―――― * * * ――――
少女の身を労り、呼吸に影響が出ない程度の高度を維持しながら、アステ・ファルコン・アインは低速で飛び続けていた。
ツヴァイとドライは、レジスタンスの追撃が来ないかどうか、また、他勢力による不意打ちを受けないようにと頻りに周囲を警戒している。
「良かったのですか……本当に?」
ハルピュイアは背後でしがみつく少女――――シエルに、躊躇いがちに問いかける。
「……『良かったのですか』……って?」
彼の気持ちをほぐそうとしているのか、微笑みながら問い返す。
しかし、腰に回された彼女の手が震えていることに、ハルピュイアは当然気がついていた。
「“こんなこと”をして……です」
「そうね……」と呟き、暫く考えこむ。それから何かしら纏まったのか、小さく頷くと、再び口を開く。
「あなたには謝らなきゃいけないわね。ごめんなさい、ハルピュイア。損な役回りをさせちゃって……」
「それは……」
ハルピュイアは顔をしかめて口を噤む。彼女のその言葉は、彼の言葉に対して完全にズレている。
そもそも、白の団にとってハルピュイアは仇敵だったのだ。“あの”ような役は、自分から進んで行うべきといっても過言ではなかっただろう。
ああ、そうだ。元々はDr. シエルの奪還も任務の内だったのだ。だから、今の状況自体はそこまでおかしくはない。
ただ、この誘拐劇の“計画者”と、“国に戻る理由”だけが特別おかしいのだ。
「……答えになっていません、Dr. シエル。私は……このようにして、あのレジスタンスから離れてしまっていいのかと聞きたいのです。このように……――――」
「あなたに頼んで、自分からネオ・アルカディアに帰ろうとしていること?」
シエルの声が些か弱くなったことに気付き、ハルピュイアは再びバツが悪そうに黙りこむ。
聞くまでもなかったことだった。彼女自身、これが絶対に正しかったとは思っていない。このようにして、仲間達に心配と迷惑をかけるようなことは。
しかし、彼女はひとつの決意をした。これ以上、誰も傷つけぬために。――――そして、大切な人がこれ以上、苦しむ事のないように。
「……申し訳ありませんでした。Dr. シエル」
「ううん。いいのよ、ハルピュイア。それより、本当に有難う。私に賛同してくれて」
ハルピュイアもまた、シエルの決意に同意したからこそ、このような役を受け負ったのだ。
「いえ……僕も、エックス様と話したいと思っていましたから」
ゼロとの戦いの最中、思い知ったこと。感じたこと。それらを整理した上で、かの救世主と対面する必要があると思った。
「この戦いを……続ける意味があるのか。それを問いかけたいのです」
彼の“正義”を貫き続ける先に、本当の平和が、理想郷が在るのだろうか。少なくとも、今のハルピュイアには、そう思えなかった。
そして、シエルも決意した。一度は離れたエックスのもとに帰り、そして、直接話すのだ。
「私は……彼と真剣に向き合いたい」
人類の一人として救世主エックスと向き合い、この戦いを終わらせるのだ。
そう、自らの手で。
28th STAGE
再 会
―――― 1 ――――
「おい………どういう…ことだ」
帰還したゼロは、一頻り説明を耳にすると、驚きを隠せないままそう口にして硬直する。
起きてしまった事態に、頭を抱える団員達。手短にそれを伝えたコルボーも、それから先は言葉が絞り出せない。
「私の……せいだ……」
地に座り込んだまま、セルヴォがそう独り言つ。
「私が……傍を離れたから……」
「どうして見ていなかったのですか……!」
先程からもう何度も繰り返した言葉を、エルピスは尚も悔しげに口にする。
「あなたが…! あなたが彼女とともにいれば!」
「落ち着いてください、司令!」
取り乱すあまり、セルヴォに掴みかかろうとするエルピスを、団員達が取り押さえる。
エルピスの言葉も最もだ。しかし、それは実際のところセルヴォだけの責任ではない。敵の捕虜を野放しにしていた事自体が問題だ。
とは言え、誰が彼を取り押さえておくことができただろうか。もしそれが出来る者が本当にいたならば、このような事態を招いてはいなかっただろう。
「小娘を……本当にハルピュイアが連れ去った…ってのか?」
信じられないというように、ゼロは聞かされた事実を自ら口にする。その言葉に皆俯くばかりで、その様子が余計に現実味を帯びさせる。
既に反抗する意志はないと見えた。ゼロの目が節穴で無かったならば、確かにその筈だった。でなければ、ここまでゼロを運ぶことも、それから留まることもしなかっただろう。
だがしかし、実際にハルピュイアはシエルを抱え、人質とし、そのまま彼女を連れて飛び去ってしまった。
誰も何も出来なかった。エルピスも、セルヴォも、吠えるばかりでハルピュイアを止める手立てはどこにもなかった。
何もできないまま、シエルは連れ去られてしまったのだ。
ゼロは「嘘言うなよ」と口を開きかけ、やめた。これが現実であることは、仲間達の様子を見れば明らかだ。
だが、それでも信じられない。信じることができない。それは他の団員たちも同じだった。
こうしてシエルが白の団からいなくなってしまったなら、この先いったいどうすれば良いのだろうか。システマ・シエルの設計に関しても含めて、白の団の戦いに欠かせない人物であったシエルを失ってしまっては、今後取るべき道が分からなくなってしまった。
戦いを続けることは出来る。しかし、彼女が願う未来に希望を抱き集まった仲間達は、その目的を見失ってしまったのだ。この先、抵抗を続けようとも、血が流れ続けるだけで、なにも掴み取ることはできないだろう。
この喪失は、彼らにとって致命的だった。そしてまた、ゼロ個人にとっても。
――――俺は……
彼女の為に振るうと決めたこの剣を、今後何の為に振るえば良いのだろうか。
敵を斬り続けた先に、何を掴めるのだろうか。
ぐるぐると虚しく考え続け、いつしか考える意味がわからなくなり、誰もが思考を止め、沈黙した。
「しっかりしましょう! 皆さん!」
突然、コルボーが声を張り上げる。
「ゼロさんも! 司令も、セルヴォ局長も! 立ち止まっている場合じゃないでしょう!」
ゼロのコートを掴みながら、各々の顔を見つめながら呼びかける。
「しかし……シエルは……」と呟き、セルヴォは再び項垂れる。それに対し、コルボーは吠えるように切り返す。
「シエルさんは死んだワケじゃない! “賢将ハルピュイアが本国に連れ去った”――――それだけですよ!」
「『それだけ』……ってお前…」
思わず口を開き唖然とする面々に、コルボーは言葉を続ける。
「奪い返すんです! 俺達の手で! シエルさんが連れ去られたなら、もう一度こちらへ奪い返すんですよ!」
「その通りだぜ、コルボー!」とヘルマンが乗り出す。
「“英雄”さんも、司令も技術局長さんも、ヘタれた顔晒してる場合じゃねえだろう! コルボーの言うとおり、俺達でネオ・アルカディアからあの“姫さま”をもう一度連れ出すんだよ」
「でも、どうするんだ!?」
団員の一人が声を上げる。すると、同じように問いかける声が方々から上がり始める。
確かに、一言で「奪い返す」と言っても、あのネオ・アルカディア本国からどうやってそれを実行しようというのか。具体的な策が浮かばなければどうにもできない。これには流石のヘルマンも口篭る。
そこに「待ってください」と割り込む声が聞こえてくる。皆振り返ると、電子ボードを手にしたルージュがそこにいた。
「これより三週間後、ネオ・アルカディアの建国百二十五周年記念式典が開かれます」
そう言ってルージュは電子ボードをエルピスに手渡す。そこには式典開式までの準備日程が記されていた。
「それに合わせ、現在ネオ・アルカディア本国ではアースガルズ、ミズガルズ間での人の移動が激しくなっています」
式典の準備などに動員する作業者をレプリロイドのみならず、ミズガルズの人間からも雇い入れているためだ。
