PRE-PLAY 東京 府中市
「ファイター10レベルか。よくぞまあ育ったもんだ」
「キャラを作ったのが高校生の時だろ。もうみんな30過ぎのオッサンだからな。これだけ使ってれば、そりゃ育つさ」
各々がキャラクターシートを広げながら、いつものように雑談に花が咲く。
テーブルの中央にはスナック菓子と午後の紅茶ミルクティ。たまの休日だから酒でもいいのだが、TRPGにはミルクティというのが高校時代からの不文律だった。
「今日はプレイヤー3人だけ?」
古びたペンケースから鉛筆と消しゴムを取り出しているのは、警視庁機動隊に勤務する一彦。
「最近地震が多いでしょ? 匠くんは中継ヘリで待機を命じられて、休みは取り潰しだって」
一彦の妻、喜子が、6面ダイスをテーブルに並べながら応じた。
「例の東海大地震の予兆ってやつね。マスコミは大変だ。今日はシーフ抜きか」
システムエンジニアの伸之が、一彦を一瞥してにやりと笑った。
「こっちの警察官は暇そうなのに」
「この官舎は築40年だからな。震度7とかの地震がきたら崩れるって消防の人が言ってた。崩れたら、救助する人員が必要だろ?」
堂々と一彦が応じる。
ここは府中市にある、警視庁職員用の官舎。
部屋の主である一彦はTRPGに耽溺するあまり大学受験を棒に振ったほどの剛の者で、その病気は就職しても、結婚しても直らなかった。
妻に迎えた喜子も同じ病気に冒されていたため、彼らの新居は休みの度にTRPG会場に利用され、今日のような賑わいとなるのだ。
「もうドラゴン相手にガチで勝負できるレベルだし。ひとりくらい欠けても大丈夫でしょ」
ゲームマスターを務めるのは、旅行代理店勤務の悠樹。この4人にヘリコプターパイロットの匠を加えた5人は、高校時代からのTRPG仲間だった。
悠樹は、A5サイズのノートパソコンをのぞきながら、シナリオをチェックしていく。
「便利になったよな」
パソコンが苦手な一彦がしみじみと言った。
昔はシナリオといえば、授業中にノートの片隅に鉛筆で書いたものだった。シナリオに使うデータやダンジョンの地図を合わせれば、相当な枚数になったものだが。
「道具が便利になっても、考えるのは人間の仕事だよ」
悠樹が言う。
MMORPG全盛の時代に、TRPGはたしかに前時代的かもしれない。
美麗なグラフィックも、派手なアクションもない。PCもNPCも、声も風景も、体験すべきシナリオさえも、すべては想像力の中にしかない。
GMは言葉だけを使ってプレイヤーの想像力を刺激し、架空の世界を構築しなければいけない。
プレイヤーは、その世界を他人と共有しながら、キャラクターを演じなければならない。
与えられることに慣れたコンピュータ・ゲーマーには、いささか敷居の高い遊びだろう。
「じゃあ、そろそろ始めようか。舞台は前回と同じ、呪われた島ロードス。新王国歴503年、前回から1年後の話になる」
シナリオのチェックを終えた悠樹が、改まった口調でセッションの開始を告げる。
「前回の成長申告から、どうぞ」
「シン・イスマイール。21歳。ファイター10、レンジャー8」
「ライオット。24歳。ファイター9、プリースト8、バード3」
「ルージュ・エッペンドルフ。23歳。ソーサラー9、セージ8」
プレイヤーたちの申告を聞きながら、悠樹はエクセルのワークシートを更新していく。命中力や打撃力、残り生命力などを管理するワークシートは、伸之が10年前に作ったものだった。
「キャラクターもどんどん年をとっていくな。シンは最初なんか18歳だったのに」
「リアルに15年以上かけて育てたキャラだし。もう一人の自分みたいなもんだ。今ならロードス島に転生しても普通に生きていけるぜ」
「カズくん、それはさすがに言いすぎ」
気の知れた仲間との、穏やかな休日。
