだ。
ゲームとして遊ぶ分には最高に面白かっただろう。
しかし、現実に相手をするとなると、あまりにも嫌な相手だった。
「まぁ、遺失の件は後で考えようよ。とりあえずの問題は経験点かな。あと2万点以上必要だから、普通に考えてキャンペーン1本分」
ウェイトレスBが運んできたオレンジジュースと大皿の料理を受け取りながら、ルージュが言った。
「経験点を貯めるとなると、やっぱ冒険をしなきゃいけないんだろうけど。匠くんが……キースが欠員だから、シーフがいないよね。シティアドベンチャーだと情報収集に問題がでるし、ダンジョンだと罠解除ができない」
ヘリコプターパイロットの匠が演じるキースは、シーフ9レベル、シャーマン8レベルというスペックで、戦術の要だった。
策を弄することが得意なプレイヤーのおかげで、このパーティーの軍師として活躍していたのだが、彼は今日に限って仕事で欠席している。
「俺たちのスキル構成だと、ほんと戦闘しかできないからな」
大皿に盛られてきた謎の炒め物をフォークでつつきながら、ライオットが慨嘆する。
「ヘリ墜ちてキースもこっちに来ないもんかね?」
「縁起でもない発言、禁止」
ため息をついて、ルージュが夫をたしなめる。
「んじゃ誰かシーフを誘うか。アラニアの地下牢を攻め落とせば、ウッドチャックが手に入るはずだけど」
「土壇場になって裏切るような奴なら、むしろいない方がいい」
シンが3杯目のジョッキを空にしながら首を振ると、横でルージュも肯いた。
「それに、原作キャラには関わらない方がいいんじゃない?」
原作からストーリーを変えると、知識が通用しなくなる分だけ不利になる。どこに誰がいて、どのような目的を持っているかという知識は、彼らにとって最大の武器なのだ。
「賛成。まかり間違えてレイリアとお友達になろうものなら、カーラとの戦闘フラグが立っちまうし」
「それは困るな。キース抜きであの謀略家に勝てる気がしない。やっぱりヘリ落ちて……」
「だからそれは禁止だってば」
ウェイトレスBがピストン輸送した料理や飲み物を腹に収めながら、なおも作戦会議を続行した結果。
とりあえずの方針を策定し、全員が同意した。
1 仕方がないので、当面は冒険者生活をする。
2 依頼はなるべく簡単なものから。ゴブリン退治とか歓迎。
3 シーフは早い段階でスカウトするが、信用できるかが一番大事なので、採用はあせらない。
4 原作キャラクターにはなるべく関わらない。
5 特にレイリアは接触厳禁。
6 ソーサラーが10レベルになったら、《ゲート》を開いて日本に帰る。
「基本方針はこんなところか」
「異議なし」
「異議なし」
シンの総括に、ライオットとルージュがうなずく。
方針が決まって安心したのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
空になった料理の大皿3枚。ジョッキの酒も、もう残り少ない。
お代わりを頼もうか、今日はもう休もうか、3人が悩み始めたところで。
決まったばかりの基本方針は、変更を余儀なくされることとなる。