「『星(アステル)』よ」
錫杖の遊環が鈴のような音色を奏で、水色の光弾からなる数十の流星となって奔る。向かう先は光弾に倍する数の燐子、その奥の舞台にはハンドベルを揺らす“狩人”。
「(走れ)」
ヘカテーはフリアグネがの指先の動きを注意深く見極めて、ハンドベルを鳴らす刹那に光弾の一つを加速、先制させた。
それは先頭の燐子の一つを弾ける前に爆砕し、それの生む爆風が周囲の燐子を木の葉の如く散らせる。
そして、爆発。
「む……っ!」
見当違いに起こされる爆煙を裂いて、背後に控えた燐子の群れを流星群が纏めて吹き飛ばした。もはや二十に満たない燐子のすぐ後ろのフリアグネに、ヘカテーは間髪入れず三度の『星』を繰り出す。
「流石だね」
全く同時、フリアグネは『ダンスパーティ』を鳴らした。燐子と光弾の爆発が屋上の一角を吹き飛ばす。立ち上る爆煙の頂点から飛び出した二つの白い影……フリアグネとマリアンヌは、そのまま錆付いたレールの上に降り立った。
「だけど、もう同じ手は通じないよ」
そうして腕を一振り、先ほどと同数の燐子を薄白い炎の中から喚び出すフリアグネ。
パフォーマンス染みた戦い振りに、ヘカテーは僅かに眉を潜める。
「(……キリが無い)」
この街のトーチは異常に多い。即ち、それだけ多くの存在の力をフリアグネは奪っている。ヘカテーが光弾を放つ度に燐子を爆発させる、一見すれば己が戦力を削るばかりの自爆戦法も、それなりに勝算あっての事だろう。
となれば、消耗戦に付き合ってやる道理は無い。
「『星』よ」
四度放たれる水色の光弾、燐子と共に融爆するこれを牽制とし、ヘカテーは黒煙を目眩ましに燐子の群れへと突っ込んだ。
「ふっ!!」
まずは一体、錫杖の先端で顔面を貫かれて燃え果てた。突き出した杖を身体ごと竜巻のように振り回し、周囲の燐子の首を丸ごと刈り取る。そうして拓けた空間を活かして、多勢の中に飛び込んだ獲物目がけて燐子による一斉蜂火が見舞われた。
ヘカテーはこれを掻い潜るように低い姿勢から跳躍、炎弾から逃れると同数に二体の燐子の足を砕き、這いつくばった頭を踏み潰す。
「な………」
可憐な少女の修羅の如き戦い振りに、フリアグネは本気で驚く。自在法頼りの上品な巫女と思っていた少女は、その実 フリアグネとは比較にならない確かな膂力と体術を備えていた。御崎大橋の戦闘では、ミステスを護る為に動きを最小に止めていたに過ぎなかったのだ。
「(だが、愚か……!)」
しかし、そもそもフリアグネは燐子の腕で“頂の座”を討てるとは考えていない。ハンドベルを鳴らし、少女の周囲の燐子を一斉に起爆―――
「はあっ!」
しようとした矢先、ヘカテーの『星』が無数に光を撒き散らし、全ての燐子を“爆発する前に”破壊した。
先ほどの光弾でヘカテーが確認した一つの事実、『破壊された燐子は爆弾に出来ない』。
「覚悟」
僅かに身を屈めたヘカテーの足裏が、水色に爆発する。爆圧を味方につけた高速飛翔で一直線にフリアグネを目指す。
「(燐子の爆発は来ない)」
もはやフリアグネとの距離は数メートル。今から新たに燐子を喚び出してヘカテーに爆撃を仕掛ければフリアグネも巻き込まれてしまう。
逆に、ヘカテーには何の枷も在りはしない。今度こそと力を込めて必殺の『星』を撃ち放つ……
「遅い!」
その機先を、フリアグネは見事に制した。一円を描いて振るわれた長衣から数多の武器が飛び出し、大杖を振りかぶるヘカテーを襲ったのだ。曲刀、直剣、槍斧、大鎌、鉄鎚、鉤爪、とにかく種々雑多な武器の雨……その全てが“宝具”。
「っ……『星』よ!!」
防御も回避も間に合わない。ならば攻撃で砕くまで。ヘカテーは驚愕を意志でねじ伏せて、動きを止める事なく水色の流星群を解き放った。
―――異様な事が、起こる。
