シーン6 玄室
「……ライオット、お前知ってたのか?」
重苦しい沈黙が降りた玄室に、シンの低い声が染みこんでいった。
松明の弾ぜる音がして火の粉が舞い散り、漆黒の鏡に囲まれた玄室に、オレンジ色の雪を降らせる。
「まあな」
揺れる炎の明かりの中で、表情のほとんどを影に隠したまま、ライオットが肯いた。
「どうして教えてくれなかった?」
感情を感じさせない、平坦なシンの声。
無感動なわけではない。噴火直前のマグマが内圧を高めるように、シンの中では激情が荒れ狂っている。
ただ、それをどこに向ければいいか分からないだけだ。
ライオットはそれを承知の上で、あえて冷たい言葉を返した。
「何て言えばよかったんだ? レイリアは亡者の女王の生まれ変わりだから、彼女には近づくなってか? そしたらお前、彼女を無視できたのか?」
「…………ッ!」
膨れ上がった激情に突き動かされるまま、シンがライオットに掴みかかった。
浅黒い筋肉が野獣のように躍動し、親友を壁際に押しつける。
砂漠の部族が“黒獅子”と畏れる無双の戦士。持て余した激情に震える黒い瞳を、ライオットは至近距離から見据えた。
「後悔してるのか? やっぱりそんな重たい女は嫌か? そりゃそうだよな。400年モノの亡霊なんか面倒見きれないもんな」
「黙れ!」
10レベルファイターの拳がうなりを上げ、ライオットがたまらず殴り飛ばされる。
「リーダー! やめて!」
「何をしているのです!」
ルージュとアウスレーゼが、シンの両腕を抱えて引き離す。
血の混じった唾を吐いて、ゆっくりとライオットが身を起こした。
「それとも、過酷な運命を背負った薄幸の美少女に、君はかわいそうな娘だから優しくしてあげるよって、そう言いたかったのか?」
「黙れと言っている!」
両腕にすがりつく女性陣を簡単に振り払って、再びシンが殴りかかった。
ライオットはよけようともしない。背中から床に倒れて、プレートメイルが騒々しい音を立てる。
荒い息をついて黒い炎を燃やす親友を、ライオットはじっと見上げた。
おもしろ半分にシンを煽って、レイリアとくっつけようと画策したのは自分自身だ。だから、今シンが荒れ狂うなら、全部とは言わないまでも七割は自分の責任。
殴られるのは構わない。
しかし、その激情に流されて、今の判断を誤ってほしくなかった。
「なあシン。もしお前が、少しでもそんなことを考えてたならさ」
ライオットは右手を伸ばして、まっすぐに水晶の棺を指さす。
「悪いことは言わない。ナニールの転生体はあそこで封印して、レイリアのことなんか忘れちまえ。ロードス全体の平和を考えたら、本当はそれが一番いいんだ」
その言葉のもたらした効果は、絶大だった。
精神に冷水を浴びせられたシンは、身体と表情を凍り付かせる。
震える瞳が水晶の棺に向けられると、それまで黙って見ていたニースが、ため息混じりに口を開く。
「ライオット。嫌な役目を押しつけてしまいましたね。その言葉は、私が言うべきだったのに」
「そうはいきませんよ。こういうのは親友の特権です」
妻に助け起こされて、血のにじむ口元を拭いながら、ライオットが小さく笑った。
10レベルファイターの全力攻撃を2発もくらったのだ。頭がぐらぐらする。
しかし、今の自分に治癒の魔法を使う気にはなれなかった。
「さて、シン。話にはまだ続きがあるの。聞きたい?」
これ以上は、嫌なら聞かなくてもいい。
そんな響きを持った言葉に、シンはすぐには答えられなかった。
沸騰した感情を一瞬で冷却されて、思考が混沌の海で凍りついてしまったよう。
ただ怒りだけがぐるぐると渦を巻き、シン自身を巻き込んで海の底に沈めようとする。
そんな親友に、ふらつきながらライオットが歩み寄ると、ぽんと肩を叩いた。
「少し落ち着け」
ライオットの右手が淡く光っている。
その光はシンの中に染み込むと、混乱の嵐を徐々に静めていく。
手から光が消えたとき、シンの心の中は穏やかな凪で満たされていた。
「……便利な魔法だよな、ホント」
シンがつぶやく。
