―――― * * * ――――
蒼天に浮かび照りつける太陽の下、二人の男が対峙していた。
流れる金髪に真紅のコート――――紅いイレギュラー、ゼロ。
そして不気味な笑みを描いた白の仮面に漆黒のコート――――隠将ファントム。
互いの動きを警戒してか、無言で向かい合ったまま立ち尽くすこと数分。
先に動いたのは、ファントムだった。
高速で駆け寄りながら、ビームサーベルを懐から抜き出し、下から一気に斬り上げる。
それを、ゼロは瞬時に察知して、抜き出したゼットセイバーの刃で受け止める。
それから始まる剣戟のやりとり。
光速で繰り広げられるそれは、まるで互いの胸の内を剣で探っているようで、互いに全力でないことはおそらく分かっていた。
―――― * * * ――――
「話してもらいましょう、シエルさん。あなたが知っている真実を」
白の団にゼロ達が戻った次の日、エルピスやセルヴォ、ジョーヌやルージュなど、主要なメンバーを交えて、緊急会議が行われることになった。
議題は勿論、シエルがゼロに放った言葉の真意について。シエルはエルピスの問いに、率直に答える。
「ゼロに言ったとおり、今ネオ・アルカディアにいるのは……過去に大戦を終結させたロックマンエックスでは無いわ」
「どういうことだよ、シエル!」
急かすヘルマンを、すかさずコルボーが抑える。先を知りたい気持ちは誰もが持っている。
だが、まずはシエルの口から、落ち着いて全てを聞かないことには始まらない。
少しの沈黙の間、何処から話せばよいかと迷った後、シエルは事の始まりから話すことにする。
「百年前、ネオ・アルカディアが建国して直ぐに…………ゼロ、あなたとともに戦ったロックマンエックスは、人類の前から姿を消したわ」
ゼロの体が思わず強張る。
シエルがバイル卿から伝え聞いた限りでは、ゼロが眠りにつき、戦いがあらかた収束し、ネオ・アルカディアの仕組みを取り決めた後、エックスは数人の人間に別れを告げ、そのまま旅だったらしい。
「何故だい?」とセルヴォが落ち着いた声で問いかける。
「彼は……『最期の戦いに向かったのだ』と、“おじいさま”から聞かされたわ」
政治の中枢を担う数人の人間にだけ別れを告げたまま、彼はある晴れた日の朝、最後の戦場へと旅だった。
そして、その戦いに赴いたまま、救世主ロックマンエックスは二度と帰ってくることはなかった。
「その事実は最初、ロックマンエックスの言葉通り公にされるはずだったの。けれど、一部の人間――――今で言う元老院議長の地位にある人達はそれをしない事に決めたわ」
大きな戦争を終え、疲弊した人類。ようやく救いの手に拾われたと思った次の瞬間に、その救世主がいなくなってしまったとなれば、統治の仕方に影響が出ると思われたのだ。
ロックマンエックスの意志を守るべきだと主張し、反発する者もいたが、結局は公にしない方向で意見はまとまってしまった。
「でも、当のエックス様はいないんですよね? どうしたんですか?」
いつになく真剣な面持ちで、ジョーヌが問いかける。
シエルは、彼女の目を見て、それから皆の顔を眺めて、真実を告げる。
「当時の元老院議長達は、彼そっくりに作り上げた男性型レプリロイドを、“救世主エックス”として代役に仕立てたのよ」
これから少女の口から語られるのはネオ・アルカディアの核心。
――――“救世主”と呼ばれたレプリロイドと、その真実。
33rd STAGE
偽りの太陽
―――― 1 ――――
「まさか……それがあの“エックス”だってのか?」
場を包む沈黙を切り裂くように、ゼロが問い返す。だが、シエルはすぐに首を横に振った。
「いいえ、違うわ。話は、もう少し複雑なの――――」
人々が救世主として祭り上げた“エックス”は、暫くの間は象徴として機能した。
彼を見れば誰もが頭を垂れ、誰もが跪き、拝んだ。彼は救世主を見事に演じていた。
しかし、過去の記憶を持たぬ彼がいつまでもその地位に留まっていられるはずもなく、すぐに訝しむ者達が現れ始めた。
「元の救世主がいないと知れてしまえば、権力を求める人々が争いを起こすのは至極当然に思えるよね」
そうなれば、ネオ・アルカディアという人類の楽園はどうなってしまうだろうか。
救世主の力があってこそ結束できた人々の心は、再び離れてしまうのではないか。
――――もしかしたら、そうした不安の裏には自分たちの地位への執着もあったのかもしれない。
「……秘密が明かされることを恐れた当時の元老院議長達は、どうにかして誤魔化す手段を考えたわ」
そして、ひとつの案が実行される。
マザーのデータベースに保管されていたロックマンエックスの記憶データをサルベージし、その代役に流し込んだのだ。
「『自身をロックマンエックスであると自覚し、尚且つ記憶が伴い、思考を受け継ぐことができれば、誰も疑いようのないロックマンエックスが出来上がる』というわけですか」
エルピスの言葉に、シエルは頷く。だがすかさず「けれど、そこでも誤算が生まれたの」と返す。
事態は彼女の言葉通り、思わぬ方向へと動き始める。
記憶を流し込まれた“エックス”は、数ヶ月と経たない内に機能を停止してしまった。――――それも、自壊プログラムを自ら作動させて。
「誰もが驚き、戸惑ったわ。ロックマンエックスの記憶データにバグやウイルスが入り込んでいないか、マザーの力も借りて、綿密にチェックを重ねたの」
「それで……その結果は?」
ルージュの問いに、シエルは彼女を見つめて答える。
「オールグリーン……全て正常だった」
ロックマンエックスの記憶データに問題は無い。ならば移植時の問題があったのかもしれない。
元老院議長達は、すぐに新たな“エックス”を用意して、同様の措置を取った。
だが、結果は同じだった。今度は一年ほど持つことができたが、やはり“エックス”は機能停止してしまった。
原因不明の“何か”の影響でロックマンエックスの記憶移植は困難を極めていた。
「元老院議長達は頭を抱える一方で、矢継ぎ早に新たな“エックス”を仕立てていったわ」
