「………終わった」
水色の炎が敵の存在を焼き尽くす光景を遠目に眺め、悠二は戦いの終わりを悟る。セリフだけ聞けば『戦いの後の戦士』然とした落ち着いたものだが、残念ながら今の悠二は手荷物の如くベルトを掴んで運ばれる情けない少年である。
しかし、そんな些細な事を考えている暇も無い。木の葉を舞わせる霧の結界が、主を失って揺らぎ始めたのだ。
「ま、不味い! 封絶もどきが崩れる!」
この結界は封絶と同様の効果も併せ持っていた。このまま解ければ、破壊の跡が修復されないまま世界が動き出してしまう。
訴えるつもりで声を張り上げると、
「? この結界を崩す為に、俺に力を渡したのだろう。今さら何を言ってる」
銀髪の剣士は、何処か根本的にズレた返事を寄越した。
それに苛立つ間にも、結界はみるみる安定を失っていく。もはや説得する時間も無い。ヘカテーの所に行くのも間に合わないし、今のヘカテーに封絶を維持する余力があるかも確証は無い。
「(出来るか……!?)」
『出来ませんでした』では済まない決断を一瞬で流し、『やるしかない』と己を鼓舞する。
「(僕の持つ存在の一部を燃やして、練り上げた力を式に流して、因果を外界から隔離する)」
使った事なら何度もある。が、一人で使った事は一度も無い。まして、こんな大規模なものとなると見た事すら無い。
それでも、やるしか無い。加減もしない。下手に怖じ気づいて破壊の跡がはみ出しでもしたら取り返しがつかない。
「(ヘカテーの感覚を、思い出せ)」
頭で考え、身体に言い聞かせ、練り上げた力を顕現させる。
「……封絶」
口にした途端、悠二を中心に火線が広がり、複雑怪奇な紋様が街中の大地を埋めた。待っていた山吹色の木の葉も燃え上がり、至る所に炎を揺らす。
溢れた炎は、燦然と輝く、銀。
「やった……!」
自在法『封絶』。
この世の存在を隔離し、この世ならざる歪みを閉じ込める異能者の舞台。
紅世に繋がる者ならば誰でも使える基本的な自在法。しかし、人間だった悠二ならば考える事すら出来なかった自在法。
その発現は……完璧だった。
「僕が自在法を……封絶を……!」
規模も構成も、使った悠二自身が驚くほどに完璧な封絶。人の手に吊られたまま興奮状態になる悠二は………
「んがっ!?」
手近なマンションの屋上に捨てられた。人間ならば確実に即死しているところだが、とりあえず鼻血で済む悠二。
「いきなり何するんだよ!」
「うるさい。人の手先で騒ぐな」
鼻を押さえて喚く悠二を見下ろした後、銀髪の剣士は腕を組みつつ銀の封絶に視線を巡らせている。
そんな徒に釣られたように、悠二も再び封絶を見る。知らず、右手が強く握られていた。
「……悠二は、どうやら自在師の方に適正があるようですね」
そうこうしている内に、ヘカテーの方から飛んで来た。外套の下に傷を隠した、しかし隠しようもなく疲弊した身体で悠二の隣に降り立つ。
「……まさか生きているとは思いませんでした。“虹の翼”メリヒム」
「俺も、君が一人で出歩くとは思わなかったな。“頂の座”ヘカテー?」
そして、互いの無事を確認する事もなく、銀髪の剣士……否、“虹の翼”メリヒムと睨み合っていた。
常の無表情の上に緊張の硬さを見せるヘカテーに対して、メリヒムはヘカテー相手でも厭味ったらしい余裕面を崩さない。
ヘカテーは僅かに後退り、悠二を後ろ手で下がらせた。
「………ヘカテー、知り合い?」
「……『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の両翼が右。数百年前、当代最強を謳われた王の一人です」
おずおずと訊ねた質問の答え。その前半に首を傾げ、後半に畏怖を感じる悠二。『とむらいの鐘』だの両翼だのと言われてもさっぱりだが、数百年だの当代最強だのは素人にも容易に重さが伝わって来る。
しきりに警戒する二人を見て、メリヒムはわざとらしく肩を竦めて見せた。
「そう睨まれても困るな。少なくとも、俺は君に刃を向けるつもりは無い。さっきだって、そいつを使って助けてやっただろう?」
敵意そのものが滑稽と言わんばかりに、メリヒムは視線を外した。平然と隙だらけの横顔を曝して、また封絶の空を見る。
そう、悠二には知る由も無い事ではあるが、『とむらいの鐘』も『仮装舞踏会(バル・マスケ)』も、かつて紅世の徒最大級の集団として並び称された組織。その幹部たるヘカテーとメリヒムには、お互い胸の内に思うところはあっても、明確な敵対関係はない。
ただ、それは今までの話である。
「……大戦から数百年、『天道宮』で何をしていたのですか」
数百年前の大戦。メリヒムが消息を絶った場所と、『天道宮』が消え失せたのは同じだった。討滅されたと思われた彼が、魔神の器を育てていると目されていた『天道宮』から現れた。
半ば確信に近い疑惑を、ヘカテーは敵意も露にメリヒムにぶつける。
メリヒムは………
「……誓いを果たしていただけだ」
痛みの中にも穏やかさを乗せた、あまり似合わない笑顔でそう返した。
「……誓い?」
「俺が愛した女との、戦いの果てに交わした誓いだ」
恥ずかしげもなく、むしろ誇るようにメリヒムは言い放った。
内容のはっきりしない、はぐらかしとも聞こえる返事にヘカテーは暫し考え込んで、
