…
……
……………
…………………
………声がする
名を呼ぶ声が
助けを求め 救いを求め
叫ぶ声が
聞こえる
涙まじりの 少女の声が
眼前に広がるは暗闇
色もない 音もない
触覚も 己の存在を確かめるもの全て
何もない
それでも 聞こえる……‥‥
――――…もう…いいよね?
(…誰だ?)
――――…君も十分休んだよね?
(…誰なんだ?)
耳の奥で響く優しい声
しかし、問い返した言葉は何もつかめず、暗黒に消える
――――…さあ、「 」。彼女を…
(……何だ?)
――――…「みんな」を、任せたよ……
(……)
響きが遠ざかる
そして、声は聞こえなくなる
(……待て……待てよ……おい…)
慌てて呼びかける
けれど、見えない声の主は離れてゆく
不意に、彼は気づく
(…お前は…)
……お前は……?
(…………俺は……?)
俺は
繰り返す問い
突き刺さる衝撃
見つかりかけた答えを消し去るように
鮮烈な光が
闇を
切り裂いた
「目覚めて」
第一部
X〜エックス〜
覚醒編
OPENING STAGE
涙の少女と
寝起きのマルス
―――― 1 ――――
「――――現在、目標は遺跡内を逃走中。イレギュラー十二体に、人間一人」
管制室に早足で入ってきた彼に、オペレーターとして座っているレプリロイドの一人が状況を伝える。
薄暗い部屋を照らしているのは、遺跡内の映像を映す十数枚のモニターとコンソールのパネルの灯りだけだった。
「レヴィアタン様からの通信は?」
「はっ。『イレギュラーは即刻処分。人間は保護。逃亡中の“Dr.シエル”ならば、速やかに本国へ送還せよ』とのことです」
「了解した。――――しかし…解せんな…」
彼は訝しげな声を漏らす。
「なにが…ですか?」
「イレギュラー共に与する人間…。その小娘に執着する四天王…。そして…――――」
彼――――リーグがこの遺跡の警備隊隊長に任命されてから数年経つが、最深部については国家の最高機密として全く知らされていなかった。
四軍団が編成される前から、他の部隊により警備隊が組織されていたが、それに所属していた者たちも、一切の詳細な情報は知らされていなかったようだ。
ただ噂では、過去に破棄された研究施設があるという。とは言え、そんな場所にいったい何があるというのか。
――――命をかけてまで侵入する理由がそこにあるのか…?
眉間に皺を寄せながら、リーグはモニターに映る侵入者達の顔を睨みつけ、その理由について一人、頭を悩ませた。
飛び交う光。頬を掠めるエネルギー弾。遺跡の壁は抉れ、破片が散る。駆ける足は疲労を訴え、同朋の死は心を蝕む。
追うものと追われるもの。狩るものと狩られるもの。――――数億年前からこの世界を支配している驚くほど単純な構図は、栄華を誇った生物のほとんどが死滅したこの時代においてもほとんど変わることのない生命の摂理として存在していた。
もっとも、この場にいる中で真に生物と言えるのは、人間である「彼女」ただ1人。後は皆、人類が自らを模倣して生み出した疑似生命体、「レプリロイド」なのだが。
「ここは俺たちが引き受ける!」
「ミラン!シエルを頼んだぞ!」
貧弱なエネルギー銃を敵の単眼レプリロイド――――「パンテオン」の群れに向けて連射しながら仲間が叫んだ。
仲間に名を呼ばれたミランは、片腕を掲げ、力強い声で応える。
「任せろ!…行こう、シエル」
銃を脇に抱え、少女に声をかける。
少しだけ迷いながらも、仲間の期待に応えるべく、人間の少女――――シエルは頷いた。
しかし再び走り出した瞬間、シエルは遺跡の破片に躓いてしまった。「きゃっ」と声を上げ、倒れこむ。
その声を聞きつけたミランは慌てて彼女に駆け寄る。流れ弾が頬を掠めるが、微塵も気にする様子なく、シエルの肩に手をやる。
「大丈夫か!?」
「平気……っ!!」
立ち上がろうとしたシエルの足に激痛が走る。どうやら挫いてしまったらしい。無理もない。一時間以上も走り回っていたために、足に疲労がたまっていたのだろう。
まともに歩くことすらままならないことを察したミランは、携帯していた銃を捨て彼女を両腕で抱えて走り出した。
「ごめん、ミラン…」
申し訳なさそうな顔をするシエルに、ミランは前を向いたまま、優しく笑いかけた。
「心配するなよ、シエル。…俺はさ、“ネオ・アルカディア”にいた時は、ペット以下の扱いだったんだぜ?」
その言葉に、シエルは“人間”として胸を締め付けられる。
人間とレプリロイドの身分的格差。それはこの世界を取り巻いている新たなヒエラルキーを象徴していた。
だが、ミランが言いたいことはそういうことではない。
「それに比べりゃ、これくらいなんてことないよ」
己のために。みんなのために。そして、何より君のために。
そう思って自らこの道を選んだのだ。
――――後悔もしていない。
ただひたすら希望に向かって、走り続けた。
ミランとシエルが走り去る姿を見届ける間もなく、仲間たちはパンテオンの軍勢を先に進めまいと奮闘し続けた。
「これ以上先には行かせねぇぞ!」
「くたばれ木偶野郎共!」
「シエルの道を、希望の道を邪魔はさせない!」と言うように、一人、また一人と仲間が目の前でスクラップに変えられていくにも関わらず、彼らは決して怯えも、恐れもしなかった。
彼らは大いなる使命感によって支えられていたのだ。しかし――――
「…!?」
そうした使命感も、時に圧倒的な「力」の前ではいとも簡単にへし折られてしまうものだ。
遺跡の壁面をこすりながら近づいてくる巨大な影に、一人が気付く。
――――…あれは……!
