―――― * * * ――――
吹き荒ぶ風に頬を叩かれ、自慢の長髪を靡かせながら、荒野の真ん中でエル・クラージュのエンジンを切って、あたりを見渡す。
久々にハンドルを握った愛機の軽快な動作に、少しは気持ちが昂ってもいいものだと思えたが、生憎、そのような気分に浸っている場合ではなかった。
〔――――こちら、コルボーチーム……コピー…ックス…確認できず…〕
〔――――こ…ら本部、了解。……引き続…ポイント……R-…4Tへ向かって……さ…〕
〔――――こち……ヘルマンチー………Z-37………認できず。そのまま…-26Yに向…う〕
〔――――本部……解。お気を……て〕
ノイズ混じりながら、絶えず耳元に飛び込んでくる本部と各チームの音声通信。
しかし、どうも状況は一向に進展がないらしい。
思わずゼロは頭を抱え、地平線の彼方を睨みつける。
「……何処に行ったんだ、“エックス”」
たった一日の出来事で、世界は急変した。
ゼロ達は今、ネオ・アルカディアより突如として失踪した救世主の影を追い、奔走していた。
35th STAGE
残光の行方
―――― 1 ――――
本部に帰投したゼロは休む間もなく、オペレーターが記録していた映像を目にする。
オープンチャンネルによって、国内のみならず、世界各地のネオ・アルカディア兵士及びレジスタンスにまで、元老院議長ヴィルヘルムによる演説は垂れ流しにされた。
「繰り返す! 諸君が愛し、敬ってきたあのロックマンエックスは 偽 り で あ る ッ ! ! 」
ヴィルヘルムは宣言とともに自分の陣営が掴んだ情報を提示し、説明をする。
ロックマンエックスの設計図。各年代ごとの製造データ。DNAデータの完全複製法など、所謂“でっちあげ”の証拠も混じえながら、宣言に信憑性を持たせる。
そして何より穴となったのは、ここ最近のネオ・アルカディア軍事施設の稼働データ。
「実質の稼働率はたった六割! 未だにレプリロイドによるレジスタンス活動が続いているのは何故か! 誰の目にも明らかである!」
救世主とその腹心――――それがファントムなのか、それともまた別の者かはともかく――――の工作によって、そうしたデータはどれも改竄されていたのだと強く主張する。
それがいったいどういう意味か。
ヴィルヘルムの言葉を借りるならば“人類への裏切り”。偽りの救世主は、人々を守ると偽りながら、レプリロイドたちの軍勢を密かに育ててきたのだと主張する。
そして、ヴィルヘルムの私兵による聖殿への突入劇。一部始終がライブ中継されたが、“エックス”は逃亡した後らしく、その姿はほんの僅かも映されることはなかった。
「取り逃した」という自身の失態を追求されるよりも早く、ヴィルヘルムは自ら謝罪を述べ、その上で言う。
「これぞ、情報が真実であるという動かぬ証拠であるッ!」
偽物だと暴かれたからこそ、逃げ出したのだと、更に強調して伝えていた。
「現在、ネオ・アルカディアの一部部隊が“コピーエックス”の捜索に動き出しています」
ネオ・アルカディア側が付けた便宜上の名称を呼びながら、エルピスは会議室内で状況の整理を始める。
「解体された斬影軍団以外の四軍団は、現在無期限謹慎を言い渡され、賢将、闘将、及び妖将はユグドラシルへ召喚。おそらく査問委員会にかけられることでしょう」
元老院と僅かながら対立していたこと、救世主エックス直属の部下であったことなどを出汁に、ヴィルヘルムに付け込まれた形となってしまった。
無論、救世主が偽物だったというのは四天王たちにとっても、“寝耳に水”と言ったところだろう。
「第十七精鋭部隊にも、コピーエックス捜索の指令が下っているようですが、どうも動きが見えません」
一応出撃しているようではあるが、あまり活発な動きを見せてはいない。
元老院の虎の子であった筈の十七精鋭部隊が、このように消極的な様子を見せるのは、些か不気味ではある。
本国のイレギュラーハンターについては、この宣言に呼応したテロ事件を警戒して国内の警戒態勢を強めているらしいという情報が入っている。
戦力的に劣る聖騎士団は、言わずもがな。“来る決戦に向けて、兵舎で待機中”とのことだった。
「さて、これで終わればよいのですが、我々に関係する問題が一つ。――――ルージュさん」
エルピスの呼びかけに「ハッ」と答え、手早くキーボードを叩く。すると、モニター上にある文書データが示された。
「ヴィルヘルムは同時に、オープンチャンネルに“手配書”を流布し、世界各地のレジスタンスに誘いをかけています」
曰く「偽りの救世主を討ち取った者をネオ・アルカディアの真の英雄と讃える」。
コピーエックスの首と引き換えに、そのレジスタンス組織を英雄と讃え、あらゆるイレギュラー認定を解除した上で、新たにネオ・アルカディア特別国防軍と認定する――――とのことだった。
「じゃ……じゃあ、これを受ければ……」
団員の一人がそう言って生唾を飲む。
そう。その条件を見事に満たすことができれば、白の団はこの窮地から脱出することができる。しかもそれだけでなく、英雄の軍隊として人類に認められることとなるのだ。
「ヴィルヘルムの提案だ。罠に決まっている」
すかさずゼロが口を挟む。これまでの、彼の動きを考えればそれが妥当の線だった。
だが、「強ち、罠とも言い切れないません」と、エルピスは切り返す。
「以前のゼロさんのお話を考慮するならば、ヴィルヘルム議長は人心を纏めるために“英雄”の存在を欲しているのですから」
確かに、直接にヴィルヘルムの邸内で対峙した時、彼はそう言っていた。そして、それは決してまやかしでも、単なる机上の空論でも無い。
今現在、ネオ・アルカディア全国民は混乱の渦に陥っていた。
未だ情報が信じられないという者が、町中で「救世主万歳」を唱え自決したという話も一件や二件ではない。
警戒中のイレギュラーハンターでさえ、裏切り者と罵られ、複数の人間に暴行を加えられ、大破したという話もある。
ヴィルヘルムの言う“ベスト”或いは“ベター”の道を取れなかった結果。今、ネオ・アルカディアは“英雄”を欲しているのだ。
「……お前、乗る気なのか?」
「前向きに考えているのは確かです」
自分の欲や野望を差し置いたとしても、現在の白の団の状況から考えて、生き残るにはそれ以外の道は見つからないだろう。
基地の修復はあらかた片付いたとはいえ、既にこの場所は敵に知られている。
ヴィルヘルムの誘いを断り、隠将がいなくなった今、いつ敵の軍勢が攻め込んできて、皆殺しにされたとしてもおかしくはないのだ。
この時点でそれがないという事実から、この誘いが最後通告であることは明らかだ。
過去の英雄である紅いイレギュラー擁する白の団が、誘いに応じて救世主の首を取り凱旋したならば、それを迎え入れようという誘い。
実際のところ、あの“エックス”に敵うものは、黒狼軍のベルサルクか、ゼロくらいなものだろう。つまり、この誘いは遠回しに、白の団へ向けて突きつけているのだ。
「あの男自体は信用できませんが、彼のメリットを考慮すれば、この誘いについては信用出来るものであると取ることができます」
「必要なのは、俺だけだ。白の団自体が救われるとは限らない」
「それで貴方が納得しないことは、既にあの男に知られているでしょう」
「お前、本気で……」
「ええ、“前向き”です。非常に」
エルピスの目は真剣そのものであった。
