ロードスという名の島がある。
アレクラスト大陸の南に浮かぶ辺境の島だ。
大陸の住人の中には、ロードスを“呪われた島”と呼ぶ者もいる。
かつて神話の時代、邪神カーディスが呪いをまき散らした地だと伝承されるが故に。
ほんの30年前には、もっとも深き迷宮から無数の魔神が解放され、ロードス全土を大混乱に陥れたが故に。
そして今も、幾多の妖魔の跳梁し、人々を脅かしているが故に……。
SWORD WORLD RPG CAMPAIGN
『異郷への帰還』
第1回 異郷への旅立ち
シーン1 アラニア王国 祝福の街道
見たこともない自分の姿。
黒ずくめの服装に、黒染めの革鎧。
髪は日本人と同じ黒だが、ついでに肌も浅黒い。全身の筋肉は俊敏そうに引き締まり、まるでネコ科の猛獣のようだった。
メタボ寸前だった伸之の腹とは、明らかに別人だ。
「つまり、今の俺はシン・イスマイールってことか」
そう嘆息する声も、どこか幼い印象をぬぐえなかった。
シンの設定年齢は21歳。中の人が30過ぎでは、違和感も仕方ない。
背中には、日本刀のように反った刀身の、シャムシールと呼ばれる両手剣。
この身がシンであれば、この剣の出自もまた明白だ。
今年の正月休み、炎の精霊王の塔で手に入れたミスリル銀製の魔剣“ズー・アル・フィカール”。
必要筋力16、クリティカル値-2、攻撃力+2、追加ダメージ+2、精霊に対してはさらに追加ダメージ+3という凶悪なスペックを誇るチート剣である。
乾いた音と共に抜剣すると、純白の燐光をまとった刀身が姿を現した。
初めて持ったはずなのに、まるで体の一部のように、剣はしっくりと手に馴染む。
「試してみるか?」
金髪碧眼の戦士・ライオットが、傍らに置いてあった盾を持ち上げた。
全長150センチはあるだろうか。縦に細長く、胸から下をすっぽりと覆ってしまうその大盾は、専門用語でカイトシールドと呼ばれている。
本来は歩兵用ではなく、騎兵が馬上にあって自分の足を守るための盾だ。
攻撃力重視のシンとは対照的に、ライオットは金属鎧で身を固め、文字通りパーティの盾としての役割を果たしてきた。
ライオットが持つ盾は、“勇気ある者の盾”(シールド・オブ・ザ・ブレイブ)の銘を持つ魔法の品だ。驚異的な強度と引き換えに、敵の攻撃を所有者に集中させるという、呪いにも似た効果を持っている。
そうして引き受けた敵の攻撃を、城壁級の防御力を誇るミスリル銀製のプレートメイルで弾き返すというのが、ライオットの戦い方だった。
「そうだな。軽くやってみよう」
シンがうなずくと、ライオットはわずかに腰を落とし、体を隠すように大盾を正面に構えた。
その存在感は尋常でない。そこにいるのは1人の人間のはずなのに、まるで重戦車のようにどっしりした迫力があった。
「さすが9レベルファイター。ぶっちゃけ恐いぞ」
「10レベルのお前が言うな。こっちは檻の中でライオンと対峙してる気分だ」
シンはだらりと下げていた魔剣を両手で構え、剣尖をまっすぐライオットの眉間に構える。
剣術の心得などないが、戦い方はこの体が知っていた。
「ねえ、怪我しないように気をつけてよ?」
銀髪の魔術師・ルージュが、心配そうに眉を寄せて言った。
「分かってるよ、ちょっと試してみるだけだ」
ライオットが軽く手を挙げて応じる。
「んじゃ行くぞ。一彦の防御レーティングいくつだっけ?」
「上級戦闘ルール適用で、防御レーティング30、ダメージ減少10」
クリティカルしない攻撃では、ほとんどダメージが通らない。
つまりはそういう数字だ。
「難攻不落だな。本気でいくぞ?」
「いつでも来い。警視庁機動隊直伝、大盾操法の冴えを見せてやる」
大盾の向こう側で、ライオットも抜剣する。こちらは魔力のこもっていない、ふつうの鋼の剣。陽光をはじいて白銀に輝く。
それを合図にして、シンは不意を打つように魔剣を一閃した。
日本にいた自分たちなら、見ることすらできなかっただろう神速の一撃。
事実、ファイター技能のないルージュには、シンがいつ剣を振ったのかさえ分からなかった。
だが、渾身の力を込めた斬撃は、易々と盾に受け止められた。強力な魔力同士が干渉して青白い火花が散る。
「……これを止めるかよ」
「防御専念で回避力+3だからな」
全力で相手の得物を押し合いながら、互いににやりと笑う。
シンは瞬時に間合いを取りなおすと、さらに速度を上げた斬撃を繰り出した。
2回、3回と剣を振るたびに、だんだん勢いづいてくる。