一年か、或いは五日か、中には三年もの間耐えた者もいたが、結果的にはその全てが機能を停止させていった。
そうしていつしか“エックス”の継承は裏の恒例行事となっていた。新たに“エックス”として生み出されたレプリロイドはある一定の学習期間の後、マザーからロックマンエックスの記憶を受け継ぐという慣例ができつつあった。
そのほぼ全てに、ロックマンエックスと交流を持ったバイル元老院現名誉議長が関わっていた。
やがて時代とともに元老院議長団も世代交代を重ねていき、更には寿命を迎える者、不慮の事故で命を落とす者……様々な理由で真実を知る者達も減っていき、今ではもうマザーとバイル、その側近という数人程度しか真実を知り得ていない。
しかし、そうして秘密を隠匿する者達が減っていく中で、訝しむ者は増えるばかりだった。その典型が、元老院現最高議長ヴィルヘルムである。
「ヴィルヘルム卿のように、おじいさまの周辺を探る者達が出始めて……おじいさまは危機を感じるようになったの」
いつか救世主の真実が明るみに出てしまうかもしれない。そうなった時、いったいこの世界はどうなってしまうのか。まるで検討もつかない恐怖が、危機感を募らせる。
そしてネオ・アルカディアの危機を解決すべくバイル元老院名誉議長は一つの結論にたどり着く。
「おじいさまが出した答えは、言ってしまえば“ロックマンエックス”の制作。――――つまり、これまでの“代役”とは違う、外見のみならず精神プログラムまでの“全て”を含めた特徴を完全に模したレプリロイドを作り出す事」
“代役”がダメならば、“本物”を作り上げればいい。――――一見、簡単に見える答えだが、これは至極困難な問題であった。
ロックマンエックス自体は確かに百年以上前の技術で制作された。しかし彼が流すことができた“涙”についての解析すらできない技術力だったのだから、その製作者と、現代の技術者たちとの差は歴然だった。
しかし、不可能と切り捨てる訳にはいかない。そのままいけば、ネオ・アルカディアという国家がどうにかなってしまうかもしれないのだから。
それからバイル名誉議長は自分が囲っていた技術者たちに、“本物”を作るよう命じた。無論、理由は伏せた上で。
出来上がった“エックス”は、ほぼ完璧に近かった。“本物”に限りなく近く作られた、“完璧な模造品”だった。
「けど、それでもダメだった……」
“完璧な模造品”達は、これまでの“代役”に比べれば、時間的には耐えたと言っていい。中には最長で十年間、“エックス”として振る舞った者もいる。
しかし、結局はどれも失敗に終わった。どの“完璧な模造品”も、全て、“代役”と同じように自壊プログラムを作動させて自らの命を絶っていった。
そして切羽詰まったバイル名誉議長は現代より十数年程前に、とある計画を強引にスタートさせた。
「おじいさまは国防強化の名目で、自分が認める四人の技術者に自身最高のレプリロイドを作成するよう要請を出したわ」
「十年前……四人……と言うと、まさか!?」
思わず声を漏らすセルヴォに、シエルは頷く。
「救世主“エックス”を作るに相応しい最高の技術者を選出するためのコンペティション――――それが、“四天王計画”の真実よ」
ロックマンエックスの戦闘データをフィードバックさせ、その精神プログラムを参考にするという条件のもと、四人の技術者は四つの軍団の具体的なコンセプトに見合ったレプリロイドを設計。
一人は、制空権の掌握及び国家のライフラインに直接関係する設備を護衛する軍団の長となり、且つ、四天王のリーダーとなり得るレプリロイドを。
一人は、広大な大地の上、最も巨大な戦力をまとめ、レジスタンス組織掃討の要となる軍団の長となり、且つ、自らも軍団に恥じぬだけの戦闘力を持ったレプリロイドを。
一人は、隠密活動に特化し、国外のみならず、国内の反抗勢力からも救世主を直接護衛する軍団の長となり、且つ、自らも高い隠密機動能力を持ったレプリロイドを。
一人は、制海権の掌握及び海洋調査任務を主とし、情報戦全般を取り扱う軍団の長となり、且つ、自らも水中戦、情報戦に秀でたレプリロイドを。
……だが、完成したどのレプリロイドも、バイル名誉議長の納得できる作品ではなかった。彼らの技術は紛れもない超一流だった。その当時の最高峰だった。しかし、“本物”を作ることができるほどの力は認められなかったのだ。
当然浮かんでくる「何故、バイル名誉議長は自ら作らなかったのか」という問いに、シエルは少しだけ哀しげに答えた。
「きっと分かっていたのよ。自分の力ではロックマンエックスを生み出すことはできないと」
それは、実物を知っているが故の弊害と言ってよかった。
彼にとってもまた、ロックマンエックスは救世主だったのだ。それも、目の前で人類を守り、世界を救った、正真正銘の英雄だった。
自身にとって神にも等しい存在を、憧れの存在を、その手で生み出すことができると自惚れられる者がいったいどれだけいるだろうか。
しかし、事態が急を要していたのは確かだ。
次第にヴィルヘルムが力を持ち始め、“エックス”周辺の調査を極秘裏に進めていたことも、バイル名誉議長は感づいていた。
焦燥感に駆られ、苦悩する日々の中で、齢百を超える老人は誰の目にも明らかに憔悴していった。
「…………私の目から見ても、おじいさまは急激に年老いていったように見えたわ。本当に、つらそうで、苦しそうで………」
たった十歳とは言え、ネオ・アルカディアの最新技術により誕生した少女はその苦労を理解することができた。
その少女がどうにか彼の――――自分を育ててくれた大切な養父の力になれないものかと、子供ながらに思うのは至極当然の帰結であったように思う。
事態は急転する。
「……五年ほど前のある日、おじいさまは大変驚いた顔をしていたわ」
本当に驚くべきことだった。常人の理解の範疇では“ありえない”と言ってよかった。
“それ”を見た時、バイルでさえも言葉を失い、呆然と目を見開いていた。そして“それ”を見つめたまま数分ほど硬直した後、歓喜の声を上げた。同時に、悲痛と苦悩の声色を混じえながら。