ミズガルズの市民は国からの最低限の生活保障を約束されている代わりに、国の公共事業に対して積極的な関わりを持つよう促されている。無論、義務というほど縛りが強いわけではないが、それでも普段から職を求めている者は大勢おり、人手は十分に確保できた。
「……紛れるならば、今のうち……か」
そう口にしたゼロに、ルージュはコクリと頷く。
「まだシミュレートしていませんが、私とジョーヌで考えだした作戦案があります」
「こちらです、司令」
横からジョーヌが現れ、エルピスに電子ボードを手渡し、説明する。
「偽造IDと人機判別撹乱スーツを利用し、数人の団員に本国へ潜入してもらいます。式典当日では警備が一層強化されるでしょうから、侵入するならば今のうちかと」
「とは言え、どうやってユグドラシルまでの道を?」
ミズガルズ、そしてアースガルズへの侵入が叶ったとしても、救世主エックスの膝下であり、国家の重鎮が集った首都メガロポリス――――その中心区域である聖域「ユグドラシル」への侵入は容易でないはずだ。
そもそも、シエルがこの先どのように扱われるかも分かったものではない。捕虜とされるのか、はたまた再びエックスの傍に置かれるのか。そう言った状況によっても、作戦の難易度は上下するだろう。
「ある意味賭けになるかも知れませんが……とある組織に協力を仰ぎます」
「“とある組織”?」
ジョーヌの言葉に皆、首を傾げる。「ええ」と頷き、今度はルージュが口を開く。
「今も尚、国内でのテロ活動を行っていながら、未だにその正体が掴まれていない最強のレジスタンス組織……彼らならば、この危機を乗り越えるだけの力を持っているでしょう」
その回りくどい言い回しに、エルピスは暫く首を傾げると、「まさか」と驚きの声を上げる。同時に、セルヴォやゼロにも彼女たちの考えが分かった。
丁度七年ほど前に発足したその組織は、ルージュの言葉通り、複数の下部組織を通して一貫した国内でのテロ活動に取り組みながら、隠密行動に優れた斬影軍団ですら出し抜いていると噂されている程の力を持っていた。
シエルの思想と反目する関係にあったため、これまで直接の協力関係を築くことはなかったが、この事態をどうにかするためには、死に体である今の白の団にとって彼らの協力は不可欠だろう。
全て飲み込んだ上で、ゼロは徐に口を開き、その名を呟く。
「……黒狼軍……か」
今尚正体が明かされていない首領エボニー・ベルサルク率いる最強のレジスタンス組織。
このあと間もなく、ネオ・アルカディア潜入、そしてシエル奪還の為に、彼らへ協力要請することをエルピスは決定した。
―――― 2 ――――
天候操作、調整を司る気象コントロールシステム。その働きによりアースガルズのみならず、ミズガルズまでを含めたネオ・アルカディア全体がいよいよ冬季へと差し掛かり始めていた。
ハルピュイアは自身の屋敷に到着すると直ぐに、冷え込む空気に震えているシエルの身体を気遣い、彼女の身体に見合った丈のコートをリディアに持って来させた。
リディアはコートを両手で掴み、シエルの肩に優しく羽織らせる。
「……わざわざありがとう」
「いえいえ、お気になさらず。――――ハル様、おかえりなさいませ」
微笑みながらそう言ってリディアは丁寧に頭を下げる。そして、両手を前に差し出す。そこにはハルピュイアの愛刀ソニックブレードが握られていた。
ゼロとの戦闘の途上、ヘルログマーの甲板に落としたままになっていたのを回収してくれていたらしい。
ハルピュイアはそれを受け取って懐のラックに仕舞い、「ご苦労だった」と労いの言葉を掛けた。
「さて、のんびりはしていられない。リディア、僕はこれから直ぐに聖殿へと向かう。留守は任せた」
「了解です。……お気をつけて」
リディアが一瞬、不安そうな表情をしたことに、シエルは気付いた。
白の団の本拠地包囲戦から一日程度経過していたのだ。ゼロとの戦いの後から、連絡もろくにとれていなかったハルピュイアの身が心配でならなかっただろう。だが、彼女はその感情をできる限り抑え込み、主を笑顔でしっかりと送り出そうとしている。
シエルは感心するとともに、その強さを少しだけ羨ましく思った。
「どうかしましたか、Dr. シエル?」
「……なんでもないわ。行きましょう、ハルピュイア」
そう言って促すと、歩き出したハルピュイアの横に並び、共に中心部にある聖殿へと向けて歩き出した。
ネオ・アルカディアの首都メガロポリス。その中心区域ユグドラシルの、更に中央に聳え建つのが、救世主エックスが根城としている“聖殿”である。その膝下には元老院議会が開催される議事堂が見える。
それら中枢施設の周囲を囲むのは、聖騎士団兵舎と本部、戦略研究所及び関係諸施設、諸政府機関本部、元老院議長八人の本邸、四天王それぞれの屋敷である。
だが四天王の屋敷とはいえ、前線で働き詰めの彼らにとっては飾りのようなもので、謹慎処分など一時的かつ特殊な事情がない限りはほとんど使用されていない。レヴィアタンだけは、戦略研究所との遣り取りをする上で使用する機会が比較的多いのだが。
ユグドラシル内の移動については、徒歩を好む者もいれば、車両を利用するものも、移動用のメカニロイドを使用する者もいるという具合で、比較的自由ではある。だが、あまりに大型なものに関しては、国内が有事の時以外は“景観を損なう”という理由で制限をかけられていた。
「この分だと、数日中に雪が降りそうですね」
石畳の上でコツコツと足音を鳴らしながら、ハルピュイアは頭上の冬空を見上げ、そう口にする。
「そうね。……懐かしいな」
シエルは歩きながら辺りを見回し、思わず苦笑する。
ついニ年ほど前にはシエルもこのユグドラシルで生活をしていた。“おじいさま”の養子として育てられ、救世主エックス付きの技師となり、それから国を抜け出すまで。生まれてからの十二年間はこの高貴な空間で大切に育てられてきた。
優しい春も、豊かな夏も、寂しげな秋も、そしてこれから来る、美しい冬も。当たり前のように過ごしてきた。
無論、同い年の友達ができることなどなかったが、エックスとの他愛無い時間だけで十分に心が満たされていた。
――――いつからだったろう
彼の傍にいることが、恐ろしく感じられるようになったのは。
誰よりもよく知っていたつもりが、彼の心の中を、少しも理解できていないような気がして。
どれだけ笑顔を交わそうと、どれだけ言葉を交わそうと、何もかもが虚構のように感じられて。
ついには隣にいることすらできなくなった。
――――そして、私は……
聖殿に辿り着くと、ハルピュイアのDNAデータを用いて正面玄関をくぐり、白の大理石で作られた建物内へと足を踏み入れる。そこから長い廊下を直進し、正面突き当たりにあるエレベーターに乗り込んだ。九階のスイッチを押し、二四桁のパスワードを入力すると、エレベーターは上へと登りはじめる。
緊張に固くなっていくハルピュイアの肩を、シエルが優しく撫でる。勿論、シエルの手もどこかぎこちなかったのだが、それでもそうしてハルピュイアを励ますことで、自分の気を支えていたのだろう。
やがて到着を告げるブザーが鳴り響く。エレベーターを降りた目の前には、豪勢に飾り付けられた扉が前を塞ぎ、その両サイドには二体の女性レプリロイドが白い礼服を纏って立っていた。
「賢将ハルピュイアだ。エックス様にお話がある。直ぐに繋いでくれ。――――Dr. シエルが共に来たことも漏らさずな」
「かしこまりました」
右側のレプリロイドが機械的に答えると、左側のレプリロイドが瞼を閉じる。それから数分ほど待つと、再び瞼を開き、それに合わせて右側のレプリロイドが口を開く。
「エックス様がいらっしゃいました。どうぞ、お入りください」
機械的な冷たい声の響きとともに、目前の扉が両側に開く。ハルピュイアとシエルは並んで謁見室に足を踏み入れた。同時に、少女の心中に懐かしい感慨が溢れかえってくる。