怒りを忘れたわけでも、悲しみをなくしたわけでもない。ただ、それらの感情はプラスチックの衣装箱に整理して積み重ねたように、他人事のように観察できた。
「シン。お前は何に対して怒ったんだ? それだけは間違えるな。そしてそいつが許せなければ、そいつだけを殴り飛ばしてやればいいんだ」
ライオットのその言葉も、すとんと理性が受け止め、正しく理解してくれる。
砂漠の黒獅子は大きく吐息をもらした。
親友に感謝と謝罪を伝えるのは後のこととして、まずは。
「ニース様、続きをお願いします」
すべてを知らなければならない。
心の底で何かを決めたらしいシンの顔には、今までなかった意思のようなものが浮かんでいた。
それを見て、ニースが深くうなずく。
昔語りも、これで最終章だ。
「17年前。亡者の女王がレイリアに転生していたことを知った私は、ピート卿夫妻に事情を話して、レイリアを娘として引き取ることにした。マーファの聖地ターバで、いっぱいに愛を注いで育てれば、ナニールの魂を浄化できるかもしれないと自惚れていたから」
ピート卿が墓所の守護者で、自分の娘に転生したのが何者なのか、正確に理解できたのは幸いだった。
そうでなければ、まだ30歳になったばかりの若い司祭に、自分の愛娘を預けたりはしなかっただろう。
「私が言うのもなんだけど、レイリアは清く美しく、すばらしい娘に成長したわ。司祭としても充分に優秀だと言える。けれど、レイリアがどれほど敬虔なマーファ信徒であろうとも、それで転生体だという事実が消えるわけではない」
ニースの声には苦渋がにじんでいる。
ナニールの魂と戦って戦って、17年間勝ち続けた。それでも戦いは終わらないのだ。
輪廻する魂は不滅。
建国王カドモス1世がぶつかったのと同じ壁の前で、ニースもまた、もがき苦しんでいた。
「人の口に戸は立てられない。アラニア宮廷の中にも、ターバ神殿の上層部にも、レイリアがナニールの転生体であるという事実を知る人は多いわ」
中には、レイリアを再び墓所に封印するべきだという声もある。
全体の利益を考えれば、それがもっとも妥当な結論だろう。
今なら犠牲者はレイリアひとりですむ。だがナニールが覚醒してしまっては、どれほどの被害が出るか想像もできない。そうなってからでは遅いのだ。
「最高司祭である以上、ナニールを封印することは私の義務なの。だからこの墓所の修復を進めたし、ここを維持するために年に一度の見回りもしている。ねえシン。この水晶の棺は、いったい何なのか分かる?」
緑色の燐光で満たされた水晶の棺をなでながら、ニースが自嘲する。
「これはね、400年前の最高司祭が、自らの生命を犠牲に捧げてマーファに創っていただいた祭器なの。この棺に入れられた人は、年老いることも病に倒れることもなく、永遠に眠り続ける。肉体が滅びなければ、魂が転生することもない。そうやってナニールを封印してきたこの棺が、碑文に謳われた『大地母神の加護』の正体」
魔剣フィールがシンに見せた、ニースの苦悩の正体。
それが何なのか思い知らされて、シンは唇を噛みしめた。
「それじゃあ、その水晶の棺は……」
「そうよ、これは“魂の檻”。他の誰でもない、レイリアを閉じこめるためのね」
マーファ教団の最高司祭としてニース自身が修復と維持に当たってきたこの玄室は、彼女が全身全霊で愛してきた娘を、その将来もろとも封印するための牢獄なのだ。
あまりにも痛々しいニースの姿に、ルージュが耐えきれなくなって目を伏せる。
ライオットは憮然と、シンは悄然と沈黙を守る中、言葉を継いだのはアウスレーゼだった。
「国王陛下を含めて、アラニアの宮廷はこう考えています」
感情をどこかに置き忘れたような、冷然とした口調。
だが今はそれが救いだ。
「ナニール封印は確定事項。しかしニース様がご存命の間は、ニース様のご意思を尊重する、と。ナニールの魂がどこにあるか分かっている以上、監視も容易ですから」
「ご存命の間は、って言ったな。その後はどうなる?」
答えの分かりきっている問いを、ライオットが投げかける。
アウスレーゼは澄ました顔で即答した。