「!?」
宝具の雨ごとフリアグネを粉砕すべく放った光の流星が、ヘカテーの意志に反して軌道を変え、見当外れの天空に集約されたのだ。
そこに浮かぶ不気味な呪い人形の宝具が連鎖的な大爆発に呑み込まれる。ヘカテーには、それを視認するだけの余裕が無い。宝具の雨は彼女の鼻先にまで迫っていた。
「くっ………!」
不測の事態による動揺、まず致命的である筈の隙を、ヘカテーは超常的な反応でカバーした。飛び来る宝具の悉くを躱し、或いは杖で叩き落とす。人間は勿論、紅世の徒から見ても尋常ではない舞踏の最中―――
「『バブルルート』!」
フリアグネの傍らに控えていた最後の燐子……宝具使いのマリアンヌが、一枚のコインを指弾として撃ち出し―――
「っ……!?」
そのコインの軌跡が金の鎖となって、瞬く間にヘカテーの『トライゴン』を絡め取った。
未だ凶刃の中に曝され、僅かな乱れも許されない刹那。思考と言うより直感から来る判断で、ヘカテーは大杖を手放した。
残る宝具を体捌きだけで躱し切り、アスファルトに刺さった槍の一つを抜くと同時、また足裏に爆発を起こしてフリアグネ目がけて飛ぶ。
「(さっきの手は、もう使えないはず)」
手にした槍が再び金の鎖に絡め取られるも、何の躊躇いも無く放り捨てる。
その先に再び燐子が立ちふさがるが、やはりヘカテーは止まらない。この距離ならどうせ爆発は起こせない。只の楯に過ぎない燐子に、小さな拳が振り抜かれ…………
「――――――」
そして、“爆発”。
「う……あっ……!?」
予測に反して弾けた燐子。その爆発を至近距離で受けてしまったヘカテーが、ボロ雑巾のような惨めな姿で地に落ちる。
「(な、ぜ……)」
何が起きたのか理解出来ない。まさか自分ごと爆破したのか。激痛の中で千々に乱れる思考の断片を否定するかのように、白き狩人が無傷の姿でヘカテーの前に降り立った。
「(不味い……!)」
何を考える暇も無い。満身創痍の身体を無理矢理に立たせて、ヘカテーは眼前の敵に身構える。
「チェックメイトだ。なかなか愉しい一時だったよ」
フリアグネは遠慮などしない。むしろ獲物を嬲る歪んだ愉悦を口の端に乗せて、手にしたトランプを刃の怒涛に変えて投げ放った。
「はああああっ!!」
細かいカードの防御と攻撃を両立させるには『星』は不向き、と判断したヘカテーは、突き出した両掌から炎の奔流を放出した。
元々戦闘用の宝具ではないのか、トランプはいとも容易く燃え散らされ、炎はフリアグネに襲い掛かる。
………そう考えるヘカテーの目の前に、
「やあ」
「!!?」
フリアグネが、平然と炎を掻き分けて現れた。自らの炎で視界を奪われたヘカテーの、手を伸ばせば届くほどの至近に。
「(今だ………!)」
だがヘカテーはここに、驚愕と等量の勝機を見いだした。これまでの戦いで得た確信、接近戦でなら負けはしない。
痛む身体に鞭を打って、この瞬間に全霊を懸ける。轟然と燃え盛る“狩人”の左手の炎を躱し、逆撃に転ずるべく身構え………
(ズンッ)
ようとしたヘカテーの胸を――――“見えない何か”が刺し貫いた。
「くくっ…ふふふ……ははははははは!!」
獲物を仕留めた。筋書き通りの結末を迎えて、フリアグネは高らかに嘲笑する。
「かは……っ!」
見えない何かが胸から引き抜かれ、ヘカテーは血のように水色の炎を吐き出して倒れる。
這いつくばった少女を見下ろしたフリアグネは、得意気に左手薬指に嵌められた指輪を見せびらかす。
「これは『アズュール』、火除けの指輪さ。君が相手だと使い所が難しかったんだけどね」
余裕か、或いは優越か、それまで慎重かつ優雅な狩りに徹していたフリアグネの表情に、コレクターとしての顔が現れる。しかしこれは、彼にとっては必然に近い勝利だった。