ヴィルヘルムの誘いに乗り、ネオ・アルカディアに戻るというのは、つまりは理想を捨てるということ。おそらく白の団は救われたとしても、以前と変わらずレプリロイドの奴隷的扱いは変わらないだろう。
しかし本部襲撃を受け、現実を突きつけられた今、エルピスには理想論を追いかけるだけの気力はない。
それでも白の団という組織だけは守ろうと必死なのだ。そんなエルピスの意志が強く伝わり、ゼロにはそれ以上返す言葉が見つからなかった。
「しかし」と、エルピスが口にする。
「あとは、シエルさん。貴女の判断に任せます」
「……え?」
心ここにあらずという表情で話をぼんやりと聞いていたシエルに、エルピスが話を振る。
耳に入っていたとはいえ、状況が理解できず、戸惑うシエルに、エルピスは繰り返し言う。
「ヴィルヘルムの誘いに乗るか、反るか……シエルさんが決めてください」
「エルピス!」とセルヴォが怒鳴るように言う。セルヴォの気持ちもまた、その場にいる者達には容易に伝わる。
たった十四歳の少女に、それも自責の念に囚われ心に傷を負ったままの少女に、この場にいる者達の命運を決めろというのだから。酷な話だ。
しかし、エルピスはあくまでも冷静に言い放つ。
「この白の団は、私の組織ではありません。シエルさんの理想を信じて集ったみんなの組織です。シエルさんがその理想を捨てない限り、舵を別の方向に切ることはできないのですよ」
セルヴォは言い返せず、苦い顔をしたまま俯く。
だが、それでも酷なものは酷だ。
現に、判断を委ねられたシエルの手は震え、唇は真一文字に閉じられたままだ。
「乗る」と答えればいい。理想よりも、仲間の命だ。――――しかし、少女の胸のうちにあるのは、決してそれだけのことではなかった。
「……え……エルピスが決めて……」
「ダメです。シエルさんが決めてください」
シエルの言葉に間を置かずに言い返すエルピス。
普段では考えられないようなエルピスの厳しい態度に、見守っているコルボーが「落ち着いてください」と口を挟む。
尚も、戸惑いながら、もう一度考え込んだ後、シエルはまたも口を開く。
「……私には……言えない…よ…」
「……言ってください、シエルさん」
「待ってくれ、エルピス」とセルヴォが再び庇うように声を張り上げる。
「もういいだろう! シエルは君に任せると――――……」
「 そ れ で は ダ メ な ん で す よ ! ! 」
突然、怒鳴り返すエルピス。その鬼気迫る表情に、セルヴォは言葉を失う。
咳払いを一つして、コートの襟を正すとエルピスはシエルの方に向き直る。
「お願いです、シエルさん。貴女の言葉をください」
シエルは、いくらか逡巡した後、意を決して口を開く。
「……ヴィルヘルム議長の誘いに乗――――…」
「 “ 貴 女 の 想 い ” を 聞 か せ て く だ さ い 」
遮るように、エルピスは語気を強めて、言い放つ。シエルは思わず口を噤む。
エルピスの言葉に、ようやくゼロは「ああ、そうか」と胸の内で納得する。そして、他の一同を見渡す。
皆、同様に周りを見て、互いに目配せをする。そして、幾らかの戸惑いの後、互いに納得し合い、皆、覚悟を決めた。
――――そうだ、その道以外に、取るべき道はない。
シエルもまたそこで、全て見透かされていると気付いた。そして、エルピスが今欲している言葉も。
けれど、それでも言えるわけがない。いや、“だからこそ”、言ってはいけない。
「……だって………だって……そうしたら……」
それを、言葉にしてしまえば、それを受け止めてくれるだろう。その為に動いてくれるだろう。それも、命懸けで。
そして、そうなってしまっては、この白の団はきっと本当に終わってしまう。
ヴィルヘルムの誘いを裏切ってしまえば、きっとネオ・アルカディアの軍勢がまたもこの場所に押し寄せてくるに違いないのだ。
戸惑い、迷い、言葉を失うシエルに、エルピスが「シエルさん……」と語りかける。
「私は、弱い男です。……色んな物に憧れ、嫉妬し、現実を突きつけられた今はもう、理想も抱けない」
『私たちは自由の翼をもっています。例えこの身が泥にまみれようと、胸の中にはいつもその“白”を抱いていましょう』――――そんな言葉を吐き出せた、何も知らぬ頃があった。今はもう昔のことだ。
けれど、そんな自分の方がきっと強かった。無知だったからこそ、何者にも立ち向かえた。一概にそんな過去の自分を嘲笑うことなどできない。
「ですが……そんな私にも意地がある」
たった一つ、絶対に譲れないものがある。
どれだけの窮地に直面しようと。どれだけの恐怖を味わおうと。
たった一つ、貫き通したい意地がある。
「理想に目を向けられなくとも。シエルさん、私は貴女の願いを……我侭を受け止められるくらいの男ではありたいのです」
シエルが今抱いている想いを遂げること。
それだけは例え命に代えても成し遂げたい。
「でもッ!」とシエルは声を張り上げる。
「だって、そうしたらみんなは……!」
「いい加減にしろ」
徐に前に進み出ると、ゼロがその頭を軽く小突く。
慌てて頭を押さえるシエルに、諭すように言う。
「いつも言ってるだろう。お前は“小娘”なんだ。ちょっとマセたとこもあるが、まだまだガキなんだよ」
皆の理想を、想いを背負える器はあるのかもしれない。
けれど、彼女がたった十四歳の少女であることには変わりない。
「言えよ、シエル。お前の“我侭”を。――――それに応える覚悟は、もうみんなできてる」
エルピスやゼロだけではない。
セルヴォも、コルボーもヘルマンも、その場に集まった一同の目に曇りはない。
それを見て取った後、シエルは少しだけ俯く。
「ゼロ……エルピス……みんな………お願い――――」
ぐっと、拳を握る。
そして涙を滲ませ潤んだ瞳で、震える声で、懸命に言葉を絞り出す。
「――――……私のエックスを……助けて……」
切なる願いに、ゼロは、微笑みながら答えて見せた。
「任せろ、シエル。――――俺“達”に」
その言葉を合図に、エルピスが皆に告げる。
「これより白の団は、コピーエックスの保護を第一優先として行動を開始します! 各員、すぐに出撃準備に取り掛かってください!」
コルボーやヘルマン等各チームリーダー達は威勢の良い声で「ハッ」と声を上げると、駆け足で飛び出していく。
「司令!」と、卓についていたジョーヌが呼びかける。
「ネオ・アルカディアへの返答は!?」
「無視します! どうせ垂れ流しているだけですから! 今、答える必要はありません!」
「はーい!」
「オペレーターはネオ・アルカディア軍部のデータベースにハッキングを! コピーエックス討伐の件がありますから、向こうもそれほど抵抗はしてこないでしょう!」
今頃各レジスタンス組織がこぞってアクセスしていることだろう。
なにせ、コピーエックスの捜索と一言に言っても、その行動はまるで予測できないのだから、軍の出した討伐部隊や各地の監視メカニロイドの情報を頼りにするのが賢明と言っていい。
そして、協力を呼びかけている以上、それ以上の情報に触れようとしない限りは、相手にしてこない筈だ。むしろ、コピーエックスの情報を纏めて公開している可能性すらある。
「整備班は急ぎ、使用可能なライドチェイサーを調整して揃えてください! 班員に行き渡ったチームから出撃を! 行き渡らないチームは、万が一に備えて休息を! 一時間ごとの交替制で行きます!」