笑い声に満ちた部屋がひび割れたのは、その直後のことだった。
「……ん? 揺れてるか?」
一彦が首をかしげて窓の外を見る。
「ああ、また地震だ。ほんと最近多いな」
伸之が応じた、次の瞬間。
轟音とともに床がうねった。
世界が水平に動いたかと思うと、いきなり逆方向に揺り返す。強烈な加速度についていけず、部屋中の物体が取り残されて踊り回った。
テーブルが壁と壁の間を行ったり来たりする。
倒れた本棚はテレビを直撃。本の雪崩が液晶を押し潰した。
非常識にたわむ建物に悲鳴を上げて、コンクリートの壁一面にひびが走り。
窓ガラスが一斉に砕けて乾いた音が鳴った。
「こりゃ、俺も仕事だな」
部屋の惨状を呆然と眺めながら、一彦がぽつりとつぶやく。
ミルクティがこぼれる。
伸之がふとそう思い、跳ね回るペットボトルからキャラクターシートを守ろうとしたところで。
崩落した天井に視界を覆い尽くされ、意識は闇に落ちた。
「……、…………!」
遠くで、誰かが呼んでいる声がした。
息苦しい。重い何かが胸の上に乗っていて、押し潰されそうだった。
どうやら地震で生き埋めになったようだ。
混濁する思考の中で、とりあえず自分は生きているらしいと考える。
今はまだ、という条件付きだが。
東海大地震が発生したら、犠牲者の数は数十万と試算されていた。その大部分は、地震の二次災害である火災による犠牲者だ。
このままだと、犠牲者の仲間入りは免れないだろう。
身動きが取れないまま焼死というのは、あまり愉快な未来じゃないな、伸之は思った。
そんなことを冷静に考えているあたり、まだ正気に戻っていない証拠なのだが。
「伸之! 生きてるか?!」
また声が聞こえた。
15年来の親友の声。これは一彦か。
「いちおう生きてる……と、思う」
反射的に答えてから、ああ、声が出せるんだ、と意識した。
「それは何より。怪我はどうだ?」
「……確認してみる」
話していると、意識がどんどん覚醒してくる。
指先から手首、腕、肩と徐々に動かしてみると、思いのほか状態は良かった。
激しい痛みはない。骨は無事のようだ。ただ、胴体を横切るように巨大な柱が倒れていて、身動きは取れそうにない。
「怪我はなさそうだけど、重くて動けない」
「了解。大丈夫だ。安心しろ。すぐ掘りおこしてやる」
一彦の声は自信に溢れている。むしろ楽しそうな響きさえあった。
この非常時にも動じることがないのは、警察官という職業柄か。一彦は機動隊のレスキュー班に所属し、災害警備や救難救助の仕事をしているのだ。
ニュースになるような大地震の現場には何回も派遣されているらしく、このような非常事態には頼もしい限りだった。
「プロに保障されると安心するよ……ってか一彦、もう外に出てるのか?」
うっすらと目を開けると、瓦礫の隙間に小さく青空が見えた。ちらちらと瞬く影は、おそらく一彦のものなのだろう。
瓦礫を投げ捨てる音が、リズミカルに聞こえてくる。
「出てる。この建物は鉄筋の入ってない石材だから、思ったより簡単だった」
「よく分からんが、そりゃ簡単に崩れそうだな。手抜き工事にもほどがある」
「おかげで命が助かったんだ、そこは感謝しとけ。喜子、いたぞ。こっちの瓦礫の下だ!」
しばらくすると、もうひとつ人影が現れて、伸之の方を覗きこんできた。
「リーダー、もうちょっと頑張って。すぐ出してあげる」
女性の柔らかい声。
リーダーというのは、チャットをするときの伸之のハンドルネームだ。その名前で伸之を呼ぶ女性は喜子しかいない。
「いつもいつも苦労をかけて済まないね」
「お父っつぁん、それは言わない約束でしょ」
もはや古典すぎて若者には通じないお約束をこなすと、早速救助作業に取りかかる。
2人がかりで瓦礫を取り除いていき、5分ほどの間に、針の穴ほどの青空はどんどん大きくなっていった。