「レイリア様には、この墓所においでいただくことになるでしょう。それが宮廷の意向です」
「そんな無茶苦茶な! レイリアさんの気持ちはどうなるの?」
思わずルージュが声を荒げる。
興奮で紅潮した魔術師を冷たく一瞥すると、アウスレーゼは言ってのけた。
「関係ありません。ニース様がいなくなれば、宮廷に対抗してレイリア様を保護できる人材など、今のアラニアには存在しません」
つまり、問答無用で拉致して封印するということだ。
あまりのことにルージュが言葉を失う。
そんな非道が許されていいのか。
来るかどうかも分からない危機のために、あれほど純粋で気だてのよい少女を、こんな薄暗い墓所に閉じこめるなどと。
未来への希望も、将来の夢も、何もかも踏みにじって、ただナニールの転生体だというだけの理由で、ひとりの少女を生け贄にしようというのか。
それは絶対に間違っている、とルージュは思う。
「私が生きている限り、レイリアを見殺しにはしない。ナニールからも、宮廷からも、必ずやあの娘を守り抜いてみせる」
そう宣言したニースには、魔神戦争を戦い抜いた英雄としての、揺るぎない誇りと自負が溢れていた。
「けれど、どうしたって私は、レイリアより先にマーファの御下に召されるでしょう。レイリアに味方がいなくなれば、あの子は必ず周囲の人々を、こんな運命をもたらした世界を恨むようになる。その時に、世界を滅ぼそうとするナニールの魂に負けないくらい、この世界は美しいのだと、たくさんの幸福に満ちているのだと、レイリアに教えてくれる人が必要なのよ」
そしてニースは、まっすぐにシンを見つめた。
「シン。レイリアの未来はね、亡者の女王の魂と、神殿や宮廷の封印主義者と、果てしなく戦い続ける茨の道よ。レイリアと共に歩むということは、その道を征くということ。それをあなたには知っておいて欲しかったの」
長い長い昔語りも、ようやく終わりを迎え。
今まで独りで背負ってきた荷物をぶちまけたニースの顔は、すっきりと晴れわたっていた。
その顔を正面から見つめ返して。
「それじゃあ、今度は俺の言いたいことを言わせてもらいます」
全員が見守る中、シンが静かに口を開いた。
「はっきり言いましょう。気にくわない。レイリアがナニールの生まれ変わりだって事実も、だから封印しなきゃいけないって主張も、宮廷の意向も何もかも、俺には気にくわないんですよ。彼女みたいな美少女が不幸な運命を背負っていれば、そりゃ物語は盛り上がるでしょうよ。だからって、これでもかと不幸を設定してあるっていう事実が、一番気にくわない」
ニースが魔神戦争の英雄であれば。
シン・イスマイールもまた、無数の冒険を繰り返してきた無双の戦士。
怒りを封じ込めた黒い炎を燃やす瞳は、ニースですら背すじを震わすほどの迫力を漂わせていた。
「だから、全部ぶち壊してやりますよ。何が転生体だ、知ったことか。レイリアは誰がなんと言おうとレイリアです。彼女の人生は彼女だけのもの。亡者の女王だろうが宮廷だろうが、誰にも邪魔はさせません。俺は、彼女の自由を、必ず守り抜く」
厳かに誓いをたてたシンは、次にライオットに視線を向けた。
「さっき言ったよな。何ができるかじゃなく、何をしたいかで決めろって」
「ああ、言った」
「どんな決断をしようと、必ずついてくるって言ったよな?」
「それも言った」
「キャンセルは受け付けないぞ」
「そんなもん、頼まれたってするか」
ニヤリと笑って、互いの拳を打ち合わせる。
それ以上の言葉は必要なかった。
家族よりも長い時間を共に過ごしてきた親友同士。他の誰が裏切っても、こいつだけは絶対に信頼できる。
迷惑をかけ合うのは自分たちだけの特権であり、そうやって育ててきた絆は、ある意味で夫婦よりも堅く、深い。
「というわけです、ニース様。あなたは独りでレイリアを守ってきたのかもしれませんが、俺は違います。盛大に仲間を巻き込んで、みんなで戦います。独りじゃ疲れるかもしれないけど、仲間がいれば、人は頑張れるんです」
知ってましたか、とシンが笑う。
正直なところ、想像以上。
期待の遥か上をいく回答に、ニースは返す言葉もない。