彼が目にした“それ”は――――“本物”の“エックス”の設計図だった。
「……待てよ、話の流れが……見えないぜ?」
ヘルマンが再び口を挟む。だが、先ほどとは違う、恐る恐るといった様子で。
“エックス”が必要とされ、ネオ・アルカディアの崩壊を阻止せんと、バイル名誉議長が奮戦していたことは理解できる。そしてそれをシエルが見ていたことも。
しかし何故、突然“本物”の設計図は現れたのか。何処からか落ちてきたとでも言うのか。
――――いや、本当は皆理解することができた。だが、納得することなどとてもできなかった。
そうしてただ言葉を失ったまま、呆然と立ち尽くす皆に向けて、シエルは自らの口から真実を告げた。
「……私よ」
あの日のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。
画面に映る設計図に喜びの声を上げた後、全てを理解したバイルは、延命カプセルの中で静かに項垂れた。
そして、体中を震わせ、声を押し殺しながら呟いた。
『おお……神よ…………何故、この娘が………』
どのような心持ちからその言葉出たのか……その時、驚きと興奮に目が眩んだバイルに椅子から弾き飛ばされた少女――――シエルにはまるで理解できなかった。
「――――ゼロ、あのエックスは……私が生み出したの」
―――― 2 ――――
「此度の失態のツケ、貴様は如何にして払うつもりか、隠将?」
記念式典が無事に終わった後、ヴィルヘルムは自室へとファントムを呼び、その咎を責めた。
いったいどのような問題があったのか知れないが、結果として、紅いイレギュラーは五体満足のままネオ・アルカディアを脱出。
ペガソルタ・エクレールを“英雄”として開幕するヴィルヘルムの革命は、頓挫してしまったと言っていい。
無言のままその場に立つファントムを睨み、鼻を鳴らす。
「生まれ出た頃より我が腹心として活動していた貴様を、私は信頼していた。そして、それなりの扱いをしてきたつもりだ。違うか?」
四天王計画――――その計画におけるバイルの裏の狙いを知るため、ヴィルヘルムは参加者の中の一人を懐柔し、隠将ファントムを作らせた。
ヴィルヘルムの狙い通り、ファントムは救世主の動向を探り、不審な点を見つけては報告し、紅いイレギュラーが現れてからはヴィルヘルムの革命に助言をし、紅いイレギュラーの監視も務めていた。
やがてくるであろうヴィルヘルムの革命の時に向けて、世界の裏で働き続けていたのだ。
それがここに来て、大きな失態を働いたものだと、ヴィルヘルムはひどく失望し、同時に怒り狂っていた。
「何か申さぬか、隠将!?」
声を荒らげ、怒鳴りつける。だが、ファントムはまるで動じない。
かと思えば、不意に軽く頭を下げ出した。
「これより、紅いイレギュラーの首を獲りに行って参りますので――――失礼」
「謝罪のつもりか?」と眉間にシワを寄せながら、ヴィルヘルムは言葉を吐き捨てる。
だが、ファントムはそれすらもまるで気にしていないというように、頭を上げ、踵を返し、扉へと向かって歩き出す。
「貴様の忠誠を示してみよ、ファントム。でなければ、貴様の処遇を考えねばならぬ」
万が一、無様にも紅いイレギュラーとの戦いに敗れ、逃げ帰ったとして、その時はおそらく厳しい罰を与えなければならないだろう。
背中に向け、脅すように言葉を投げるヴィルヘルム。
すると、ファントムは足を止め、僅かに振り向き、ハッキリと言う。
「我が忠誠を捧ぐは――――この世に、ただ一人」
「結構だ」と答え、ヴィルヘルムはその言葉に己の怒りを鎮める。
だが、ファントムが扉のノブに手をかけた瞬間、思わず「待て」と声をかける。
「貴様が忠誠を捧ぐ主とは……誰だ……?」
ファントムが何故そのようなことを今言うのか――――僅かな引っ掛かりが気になり、不安が募った。問わずにはいられなかった。
そして、期待した。自身の名がその口から紡がれることを。
ハッキリと“ヴィルヘルム”の名が告げられることを。
しかし、ファントムは無言のまま――――仄かな微笑を浮かべて、扉を開けた。
「待て……隠将………………待て……」
去りゆく背中に呼びかける。だが、もうファントムは振り返らない。
ヴィルヘルムを、激しい悪寒が襲う。「まさか」という言葉が脳裏に駆け巡る。
「答えろ、隠将! 貴様の主は誰だ!? 名を呼べ!!」
渦巻く悪寒に急かされるように、ヴィルヘルムは声を大にして、叫んだ。
「 答 え ろ ! フ ァ ン ト ム ! ! 」
だが、遂にファントムは一度も振り返らぬまま部屋を去って行った。
そのまま呆然と立ち尽くすヴィルヘルムははっと我に返り、状況を整理する。
そして、全てを再び理解すると、思わず言葉に零す。
「まさか……この私が………謀られたというのか」
未だ信じられぬという顔をしながら、ヴィルヘルムは唇を噛みしめる
そして、直ぐに次の手を打つ覚悟を決める。何も、全く予期していなかったわけではない。
「直ちに、斬影軍団のコントロールを奪え!」
控えていたヘルゲを呼び寄せると、ヴィルヘルムは吠えるように指示を飛ばす。
それを受け、ヘルゲは通信機越しに、指示を送る。
ファントム率いる斬影軍団のパンテオン達には、ヴィルヘルムの特殊チップが埋め込まれていた。
万が一の時、指揮権を完全に奪うため、四軍団設立の頃から仕込んでいたのだ。
「こればかりは、あ奴も読めまい」と、ヴィルヘルムはほくそ笑む。そして、自分の部下によって討たれる不幸を、期待した。しかし――――
「閣下……ダメです」
戸惑いの色を浮かべるヘルゲの言葉に、ヴィルヘルムは愕然とする。
「……斬影軍団は本日、早朝に解体……全パンテオンがスクラップ処理施設に運ばれ…………処分されたと……」
隠将ファントムは、ヴィルヘルムよりも遥かに上手だった。
「何故……情報が掴めていなかった……」
茫然自失といった表情のまま、ヴィルヘルムは間抜けのような声でそう口にする。