重厚な黒の大理石で作られた室内。部屋の両サイドに並ぶ縦長の窓から差し込む陽光と、天井の中央に備えられたシャンデリアが室内を優しく照らす。
中央を通る赤いロングカーペット。その先にある金色の玉座には、漆黒の部屋にも映える純白のマントを纏った救世主の姿があった。
ハルピュイアは前へと進み出ると、片膝を地に着いて、深く頭を下げる。
「エックス様。賢将ハルピュイア、只今ネオ・アルカディアに帰還致しました」
そう告げるハルピュイアに、救世主――――ロックマンエックスは玉座から立ち上がり、微笑みかける。
「おかえり、ハルピュイア。よく戻ってきてくれたね」
涼やかな声でそう言うと、ハルピュイアの元へと近付く。そして、ふと視線を横に向け、シエルのことを見つめた。
「そして……おかえり、Dr. シエル」
「……お久しぶりです、エックス様」
そう言ってシエルもまたその場に座ろうとしたが、それをエックスは「気にしなくて良い」と片手で制した。
それから再びハルピュイアの方へと顔を向ける。ハルピュイアは緊張に固くなりながら、自身の目的を果たすべく口を開く。
「エックス様。誠に恐縮ではありますが、今日はお伝えしたいことがあって、この場に――――」
そんなハルピュイアの言葉を遮るようにして、それでも尚涼やかな声でエックスは言い放った。
「彼女を連れてきてくれてありがとう、ハルピュイア。後は大丈夫。もう下がっていいよ」
一瞬の硬直の後、「お待ちください!」とハルピュイアは思わず声を張り上げる。ここで引き下がる訳にはいかない。
彼はこの戦いの意味を、今後の在るべき理想の形を、救世主に問いかけに来たのだ。なにも言葉を交わさぬ内に引き下がるなど出来るわけがない。
しかしそんなハルピュイアをよそに、エックスは後方で待機していた男に声をかける。
「ファントム、ハルピュイアを連れて外に出ていてくれ」
名を呼ばれ、どこからともなく現れた隠将ファントムは「御意」と短く答えて、ハルピュイアの傍へと近寄る。
「エックス様! この男は――――!」
「分かっているよ」
またもハルピュイアの言葉を最後まで聞くこと無く、遮る。
『分かっているよ』――――その言葉の意味を飲み込み、唖然とするハルピュイアとは対照的に、発したエックスの表情は微笑んだまま少しも崩れなかった。
「彼と君とのことも……そして――――ゼロのことも。全て分かっている。その上で、退がるように言っているんだ。分かるね?」
急激に喉の奥が詰まるのを感じた。
エックスは言葉通り、怒りも憤りもしていなかった。しかし、ハルピュイアはその言葉に逆らえなかった。それ以上、何を言葉にすればよいか分からなくなってしまったのだ。
まるで操り人形のように、ゆっくりと立ち上がる。そして、ふと自分を見つめるシエルの視線に気付いた。
――――そう……か
彼女の視線は、微塵の動揺も見えなかった。それどころか「大丈夫」とこちらを慰めているようにすら見えた。
きっとシエルはこのような状況になることを予期していたのだ。ミュートスレプリロイド達が己の主たる四天王に逆らえぬように、四天王ハルピュイアが救世主エックスの言葉には決して逆らえないのだと、分かっていたのだ。しかし、その上で彼女はここまで赴いたのだ。
それに気づいた時、ハルピュイアはようやくシエルの真意を理解した。
この幼い少女は、元からたった一人で決着をつけようと覚悟していたのだ。
これ以上仲間達から犠牲を出さぬよう、尚且つハルピュイアの地位や立場も守れるよう、あのような芝居を打ってまで。
不安に駆られているであろう己の胸中をひた隠しながら、それでも強かにこの場に立っているのだ。
ハルピュイアは悔しげに奥歯を噛み締め、彼女に軽く頭を下げ、背を向けた。そして、漆黒の男に導かれるまま、虚しくもその場から去って行った。
やがて扉は、室内に二人だけを残し、再び固く閉ざされた。
―――― * * * ――――
「もう……問わんのか?」
共に聖殿の一階へ降りると、ファントムが徐ろに問いかけてきた。
無論、彼が言っているのは先日の件だろう。
何故、同胞であるはずのハルピュイアに刃を向けたのか。その答えに、ハルピュイア自身は辿り着いたのだろうか。
その場で静かに足を止め、ハルピュイアは切り返す。
「今度は、教えてくれるのか?」
もう一度問いなおしたところで、彼はその答えを教えてくれるというのか。それはおそらく違うはずだ。そのまま押し黙るファントムの様子が如実に物語っている。
「……なら、これ以上の問答に意味は無いはずだ」
どうせ答えの出ない問いならば、投げかけたところで意味が無いだろう。そう割り切ることに決めた。
「また斬りに来るならば、それもいい。その時は全力で向かい撃つまでだ」
そう言ってファントムに背を向けたまま、ハルピュイアは歩き出す。
シエルとエックスの遣り取りが、どの方向へ向かうのかは分からない。だが、立ち入れない今は、再び賢将としての任に向かうだけだ。
「……何の為に戦う?」
ふと、問いかける声が響き、再びハルピュイアは己の足を止めた。
ファントムはもう一度だけ「御主は、何を信じる?」と問いを口にする。
砕かれた筈だ。紅いイレギュラーによって。言い訳のように掲げ続けた“正義”を。
しかし、また再びこのネオ・アルカディアに戻ってきた。盲目的に信じ続けた救世主と正面から向き合う為に。
けれど、それは敵わなかった。救世主の言葉の前に――――いや、存在の前に屈して、結局はこうして引き下がることしかできなかった。
そんな彼が、これからいったい何の為に戦い、何に向けて歩き続けるのか。何を信じて、何と戦うのか。
宿敵に砕かれて尚、同胞に刃を向けられて尚、主に言いくるめられて尚――――どのようにして生き続けるというのか。
沈黙の後、ハルピュイアは凛とした声で言い放つ。
「分からない。――――結局、僕には……分からないことだらけだ」
直面して、ようやく気付いた。しかし、それは最初からそうだったのかもしれない。
生まれてからたったの十年間。救世主の守護者としての使命を、そのプログラムを受け入れるために、芽生えた疑問から目を逸らし続け、戦い続けて十年間。
本当に知るべきものは何一つ知ることはできなかったのだ。だからこそ、今、道に迷っている。過ちと己の内に築きあげた虚構に気付いたがために。
だが、それが正常なのだろう――――と、割り切ることにした。そんな短い人生の中で、全てを知ること自体、無理な話なのだ。
「だから今は、僕は自分の役目を全うし続ける。今度はちゃんと迷い、疑いながら――――」
躓き、転び、倒されながらも、這いつくばってでも前に進み続けよう。泥臭く、無様な醜態を晒そうとも構わない。
それでも、何一つ疑うことなく生きて、ただ他者を傷つけるだけの今までよりは、幾らかマシなはずだ。
「そしていつか、あの場所に立って、今度は怯めども引き下がること無く、問いかけてみせる」
自身が胸に抱いた疑問をぶつけよう。その答えを得るために。
今はまだ、それだけの心が出来上がっていなかっただけだ。
「だから今は、ネオ・アルカディアの“賢将ハルピュイア”として――――人間を護り続けるだけだ」
押し寄せる現実の波に揉まれながら。吹き荒ぶ風に刺されながら。
“正義”という名の“盾”を放り捨てたままの、裸の自分で。
「……その心、信じよう」
一言だけ呟くように言うと、ファントムは煙のように消えた。
その言葉の意味を汲み取れず首を傾げるハルピュイア。しかし、それから間もなく納得したように頷くと、その場から一人歩き出した。
―――― 3 ――――
不気味に思えるほど、静かな時間が一週間程度過ぎ去った。予想していたネオ・アルカディアの襲撃も無ければ、シエルが帰還することも、ましてこの戦争が終息するような奇跡も起こること無く。まるで何事もなかったかのような時間が過ぎていったのだ。
だが、団員達の心中は決して穏やかではない。ネオ・アルカディアの襲撃が来ないことにある程度の安堵は感じる一方、この不自然な平穏には悪寒を感じてならない。そしてまた、シエルの不在も彼らの複雑な胸中に、暗い影を大きく落としていた。