着々と捜索に向けて動き出す白の団。その先に希望があるのかどうかは知れないが、それでも、皆どこか活気づいている。
ゼロもまた「行ってくる」と、声をかけ、部屋を飛び出す。その背中を、シエルは無言で見送った。言葉はもう、かけなくとも分かっている筈だ。
「大丈夫だ、シエル」
そう言って、肩を優しく叩くセルヴォの手がじんわりと温かくて。
シエルはまた、涙を堪えるのに必死だった。
―――― 2 ――――
査問委員会による聴取が無事に終わった後、ハルピュイアは月明かりが差し込む議事堂の廊下を一人歩いていた。
あっという間に様変わりした自分の身辺事情に、思わず渋い顔になる。
疑いの目をかける査問委員会に対して、ハルピュイアは自身の主張を曲げなかった。
偽りの救世主の正体に気づかなかったこと。隠将ファントムの行動についてもまるで知らされていなかったこと。
そして、どのような事があろうと、人類を守るためにこの剣を振るうという覚悟は、決して揺るがないということ。
賢将ハルピュイアの堂々たる振る舞いに、それ以上の追及は行われなかった。しかし無論、お咎めが全くないというわけではない。
今後、元老院が国政の頂点に立つにあたって、四天王はその直属の配下として動くことを契約させられた。
元老院――――特に、最高議長ヴィルヘルムの言葉については絶対服従を誓わされ、これまで以上に制約が厳しくなった。
その上で、二週間の謹慎処分。その間、烈空軍団は聖騎士団長ペガソルタ・エクレールの指揮下におかれることとなった。
「……何もかもが突然過ぎて、動揺の仕方も忘れてしまったな」
廊下と庭を隔てる柱にもたれかかり、ため息混じりに独り言を零す。
それに対し、何処からとも無く「そうね」と声が返される。
振り向くとそこにはレヴィアタンが立っていた。
「お疲れね、ハル」
「お互いな」
互いに労いの言葉をかわし、共に柱へ寄りかかる。
「……お前は、知っていたのか?」
ファントムのこと。救世主の真実。何も知らなかったのはハルピュイアだけだったのだろうか。
その疑問に「いいえ」とレヴィアタンは首をふる。
「エックス様のことはまるで知らなかったわ。今でも容易には受け入れられないくらい」
自分の主と信じ敬ってきた者が、実はその模造品だったなどというのは、到底信じられない話だった。
そもそも“本物”を知らない彼女達にとって、それを見分けろという方が難しい話である。
「ファントムのことは、少しだけ知っていたけれど…………きっと、本当に“少しだけ”よ」
氷山の一角というにも烏滸がましい程度しか、きっと知らされてはいなかったのだろう。肝心なところは何一つとして教えてもらえなかった。
彼が抱えていたもの――――自決してまで貫こうとした意地が一体どんなものだったのか、彼女にはまるで理解できなかった。
「……そうか」
寂しげな声で、ハルピュイアは答える。
それ以外に、かけてあげられる言葉は見つからなかった。
「何、辛気臭ぇ面してんだよ、お二人さん!」
物憂げな二人とは対照的に、普段通りの調子で、ファーブニルが現れる。
そう、本当に“普段通り”の調子で。ただし、いつもとは違って、今日はきちんと白の礼服を纏っている。
「で、あの陰険野郎はどこだよ?」
「……ファーブニル、お前……」
まるで何も知らされてないようなファーブニルの口ぶりに、二人は驚きの表情を浮かべる。
しかし、ファーブニルは「おっと、勘違いすんなよぉ」と笑って返す。
「俺だって、ちゃぁんと分かってるぜ? ヴィルヘルムの野郎が動き出したんだろう? エックス様を“偽物”だなんてテキトーなこと抜かしやがってよぉ」
情報は行き届いているらしい。だが、その受け取り方が問題だった。
彼の言葉から推察するに、どうやら全てヴィルヘルムによる策謀だと思い込んでいるようだ。
「それで、ハル公。どうすんだ? いっちょここで大暴れといくかぁ?」
ニタニタと笑みを浮かべながら、そう問いかけるファーブニルに、ハルピュイアは返す言葉が見つからずに口を噤む。
その横から、レヴィアタンがすかさず言う。これ以上こんな調子で話している場合ではない。
「ファブ、全て真実よ」
「……ああ?」
それからすぐに「またまたぁ」と笑い出す。
堪えきれず、今度はハルピュイアが口を開く。
「全て真実だ。ファントムの死も。救世主の真実も。全て」
「やめろよハル公。笑えねえ冗談だぜ? そんな馬鹿なことがあるかよ?」
尚もファーブニルはそれを受け止めようとはしない。
「仮にファントムが自爆したなんて話が本当だとしてもよ。エックス様が偽物たあ、思い切った話だぜ? そんなもん、到底信じられるわけねえだろ?」
「……信じるんだ、ファーブニル」
「そんな湿気た面して言うなよ、ハル公」
ハルピュイアは、再び押し黙る。レヴィアタンも、これ以上の言葉はかけられないと悟り、口を噤んだ。
その二人の様子に、ファーブニルは「嘘だろ? なあ」と尚も声をかける。
それでも、二人は答えない。二度、三度同様に問いかけるが、二人は押し黙ったままだった。
「嘘だろ? ……おい」
だんだんと表情は堅くなり、影が差していく。だが、二人の口は閉じられたまま。
欲しかった答えはついぞ語られないまま。ファーブニルは大声で怒鳴りつける。
「 嘘 だ っ て 言 い や が れ 、 ハ ル 公 ! ! 」
魂から吠えるようなファーブニルの声に対し、それでもハルピュイアは黙ったまま、言葉の代わりにただ見つめる。
その目が、なんと訴えているのか、ファーブニルには直ぐに分かった。
――――僕だって、信じたくはないさ
受け止めずに進めるなら、それに越したことはない。
だが、事実は事実だ。ファントムが命を散らしたことも。救世主の真相も全て。
きっとファーブニルも分かっていた。分かっていた上で、それでも受け止めきれないのだ。
ぐっと歯を食いしばり、言葉を堪える。だが、煮え切らない想いはやがて溢れだす。
「なら……あの救世主が偽物だって言うなら……」
震える声でそう言うと、ハルピュイアの胸ぐらを掴みあげ、吠える。
「 あ い つ は 一 体 何 の た め に 命 捨 て た っ て ん だ よ ぉ お ッ ! ! 」
それが、その理不尽な事実が、ファーブニルには一番許せなかった。
だが、その言葉に対し、ハルピュイアはあくまでも冷静な声で切り返す。
「あいつが――――ファントムが、本当に何も知らなかったとは限らない」
言う通りだった。ファントムは救世主の傍にいたのだ。誰よりも傍に。加えて、諜報戦となれば、誰にも負けない実力を誇っている。
そんな彼が、真実を全く知らなかったとは思えない。
ならば、“全て”を知った上で、命を懸けたというのか――――……‥‥
「それを………冷静に言えるテメエが……俺は…尚更気に入らねえッ」
震える声で、強く睨みつけながら、ファーブニルはそう吐き捨てる。
それから直ぐに、突き飛ばすように、乱暴に手を放す。
だが、体の震えは止まらない。心の内で渦巻く憤りの感情が、誰の目にも明らかだった。
次の瞬間、ファーブニルは精一杯の怒りをぶつけるように、柱を殴りつける。柱は砕け、その欠片が飛ぶ。
そして、叫んだ。まるで獣のような声で。腹の底から雄叫びを上げた。
それを、ハルピュイアはジッと見つめていた。レヴィアタンは目も当てられないと、俯き続けていた。
