―――― * * * ――――
「こちらが、三日前、烈空軍団の追跡メカニロイドが記録した紅いイレギュラーの逃走経路です」
立体モニターに映しだされたマップデータ上に、戦術データリンクから引き出された情報に合わせて赤いラインが引かれる。途切れているのは、追跡しきれなかったことを意味している。
「そしてこちらが、二ヶ月程前、シューター率いる特殊班が追跡した時の、紅いイレギュラーの逃走経路です」
緑色のラインが別の角度からマップ上に引かれる。これもまた、追跡を撒かれたらしく荒野の真ん中で呆気無く途切れていた。
しかし、これこそが今回の鍵となった。
「これら二本のラインを延長してゆくと……」
声に合わせて、途切れていたラインが引き伸ばされてゆく。そして、二本のラインはあるポイントで見事に重なった。
単体では役に立たなかった二つの情報が、まるでパズルのピースのように、見事につながり、一つの答えを導き出している。
「おそらくはこのライン上周辺に、紅いイレギュラーの本拠地……もしくはそれに相当する施設、そこに繋がる空間転移装置があるものと見られます」
これまで、いくつもの逃走経路を解析してきたが、紅いイレギュラーの所在を特定できる決定打と成りうる材料は見つからなかった。余程慎重に行動していたのだろうと、その点については敵ながらも感心せざるを得ない。
だが、今回の紅いイレギュラーの逃走劇については、烈空軍団による、密告からの奇襲の甲斐もあってか、追跡の目を完全に撒くことができなかったらしい。
そして更に、第十七部隊にとっては幸運なことに、特殊班の追跡情報が偶然にも役立ったのだ。
オペレーターの解説をひと通り聴き終えた後、シメオンが「どうします」と目で問いかける。
顎に手を当て、少しだけ考えた後、椅子から立ち上がり片手を強く前に振る。そして、威勢の良い声で、その場にいた部下達に指令を送る。
「これより紅いイレギュラー討伐作戦を行う。第一、第三、第六、第八、第九班に通達。これより二時間以内にポイントZ-27Rへ集合。済み次第、速やかに調査を開始する」
クラフトの声に、集められていた部隊員たちは敬礼で答える。そして「解散」の声とともに、各自の装備チェックをするべくブリーフィングルームを飛び出ていった。
「特殊班の連中の情報がココに来て役に立つとは思いもしませんでした」
そう言ってシメオンは苦笑いを浮かべる。
「無駄な者などいないということだ。皆が力を合わせてようやく奴を捉えられるということだろう」
「とか言いながら……マイアはどうなんですか?」
彼女の指揮する十三班が作戦に盛り込まれていないことを、シメオンは気にしていた。
ボレアス山脈の一件で、彼女も苦渋をなめただけあって、マイアの紅いイレギュラー討伐への執念には並々ならぬ物が見えていた。しかし、「だからこそだ」と、クラフトは言い切る。
「感情のままに走って、また手傷を負われては困る。せっかく巡ってきたチャンスだ。無駄にする理由はない」
「……“無駄”……ですか」
その冷たい言葉に、シメオンは思わず首を竦める。だが、クラフトがそれを気にする様子はなかった。
レイラとの一件があって以来、良くも悪くもクラフトは揺るがなくなった。己の目的と使命の為に、有効なもの、切り捨てるべきものを即断する意志を持つようになっていた。
正直、隊員の中で俄に戸惑いの声も漏れている。だが、彼がその道を突き進むと決めた以上は、ついて行く他無い――――ほぼ全ての十七部隊員たちが共通にそれを思っているのもまた事実だった。
それこそが彼らにとっての“正義”であると信じてもいるのだ。
「……俺はどこまでもお供しますよ、隊長」
シメオンの言葉に、その複雑な胸中を知ってか知らずか、クラフトは「ありがとう」と短く感謝を返した。
―――― 1 ――――
「もう少しだ、しっかりしやがれ!」
今にも倒れそうな男の肩を支えながら、ヘルマンは怒鳴るように彼なりの励ましをかける。
それを横目で見ながら、「もう少し丁寧に言えよ」とトムスが首をすくめる。彼もまた、傷だらけのレプリロイドを背負っていた。
「敵影は?」
「ありません。どうやらうまく撒けたようです」
部下の報告に、マークは「ホッ」と一息つく。
国抜けをしたレプリロイド達の支援と救出。白の団が現在主に取り組んでいる活動の一つである。
各地にいる情報屋を通して、国内にいる国抜け希望者たちと連絡を取り合い、その行動を支援し、比較的安全圏にある集落へと導く。場合によっては白の団本拠地へと連れてゆくこともある。
ゼロが大きく活躍する裏で、白の団はこうした慈善活動に取り組んでいた。「協力者を増やすことで微力ながらも力をつけてゆく」というエルピスの思惑と、「全ての者を救いたい」というシエルの想いが合わさったことで始まったのだ。
今回の脱国者達は、マークチームが到着する数十分前にネオ・アルカディアのメカニロイドに発見され、合流地点手前で奇襲を受けてしまった。
なんとか廃墟に紛れ、命は助かったものの、皆重傷を負い、一刻を争うような状態にあった。
敵の索敵をスレスレのところで掻い潜り、なんとか合流した。彼らの状況と容態を一通り確認した後、マークは即座に本拠地への移送を決断。警戒しながらも急ぎ足で廃墟を飛び出し、帰路についた。
「敵の追撃もそれ程キツくなくて助かりましたね」
コルボーの言葉にマークは頷く。
「これもゼロさんの活躍のおかげさ。感謝してもしきれないよ」
闘将、妖将の相次ぐ敗北に対し、現在ネオ・アルカディア内部は揺れ動いている。
その影響のおかげか、敵の包囲網は以前ほど厳しくなくなり、更にクラフトによる塵炎軍団粛清後からここ最近は、特に危なげなく活動に取り組めるようになった。
とは言え、平穏無事に全てが済むことなど、ありはしない。彼らが合流地点で襲撃を受けたように、いつ自分達も襲われるか分かったものではないのだ。
それを身に染みて心得ているマーク達は、敵を撒いた今でも、本拠地にたどり着くまでは、真に安心し切ることはできなかった。
「警戒は緩めるなよ。“家に帰るまでが、遠足”だからな」
冗談めかして言ってはみるが、皆、その言葉に笑いはこぼしても気を緩めることはなかった。
その様子に、トムスが感心したように声を漏らす。
「……俺たちも成長してきたってことですかね」
確かに、半年以上前の自分達ならば、もっと軽い気持ちで活動に取り組んでいたことだろう。
「悔しい話だがよ、その辺はやっぱり“英雄様”に感謝だな」
ヘルマンがいつも通り皮肉っぽく言う。しかし、その表情は明るい。
彼の言う通り、ゼロに出会ってから、ゼロに救出されたあの時から、戦うことの恐怖と緊張感を知り、それに対する心構えを知ることができた。
それが今に繋がっているのだと思うと、感謝の思いは尽きない。
「せっかく成長するなら、そういうことを素直に言えるようになれたら良かったのにね」
「うるせえ、コルボー」
頭を小突いてやりたかったが、生憎両手が塞がっていたため、それは適わなかった。
それからしばらく歩いた後、所定の場所にたどり着く。
オペレーターが隠しカメラによる映像から、マークチームであることを確認すると、本拠地へと続くハッチを開き始めた。
「さあ、ゴールだ。敵さんが通り掛かるかも分からん。急いで入れ」
マークの声に続いて、メンバーは足早にハッチの中へと入り込んでゆく。最後に周囲を警戒しながらコルボーが入り、ハッチは直ぐに閉められた。
マークは通信機に口を当て、管制室に連絡を取る。
「こちらマーク。脱国者二十七名を救出。重態五名、重傷八名、他は軽傷。至急搬送用の車両を求む」
「了解。救護班を乗せた車両を向かわせます」
オペレーターの迅速な対応に感謝をし、その場で負傷者たちを肩から降ろす。
「大丈夫ですか」とトムスは呼びかけるが、相手は呻くばかりでまともな返事をしない。
「もう少しですから……辛抱してください」
「ん? ……おかしいぜ、マーク」
ヘルマンがあることに気づき、マークに呼びかける。
「何がだ?」
「あんた今、二十七名って言ったよな」
辺りを見回し、人差し指で数を数えながら再び「やっぱりおかしいぜ」と口を開く。
「二十四名しかいない」
「……ん。確かにその通りだ。おかしい。数え間違えたつもりはないんだが」
そう言って、負傷者の数を再び数えてみる。しかし、どうしても三人だけ数が合わない。
ふと、視界にノイズが交じるのを感じる。
「……なんだ、これは?」
「あんた、疲れてるんじゃないのか」
そう言って、ヘルマンも負傷者の数を数え直すが、やはり二十四名だ。しかしふと思い立ち、負傷者を背負わず、警護役としてついていた者の数をかぞえる。
チームの人数は四十名。負傷者の数が二十四名ならば、十六名いるはずだ。
すると、こちらは十三名しかいない。
「??? ………なんなんだ??」
「どうかしたか?」
トムスが負傷者を抱えながら、顔を上げて問いかける。
そちらへと視線を遣ったマークは「はっ」として、問い返す。
「おい……トムス。それは……――――……“誰”だ?」
「……え?」
そう短く声を漏らし、抱えた負傷者を見る。すると、視界にノイズが交じるのを感じる。それと共に、彼の顔がまともに識別ができなくなる。
次第にノイズは広がる。そして、しばらくすると、抱えていた負傷者の身体がボロボロと崩れてゆくように見え始めた。
その様子に気づいたマークとトムスは悪寒を感じ、顔を青ざめさせる。
「うあぁ!」
突然、“負傷者だった”ものに片腕で喉を捕まれ、トムスが悲鳴を上げる。
マークはすかさずエネルギーガンの照準を“それ”に合わせた――――先ほどまで負傷者に偽装していた黒い“パンテオン”に。
その瞬間、別の二箇所でも同様に悲鳴が上がった。そこにもまた、黒いパンテオンが姿を現していた。
脱国者の中に偽装し、レジスタンス組織の基地内部まで侵入することを画策していたのだ。
「チクショウ! 離れやがれ!」
ヘルマンが引き金を二度ほど引く。パンテオンの背部にエネルギー弾が直撃するが、トムスを掴む腕の力を緩める様子はない。
そしてまた、視覚センサーが捉えた異常に、他のメンバーが叫ぶ。
「パンテオン内部に高エネルギー反応確認!」
「トムスッ!」
「駄目だコルボー!!」
叫びながら駆け寄ろうとしたコルボーの身体を、マークが押さえつける。
それとほぼ同時だった。眩い閃光と爆音を響かせ、パンテオンはその場にいた数人を巻き込み、自爆した。
間近にいたトムスの肉片だけが、その場には散らばっていた。
「トム……ス………」
呆気無い親友の死に、コルボーは言葉を失う。
その直ぐ後に、他二体のパンテオンもまた、同様に自爆を行う。救助してきた脱国者達さえも巻き込んで、その場は悲惨な殺戮現場と成り果てた。
だが、事態はそれで収まらない。マークは足元に転がる“あるもの”に気づく。
「これ…は!?」
自爆直前に自切したと思われるパンテオンの頭部パーツ。顔面の中央にある単眼が、「ピーッ!ピーッ!」とけたたましい警報を鳴らし、点滅を続ける。
「クソッタレがぁ!」
怒りのままに破壊しようとするヘルマンを「待て」と制し、その様子を観察する。
そして、その頭部パーツを手に取り、確認する。どうやら、外部へと信号を放っていた。それには勿論、この場所の位置データも乗せられているだろう。