「あなたもそれでいいのですか?」
ニースの問いに、ライオットは珍しく、シンと同じ裏表のない笑顔を浮かべた。
「ターバ神殿にも、アラニアの宮廷にも、ロードス全体の平和を考える人はたくさんいるでしょう? だったらここに3人くらい、レイリアだけの味方がいたっていいじゃないですか」
「ルージュさん、あなたは?」
「私は、一生この人についていくって決めましたから。生意気で悪戯っ子で後先考えないところがありますけど、やると言ったことは必ずやる人なんです」
そう言って、若い夫婦は互いを見つめ、微笑み合う。
ニースが最も深き迷宮に挑んだときも、大勢の仲間がいた。
彼らは同じ目的を持っていたけれど、互いの道が重なっていたわけではない。魔神王を倒すという目的を果たした後は、それぞれの道は再び別れてしまった。
だが、シンたちは違う。
一緒にいるということが大前提。利害も損得も関係なく、喜びも悲しみも共有して、同じ道を歩こうとしている。
ニースは、そういう関係をさす言葉をひとつ、知っていた。
仲間ではない。“家族”だ。
もし、その輪にレイリアも加われたら、なんと素晴らしいことだろうか。
「みなさん。これからも、レイリアと仲良くしてやってください」
初めて会ったときと同じ言葉。
そこに万感の思いを込めて、ニースは深々と頭を下げた。
「最高司祭。この半人前どもの大言壮語には、必ず責任を取らせる。それは猫族の名誉と王の尊厳にかけて誓おう。だがな」
それまで黙って見ていたルーィエが、鼻を鳴らしてニースを見上げた。
「これではまるで、明日にでも任務放棄しそうな流れだぞ。あなたにはまだまだ働いてもらわねば困る。後継者を見つけて楽隠居でもするつもりなら、心得ちがいも甚だしいと言わせてもらおう」
英雄相手にも容赦のない指摘に、思わずニースが苦笑をもらした。
まったくもって猫王様の言うとおり。独りで背負ってきた重荷を共有してくれる同志を見つけて、どうやら気持ちが昂ぶってしまったらしい。
「それに、俺たちがいくらその気になっても、レイリアが別の男を見つけてきたら、あっと言う間にお役御免だしな」
冗談めかして、ライオットが肩をすくめると、シンが悲鳴を上げた。
「ちょっと待て。それって俺の立場なさすぎだろ」
「仕方ない。初恋は実らないものと昔から決まっている」
「それなら大丈夫だ。実らなかった初恋は経験済みだから」
「レイリアはどうか分からないじゃないか」
意図してしんみりした空気を壊そうとする若者たちに、ニースも努めて明るく答えた。
「大丈夫。私からも猛プッシュしておきますから」
マーファ流縁結び術の極意、見せて差し上げます、と胸を張ると、アウスレーゼがやれやれと首を振った。
「寄ってたかって洗脳ですか。ナニールよりタチが悪い」
亡者の女王の怨念が染み込んだ玄室に、若々しい笑い声が響く。
400年続く負の連鎖に勝てるのは、古代王国の秘術でもマーファの加護でもなく、この新しい風なのかもしれない、とニースは思った。
古い常識や価値観、地位に縛られた自分ではなく、転生の事実を「知ったことか」の一言で切って捨てた彼らこそが、『レイリア』を本当の意味で守れる存在なのではないだろうか。
「本当に、今あなたたちがロードスにいるのは、マーファのお導きかもしれないわね」
ニースが小さくつぶやく。
ロードスは昔から、英雄を必要とした時代に英雄を生み出してきた。400年前のカドモス王も然り、30年前の英雄たちも然り。
「ニース様?」
まだじゃれ合っているシンとライオットをよそに、ルージュが首を傾げてニースを見る。
それに気づくと、ニースは晴れやかに宣言した。
「もうこの墓所に用はないわ。明るい世界に帰りましょうか。レイリアのお弁当もあることだし、外に出て太陽の下でいただきましょう」
「了解。楽しみだな、シン」
「言っとくけど、お前の分はないぞ。これは俺がもらったんだ」
「ちょ、そりゃないだろ」
弁当を奪おうとするライオットの手から背負い袋をガードすると、シンはにやりと笑った。
「この私、シン・イスマイールが完食しようと言うのだ、ライオット!」