一頻り叫び終えた後、ファーブニルは両手を上げて伸びをする。
「やーめた! やめだやめだ!」
まるで子供のようにそう言って、マントを乱暴に脱ぎ捨てた。
「イチ抜けだ、俺は。やってられるかよ、こんなもん」
「なに?」と驚きの声を上げるハルピュイアに、ファーブニルは、まるで貶すような笑いを浮かべて切り返す。
「今日で“闘将”はオシマイだ。俺は国を出るぜ。このクソッタレな場所に留まったところで、おもしれえ事はもう無えだろうからな」
「それは……つまり……」
「俺も今日から“イレギュラー”になるってことだよ」
他のイレギュラー達同様、脱国して、荒野を寝床に暮らすのだ。
もうこれ以上、この国に囚われて生きるなどというのは、まっぴらゴメンだと、ファーブニルは嘲笑うように言う。
それから背を向け、僅かに後ろを向くとハルピュイアへ不敵な笑みを向ける。
「止めるか?」
そう問われ、ハルピュイアは考える。――――だが、答えは既に出ていた。
まっすぐに向けた視線を、一つもずらさずに答える。
「いや、止めない。それがお前の選んだ道ならば」
淡白だろうか。薄情だろうか。しかし、それ以外の言葉はない。
何故だろうか、以前ならば全力で阻止に当っていたはずだ。それは“間違いだ”と口にして。
だが、今はそれが“間違い”かどうかなど分からないのだ。――――そう、“正しい”と思って信じてきた何もかもが脆くも崩れ去った今は。
そんなハルピュイアに対し、ファーブニルは「なら」と言葉を続ける。
「処分するか、俺様を?」
その口元は笑いを浮かべてはいるが、その目は決して試しているような輝きではなかった。彼は本気だった。
それに対しハルピュイアは、少しだけ間を置いた後、答えを返す。自分の本気の言葉を。
「お前が、人間に危害を加えるのならば」
国を出るものだろうと、今後闘将としてやっていくとしても、もしも人間を傷つけるならば、躊躇わずに斬る。その覚悟は、今に始まったことではない。
ファーブニルは、「変わらねえな」と返す。少しだけ柔らかいほほ笑みで。それから、完全に背を向けると、ひらひらと片手を振って歩き出す。
「あばよ。もう会うことはねえだろうぜ、兄弟」
そして、まるで独り言のように零す。
「――――テメエらといる時間、嫌いじゃなかったぜ」
これから数時間の後に、彼に対しても追撃部隊が送られるが、ただ残骸の山を築いたに過ぎなかったのは言うまでもない。
「僕は……それでも人間を守るために残る」
ファーブニルがいなくなった後、徐にハルピュイアが口を開く。
「例え仕えていた主が偽物だったとしても、この使命を遂げようと胸に抱いたのは、僕自身だからだ」
ロックマンエックスの“正義”を言い訳にして歩いていた時とは違う。
“これ”は自分が決めた道だ。
己の過ちを認めた上で、本当の“正義”を探しながら戦い続けるための道。迷い、悩みながら進んでいくと決めた道。
これだけは、絶対に譲らない。例え最後の一人になろうとも、泥にまみれてもあがき続ける。――――そう、あの日誓ったのだ。
「お前は、どうする?」
不意にレヴィアタンに問いかける。
彼女はファーブニルとも、そしてファントムとも親しかったはずだ。
そしてまた、自由を好んでいたことも事実。ならば、今後このネオ・アルカディアに残るという選択肢だけとは限らない。ファーブニル同様。
その問いに、「そうね」と唇に人差し指を当て、考える。それから、「フフ」とほほ笑み、答える。
「キザ坊やが心配だから、しばらくは一緒にいてあげようかしら」
思わず、ハルピュイアも笑いを零す。
「…………誰のことだ、それは」
――――ああ、なんとも腹立たしい言い様だ。けれど、実に心地よい言葉だ。
まるで悪ふざけのような遣り取りが、こんなにも愛おしいものだとは、ハルピュイアには今まで思いもよらなかったことだ。
「レヴィ、ありがとう」
思わず、感謝の言葉を口にする。
レヴィアタンは少しだけ虚を突かれたような顔をした後、再び笑みを浮かべる。
「……フフ。自覚してるのね、キザ坊や」
再度おどけて返すレヴィアタンに、ハルピュイアは少しだけ不機嫌そうに「何度も言うな」と返す。
けれど、その声は、どこか嬉しそうにも聞こえた。
――――貴方の言葉通りね、ファントム
ゼロ達がネオ・アルカディアを脱出した日――――記念式典の夜。あのバーで、レヴィアタンはファントムと会っていた。
ファントムは、ゼロと一戦交えることを静かに告げた。レヴィアタンは彼の覚悟がすぐに分かったので、深くは追及せずに『そう』とだけ答えた。
それから、ファントムは確信したように言い切る。
『四天王は、きっと散り散りになる』
何が理由かまでは分からないが、自分が知らない事実を手に入れているであろうファントムが言うのだから、『きっとそうなのだ』と、レヴィアタンはそのまま受け止めた。
それにどうせ、聞いたところで教えてはくれないだろう。ただ、それ以外に、どうしてもハッキリさせておきたいことが彼女にはあった。
『……一つだけ聞かせて』
僅かな沈黙の隙に、問いかける。
『何故、ハルピュイアを斬ろうとしたの?』
他のことはともかく、どうしてもそのことだけは知りたかった。兄弟として。
少しの間を置いて、ファントムが静かに答える。
『拙者には、賢将がひどく脆く見えた』
正確には、彼の信じる“正義”が。――――いや、その“信じ方”が。
言い訳のように並べる“正義”の裏で、彼は常に迷い続けていた。その様子が、ファントムには手に取るようにわかったのだ。
『その脆さは、きっと付け込まれる。心無い者に利用される――――そう、思った』
ヴィルヘルムを代表とした、野心家たちによって。最悪の場合、賢将ハルピュイアが革命の旗印にされてもおかしくはなかったのだ。
『ならば』とファントムは考えた。もしもその手が、その刃が、“守るべきもの”に向けられてしまう可能性があるならば、斬るべきだった。その必要があった。――――あの時までは。
『……しかし、奴は変わった。いや正しくは、拙者が思うよりも“強かった”というべきか』
真正面から“正義”を折られて尚、立ち上がってきたのだ。その姿を認めないわけにはいかなかった。
大丈夫だ――――そう思えたのだ。きっと彼はこの先何があろうと前を向いて歩いてゆく。
迷い、転び、時には挫けそうにもなるかもしれない。泥に塗れ、苦汁を舐め、打ちのめされ。けれど、その度に這い上がって前に進めるだろうと。
そう、まるで神話に聞いた“救世主”のように。
『しかし、それでもまだまだ甘いところはある』
完璧ではない。それは誰もが同じだ。
誰もが皆、一人きりでいられるほど、強くはない。――――自分もまたそうだったように。
『だから』と、言った後、グラスを持ち上げ、口をつける。その初めて見る豪快な飲みっぷりに、レヴィアタンは呆気にとられる。
それからグラスをテーブルに置き、「ふぅー」と息をついた後、彼女に向けて微笑みながら、ファントムは言った。
『御主が傍にいてやってくれ。御主の優しさが、ハルピュイアには必要だ』
それから、立ち上がり、背を向ける。
レヴィアタンは座ったまま『行くのね』と呼びかける。
そうだ。別れは来る。彼が覚悟を決めた以上。そしてこれが最期の別れになるだろう。
――――と、『もう一つ』とファントムが口を開く。
『御主の問いに答えておく』