「……敵にこの場所を知られた」
襲い掛かる絶望感は留まることを知らず、皆一様に言葉を失った。
23rd STAGE
殺戮舞台
―――― * * * ――――
「弱りましたね……」
あくまでも冷静を装いながら、エルピスはそう呟く。
マークチームが救助した脱国者たちの中に、紛れていた漆黒のパンテオン達はおそらく斬影軍団の所属だろう。
これまでも同様の手口で襲撃を受けたレジスタンス組織があったかもしれない。尽く壊滅してしまったせいでほとんど情報が回ることはなかったが、機密となっているレジスタンス組織の塒を特定する方法はそう多くないはずだ。
「基地を放棄しますか?」
状況を分析し、ルージュが提案する。
それほど時が経たない内に、斬影軍団の特殊部隊がこの基地に突入してくると考えて間違いない。それならばいっそ基地を手放して逃亡した方がいい。
「しかし、この人数です。迅速に動いたとしても足がつく可能性は高いでしょう」
肥大化した白の団だからこそ、こうした奇襲戦に対し脆く、弱い。次期本拠候補地への移動に際しても、安全が保証されてはいない。
手詰まりの状態だ。しかし、考え倦ねている場合ではない。きっと敵はすぐそこまで来ている。
エルピスは決断する。
「籠城戦を開始します。非戦闘員は各階の談話室等に集め、戦闘員は全員銃器を携帯。ケルビン、リョウ、マーシーのチームはライドアーマーに搭乗し、敵の襲撃に備えてください。他のチームの配置はこれから指示します。それから……ジョーヌさん」
「はい」
緊張に、顔をいつになく強張らせながらジョーヌが返事をする。
いや、彼女だけではない。管制室に集まったオペレーター、各班長、局長は皆一様に表情を強張らせている。無理もない、初めての“実戦”だ。この場所が戦場にならない限り、戦場に立つことのなかった者たちが、ついに戦闘に巻き込まれるのだ。
エルピスは唯一の希望に縋る。
「――――ゼロさんに救援要請を」
それから十数分後、管制室のモニターが敵影を捉えた。
―――― 2 ――――
気づけば目の前には荒野が広がっていた。どこまでも続く、寂しく乾いた大地。まるでこの世の果てだ。
ふと振り返れば、草原が広がっていた。蒼く茂った優しい大地。きっとこの先に楽園がある。
空を見あげれば、二色の空が天を覆っていた。
荒野の上には真紅の空。禍々しい色を放ち、中心には漆黒の太陽が見えた。
草原の上には紺碧の空。温かいぬくもりに溢れ、中心には眩い輝きを放つ太陽が見えた。
『どうしたの?』
ふと尋ねられ、彼は声の主を見た。声の主――――“彼女”は草原に立っていた。
穏やかな風が“彼女”の栗色の髪を揺らす。“彼女”の顔が彼には分からない。けれど“彼女”は確かに微笑んだ。
『……夢を見ていたんだ』
彼は戸惑いながら、“彼女”に話し始める。
『夢?』
『ああ』
『どんな夢?』
『それは――――』
思い返し、言葉を選び、そして告げる。
『君を失った夢だ』
言葉と共に、一陣の風が吹きすさぶ。
気づけば、彼女は丘の上にいた。懐かしい、あの木の下に。
『それは本当に夢?』
『当然だ。君は、そこにいるじゃないか』
彼がそう答えると、“彼女”は『フフフ』とおかしそうに笑い出した。
『何がおかしい?』
『いえ、ごめんなさい。何もおかしいことなんて無いわ。それなら、ねえ○○』
首を横に振りながら彼の名前を呼び、“彼女”は問い返した。
『どうしてあなたは、私の傍に来てくれないの?』
“彼女”の言葉のとおりだった。彼はその場から動き出せなかった。
今すぐにでも“彼女”の下に駆け寄りたかった。“彼女”を抱きしめたかった。
頬を撫でたかった。匂いを嗅ぎたかった。髪の感触を、身体の柔らかさを確かめ、唇を重ねたかった。
誰よりも、何よりも“彼女”を欲していた。心が壊れそうな程に。この身が引きちぎれそうな程に。
ただ只管に“彼女”を愛したかった。
しかし、彼の足はそこから一歩も動けなかった。まるで石のように固まっていた。
『どうしてだ。分からない』
困ったように呟く。
『それなら君がこっちに来てくれ』
そう頼むと、“彼女”はまたおかしそうに笑い出した。
『ダメよ。それは出来ないの』
『どうして?』
『私はもういないのよ』
言葉の意味がわからなかった。
そこに再び風が吹きつける。すると、“彼女”は跡形もなく消えていた。
喪失感が胸を抉る。
気づけばあの草原すらも消えていた。“彼女”が微笑み、待っていてくれたあの優しい世界すら何処にもなくなっていた。
残ったのは果てなく続く荒野と、血塗られた空と漆黒の太陽だけだ。
『嘘だ』
――――嘘じゃないわ
彼の声に答えるように、“彼女”の声が脳裏に響く。
――――安らげる世界なんてあなたは、今望んではいけないの
『やめてくれ』
恨み言のように響く、彼女の声に耳をふさぐ。
――――あなたはまだその世界にいなくてはならないの
『俺は嫌だ!』
まるで駄々をこねる子供のように、彼は叫ぶ。
花一つ咲かない、こんな荒れ果てた世界に、何時までいなくてはならないのか。
いったいいつまで俺はこんなところにいなくてはならないのか。
『いったい俺に……あとどれだけ殺せと言うんだ!?』
それは“嘆き”だった。
『あとどれだけ……斬って…壊して…殺して……』
――――そう。あなたは斬って、壊して、殺し続けるの
“彼女”の声は冷徹に言い放つ。
――――あの日、私を“そう”したように
『やめてくれ!』
思い出したくないと言うように目をつぶり、耳をふさぎ、拒絶するように首を振る。
『俺はもう嫌だ! 嫌なんだよ! 殺して! 失くして! 喪って! そんなこと何遍繰り返せばいい!? どれだけ堂々巡りを続ければ赦される!? ――――どうすれば君を……』
――――取り戻すことなんて出来ないわ
それは“答え”だった。
――――どれだけ懺悔を繰り返そうとも
どれだけ赦しを請おうとも
あなたには何一つ取り戻すことなんか出来やしない
零したものはもう二度と拾い集めることはできない
殺めた命は
救えなかった命は
二度と取り返すことなんてできやしない
――――それを、あなたは知っているはずよ
“彼女”は正しかった。彼はその事実を、現実を理解していた。
全てを認めた上で、それでも彼は拒絶した。
『それでも、俺は――――……』
――――「涙を流したかった」?
“彼女”の声が、彼の核心を突く。
――――それができれば赦されると思った?
『……違う!』
――――本当に?
“彼女”の言葉に、喉が詰まる。
否定したかった。けれどできなかった。
“彼女”は追い討ちをかける様に、再び問いただす。
――――逃げたかっただけではないの?
『………俺…は……』
“彼女”の問いに戸惑い、口を噤む。もはや、自分でも分からなくなったしまった。
どうしてあの日、“涙”を欲したのか。どうして今、“彼女”の問いに口を噤んでしまったのか。
どうして自分は、取り戻したいと願い続けているのか。
どうして。どうして。どうして。どうして。どうして――――…………‥‥
気力をなくし、放心したまま地に膝をつく彼に向けて、“彼女”は繰り返す。
――――あなたはまだその世界にいなくてはならないの
「いったい何時までだ」と問い返す言葉が浮かんだが、それも全て無意味に思えて、ついに口に出すことはなかった。
―――― * * * ――――
久々に長い悪夢を見たものだと、ゼロは静かに上体を起こした後、一人苦笑する。
“彼女”の夢を見る頻度は、目覚めてすぐの頃よりは明らかに減っている。しかし、何度見てもその心地悪さに慣れることはなかった。
そのまま片膝を抱え、頭を悩ませる。
脳裏に浮かぶのは、先ほど見た“果て”の光景。そして、先日出会ったレプリロイドの親子のこと――――救えなかった二人のこと。
――――俺は……また
救えなかった。零すまいと誓っておきながら、できなかった。彼らだけではない。これまでに何度もそうして取り零してきた。
その度に頭をもたげる後悔と屈辱、嘆き。己の非力さに、自責の念は絶えない。
そうした想いが夢となって現れるのだろうか。“彼女”の正体は、もしかしたらそれなのかもしれない。
ふと、夢の光景を思い出し、息を呑む。
それからじわじわと嫌な予感がこみ上げてきた。こういうのを虫の知らせとでも言うのだろうか。
なにか良くないことが寸前まで迫ってきている気がする。
そして、脳裏に掠める少女の顔。
「…………小娘…?」
その瞬間、「ゼロさん!」とペロケが彼の名を叫びながら勢い良く扉を開いた。
「どうした?」とゼロが問うよりも早く、ペロケは簡潔に事態を説明する。
「エルピスさんから応援要請が!白の団の本拠地に敵が――――!」
全てを理解すると、ゼロはベットから飛び上がるように立ち上がり、真紅のコートを手にとった。
耳の奥ではまだ“彼女”の声が反響を繰り返していた。
―――― * * * ――――
別の塵炎軍団基地へと空間転移装置で移動した後、クラフト率いる十七精鋭部隊は目的のポイントへと向かった。
他の地域へ捜索に出ているチームもいるので、全員の集合には今暫く時間がかかりそうだ。
「ついにこの日が来たか」と、クラフトは自身に言い聞かせ、気を引き締める。
あれほどまでに捉えどころのなかった紅いイレギュラーをようやく補足できた。この急展開に、運命に感謝した。
だが、油断は禁物である。あの紅いイレギュラーのことだ。もしかしたらこちらの動向に気づいている可能性もある。
そうなれば再び煙に撒かれることもありえるし。もしかしたらこれだけの軍団であろうと、返り討ちに合うことも予想できる。
あの男を討ち取る最後の時まで、この緊張が解けることはないだろう。
しばらくの後、ポイントZ-27Rに到着する。と、既にマティアスの第八班がその場に集まっていた。
「一番乗りは頂きっすよ、隊長」
「敵わんな」
そう言いながら互いに軽く笑い合う。
それからクラフトは再び表情を引き締めると、声を張り上げるようにして、その場に集まった隊員たちに指示を下す。
「これより紅いイレギュラーの拠点特定にかかる。――――奴が空間転移装置を利用し、様々な場所にリンクを設け、我々を撹乱していたことは周知の事実だろう」
これまで幾度と無く取り逃がしてきた相手だ。それどころか解放議会軍との一件でも、クラフト個人ではボレアス山脈でも、借りを作るはめになった。
それらの雪辱を誓い、今日まで皆必死に戦い、耐え忍んできたのだ。
「しかし、ついに奴もこの場でボロを出した。我々が掴んだ情報が正しければ、このポイントの何処かに奴の拠点へとつながる空間転移装置が隠されているはずだ」
どのようなレプリロイドであろうとも、何のトリックもなしに瞬間移動などという芸当は出来やしない。
そう、紅いイレギュラーが使用している空間転移装置の位置特定こそ、彼へと繋がる一本の蜘蛛の糸であり、十七部隊が掴んだ一縷の希望なのだ。
「岩陰、メカニロイドの残骸、砂山の下――――探すべき場所は無数にある。探知機で、センサーで、肉眼で、手足を汚しながらでも、泥にまみれながらでも、とにかくソレを見つけ出せ。任務はそこからだ!」
隊員たちは「了解」と力強く返事をし、「散開」の合図で散り散りになる。そして、至る所をそれぞれの手で、探し始めた。