識別すると同時に、彼の頬に生ぬるい疑似血液が飛び散った。
現れたメカニロイドは、そこにいた数体のレプリロイドを自慢の剛腕で丸ごと鉄くずにかえてしまった。
「ひっ…」
そのメカニロイドこそ、ネオ・アルカディアの番兵にして力の象徴――――「ゴーレム」
五メートルを越える巨躯で浮遊し、その威圧感で敵を圧倒。
特殊素材で組まれた超硬質なワイヤーは、その身から放たれた己の腕を一気に巻き戻す。次のターゲットに撃ち込むために。
「い…いやだ…」
幸運にも一人残された彼だが、逃れる道は最早どこにもなかった。腰が抜けたらしく、その場にへたり込む。
「やめて…くれよ…」
ゴーレムの腕がカシンッと無機質な音を立て、巻き戻る。
彼の顔が悲痛と恐怖で歪み、みるみる青ざめてゆく。
「頼む…。助けて…。助けてくれよ。なあ…。…死にたくない。死にたくないぃ」
傍に横たわる仲間の亡骸は微塵と化し、疑似血液やらオイルやらの混じったドス黒い液体がドロリと広がっている。それによって、地につけた手がじわじわと染色されてゆくのを感じる暇もなく、彼は懇願し続けた。
しかしそれに答えることもなく、代わりにゴーレムは再び拳を握りしめる。
「……いやだ…。いやだ…いやだ…いやだいやだいやだいやだいやだいやだっ!」
ゴーレムの巨大な腕が、壮絶な勢いで飛び出す。
「あぁあぁぁああぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁ……っ!」
鈍い音が響き、残骸が散らばる。そしてまた、ドス黒い液体が更に広範囲に渡り流れ出る。
しかし、痛める心を持たぬ感情の無い兵隊たちは、それらの光景に、少しも反応を見せること無く、ただ静かに歩みを進めた。
「ここが…」
シエル達がたどり着いたのは、見上げる程大きな扉の前だった。いたるところで塗装が剥がれ、壁面にヒビが入り、すっかり劣化している。
だが、その扉から発せられる崇高な雰囲気が、その先にあるものの存在を物語っていた。
――――…この奥に、彼が…。
「ダメだ、ロックが掛かっている」
扉の開閉装置を少しいじってから、ミランは合図する。それを受けたシエルは、左腕に付けた腕時計のような装置に話しかける。
「パッシィ。お願い」
「任せて、シエル」
声とともに、腕の装置のエメラルドグリーンの部分が輝き、光る物体が現れた。
光る“妖精”、情報生命体「サイバーエルフ」のパッシィは電子ロックに直接アクセスし、ハッキングを開始した。
その間、僅か数秒。「カシャリ」とカギの開く音がした。
「オーケーよ、シエル」
「急がなきゃ……!」
駆け足で扉をくぐったが、あることに気づいて直ぐ様足が止まる。
「…ミラン?」
後に続くと思われたミランが、その場で立ち止まったままだ。それどころか、何かを考えているような表情を見せる。
「ミラン…どうしたの?」
不安の入り混じった声で問いかけるシエルに、ミランは決心したような声で答えた。
「…俺はここで時間を稼ぐ」
思わず「え?」と声を漏らすシエルに背を向け、ミランはパッシィに「頼む」となんの躊躇いも見せずに言った。
言葉の内に秘められた覚悟に、パッシィは頷く。理由も、その意図も理解できず――――いや、理解したくなかったシエルは只管「待って!」と声を上げるが、無情にも扉は閉じられてゆく。
「シエル。…今まで――――」
「 ミ ラ ァ ン ! 」
ミランの最後の言葉を遮るように扉は閉じた。
彼の名を呼ぶ少女の声は、ただ虚しくこだました。
「シエル……」
申し訳なさそうに、彼女の名を呼びながらパッシィが顔のそばに寄る。
だが、シエルはパッシィを恨むつもりも、ミランの決断を怒ることも無かった。そして、扉に両手を当てたまま、ポツリとつぶやき始める。
「…たくさん、殺されたわ」
そう、“たくさん殺された”。――――それは、今日の犠牲者だけの話ではない。これまで数千、数万というレプリロイド達が命を落としてきた。理不尽な法の前に、規則の前に、この世界の中で。
たくさん殺され、たくさん失った。指を咥えたまま、それを傍観し続けることに、彼女はもう耐えられなかった。だからこそ決めたのだ。
「でも……もう誰も殺させない」
それは確かな誓い。握り締めた拳に力が入る。
「そのためにも、[彼]の力が必要なの」
シエルはそう言うと、静かに振り返る。