『……私の問い……?』
ふと思考を巡らして、思い出す。――――ああ、確かにした。一つだけ。大切な問いを。
それに対し、ファントムは尚も微笑みを浮かべたまま、優しい声で答える。
『我々、四天王とは……それ以上でも、以下でもない。“四天王”という繋がりだ。――――この世界で、何物とも比べられない唯一つの“絆”だ』
何があろうと、絶対に揺るぎ得ない。何物にも冒し得ない関係。
だから信じられるのだ。理由もなく。例え散り散りになろうとも、『きっと大丈夫だ』と。
『――――レヴィ、御主はいい女でいろ。……達者でな』
扉を出て行くファントムの背中に、レヴィアタンは呟くように『さよなら』を告げた。
初めて彼の口から呼ばれた、兄弟の名と、自分の名を――――その“絆”を心に刻みながら。
――――貴方を信じるわ
何も言わず、何も教えてくれずに命を散らせた彼を、それでも信じようと思う。
理由はない。――――強いて言うなら、彼だから信じる。“四天王”の一員として共に生まれた“彼”の言葉だからこそ。
ハルピュイアと並んで歩き出す彼女の心にもまた、既に迷いはなくなっていた。
―――― 3 ――――
「ヘルマンチーム、マシン調整だ! 急げ!」
ドワの掛け声とともに、整備班が一斉に動き出す。
数時間ほど荒野を駆け巡ったライドチェイサーの調子を確認し、次に出撃するチームへと無事に引き継がなければならない。整備班の責任も軽くはないのだ。
ヘルマンは整備員に「よろしく」とライドチェイサーを降り、疲労の溜まった体を壁に預け、腰を下ろして休む。
「お疲れ、ヘルマン」
「おお、コルボー。お互いな」
手渡されるエネルギーパックを受け取り、飛び出ているプラスチック製のストローに口つける。
「バスコのチームがヴィルヘルムの追撃隊に遭遇したらしいけど、見過ごされたってさ」
自身が先に仕入れた同僚の報告を、コルボーは口にする。
しかし、普段であれば驚くべきその内容に、ヘルマンは「ああ」と納得したような声を上げる。
「俺もそうさ。冷や汗が無駄になったぜ」
現在のネオ・アルカディアはコピーエックスの追撃のみに戦闘行動を絞っているらしく、他のレジスタンスに関しては、反抗が見られない限りは交戦を避けているようだった。
実際、コピーエックスに遭遇したヴィルヘルムの追撃隊はどれも、文字通り“瞬殺”されており、他の戦力に目を向けている余裕は無い。どうやら「猫の手も借りたい」といった状況で、先刻の予想通り、コピーエックスに関する情報は公開され、リアルタイムで更新され続けていた。
「もう少ししっかり捉えておいてくれりゃ、俺達も楽になるんだけどな」
コピーエックスの、現在の行動原理については誰も理解することができず、予測はまるでつけられなかった。
また、追撃隊はどれも遭遇した次の瞬間には消されており、その足取りを完全に掴む手掛かりとまではなっていなかった。
「やれやれ困ったもんだぜ」とヘルマンが愚痴を零すが、コルボーもまた同じ気持ちだった。
しかし、それでもこの“戦い”を投げ出すつもりはない。コピーエックスという一人のレプリロイドを救うという、この“戦い”は。
数時間前、シエルの願いを聞き入れ、コピーエックスを「保護するために捜索する」という命令には、多くの者が戸惑いを見せていた。
自分たちを苦しめていた救世主が“偽物”であり、その上、自分たちを導いていた人間の少女がその製作者だったというのだから。不信感が余計に膨らんだのは当然と言っていい。
中には、シエルが自分たちを利用しているだけだと言い出す者まで出る始末で、混乱は必至の状態だった。だが、そんな彼らをまとめたのは、コルボーの言葉だ。
その時の、感情的に叫んだ自分の言葉を反芻しながら、独り言つ。
「俺だって……正直、このままシエルさんを信じていいのか分からないよ」
この先、コピーエックスを保護できたとして、その後はどうするつもりなのか。
もしかしたら本当に白の団という場所を利用していただけなのかもしれない。自分の理想を、思い通りの世界を遂げるための“道具”程度にしか思っていないのかもしれない。そんな憶測が湧いてきて止まないのだ。
なにせ彼女は“人間”だ。自分たちを虐げ、奴隷同然に扱ってきた者たちの一人なのだ。
だが、コルボーはそれでも“彼”を信じるよう、皆に向けて説いた。
「たくさん死んだよ。ミランも、トムスも、マークさんも……。でも、俺達は生きてる」
多くの者達が命を散らした。次は自分かと覚悟したこともあった。
それでもまだ、自分たちはここで生きている。その理由は単純だ。
“剣”があった。この組織にいる皆を守る“剣”が。
取り零した者の数を数えるよりも、どうか未来を切り開こうと足掻く“剣”が。
どれだけ血に塗れようと、死の淵に追いやられようと、立ち上がり、真っ直ぐに未来を睨む“剣”が。
そんな“剣”を信じようと、コルボーは思ったのだ。――――ゼロという名の英雄を。
『シエルという少女を信じ抜こう』と決めた、ゼロを信じるのだと。
それができなければ、これまで体を張って、命を張って戦い続けてくれた彼に対して、どれだけ不義理だろうか。
不満の一つも言わず、飛び出していった彼の姿を見た団員たちは、皆、コルボーの言葉に納得せざるを得なかった。
しかし、コルボーが動く理由は、それだけではない。
「危うく俺も忘れるところだったよ」
「何を?」とヘルマンが問いかける。だが、コルボーは「分かるだろ」と笑って見せる。
そう、今のゼロの背中が語っている。白の団という組織がいったい“何”だったのか。
「俺達は“救う”ために戦ってるんだ。それが例え偽物の救世主だったとしても――――」
皆が救われる世界――――人間もレプリロイドも共に手を取り合い、幸福を分かち合う理想郷。
それを創るために戦っているのだ。白の団という組織は。
決して権力を得るためではない。憎しみを晴らすためではない。“救う”ために戦っているのだ。
「『それは救わない』と選り分けるのなら、俺達が憎んできた人間と同じじゃないか」
凛としたコルボーの言葉に、ヘルマンは思わず笑う。
強くなったものだ――――コルボーだけでなく、エルピスも、セルヴォも、自分も含めて、彼と触れ合ってきた者達は。彼と共に戦ってきた者達は。
だから戦い続けられるのだ。どれだけ絶望の淵に立たされようとも。前を向けるのだ。
「違いねえな」と返しながら、ヘルマンはどこか誇らしさを感じてならなかった。
「エンジン周りの調子が微妙なんだ。様子を見てくれ」
ゼロの注文にジョナスは「分かりました」と快諾し、エル・クラージュの調整に入る。
その間、ゼロも休憩に入るべく空いているスペースを探して腰掛ける。
捜索を開始してから既に半日以上が経過していた。もう数時間ほどで次の一日が幕を開ける。ほとんど出突っ張りになっていたエル・クラージュの負担は相当なものだろう。
しかしネオ・アルカディアの情報を頼りに、コピーエックスの足取りを追って、周辺の集落や廃墟を転々としたが、その気配すらまるで見つけられなかった。
焦燥感だけが募り、じっとしていられない自身の体を休めることに集中するだけで精一杯だった。
「ゼロ!」
不意に名を呼ぶ声の方向へ目を向けると、シエルが駆け寄ってきた。
その手には電子ボードを抱えている。