だが、理由はどこまでも単純明快だ。
諜報戦において、隠密作戦において――――隠将ファントムの右に出る者は、誰一人としていなかったのだ。
「クラーケン、あるか?」
「ハッ、ここに」
斬影軍団本部に戻った後、空っぽの部屋に、ファントムはテック・クラーケンを呼び寄せた。
「斬影軍団は、遂に拙者と御主だけとなった」
「心得ております」
クラーケンは微塵も動揺を見せること無く答える。
だが、ファントムは「すまぬ」と口にする。
「御主に、孤独を強いることになるだろう」
四天王計画でファントムの制作を請け負った技術者は、ヴィルヘルムによって謀殺された。しかし彼が残した資料と設計図を元に、ファントムが自身の忠臣として極秘裏に完成させた者こそ、このテック・クラーケンであった。
これより自分は戦いの場に赴く。そして、おそらく二度とここへは帰ってくることはない。そして、ファントムがいなくなってしまえば、存在が周知されていないテック・クラーケンという男は、真の孤独を味わうこととなるのだ。
しかし、クラーケンは「何を申されますか」と笑ってみせた。
「その孤独こそ、某の“誇り”。隠将ファントムの腹心として、斬影軍団を支えてきたテック・クラーケン、最大の勲章であります」
「拙者は……本当に良き部下を持った……」
そう言って、まるでその感慨を噛みしめるかのように、瞼を閉じる。思い返せば、本当に恵まれていた。部下に、そして主に。
暫く黙り込んだ後、ファントムは意を決して、自身の決定を告げる。
「誇り高き斬影軍団のミュートスレプリロイド、テック・クラーケンよ。御主に、“隠将”の名を託す」
突然の辞令に、クラーケンは思わず「え?」と驚きの声を漏らす。
それはファントムにとって、一つのケジメであり、次代に託す“祈り”だった。
「前隠将として最期の命を下す。これより御主は、ネオ・アルカディアの行く末を見守る影となれ。“隠将”として、この世界の秩序があるべき道を辿るよう、監視するのだ」
「まさか……某が……そのような……」
戸惑いを見せるクラーケンに構わず、ファントムは二枚のディスクを懐から出して見せる。
「こちらは今後、この世界に起きるだろう出来事を拙者が分析し、まとめたものだ。それに従い、来るべき日に向け行動を開始せよ。そして、もう一枚は――――……その時が来れば分かる。それまで、御主が大切に携えておけ」
それぞれの用途を軽く説明し、差し出す。
クラーケンは、震える手でそれを受け取ると、深々と頭を下げた。
決して自信があるわけではない。不安は尽きぬばかりだ。自身の力がどこまで期待に答えられるかなどわかりはしない。
だが、一つだけ確かなことがある。自分が信ずるただ一人の主が、この身を信じて使命を託してくれるのだ。それに立ち向かわぬ不義理な心は、何処にも持ち合わせていない。
「このテック・クラーケン…………“隠将”として、立派に使命を果たすことを、この命に誓います」
「頼んだぞ、クラーケン。――――そして、御主の変わらぬ忠誠に、心より感謝する。……本当に、ありがとう」
かくして、ファントムは“隠将”の名を捨て、ネオ・アルカディアを飛び出した。
己が望む決戦の場所に向けて、ただ一人、誰にも見送られること無く旅立っていった。
―――― * * * ――――
『彼と君とのことも……そして――――ゼロのことも。全て分かっている。その上で、退がるように言っているんだ。分かるね?』
“エックス”の言葉に、ハルピュイアは体の自由を奪われたかのように硬直する。
そして、操り人形のように立ち上がる。ふと、シエルの視線に気づいたのか、ふとこちらを見る。
己の非力さを痛感し、嘆く彼の瞳に、シエルは決して弱みを見せまいと努めた。やがてハルピュイアはどこか納得したような表情で、ファントムとともに部屋を出て行った。
ハルピュイアを見つめていたシエルは、静かに“エックス”の方へ向き直った。
その場を重い沈黙が漂う。一体何から話せばよいか迷った後、シエルが彼の名を呼ぼうと口を開く――――瞬間だった。
『おかえり、“母さん”!』
明朗な声でそう言うと、エックスは戸惑うシエルを強く抱きしめた。
それから次第に鼻を鳴らし始め、そして嗚咽を押し殺しながら言葉を続ける。
『もう……二度と帰ってこないのかと……思ったよ……』
言葉を失い、硬直したシエル。――――だが、我に返るとすぐに、『やめて!』と声を上げながら“エックス”の体を無理やり突き放した。
その“エックス”の目からは、確かに流れていた。他のレプリロイドには決して流すことができない“涙”が。
しかし、それを見てすぐに、シエルはもう一度、今度は自身を落ち着かせながら『やめなさい』と声をかける。
『あなたのそれは…………ただの“嘘泣き”よ……』
幼き日に自身が犯した一つの“過ち”。感情と涙の関わりをあまりにも無視したが故に、彼に備わってしまった一つの“機能”。
久しぶりにそれを目にして、シエルの心はひどく締め付けられるような感覚がしてならなかった。
―――― 3 ――――
「どういう意味ですか……シエルさん」
言葉が理解できず、いや、受け入れられず、沈黙する一同の中から、エルピスが思わず聞き直す。
聞き違いだったのかもしれない。何か聴覚の異常があったのかもしれない。――――だが、皆一様な反応を見せているのを確認する限り、それはきっと真実だった。
そしてシエルは、再び自らの口から告げる。
「今、救世主としてネオ・アルカディアにいるロックマンエックスは、私が作ったのよ」
「そんな馬鹿な」とジョナスが声を上げる。
信じられないのも無理はない。なにせ、先ほどのシエルの話をそのまま聞き入れたならば、そのロックマンエックスを制作したのは彼女が十歳の頃のことなのだから。
だが、シエルは何一つ付け加えること無く「真実よ」とだけ答える。
「おじいさまが困ってるのを見兼ねた私が……どうにか力になりたいと思い、彼を設計した……」
それが、どれだけ偉大なことだったのか――――その時の彼女には分かるはずもなかった。