その部屋は思った以上に広々としていたが、壁や床の塗装はところどころ剥げ、コードがむき出しになっている個所も見受けられる。
数代のモニターやらコンピューターやらも確認できるが、ほとんどが機能停止していて、まともに使えそうなものは見当たらない。
「……“忘却の研究所”」
養父から聞いたその名を口にする。まさしくこの場所を指すにふさわしい名だと思った。
その奥にポツンとあるのは数十本近くの太いケーブルに繋がれた、古びたカプセル。
中央には、内に眠り続ける戦士の名前が確かに刻まれていた。
[ Z E R O ]
―――― 2 ――――
N.A.暦124年。
世界の壊滅を招いた「イレギュラー戦争」が終結し、僅かに残った人類が「ネオ・アルカディア」で暮らし始めてから一世紀以上が経過していた。
救世主と呼ばれるレプリロイド――――エックスにより建てられたその国で、人とレプリロイドは共に助け合い、平和に過ごしていた。
しかし、救世主エックスと一部の優秀なレプリロイド、また、人間による統治機関「元老院」は、下等なレプリロイドのイレギュラー化を懸念し、「人類保護法」、「レプリロイド審査法」を発布。
次第に人間は、自分たちに不都合なレプリロイドを不当にイレギュラー認定し、処分するようになった。その風潮はネオ・アルカディア全体を包み、いつしかほとんどの人間がレプリロイドをただの奴隷として見るようになった。
しかし、人間同様の感情と、より高度且つより合理的な知能を併せ持つレプリロイドは、その状況を黙って見過ごそうとはしなかった。
今や人間以上に数を増したレプリロイドたちは、それぞれの思想の下、集い、徒党を組み、ネオ・アルカディアに対するレジスタンス活動を行うようになる。
人間を守るべく戦う救世主エックスとその軍団。人間に抗うべく戦うレジスタンス。――――ここにイレギュラー戦争以来の、レプリロイド同士が血で血を洗う殺し合いの火蓋が再び切って落とされたのだ。
しかし、それは一方的な殺戮劇の始まりでもあった。
単純な戦力のみならず、情報力、技術力、組織力、そのどれもが勝っていたネオ・アルカディアは勝利を重ね、特にこの十年間はエックスの忠臣「四天王」とその四軍団により、各地のレジスタンスチームが次々と壊滅させられていったのだ。
廃墟と砂漠まみれの大地の上、さらに多くの屍が山のように積み上げられていった。
唇を噛み締めながら、シエルはカプセル制御用コンピューターのキーボードを叩いていた。幾重にも掛けられたロックを、その天才的頭脳は、異常なほどの速さで解除してゆく。
これだけ厳重なプログラムではサイバーエルフの力を借りるワケにはいかない。プログラムを解除できたとしても、場合によってはサイバーエルフのプログラムが犠牲になることもあり得る。情報生命体が故のデリケートさ。
しかし、共に過ごした日々を思えば、これくらいの苦労は苦労の内に入らない。
それに、償いでもあった。
今回の作戦を立案したのは彼女自身だった。シエルたちのレジスタンスチーム「白の団」団長であるレプリロイド、エルピスは、この作戦に反対していた。
『シエルさん。この作戦は無謀過ぎます。確かに、我々“白の団”含め、各地のレジスタンスチームは苦境に立たされています。そして、この現状を根底から覆してくれる救世主を誰もが望んでいる。これも事実です。――――しかし、いくら“伝説の英雄”と言えど、彼は百年以上昔のレプリロイドですよ?ネオ・アルカディアの“ミュートスレプリロイド”に敵うはずもありません。せいぜいパンテオン共十数機が関の山。犠牲を払ってまで封印を解きに行くなど、愚か過ぎます。いいですか、シエルさん。悪いことは言いません。作戦を撤回してください』
エルピスの言ったことは最もだった。「ハイリスク、ローリターン」という彼の言葉は的を射ているのだろう。
「救世主エックスとともに、イレギュラー戦争を終結に導いた百年前の英雄」とは言うが、百年という歳月がどれだけの進歩を生むのか。百年よりも遥かに短い人生しか過ごしていない彼女にも、それはハッキリ分かっていた。
しかし、このままの状態で戦い続けたとして、決して事態が好転するワケではないのもまた事実。虐げられているレプリロイド達はネオ・アルカディアによって虫けらのように消されていく。ただそれだけだ。
――――それなら……
動き出すしかないと思った。