「大丈夫なのか」と声をかけようとして、ゼロは直ぐに口を噤んだ。彼女の今の顔は、きちんと振り切っている顔だ。ならばそれをむやみに問う必要はない。
それよりも、その手に抱えたボードの情報のほうが大切だ。
「どうした?」
「これを見て」とシエルが差し出したのは、これまでゼロも受信していた、ネオ・アルカディアが掴んだコピーエックスの足取りだった。
そしてまた、それらには詳細な報告時刻が秒単位で示されていた。
「この二、三時間ほどでぱったりと途絶えてしまったの」
シエルが示す通り、二、三十分間隔(とは言えバラつきがあり、長くて一時間以上かかっている)で掴んでいた足取りは、ここ二、三時間ですっかり途絶えていた。
その進行方向は、ネオ・アルカディアよりおよそ東側に向かってはいるのだが、時に南に傾き、時に北に寄り――――と、一貫性を見せないため、ネオ・アルカディアもなかなか目的地を割り出すことができずに困っているようだ。
「けど、一つ思い当たることがあるの」
そう言うとともに、縮小されたマップ上に僅かに赤い点が示される。
「これは……まさか」
「ええ、ゼロ。貴方なら分かるわね」
「半年間も世話になればな」と笑う。
そこに示されたのは、ネオ・アルカディアでは殆ど知られていない――――バイルが秘密裏に配置した空間転移装置、そのポイント。
ゼロが白の団本拠地から離れ、“ホーム”を根城としていた際、利用していた転移装置そのものだ。
コピーエックスの進行方向にはいくつかのそれが確かに示されている。
「行動に一貫性が無いのは、きっとネオ・アルカディアの追撃隊を撒くため」
事実、その周囲でヴィルヘルムの追撃隊と遭遇した後には、必ずその場を離れ、別方向へと動いている。
「しかし、あいつは本当にこれを認識しているのか」
行動パターンのバラつきに、偶然の可能性も拭い切れない。
だが、シエルは「もうひとつ」と指を立てて説明する。
「これらの転移装置は、おじいさまとマザーの共同管理よ」
それを、マザー経由でエックスが知った可能性は十分にあり得る。なにせ、彼の片腕はあの――――ゼロの行動を監視し続けていた――――隠将だったのだから。いや、そもそもマザーとコピーエックスがなんらかの繋がりを持っていたと考えてもいい。
説得力は十分にある。というより、この可能性に賭けてみる以外に、いますべきことが見当たらない。
「だが、この転移装置を跨いで、何処に行こうってんだ?」
ゼロの疑問はもっともだった。
転移装置を利用するつもりだ(というより、もしかしたら既に使用しているかもしれない)というのはよしとしても、転移装置はあくまで手段だ。
加えて、世界中に散らばったバイルの転移装置ならば、目的地の割り出しまでには至らない。
しかし、シエルは確信したように言い切る。
「何故これを使うのか、理由を考えれば答えは出るわ」
そう……他の者には一切知られていないであろう転移装置を何故使うのか。
ごく一部のものしか知らない――――ゼロやシエル、白の団しか知り得ていない転移装置を利用している。
逆に言えば、ゼロやシエル達だけは知っている転移装置をわざわざ使っているのだ。
「……俺に用があるってことか」
「“ホーム”だと思う。ネオ・アルカディアでも十七部隊の突入以降、目を向けられていない上に、エックスとの関係も疑われていないもの。貴方と一対一で対峙するには絶好の場所の筈よ」
「そして……ペロケ達と連絡が取れなくなった――――と?」
ゼロの予測に、シエルは強く頷く。
すべての要素が、結びつき、ゼロの胸にも確信が生まれる。と、同時に立ち上がる。
「ジョナス! どれでもいい、空いてるライドチェイサーを出してくれ」
声をかけながら歩き出すゼロを、シエルは「待って」と呼び止める。
コートの裾をぐっと掴み、口を結ぶ。
それから、抑えていた感情を僅かに滲ませながら、ゼロを見つめる。
「今更だけど。私、あの子と話したいことが……話さなくちゃいけないことがたくさんあるって…本当に今さらだけど、ようやく気づけたの……」
何故、考えを変えず、正義を言い張り、同胞を虐げ続けたのか。
全てを失って尚、今何処へ向かおうとしているのか。目指していたものは何なのか。
――――そんな疑問ばかりが先行して、もっと大事なことを話してあげられなかったという後悔ばかりが積もっていた。
「一緒に星を見たり、歌を聞いたり、本を読んだり、昼寝をしたり、空を眺めたり………たくさん一緒にいたのに。あの子の本当の気持ちは何一つ聞いてあげられたことなかった」
何気ない生活の中で、何気ない遣り取りの中で、重ねるべきだった言葉たちが心の底から湧き上がるのだ。
気づかなかったことが、そんな一つ一つの些細なすれ違いが過ちだったのだ。そのまま傍を離れ、逃げ出したことが罪なのだ。
「だから話したいの、もっとあの子と」
理想を問う前に、正義を疑う前に――――何が苦しくて、何が好きで、何が悲しくて、何が嬉しくて……そんな些細な一つ一つを話し合いたい。
もっともっと、何気ない遣り取りを重ねたい。どこにでもいる母子のように。
「だから……ゼロ……」
「それ以上はいい。お前の気持ちは分かった」
そう言って頭をポンと撫でる。
まるで“兄”のように。
「信じてくれ、シエル。お前が信じてくれる限り、俺は絶対に約束を守ってみせる」
例えどんなに苦しい状況でも、厳しい願いでも、か細い希望でも、絶対に叶えると誓おう。
目覚めたあの日から、彼女の涙を目にした瞬間から、ずっとそれこそがゼロの信念だったのだから。
ジョナスが支度の完了を告げると、ゼロはそのまま駆け出す。
そしてライドチェイサーに跨ると無言のままシエルにサムズアップを見せ、飛び出していった。
風に流れるゼロの金髪を、大きな紅の背中を見つめながら、シエルは胸の前でぐっと手を握った。祈るように。
―――― 4 ――――
「新政権発足について、ドナート卿の返事はどうなっておる」
「はっ。もう少々お時間を頂ければ」
肘掛け椅子にどっしりと座り、机に肘をついたまま、ヴィルヘルムは苛立ちを顕に「早くせい」と冷たく返す。
レプリロイドの救世主を追い出した今、これから自身が頂点に立つ新政権の樹立、そしてその権力を盤石なものにするための根回しに追われていた。
既に元老院の半数以上は懐柔し、ヴィルヘルムを大統領とした共和制へと移行する用意ができた。四天王についても最早その勢いは無く、注意を向ける必要も見当たらない。
もう何一つとして己の覇道を阻む者はいない。――――そう確信してよかった。その筈だ。
「……ヘルゲ、コピーエックスの討伐は?」
忌々しげにその名を口にする。
ヘルゲは僅かな逡巡の後、素直に答える。
「我が方の追撃隊は尽く退けられ……見失ったと」
報告を聞くと同時に、ヴィルヘルムは「ギリッ」と強く歯軋りをする。
そして、殊更醜悪な憎悪に満ちた表情を浮かべ、机を叩き、怒鳴りつける。
「あのような贋物に遅れを取るとは! いったい何機のパンテオンを送り込んだのだ!」
ヘルゲもこれには返す言葉が見当たらない。
百や二百という数ではない。だが、それだけの追撃隊が瞬時に壊滅させられたのは事実でしか無かったのだ。
「紅いイレギュラーはどうした!? 白の団の動きは!?」
「一応捜索に向け動いている様子ではありますが……」
矢継ぎ早に「十七部隊は!?」と怒鳴るヴィルヘルムに、ヘルゲは怯えるように肩を竦ませ、口籠る。