「エゴだよ、それは!」
相も変わらず遊んでいる男性陣を、生ぬるい視線で眺める女性陣。
玄室への隠し通路に差し掛かっても2人の漫才は続いていたが、それを油断だと認識できる者は、この場にはいなかった。
あまりにも重い話題に落としどころを見つけて、誰もが安堵し、2人が作り出す雰囲気に救いを感じていた。
それを誰が責められるだろうか。
だが、その代償は。
鋼鉄の槍となって、ライオットの左脚を貫いた。
ミスリル銀のプレートメイルの隙間から、自分の左大腿部に突き刺さった鋼鉄の槍。
ライオットは、それを他人事のように呆然と眺めた。
何だこれは?
なるほど、通路にいたゴーレムが、俺を攻撃してきたのか。
理性が状況を理解すると、一瞬遅れて熱さが。
さらに遅れて激痛が襲う。
悲鳴を上げようとしたとき、もの凄い力で槍が引き抜かれ、痛みのあまり呼吸さえ止まった。
「が……ッ、く……ぅぅ!」
気づいたときには御影石の床に転がり、両手で傷口を押さえて歯を食いしばっていた。
熱い。
痛い。
心臓の鼓動にあわせて灼熱感と激痛が神経を走り抜け、頭の中を真っ赤に塗りつぶす。
指の隙間からあふれ出す血が、染みとなり、池となり、ライオットの目の前でどんどん広がっていった。
これはヤバい。このままだと死ぬかも。
血が広がるスピードのあまりの速さに、理性の片隅でそう認識する。
だが痛みのあまり、動くことはおろか、まともな呼吸すらできなかった。食いしばった歯の間から、噛み殺した呼気を絞り出すのが精一杯。
「ライくん!」
ルージュが悲鳴を上げて駆け寄り、一緒に傷口を押さえて出血を止めようとする。
「誰か、誰かライくんを助けて!」
熱い血で手が染まっていくのに気づいて、パニックになりながら左右を見回す。そこでルーィエが動いた。
『戦乙女よ! お前の槍で敵を討て!』
毛を逆立てて鋼鉄の守護者を睨むと、白銀に輝く精霊が現れ、手に持った光の槍を投擲する。
玄室を白く照らしながら迸った光の奔流。
だがそれは、守護者の直前で弾けると、跡形もなく霧散してしまった。
「んな……ッ」
言葉を失うルーィエに、ニースが鋭く叫ぶ。
「無駄よ! 玄室は魔術に対する絶対の結界。魔法は外には届かないわ」
「ライオットを下げろ! 早く!」
精霊殺しの魔剣を構えて、シンが守護者に斬りかかった。
怖いとか何とか、感じている余裕はなかった。
とにかくライオットを下げて、治療する時間を稼がねばならない。
その思いだけに突き動かされて、ほとんど脊椎反射で剣を振るっていた。
それが功を奏したのか。
シンの攻撃は芸術的な軌跡を描き、槍をすり抜けて大上段から頭頂部に直撃。これ以上ないという会心の一撃を加える。
生き物なら確実に死んでいただろう。
だが。
鋼鉄の彫像は、わずかに凹みを作っただけで、再び動き始めた。
頭部に脳はなく、胴体に臓器はない。“致命傷”(クリティカル・ヒット)という概念のない鋼鉄の人形は、あまりにも強靱だった。
「化け物か……」
信じがたい剛力で振り回される槍を何とか受け流して、シンが舌打ちする。
斜めに流したはずの打撃でも、両手が痺れて握力を削り取られた。まともに食らったらどれほどのダメージになるのか、考えたくもない。
だがシンが稼いだ時間は無駄にされなかった。
アウスレーゼがルージュを叱咤してライオットを引きずり、玄室の中央に後退させる。
壁際に駆け寄ったニースが魔法の鍵を押し当てると、シンと守護者の間に黒い壁が展張。守護者を外に閉め出してしまう。
音もなく壁が閉ざされると、玄室には再び静寂が降り、荒い息づかいだけが残された。
ゲーム的に言えば、わずか1ラウンドの攻防。
それだけで、シンたちは完全に体勢を崩されていた。ニースの機転がなければどうなっていたことか。
この10秒で体力と精神力の大半を使い果たしたシンは、守護者が視界から消えると、力なくその場にしゃがみこんだ。
「大丈夫よ、ルージュさん。こう見えても私は、治癒魔法には自信があるから」
依然としてライオットに縋ったままのルージュを宥めると、ニースは傷口に手を当てて、小さく祈りの言葉を唱える。