ただ、大切な養父の手助けをしたい。その一心に突き動かされるまま、作業に没頭した。マザーから少しばかりのサポートを受けながら。
そうして、完成させたものが“ロックマンエックス”の設計図となった。バイルも認めるほど“本物”の“ロックマンエックス”だった。
「あの“ロックマンエックス”が偽物だの、コピーだのってだけで驚きなのに! まさかそれを作ったのがシエルだって!? 信じられるわけねえだろ!」
皆の心を代弁するように、ヘルマンが率直な声を上げる。
だが、疑ったところで仕方がない。それが真実でないわけがない。――――嘘や冗談でそれを言うメリットは何処にもないのだから。
頭を抱えるヘルマンを、コルボーが宥める。それを他所に、シエルは話を続ける。
「彼は……生まれたばかりの頃、よく言っていたわ。『この世界を正したい』って」
レプリロイドが不当に虐げられる世の中をどうにかしなければならないと、救世主として生まれた使命感から、常に口にしていた。
それを、十歳のシエルはよく理解できないまま、無邪気に応援した。励ましの言葉をかけた。
その度に、“エックス”は微笑みながら答えるのだ。
『母さん、ありがとう』
「――――けれど、そんな彼も……救世主として一年が経過した頃、変わってしまった」
“エックス”は急激に変わり、彼の激変した思想は政治に色濃く反映されていった。
これまで以上に、レプリロイドに対する処罰は過激になり、レジスタンスとの戦いは激化していき――――かつてシエルに語った理想とは百八十度異なる方向へと走りだしていったのだ。
そんな“エックス”とのやりとりに、いつしかシエルは苦しさを感じるようになっていった。
「どれだけ言葉を凝らしても……彼は分かってくれなかった……」
かつて口にした理想郷への夢は、忘却の彼方に投げ捨てられ。
向けてくれたほほ笑みは、薄っぺらな、空虚な笑みへと変わっていった。
「精神的に耐え切れなくなった、ちょうどその時――――私はエルピスに誘われたの」
ある事件をきっかけに、バイルの邸宅に匿われていたエルピス。そんな彼の計画を聞き、共にネオ・アルカディアを出ようと誘われた。
迷いはした。生まれ育った場所を飛び出し、レジスタンスとして活動していく覚悟を決めねばならなかった。
だが、道を違えたまま突き進む“エックス”の姿を見る内に、シエルの心は固まっていった。
「私はエルピスとともに、ネオ・アルカディアを出ることにした」
たった十二歳の頃。それは少女にとって大きな決断だった。“白の団”を立ち上げ、ネオ・アルカディアを脱出し、レジスタンスのメンバーとしての生活が始まった。
それからのことは、ここに集められたメンバーには周知の事実だった。
しかし、唯一――――自責の念と、後悔を抱え苦悩し続けた彼女の心のうちだけは誰にも知られることはなかった。
先日、賢将ハルピュイアに一芝居打たせ、ネオ・アルカディアへ帰還した日。シエルは“エックス”と久しぶりに対面した。
『嘘泣き』と言うシエルに、“エックス”は少し黙り込んだ後、一転して笑顔を浮かべてみせた。
『流石だね、母さん。僕のことを本当によく分かってる』
『私は……あなたが本当に分からないわ』
そのシエルの返しに“エックス”は笑い声を上げながら『そんな哀しいこと言わないでよ』と言った。
勿論、シエルのそれは本心だった。彼女はまるで“エックス”の心がわからなくなかった。“あの日”からずっと。
『それで、今更何の用だい?』
久しぶりの再会が喜びに満ち溢れるものだとは、お互いに思っていなかったらしい。『今更』という言葉がやけに耳に残る。
二年前に白の団を結成してネオ・アルカディアを抜けたシエルが自らここに来たことは、“エックス”には既に分かっていた。――――無論、その理由すら聞くまでもなく。
『あなたの愚行を、止めに来たのよ』
『愚行?』ととぼけたように言う“エックス”に、シエルは真剣な声で答える。
『罪もないレプリロイドたちを不当に虐げる、この世界の仕組みを正して!』
率直な要求を突きつける。
だが、“エックス”は笑みを浮かべたまま『今さら何を』と肩をすくめる。
『これは百年の歴史の中で培われた正しい世界の形だよ。それを今更僕の力だけで……』
『あなたは、変わってしまった』
遮るシエルの声に、“エックス”は口を噤む。
『生まれたばかりのあなたは……この世界をあるべき姿に戻したいと願っていたはずよ』
まだ世界の何もかもを知らない頃――――“エックス”は言った。レプリロイドと人間の関係を修復し、かつての救世主が築いた楽園を取り戻したいと。
しかし、その願いは激変してしまった。一年が経過した……ロックマンエックスの記憶を継いだ“あの日”から。
『あの日から、あなたは変わってしまった。そしてレプリロイドへの不当な扱いは、それまでの比にならないほど加速していったわ』
彼が正式にロックマンエックスを継いだその時から、イレギュラーとして処分されるレプリロイドの数は増え、反発は拡大し、多数の新興レジスタンス組織が生まれた。
そう、争いはかつての願いとは裏腹に、大きく拡大していくことになったのだ。
『教えて、あなたが何を考えているのか! そして、正しい道に戻りましょう、私と一緒に!』
精一杯に声を張り上げ、訴える。本心からの願いを。
一度は耐えられず、彼の元を離れてしまった。向き合うことを恐れて、逃げたのだ。――――それが最大の過ちであったと、シエルはずっと引きずっていた。
そして、白の団が斬影軍団と烈空軍団の襲撃を受けた時、決意した。もう一度“エックス”と向き合うことを。
自分が生み出した息子と向き合うことを決意し、決死の覚悟でこの場に赴いたのだ。
だが、それを聞いた“エックス”はそれでも尚、薄ら笑いを浮かべたままさらりと言ってのけた。
『違うよ、母さん。正しいのは僕だ』
その瞳を見つめたシエルの心の奥底で、何かが音を立てて崩れた。
“エックス”は追い打ちをかけるように、彼女に近寄り、そして堂々と宣言する。両手を広げ、まるでこの世界の全てを抱えるかのようにしながら。