やがて、遅れて到着してきた班も合流し、ポイントZ-27Rは数十名の十七部隊員により埋め尽くされた。
―――― 3 ――――
敵の電波妨害により、ゼロとの通信が途絶する。それとともに、外部に設置された隠しカメラが敵部隊の影を捉えた。ノイズに遮られながらも、オペレーターの一人がその数をかぞえる。
「二百……いや、三百!」
「予想以上の大部隊ですね……」
エルピスは思わず爪を噛み、モニターに映しだされた敵部隊を睨みつける。
やがて、敵の電波妨害は激しくなり、外部情報は完全に遮断されてしまった。もう敵部隊の正確な規模を把握することはできない。
「仕方ありません……大型ハッチから本部への連絡路を全て隔壁封鎖! ケルビン、マーシー両チームは第七エリアで敵の襲撃に備えてください! リョウ、ジュリオ、ハンスチームは第九エリアに防衛線を!」
エルピスの指示に従い、オペレーターは各チームへと迅速に通信をとる。
また、エルピスは声を荒げながら、言葉を繰り返した。
「皆さん! これは演習ではありません! 繰り返します! 演習ではありません! 所定の位置につき、敵の襲撃に備えてください!」
その言葉に、これから起こる、今まで一度たりとも本気で予想することのなかった戦いに対し、誰もが恐怖を感じ、身を震わせた。
実際に前線に出て活躍を続けてきたメンバーでさえ、この事態には尋常ならざる重圧を感じていた。
それからしばらくして、爆音が鳴り響き、管制室がわずかに揺れる。おそらく大型ハッチが爆破されたのだ。
有線で繋がっているカメラがモニターに敵部隊を映す。溢れかえる漆黒のパンテオン部隊。それに付き従うように並ぶメカニロイド部隊。そしてそれらの中心辺りに立つ四体のレプリロイド。
「敵ミュートスレプリロイド照合。おそらく敵リーダーは斬影軍団所属バーブル・ヘケロット。それと、未確認タイプが三体」
ヘケト神をモデルとしたカエル型のミュートスレプリロイドが画面中央に映し出される。それを囲むようにして、新型と思われる四腕のミュートスレプリロイドが三体、並んでいた。
「戦略研究所からの流出情報と合致。敵新型ミュートスレプリロイドの名称は“アスラ・バスラ”と判明」
アスラ・バスラ――――三本の腕にはビームソードを持ち、残り一本にはビームコーティング仕様の盾を所持している。現在では、視覚で分かる程度の情報しか分からず、この戦闘の内にそのデータを集計するしか無い。
無論、その戦闘の間に出るであろう犠牲の量については想像がつかない。
ヘケロットとアスラ・バスラのデータを含めた敵部隊情報を各チームリーダーへと転送する。それからエルピスはいつに無く声を荒げて指示を送り続けた。
やがて、全チームが配置につき終わった頃。敵の第一陣が最初の隔壁に突き当たる。だが、パンテオン達のスタンスティックによりいとも容易く突き破られ、そこは突破された。
「第一隔壁突破!」とオペレーターの一人が声を上げる。しかし、エルピスは動揺を見せない。策を凝らしていないわけではないのだ。
次の隔壁も突き破られ、敵の侵入はさらに進む。幾人かのパンテオンは空になった格納庫を手当たり次第に調べようと、そのシャッターに触れる。その瞬間――――
「 点 火 ! 」
エルピスの合図とともに、オペレーターは内部に忍ばせておいたメカニロイドへ指令を送る。すると格納庫内から凄まじい爆発が轟音とともに起こった。周囲のパンテオン達はその巻き添えとなり、微塵と化してゆく。
更に、それに連続して発生する爆発。次々と巻き込まれてゆくパンテオン達。――――だが、流石は斬影軍団の特殊部隊。一つ目の爆破から連鎖的に発生した爆破に、冷静に陣形を組み替えて対処し、被害を最小限に抑えた。
「第二陣、放てッ!」
再びエルピスが吠えるように指示を送ると、奥のエリアに控えていたメカニロイド部隊が一斉にエネルギー弾を放つ。
どれも本部襲撃に備えてセルヴォ達技術局により、敵のメカニロイドの残骸や、レプリフォースの忘れ形見とも呼べる兵器、備品から開発した防衛用マシンだ。
簡単な回避運動と、射撃程度しかできないが、守備戦力としては十分だろう。乱れ飛ぶエネルギー弾がパンテオンの頭部や胸部を次々に撃ちぬいていく。
だが、斬影軍団の戦力はその程度で怯みはしない。すかさずスタンスティックをバスターへと切り替え、応戦する。それと同時に、先頭に立つアスラ・バスラが二体斬り込み、一瞬の内に十数機をスクラップに変えてしまう。
善戦むなしく、ものの十分程度でメカニロイド部隊は壊滅してしまった。
エルピスは一人舌打ちをする。モニターで一部始終を見ていたオペレーターたちも皆、敵の圧倒的な戦力に唖然としてしまう。
しかし「まだです」とまるで自分に言い聞かせるように言葉を吐く。
「まだこの先のエリアにも対襲撃者用トラップが配置してあります。それら全てを用いて、敵の戦力を削ぎ落としましょう」
現在敵部隊は既に第三エリアまでの侵入を果たしている。
戦闘員による防衛線である第七エリア到達までに、敵の戦力をある程度削ぎ落とすことができなければ、死傷者の数は跳ね上がるだろう。
しかし、それでもまだ“最悪”とは言わない。
第十三エリア――――即ち本部施設へ敵が到達した時、それこそが最悪の事態だ。シエルを含む非戦闘員も銃器を手に取り、身を護らねばならない。
だが勿論、敵のミュートスレプリロイド四体の前では赤子も同然。その時はきっと“全てが終わる時”だ。
――――なんとしてもそれだけは食い止めねば……
司令官としての責任と重圧が重く伸し掛かる中、エルピスは三度、トラップの発動を命じた。
数ある談話室の一つに、シエルはロシニョル達十数名の仲間達と共に身を寄せ合うようにして立て篭もった。
扉には既に、非常事態用に備え付けられていた分厚い防衛用シャッターが降りており、この非常事態を切り抜けるまで容易な出入りは不可能な状態となっていた。
とは言うものの、この程度のシャッターなどパンテオン達の集中砲火の前では時間稼ぎにしかならず、更に言えば、もしも敵がサイバーエルフによる電子戦まで仕掛けてきたならば、それすら叶うこと無く突破されてしまうだろう。
いずれにせよ、安心できる要素など何処にもなかった。
“万が一の場合”と口では言えど、敵がこの本部棟まで侵入してくる可能性は十二分にある。
白の団の戦力など、ネオ・アルカディアにとっては赤子も同然。ここ最近では“紅いイレギュラー”の活躍がその事実を掻き消しているように見えたが、こうして面と立ち向かってみれば以前と何ら変わっていないのだという厳しい現実が牙を向く。
不意に、横から怯えたような声が聞こえる。
幼い少年少女型のレプリロイド達だ。彼らもまた身を寄せ合い、震えながら「こわいよ」「どうなっちゃうの」と不安げな声を漏らしていた。
ロシニョルが彼らを包むように抱きしめ、「大丈夫だよ」と言い聞かせる。
――――……アルエット…………
妹のように可愛がっていた彼女の事をふと思い出す。
自分のエゴで「彼女だけでも……」と“ホーム”に連れて行ってもらったわけだが、今頃どうしているのだろうかと心配になった。
無論、ここの状況についても聞き及んでいるだろうし、向こうもシエルの事を心配しているだろうことは容易に想像できる。だが、だからこそシエルもまた彼女のことが心配なのだ。
――――無茶しなきゃいいけど……
そう考えてから、ある一人の姿を思い出し、思わず微笑みがこぼれた。
ああ、きっと大丈夫だ。“彼”が彼女の傍にいるのだから。
いや、彼女だけではない。自分も、ここで怯えている少年少女たちも……何も心配などする必要がない。そう胸を張って言える。
「大丈夫よ、みんな」
そう言って、少しも無理なく、柔らかく笑いかける。子供達もロシニョルもその自然さに思わず首を傾げる。
シエルは笑顔のまま、キッパリと言い放った。
「必ず、ゼロが助けに来てくれるから」
―――― * * * ――――
白の団との通信は直ぐに途絶えてしまった。
分かったのは、敵の罠に掛かってしまったこと。相手はおそらく四軍団の一つ、斬影軍団であるだろうということ。その程度だった。
「向こうが先に見つかるとはな」
ゼロは奥歯をギリッと噛み締める。
元々は活動が目立つゼロを拠点から離すことで、本隊の場所を特定されないよう工夫していたのだが、よもや基地が先に見つかってしまうとは。想定していなかったわけではないが、あまりにも突然過ぎて整理がつかない。
「とは言え、選択肢は一つだ」
長らく戻ることのなかった本拠地へと、今すぐ帰るしか無い。
間に合うかどうかは分からないが、少しでも多くの者を救うにはそれしか方法はない。
「ペロケ、エル・クラージュの準備を。レルピィ、来てくれるか」
「了解です!」
「トーゼン! 任せて!」
二人共何一つ迷うこと無く、言葉を返す。その素早い反応に、ゼロは心の中で感謝した。
正直なところ一刻の猶予もない。可能な限り迅速に支度を整え、この場を去らねばならない。
「ゼロ!」
不意に名を呼ぶ声に振り返る。扉の前にはアルエットがぬいぐるみを抱きしめながら立っていた。
「……わたしも行く」
「アルエット………それはダメだ」
ゼロは優しく頭を撫で、諭すように言う。
シエルが、アルエットをこの場所へ連れて行くよう言ったのは、彼女ができる限り平穏に過ごすことを祈ってのことだった。
『アルエットだけでも、もっと平和な場所にいて欲しいの』と口にした、祈るような少女の表情は今でも忘れられない。
自分の平穏を願うこともできた少女が、それに手を伸ばすこと無く、言葉にした祈り。それは遂げられるべきだ。
だが、それを理解していても尚、アルエットは首を横に振る。
「おねえちゃんがあぶないときに……わたしだけ安全なところにいるなんて……できないよ」
それがいくらシエルの願いであったとしても。
ゼロはアルエットの瞳を見つめる。そこには確かな信念の輝きが見て取れた。きっとどれだけ止めたところで、彼女はどうにかして後を追ってくるだろう。大切な人のために。
そして、そんな少女が危険な旅路を行く事を、目の前の男が放っておかないということも、彼女は理解していた。
「やれやれ」と、ゼロは根負けしてため息をつく。
「お前の強情さには負けるよ」
ついて来いと片手で呼びかけ、そのまま扉を開く。アルエットはコクリと頷き、そのままゼロの後について出ていった。
そのすぐ後だった。ペロケはあることに気づき、息を呑む。
「まさか!」
あるエリアの空間転移装置周辺に仕掛けていた監視カメラの一つが、第十七部隊の存在を捉えていた。
それも一人や二人ではない、数十体の十七部隊員が何かを探すようにして動いている。その様子から思い当たる目的はただ一つ――――その場所にある。ここへと繋がる空間転移装置の探索だろう。
いったい何が原因で突き止められたのかは分からない。だが、紅いイレギュラーことゼロを追う内に、彼らはこの場所の存在に気づき、そこへと繋がる道のヒントを掴んだのだ。
非常事態がこうも重なるとは。慌ててゼロを呼び止めようと席をたった。だがペロケはふと思い立ち、それを留まった。
万が一こちらの事態に気を取られてしまっては、ゼロが向こうに出向くのが遅れてしまう。そうなれば、救えるものも救えなくなる。
ペロケは一人頭を悩ませた挙句、屋敷内にいるイロンデルとアンドリューに通信をつないだ。
