インターミッション2 シン・イスマイールの場合
精霊殺しの魔剣“ズー・アル・フィカール”。
風と炎の砂漠の一角、炎の精霊王を封じた塔からシンが持ち出した、部族の秘宝とも言うべき宝剣である。
そうなるに至った経緯を思い返せばキャンペーン1本分に相当するが、一言でまとめれば、名声を高めすぎたシンを炎の部族から放逐するため、族長が渡した手切れ金だと言えるだろう。
風の部族との戦いで武勲を重ね、敵味方から“砂漠の黒獅子”と恐れられ、敬われた戦士。
族長を越えるほどに集めてしまった人望が、皮肉にも、彼を砂漠から追い出すことになったのだ。
「……っていう設定の、最強の戦士のはずだよな、俺」
疲労困憊したシンは、全身から汗を滴らせながら、大樹の根本に座りこんだ。
精霊殺しの魔剣を地面に突き立て、あえぎながら空を仰ぐ。
ここはピート卿の館から5分ほど歩いた、小さな丘の上だ。丘を覆うように枝葉を広げた大樹が1本、広い木陰を提供している。
その木陰を即席の道場として、シンとライオットは剣術の訓練に励んでいたのだが。
「その通りだろうが。何が不満なんだ、砂漠の黒獅子?」
愛用の大盾と長剣を草の上に放り出し、そのまま大の字に寝転がるライオット。
ほんの3分。
それだけの時間で、まるで脱水機にかけられたように汗も体力も絞り尽くされ、もう立つことすらできない有様だ。
「こう見えても俺は、10年以上稽古を積んでるんだぞ。それなのに、昨日今日になって剣を持ったばかりの奴に、ここまでしてやられるとは……」
チートにも程がある、ふざけやがって、と不平たらたらのライオットに、シンは首をかしげた。
「そうか? フェイントには引っかかったし、カウンターは食らったし、お前の掌の上で踊ってたようにしか感じないけど」
「それを全部、反射神経と直感だけで粉砕しただろうが。お前は剣術家の天敵だ。修練に修練を重ねた技を、何となくで弾き返されちゃたまんないぜ」
草の上で脱力したまま、これが10レベルファイターの実力か、とライオットが嘆息する。
シンの戦い方は、ライオットの知っている剣道のセオリーからはかけ離れたものだった。
ともかく先手必勝。駆け引きも何もない。
技はシンプルで単純そのもの。振りかぶり、振り降ろす。ただそれだけだ。ライオットに言わせれば、小学生のチャンバラと同レベル。
だがシンの場合、その速度と威力が尋常ではなかった。例えるなら、時速250キロの剛速球を投げるピッチングマシーンのようなものだ。
ボールが来るタイミングは分かっている。
コースも分かっている。
バットを振って当てるだけでいい。
だがその難易度が、そこらの戦士には対応不可能なレベルなのだ。ファイター9レベルのライオットだからこそ何とか防御できるが、これが5レベル6レベルだったら、剣筋を見ることすらできないだろう。
幸い、技の出端やタイミングが分かりやすいので、罠にかけるのは難しくない。何度かは完璧なタイミングでカウンターを入れ、剣を叩き落とそうと試みた。
しかしその全てを、人間離れした反応速度で打ち返された。フェイントには面白いくらい引っかかるのに、続く本命も完璧に防御された。
「ホントもう、ふざけんなとしか言いようがない。レイリアも言ってたけど、俺も保証してやるよ。お前はどんな奴が相手でも負けない。安心しろ」
大の字に寝転がったまま、視線だけをシンに向けて忌々しそうに言う。
オーガー騒ぎの時も、今回の事件でも、シンはそれぞれの相手に1回ずつしか剣を振っていない。
本人が言うには、だから自信がつかないということらしいが、ライオットに言わせれば逆だ。
どんな相手でも一撃で十分。二撃目は必要ない。
それが“砂漠の黒獅子”の実力なのだ。
「正直嬉しいよ、お前に認めてもらえると」
大樹の幹に寄りかかったまま、シンが屈託のない笑顔を見せる。
その素直な感情の吐露に、やさぐれていたライオットはため息をついた。
まったく、こういうのを人徳と言うのだろう。
レイリアが惹かれるのも当然だ。今時、こんな擦れてない男は珍しい。
「あとは場数だな。戦いに恐怖心を持つなって言っても無理だから、それを克服できたっていう自信をつけるだけだ」
そう言って体を起こしたライオットに、シンが苦笑する。
「それが一番難しそうだ」
「でも、強くなりたいんだろ?」
親友の言葉に、シンは間髪入れずに頷いた。
「なりたい。そう決めたんだ」
「なら、なれるさ。大丈夫、お前にはできるよ」
それからしばらく、大樹の蔭に沈黙が降りた。
ちらちらと瞬く木漏れ日。
地平まで続く青い空を、白い雲が悠然と漂っていく。
どれくらいの時が流れたのか。
ようやく疲労が落ち着いてくると、ふと思い出したように、シンが切り出した。
「ところでレイリアの件、どうする?」
「勧誘の件か? 俺は賛成だ。うちのパーティーには回復係がもうひとり欲しい」
ウェーブのかかった金髪をくしゃりとかき混ぜて、ライオットが言う。
アイアンゴーレムとの戦いで露呈した、パーティーの致命的な欠陥。戦闘中の回復要員不足を補うのに、レイリアはうってつけの人材だ。
ならばこの際、彼女を正式にパーティーの一員として勧誘しよう。そんな話が持ち上がっていた。
「それに、彼女を守るなら一緒にいるのが一番だろ。彼女が受け入れるかどうか分からないけど、とりあえず誘うだけ誘ってみろよ……ほら、噂をすれば影、だ」