破砕された石材が粉になって伸之に降り注ぐ。思わず顔をしかめていると、人の顔がひょいとのぞいた。逆光でよく見えないが、おそらく一彦なのだろう。
「手、届くか?」
外から手が差し込まれる。ちょっと肩をずらして右腕を伸ばすと、その手はしっかりと伸之を掴んだ。
「んじゃ引っ張るぞ」
「いやいや、だから柱の下敷きなんだって。その角度で引っ張られると腕が抜ける」
人の話聞けよ、と伸之がため息をつくと、その人影は小さく笑った。
「大丈夫だ。柱はへし折る。痛いかもしれないけど、すぐ癒してやるから気にするな」
「あのさ、できれば横から穴を掘るとかしてもらえると嬉しいんだけど」
「めんどい」
そのまま力を込められる。
「ちょ、待っ……」
予想外の生命の危機を感じて、伸之が手を引き抜こうとした刹那。
「Falts!」
一彦の気合とともに、真上から強烈な衝撃波が貫いた。
瓦礫の中で砂塵が舞い散り、わずかに遅れて激痛が伸之を絞り上げる。
巨大な何かで柱をひっぱたいたのか。尋常ではない重みに肋骨がきしみ、横隔膜が悲鳴を上げて呼吸が止まったが、それは一瞬のことだった。
鈍い音をたてて柱が崩れ、直後、強引に右腕を引っ張られる。
痛い、という言葉が思い浮かんだときには、すでに伸之の体は瓦礫の中から引きずり上げられていた。
「ゴホッ……お前な、いくらなんでも乱暴すぎるだろ」
膝をついて咳きこみ、文句を言おうと顔を上げ。
呆けた表情で、修之は固まった。
見たこともない男が、そこにいた。
ちょっと癖のある金髪。
貴公子然とした端整な容貌。
年のころは20代前半か。白銀の鎧をまとい、長剣を腰に佩いた姿は、まるでファンタジー映画に出てくる騎士のよう。
「あ……ええと、」
それ、なんのコスプレ?
あんた誰?
一彦は?
いくつかの言葉が脳裏で踊ったが、どれも口に出すことはできなかった。
状況が理解できなかった。
それを見てとったのか、金髪の騎士は伸之を見下ろしたまま言った。
「問おう。あなたが私のマスターか?」
「それ、ゲーム違う」
即座にツッコミが入る。
騎士に裏拳を入れたのは、銀色の髪を肩のあたりで切り揃えた女性だった。
紫水晶の瞳が冷たく金髪の騎士を眺めている。
薄桃色の唇は桜の花片のよう。
切れ長の目元は涼しげで、眉は柳のようにすらりと伸びている。
あらゆるパーツが完璧に調和し、非の打ち所のない美貌を構成していた。
着ているのは黒く染めたオーガニックコットンのローブだ。胸元まで長くV字形の切れこみがあり、細い革紐で調整するようになっている。
金髪の騎士といい、この美女といい、日本の被災地で目にするような服装ではない。
「私はセイバーのサーバント。召喚に応じ参―」
「ネタはいいからちょっと黙ってて」
今度は、手に持っていた木の杖がまともに後頭部に入る。わりといい音がした。
杖の先端には金属の意匠が施されており、ダメージもバカにならないだろう。
金髪の騎士は涙目になってうずくまり、両手で後頭部を抑えている。
その隙に、銀髪の美女は伸之に手を差し出し、立ち上がらせた。
「リーダー、この人はカズくんだよ。ちょっと事情があって金髪になっちゃったけど。それで私は喜子。声はそんなに変わってないから分かるよね?」
「お、おう」
この夫婦漫才はいつもの一彦と喜子だ。どうやら間違いないらしい。
「それでここなんだけど」
「ちょっと待った」
いじけていた一彦が、妻の言葉をさえぎった。
「違うだろ。名前を間違えてる。そうだよな?」
言いながら立ち上がる。
一彦はまっすぐに伸之を見つめると、一呼吸おいて、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺はライオット。こっちは魔術師のルージュだ。ようこそロードス島へ、シン・イスマイール」