その様子を見て、またしても強く歯軋りする。怒りの形相に、顔を皺くちゃにしながら。
「役立たず共め!」
声を荒らげて怒鳴り散らす。ヘルゲでも、何処の誰に向けてでも無く。ただ怒りをまき散らしているだけだった。
その怒りの源は、決してコピーエックスを逃し続けているこの状況だけではなかった。
「ヘルゲ! 私は世界を統べるのだ! 全ての人類を従えるのだ! 違うか!?」
「その通りにございます」
半ばヒステリック気味に叫ぶヴィルヘルムに、ヘルゲは戸惑いつつも直ぐ様答える。
しかし、それに対して「では何故だ」とヴィルヘルムは問い返す。
「何故なのだ! ヘルゲ、教えてくれ! 私には! 私の心の奥からは――――」
振り払えない暗雲がある。どれだけ未来を思い描こうと。野望の成就を目の前にしても。
ただ一度きりの失態が。たった一瞬の場面が。心にまとわりついて離れないのだ。
そう、あの忌々しい男の影だけが――――
「何故、ヤツの――――隠将の、あの顔が消えないのだ!?」
あの日、あの瞬間――――隠将ファントムにより、謀られたのだと確信した。
それに対しヴィルヘルムは直ぐ様、救世主を追い落とす策を発動させた。結果、“ベスト”でも“ベター”でも無かったが、彼の野望は叶った。
偽りの救世主は国を去り、人類の頂点には自身が立つ。そういうシナリオが確定した。
完全ではないかもしれない。しかし、これは“勝利”に違いない。
あの日抱いた憎悪を原動力に八十年間の長い道の上に掴んだ、揺るぎない“勝利”だ。その筈だ。
だが、たった一つ。未だ掴めぬ隠将の策謀の正体だけが引っかかるのだ。
こちらを出し抜き、自分の軍団を解体したにもかかわらず、何を目的としていたのかがまるで分からないままだった。
既に勝利を掴んだ今、無視してしまえばいいと、何度も自身に言い聞かせた。しかし、それでもあの顔が、言葉が消えてはくれないのだ。
ヴィルヘルムを裏切ったあの言葉が。
「私こそが勝者だ! 違うか!? 私以上の存在がこの国にいるか!? 言うてみよ!!」
「仰るとおりにございます、閣下」
ヘルゲはただ、そう答えることしかできない。実際、それ以外の見方は無い筈だ。
誰がどう言おうとヴィルヘルムは勝者の椅子に座っているはずだ。
「それならば何故だ!? 何故あ奴は、私を裏切った!? 何故私は怯えている!? 何故勝利を感じられんのだ!?」
一言で言えば“不安”。
測れぬ程大きく、想像以上に重く、そして、どれだけ目を凝らそうともその姿形がまるで見えない“不安”。それが常に伸し掛かっていた。
こんなにも不味く、苦々しいものが“勝利”である筈がない。どれだけ“勝利”を確かめようとも、ヴィルヘルムは結局その答えに戻ってしまうのだ。
では、どうすれば“勝利”を掴めるのか。それを探そうとも、“敗北”の理由が見当たらない。何を改善する必要があるのか、それすら分からないままだった。
「私が……私がいったい何を誤ったというのだ!!」
悲痛な声が響く。
この二日ほどで、ヘルゲの目にヴィルヘルムは一気に年老いたように見えた。
同時に、正体の見えぬ恐怖に駆られる様が哀れに思えてならなかった。
――――閣下…………
この老人が頂点に立つ世界が、この老人の支配が長く続くとはとても思えなかった。
彼にはもうかつてのカリスマ性も見えなければ、為政者としてのオーラも見えない。
その脆い精神の象徴こそ、彼自身がつけた“コピーエックス”などという凡庸な俗称だった。
「救世主の紛い物に過ぎない」「真っ当な名前など不要」という彼の口ぶりから安直につけられたが、その裏には、コピーエックスに対する恐怖心と警戒心が見て取れた。
そのように貶めなければ耐えられない程だったのだろう。
また、彼が不安に駆られるまま救世主を退けた負の影響が、予感を裏付ける。
人民の中には未だに救世主を信奉する者が残り、一部の都市では政府批判のデモ行進すら行われている。
支配体制は盤石などではなかった。半ば脅迫的に行わなければ根回しもまともに出来なかった。
もしかしたら、隠将の“勝利”は“これ”だったのかもしれない。
その先にどのような狙いがあったのかは知れないが、少なくとも、こうしてヴィルヘルムの権力を大きく削ぐことも一つの目的であったような気がしてならなかった。政治的にも、そして精神的にも。
机を力いっぱい叩き、喚き散らすヴィルヘルムに、「失礼致しました」と一言だけ告げ、ヘルゲは退室した。
だがそれにすら気づかず、ヴィルヘルムはただ喚いていた。まるで何かに取り憑かれたかのように。
その声を耳にしながら、ヘルゲは一人、遣り切れぬ想いを抱えたまま静かに項垂れた。
―――― 5 ――――
「綺麗なところだね」
「お褒めいただき光栄……というところですかのう」
「ユグドラシルでも、ここまで美しい景色は見たことがないよ」
「ほっほっほっ。まさか救世主さまにそこまで言わしめるとは」
「ははは。……『救世主さま』…ね」
「…? いかが致しましたか?」
「……僕が何者か、君も知っているのだろう?」
「それでも、貴方様は救世主に違いありません」
「ただの偽物さ」
「偽物…?」
「そうさ」
「…………」
「本物の救世主は、はるか昔にいなくなった。君たちが知っているように」
「…………」
「僕はその偽物さ。せいぜい“嘘泣き”が出来る程度の――――ただの偽物さ」
「……では、ここにある花はなんといたしましょう?」
「?」
「戦争の頃には、ほぼ全ての自然が絶えました」
「…………」
「この庭にある自然も、ネオ・アルカディアを彩る自然も、全てその模造品に過ぎませぬ」
「…………」
「しかし、この一面に咲き誇る花も、草も、全てが人工物ですが、それを偽物と、貴方様は称されますか?」
「……それでも彼らは、自らの役目をしっかりと果たしているよ」
「役目とは?」
「景観を保持し、人の心を癒やすには十分だ」
「では、自らはその“役目”が果たせていないと?」
「……………」
「……………」
「………なら、君は――――」
「?」
「この世界が救われたと、君は思うかい?」
「……………」
「それが答えさ」
無言で見つめる老人に、彼はそう言いながら微笑んだ。
「やっと……見つけた」
ふと声が聞こえたので、二人は背後へ振り返る。
そして、軽く挨拶をする。
「やあ、ゼロ。しばらくぶりだね」
そう言う爽やかな笑顔とは対照的に、ゼロは眉間に皺を寄せ、厳しい表情を浮かべている。
その顔から、彼は全てを察する。
「……母さんから、全て聞いたんだね」
先日対峙した時とは違う。母さん――――シエルから、ゼロは全てを聞いた上でここに来た。そう、以前とは異なった雰囲気から読み取った。
ゼロの目から見て、相変わらず彼の姿は“普通”だった。白いワイシャツに青いジーンズ。どこにでもいる平凡な青年そのものだった。
もしかしたら、そうした“普通”な一生こそが、彼にとっての願いだったのかもしれないと、一瞬考えがよぎった。
「“エックス”、俺は……お前を」
「待って、ゼロ」
そう言うと、ゼロに促すようにしながら、彼は辺りを見渡した。
ゼロにはよく見知った場所。人工物の自然が綺麗に彩る優しい場所。その向こう側に、石碑が見える。何度と無く死者を弔ってきた石碑が。
まるで、世界で起きている出来事が、どれも嘘や幻だったのではないかと思えるほど、そこは変わらず平和だった。