何もしないで滅びてゆくだけなら、精一杯立ち向かって、砕けたい。圧倒的スコアで、己の無力を見せつけられたなら、諦めもつく。しかし、まだ無力だと決まったワケではない。
今はただ、非力なだけ。
――――非力は無力とは違う…。
昔、どこかで聞いたその言葉を胸に、彼女はこの作戦を強行した。
その結果、二十人ほどいたメンバーは自分とミラン以外は、おそらく全滅。
さらに、扉の前にいるミランも、シエルを抱えるために銃を捨て丸腰になってしまったし、自分に至ってはもとより武器を持つことすらできない。十四歳の少女の華奢な体に軍用エネルギー銃は重すぎたのだ。
――――だけど…。
ついにここまでたどり着いた。払った多くの犠牲を無駄にしないために、彼女はキーを叩き続けた。
タンッ、と最後のキーを叩く。解除完了を伝える文字がモニターに映った。
すると、カプセルの周りからなにやら低い駆動音が聞こえ始めた。それに続いて、豪快な音を立てカプセルから白いガスが吹き出る。
ヒンヤリと冷たいそれは、中に眠る「彼」の人工皮膚や疑似体液の鮮度を保っていたのだろう。
そして、間を置かず「バクンッ」という音を発してから、カプセルカバーはゆっくりと開かれた。
―――― 3 ――――
『友達は人間だから、傷つけちゃダメなんだって』
そう言って少年は、銃口を俺に向けた。
『でも、お前、レプリロイドだから、撃ってみてもいいよね。ね。試しにやらせてよ。いいでしょ。だってさ――――』
どうせ壊れたって
修理すればいいんだから
ずっと昔のような
忘れかけていた最近の記憶
「痛覚」を切ることは許されなかった。それどころか、感度を通常の数十倍に、強制的に設定させられた。
僅かな傷で激痛が走る。太股の一部が焼けただけで、脳の回路まで焼き切れる感覚がした。
一日で終わるハズもなく、少年は学校で嫌なことがあれば、必ず俺でストレスを発散した。
友人を招き入れ、どちらが一番面白い反応を俺にさせることができるか、競ったこともあった。
逆に、他のレプリロイドと並べて、リアクション大会などと称して競わされたこともあった。
あまりにヒドい反応をすれば、さらに惨い仕打ちが待っていた。
人間だったなら、何度死んだことか。いっそ本当に死ねたらと思わない日はなかった。
俺を買った人間は、その地区の有力者だった。
両親と子供二人の四人家族。飼っていたレプリロイドは動物、人型併せて十四体。豪邸とまではいかないが、それなりに大きな住宅に住んでいた。
子供が幼いうちは、まだマシな方だったと思う。「お馬さんごっこ」の馬役とか、「ヒーローごっこ」の悪役とか。言う通りに動けなければ直ぐ泣いて、その声を聞きつけた父親が俺を叱りつけながらステッキで思いっきり頭部を叩いた。
それでも、まだマシだった。
思い通りの動きをすれば、子供たちは笑った。
子供の笑顔というのは反則だ。つらくとも、自分がそれに貢献できていると思えた分、苦ではなかった。
しかし、子供が学校に通い出してから二年ほどで、暴力まじりの遊びが始まった。
何体かのレプリロイドは、事故的に「精神プログラム」が閉鎖して植物状態に陥った。そうなれば捨てられ、代わりに新しい仲間が買われてくるだけだった。
それでも、「ミズガルズ」に住む下層民に買われたレプリロイドよりはマシだっただろう。
下層階級の不満は、裕福な者のそれと比べものにならないハズだから。
そんなことを考えながら、死すら生ぬるい日々を送った。
そんなある日、俺は彼女に会った。
休日だった。市場へ買い物に遣わされた。(何を買いに行かされたかは忘れた。)
とにかく俺は、時間通りに戻るため、少し駆け足になっていた。買ったものをせっせと袋に詰め、市場を抜け、路地を曲がり――――そして、彼女にぶつかった。
彼女が手にしていたカバンが地に落ちる。
彼女は人間。俺はレプリロイド。
似たような事例で、「イレギュラー処分」を受けたヤツがいたのを咄嗟に思い出した。
即座に膝をつき、頭を地面にこすりつけ謝罪をする。
ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。許してください。お願いです。イレギュラー処分だけはどうか…。どうか……。
必死で謝罪した。額の皮膚は擦り切れた。
惨めでもなんでもいい。
「イレギュラー処分」だけは嫌だ!