暖かい光がニースとライオットを包み込み、それが傷口に向かって収束し。
光が収まったころ、傷も出血も、そして痛みも、すべてが嘘のように消え失せていた。
「《リフレッシュ》ですか」
床に寝転がったまま、それでも激痛から解放されて大きく息を吐いたライオットが、ニースに感謝の視線を向ける。
「そうよ。神殿で私に依頼すると、これ1回で8800ガメルも取られるんだから。墓所で良かったわね」
「そりゃどうも」
自分で作った血の池を気持ち悪そうに眺めながら、ライオットは身体を起こした。
左足を試すように、地面に踏み込んだり跳んだりしてみる。
全く不具合はないようだ。《完全治癒》の名に偽りなしと言ったところか。
「いや、どうもお騒がせしました。おかげでひとつ分かったことがある。うちのパーティーにレイリアは必須だ」
照れを隠すように、まじめくさってライオットが言う。
「どうした急に?」
座り込んだまま、シンが顔だけを親友に向けた。
ライオットは重々しく答える。
「怪我すると痛いんだよ。当たり前だけどな。んで、魔法で癒さなきゃいけない重傷だと、もの凄く痛いんだよ。あまりにも痛くて、俺にはとても精神集中できない。できないと魔法が使えない。魔法が使えないと死ぬ。いやはや、俺は思い知ったね。俺が回復係をするのは矛盾してる」
ライオットが怪我をしなければ、そもそも回復魔法など必要ない。
ライオットが重傷を負うと、回復魔法を使える者がいなくなる。
TRPGで遊んでいるときは、ただ攻撃を1回休んで魔法を使えば済んだのだが、実際に痛いとなるとそうもいかないのだ。
「なんで私、プリーストにならなかったのかな……」
悔しそうにルージュが言う。
ソーサラーとしては超一流と呼べる域まで成長した彼女だが、自分にできるのは情報収集と破壊だけ。傷ついた夫が苦しんでいても、結局何もできなかった。
それが情けない。
「お前がもしソーサラーじゃなかったら、こいつは今頃死んでたぞ。襲いかかった槍が2本だったはずだからな」
ルーィエが指摘する。
言われてみれば、動いていた守護者は1体だけ。
2体目はいなかった。
「《ディスペル・オーダー》が効いてたんだ。調子に乗らせるのは癪だが、今回の殊勲賞をくれてやる」
「つまり、あのゴーレムには命令が下されていた。やはり罠だったという事ですね」
アウスレーゼが渋い顔で言う。
「3日前に派遣されたという騎士と魔術師。他に考えられません。バグナードと言いましたか、あの魔術師は徹底的に調査しなくては」
その言葉は、3人の精神に爆薬を放り込んだ。
「バグナード?!」
見事に声がハモる。
弾かれたように立ち上がったシンが、アウスレーゼに詰め寄った。
「それは本当か? あいつがいるのか?!」
「どうしてそれを早く言わない?」
ライオットも舌打ちする。
あの黒の導師が絡んでいると知っていたら、こんなみっともない油断はしなかったのに。
「あなたたちは、バグナード導師を知っているの?」
たじろいだアウスレーゼに代わって、ニースが尋ねる。
「ニース様もあいつを知っているのですか?」
驚いて、ルージュが問い返す。
カーラの次くらいに策謀が得意で、しかも自分の目的のためにすべてを利用し尽くすような、外見から腹の中まで真っ黒ずくめの、危険きわまりない男。
そのような人物とニースが面識を持っていたとは信じられない。
そして、ニースがバグナードに一定の敬意を抱いている様子なのが、もっと信じられない。
「17年前に魔法の扉を修復したのも、この玄室を修復したのも、ラルカス最高導師とバグナード導師ですからね。彼がこの墓所に関わることは不思議でも何でもありませんよ」
「バグナードがここを修復?!」
シンが唖然とする。
カーディスを蘇らせることに傾注していたあの魔導師が、どうしてナニールの封印に力を貸すのだろうか。
「いや、順番が逆なのかもな」
腕を組んでライオットが考え込む。
バグナードとて、最初から暗黒魔法ラブだったわけではないだろう。その魔力にのめりこむ契機はあったはずだ。