その言葉にピート卿の館を見下ろせば、レイリアが丘の小道をゆっくりと登ってくるのが見えた。
昨日まで着ていたマーファの神官衣はズタズタにされてしまったので、今日はイメーラ夫人から借りたエプロンドレスを着ている。
ふわりとしたスカートが風になびき、おくれ毛を手で押さえる仕草は、まさに絵に描いたようなお嬢さま姿。
その視線がシンをとらえると、にこりと笑って小さく手を振ってきた。
「……萌えるな。狙ってやってるんじゃないところが特にいい。これでポニーテールだったら最高なのに」
羨ましそうに論評すると、ライオットは剣と盾を拾い、よっこらしょと立ち上がった。
「んじゃ、俺は帰るわ。あとは任せた。押し倒すなら館から見えないところで頼む」
「んなことするか!」
思わず大声を上げるシン。
親友に悪戯っぽい笑みを残すと、ライオットは小道を逆に下っていった。
途中でレイリアと二言三言会話すると、そのまま館に帰っていく。
今度は小走りになって坂を登ってくるレイリアを、シンは立ち上がって出迎えた。
「稽古はもうおしまいですか?」
「とりあえずはね。まだまだあいつの方が一枚上手だったよ」
目の前の美少女に肩をすくめてみせる。
「そんなことありません! 確かにライオットさんは手強いけど、シンだって絶対負けてません!」
「確かに剣を持って戦ったら、互角の勝負はできると思う。けど俺は、自分の中にある恐怖心と戦うという点で、あいつに遠く及ばないんだ」
落ちついた眼差しでライオットの後ろ姿を眺めるシン。
レイリアは納得いかない様子だったが、シンの表情に気づくと、言いつのろうとした言葉を飲み込んだ。
今のシンは、以前とはちがう。
自分に足りないところを見据えながらも、前を向いて進もうという気概にあふれている。
種子が殻を破って芽を出したのだ。それを知って、レイリアの顔に微笑みが浮かんできた。
「ん? 俺、何か変なこと言ったかな?」
「いいえ、ちっとも。今のシンはとっても格好よかったから」
さらりと言って、レイリアはシンの瞳を見上げた。
「ところで、今ライオットさんが言ってたんです。シンがとってもいい話をしてくれるって。いったい何ですか?」
レイリアの顔は期待でいっぱいだ。
その彼女がどういう反応を示すか見当もつかなかったが、シンはいつものように、単刀直入に用件を切り出した。
「実は、俺たちの仲間になって欲しい」
「仲間?」
その言葉は予想外だったのだろう。レイリアはきょとんとした表情で繰り返し、首をかしげた。
「私は、今でもそのつもりなんですが?」
「そうじゃない。俺たちと一緒に冒険者をやって欲しいんだ」
「冒険者……それは、私にターバ神殿を出ろということですか?」
レイリアの顔から、潮が引くように笑みが消えていく。
やっぱり無茶な話だったかな、と後悔しながら、シンは言葉を続けた。
「簡単に言えばそうなる。俺たちには君の力が必要なんだ。一緒に来て欲しい」
「それは……ちょっと、簡単にはお答えできません……」
突然の話に困惑を隠しきれず、レイリアが目を伏せてしまう。
当然だろう。物心ついたときから過ごしてきたマーファの聖地。そこには育ての母であるニースもいれば、兄弟同然に育ってきた神官たちも大勢いるはずだ。
大地母神の司祭であるというのがレイリアの持つアイデンティティの根幹である以上、ターバ神殿に所属することは、自分が自分であるための大前提。
神殿を出ていくなど、今まで考えたこともないに違いない。
突然そこを出ろと要求されて、はい分かりましたと簡単に言えるはずがないのだ。
「そりゃそうだよな。じゃあとりあえず1回だけ、遠足だと思って一緒に出かけないか? 大丈夫、何かあっても君は俺が守るから」
そんなシンの言葉が、レイリアの脳裏に昨日の光景を蘇らせた。
もう助からないと思った絶望の淵に、まるで神の使徒のように現れたシンの姿。
血と破壊をまき散らして君臨していた邪教の司祭を、ただの一撃で追い払った勇者の背中を思い出して、とくん、と胸が高鳴った。
またあの背中が見られるかもしれない。
ふと浮かんだ考えは、この上なく甘美にレイリアを誘惑する。
1回だけなら。
休日を利用すれば、神殿の勤めも疎かにはならないだろうし。
修行と称して冒険者になった司祭だっている。
最高司祭ニースにしても、最も深き迷宮での魔神王討伐という、歴史に残る偉業を成し遂げているではないか。
あらゆる知識が、次々と自分に都合よく浮かび上がってくる。
それに何より、冒険に出ている間は、シンと一緒にいられる。
その事実の前に、もはや自分が抵抗できないことを、レイリアは悟ってしまった。
「とりあえず1回だけ、お母様のお許しがあれば。今はそれ以上お約束できません」
緩んでしまう頬を隠すように、下を向いて髪で表情を隠す。
すると、それをどう解釈したのか、シンが申し訳なさそうに言った。
「ごめん、無理強いをするつもりはなかったんだ。だけど、君が必要だっていうのは本当だ。できれば分かって欲しい」
そしてシンの手が、ためらいがちにレイリアの肩に乗せられる。
薄いエプロンドレス越しに暖かい体温を感じて、レイリアの顔が一瞬で紅潮する。
シンの声が遠くで何か言っていたが、レイリアの耳に聞こえるのは、早鐘を打つ自分の鼓動だけだった。
シナリオ2『魂の檻』
獲得経験点 4500点
今回の成長
技能、能力値の成長はなし。
レイリアと結構いい雰囲気になった。
経験点残り 13500点