『ロックマンエックスとして生まれてきた、この僕こそが……――――この世界の“正義”なんだよ』
彼は、本当に狂ってしまったのかもしれない。――――そうシエルは思わざるを得なかった。
生まれたばかりの頃、共に過ごした彼とは、まるで別人のような様子に、シエルの一縷の希望はみるみる萎んでいった。
そして茫然とするシエルを他所に、“エックス”は部下のパンテオンを呼び寄せる。やがて現れた――――おそらく斬影軍団の――――四体のパンテオンは、シエルの身を拘束し、連れて出て行った。
その間、“エックス”は自分を見つめるシエルの視線に対し、ただ背を向けているだけだった。
「……私のせいよ」
“エックス”と別れて、ヘルヘイムに幽閉されてから、一人考えた。
全ての原因が何処にあるのか。彼の悪意に気づかず――――いや、気づいていたにも関わらず、知らぬふりをして、その芽生えから目を逸らしていたのは誰なのか。
“エックス”の心と向き合わず、道を違える彼に、声をかけてあげることもせずに、ただ逃げ出したのは誰だったのか。
「全て……私のせいなのよ」
やりきれぬ想いが、堰を切って溢れだす。
「彼は……エックスは悪く無い! 私よ! 私が彼の前から逃げ出してしまったから!」
産みの母親である自分だけだった。その道を正すことができたのは。向き合う責任をもっていたのは。
だが、シエルは“エックス”と向き合うことを恐れてしまった。まるで別人のように変わってしまった彼と向き合うことができなくなってしまった。
エルピスの誘いに乗り、ネオ・アルカディアを抜けだしたのだ。そして全ての原因は、それだと、シエルは確信していた。
自分が拒み、逃げ出したせいで、変わるはずだった世界は何も変わること無く、悲劇は続いているのだ。
「私のせいで……だから……私が!」
向き合わなければいけない。無駄なのかもしれないと、何度打ちのめされたとしても。
その言葉が届かず、何度遠ざけられたとしても。
それが自分の責任なのだと。世界を救えるのは自分だけなのだと。彼の心を正してあげられるのは、自分だけなのだと。
それをここで諦めてしまっては、パッシィやミラン、その他大勢の――――ここまで命の限り戦ってくれた仲間たちの死を無駄にしたも同然だ。
「他の誰でもない! 私がエックスを止めなければならないのよ!」
「パンッ」と大きな音が、鳴り響く。
一際大きく叫ばれる彼女の言葉に対し、絶句したまま硬直していた一同。
その中からただ一人、前に進み出ると、可能な限り加減して、可能な限り力を込めて、小さな頬に平手打ちをした。
「なんて……なんて、馬鹿な子だろう……」
哀しげな声でポツリとそう言ったのは、シエルに手を上げたのは――――他でもない、セルヴォだった。
戸惑うまま、向き直り、痛みと衝撃に瞳を潤ませるシエルに、憤りを押し殺した声で、諭すように言う。
「――――周りを、見なさい」
言われるまま、シエルは周りを見つめる。
ルージュが、ジョーヌが、ヘルマンが、ジョナスが、ティナが、コルボーが、エルピスが、アルエットが、ゼロが、そしてセルヴォが、彼女を見つめている。
それは決して責めるような目ではない。そして、それはきっと彼らだけの想いではない。
「君のことを想っている者が、こんなにも傍にいるというのに……そんな大事なことを今までどうして……誰にも、何も言わず……全て抱え込もうとしたんだ……」
それから直ぐに、セルヴォは膝をおろし、シエルを抱きしめた。
ありったけの力で、ありったけの優しさを伝えようと、抱きしめた。
「なんて……愚かなんだ……」
そしてまた、心のまま、ありったけの後悔を叫ぶ。
「こんなにも苦しんでいる子が直ぐ傍にいたというのに、どうして誰一人としてその苦しみに気づけなかったんだ!?」
いつも笑顔をくれた。希望をくれた。生きる糧をくれた。年端もいかぬたった一人の少女が、大勢のレプリロイドに。
しかし、誰ひとりとして彼女の苦悩に気付くものはいなかった。抱える罪悪感に、裏にある自責の念に、何一つ気付くことはないまま、二年もの間共に過ごしていたのだ。
「それなのに! ど う し て 私 達 は 一 緒 に 涙 一 つ 流 し て や る こ と が で き な い ん だ ッ ! ? 」
「ごめんなさい」と、繰り返し嗚咽混じりに言いながら、腕の中でポロポロと涙を零すシエル。
その心を知って尚、涙を流すことができないのは――――きっと、少女が背負ったものと同等の罪ではないだろうか。
セルヴォの叫びは、その場にいた全ての者の胸に突き刺さった。
突然、ルージュとジョーヌに通信が飛び込んでくる。と、戸惑いと焦りを顔に浮かべ、「司令!」と二人してエルピスを呼ぶ。
それとほぼ同時だった。ゼロが身を翻し、会議室の扉へと向かっていった。
「ゼロさん……?」
「分かっている。――――“奴”の殺気を感じた」
既に何度かの邂逅を繰り返す内に、“彼”の独特な気配を完全に覚えてしまっていた。
無論、“彼”もまた、ゼロに気づかせようとして、その気配を押し殺さずに来たのだろう。
いったいどのような用事なのか、いつもの如く分かるはずもない。だが、ゼロには自身の使命が、明確に見えていた。
「小娘、お前の知る全てを話してくれて、ありがとう」
背を向けたまま、言う。そしてまた、宣言する。
「あとの真実は――――“奴”から聞き出そう」
何故、“エックス”は変わってしまったのか。“エックス”は何を目指し、行動しているのか。
その全てをおそらく知っているだろう者が、向こうから出向いてくれた。この機会を逃す手はない。
突如として基地の外に現れた男――――隠将ファントムと対峙すべく、ゼロは出撃した。
―――― 4 ――――
達人の目でしか追えぬ、光速の剣戟を数百回程度重ねた後、互いに地を蹴り距離をとる。
互いの胸の内は、やはり剣を交えるだけでは伝わらないらしい。
不意に、ファントムは顔に左手を当てる。そして仮面を掴み、外して胸の前に差し出す。何を思ったのか、それを力づくで砕いた。