そんな俺に、彼女は落ち着いた声でなだめるように、言った。
『…顔をあげて、大丈夫だから』
予想外の言葉に、硬直した。自分の耳を疑った。
『気にしないで、本当に。大したことないから。ね?』
優しい声で、少しだけ笑いながら彼女は、言った。
『お互い様でしょう?』
彼女にとっては何気ない一言だったのだろう。けれど、俺にとっては大きな一言だった。
「お互い様」――――同等の存在として自分を認めてくれた初めての言葉。
顔をあげてからしばらく、俺は彼女の顔から目を離せなかった。
―――― * * * ――――
ミランは自嘲気味に笑った。
――――あれはカッコ悪かったよなあ…
武器はすでにない。あるのは文字通り、“この身一つ”。緑色の戦闘服に包まれた、脆く、軟なボディのみ。まともな戦いなどできようもない。
しかし、自身のそうした危機的状況など、少しも気にかける事無く、扉の中にいる少女へと想いを馳せる。
――――…シエルはうまくいっているだろうか。
扉を閉じてからしばらく経ったが、かの“英雄”が目覚めて、自分たちを救ってくれるような気配は、一向に感じられない。
おそらくは、何かトラブルがあったのだろう。――――普通ならそう勘付いた者は、取り乱し、自らの役目を忘れてしまうだろう。しかしミランは違った。それでも、彼女が外にいる自分へ声をかけてこないのは、そのトラブルをどうにかして解決しようと苦心している証拠だと信じて疑わなかった。
きっと彼女はそのトラブルを乗り越え、目的を達成させる。そう信じているからこそ、「まあ、いいさ」とミランは微笑みながら首をふる。
――――…基地のみんなはどうしてるかな……
アルエットはシエルが心配で酷く暗い顔してるだろう。セルヴォはきっと、シエルの身を案じて慌てる団員たちの前でも、無理やり冷静を装っていることだろう。
コルボーなんかは飛び出そうとして、みんなに止められてるかも。アイツは感情的になりやすいからな――――……‥‥
ミランの脳裏に、多くの仲間達の名前と顔が溢れるように駆け巡ってゆく。そして、その仲間たちの今を等しく想像する。
それだけではない。基地で過ごした思い出が蘇る。幸せばかりではなかった。歓びばかりではなかった。戦いは苦しかったし、悲しみに身を焦がされたこともあった。けれど、あそこは温かい場所だった。
仲間たちの事を、自身にとってかけがえのない場所のことを思うと、また笑みが零れる。
そしてだからこそ、今再び誓うことができる。
――――シエルを……“希望”を守りたい
この身が砕けようと
この身が滅びようと
「死」のその先も
許される限り
俺は彼女を守りたい
ミランは覚悟を決め、足を踏みしめ、誓いの言葉を心の真ん中に突き立てた。それは彼の中で太く、強く、煌々と輝きを放ち続けている。揺るぎない信念が、そこにある。
すでにパンテオンたちが彼を囲み、右腕に装備されたバスターの銃口を向けていた。
そこから放たれる光の弾丸が、身を抉り、骨を砕き、自身の命をいとも容易く奪い切ることだろう。しかし、それが分かっていても、不思議と恐怖は湧いてこない。
鋼の想いをそのままに、敵を強い眼差しで睨みつけ、そして――――笑ってやった。
激しい銃声が、遺跡内に轟いた。
―――― 4 ――――
カプセル内から伸びる複数のコードは束になり、両腕とうなじの部分に繋がって「彼」の体を支えていた。
シエルは「彼」に見とれていた。閉じられた瞼。整った顔立ち。何より注目すべきは、男性タイプとは思えない長さの美しく透き通った金髪。
まるで旧世紀に生きた稀代の彫刻家が仕上げた作品のように、「彼」の姿はまさに“芸術”だった。
「彼が…………」
そう、「彼」こそが、彼女が探し求めた“英雄”。皆が求めた真の“英雄”。
「――――ゼロ」
じっと彼の顔を見つめ、その瞼が開かれる時を待った。
彼はきっと今にも飛び起き、危機に瀕している自分たちの身を救ってくれることだろう。そうすればここまで命を懸けて彼女を導いてくれた仲間たちの“魂”も浮かばれよう。
シエルはただ黙って、その時が来ることを祈り、待ち続けた。しかし――――
「…どう…して…?」
おかしい。どれだけ待っても、彼は起きない。いや、それどころかその気配すらない。
瞼が開くでもなく。手足がピクリと動き出すワケでもなく。
ただ、何も起こらない。何も起こらないまま、更に数分の静寂が過ぎる。
だがそれでも、どんなに待っても、何時まで経っても、何も起こらないのだ。
「どうして…?」
阿呆のように同じ言葉を繰り返す少女。すると「シエル」とパッシィが重々しい調子で、彼女の名を呼ぶ。
その口からは信じられない事実が明かされた。
「このレプリロイド…。精神プログラムがロックされてる…」
瞬間、途方も無い絶望感がシエルを打ちのめした。
「精神プログラム」――――それは、レプリロイドの精神中枢。その人格や感情、精神活動を司る核。いわば、人間にとっての「魂」と呼ばれるものに等しい。
精神プログラムがロックされているということは、今の彼は生きているけれど死体同然の状態――――いわば“植物状態”であるということを意味していた。
「……どうして……どうしてなの………」
またも間抜けのように同じ言葉を繰り返す。しかし残念ながら、今はそれしかできない。