「……………そうですか」
結局、折れた。
仮に“そう”だとしても、今さらメリヒムを責めたところで何が変わるわけでもない。むしろ、今この場で彼を敵に回す事は絶体絶命の危機に繋がる。
せめてもの抗議に背中を向けて拒絶の意思を表したヘカテーは、完全に会話から置き去りにされていた悠二へと向き直る。
「………ヘカテー、怪我とかしてない?」
そして、そんな事を先に言われてしまう。心配された、というのが何故か無性に格好悪い気がして、ヘカテーは帽子を深く被り直した。
「……平気です」
殊更に平静を装った声で、俯いたまま更に続ける。ここからは説教である。
「『天道宮』で待っているように、言いましたよね?」
「………ピンチだった癖に」
打てば響くように茶化して来たので、足に『トライゴン』の石突きを落とした。足を押さえて飛び上がる。
「(まったく………)」
ヘカテーに感じ取れない程度の気配しか持っていなかったメリヒムが今、これだけの力を保持している理由は、想像するに難くない。奪われたのか提供したのか知らないが、無用心にもほどがある。
「(“虹の翼”の気紛れ一つで消されていたという事を、本当に解っているのでしょうか)」
考えれば考えるほどムカムカして来たので、見せつけるように背中を向ける。しかしながら、悠二はそんなポーズに気付く様子は無い。
「ねぇヘカテー。これ、このまま修復して大丈夫かな?」
人の気も知らずにそんな事をのたまう。
「………勝手に直したら良いです」
ので、必要以上に冷めた声音で突き放してみる。然る後、悠二は人差し指を天に向け、そこから飛散させた火の粉で封絶内の修復を開始した。
「…………………」
「ヘカテー、これで大丈夫? 何か間違ってないかな?」
「………知りません」
「へ?」
さり気ない抗議は通じないらしかった。これらのフラストレーションは後の鍛練に遺憾なく発揮する事にして、ヘカテーは一先ずは諦めた。
「?」
ふと、銀髪の剣士がジロジロと悠二を見ているのに気付く。もしや中の宝具に興味を持たれたかとヘカテーは邪推するも、メリヒムの興味はそっちではなかった。
「……妙なミステスだな。感知の宝具を宿しているのかと思えば、こんな複雑な自在法を平然と構築する。一体 何物だ?」
「「…………は?」」
他でもない、封絶が気になっているらしい。
徒ならば誰でも使えるポピュラーな自在法を、この強大な王が珍しがっているという奇妙な事実に、悠二とヘカテーは揃って頭上に疑問符を浮かべる。
「あ」
のも数秒、ヘカテーはすぐにその理由に思い至った。
“虹の翼”が消息を絶ったのは数百年前の大戦。つまり、封絶という自在法が普及されるよりも前である。
それからずっと『天道宮』から出なかったというなら、彼が封絶など知っているわけが無い。
「……貴方には、少し教育が必要なようですね」
今でこそ誰でも使えるポピュラーなものだが、実のところ、封絶はそれほど単純な自在法ではない。
とある天才が気紛れに編み出した複雑極まる自在式を、別の天才が誰でも使える簡単な自在法に改良したものなのだ。最初から誰もが使えたのではなく、あまりにも便利な為にあっという間に知れ渡ったに過ぎない。
「“虹の翼”メリヒム。『仮装舞踏会』の巫女として、貴方に今の世を渡る訓令を授けます」
かねてよりの目論見を思い出して、少女の瞳がキラリと光った。
「ちょっと、夢中になっちゃっいましたね」
午後三時。昼食の時間を大幅に過ぎた頃、悠二たちを乗せた釣り船が港へと進み行く。
「一位が池、二位が田中、三位が吉田ちゃん、結局俺は四位かぁ~」
『なかなか魚が釣れずに時間が掛かった』という事に“なっている”ので仕方ない。もちろん、坂井悠二と近衛史菜が海に落ちたという認識も無い。
「意外に池が一番多いんだな」
「って言うか、居たんだ池君」
「ふふん。釣りの基本は、どれだけ魚に警戒心を持たせないかだからね」
徒たちの戦場とされた街にも、その痕跡は何一つ残っていない。
ヘカテーに爆砕された建物も、メリヒムに両断された街も、もちろん今 平井たちが乗っている船も、全てが修復されている。
「…………………」
そう、傍目には何もかもが元通り。だが、外れた者の眼には“取り返しのつかないモノ”が、はっきりと見えていた。
封絶は内部の破壊を完璧に修復する事は出来ても、喰われた者を人間に戻す事は出来ない。在るべき姿を失った存在は、トーチに換えて残すしかない。
この上なく残酷で、それなのにどうしようもない“この世の本当の事”だった。
「あ………」
船から降りて、漁師の一人とすれ違う。その胸に燃える灯りを目にして、悠二は密かに足を止めた。
それは同情か、自分だけが永らえている事の後ろめたさか。愚にもつかない自問自答が過る間に、中年のトーチはさっさと行ってしまう。
自分の存在が確かに在ると確認する行為として、悠二は自分の灯りを見つめ………
「………あれ?」
その燃える灯りに、決定的な違いがある事に気付いた。
「? どしたの坂井君。みんな行っちゃうよ?」
「あ……ごめん。いま行く!」
流れ始めた日常に背を押され、少年は小さな疑問をそこに忘れて自分の日々に帰って行く。
―――それでも変わらず、紅世の灯火は止む事の無い鼓動を続けていく。