「もう……偽りの面は要らぬ」
先程の比ではない、静かでありながらとてつもない殺気を全身から放ち始める。
それは、無数の冷たい刀剣のようで、ゼロほどの者でなければ、臆してその場を離れていただろう。
「待ってくれ、ファントム。俺達には戦う理由がないはずだ」
ゼロは率直に己の考えを口にする。
彼の言うとおり、二人の間に戦う理由は見つからない。ここまで、幾度と無くゼロの窮地を救ってきたファントムが、何故ゼロと戦う必要があるのか。
そしてまた、“エックス”のことを思えばこそ、殺しあう理由などどこにもない。
「俺達に――――シエルに協力してくれ、ファントム。そして、“エックス”の道を正そう」
だが、ファントムは無言のまま、コートを脱ぎ捨てる。その格好は、隠密部隊の長として相応しい軽装だった。
そして、自分の懐に手を入れると、円盤状の装置を取り出す。と、それは四方に光の刃を形成し、一つの大きな手裏剣状の武器となった。
「……“闇十文字”――――拙者のために開発された専用兵装」
青色の光刃は、彼の冷たい殺意の表れだった。
「拙者にはもう……主などおらん」
切なげで、寂しげで、それでいて誇らしげで――――その声は、彼の覚悟を強く感じさせる。
ゼロは身構えた。戦う理由はないと、矛を収め話しあおうと……そんな悠長なことは言ってられる雰囲気ではない。
「これより戦うは、ただ己の信念がため…………いや、言うなれば“我侭”を通すため。それ以上の理由は何処にもありはせん」
「待て! ファントム!」
鬼気迫る勢いのファントムに、ゼロはそれでも呼びかける。戦う必要はないのだと。その必要は何処にもないのだと。
だが、ファントムはその殺気を収める気配を見せない。既に心を完全に決めているのだ。
グッと踏み込み、そして声を張り上げ、宣言する。
「漆黒の幻影、 推 し て 参 る ! 」
言い終えた瞬間、ファントムの姿が消える――――ゼロにもほとんど知覚できない速度で、背後に回り、闇十文字を振りぬく。
「くッ!」と声を漏らしながら、ゼロは無理やり体を捻り、その一撃を辛うじて躱すとゼットセイバーを突き出す。僅かに首を捻り、ファントムはそれを躱すが、右頬に刃が掠る。
しかし、全く臆すこと無く――――そう、何一つその痛みに反応することなく、再び闇十文字で斬り上げる。ゼロは咄嗟にセイバーを引き戻し、それを防ぐと、もう一度距離をとった。
「お前……まさか、痛覚を!?」
遮断している。おそらく全身のそれを。
戦闘中、ダメージを追った部位から痛覚の遮断をするのは常套手段だ。その痛みに苛まれ、戦いの手が鈍ってしまっては意味が無い。
だが、同時に痛覚の存在は、彼ら戦闘用レプリロイドにとって、言わば危機回避センサーの役割も担っている。
どのようなレプリロイドであっても、戦いの先に生還することを考慮している。まるで痛みを感じないのであれば、傷の様子も、それによる体への負担も把握できない。そしてそれでは、どれだけ危険な領域に足を踏み入れようともそれが理解できず、回避できず、結果として命を落としてしまう。
それ故に、痛覚の存在は、戦闘において無くてはならないものの一つでもあった。“生還”を目的としている以上は。
だが、今のファントムはそれを完全に遮断している。――――つまり、“生還”することをまるで考慮していない。
「そうだ!」
答えながら、ファントムは追撃をかける。縦横無尽に闇十文字を振り回し、ゼロに反撃の隙を与えない。
「痛みなど不要! この身はただ、御主を滅す為にある!」
ゼロはゼットセイバーで、ファントムが放つ強力な一撃を弾き飛ばし、その衝撃とともに後方へと距離をとる。
一度体勢を整え、反撃に転じなければジリ貧だ。――――しかし、それもまたファントムの術中。
「――――それができぬのならば! 生も死も露ほど変わらんのだッ!」
吠えると同時に強く踏み込み、闇十文字を回転させながら投げつけた。
高速で回転する手裏剣の勢いは、中央の円盤に取り付けられた小型スラスターの影響で飛ぶほどに増してゆく。
それを見て取ったゼロは、ゼットセイバーでは防げないと悟り、身をかがめて間一髪躱す。――――そこに、ファントムがビームサーベルを手に、再び飛び込んでくる。
「チィッ!」
屈むだけでは足らないと判断し、左肩から地面について、転がるようにしてその場を離れる。そしてすかさず起き上がり、再度斬りこんでくるファントムに備える。
ゼットセイバーを振り、ファントムの一撃を捉える。そしてこの至近距離でアースクラッシュを放とうと、左腕を伸ばそうとした――――その瞬間、ゼロはファントムの意図に気づき、咄嗟に横っ飛びで躱す。
ファントムの背後から、先ほど投げ飛ばされた闇十文字が更に勢いを増して戻ってきていた。――――おそらく、ゼロが躱さなければ、ファントムもろとも胴を断たれていただろう。
「なんて野郎だ……!」
悪態をつきながら、回収した闇十文字を手にして斬りかかってくるファントムに対し、左手で地面を殴るように構える。放つのはアースクラッシュの応用技、落鳳破。
放たれる光弾を無表情で掻い潜りながら、懐へと飛び込んでくるファントム。ゼロはすかさず獄門剣の構えを取り、ファントムの一撃に備える。
だが、ファントムもまたその殺気に違和感を感じ、自ら距離を取ると、何処に仕込んでいたのか、数本のビームダガーを投げ飛ばす。
構えを解き、それらを全てゼットセイバーで弾き返してから地を蹴る。光速の剣技、疾風牙を放つ――――が、ファントムの反応速度は見事にそれを防ぐ。
闇十文字とゼットセイバーの応酬。互いに一歩も譲らぬ剣戟。しかし、それは先ほどの探りあいの比ではない。
コンマ一秒、一瞬の躊躇いが、失敗が、自身の生命を危機に突き落とす。
やがて同時に、縦に振りぬかれる二つの刃は、中央で激突し、互いに弾き飛ばす。返す刀で再び互いに斬りつける。激しい鍔迫り合いに発展する。
「分からない奴だ! 何故今更になって俺を殺そうとする!?」