それが、このナニールの墓所だったという仮説はどうだろう。
永遠の生命と魔術の探求を求めていたバグナードにとって、ナニールの有り様はひとつの理想解だったのではないか。
「つまりこの墓所が“黒の導師”を生み出したんだ。まったく迷惑な場所だぜ」
ライオットが400年前の人々に文句を言っていると。
「では、彼らの狙いは何だと思いますか?」
アウスレーゼが緊張した様子で切り出した。
「バグナードを知っているというなら、予想できるでしょう? 3日前にこの墓所に来たということは、彼らはまだ近くにいるのです。ゴーレムに命令を下して終わりではないはず。彼らの次の一手は、何だと思いますか?」
その言葉に、シンとルージュが顔を見合わせた。
名探偵じゃあるまいし、手がかりもなしに相手の思考が分かれば苦労はない。
「とりあえず状況を整理しよう。バグナード相手に行き当たりばったりはまずい。まず1点目。この墓所に来て、このゴーレムに命令を与えたのはバグナードと断定していいのか?」
腕を組んで考えながら、ライオットが言う。
いつもなら、キースが主導してやっていた状況整理だ。あえて言葉に出して確認することで、それまで気づかなかった状況が見えてきたりする。
「《コマンド・ゴーレム》の魔法は9レベルだよ。そんな高レベルの魔術師がぽんぽんいるとは思えないけど」
しかも1体とはいえ、ルージュが無力化できたのだから、カーラ級の超高レベルでもないわけだ。
目撃情報もあることだし、バグナードであるというのは極めて確度の高い推論だと言える。
「2点目。アウスレーゼの言う罠とは、宮廷の過激派がニース様を殺そうとすることだろう。では、バグナードがそこに手を貸すメリットはあるか?」
「何しろバグナードだからな。自分の利益になると思えば、何でもやるんじゃないか?」
シンが苦笑する。
そこには疑問の余地がない。
「じゃあ3点目。バグナードの利益って何だ?」
これは、原作を読んでいればすぐ分かる。
あの黒の導師が求めるものは、金でも権力でもない。
「永遠の生命だよね。それで魔術の探求を続けたいってことでしょ?」
ルージュの答えに、アウスレーゼが首をひねる。
「永遠の生命だの、魔術の探求だの、宮廷の貴族とは縁のない言葉ですね。彼らが報酬として出せるのは、あなたが否定した金と権力だけです」
「知識ってのはどうかな。邪神カーディスが伝える暗黒魔法の秘技、みたいな」
今の段階でバグナードが暗黒魔法ラブなら、そんなものにも興味を持ってるかもしれない、とシンが言う。
アウスレーゼはそれにも否定的だ。
「権力闘争と女遊びしか芸のない貴族たちに聞くくらいなら、カーディス教団にでも入信した方がよほど効率的です…………まさか」
自分の言葉に驚いて、アウスレーゼが絶句する。
今まで、ニースを狙っているのは宮廷の貴族だけだと思っていたのだが。
「そうか、それも考えられるよな。じゃあ4点目だ。バグナードを雇ったのがカーディス教団だと仮定した場合、今回の流れに不自然な点はあるか?」
「あるよ。カーディス教団には、そもそも墓所に手を出す理由がない」
ルージュが即答する。
カーディス教団がこの墓所に手を出すとしたら、理由はひとつ。
最高司祭ナニールの解放だろう。
だが、亡者の女王がここに封印されていないという事実は、17年前にバグナードが知った以上、教団にも知られていると仮定できる。
すると逆説的だが、バグナードがいるが故に、この墓所には手を出す必要がなくなるのだ。
「確かにカーディス教団が求める魂は、墓所にはないわ。けれど私がここで死んでくれれば、充分以上の成果だと思わない?」
若者たちの議論を黙って聞いていたニースが、口を挟んだ。
「宮廷の過激派は、私が邪魔だと思っている。そこにカーディス教団が持ち込むの。ニースを殺して差し上げますよ。だから鍵が借りられるように取り計らってください、とね。この玄室の特性を利用すれば、こんなにも確実に私を殺せるのだから」
ニースの指摘に、ライオットは頭をフル回転させた。
その仮定が正しいとすると、どうなる?
