はじめまして、或いはお久しぶりです。水虫と言います。
本作はライトノベル『灼眼のシャナ』の二次創作にあたり、同掲示板内に在る『水色の星』シリーズのリメイク作品となります。というのも『水色の星』を完結させた当時、まだ原作の灼眼のシャナが完結しておらず、SSに反映出来なかった部分が多々あり、一から書き直したくなったからであります。
最初は完結済みの『水色の星』を改訂しようかとも思ったのですが、「旧作の方が良い」と感じる方もいるかもと思い直し、新たにスレを設けさせて頂く事にしました。
なお、本作は原作の設定などを一部改変する形になります。そういった要素を気に入られない方は予めご了承下さい。
携帯投稿なので一話ごとの分量は少なく、別作品と二足の草鞋で進むので更新は不定期になると思いますが、よろしくお願い致します。
この世の“歩いてゆけない隣”の世界。“紅世”から渡り来た人ならぬ者達に古き詩人の一人が与えた総称を、“紅世の徒”という。
彼らは人がこの世に存在するための存在の力を奪い、その力で自身を顕現させ在り得ない不思議を自在に起こす。
―――思いのままに、力の許す限り滅びの時まで。
そんな徒達のこの世で最大級の集団の一つとして名を知られている組織、名を『仮装舞踏会(バル・マスケ)』という。
何処か世の空を彷徨う宮殿、『星黎殿(せいれいでん)』。『仮装舞踏会』の本拠として永く世界を巡るこの宮殿の一室で………
「…………………」
一人の少女が、呆然と座り込んでいた。氷像の如き無表情、一見すれば呆然としているなどと見分けられはしないだろうが、それでも少女は困り果てていた。
明るすぎる水色の髪と瞳を持つ彼女の名は“頂の座”ヘカテー。『仮装舞踏会』に於いて絶大な尊崇を集める巫女である。その視線の落ちる先には、一枚の陶器……否、“陶器だった物”が在った。
「(…………………どうしよう)」
この陶器……外から内に螺旋を描く黒蛇模様の皿は、彼女の物ではない。さらに言えば、いまヘカテーが居る部屋も彼女の私室ではない。
重ねて言うが、ヘカテーは『仮装舞踏会』で絶大な尊崇を集める巫女である。彼女が少しばかりの粗相をしでかしたとて、文句を言える者など殆どいない。……しかし、物事には大抵の場合“例外”というものが存在する。その数少ない例外こそ、ヘカテーと同じく『三柱臣(トリニティ)』に名を連ねる『参謀』“逆理の裁者”ベルペオル。……この絵皿の持ち主だ。
「………どうしよう」
繰り返し、今度は口に出して呟くヘカテー。悪気は無かった。いつもの日課通りの祈祷を終えて、久しぶりにおじ様の近況でも訊こうかとベルペオルの部屋に足を運んで……うっかり台にぶつかってしまったのだ。ぶつかって、台の上に飾ってあった皿を割ってしまったのだ。
………ヘカテーは、ベルペオルがこれを“完成”させた日の事を憶えている。百年前くらいだろうか、参謀として忙しない日々に追われる彼女が、仕事の合間に興味を持った陶芸に没頭し、まる一ヶ月掛けてその手で一枚の絵皿を完成させたのだ。………うっかり割ってしまいました、などと口が裂けても言えない。
どうしよう。三度呟いて思考の迷宮に誘われる彼女の脳裏に――――
「!」
不意に、神託ではない神の啓示が迸る。人はそれを、閃きと呼ぶ。
「(急がないと……)」
思い立ったが吉日。ヘカテーは音も無く星黎殿の内部を駆け抜け、すぐに別室に到着する。扉を“鍵ごと”開いて中に突入すると、目的の物は予想以上に簡単に見つかった。ベッドの横に無造作に放置された煙草の箱である。
ヘカテーは飛び付く様にこれを入手し、踵を返して再びベルペオルの部屋に戻った。戻って……それを、割れた絵皿の周囲にバラまいた。ここまではスピードの勝負、ここからは……如何に自然に振る舞えるかどうかだ。
「んんっ」
小さく一つ咳払いして、ヘカテーは大き過ぎる白い帽子を被り直す。出来るだけ自然な動作で、しかし不自然に速歩きで、ヘカテーは司令室……祠竃閣へと歩を進める。動き自体はごく自然なのだが、一歩一歩の蹴り足で何メートルも進むスピードは凄まじい。
(………ゴクリ)