―――― 4 ――――
「これ以上先に行かせてたまるかよぉ!」
そう雄叫びを上げ、トリガーを引き絞る。ライドアーマーの両腕に備え付けられたガトリングガンが高速で回転し、実体弾を絶え間なく放ち続ける。しかし、その壮絶な弾幕を物ともせず、三体の黄色い影は異様なまでに俊敏な動きで彼の機体へと一気に距離を詰めた。
「バカな」と驚きの声を上げた瞬間、二体の影は閃光の刃を振りぬき、ライドアーマーの両肩を無惨に切り落とす。その刹那、三体目の影がコクピット部へと飛びかかり、その中心に刃を突き立てた。まるで壊れた人形のように、機体は膝から虚しく崩れ落ちた。
「チクショォ!」
呆気無い死に、共に防衛線を築いていた仲間が悲鳴にも似た叫びを上げる。同時に操縦桿を一息で限界まで押し倒すとその勢いに合わせ、ライドアーマーは格闘戦用のドリルを装備した右腕を、一体の黄色い影にむけて突き出した。だが、その腕もまた空を切るだけで、敵を捉えることは敵わない。
突然、ガクンと片側に機体が崩れる。警報がけたたましく鳴り響き、右膝の駆動系が切断されたことをモニターの端で確認する。瞬間、モニターが不気味な頭部モジュールを映しだした――――かと思えば、閃光が眼前を覆い隠し、同時に光の刃がモニターの中心から突き出て、鼻先に当たった。焼け焦げたような匂いと、灼熱が走り抜けるような激痛を顔面いっぱいに感じた後、彼自身の機能は停止した。断末魔を上げる暇もなかった。
そうしてまた二体、三体と戦闘用にカスタムされたライドアーマーを、アスラ・バスラ達は難なく斬り捨て、道を切り開いてゆく。後方のパンテオン部隊と大量のメカニロイドも支援放火を続け、基地内部への侵攻の動きは留まる気配を見せない。
白の団の歩兵部隊も、組み上げたバリケードの間隙からエネルギーライフルや機銃による弾幕を浴びせる。だが、その実質的な効果はまるで見えなかった。
「こちらケルビン! ライドアーマー各機大破! 戦闘継続不能! 後退の許可を! 司令! 司令ッ!!」
戦場の轟音とともにケルビンの怒号が管制室いっぱいに響く。状況はモニターにも映し出されており、エルピスにもその苦戦の様子は手に取るように分かった。
だがそれ故に、決断が鈍る。前線の突破は本部への敵侵入の危険性拡大に直接繋がる。せめてゼロの到着まで基地を持たせなければ、それこそ無意味に終わってしまう。ここで答える言葉はただ一言「NO」だ。
しかし、エルピスは彼らの状況を目の当たりにしながら、それを難なく口に出来る程の冷血漢にはなりきれなかった。そして、その意志を支えるだけの策も、持ちあわせてはいなかった。
それ故に、言葉が遅れる。
次に入ったケルビンの音声は、短い断末魔の悲鳴だった。モニター上で、彼の機体がアスラ・バスラによりナマスの如く切り刻まれるのを唖然と見届けた。
既にマーシーの部隊も壊滅し、第七エリアの防衛線は完全に崩壊した。
「敵部隊、第八エリアへ侵攻!」
ルージュの声が叱咤するようにエルピスの耳に突き刺さる。エルピスは一度奥歯を噛み締めると第九エリアに待機しているチームへと指示を送る。
「第七エリアが突破されました! 敵の到達予測は十分後です! 陣形を組み敵の襲撃に備えてください!」
それ以上の言葉がかけられないことに、ただ悔しさを感じることしかできない。
本拠地侵入に対するシミュレーションは重ねてきた。
ジョーヌやルージュ達、オペレーター陣が幾度と無く繰り返してきた防衛戦シミュレーションのデータを戦闘員達全員にフィードバックし、応用している。
しかし、それらがまるで儚い幻想のように、呆気無く、脆く崩されてゆく。その様に、エルピスのみならず、オペレーター達も皆、ただただ絶望を感じるだけだ。
やがて予測時間よりも遥かに早く、三体のアスラ・バスラが軍団を先行して第九エリアへと到達した。再び管制室中に、怒号と悲鳴と断末魔とが入り乱れ始めた。
敵部隊の第九エリア到達の報が、本部棟守備に回されたマークチームの耳に入ったのは、敵の襲撃開始より二時間程経過した頃のことだった。
つい数秒前まで共に笑い合っていた仲間が、目前で惨たらしく爆殺された。その事実は、彼らの心に深い傷を残すこととなった。それを考慮してか、エルピスはこのチームを後方へと回したのだろう。
だが、項垂れている暇は何処にもない。敵は目と鼻の先まで迫ってきているのだ。決して親友の死を悼んでいる場合ではない。
戦術データリンクから取得した戦況は、激しい苦戦の様子を知らせるのみだった。
敵部隊の五分の一程度が基地内に仕掛けたトラップと、こちらの反撃により削られたらしいが、それ以上に目覚しい戦果については全く音沙汰が無い。
聞こえてくるのは敵の猛攻に寄る損害、特に先陣を切って仕掛けてきている三体の新型ミュートスレプリロイドによる圧倒的殺戮の犠牲についてだけだった。
「クソッ……なんだってこんな…チクショウ!」
やり切れないままにヘルマンが吐き捨てる。
「落ち着け」とその肩を叩きながら、マークが宥めるように言う。だが、そのマークの表情も固く、青ざめていた。
「ゼロさんが来るまで持たせるんだ、なんとしても!」
「それまでに、どんだけ殺されると思ってんだ!」
「じゃあ、どうにかできるのかこの状況を!!」
苛立つ二人は今にも取っ組み合いを始めようかというほどの勢いで言い争う。
だが、互いにそれが無意味な問答であると分かっており、直ぐに口にする言葉を失い、鎮まった。どうにもできない現実への苛立ちと、無力感だけが心の中に残る。
「大変です、マークさん!」
そこに非戦闘員達の誘導をしていた筈のティナが駆け足で現れた。
この期に及んで、いったいどのようなトラブルがあるというのか。マークは眉をひそめ、「どうした」と問い返す。
「それが……一部の団員たちが、団長への抗議をと……」
「はぁ!?」と思わず誰もが呆れた声を漏らす。
ティナの説明によれば、トラブルの原因は“英雄派”を名乗る連中だった。
敵の今回の侵入に対し、エルピスの指揮とこれまでの作戦を非難し、「管制室に“立て籠もって”いる団長に抗議をする」と、避難の誘導に聞く耳を持たない様子らしい。
「いったい今がどういう状況だか分かって言ってるのか!!」
憤りのままに、マークは声を荒げる。あまりの勢いに、自分に向けてではないと分かっていながらティナは肩を竦めた。
組織が拡大しすぎたが故の障害。それがこのような事態において如実に顕となってしまった。
広大な基地施設もまた、彼らの無責任な主張を助長しているのだろう。決死の防衛線で戦う同胞の様子など、データリンクへのアクセスをしなければ目を背けることは容易だ。その上で、自分たちが持つ不満と鬱憤のみを晴らそうという輩がいてもおかしくはない。
しかし、それにしてもあまりに身勝手な姿勢に、マーク達は激しい憤りと嫌悪感とを感じてならなかった。
「俺が首根っことっ捕まえて、前線に放り出してやる!」と息巻き今にも駆け出そうというヘルマンを、他の仲間が取り押さえた。
「こればかりは俺もそうしてやりたい気分だ……。が、そんなことをしている余裕もない」
そうこうしているうちに、第九エリア防衛線突破の報が、データリンクにより届いた。リョウ、ハンスのチームは全滅。ジュリオのチームが辛うじて第十エリアへと後退できたが、戦力は大きく削がれている。
第十エリアの突破も時間の問題だろう。
「これから四十分程度で本部棟への敵到達が予測された。気を引き締めろ」
マークは班員達にそう告げ、それからティナに指示をする。
「できる限り“英雄派”の連中を取り押さえてくれ。これ以上、司令に無駄な苦労をかける訳にはいかない。……が、敵が本部棟に到達したら、構わなくていい。君たちの命まで無駄にする必要はない」
「了解……です」
戸惑いと共にそう返すと、ティナは踵を返し、持ち場へと戻っていった。
「各員、再度銃器のチェックを! こうなったらやるしか無い! 腹を括れ!」
そう言いながらエネルギーライフルに掛けたマークの手も震えていた。
―――― * * * ――――
敵の脆弱さにバーブル・へケロットは、間の抜けたような「ケロケロ」という笑い声を絶え間なく上げ続けた。
これだけ広大な隠れ家を部下が発見したときは、どれだけ強大な組織が潜んでいるかと期待すらしていた。長年追い続けていた黒狼軍の本拠地である可能性も抱き、自分の持てる最大戦力を持って突入を仕掛けた。それ故に、戦略研究所から配備された評価段階の新型ミュートスレプリロイドさえも引き連れてきたのだ。
だが、良くも悪くも、その見当は大きく外れた。
巧妙なトラップによる足止めは、確かに癪に障るものばかりであったが、決して脅威とならず。ようやく相まみえた敵の構成員もその残骸を確認すれば、皆非戦闘型の貧弱なレプリロイドばかりであった。
とは言え、これだけ広大な拠点を構えている組織だ。黒狼軍ほどでなくとも、何かしらの収穫を得ることは出来るだろう。例えば、かの“紅いイレギュラー”の塒というのもあり得る。
更に言えば、脳裏には二年前の集団脱国事件が頭をよぎっていた。その集団が拠点とするならば、この広大な基地施設は納得できるし、もしそうであったならば、救世主より直々の捜索命令が下っている“Dr. シエル”の存在も期待できる。
いずれにしても、こちらは大した損害もなく、大手柄を得られるかもしれない。
「これできっとファントム様も、ワスのことを認めてくれるケロー!」
意気揚々と全機に突撃を指示する。
アスラ・バスラは指示に従い、無言のまま、その最高速で敵の懐へと飛び込む。そして四本の腕を巧みに操り、鬼神の如き力で殺戮を続ける。
貧弱なイレギュラー達の前では僅かな傷も負うことなく、名に冠した二体の神に恥じぬ働きを見せつけていた。
「それにしても随分広い基地施設だケロ……?」
ふと壁面に大きく描かれた「11」という数字に目を遣る。これまで通ってきたエリア数がそれで分かるわけだが、ただのレジスタンスの塒と考えれば、随分と大きな数字だ。
そしてそれを守るイレギュラー達の数や、装備も。いずれも非戦闘型の雑兵に過ぎぬとはいえ、その武装状況やトラップを巧みに使った戦法は決して無視できない。バックアップに何か大きなものがついているのではという予想は、膨らむばかりだ。
数ヶ月前、極秘任務中に紅いイレギュラーの手で葬られたと聞いた、宿敵ヒューレッグ・ウロボックルのことを思い出す。
思えば生前、彼は自分より遥かに大きな信頼をファントムから寄せられていた。ヘケロットはそのことを、彼が亡き者となった今でも憎たらしく思っていたのだ。
決して外部には公開されない、それも全ての者が崇め奉る、ネオ・アルカディアの救世主と関係のある任務だというのだから尚更だ。死んでからもその任務については何一つ知らされておらず、そこから伺える機密性は、ウロボックルがどれだけファントムに信頼されていたのかを物語っている。
だが、そのウロボックルは死んだ。紅いイレギュラーとの戦いの果てに、機密を胸に抱いたまま死んでいった。その事実を耳にした瞬間、一旦は彼の非力さを嘲笑った。それから暫くして、直接に顔を合わすことも、力を比べることも二度と無いのだ…と――――その差を埋めることは二度とできないのだ…と思い知った。
――――まるで勝ち逃げされたようで、腹立たしいケロ!