「……ヘルヘイム…第十三階層に……?」
信じられないという面持ちで、エルピスはジョーヌに問い返す。
「ええ……先日黒狼軍が掴んだ情報によれば……」
ジョーヌ自身も、自分が口にしている情報が信じられないらしく、黒狼軍から受け取った情報に何度も視線を往復させている。
「あり得ない」と思わずエルピスは口を塞ぐ。
ヘルヘイムといえばユグドラシルの地底深くに設置された特殊監獄であり、イレギュラー処分相当の重罪人が特別な事情により留置される収監施設の筈だ。ゼロと私闘に興じたファーブニルもついこの間まで第九階層にて拘束されていたが、それ以上に信じがたい事態だ。
なにせ、どれだけの極悪人であろうと、人間の収容はこれまでのネオ・アルカディアの歴史において、あり得なかったことなのだ。
例えレプリロイドのレジスタンスを組織していたとはいえ、元は救世主付きの技師であり、ネオ・アルカディアの技術の粋を集めて生み出した彼女を、他でもないヘルヘイムの、最深部に送るとは。エルピスだけでなく、ネオ・アルカディアの体制を理解している者達にとってはどう足掻いても信じられない事実だった。
だが、これから共同戦線を張ろうという黒狼軍がこちらを欺く理由も見つからない上に、どれだけ手を回そうとそれ以外に情報が掴めない以上、信じるほかあるまい。
「入手した情報を元に作戦計画をまとめました。黒狼軍側の準備も考えて……三日後には潜入、五日後にはメガロポリス内の協力者の元へたどり着けるかと」
そう言ってルージュが電子ボードを手渡す。
「問題はミズガルズ、アースガルズ間の移動です。これについてだけは、作業員に偽装する必要があります」
「“ホーム”からの移動はミズガルズまでに留めたいですからね。仕方ありません」
バイルの別邸である“ホーム”の空間転移装置を利用すれば、アースガルズどころかユグドラシルまで直行する事も可能なはずだ。しかし、あまりに深部までリンクしてしまえば、敵方の警戒網に引っかかる可能性が高くなる。
ミズガルズからアースガルズへの侵入と、アースガルズ直リンクとの危険度を天秤にかけたところ、前者のほうが比較的安全に通せると判断したのだ。
無論、ゼロや共に潜入する団員のためだけではない。“ホーム”に住むアンドリュー達のことも考えてのことだ。彼らの生活を危険に晒すことは、黒狼軍と結ぶ以上にシエルの本意に反すると分かっていた。
それからオペレーターの指示により、ゼロを含めた作戦参加者五名が格納庫に集められた。既に整備班によって用意された二台の小型トラックには現場作業員に偽装するための荷物が積載されている。
五人は人機判別撹乱スーツを纏い、その上にネオ・アルカディアにあるどこぞの建設会社の格好に模した作業服を着用した。
「ゼロさん、そしてコルボー、ヘルマン、ティナ、ジョナスの五名には、これから一度十三番ゲートを介して“ホーム”へと向かってもらいます。到着後はこちらからの指示があるまで待機してください」
ルージュの軽い説明の後、セルヴォが前に進み出る。
「その人機判別撹乱スーツは今回の作戦のために急ぎで性能を高めた改良型だから、この五着しかない。扱いには十分注意してくれよ」
「ありがとよ、おっさん」
労いの言葉を、ゼロはわざと軽い調子で口にした。
この一週間ほど、セルヴォがろくな休息をとれていないことは知っていた。レプリロイドとはいえ、その疲労は明らかに表情に表れていた。
「ゼロ、それにみんな。すまない。……シエルのことを頼むよ」
まるで親のような心地で見守ってきた少女が、敵の元へ連れ去られたのだ。その胸中は察するに難くない。とは言え、この潜入作戦にセルヴォは不適として外された。技術局長としての任務と責任がある限り、それに従わないわけには行かなかった。
そんな事実を知っているからこそ、その言葉は五人の心に重く響いた。
「力の限りを尽くします。……絶対に、無事にシエルさんを連れ帰ってきますから」
コルボーは揺るぎない瞳でそう言い放った。横のヘルマンとティナも、力強く頷いた。
この場に集められたゼロ以外の四人は、ゼロとの関係と、これまでの任務に対する生存率と戦果から選抜された、言わば精鋭だ。
彼ら以外に、この作戦は考えられないと、エルピスも太鼓判を押した。
「ジョナス……すまんな。装備の点検に整備班の者が必要だったんじゃ」
「大丈夫だよ、班長。俺としては選抜してもらえて光栄ってもんさ」
申し訳なさ気なドワに、ジョナスは胸を張って答えた。
「基地の方は我々に任せてください。――――しかし、万が一の時は……ゼロさん。あなたの判断に任せます」
エルピスは真剣な表情でゼロを見つめる。
“万が一の時”――――即ち、この拠点が遂に陥落した時のことだ。無事にシエルを奪還できたとしてもその先に帰る場所が無くなる可能性がないとは全く言えない。
ネオ・アルカディアの掃討部隊がいつここへ攻めてくるかもわからないのだ。
もしもそうなったら、エルピスからの指示は仰げなくなる。だからゼロの判断に任せるしかない。当然のことだ。しかし、それをあえて口にしたのは、エルピスなりの信頼の証なのだろう。
「ああ、任せてくれ。エルピス」
そう答えながら出逢ったばかりの頃を思い出す。
その時はまだ、ゼロの目からは、幻想の中に立っているだけの盲目な理想家にしか見えなかった。
しかしここまで幾度もの険しい道を潜り抜け、特にここ数日の悲惨な戦場を生き抜き、それでも尚、毅然とした態度を見せ続ける彼に対し、ゼロは指揮官として強い信頼を置ける相手だと認めていた。
それは、ここまで何度も死地を救ってくれた英雄に対するエルピスの敬意も同様だった。
「あれ~?」
ふと間抜けのような声をジョーヌが上げる。
その場の空気を乱すような彼女の声に、ルージュがピクリと反応した。
「こんな時に……どうかしたの?」
「いや……ね。……う~ん、確かにいたと思ったんだけど……」
「なにが?」
どうも要領を得ないジョーヌの答えに、ルージュは呆れたように問い返す。
だが、少しだけ考えるようにした後、ジョーヌは「うん、なんでもない」と答えた。
「きっと私の気のせいね」
「ちょっと……一人で勝手に納得しないでよ」
そう言ってルージュがため息をつくと、ジョーヌは「ごめんごめん」と平謝りを返した。
それからコルボー達はトラックに乗り込み各部のチェックをする。外見は普通のトラックだが、無論、ジャミング機器や光学迷彩等の潜入用装備が搭載されている。
片側のトラックの二台に乗り込もうとしたゼロに、セルヴォが声をかける。
「少し……気になることがあるんだ」
「気になること?」
「ああ」と声を出してから、セルヴォはどこか躊躇いがちに口ごもる。
「どうした?」
「いや……正直、私も信じ難いのだが……」
それからエルピス達の視線が向けられていないことを確認すると、コソッと小声で耳打ちした。
「シエルは自分の意志でネオ・アルカディアに行ったのかもしれない」
「……ッ!?」
ゼロは驚きを隠せず、目を見開く。
セルヴォの話によれば、そもそも彼が席を外したのは、「整備班が緊急の要件でセルヴォを呼んでいる」と、シエルから聞いたためだった。しかし実際には、整備班からの呼び出しなどは一切なく、それを不思議に思っていた所で騒動が起こってしまった。
そして更に、去り際にシエルの口元が僅かに動いていたのをセルヴォは目にしていた。
『ごめんなさい』
「エルピスもその場にいた筈だが、言動から察するに彼は気づいていないらしく……もしかしたら私の見間違いかもしれない。しかし……」
何度も自分のデータを疑ったが、ついぞ振り切ることができなかった。
そんなセルヴォに、ゼロは何を思ったのか、不意に微笑みかける。
「……いや、それを聞いて合点がいったよ」
納得の表情をするゼロに対し、セルヴォは思わず首を傾げる。