朝を迎えたネオ・アルカディアに対して、この場所はこれから夜を迎える。その時差が、この場所が特別なのだと余計に感じさせる。
「僕達が暴れるには、ここは相応しくない。場所を変えよう」
そう言って彼は歩き出した。ゼロが先ほど降りてきた転移装置の方向へと。
渋々、ゼロはそれに従い、歩き出す。
恐る恐る様子を伺っていたペロケやイロンデル、アークやセラ、子どもたちの前を、彼は少しも動じず、変わらず爽やかに笑いながら手を振る。そして、背後で黙って見送るアンドリューに向けて、「さよなら」とだけ言い残した。
ゼロもまた、彼らを見送るアンドリューの方へと視線を向けた。アンドリューはただ杖を支えに立ち尽くしているだけだった。
「転移装置の操作は?」
「問題ないよ。コントロールキーは持っている」
そう言ってコンソールの操作をして行き先を入力する。
方角で言えば、ネオ・アルカディアから見て、西側。おそらくこれを見越して、ネオ・アルカディアの軍勢を東側に引きつけたのだろう。
そしてまた、入力されたポイントを見て「はっ」とした表情を浮かべるゼロに、彼は「フフ」と笑って、まるで子供のように言う。
「懐かしいだろ。特に理由はないけど、面白いと思ってね」
上昇するエレベーターは、やがて無機質な音を立てて止まる。
シュッと開いた扉から、彼が先行して外に出る。それに続いてゼロが降りる。
降り立った場所から数十分ほど歩くと、ゼロにとって、確かに懐かしい場所に辿り着いた。
そこにはただ廃墟だけが残り、風に巻き上げられた砂がそれを覆っていた。
忘却の研究所――――ガネシャリフとの戦いの後、自らの手で爆発させた、百年の寝床。
まるで名所を観光に来た客のように、彼はまじまじとそれを眺める。それから空を見上げた。
朝焼けとともに、冷たい風が吹く。雲ひとつ見えない空は白み始め、これから爽やかな一日が始まる。眩しい太陽に照らされ、青い空に包まれた一日が。
「“エックス”、俺はお前と戦いに来たわけじゃない」
僅かに距離をとって立ち止まり、振り返る彼に、ゼロは言い放つ。
「シエルの願いは、お前を救うことだ」
「救う?」
「ああ、そうだ」と強く頷く。
決して傷つけに来たわけではないのだと、想いを顔に浮かべる。そして、右手を差し出す。
「帰ろう、“エックス”。俺と一緒に、シエルの元へ」
唯一人の、母親の元へ帰ろう。彼の居場所がこの世界に残されているとしたら、そこだけだから。
そう訴えるゼロに、彼はしばらく押し黙った後――――声を上げて笑った。
「違うよ、ゼロ。母さんは僕を救いたいわけじゃない」
「何?」
「母さんは、ただ“全て”を救いたいだけだ。優しすぎるんだよ、あの人は」
側で見てきたからこそ分かる。その理想は、貴賎なしに全てを、善悪を問わずに全てを、自分が手の届く範囲以上も含めた全てを救おうという健気な志だ。
傍目から見ればなんと尊く、大きな心と思えるだろう。――――だが、彼はそうは思わなかった。
「言ってしまえば同情さ。“全て”の中から“僕”を選んだのは。一人ぼっちになって可哀想に見えたんだろう。それだけさ、“僕”を救おうと思ったのは」
虐げられてきたレプリロイドを救おうと思ったように、ただ“哀れんだ”のだ。
それこそがシエルという少女が持つ意志の本質なのだと、彼は結論づけていた。
「……僕は、そんな同情なんていらないよ」
「そうは言っても、お前はこれからどうする。これ以上ネオ・アルカディアから逃げて、一体何を求める?」
「僕を見くびらないでほしい、ゼロ」
そう言った瞬間、大気が震え出す。
いや、正確には“大気”ではない。常に彼の周囲を取り巻いていたナノマシンの集合体。それが彼の意志に反応しているのだ。
その強大なエネルギーに、ゼロは思わず後ずさる。決してゼロの心が弱いわけではない。彼ほどの猛者であろうと、一瞬畏怖を抱いてしまう程強大な力だったのだ。
そして、ゼロに向けて彼は殊更いやらしい笑みを浮かべて言い放つ。
「僕の力を持ってすれば、ネオ・アルカディアを壊すことだってできるんだよ」
たった一人でも、その中枢に打撃を与えることくらいはできる。
いや、更に言えば、未だ政府の発表を信じられないでいる人々に、「救世主が正しいのだ」と高らかに宣言して復帰すれば、内戦を引き起こすことだって不可能ではないのだ。
「まさか」とゼロは睨むが、彼の目は本気だった。少しも揺るがず、少しも迷わず、その言葉と意志が本気であることを示している。
「……俺を誘いだしたのは?」
「邪魔をされたくないからさ。誰にもね」
言いながら、左手を上げる。そして、唱える――――「アーマー解放。コード、“ULTIMATE”」
その言葉の後、激しい突風が吹き荒れ、閃光が走る。次の瞬間、彼の体には“究極の鎧”が纏われていた。
「君という英雄を倒して、僕が“本物”になるんだ」
彼の言葉に、その覚悟に、ゼロはぐっと奥歯を噛みしめる。そして、胸の戸惑いを振り切る。
ここまで来た以上、仕方がない。――――多少の傷はやむを得まい。それでも、“約束”は遂げてみせる。
ゼロは溜息とともに、「やれやれ」と頭を抱える。
「蛙の子は蛙だな。……母親同様、聞き分けの悪いお坊ちゃんだよ」
それから、左腕を前に差し出し、右手を添える。
展開するアーマーの下から、白い柄を手に取り、勢い良く引き抜く。
鮮緑の刃が煌々と輝きを放つ。
「少々手荒くなるが、恨んでくれるなよ」
「甘いね。殺す気で来ないと、君が死ぬよ?」
「……お前こそ俺を見くびってくれるなよ。あの時とは違うんだ」
メガロポリスで遭遇した時とは、状況が違う。
ここにはシエルも、ましてコルボーたちもいない。気にするものがあるとすれば、強大なエネルギー反応を察知して駆けつけるであろうヴィルヘルムの追撃部隊と、目の前にいる彼の命くらいなものだ。
全身全霊をかけて戦える。無駄なことを何一つ気にかけること無く。本当の全力を向けて戦えるのだ。
「なるほど、今回は本気ってわけ? 面白いね」
「……『面白い』…か。だから、お前は……いつまで経っても“甘ちゃん坊や”なんだよ」
刹那、ゼロの姿が視界から消える。
一瞬の戸惑いの後、素早く左腕のバスターからビームの刃を形成し、斬りつけてきたセイバーを防ぐ。
「そんな余裕ぶった態度じゃいられないような“本当の戦い”を俺が教えてやる!」
「へえ、いい心意気だ……ねッ!」
力いっぱいビームブレードを振り、ゼロを弾き飛ばす。が、ゼロは無事に着地し、改めてゼットセイバーを構える。
放たれる闘気に、今度は彼が思わず震えてしまう。なるほど、確かにゼロという男も甘く見れたものではない。
その言葉の通り、そこに在るのは“本当の戦い”を知る、歴戦の勇士――――“伝説の英雄”の姿。
「 絶 対 に 連 れ て 帰 る ! お 前 の 四 肢 を も ぎ 取 っ て で も ! こ の 戦 い の 果 て 、 俺 の 命 が 燃 え 尽 き よ う と も ! 」
対して彼は右手に持っていたヘルメットを被り、バイザーを下ろす。
昇り始めた陽の光がじんわりと照らす中、どこまでも広がる荒野の真ん中で、紅と蒼の“伝説”が対峙する。
「 で き る も の な ら や っ て ご ら ん よ 、 ゼ ロ 」
左手に備えたバスターの銃口を向け、嘲りの笑みを浮かべながら、彼は言ってやった。
To be continued ......