無論、ロックを解除する方法はある。彼の脳内に直接アクセスすればよいのだ。
だが、当然、レプリロイドの精神プログラムには強固な防壁が何重にも張り巡らされており、それなりの準備と設備がなければ、そうそういじれるものではない。
しかし、ここにあるコンピューターは、彼のボディスペックやコンディションを保つために作られた調整カプセルを管制する程度の作業しかできず、勿論そのような重労働に耐えられるだけのスペックを持ってはいなかった。
シエルは、もはやお手上げ状態となってしまったのだ。
「…いったい…何のために……」
何のためにこの作戦を強行したのか。何のためにあれだけの犠牲を払ったのか。何の為に皆、命を投げ打ったのか。
何のために。何のために。何のために――――……‥
自らを責めるような言葉だけが、沸々と湧き続ける。
「……シエル、落ち着いて」
パッシィは呆然とするシエルに再び声をかける。しかし何も言葉は返ってこない。
絶望と後悔に打ちひしがれるまま、まるで世界の終わりを目にしたような顔をしている。
――――シエル……
そんな彼女の顔をじっと見つめ、パッシィは考えた。
策はないのか。――――いや、ないわけではない。問題は、それに伴うリスクがどれだけ有るのかという点だ。
シエルがその方法を知らないわけがない。それでも敢えて口にしないのは、パッシィへの“気遣い”からだということに、当の本人も気づいていた。
しかしパッシィ自身、“それ”を行動として行うにはそれなりの覚悟が必要だ。間違いなく、自分は“消える”だろうから。
――――私は……
一人考えを巡らせた後、再びシエルの瞳を見つめる。絶望の淵に立たされ、希望を絶たれた彼女の瞳。暗く、哀しく、見つめるほどに自分の胸が苦しくなってゆく。
そしてまた考える。“どうしたいか”“どうすればいいか”――――それを考え続けることは無意味だ。そう気づいた時、道は一つに絞られ始める。
“今、何をすべきか”
窮地に立たされた大切な人を――――無二の親友を、救うために、自分は今何をすべきなのか。
そう、それ以外考える必要など無いのだ。ネオ・アルカディアという国を共に離れた時から――――彼女の理想を、夢を叶える力となろうと決めた時から、それ以外の道など歩む必要など無い。
そしてパッシィは、決断した。
「私が行く」
最初、何を言われたのか分からず、シエルは絶望に打ちひしがれた表情のまま、パッシィの方へ視線を向けた。
その様子に胸を痛めながらも、パッシィは再び「私が行くわ」と繰り返す。そこでようやく、「えっ?」という疑問符付きの言葉が返って来た。
だが、それでもシエルは理解をしていないようだった。いや、その言葉を聞くまいとしているようにパッシィには見えた。
しかし、決意を曲げるつもりは毛頭ない。パッシィは言葉を凝らし、想いを伝える。
「シエル、聞いて。……私が行くわ。私が、彼の脳内にダイブして、目覚めさせてみせる」
絡みあう視線。永遠とも思えるほんの数秒。
そしてパッシィの覚悟がシエルの心に突き刺さった時、呆然と開かれた口から一言だけ、掠れるような声で漏れ出る。
「ダメ……」
繋がる思考。全てを理解し、認識して、少女はぐっと唾を飲み込み、再び同じ言葉を返す。
先程よりも遥かに大きな声で、はっきりと、強く言い聞かせるように。
「 ダ メ よ ! 絶 対 に ダ メ !」
レプリロイドの脳内に侵入し、精神プログラムをどうにか弄ろうとすれば、その強固な防壁により確実に、サイバーエルフ程度のデータは容易に消えてしまう。
しかし、だからといって確実に目的が達成できるとも限らない。もしかしたらパッシィが消えてしまっても尚、彼は目覚めることなく眠り続けているかもしれない。
誰よりも大切に思っていた“親友”ただ一人に、そんなリスクを背負わせる訳にはいかない。
けれど、パッシィも強く訴える。
「私のことを信じて!シエル、私は、あなたが精魂込めてプログラムを組んでくれた特製のサイバーエルフなのよ!絶対に彼を目覚めさせてみせるわ!」
「それでも、あなたが――――!」
例え、うまく彼を目覚めさせられたとしても、きっとパッシィは消えてしまう。
この場所でたくさんの仲間が死んでしまった。自分の無謀な作戦に付き合ってくれた勇敢な彼らは、もう二度と帰ってくることはない。
それなのに、これ以上何を失えというのか。それも、一番の親友の命を賭けることなど到底できることではない。
そんなシエルの思いが、パッシィには痛いほど伝わっていた。それでも退く訳にはいかない。彼女もまた目の前の大切な“親友”を守りぬくために必死だった。
「お願いよ!」と何度も語気を強め、訴える。しかし、シエルは首を横に振り、拒絶を続ける。
「絶対に……絶対に許さないんだから!」
珍しく怒鳴り声を上げる。それでも、パッシィは負けじと声を張り上げる。
「私はシエルを守りたい!みんなのためにも!自分のためにも!絶対に守り抜きたいのよ!」
シエルはその迫力に気圧された。小さな存在からは、大きな決意と覚悟が溢れ出ていた。
「それでも」と言葉を返そうとした瞬間、シエルは言葉に詰まった。そして、不意に片手の甲を口に当てる。漏れ出そうな嗚咽を堪えるように。