「俺はあのハルピュイアが小娘を無理やり連れ去ったって方が信じられない。……が、もしあんたの見たものが事実なら、辻褄が合う」
確かに、ゼロの言葉にはセルヴォも納得できる部分がある。
直前まで戦意を失っていた、それどころか好意的でさえあったハルピュイアの態度が、突如として豹変したことについて、セルヴォも引っかかっていたのだ。
だが、それでも容易に断定はできない。
「……だとしても、いったいどうして自分から……なんて」
「そいつはこれから確かめるよ」
そう言ってゼロは、移動中の襲撃に備えて片側のトラックの荷台に入り込む。
荷台を覆うシートを手で抑えて顔を出しながら、不敵に笑い、もう一言付け加えた。
「――――本人の口から…な」
しばらくして二台のトラックは出発した。
光学迷彩を起動させた車体とシートは途端に姿を隠し、ジャミング機器が正常作動することで、白の団のレーダーでも補足はできなくなった。
あとは、“ホーム”に到着してからの連絡がくるまで、無事を祈るだけだ。
「ご武運を」と、エルピスは胸に手を当て、小さく呟く。
そして、同時に少女の無事を強く願った。
―――― 4 ――――
旧暦十二月二十五日――――かつて世界中に広まっていた、とある宗教の教義によればその日は丁度、“救世主”降誕の日に当たる。
旧世紀の人々は、その前夜を聖夜と呼び、当日まで含めて特別な意味のある日として親しんでいた。だが、暦も全てリセットして数え直したネオ・アルカディア歴では、壮絶なイレギュラー戦争の影響もあり、その風習はすっかり遠い過去のものとなっていた。
しかし、ネオ・アルカディア歴を正式に制定した、今で言うところのネオ・アルカディア歴二十六年。とある学者の調査により、その日がネオ・アルカディアにとっても重大な日であることが判明した。
イレギュラー戦争の第三次局面において、瀕死の状態で敵に囚われた二人の英雄は、全世界ネット中継のもと、今にも処刑されようとしていた。
しかし、彼らが救ってきた多くの仲間達の尽力により、その想いの結集により、英雄の一人――――蒼の救世主ロックマンエックスは敵の拘束を破り、見事に復活してみせたのだ。
――――そう、奇しくもその日は十二月二十五日だったのである。
新世紀の救世主が復活を遂げた特別な日。それを見過ごしてしまうのは如何なものかと、当時の元老院達は議論を重ねた。
結果、生まれたのが、かつての十二月二十五日を一月一日とし、イレギュラー戦争の終結宣言を告げた年を元年としたネオ・アルカディア歴なのである。
「そういえばな。なんでも旧暦の十二月二十五日じゃあ、赤い服を着た恰幅のいいオヤジが、好き勝手に民家へ忍びこんでは、靴下に異物を突っ込んでいくとかいう悍ましい伝説があったそうだぞ」
物知り顔で「ガハハ」と笑いながら、大柄な筋肉質の男が嬉しそうに話す。
「くだらない」とめんどくさそうに切り返すのは切れ長の目が知的さを醸す、細身の男だった。
「こんな席で何を言い出すかと思えば」
「どうせ“赤い服”に惹かれたんでしょ。“赤鬼”だけに」
橙色の髪をした活発そうな女性が呆れ顔で返す。「バレたか」と“赤鬼”はまたも笑う。
三人のやりとりをテーブルに付いている他の十六人が寒い目で睨む。部屋の前方でモニターの前に立つ一人の男がわざとらしい咳払いを一つしてみせる。
「ええ……いいですか、皆さん。静粛に話を聞いてください」
大柄な男が「おお、スマンスマン」と悪気の無さそうな声で元気良く答える。
女性の方は「あいよ」と軽く答えるだけだったが、細身の男に関しては返事の一つもしなかった。
クセのある連中ばかりであると分かってはいたが、この場だけとはいえ、その統制を取らなければならないというのは、なかなか骨の折れる仕事だった。
――――この時ばかりは、隊長に帰ってきて欲しいと思ってしまう……ついつい
「はあ」と周囲にバレない程度に小さな溜息を吐き、司会進行役を務めている男性レプリロイド――――第一部隊長代理ディックが、中断していた話を続ける。
「はい、えー……画面に注目してください。こちらは、先程騒がれていた旧暦十二月二十五日までの五日間――――つまりは我々ネオ・アルカディアの記念すべき百二十五周年記念パレード開催期間における人員配置についてです」
イレギュラーハンター全隊合同会議――――百二十五周年記念式典の警備に向けた細かい打ち合わせと調整、また全隊の意思統一をする為に、週ごとにこうして隊長たちが集められ一時間程度の会議を行なっている。
無論、作戦情報はデータとして皆保持しているのだが、それらを視覚的に共有し、作戦をより良い方向へと持っていくための意見交換会としての一面も持ち合わせていた。
とは言え、その必要性を疑問視している者も少なく無く、会議の指揮はそれほど高いとはいえなかった。
「記念パレードの進路ですが、既に情報が入っている通り、ここ数年のテロ頻発エリアを考慮し前回からの変更があります。それに伴い、各隊の配置についても変更があり……」
「その程度、問題はなかろう。わざわざ確認をとることか」
“赤鬼”――――第四部隊隊長グラーツはふんぞり返るようにして話の腰を平気で折る。
ディックは一瞬眉間にシワを寄せた後、「この変更について意見のある方は」と投げかける。するとすかさず、会議参加者唯一の女性レプリロイド――――第十三部隊隊長カルメアが手を上げる。
「異議あーり。その配置だと、ウチの隊はパレード楽しめないじゃん」
誰もが思わず眉をひそめ、彼女を僅かに睨みつける。だが、カルメアは微塵も気にかける様子を見せない。
そんなフザケたような異議申立てに対し、ディックがうんざりするより早く、どこかから「黙れ」と切り返す声が聞こえる。
まるで予期していたかのように、カルメアはその声の主を直ぐ様見つけ、睨みつける。声の主――――第十二部隊隊長を務める少年型レプリロイド、ヨイトナはその視線を無視して、話を続けるよう、ディックに促した。
「……今なんつった、糞ガキ」
他の視線は歯牙にも掛けなかったカルメアだったが、ヨイトナに対する反応は大きく異なっていた。
威圧感むき出しのカルメアに対し、ヨイトナは平然と答える。
「『黙れ』と言った、“クソババア”」
互いの間に、見えない火花が飛び散る。
「……“お姉さま”と言い直せ、“オ・チ・ビ・ちゃん”」
「……刻むぞ、“乳無し”」
「 静 粛 に 」
グラーツの横に座っていた細身の男――――第六部隊隊長オーラスが、今にも殴り合おうかと立ち上がった二人にピシャリと言い放つ。
刺々しい彼の声にカルメアとヨイトナは互いに舌打ち、渋々席に着き直した。その様子を見て、ディックはホッと胸を撫で下ろす。
「ディック第一部隊長代理。彼女のくだらない異議申立ては無視してかまわん」
「“くだらない”とは何さ。この根暗野郎」
突っかかるカルメアをオーラスは無言で無視する。その様子に再び内心でヒヤヒヤしながら、ディックは「他に、異議のある方は」と問いなおした。
カルメアは「あーむかつくねえ」と軽く悪態吐くが、それ以上声を上げることはなかった。
それからいくつか軽い質疑応答を重ね、十数分の延長の後、会議は無事に終わりを迎えた。
「お疲れ様、ディック第一部隊長代理」
「……あ、マサカド第二部隊長代理。どうも、お疲れ様です」
データボードの最終チェックをし、部屋から退室しようとしていたディックに、第二部隊の隊長代理を務める男性レプリロイド、マサカドが声をかける。
二人共、十七部隊に選抜されたクラフト、ヒート・ゲンブレムという二人の隊長の代わりに、その空席に据えられているという点で境遇が似通っているため、自然と以前より親しくなっていた。
「いや、カルメア隊長達には困りましたよ。毎度のことではありますが」
溜息と共にそう漏らす。「全くだな」と苦笑とともにマサカドは返す。
カルメア、グラーツ、ヨイトナ……彼らに限らず、それぞれ濃いキャラを持った隊長達を会議中だけでもまとめなければならないというのは、なかなかのストレスだ。