打ち、薙ぎ、払い、突く。考えつく限りの技をためし、ライオットの防御を崩そうとする。常人が見れば、剣筋を追うことさえできないだろう高レベルの応酬。
「2人とも、もういいんじゃない?」
ルージュになだめられて剣を納めるころには、2人とも汗まみれになっていた。
「なるほど、ファイター10レベルは伊達じゃない」
「そうだな。これほど動けるとは思わなかった」
すっかり息を上げて座り込んだ2人に、ルージュが水袋を差し出す。
男どもがチャンバラに興じている間に、彼女は所持品をひっくり返して使えそうなものを見定めていたのだ。
「さんきゅ、喜子・・・いや、ルージュって呼んでいいか? その顔に向かって喜子とは言いずらいからさ」
すっかり変わってしまった妻の顔を見上げながら、ライオットが水袋を受け取る。
不思議な輝きを宿す紫水晶の瞳。
風になびき、ゆったりと揺れる銀髪。
象牙を彫り上げたような綺麗な肌。
中身が自分の妻であり、15年来の同志だと分かっていなければ、ちょっと引いてしまうほどの美貌だ。
「私はどっちでもいいけど。じゃあ、これからはキャラクター名で呼び合うことにする?」
そっちの方が雰囲気出るし、とルージュはうなずく。
「伸之もそれでいいか?」
「ああ。しかし、雰囲気作りねえ」
同じく水袋を受け取りながら、黒髪の剣士シン・イスマイールは、苦笑して周囲を見渡した。
雰囲気など作るまでもなく、ここはファンタジー世界以外の何物でもない。
日本であれば見えるはずのものは、何もなかった。
家も、電柱も、電線も、アスファルトの道路も。
高層ビルに切り取られない空は果てしなく広く、遠くに浮かぶ雲は違和感を覚えるほど立体的に見えた。
ここにあるのは、土を踏み固めただけの街道と、果てしなく広がる草原と、未開の森だけ。
街道をゆく旅人のための、石造りの小さな休憩所。
その休憩所が崩れて、3人は生き埋めになっていたようだ。
「やっぱり死んだのかな、私たち」
ぽつりとルージュがつぶやく。
瓦礫に腰かけて、魔法樹の杖を弄びながら、ルージュはつぶやいた。
この杖は使用者の魔力に+2という効果だけでも特筆ものだが、マグナロイという魔法樹でできており、杖自体に20点分のマナを蓄積することができる。しかもこのマナはゲーム内時間1日ごとに1点ずつ回復するというおまけつきだ。
はっきり言ってバランスブレイカーな装備だが、「ファイターは何回でも殴れるけど、魔法使いは精神力が尽きたらやることないんだよ!」という魂の叫びがGMに届いたのだった。
「少なくとも俺は死んだな。崩れたコンクリートの天井が、頭に当たったところまで覚えてる。あれで生きてたら人間じゃない」
並んで座りながら、ライオットが応える。
「嬉しそうだね」
「おう」
妻の皮肉っぽい視線に、ライオットは平然とうなずいた。
現実で死んでファンタジーの世界に転生。
今まで一度も妄想しなかったと言い切れるTRPGプレイヤーなど、この世にいないはずだ。
「俺は最高だと思うね。ここは剣と魔法の世界。冒険。幻想。浪漫。使うのは慣れ親しんだ超強力キャラ。このシチュエーションに何の不満がある?」
「ずいぶん順応してること」
ルージュが感心して夫の横顔を眺める。
ふつうは混乱してわめき散らす場面だと思うのだが。
「ソードワールドに転生しても普通に生きていけるって、死ぬ前にも言った」
誇らしげに胸を張るライオット。
日本で言ってもただの痛い子だが、ここまで徹底されると多少は尊敬できるかもしれない。
さすが私の勇者様、とルージュは内心でつぶやく。
自分でも、褒めてるのか貶してるのかよく分からなかったが。
「もう死んだの確定かよ。それと、ちょっとは悩もうぜ。これからどうやって生きていこうとか。議題はいくらでもあるだろ」
黒い短髪をくしゃくしゃとかき回しながら、シンはため息をつく。
「それこそ悩むだけ無駄だって。お前はシン・イスマイールだぜ?」
10レベルの戦士が何を言っている、とライオットが笑う。
シンの技量をもってすれば、剣匠カシューだろうが自由騎士パーンだろうが、十分互角に戦うことができるだろう。
今のシンは、ロードス最強レベルの戦士なのだ。
「時間はたっぷりあるし、金もたっぷりあったんだろ? 続きは宿をとって、晩飯でも食いながら相談しよう」
ここで議論しても仕方がない。どんな未来が待つにせよ、人は腹が減るし眠くもなるのだ。
目先の現実を見たライオットの提案に、シンとルージュはしぶしぶと腰を上げた。