煮えくり返るような想いを抱き続けたこの数カ月。黒狼軍探索のついでに、各地に隠れ潜んでいるレジスタンス組織の掃討工作を、辛抱強く続けてきた。だが、どれだけ続けようと、碌な武功は立てられず、ウロボックルのように機密作戦の招集を受ける気配も一向になかった。
そんな屈辱的な日々を耐え抜き、漸くこれだけ大きなレジスタンスの塒を発見することができた。
「絶対に! 絶対に手柄を立ててやるケロッ!」
特有の甲高い声で吠えると、興奮した気持ちをそのままにアスラ・バスラに負けじと前方へ飛び出す。
そして、眼前に立ちはだかる強化型のライドアーマーへと伸縮自在の両腕を一直線に伸ばす。そして片足を捉えると、一気に腕を巻き戻し、飛ぶように身体を近づける。パイロットが対処するよりも早く、小柄なヘケロットはライドアーマーの股下に潜り込み、ボディに取り付けられた射出口を開き多数の小型ミサイルを放つ。
ライドアーマーは下半身から大きく爆発し、身体を崩す。
爆炎で生まれた隙を狙い、二、三人のイレギュラーがフルオートのライフルを連射しながらヘケロットに向かい突撃を仕掛けてきた。
だが、少しも怯むこと無く、一番先頭を走る相手に、ヘケロットは自慢の舌先を伸ばし、一瞬にして身体を絡めとる。
そして一気に引き寄せると、その舌を左右に振り回して掴んだ敵の身体で弾丸を乱暴に防いだ。図らずも同胞の背中を撃ちぬいてしまったイレギュラーたちの眼に戸惑いと恐怖の色を見て取った刹那の内に、蜂の巣となった敵の遺体から残りのエネルギーを絞り出すように吸収していく。
イレギュラー達はその光景に凍りついた。エネルギーを吸収し尽くしたヘケロットは、元の二倍ほどまで身体を膨らませていたのだ。
呆然とする彼らの喉元に向け、素早く両手を伸ばし、掴む。そして、そのまま力任せに握りつぶした。
「……なんて………ば…化物!」
生き残りのイレギュラーがその場にへたり込み、そう口にする。
その言葉に半ば優越感を覚えるが、ほくそ笑むうちにそのイレギュラーの首はアスラ・バスラにより討ち取られた。
特殊ナノマシンと有機金属など、戦略研究所が試作している実験素材の幾つかを用いて作られたヘケロットの身体は、貯蔵しているエネルギー量に合わせ巨大化することができる。最高で元の五倍、十メートルとは行かずとも十分驚異的な体躯だ。
自身が潜入した施設の広さがどれほどか検討がつかない時は、安易な巨大化は行動力の制限に繋がる為、様子を見ながらその機能を駆使していくよう、日頃から心がけているので、手当たりしだいに活用するつもりはない。
ヘケロットは、他のレプリロイドたちが持ち得ないその機能故に、己にある程度の自信とプライドを持っている。だからこそ、ファントムの信頼を勝ち取りたいと誰よりも強く願っていた。
――――ワスこそが、真の忠臣であると……認めてもらうんだケロ
そう心の中で呟きながら、下卑た笑みを浮かべて周囲を見渡す。
圧倒的な戦力差により、このブロックも難なく攻略した。先行していたヘケロットとアスラ・バスラに合わせ、支援放火とともに駆け足気味に進軍をしていたパンテオンたちは、ようやく彼らを追い越し、次のブロックへと足を進めた。
「ケロケロケロ。……ここからが本番だケロ」
一際けたたましいサイレンが鳴り響き、紅い回転灯が施設内を激しく照らす。吹き抜け構造の広大な空間。中心にそびえる円筒状のエレベーター施設。二階、三階通路を慌ただしく走り回る人影。バリケードから一斉に放たれるエネルギー弾。――――そういった幾つもの要素が、この場所こそ敵施設の本棟であると如実に語っていた。
これから尚も続く殺戮と、目と鼻の先に迫った己の手柄と栄光に、ヘケロットは巨大化に合わせ少々野太くなった声で、殊更嬉々とした高笑いを上げた。
―――― * * * ――――
「隊長、こちらに!」
クラフトは、大声で呼びつけるシメオンの方へと、駆け足で寄っていった。
シメオンの横に片膝をついて座っている部下が、何やら岩の陰に隠された機器をいじっている。
その様子に、全てを察したクラフトは、全ての隊員にその場に集まるよう伝える。同時に、電子戦担当の隊員に、サイバーエルフによるハッキングを指示した。
「サーハブ、どれくらいで解析できそうだ」
急かされるように問いかけられ、サーハブは機器に手をかけながら「落ち着いてください」と返す。
「私も、ある程度見てからでないと、それは答えられませんよ」
それから手持ちの中型コアユニットを機器のインターフェイスに接続し、そこにまた電子戦用にカスタムされたコンピューター類を繋ぐ。
そして数体のサイバーエルフに司令を送ると、サイバーエルフたちはサーハブの指示に従い、機器の内部へと躊躇うこと無く侵入していった。
「まあ……相手がそれなりのハッカーだとしても……」
ニヤリと殊更嬉しそうな笑みを浮かべ、サーハブは自信あり気に応える。
「十五分とかけるつもりはありません。準備運動でもなさっていてください」
その言葉にクラフトは「フッ」と柔らかい笑みを浮かべ、「そうさせてもらう」と返し、振り返った。
「ハッキングが終了次第、先頭から第六、第八、第九、第一、第三班の順で突入を開始する。それまではこの場にて待機。各自、戦闘に備え体を休ませておけ」
クラフトの声に、隊員たちは「ハッ」と力強く答え、敬礼をしてみせる。それから、それぞれ岩場に腰掛け、地べたに座り、休憩の体勢に入った。
不意にクラフトの肩をマティアスが叩く。
「隊長も休んだ方がいいっすよ。“奴”と自分で直接やり合うつもりなんでしょう?」
「……ああ、そうだな」
堅い顔でそう答えると、近くの岩に腰掛ける。
その様子に、マティアスはシメオンと視線で遣り取りをし、互いに肩をすくめる。
クラフトこそが誰よりもこの時が来るのを待ち望んでいた。それを十七部隊の誰もが知っている。紅いイレギュラーと戦い、己の使命を果たす瞬間を、強く心待ちにしているのだ。
そんな彼をシメオンとマティアスは――――いや、皆全力でサポートすると心に誓っていた。彼を、「救世主の再来」に恥じぬ真の英雄とするために。
それからサーハブの見立て通り十分程経過すると、岩の横に溝が走り、隠しシャッターが開く。そこには空間転移装置らしきエレベーター上のマシンが、予想通りに顔を出した。
歓喜の声を上げるより前に、隊員たちはその場に集合する。電子戦に疲弊したサーハブが後退していくと、誰もが労いの言葉をかけ、その背中を叩いた。
そして、クラフトの「突入」という掛け声に、隊員たちは指示された順番にエレベーターへと乗り込んで行った。
―――― 5 ――――
サイレンの音が煩く耳に突き刺さる。整理しきれていないコルボーの心は、未だフワフワと宙に浮いたような心地ではあったが、事態の深刻さだけは冷静に理解することができた。
しかし脳裏に何度もフラッシュバックするのは、呆気無い親友の死の瞬間の光景だった。
本当に一瞬のことだった。
ゼロのおかげで共に死地より生還し、今日まで生き延びてきたというのに。その生命が消えるときは本当にあっという間のことだった。
こんなにも簡単に消えてしまう生命だったなら、どうして今日まで生きてきたのか。そのことにどれだけの意味があったのか。自分の親友はそんなにも無価値な存在だったのか。
親友――――“トムス”という存在は、いったい何だったのか。
そんな風にぐるぐると絶え間ない思考を巡らせながら、マークの指示に従い、物陰に隠れる。そして、敵のパンテオンを見てとると、数秒の間をおいて、漸く引き金を引いた。――――が、それより先にヘルマンが肩を掴んで無理やり引き寄せる。
「馬鹿野郎っ! 死ぬ気かコルボー!」
そう叫んでいる間に、パンテオンの銃撃が隠れた壁面を掠めてゆく。
ぼんやりとしたまま、敵の前に半身を出していたことに、コルボーは気づいていなかったようだ。ヘルマンが引き寄せるのがあと一瞬でも遅れていれば、コルボーの頭部はグチャグチャに弾けていただろう。
だが、それでもコルボーはぼんやりとした声で「ごめん」と答えるだけだった。
原因はヘルマンにも分かっている。誰よりも親しくしていた友人を失ったのだ。それも目の前で。放心状態に陥るには十分だろう。
だが、その為に彼までもが、死んでしまうというのは受け入れられない。それも、自分の直ぐ傍でならば当然だ。
その場を仲間に任せ、ヘルマンは奥へとコルボーを引きずっていく。そして、前線から離れると、コルボーの身体を壁にたたきつけた。
何事かと理解できずにいるコルボー。その横っ面をヘルマンは固く握った拳で殴りつけた。
「テメエいい加減にしやがれ!」
そう怒鳴りつけて襟を両手で掴み上げる。
状況が未だ分かっていないようではあったが、コルボーは「ハッ」とした顔でヘルマンを見つめている。それに対し、ヘルマンは険しい表情で睨み返した。
「別にテメエが死のうが俺は構わねえよ! 俺は俺の生命だけありゃ構わねえからな! けどよぉ!」
怒鳴りながら強く彼の身体を揺さぶり、再び壁に叩きつけた。
「今がどういう状況かちゃんと考えやがれぇ! 敵が侵入してきてんだぞ! 白の団がなくなっちまうかもしれねえんだぞ! テメエ一人の力でも無駄にできねえんだよぉ!」
人数的に勝っていようとも、その戦力差は圧倒的だ。それを埋めるには持てる戦力の全てを注いで、防衛に当たらなければならない。
こうしている時間すら、本当は貴重なのだ。各所で敵を食い止めようと必死で戦う仲間達と、か弱くとも持てる力の全てを合わせて立ち向かわなければならない。そうしなければ、きっとゼロが来るまで持たせることすらできないだろう。
「……生き残る気がねえなら“神風”でもなんでも勝手にやってくれ。ただそこでボケっといられるより幾分マシなはずだぜ、クソッタレ」
そう吐き捨てるように言って、コルボーから視線を逸らす。漸くヘルマンの言葉の意味を理解できたコルボーは、沈んだように俯く。
分かっている。こんな風にただ落ち込むだけでは、何の意味もないということくらい。今は、友の死を悼む気持ちを抑え、ただひたすら引き金を引き続けなければならない。自分の命を守るために。仲間達を守るために。この場所を守るために。
それでも考えてしまう。こんな葛藤や、苦悩の全てに何の意味があるのか。抵抗すること、戦うこと、生きること――――どれも無駄に終わってしまうのではないか。ついさっきまで笑顔で横にいた、そして呆気無く死んでいった友のように。
コルボーはもう一度、小さな声で「ごめん」と呟くことしかできなかった。
そうこうしている内に爆音が響く。それからマークが手振りで後退を知らせながら、数人の仲間達とともに駆け寄ってくる。