会議の進行役がローテーション制であることは、非常に助かる。
「データルームに入力しに行くところだろう。手伝うよ」
「有難う御座います」
ガタイのいい体で爽やかに協力を申し出るマサカドの様子は、非常に頼もしく思える。
会議室を出て、廊下へと向かい並んで歩き出す。尚も軽い口論を続けながら前方を足早に歩くカルメアとヨイトナの姿が見えた。
「仲がいいんだか、悪いんだか」と、マサカドは呆れ顔で呟いた。
「隊長からの連絡はありましたか?」
不意にディックが問いかける。隊長とは無論、ゲンブレムのことだ。
首を横に振り、「いや」とマサカドは答える。
「紅いイレギュラーの本拠地を突き止めたという報告以後は、全く。こちらからも何度か、プライベート回線でも呼び出してはいるが、繋がらない」
本部のデータベースで生存反応の確認が取れているため、命に別条はないのだろうが、不安は尽きない。
「ウチも同様です。クラフト隊長が一度ネオ・アルカディアに帰投したという話を耳にしたのですが、実際には会えていませんし……」
「やはりか」とマサカドは唸る。
どうもここ最近の、十七部隊の動向がつかめない……というのは、他の部隊でも噂に出ている。
紅いイレギュラーを追撃中に、部隊の行動に関わる一大事が起きたのではないかという推測は尽きない。
どの部隊からも手塩にかけられた精鋭が集められた部隊の問題だ。カルメア達がやたらと気が立っている原因の一つでもあるだろう。
「まあ、そんな時こそ、俺達が国防に目を殊更強く向けるべきなんだがな」
万が一のことが十七部隊に起きたのであれば、イレギュラーの攻勢が激しくなることも予想できる。
国内が有事の際には、心して挑まなければならない。それこそ、外のことを気に留めている場合ではないのだ。
「こんな調子で大丈夫なんでしょうかね」
不安げにディックがぼやく。
これまで開いてきた数回のイレギュラーハンター全隊合同会議は、正直緊張感の欠片も感じられない。
それどころか、隊長代理という任に就いたおかげで、ほぼ初めて他の部隊長たちと意見をやり取りしたが、クラフトほどの正義感も、ゲンブレムほどの実直さも、誰からも感じ取れなかった。
「まあな。他の隊長たちは、俺たちの隊長を“お固い”と揶揄する程度には緩んでいるらしいからな」
またも苦笑とともに返し、「だがな」とマサカドは続ける。
「良くも悪くも、あれが“余裕の現れ”ってやつさ。みんな己の力に自信を持っているのさ。ある意味、あの二人にはもう少しあってもいいんじゃないかと思うよ」
「……俺は、“あの”隊長で十分です」
頭に浮かべたカルメアとグラーツの顔を消し去った後、ディックはしかめっ面で答えた。
しかし、その後で「とは言え」と付け加える。
「まあ、確かにあの人達の実力は知っていますよ。俺なんかじゃ及びもしません」
あのカルメアは二対のビームソードを手に、まるで踊るような軽やかさで戦うため“二刀舞踊”と、少年型であるヨイトナは身の丈を超える大型実体剣を軽々と扱う姿を“大剣童子”とそれぞれ称され、多くのイレギュラーから恐れられていた。
“赤鬼”と有名なグラーツは、肉弾戦においてはあのクラフトすら遥かに凌駕すると言われている。また、彼らに負けず劣らず、どこの隊長達も自身の得手を戦いに活かし、それ相応の実力を認められた猛者ばかりだ。
横にいるマサカドにすら戦闘力では劣るディックからすれば、ミュートスレプリロイドクラスと言われる純戦闘タイプの隊長達は天上の存在といってもいい。
「ですがね。それで本当に紅いイレギュラーやベルサルクに対抗できるのかは怪しいところだと思いませんか」
度重なる紅いイレギュラーによる被害を耳にする限り、正直クラフトでも手に負えるのか、ディックは常々不安に思っていた。それ故にボレアスの一件は、内心では“案の定”という言葉が直ぐに浮かんだ。
未だ本拠地が特定されないままでいる黒狼軍についても同様だ。どれだけ交戦を重ねようと、あの斬影軍団ですらその全貌を掴めないままでいるレジスタンス組織に、例えその実力が本物だとして、本当に自分たちイレギュラーハンターが対抗できるのか。
そのことに、自分だけ気づいていると言うはずがない。――――だというのに、この現状。ディックの不安と不信は募るばかりだ。
「お前の言いたいことはよく分かるよ」
自信過剰による怠慢――――ディックが危険に思っているのはそういうことだ。
国内では負けなしのイレギュラーハンターにとって、その意識はまるで当然のことのように根付いてしまっている節がある。
無論、彼らの実力が本物であるということも確かではあるが。
「けど、どれだけ不安に思った所で解決の道になりはしない。結局、俺達は俺達の、目の前の仕事を着実にこなす努力を続けるしか無いんだ」
辿り着いたデータルームで、ディックとともに椅子に腰掛けながら、マサカドは諭すように言う。
ディックはため息混じりに「はあ」と答え、自分の手に持っていたデータボード、一旦強く握りしめる。それから気持ちを入れ替えたように、テキパキとコンソールに有線で繋ぎ、データの記録作業を始めた。
マサカドの言う通りだというのは、声に出さずともわかっている。
それでもなんだかやりきれない気持ちになるのはきっと、前線で今も悩み苦しみながら戦っているであろうクラフトの姿を、嫌でも思い浮かべてしまうためだろう。
しかし、だからこそ――――だ。
クラフトが後ろを振り返る必要無く、ただ前を見てその力を振るう為にも、自分はその代理として今ここでの仕事を精一杯やるべきだ。
どれだけの不満や不安があろうとも、そんなものに項垂れている場合ではない。
疑念は絶えなかったが、それからディックとマサカドは項目の確認以外で、先ほどの会議について口にすることはなかった。
―――― 5 ――――
N.A.歴からすれば感覚的には“古代”と思えるほど古くに流行したメディア――――“ラジオ”が石造りの町並みに音の彩りを与える。
どのスピーカーからも一様に美しい女性の歌声が流れ、人々の心に優しく活力を注いでくれる。
彼女の声が妙に気になり出して、ゼロは荷台を引くジョナスに、声の主は誰かと問いかけた。
「ああ、“虹の歌姫”ですね。先日就任したレオニード元老院議長の妹、イーリス様ですよ」
目覚めてからこの方、白の団のために戦い詰めだったゼロにとって、ネオ・アルカディアの世俗事情は遠い世界の話となっていた。
潜入作戦に赴くにあたって、だいたいの一般知識はデータとして受け取っていたが、作戦と無関係の彼女についての情報は無論、知らされていなかった。
「伝説の英雄さんも、歌姫の美声に聞き惚れたわけっすか」
皮肉っぽく笑って言うヘルマン。ティナが不機嫌そうにヘルマンを睨むのを、コルボーは目の端で捉えていた。
「実際、他のレジスタンス組織じゃ放送を傍受してまで聴こうとするファンも居るほどらしいですよ」
「国の敵味方問わず支持されているわけか。羨ましい限りだな」
時代はイレギュラー戦争を終結させた伝説の英雄などよりも、平和の象徴を地で行く彼女のような歌姫を必要としているらしい。
そう考えると、過去の功績に対して自嘲を漏らさずにいられなかった。
予定通りに“ホーム”へ到着すると、そこからなんの支障も起きることなく指示を受け、ミズガルズ八番区の一画にあった廃屋へと空間転移装置を介して移動した。
その場所から日雇い作業員の一団としてアースガルズへ向かった。自前の作業服や、機材が「アースガルズで倒産した建設会社の元従業員」という設定に信憑性を持たせる。
実際に倒産した建設会社の名前、そこに勤めていた従業員の情報を利用し、仕立てあげた偽装IDを疑う者はそういないだろう。
そして、ここからアースガルズへの侵入を成功させれば、あとは黒狼軍との連携次第となる。
正直、未だ全貌が掴めない組織を信用するというのは、些か難しい判断だったが、ゼロにとってもこれ以上手を拱いている精神的余裕はなかった。