それからまた、強く拒絶する。
「……ダメ……絶対に!絶対にダメなんだからぁ!」
その声に続くように、激しい銃声が轟く。同時に、息が止まった。
扉越しで様子が見えずとも、容易に想像がつく。外にいるミランがパンテオン達によって一方的に攻撃を受けているのだ。
丸腰の彼が、それほど持ちこたえられるワケがない。ここで本当に“英雄”を目覚めさせない限り、逆転のキッカケはあり得ない。そして、この状況を打開出来るだけの、即効性ある方策はただひとつ。
しかし、頭でどれだけ理解していても、シエルは頑として首を縦に振ろうとはしない。
「…そんなこと…絶対…」
言いかけてまた、言葉に詰まる。
そう、分かっているのだ。他に道は何処にもないことを。
そしてまた、目の前の小さな妖精の決意が決して揺るがないことを。
――――わかるけれど………‥‥
わかるからこそ
気づけば頬に涙が流れていた。最初は一筋だけ。それから堰を切ったようにぼろぼろと、幾つもの雫が頬を伝い流れ落ちた。
そして、絞りだすように言葉を続ける。
「…………ダメ…」
すると突然、ガラガラと扉が崩れ落ちる。
ミランの善戦空しく、煙の中に揺らめく青い影は陣形を組み、彼ら特有のゆっくりとした足取りで研究室内に侵入してきた。
その群れを眼にしたシエルの体は、一瞬硬直する。
――――それでも…
涙は止まること無く、溢れ続ける。
「…ダメ…。ダメだよぉ……」
少女は嗚咽混じりに訴え続ける。
「…そん…なの……イヤ…だよぉ」
十四歳の少女は座り込んで手で顔を覆い、泣き続けた。
避けられぬ運命を、友の覚悟を悟りきった彼女は、ただ涙を零すしかなかった。
この状況で、その手しか無いことを頭では理解しているからこそ、彼女はその場で泣きじゃくっていた。しかし、その姿は歳よりも幼く見えた。
「…シエル」
少女の脆い一面を目にして、パッシィは再び考える。
今かけるべき言葉は何か。今伝えるべきことは何なのか。
そしてパッシィは、優しく語りかける。
「私たち…たくさんお話したよね」
その言葉に答えるように、シエルは弱々しく頷く。
「一緒にいろんな物を見て、一緒にいろんな場所に行ったよね」
ネオ・アルカディアで共に暮らしていた日々。共に国を出て、白の団として活動した日々。
パッシィが生まれてからこの方、誰よりも信頼の置けるパートナーとして、互いに支えあってきた。言葉通り、“ずっと”一緒にいた。
「つらいときも、悲しいときも。苦しいときも、悩んだときも。一緒だったよね」
シエルのつらさを、悲しさを、苦しみを、悩みを――――全てを知り、理解してきた。
本当の意味で“一緒”にいたのだ。けれど、それだけではない。
「楽しいときも、嬉しいときも。いっぱい。いっぱい。一緒にしたよね」
共に支えあった。共に笑いあった。共に喜び合った。
そう語りかけるパッシィの声に、少女は泣きじゃくりながらも、頷き続ける。
「一緒に泣いて。一緒に笑って――――」
「ずっと…一緒だった…よ…」
パッシィの言葉の続きを、溢れ続ける涙をぬぐいながら、シエルは代わりに口にする。
そうだ。今までも、これからも、ずっと共に過ごしてゆくのだと信じていた。二人は生命の枠を越えた「親友」であり、パートナーだった。
だからこそ――――……‥‥
シエルはうるんだ瞳でパッシィを見つめた。
パッシィもまた、シエルを見つめ返した。小さな頬を慰めるように擦り寄せる。
無論、触れることはできない。けれど、何処か優しいぬくもりが感じられた。
「シエル、お願い…泣かないで」
そう願う声に少しの遠慮もなく、無情に近づく足音の群れ。既に、赤く大きな単眼を持つ魔物の群れが彼女たちを包囲していた。
猶予はない。もう、“その時”が来たのだ。少しも惜しむこと無く、パッシィはシエルから離れる。そしてその小さな光は背を向け、優しく笑いかけた。
「シエル……大好きだよ」
サヨナラ
誰よりも、何よりも大切な人を救うため、小さな妖精は光の海に飛び込んでいった。
―――― 5 ――――
「…どうしてよ…」
目と鼻の先に敵が迫っている。一番傍で支え続けてくれた親友はもうこの世にはいない。
それなのに、金髪の戦士は眠りから覚める、その気配すら感じさせない。彼女の命をくらい潰しても尚。
「どうして目覚めてくれないの…?」
少女の悲痛なつぶやきは、次第に叫びへと変わってゆく。
「……目覚めて!目覚めてよ!お願いだから!ねえ!助けてよ!お願い!助けて!私を……」
――――世界を………
しかし、少女の懇願虚しく、依然、英雄は未だ神話の中で眠り続けていた。
「どうして」ともう何度呟いたかわからない言葉を再び吐く。
数多くの大切な仲間達を失い、一番の親友までもが命を懸けたというのに、それでもまだ犠牲が足りないというのか。
不意に思い浮かんだ。これはもしかしたら自分に向けられた罰なのかもしれない。
すぐそこに、確かに見えている希望。それでもどんなに手を伸ばしても届かないもどかしさ。己の非力さへの苦悩、後悔、絶望。あらゆる想いが少女を黒く深い渦の底へと誘おうとする。
――――この歪んだ世界を……さらに壊し尽くしてしまった、私の……
「悪意」を生みだしてしまった、私の……
今が“贖罪の時”だというのだろうか?