「このブロックももう駄目だ! Fブロックの守備に合流する!」
コルボーとヘルマンも、言われるままチームと共に後退し始める。それと同時にセンサー爆弾が作動し、パンテオン達の行く手を阻んだ。
後退してはトラップを作動させ、敵の侵攻を防ぐ。シェルター代わりに使われている談話室、それに基地の中枢といえる管制室を最後まで持たせるために、本部棟守備にあたった以上、無駄死にだけは避けなければならない。故に戦略的撤退のタイミングを逃してはならないのだ。
一旦敵の襲撃を受けていないエリアまで後退すると、皆その場に座り込み、武器の状態をチェックし始める。
「オーバーヒートとエネルギー残量に気をつけろ。それと、すぐそこのブロックに敵の新型ミュートスレプリロイドが斬り込んできたらしい。十分に警戒しろ」
そう言ってメンバーの顔を一頻り確認する。
意気消沈しているのはコルボーだけではない。誰も彼もがこの苦境に、今にも心折れそうな様子だった。
だが、今本当に心を折られてしまう訳にはいかない。マークは「みんな、しっかりしろ」と励ますように語気を強めて呼びかけた。だが、マークの方に向けられた視線はどれも絶望の色しか見せていない。生半可な励ましの言葉では何の意味もないということを悟り、マークは慎重に言葉を選び始めた。そして、率直な考えを口にすることにした。
「……正直に言う。俺はこのまま生き残れるとは思っていない」
誰もが耳を疑い、息を呑んだ。マークは「自分は死ぬと思っている」とハッキリ口にしたのだ。
だが、それはここにいる皆が思っていながら口にできなかった真実だ。――――おそらく自分たちは何の活躍もすること無く、先ほどのトムスたちのように呆気無く無惨に死ぬだけだろうと、誰もが思っていたのだ。
「しかし」とマークは言葉を続ける。
「それがどうしたって言うんだ?」
またしても予想外の言葉に、皆マークから視線を外せなくなっていた。
諭すように、言い聞かせるように、マークは自分の想いを言葉にして紡いでゆく。
「忘れたのか。あの日、ゼロさんが助けに来てくれなきゃ、俺達はあの場で死んでいたんだ。あの人が必死の思いで体を張ってくれたからこそ、俺達はここにいるんだ」
ポイントB-38Sでの戦いを、思い出す。マークの言うとおり、誰もがあの時一度は「死」を覚悟した。
今日まで生き延びてきたせいで忘れていたのかもしれない。所詮、自分たちの力程度では、真っ向勝負でネオ・アルカディアに敵うはずもないのだと。あの日、痛いほどに思い知った現実を。
「それなのに、今更“死”を恐れて何になるってんだ。あの日“そうなる”筈だったことが、今、漸く目の前に迫ってきただけのことだ。奇跡的に引き延ばされた猶予が、切れただけだ。――――それを今更恐れて、戦う意志を失くして……。守るべきものを守れずに死んで行く方がよっぽど惨めだと思わないか」
その言葉はメンバーの心に深く突き刺さった。
マークの言うとおりだ。今こうして生きていられる事自体が奇跡なのだ。それなのに、それを“当たり前”のことと勘違いしているからこそ、心が折れそうになるのだ。
ならば、もう一度思い出すべきだ。奇跡的に生き残れたという事実を。あの日の恐怖を。そして、“死人”として立ち向かうべきだ。今日まで生き延びたことへの感謝と、あの日引き延ばされ、ちょうど今目前に迫った“生の猶予”を受け入れて。
そうして今、この大切な場所を、他の大切な仲間たちを守りぬくべきだ。それすらできずに死んで行けば、それこそ無駄死にだ。
「それに…この場所を守りきれずただ死んでゆくだけなら……俺は死んでいった仲間達に顔向けができない」
コルボーはその言葉に「ハッ」となる。いや、彼だけではない。チーム全員がマークの言葉を重く受け止め、気持ちを奮い立たせた。
トムスや、他の仲間達の死を本当の意味で無駄にしないためにも、今は迷いを棄て、決死の覚悟で戦わねばならないのだと、皆が気づいた。
「……すいません……マークさん…オレ……」
コルボーが一人、ぼそりと呟くように言う。
同じように戦意を失いかけていた仲間達も皆、その言葉に同調したのか、バツが悪そうな顔をする。
だが、マークは「気にするな」と言葉を返す。
「謝る必要なんて無い。ただ、分かってくれればいい。そして考えて行動してくれ。今やるべきことを。今すべきことを」
刹那、閃光が走る。
ゴトリと鈍い音をその場に響かせ、丸い固形物が床に落ちたのを、皆呆然と見つめていた。
理解が追いつかない頭には、周囲の全てがスローモーションに見えた。照らす回転灯の光の動きも、その場に居合わせた仲間達の、強張っていく表情筋の動きも。耳に入っていたはずのサイレンは音をなくし、ただ衝撃だけが心の中を駆け巡った。
そして、全てを理解した瞬間、皆、一斉に叫んだ。恐怖と、絶望の声を叫び、その場から必死に逃れようと、無様に地べたを這いずるようにする。
だが、彼らを捉えた敵――――ミュートスレプリロイド、アスラ・バスラの三本の腕に握られたビームサーベルは、次々と仲間達の首を、胴を断ち切り、残骸を増やしていった。
「……マー…クさん! ……マークさぁん!!」
コルボーは逃げ惑う中、地に落ちたマークの頭部に向かってコルボーは必死に叫んだ。
だが、その声はもはや届かない。皆の心を励まし、支えてくれた賢明なリーダーは、たった今、一つの凶刃の前に脆くも死に絶えたのだ。
呆気無く、華々しさの欠片もなく、みっともなく擬似体液をまき散らして、無残に死に絶えたのだ。
だが、それに構っている場合ではない。
その場に襲撃を仕掛けてきたアスラ・バスラの戦闘力はまさに鬼神の如く、何者の抵抗も受け付けなかった。
できることはただひとつ、その場から逃れるために脇目もふらずに駆け出すことだけだ。しかし無論、振り回される凶刃はそれを容易には許してくれない。
その場の凄惨な光景は、この基地内で起こっている殺戮の縮図だった。
圧倒的強者による、弱者たちの蹂躙。彼らの生命に尊厳はなく、数億年も前から続く単純な摂理に則り、狩る側の者たちにより、当然のように狩られるだけだ。
光の刃が首筋に触れる瞬間、コルボーは悟った。――――自分たちの生命に価値など元より無かったのだ。考える必要も、思い悩む意味も全てが皆無だったのだ。
今、この瞬間、こうして何一つ劇的な瞬間を迎えることもなく、無惨に狩られるだけに存在していたのだ。トムスも、マークも、ミランも――――これまで死んでいった全ての仲間達も同様に。
だからもう恐れることなど無い。そうなるべき瞬間が訪れただけなのだから。
そして再び、鮮緑の閃光が、閉じる暇もなかった視界の隅を駆け抜けた。
―――― * * * ――――
「B、D、GからJまでのブロックが完全に制圧されました!」
「セルヴォ技術局長より通信! 死傷者多数! 救護班間に合いません!」
オペレーターたちが慌ただしく告げる基地内部の状況は、エルピスを絶望へと追いやるのに十分だった。
いや、エルピスだけではない。言葉として情報を正確に伝えながらも、オペレーターたちは精神的にギリギリのラインを保っていた。
もはや確信に近い。白の団は壊滅する。――――いや、している。あとに残るのは儚い理想の残滓だけだ。
「司令! Fブロックに敵が侵入!」
ルージュが大声で伝えた情報に、エルピスは殊更声を荒げ、「いけません! それだけは!」と叫び声を上げた。
Fブロック――――そこはシエル達が立て篭もっている談話室が設置された区画だ。
だが、エルピスがどれだけ吠えようと、既に敵の侵攻を妨げる、味方の戦力は何処にもなかった。
誰かが上げた、耳を劈くような悲鳴とともに、崩れたシャッターから単眼のレプリロイド達が姿を現す。
侵略者に相応しい威圧感を放ちながら、激しく明滅する紅の灯りに照らされ蠢く様は、まるで地獄からの死者だった。
白の団のレプリロイド達は身を震わせ、悲鳴を上げ、取り乱しながら部屋の隅へと集まってゆく。だが、そこから先へ逃げ出す道は残されていない。
これから行われる虐殺の様子を、誰もが容易に想像できた。ここに集まったレプリロイドは誰一人として助かりはしないだろう。――――ただ一人、人間である彼女を除いて。
「何やってるんだい、シエル!」
ロシニョルが叱るように声をかける。
恐怖に怯えるまま、肩身を寄せ合うレプリロイド達を守るように、シエルはパンテオン達の前に立ちふさがり、両手を広げていた。
人間の少女が、レプリロイドの為に体を張る――――その異様な光景に、感情を削がれたパンテオンたちですら、逡巡している。
「私は……人間だから」
人間だから殺されるようなことはない。だから皆の盾となろう。――――あまりにも単純で愚かな思考と行動に、思わずロシニョルは「バカを言うんでないよ!」と声を荒げ、彼女の身体を後ろから抱き留めた。
「あんたがそんな無茶する必要なんて無い! 人間だって死ぬんだよ! そんなことしてる暇があるなら、あんただけでも――――」
「 私 は 逃 げ な い 」
ロシニョルの言葉を聞くより早く、それを断る。
シエルの決意と信念の強さに、思わずロシニョルも気圧される。
「……私は逃げない、絶対に。みんなが――――白の団が、もしも本当にここで負けてしまうのなら、私もここで死ぬ方を選ぶわ」
シエルの声は震えていた。けれど、確かな力強さがあった。
たとえここで一人生き残ったところで、何の意味があるのか。その後の生き方を考えれば、選択肢はひとつしかない。
白の団をエルピスとともに立ち上げてから、彼女にとってこの場所は、ここに住むメンバー達は何よりもかけがえのない存在となっていた。もしもそれを失って生きるのならば、死ぬよりも苦しむに違いない。
それならば、命懸けの抵抗を続ける。何一つ役に立つかも分からない。実際、敵のパンテオンたちに、こんな人間の“小娘”一人が立ち向かったところで障害の一つにもなりはしないだろう。だが、それでも、自分にできる限りの“戦い”をしなければ、きっとそこには後悔しか残らない。それを彼女は何度も、痛いほどに味わってきた。
それからシエルは「それにね」と付け加えた。
「私は……信じてるのよ。絶対に大丈夫だって……」
この状況で苦し紛れのほほ笑みを浮かべて何になるのかと、嘲笑うように、パンテオン達はバスターの銃口をシエルへと向ける。
けれど、シエルは目を逸らさなかった。一つの確信と、約束を糧に。
「……私、泣き虫だった。本当に、泣いてばかりで……みんなの力になんてなれなかった。だけど――――」