そうして辿り着いた扉の前で、ヘカテーは再び帽子を整えた。扉の向こうに気配は一つ。それが誰かまでは解らない。僅かな緊張を押し殺す様に、ゆっくりと扉を開くと………
「おや、如何なされましたか? 大御巫」
ドーム状の拓けた空間の中心、大竃の前に佇むのは……臙脂色の直方体の頭に松明を乗せた大きな蝋燭。『星黎殿』の守護者たる“嵐蹄”フェコルーだ。
「………『託宣』に向かいます。『銀沙回廊』を開いて下さい」
ベルペオルではない。その事に安堵しながら、ヘカテーは祠竃閣には足を踏み入れずに右手を伸ばした。それに呼ばれる様にフェコルーの傍の大竃に刺さっていた大杖が宙を舞い、緩やかに回りながら彼女の掌に握られる。
「は、はいっ、ただいま……!」
慌てたフェコルーの頭上で松明が揺らめき、ヘカテーの眼前で銀の粒が円を描いた。怖いほど事が上手く進んでいる事に胸を撫で下ろして、
「ついでにおじ様の行方についても調べてみますのでしばらく時間がかかるかも知れません」
一息も止めずに言い捨てて、フェコルーが何か口にするより素早く円の中に飛び込んだ。
「(うまく、いった……)」
左右に銀雫の烈柱が並ぶ漆黒の道を脱兎よろしく駆けながら、ヘカテーは作戦の成功を喜ぶ。彼女が巫女として大命に携わる時、大杖『トライゴン』は必要不可欠だ。『託宣』と『大杖』、この二つを持ち出せば何の違和感もなく星黎殿から逃げ出せる。
「(……帰って来るまでに、ベルペオルの機嫌が治っていますように)」
後ろ暗さから目を背けるべく、彼女の神に祈りを捧げながら―――ヘカテーは外の世界へと舞い降りた。
厚い雲を抜けて、星空の海を泳いで、水色の少女が天より降る。
『星黎殿』は秘匿の結界を纏って世界を巡る移動要塞。今のルートだと、ここは東方の島国だろうか。
「(………まるで、星空)」
見下ろす『この世』……人間の世界は、文明の光を所狭しと散りばめられて、まるで大地に天体を築いたかの様な幻想的な姿だった。“ここ最近の”人間の文化の進歩には目を見張るものがある。紅世の徒の中で『人化』の自在法が一般化しているのも頷ける。
「(……どこに降りよう)」
美しさに吸い寄せられる様に着地する……という誘惑を自重する。『星黎殿』を飛び出してすぐの場所では、もしベルペオルに捜索猟兵(イェーガー)を差し向けられでもしたら簡単に見つかってしまう。幸い今は夜、ヘカテーは夜空を奔る一筋の流星となって島国を飛翔する。
「(何か……何か……)」
勢いで逃げ出してしまったとは言え、やはりそれなりの体裁は繕わなければならない。……いや、こうして実行に移している内に、だんだん本格的な使命感へと移り変わり始めている。
「(おじ様の手掛かり……!)」
“探耽求究”ダンタリオン。彼女らの掲げる大命の協力者であり、替えの利かない貴重な人材……だったのだが、ベルペオルの事を『シイタケよりも嫌い』として、今では協力どころか逃げ回っている。それだけならまだ良かったのだが、彼はあろう事か解析の為に預けた『大命詩篇』を個人的な実験の為に好き放題に扱っているのである。
逃げに回らせれば並ぶ者のいない厄介者だが、個人的な親交のあるヘカテーならば、見つけさえすれば或いは普通に会ってくれるかも知れない。
そんな淡い期待を抱くヘカテーの肌に………
「(……見つけた)」
予想もしない、間違えようもない、この上なく明確な違和感が突き刺さった。
徒や“同胞殺し”の持つ存在の力の気配とは違う。在るべきモノが無い、無いにも関わらず過ごしている……そんな“不自然さ”。しかも、離れた空からでも容易く感じ取れるほどの大きな違和感だ。
「……この街、ですね」
大鉄橋の道路を跨いで立つ二つのA型首塔、その一方の頂に降り立って、ヘカテーはその街を一望する。
―――近い未来、彼女にとって運命の地となるこの街……名を、御崎市。
一方その頃、『星黎殿』。
「………フェコルー」
「は、はい」
「シュドナイが帰って来たという話はあるのかい?」
「い、いえっ、それは全く……!」
「……判っておるよ。訊いてみただけさね」
割れた絵皿と、どう見ても未使用の煙草の散乱した床を見下ろして、三眼の女怪が力無く肩を落としていた。