宮廷の過激派は、ニースがいなくなって万々歳。
そしてカーディス教団にとっては、ニースは誰よりも邪魔な存在だ。彼女さえいなくなれば。
「……保護者のいなくなったレイリアが、無防備に晒されるという状況が生まれるわけだ。まずいな」
パズルのピースがはまるように、今の状況が説明されていく。
《テレポート》や《リターン・ホーム》など、遠く離れた場所へ転移する魔法がある限り、ニースがレイリアから物理的に離れることにはあまり意味がない。
しかし今回、この玄室は魔法的に完全に隔離された空間だ。レイリアに危機が迫っていると知っても、駆けつける手段が封じられている。
最悪、この場で殺せなかったとしても、玄室にしばらく閉じこめておけば、レイリアを強奪するだけの時間は稼げるというわけだ。
「策としては完璧ですね」
アウスレーゼが表情を堅くする。
ニースたちを玄室に入れるために、入るときは守護者は起動させない。出さないために、通路で起動させる。
玄室に張られた結界のせいで、攻撃魔法による援護は不可能。幅2メートルという狭い通路では、2人並んで戦うことすらできない。
つまり、1対1でアイアンゴーレムを粉砕できる戦士がいない限り、ニースたちはここから出ることができないのだ。
しかも守護者は2体いた。保険までかけてある。
「俺たち、完全に罠にはまってるな。これじゃあ警戒してても逃れようがない。さすがバグナード」
「感心してる場合か! 早く帰らないとレイリアが危ない! 何とかならないのか?!」
いきり立つシン。
今の推論が正解なら、レイリアに危機が迫っているのだ。
「大丈夫。あいつの策には、もう穴があいてる。ルージュ、本当に殊勲賞だな。助かったよ」
妻の銀髪をぽんぽんと撫でながら、心からの賛辞を送る。
そしてライオットは、即席で組み上げた対応策を全員に説明した。
危険は伴う。
正直言って綱渡り。一歩間違えれば全滅しそうな策だ。
「それは、いくら何でも危険すぎない?」
ニースでさえ顔をしかめる内容だが、ライオットは首を横に振った。
「他にどうしようもないんです。俺たちは出遅れた上に、完全に罠にはまってる。これを噛み破ってレイリアを助けようとするなら、無茶もしないと」
そしてシンに、最後の確認をする。
「結局はおまえだけが頼みだ。やれるか?」
ライオットの言葉に、シンは肯いた。
自分自身が願ったことだ。
強くなりたい。
彼女に訪れる危機から、彼女の人生と笑顔を守りたい。彼女の前で恥じない自分になりたいと。
「やるしかないだろ。正直怖いけど、レイリアが言ったんだ。俺の力と想いがあれば、守れないものはないってさ」
だからやるしかない。彼女の言葉を嘘にしないためにも。
硬い顔をするシンの肩を、ライオットは強く叩いた。
そして、剣を鞘に納めたまま、両手で“勇気ある者の盾”を構え。
ひとつ深呼吸して宣言した。
「じゃあ始めようか……反撃開始だ」