声は尚も震えている。けれど、シエルのほほ笑みは揺るがない。
「言ったのよ、彼が。……『二度と泣いたりするんじゃない』『お前は、“お前の英雄”を信じて、無邪気に笑って、理想を語ってればいいんだよ』って……言ってくれたの。だから――――」
シエルは、揺るがない。彼女の気迫に、とうとうパンテオン達が後ずさる。
「決めたのよ、私――――」
『もう絶対に泣かない』『信じ抜いてみせる』って
だって
“彼”は“私の英雄”なんだから――――……‥‥
「本当に………無茶しやがるよ、お前は」
そう言って、頭を優しく撫でる大きな手。
彼の声に「へへ」と笑ってみせたあと、気が緩んだのか、倒れこむシエル。その身体を、そのまま優しく抱き留める。
小柄な少女の体。しかし、誰よりも強い生命力と、意志の力を放った彼女の輝きを、彼はしかと心に刻んだ。――――護るべき者として。
「ロシニョル、すまない。小娘を頼む」
そう言って、丁重にロシニョルへとシエルの体を預ける。
それから、くるりと回り、残ったパンテオン達へと視線を向ける。
一瞬にして三体のパンテオンがスクラップと化した。正直、パンテオン達だけでなく白の団のメンバーも、状況の整理がつかなかった。何もかもが、彼らの知覚の外だったのだ。
彼は「さて」と短く口にし、頭を掻く。ここに辿り着くまでの状況は目に焼き付けてきた。その心の内に湧き上がるものは、単純な感情だった。
「俺は怒ってるんだ。……分かるよな?」
そう言って、再び光の刃を解き放ち、構える。
「覚悟しろよ、ボンクラども」
鬼の形相で睨みつけ、ゼロは地を蹴る。
ゼットセイバーが大きく弧を描き、反撃の狼煙を上げた。
―――― * * * ――――
「……なんだ…これは…………」
その場に辿り着いたシメオンの口から衝いて出てきたのは、そんな間の抜けた一言だった。
紅いイレギュラーの足取りを掴み、追跡し、ようやくその本拠地を突き止め、辿り着いた。しかし、目の前に広がる光景は、憎き紅いイレギュラーの本拠地として彼が心に思い描いたものと百八十度異なる世界だった。
その場に降り立った者が皆、まず最初に注目したのは、視界の先にそびえる大きく豪勢な屋敷だった。とてもレジスタンスの本拠地とは思えない、まるで人間の貴族階級が暮らしているような、そんな屋敷だ。
頭上にあるのはどこまでも蒼く広がる空と、優しく浮かぶ白い雲。周囲にあるのは青々と茂った草原と、色とりどりの花々。どれも人工物だろうが、とても一介の庶民が手出しできるようなものではないだろう。更には人工の池や噴水など、まるでメガロポリスに住む人間の屋敷のようだ。
――――そう、そこはきっと楽園だった。
そしてまた、言葉を失う。
屋敷の前に、数十人の影が並び、こちらを見つめているのが見える。そこにいるのは皆、レプリロイドだった。少年型、少女型のレプリロイドばかりが怯えたように身を寄せ合い、一部の成人型が、強張った表情でコチラを睨んでいる。
「隊長……これは――――」
漸く問いかけたシメオンの言葉を遮り、クラフトが前に進み出る。そのまま屋敷に向かい直進していく彼に、部下たちは戸惑いながらも続いていった。
「……我々はイレギュラーハンター第十七精鋭部隊。Sランクイレギュラー“紅いイレギュラー”を捜索している」
軽い自己紹介を終えた後、ランチャーをちらつかせる。
「この屋敷が奴の拠点だという可能性が高い為、探索をさせてもらいたい。無論、協力してくれれば、手荒な真似はしない。――――『協力してくれれば』……な」
その気迫に、子供たちが怯えながら後ずさる。この構図を端から眺めれば、おそらくクラフト達は完全に悪役と見なされただろう。
だが、十七部隊も容易に退くことはできない。漸く掴んだ紅いイレギュラーの尻尾だ。どのような手を使ってでも、手繰り寄せねばならない。――――そう、どのような手を使っても。例えそれが一方的な暴力となろうとも、だ。
押し黙ったまま硬直状態が数分程経過した後、一人の老人レプリロイドが前に進み出てきた。クラフトは何者かと身構えたが、その老人のがあまりにも平凡で、何の覇気も纏っていないことに拍子抜けし、思わず警戒を解いた。
「これはこれは……イレギュラーハンターの皆様、ようこそおいでなすった。ワシはアンドリューと言ってな、この屋敷に住まわせてもらっておる。……まあ、ここにいる者たちの代表というところじゃ」
「アンドリュー殿……。貴殿がこのような屋敷に住む理由については深く触れん……が、紅いイレギュラーがこの場所を拠点としている可能性が高いのは事実だ。ぜひ、内部を探索させてもらいたい」
「ふぁ? 紅い……なんじゃ? トマト?」
手を耳にかざし、よく聞き取れなかったと身振りする。一見ふざけているようにも見えたが、アンドリューと名乗るその老人レプリロイドの様子から、どうやら本当に聞こえていないらしいというのが分かった。
痺れを切らしたマティアスが「このジジイが」と前に飛び出そうとしたが、部下がそれを必死で抑えた。
「……すまないが、無駄な時間をとっている暇はない。強行させてもらう」
クラフトはあくまでも冷静にそう言い放ち、部下たちに手振りで前進を促した。
銃器を構え、前へと進む十七部隊。それを見て、今にもレプリロイド達は悲鳴を上げ、その場から逃げ出そうと構えた。その瞬間だった――――
「 こ の 愚 か 者 ど も が ぁ !!」
その場の空気が大きく震えたような気がした。思わず、誰もがその足を止め、先程まで惚けている風だった老人レプリロイドに注目した。
クラフトですら、その予想外の反応に、返す言葉を失う。
アンドリューはそのまま、ふさふさの眉毛に隠れた眼を、鋭く輝かせ、杖で強く地面を打ち付けると、十七部隊の面々を叱咤するように怒鳴りつける。
「 こ こ が ネ オ ・ ア ル カ デ ィ ア 政 府 元 老 院 名 誉 議 長 ―――― バ イ ル 卿 の 別 邸 と 知 っ て の 乱 暴 狼 藉 か !? イ レ ギ ュ ラ ー ハ ン タ ー 風 情 が ! 身 の 程 を 弁 え ぇ い !!」
思わず十七部隊全員が後ずさる。先程までとは全く異なった、その老人の様子に、誰もが戸惑いの色を浮かべた。
同時に、「バイル卿」――――その名の意味を理解し、クラフトは自分でも知らぬ間に奥歯を噛み締めていた。
―――― 6 ――――
「エルピス、全団員を今すぐ引っ込めろ。全員、避難所の警備に当たらせるんだ」
「しかし、それでは……!」
「俺が派手に動きまわって敵を誘導する。それなら文句はないだろう」
「分かりました」と渋々受け入れるエルピスの声を聞いた後、ゼロは手早く仲間へ指示を出す。
「コルボー、この談話室の守備はお前たちに任せる。――――やれるな?」
そう問われ、横からヘルマンが「やれるに決まってんだろ」と口を挟むが、コルボーは答えに戸惑う。
「……でも、ゼロさんは」
「安心しろ。ここへはもう二度と敵が近づかないようにしてみせる」
得意げに言ってみせるゼロに、コルボーは思わず「違いますよ」と声を荒げる。コルボーは何も自分の心配をしているわけではない。
だらりと伸びたゼロの左腕を指差し、「そんな状態で」と言いかけると、ゼロの手が頭を軽く叩き、遮る。
「無傷でなんとかなるほど楽な戦いじゃあない。けど、俺がやらなきゃ誰がやる?」
ゼロの言葉に反論できず、悔しげに拳を握る。
先程、アスラ・バスラに殺される寸前だったコルボーを庇い、ゼロの左腕は傷を負った。不意をついた登場のお陰で、アスラ・バスラ自体は難なく倒すことができたが、その傷は軽くない。
だが、そのアスラ・バスラも残り二体、バーブル・ヘケロットの存在も数えれば、全部で三体のミュートスレプリロイドとやり合わなければならない。苦戦が強いられることは必至だ。
それでもゼロは、心配する他の皆に「大丈夫だ」と笑って答える。
「傷みはあるが神経が全て切れたワケじゃない。アースクラッシュの回路も無事らしいし、そこまで差し障りのある状態じゃない。――――直ぐに片をつけてくるさ」
それからロシニョルが支えているシエルの方を向く。緊張の糸がほどけたらしく、疲労の色が一気に表れていた。
それでも、ゼロには苦しい表情を見せまいとしているのがひしひしと伝わり、ゼロ自身もそれについて声をかけようとはしなかった。
「シエルはあんたが来てくれることを、誰よりも信じていたんだよ」
ロシニョルがそう言うと、シエルははにかんで見せた。そんな彼女の頭を優しく撫でる。
「遅くなってすまない。もう大丈夫だ」
「全然気にしてないわ。信じてたから」
それからゼロは影で隠れていたアルエットを呼び寄せる。アルエットは呼ばれたまま駆け寄ると、そのままシエルにしがみつくようにして抱きついた。
「ごめんね……おねえちゃん」
シエルの想いを理解していながら、こうしてまた白の団へと戻ってきたことに、アルエットは謝罪する。シエルは一瞬驚いたような顔をしたが、直ぐにアルエットを抱き締め返した。
「……ありがとう、アルエット。来てくれて嬉しいわ」
ほんの少しだけ訪れる安らぎの時間。
ふと気づくと、既にゼロはその場を去っていた。二人の様子を見て、「大丈夫だ」と確信したのだろう。
そしてまた、次の戦場へと足を向けたのだ。
「気をつけてね、ゼロ……」
一抹の不安を抱えながら、シエルは誰もいない扉に向かい、そう呟いた。
「ゲロゲロゲロ」と、ヘケロットは殊更うれしげに野太くなった笑い声を上げる。この拠点を掌握しつつあるのも当然だが、それに加えて二つの特典がついて来てくれたことに、歓喜が尽きない。
パンテオン達のアイカメラ情報を一手に収束、確認していると、あのDr. シエルが潜んでいたばかりではなく、紅いイレギュラーまで現れたのだ。
「これぞ、“飛んで火に入る夏の虫”ゲロ!」
そして、一気に基地中の部隊に通信する。「紅いイレギュラーを捕捉、抹殺せよ」と指示を受けた軍団員たちは、現在掌握しつつあるエリアを放棄し、各所に配置したメカニロイドたちからの情報を元に、紅いイレギュラー目指して進軍を開始した。
これまでに多くのミュートスレプリロイド達を倒し、人類の期待を背負った第十七精鋭部隊を退け続け、闘将や妖将の手からも逃れ続けた最強の敵が、今、すぐ傍にいるのだ。この圧倒的戦力を以って戦えば、負けるヴィジョンなど誰が描けよう。勝利は、手柄は、栄光は目前だ。
「なんとしても紅いイレギュラーを破壊するゲロぉ!!」
再三に渡り、声を大にして指示を送る。残り二体のアスラ・バスラが、万が一敗れたとしても、奴が戦闘の中で負う傷は浅くない筈だ。最後のトドメを自分が刺せばいい。