「どういう事情があるのか知らないが、お姫様が他人の狩り場になど出て来るものじゃなかったね」
御崎大橋での襲撃は、最初から相手の手の内を探る為のものだった。“頂の座”の真名に、燐子如きではそれすら敵わぬと判断したフリアグネは自ら出向き……そして、ヘカテーは拍子抜けするくらい簡単に手札を見せた。
ここでの戦いにしても、予想以上の地力に驚きこそしたものの、力に任せて押し切って来る相手ならやり方次第で搦め取れる。事実、そうなった。
いくら力があろうと、彼女は『巫女』。鬼謀を巡らす『参謀』でもなければ、戦場を統べる『将軍』でも無いのだ。
「このままトドメを刺すのは簡単だけど………」
うつ伏せに倒れて動かないヘカテーの前で、フリアグネは右腕を高々と差し上げる。差し上げて………
「うおおおおおおお!!」
身の程知らずに飛び掛かって来たミステスの首を、掴んだ。
「その前に、これの中身を見させて貰おうか」
ミステス……坂井悠二の首を。
時を僅か、遡る。
実のところ、坂井悠二は最初から依田デパートの中に居た。どこかで燐子に見張られている可能性を考えた彼は、ヘカテーと二人で依田デパートに入る事で、さも自分も戦いに同伴したかのように見せ掛けた。
さらに封絶の真下に待機する事で、いざとなったら中のヘカテーに助けを求める算段だった。
「…………………」
結論から言えば、これらの対策は全く意味が無かった。まずはヘカテーを倒す事を優先したのか、悠二を狙う燐子の姿は現れなかった。
斯くして悠二は、やる事もなく封絶が解けるのを ひたすら待つ事となる。
「(………大丈夫かな)」
その間も胸中を占めるのは、やはり戦いの結末だ。
フリアグネは、理由までは知らないが御崎市に長く滞在しているらしい。彼が勝てば、まだ無事な人間もいずれ喰われてしまう。
ヘカテーは逆に、御崎市に留まる理由は無い。彼女が勝てば、悠二はともかく御崎市は多分、助かる。
「(絶対、ヘカテーが負けるような事だけはあっちゃいけない)」
望む結末があっても、そうする為に出来る事は無い。結局はヘカテーの勝利を祈るしかないという現実にゲンナリしそうになった悠二は………
「(……あ)」
ふと、自分にもやれる事……いや、やれるかも知れない事があると、気付いた。
「(いや、でも……)」
うまく行く保障など無いし、待っているだけでもヘカテーは勝ってくれるかも知れない。しかし、悠二は………
「(…………やろう)」
封絶の中に、足を踏み入れた。
これは自暴自棄なのだろうか? いずれ消えるトーチだからと、捨て鉢になって無謀な行いに身を投じているのだろうか? 未だ掴み切れない自身の心を訝しむ彼の耳に――――
「ッッ!?」
封絶に入ってすぐに、凄まじい爆発音が届いた。いきなり腰が引ける情けない自分を叱咤しながら階段を上り続けていると………不意に、戦闘音が止んだ。
「(………ヤバい)」
虫の知らせ、ではない。身に宿る宝具の力か知らないが、ヘカテーの気配が小さくなっていくのがハッキリ解った。
屋上に走り、既に吹き飛んでいた扉の向こうに………見えない何かに串刺しにされて放り捨てられるヘカテーが見えた。
「―――――――」
何故か、目の前が真っ赤になった。身体中の血が逆流するような激情が、こんな時でも何故か冷静な理性と混ざって、一つの強固な意志を作る。
「(許さない)」
思い切り駆け出し、地面に刺さっていた剣を一振り抜いて、担ぐように振り上げる。コソコソする必要は無い。むしろヘカテーから注意を逸らすならバレなければ意味が無い。
「うおおおおおおお!!」
ついでに大声まで張り上げて、悠二はフリアグネに飛び掛かり、そして………呆気なく捕まった。
「中に何が、在るのかな………?」
“狩人”の瞳が、期待と執着に光った。