既にゼロには分かっていた。
忘却の研究所を無事に脱出できた理由も。自分の窮地に敵の増援が現れなかった理由も。黒狼軍が協力し、無事にネオ・アルカディアを脱出できた本当の理由も。――――全ては目の前の男が糸を引いていたとしか考えられない。
だからこそ、ゼロには分からなかった。
今、剣を交えている男は本気で自分を殺そうとしている。幾度も命を救い、生き永らえさせてきておいて、何故か今更、その命を手ずから奪おうというのだ。
その意図が、思考がまるで理解できない。
「答えろ!」
「理由がほしいか? ならばくれてやる! ―――― あ の 世 で な ! 」
掛け声とともに刃を弾くと、体を回転させながら、逆方向から斬りかかる。それをゼットセイバーで再び防ぐが、ファントムのもう片方の腕には、ビームサーベルが握られていた。
「くぅッ」と力み、ゼットセイバーで闇十文字ごと、その光刃を叩き落す。すかさずファントムは地を蹴り、体を宙に浮かせて一回転する。そしてそのまま、踵からゼロの頭部に足を振り下ろす。
身を翻してそれを躱すが、ファントムの追撃はやまない。再度襲い掛かる闇十文字を掻い潜り、セイバーを振るうが、もう一つの得物がそれを防ぐ。
「どうした、ゼロ!? その程度か!? ――――それとも貴様、殺し合いを躊躇っているのかッ!? 腑抜けたものよ!!」
「黙れぇッ!」
セイバーの刀身に雷が走る。ファントムのサーベルを弾き飛ばし、構えを取り、一気に突き出す――――雷神撃。
しかし、ファントムはその攻撃を、闇十文字の刃をまるで盾のようにして受け止める。
「あの“エックス”も、お前も! 倒したところでシエルの理想は叶えられない! ――――無意味な死を生み続けたところで、“懐かしい未来”は遠のくばかりなんだよッ!!」
「 な ら ば 死 ね ! ――――貴様が死ねば、決着だ!!」
「馬鹿なことをッ!!」
力尽くで押し切るが、ファントムは既の所で力を抜き、身を躱す。勢いそのままにゼロは前かがみにつんのめり、「しまった」と口にする。
その足を払い、地に倒すと、闇十文字を力いっぱい振り下ろす。ゼロは左足の緊急加速装置を作動させ、左腕で目一杯地を叩くと、それらの勢いで地面の上を転がるようにして回避する。
「教えてくれ、ファントム! お前の意志を! “エックス”の意志を!」
立ち上がり際に、思わず叫ぶ。それが知れるまで、ファントムを殺すことなどできるわけがない。
だが、ファントムはゼロの言葉に対し嘲笑を浮かべて返す。
「……拙者は弱い。こうして手緩い貴様と互角の戦いを無様に繰り広げる程度に」
ここまでの戦い、ファントムが死力を尽くして戦っているのに対し、これでもゼロはまだ本気ではない。――――ファントムの言うとおりだった。
おそらくファントムは、これまで戦ってきた中で考えれば、それほどのスペックを備えているレプリロイドではない。速度と反応だけが異様に高いだけで、一撃の重さならば女性型のレヴィアタンと同等程度だろう。
「だが――――」と、言葉を続ける。
「貴様が一手、一歩、一振り、一瞬――――拙者を逃す度に、拙者は貴様の動きを確実に覚えていく」
それは、ファントムが隠密部隊の長として開発される上で、必要とされた特殊技能。
ファントムは戦いの度に敵の動作を把握し、学び、適切な暗殺術を導き出していく。
「分かるか、ゼロ。……貴様がくだらん理想とやらに囚われ、その剣が鈍る間に――――拙者は貴様に追いつき、この刃は確実にその首を捉える!」
ファントムの放つ殺気。――――闘気など微塵も感じられない。この男はただ、その言葉通り、ゼロを殺めるためだけにここへやって来たのだ。
その事実を、現実をようやく受け入れる。そして、ゼロもまた覚悟を決めた。
「……確かに…………どうやら俺が甘かったようだ」
ゼロの瞳の輝きが変わる。
言葉が無意味であると認めざるを得なかった。
全てはただ、剣でのみ。命がけでぶつかり、ファントムの言葉を引き出す。
「そうだ、ゼロ。本気で来い! ……でなければ“死”ぞ!!」
再び互いに地を蹴り、互いの剣を激突させる。
それまで行われたやりとりを更に上回る速度で、繰り広げられる剣戟。たった数秒間の内に、幾百という刃が宙を駆け巡り、火花を散らす。
幾千幾万という剣技の応酬は、どれだけの達人でも容易には到達できないであろう、まさに極限の領域。
そして初めて、ファントムの顔に苦渋が浮かぶ。
――――やはり……強い!
手数では、数瞬速い分、ファントムが優っていると言っていい。彼の剣を捌き切るのに、ゼロも僅かに手こずっている様子だった。
しかしやりとりが進むに連れ、ファントムの手が鈍り始める。
ゼロの防ぐ手が先程以上に力強くなり、弾かれた時の衝撃が大きくなった為に、振り幅が大きくなってしまう。――――つまり、力負けをしていた。
その影響は次第に大きな差を生んでいく。ゼロの剣が優勢になる。そして、正面で互いの刃が再度交錯した瞬間、ファントムは体ごと弾き飛ばされた。
それを追撃すべく、ゼロは地を蹴り、斬りかかる。――――その刹那、自分の目を疑った。
戸惑いとともに、剣と足は止まる。その間、ファントムは初めて地に手と膝をついた。
「お前……」
視界が捉えた“それ”に驚きを隠せず、思わず口にする。
「その……傷は……」
ファントムの前髪に隠れた左顔面。――――そこにはレプリロイドではありえない“傷”があった。
左目は潰れ、皮膚は変色して焼け爛れていた。
自己修復機能を持ち、且つ必要とあれば部品の交換などが適うレプリロイドにとって、そのような“傷”が残されているのはありえないことだった。
ファントムは徐に立ち上がると、僅かに乱れた前髪を整え、左顔面を再び隠す。
「……これは……“証”」
ファントムはたった一言だけ、呟く。
唯一の主に捧げる忠誠の、この身に刻まれた証明。
そしてまた、何物にも代えがたい、“絆”の形。
彼がこの世に生きる、たった一つの理由。
To be continued ......