「“鬼が出るか蛇が出るか”……ってな」
「名前通りの“狼”であることを望みますよ」とコルボーは苦笑した。
八番区からアールガルズとの連絡路を設けている六番区までの道を歩きながら、ゼロは辺りの様子を目に焼き付けていた。
こうした“街”らしい“街”を目にする事自体、久しぶりであるし、そもそも記憶を失った今となっては、例えデータで理解していようと初めてのような心地すらある。それはどうにも奇妙な感覚だった。
アースガルズほど裕福でなく、国税も払えない貧困層――――データで知っている限りの情報では、もっと見窄らしい生活を想像していた。
けれど、今彼の眼に映っているのは、紛れもなく幸福に微笑み合う人々の姿だった。
戦車や飛行機といった大型機械が主戦場を占めていた頃よりも昔、剣を手に馬を駆っていた将軍が鉄砲を持った兵隊を指揮していた時代まで、ここでの生活水準の基礎は退化していた。
世界の情報をいつでもその手にできたネット環境から完全に隔絶され。その眼を癒すのは信憑性の程も怪しい新聞雑誌と言った紙媒体のみ。その耳を楽しませるのはラジオのような音楽機器のみ。
一部の者が乗り回し街行く車も、燃料電池や太陽光発電装置の類どころか、ディーゼルも、ガソリンも使われず、それを引くのはレプリロイドだった。
利便性という言葉は遠い昔に追いやられながらも、人間同士の争いは見る影もなく、安穏とした時間が流れるこの空間は、成程、“人類の楽園”そのひとつの形なのかもしれない。
その平穏さは、正直、一瞬この場所が敵陣であることを忘れさせるほどだった。
しかし、それは勿論、人間としてこの場所に眼を向けた場合だけだった。視点を変えれば物事の見方はガラリと変わる。コインにあるのは表と裏だ。
そしてゼロはレプリロイドに視線を向ける。
笑顔の人々を乗せた車を引くレプリロイドの表情は、まるで枯れ木のように憔悴しきっていた。貧しい家に飼われている分、他に代役おらず、もう何日も一人で働き続けているのだろう。
右手の広場では奴隷市さながらの競売が行われていた。衣服を纏わされること無く並べられた数体のレプリロイドに対し、参加者たちが値段をつけ、買い取ろうと躍起になっていた。家政婦としてか子供の玩具としてか、はたまた慰み者の類としてか。
街を包む優しい歌声の向こう側で。人々の笑顔が溢れる街頭の反対側で。石造りの家屋の寝室で。どこかの廃屋で。たった今通り過ぎた路地裏で。
性欲の捌け口となった女性レプリロイドの嗚咽が響いている。暴力に打ちのめされ、生気を失った男性レプリロイドの虚ろな瞳が光を探している。
この街のどこかで、己の存在を自ら断ち切らざるを得ない程の絶望に突き落とされたレプリロイド達がいる。
そのことを、彼の横を共に歩いている四人は知っている。けれど、彼はそれを“知らない”。
知識として知り得ていたとしても、それを到底『知っている』などと胸張ることはできなかった。
実際にこの場所へ足を運び、賑やかな町並みに気持ちを揺さぶられ、隣を歩く仲間達の横顔に目を遣り、その事実を突き付けられ、彼は言いようのないもどかしさに襲われた。
「どうかしましたか」と問いかけるティナに、「なんでもないよ」と笑って返した。
それだけで精一杯だった。
数時間程歩き続けた後、アースガルズへの連絡路へと辿り着いた。
アースガルズ全体は一つの巨大な城郭都市となっており四方向に設置された連絡路を通らない限りミズガルズからの侵入は叶わない。勿論、そこには関所が設けられており、入国の際には住民票とIDのチェック、そして人機判別審査を受けなければならない。
他にアースガルズへと立ち入ろうとする人々が数十人ほど列を成しており、ゼロたちはその最後尾に並んだ。特に大きな行動をする必要もなく、おとなしくチェックを受ければ、入国はそれほど難しくない。しかし、チェックを受ける際の緊張感は銃口を額に突き付けられた時とそう変わらないだろう。なにせ、ここでミスを犯せば間違い無く作戦は失敗……それどころかゼロという英雄を失いかねないのだ。
「“レイ”、俺が先に受けるぜ。下がりな」
ヘルマンがゼロを偽名で呼び、前に進み出る。ゼロもまた「オーケーだ、“ロン”」と偽名を呼んで答えた。
ヘルマン、ティナ、ゼロの順に並び、歩き出す。その後ろにコルボーとジョナスが荷台を引いてついていく。
そしてとうとう回ってきた審査の順番。IDカードを係の男に差し出し、チェックをしてもらう。
審査係の男は、どうやら人間のようだった。しかし、その両端にはパンテオンが四機控えている。
人機判別用のゲートをヘルマンとティナが順にくぐり抜けるのを目で追いながら、三十代前半といった審査係の男が注意深くIDカードのコードから引き出した情報に目を通しているのを、緊張しながら見守った。
「“レイナルド”……アースガルズ第三エリア、ニューイグアス市出身…………現在はミズガルズ八番区に居住……と」
IDカードに提示されている顔写真と実物を見比べる。一瞬ジッと訝しむような視線でゼロを見つめていたが、しばらくして「どうぞ」と促した。
灰色の古びた作業着を着て、合成着色料で髪を黒く塗りつぶしたゼロの正体を、常人が見抜けるはずもなかった。それも、“紅いイレギュラー”など噂程度にしか聞いたことのない一般人ならば尚更だ。
そのまま人機判別用ゲートをくぐり抜ける。問題無しと判定された。
こうして楽に通れると、ネオ・アルカディアの警備の甘さを疑いたくなる。が、実際には現在彼らが着用している人機判別撹乱スーツの性能のおかげであることは忘れてはならない。
人間の出入りに対し寛容であることは、当たり前だった。要は、IDの審査などお飾りであり、ネオ・アルカディア側が真に信頼しているのは人機判別ゲートの方だった。
レプリロイドであると判定されれば、その後のチェックは尋常ではないほどの量だ。そして、その場に控えるパンテオンの姿を見れば、不法侵入とされたレプリロイドの末路など、容易に想像着く。
とりあえずは無事に入国できたと、ティナが「ホッ」と一息つく。それをゼロは笑って肩を叩き後方を示す。
コルボーとジョナスが入国出来て、初めて成功といえるのだ。安心するのはまだ早い。
そうして先に出た三人が見守る中、コルボーがゲートをくぐり抜ける。結果は勿論セーフ。問題なく通ることができた。
それから係の男にIDを返してもらったジョナスが、荷台を引いてゲートをくぐる。無論、警報などなるはずがない。これまでの四人が通れたのだから、同じ撹乱スーツを纏っているジョナスも通れるに決まっている。
だが突如として鳴り響いた耳障りな警報に、誰もが一瞬凍りついた。
「え……?」
ジョナスが言葉を失い、辺りを見回す。パンテオン達が銃口を向けていた。――――彼が引く荷台に対し。
「お……え………俺?」
異常に戸惑うジョナスに、係員とゼロたちが駆け寄る。
警報が鳴ったのはジョナスが通った時ではない。後ろに引いている荷台が通った瞬間だった。
他に二人ほど係員が駆けつけ、相談を始める。状況が理解できないゼロたちは、ただ言葉を失い、その場に呆然と立ち尽くすことしかできない。
やがてそのうちの一人が、パンテオンを押しのけ、荷台に手をかける。
「失礼。中身を拝見させてもらいます」
どうせカモフラージュ用の荷物しか入っていない。ゼロは「どうぞ」とあくまでも毅然と答えた。
被せられていたコートを取り払い、荷物を確認する。数本のシャベルや工具。それに、何の用途に使うかいまいち分からない大きめの煤に塗れた木箱が二つ。
「こちらは?」
「何か使えるかと思って、その辺に転がっていたものを」
ゼロはテキトーな言い訳を繕う。記憶が確かならば、底の方に自分の戦闘用コートを仕舞っていた。無論、工具をいくつかいれてカモフラージュしていたが。
係員はパンテオンたちに命じて箱を持ち上げさせた。予想外の重さに二人がかりで動かす。そして、その箱をゲートに通した。