自分も紅いイレギュラーの情報を逐次確認しながら、悠々とした足取りで動き始めた。
同じ頃、紅いイレギュラー――――ゼロは数ヶ月ぶりの懐かしさを感じる暇もないまま、ゼットセイバーを片手に基地の廊下を駆け抜けていた。
湧き出るように迫りくる斬影軍団のメカニロイド達を次々と斬り伏せ、仲間を救っては避難所へと誘導し、また、何体ものパンテオン達を葬って行った。
「この程度で……俺を止められると思うなよ!」
緊急加速装置を利用して敵との間合いを一気に詰めて斬り殺す――――疾風牙。その場で体ごと回転し、近づく敵を連続的に切り刻んでいく――――円水斬。そこから雷を纏ったセイバーを手に空中へと切り上げる――――電刃。飛び上がった体のまま、滑空攻撃を仕掛ける――――旋墜斬。爆炎に包まれながら、目前に迫った敵を貫く――――葉断突。
自身が持てる、あらゆる技を駆使し、ネオ・アルカディアの軍勢を薙ぎ倒してゆく。
不意に、背筋に走る悪寒に従い、身を翻す。すると、後方から三本の刃がゼロの身体へと切りつけてきた。間一髪でそれを躱し、敵を見据える。
二体目のアスラ・バスラ。先程とは違う、直接対決だ。つまりはミュートスレプリロイドである敵の真の力量を、諸に受けるということだ。
だが、ゼロは少しの躊躇いも見せること無く、その場に崩れたパンテオンの頭部を鷲掴み、アスラ・バスラへと投げつける。アスラ・バスラはそれを一本の腕に持ったシールドで受け流し、その後方から接近するゼロへと三本の腕を巧みに操り斬りつける。
しかし、アスラ・バスラの攻撃を受け止めるでもなく、ゼロの身体はそのまま駆け抜けた。――――いや、違う。先程パンテオンの身体を受け流したシールドを持った腕が見事に切り捨てられている。次に眼前に広がったのは、自身が持っていたはずのシールドの装飾だった。咄嗟に三本の腕を曲げ、その後方に隠れた身体へとサーベルの切っ先を向けるが、それより早く、シールドと共に頭部を光の刃で貫かれた。
ゼロはそのまま、アスラ・バスラの身体を乱暴に蹴り倒す。
捨て身に近い攻撃ではあったが、今後の連戦を考えれば、早期に敵を片付けるに越したことはない。それ故に乱暴な戦法をとったのだ。しかし“釣り銭”は十分なものだった。先程、アスラ・バスラが最後の力を振り絞り、サーベルの切っ先が脇腹と首筋に僅かだが突き刺さった。傷みが思考を妨げ始めたので、感度が鈍ることを恐れて残していた痛覚センサーを、完全に遮断した。
これで自身のダメージについての情報は、データとして得る以外には無くなった。今後は戦闘中に、自身の限度をいちいち気にすることはできなくなったわけだ。
――――それでも……構わない
当然、利口な策とは言い切れない。自身が生き残ることを勘定に入れていない策といえば、それまでだ。
だが、それでもゼロはそうする以外に、道はないと考えた。この先、いかなる傷を負おうとも、白の団は救ってみせる。しかしどれだけの状態になろうとも、必ず自分も生き残り、彼らを守り続ける。
その信念と誓いだけが、今のゼロを突き動かしていた。
二体のミュートスレプリロイドを倒したところで、休憩と行きたかったが、その暇はない。敵の軍勢を切り捨て続け、ゼロは大ホールへと辿り着く。すると彼の行動を予測していたのか、三体目のアスラ・バスラがその場に構えていた。
言葉を発しこそしないが、赤い面のような不気味な顔が、何処か嬉しそうに嗤っているように見えた。「他の二体をよく倒した」「自分はあの様な無様な負け方はしないぞ」とでも言いたげに体を揺らし、ゼロへと飛びかかる。
一撃を防ぎ、力を受け流すようにして、その場から横に飛び退く。――――と、咄嗟に身を屈め、ブーメランのように自身へ向けて放り投げられた三本の曲刀型サーベルを躱した。かと思えば、アスラ・バスラは飛び上がり、空中でそれらを華麗にキャッチすると、その勢いのままゼロへと再び斬りかかる。ゼロは転がるようにその場から離れ、辛うじて躱し、無理矢理身体を立たせる。
しかし、アスラ・バスラの攻撃の手は緩まない。ゼロが斬りつけるより早く、アスラ・バスラは身体を軸に、駒のように回転しながらゼロへと迫ってきた。間一髪で躱すが、背後にあった壁がサーベルにより酷く抉られる様を見て、その威力に舌を鳴らす。
攻撃の隙を突き、閃光の速度で葉断突を繰り出す。だが、その一撃はシールドで受け流され、代わりに振り下ろされる三本の刃を躱す為、飛び退き、再び距離を取る。
それからアスラ・バスラは再び回転し始め、ゼロへと迫る。ゼロはその機を待っていたというように飛び上がる。そして、その回転斬りの弱点――――中心部分となるアスラ・バスラの身体へと炎を纏わせた刃を向け、一気に落下する。断地炎――――直撃とともに敵を爆殺する必殺の剣技。
「終わりだ!」
そう言った瞬間、アスラ・バスラは回転を止め、頭上を見上げることもなく、サーベルを真上へと投げ上げた。
動きを読まれたことに驚きながらも、体勢を崩し、セイバーでサーベルを捌く。が、二本捌いたところで手が追いつかず、三本目の刃が右肩を斬りつけた。噴き出る擬似血液に視界を遮られ、そのまま無様に地面へと落下する。――――と、直ぐ様そこから転がり起き、後から落下してきた三本のサーベルをなんとか躱す。サーベルはそのまま地面に突き刺さった。ゼロがいた筈の場所へ。咄嗟に避けていなければ、両腕、片足が切断されていた。
それからアスラ・バスラは悠々とそれらの剣を引き抜き、「自身の弱点ぐらい、熟知している」とでも言いたげに体を揺らす。嘲笑っているのだ、ゼロを。
「愉しませてくれる……」と苦々しく呟き、顔に降りかかった擬似血液を、左腕を無理矢理動かし、拭った。
三体のミュートスレプリロイド達との連戦。普通に考えれば、尋常な戦闘ではない。しかし、更にまだ一体残っているのだ。こんなところで弱音を吐いている場合ではない。
徐々に集まる敵部隊は、ゼロを囲み、アスラ・バスラの攻撃の巻き添えにならないよう、慎重に距離を測り、様子を見ているようだった。おそらく、敵の残り兵力は皆、ここに集結しただろう。
このままアスラ・バスラを倒したとしても、これだけの数の敵を相手に立ち回り、それからもう一体のミュートスレプリロイドとやり合うことを考えると、気の遠くなるような思いがした。
「仕方ない」とゼロは溜息を一つ吐く。
それから、自身が最後にとっておいた戦術に全てを託すことを決め、構えた。
「悪いな、エルピス」
不敵な笑みを浮かべながら、そう呟く。垂れ下がった左腕には、エネルギーが急速に蓄積されていた。
―――― * * * ――――
大きな爆音とともに、基地施設が激しく揺れる。何事かと思いながら、ヘケロットはすっかり静まった廊下を走りぬけ、目的の大ホールへと向かった。
もしも何かしらの問題が起こったとすれば、この場所に違いない。今現在、紅いイレギュラーが暴れているはずの場所だ。きっとアスラ・バスラとの戦いの最中に動きがあったのだろう。
そして、その光景を眼にして、ヘケロットは全てを理解した。
大ホールの床は大きく窪み、部下たちの身体は粉微塵となり、消失していた。その中心部には、アスラ・バスラの残骸が見え、その下に隠れるように、紅いイレギュラーの身体が倒れているのが見えた。どうやら勝負は相打ちに終わったようだ。
床の窪みの理由を想像するのは簡単だ。紅いイレギュラーが持つ最強技――――アースクラッシュが放たれたが故に他ならない。アスラ・バスラの機動力を封じ、且つ意識の隙を突くため、地面を崩壊させたのだ。
“雷霆の黒豹”パンター・フラクロスを葬った、紅いイレギュラーの必殺戦術だ。それについては既に情報にあったため、アスラ・バスラも最期の一撃を紅いイレギュラーへと放つことができたのだろう。それ故の相打ち。紅いイレギュラーのあっけない最期だ。
ヘケロットは中心部へと歩を進め、倒れている二体を確認した。そして、文字通り腹を抱えて笑い出した。
「ゲロゲロゲロ!! やったゲロ! このワスの部隊がやったんだゲロ!!」
他の四軍団にも、あの十七部隊にも、クラフトにも、妖将にも、闘将にも――――まして、あのウロボックルにもできなかった紅いイレギュラー抹殺という一大任務をやり遂げたのだ。この自分が率いた部隊が、ネオ・アルカディアの宿敵紅いイレギュラーを遂に討ち取ったのだ。
歓びは尽きること無く、ヘケロットの心を沸かせた。
「これでワスこそが! このワスこそがファントム様の第一の部下であることが決まったゲロぉ!!」
これだけの大手柄を立てたのだ。きっとファントムも認めてくれる。――――誰よりも敬う己の主、その人が、自分を一番の部下と認めてくれるに違いない。ウロボックルでも、ハヌマシーンでも無い、このバーブル・ヘケロットこそが真の片腕であると、そう認めてくれるに違いない。
湧き上がる感動と、歓喜の想いが、膨らんだ身体を心地よく満たしていく。これまでの屈辱の日々が、忍耐の日々が報われた瞬間。ヘケロットの高笑いが留まることはない。そう――――自身の腹に三本のサーベルが突き立てられても尚、その笑い声はしばらく止まらなかった。
「ゲロゲロゲロ……ゲロ…ゲ…ロ?」
漸く気づき、そちらへと目を向ける。
昂揚した気分からの油断だけではない。敵のエネルギーを吸収し続け大きく膨らんだ腹が視界を遮ったのも災いした。
「……ゲロ……ケロ……………バカなぁ」
アスラ・バスラが手にしていたサーベルを、抱き上げた胴体ごと無理やり押し付けるようにして、ヘケロットの腹部へ突き刺した。そしてそのまま一気に押し切り、床に落ちたゼットセイバーを拾い上げると、ゼロは残る力を振り絞り、ヘケロットの胸部を一直線に貫いた。
噴水のように吹き上がる擬似体液がゼロの身体を赤黒く染め上げる。取り込んでいたエネルギーの残滓がキラキラと輝きながら宙に舞う。
「こんな……こんな終わり………無いケロぉぉ……」
萎んでいく身体。情けなく上げた断末魔とともに、元の大きさまで小さくなり、転がり落ちる。
栄光を掴んだ、その瞬間に酔いしれた。――――そう、ほんの一瞬の栄光。歓喜の時は、そのたった一瞬で消え失せた。あとに残るのは、絶望だけだった。
薄れゆく意識の中、満身創痍の身体でその場に立つ紅いイレギュラーを睨んだ。
――――これだけで……終わらせないケロぉ
最期の力を振り絞り、戦術データリンクへとアクセスする。
そして自身が掴んだ手がかりを、どうか親愛なる主へ届くようにと祈りながら、垂れ流した。
そのうち、ヘケロットは自身でも気づかぬまま、静かに事切れた。
NEXT STAGE
罪 と 罰