耳障りな警報が鳴り響く。
係員達は不安げに見守るゼロたちの視線を背中に受けながら、木箱の封を解いて開いた。そして、皆一様に、言葉を失う。
「なんだ……このガキは」
係員が中に潜んでいた少年レプリロイドを引きずり出す。
「いってぇ! 離せ! 離せよ!」
少年は喚き散らすが、直ぐ様パンテオンのバスターを向けられ、口を噤んだ。しかし、それだけでは済まない。
もう片方の木箱を、もう一人の係員が乱暴に開く。そこからは一人の少女レプリロイドが姿を現した。
「メナート!? アルエット!?」
コルボーが思わず名前を叫び、すかさずその口をヘルマンが塞ぐ。
だが、時既に遅い。係員達の疑いの眼差しがゼロたちに向けられる。
「ご存知で?」
「ったく、勝手に入り込みやがって! すいませんね。職を失ってからこの方、“楽しみ”と言っちゃ“コイツら”くらいで」
睨むようにして問いかける係員に対し、ゼロは慌てて出来る限りの嘘を並べ立てる。出来る限りの下卑た表情で。想像できる限りの下衆を気取って。
「繋いどいたはずなんですけどね。何を考えてるんだか」
「なるほどねぇ。おたくも苦労してるようで」
「ええ。本当に」
そんな遣り取りの後、係員はしばらく考えこむ。
ゼロは相手が結論を付ける前にと、言葉を投げる。
「申し訳ありませんがね。どうか見逃しちゃくれませんか。さっきから言うように“楽しみ”が“コイツら”くらいで、いなくなられちゃ困るんですよ」
正直、賭けに等しい。“人間”に対する寛容性を考えれば、通すことは可能だろう。しかし、二人が“レプリロイド”であることは紛れもない事実であり、大きな問題だ。
どんな理由があったにせよ、二人は処分されてしまってもおかしくない。だが、それを見過ごすわけにも行かない。大切な仲間だ。
――――いざという時は……
ゼロが微かに身構えたのを察知し、コルボー達は息を飲む。
万が一、ここで戦闘状態となれば、計画は“おじゃん”になりかねない。しかし、二人を自業自得だと捨てられるほどの冷静さも持ち合わせていなかった彼らは、それを覚悟した。
しばらくの沈黙の後、係員は同僚となにやら短く相談を交わす。それから殊更下卑た笑みを浮かべながら、一つ提案を切り出した。
「そっちのガキはいいにしましょう。ですが、こちらはいけませんな」
そう言ってメナートだけを解放し、アルエットを引き寄せる。
ゼロは奥歯を噛み締め、「ちょっと待て」と声を上げる。
「どういうつもりだ」
「いやね。こちらとしちゃ、どういう理由であれ、不法侵入者を一人見逃すわけですよ。それなりの見返りを頂いても問題はないでしょう」
ここで断るのはおかしい。――――ゼロは瞬時にそう判断できた。
当然だ。ネオ・アルカディアの人間にとって、レプリロイドなど使い回しの道具も同然だ。お気に入りとはいえ、保身のためならば喜んで差し出すだろう。
「おたくも好きですね」とか、互いの性的嗜好を暗黙の内に了解し合い、何事もなかったかのように、平然と切り抜ける。「いなくなった彼女の分は、このあとの働きの報酬でどこかから取り寄せよう」とか、そんなことを軽く考えるだけで終わるのだ。
町並みの雰囲気に当てられたせいか、嫌悪感を抱きたくなるような下衆な思考を、ゼロは容易に想像することができた。そして、それこそがここでの“正しい”反応であることも、即座に理解できた。
だからこそ、言葉を失う。反応に遅れる。
「YES」とも「NO」とも言えずにその場に立ち尽くす。
「もういいですよ、行ってください」
係員が促す。だが、動けない。当たり前だ。アルエットをこんなところで犠牲にはできない。そうすれば、この先でやろうとしていることの意味が失われてしまう――――シエルを奪還するという作戦の意味が。
ならばやり合うか。できない。こんな場所で立ちまわれる自信はない。
いや、生き残ることは可能だろう。だが、その結果として、本来の目的からは遠く離れてしまう。
一緒に潜り込んできたメナートも、事の愚かさに、その結末に言葉を失ったまま、呆然としていた。
コルボーとヘルマンはいつでも戦いに反応できるよう軽く身構えている。戦場に慣れていないジョナスとティナは震えたまま立ちすくんでいる。
係員にその手を掴まれたままのアルエットは、無表情だった。恐怖も何も感じていないというような。考えないようにしているのかもしれないと思ったが、違う。彼女もまた覚悟しているのだ。この後、自分の身に降りかかるであろう仕打ちに対し。
その瞳は「先に行って」と促しているようにすら見えた。いや、きっとそうなのだろう。これは「自業自得だ」と理解し、諦めている。そういうことだ。
だからこそ、ゼロには赦せなかった。
「待て」
思わず声を上げる。状況には不相応なその台詞に、係員達は一瞬呆気にとられた。
「そいつも……返してくれ」
「はぁ?」
係員は素っ頓狂なことを宣う貧困層を嘲るような目で、ゼロを睨んだ。
だが、ゼロは強気な眼差しで睨み返す。先程までと打って変わった迫力に、彼らは僅かに後ずさる。
「そいつは俺のお気に入りなのさ。勝手な扱いをしないでくれ」
「なにを……この……」
小型の無線機に手をかける。
どうやら、無理矢理にでもここを通ろうとすれば、上に連絡をするつもりらしい。騒ぎが拡大しても、同じように計画は潰れてしまう。
――――仕方ないか……
そうなれば、残される道は一つだ。
ゼロはあからさまに身構える。人間相手にどう対応すべきか戸惑っていたパンテオン達も、その立ち居振る舞いに対し、反射的に戦闘態勢に入った。
「くるか」とコルボー達も構える。正に一触即発――――
「なにをしているの?」
アースガルズ側から涼やかな女性の声が凛と響く。
係員達はつられてそちらに目を向ける。そこにはベージュのダッフルコートを纏った文字通りの“美女”が立っていた。
「誰だ、あんた」と問いかける係員たちに、彼女はブラウンのロングブーツで地面をコツコツ鳴らしながら足早に近寄り、懐からIDカードを提示してみせた。
何度か断ろうとするが、無言でつき出す彼女に根負けして、係員は面倒臭げにカードのコードを読み取り、身分を確認する。その瞬間、係員達は言葉を失い、唖然としながら口と目を開いて彼女を見つめる。
それから直ぐ様襟を正し、「失礼致しました」と敬礼の構えをとった。
「で。揉めていたようだけど……」
「はッ。そちらの方々の荷物にレプリロイドが紛れておりまして……」
「――――彼らは私のゲストよ。通しなさい」
「……は?」
またもや唖然とする係員に、彼女は再び「通しなさい」と語気を強めて言いつけた。
ようやく理解できた彼らは「はい、ただ今」と慌てて答え、アルエットを解放した。
自由になったアルエットはそのままゼロの身体に飛びつく。怖かったのだろうが、真っ先に「ごめんなさい」と小声で謝った。そのことについては後でよく話す必要があると思い、ゼロは何も言わず、ただアルエットの頭を優しく撫でた。
「あの人って……まさか……」
ティナが軽く耳打ちする。
彼女の足りない言葉を理解し、ゼロは「ああ、間違いない」と答えた。
現れた美女のことを、彼はよく知っていた。しかし、何故この場に現れ、挙句、自分たちを助けるような真似をしたのだろうか。
コチラに投げた彼女の視線から、自分たちの正体は既にバレているのだろうと予想できた。故に、尚更不可思議でならなかった。
「さ、行きましょ」
警戒するゼロたちに、彼女はまるで気にしていないとうふうに、軽く声を掛けた。
その場から動こうとしない彼らに、彼女は再び声をかける。
「行かないの? ユグドラシルへ堂々と侵入するチャンスよ?」
白のニット帽の下から青い長髪を揺らし、何もかも知っているという調子で、現れた女性レプリロイド――――妖将レヴィアタンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
NEXT STAGE
暗躍の調