そしてまた、脳裏に「彼」の嘲笑が浮かぶ。想像の中で「彼」は冷たく笑っている。“私”が歪めてしまった「彼」の心が、鋭いナイフのようにして向けられている気がした。
気づけばパンテオンたちが、鈍く光る銃口を向けている。きっと「彼」の元にれてゆくのだろう。
このあとは、バスターショットの威力を最小限に抑え、四肢の動きを封じて彼女を連れ帰り、そして「彼」の前に突き出すのだ。
――――…全ては自分でまいた種…
分かっている。戦いの引き金を引いたのは自分。
そして、逃げ出してしまったのも自分だ。
だから「彼」はきっと私を許さないだろう。
「…セルヴォ……アルエット…」
――――帰れなくてごめん……
「……ミラン………みんな………」
――――本当に赦して……
仲間たちの顔を思い浮かべ謝罪の言葉を繰り返す。
そしてついに「非力」が「無力」に変わる。
「…………パッシィ……」
親友の死を無駄にすることしか出来なかった自分。返せる言葉はただひとつだった。
――――ごめんね……
心の内側で呟くと、少女は瞼を閉じた。
もう暗闇しか見えなくなった。
―――― 6 ――――
そして少女はその瞬間、何が起こったのか理解できなかった。
自らの自由を束縛する鎖を引きちぎり、飛び出した「ソレ」は、二人の青い兵隊の頭部を一瞬にしてもぎ取った。
閃光――――その動きを形容するには、この言葉がもっとも当てはまっただろう。
流れる金髪。両腕、両脚には真紅のアーマー。体にはぴったりとフィットした黒いアンダースーツをまとっているだけ。
ろくな得物も手にしていないというのに、何のためらいもなく敵の真っ只中に着地するその姿は、まるで古代神話の英雄。
呆気にとられるシエル。状況を整理できないパンテオン達。そして時が止まる一瞬――――
そのレプリロイドはゆらりと立ち上り、そして少々場違いなセリフを口から吐き出した。
「……俺様のすぐ傍でレディーを泣かせるとは、イイ度胸してるじゃないか……」
パンテオンたちは即座に彼の存在を認識する。が、即座にまた一体、頭部を粉砕される。
彼は掴んでいた首を投げ捨て、再び吐き捨てるように言ってやった。
「覚悟しろよ、ボンクラども」
その言葉を聞きとるが先か、パンテオン達は一斉にバスターを構える。
しかし、それよりも速く戦士が視界から消える。
――――上か?
頭上を見上げる。が、いない。
――――いや…
その影の一部をようやく単眼の端に捕らえる。
――――下!?
気づいた時には、足の裏がハッキリと見てとれた。強烈な蹴りの一撃。敵を確認した兵はエネルギー弾を連射しようとするが、その刹那、標的に後ろへ回り込まれ、たちまち後頭部を潰される。
埒が明かないと感じたのか、パンテオンたちは接近戦に移るべく装備を切り替える。バスターは変形し、電気をまとった金属の棒が腕から飛び出る。
陣形を整え、戦士の周りをぐるりと取り囲む。少女のことはひとまず置いておき、とにかく障害の排除を最優先事項と決定したらしい。
――――その様子を黙って眺める金髪の戦士。
その表情には余裕のようなものすら浮かんでいる。
それも当然だ。彼にとって接近戦は十八番なのだから。
それを知らないパンテオン達は、自分たちの優勢を信じて一気に襲いかかった。
目の前の光景に圧倒され、少女は息を飲む。そこで繰り広げられる戦闘は本当に、神話の世界のように思えた。
しかし、青い集団の中に飛び込んだ戦士は、英雄というより獣だった。
数の差を物ともせず、壊し、もぎ取り、引きちぎり、破壊を尽くした。
その様子は醜いだけの殺戮のようにも見えたが、その実、“獣”の動きの端々からは特有の華やかさが感じられた。
――――全ての暴力はこの“獣”のために在り、この“獣”が行使する全ての暴力は、その美しさゆえに肯定されるのだろう
そんな考えが、ぼんやりと少女の脳裏をかすめたが、あまりの事態に、深く考えるまでには至らなかった。
最後の一人が、壁に叩きつけられた。腹部には蹴り飛ばされた跡がはっきりと見てとれた。
叩きつけられた頭部からは煙が吹き出ている。
「…なんだ……もう終わりか?」
辺りを見渡し、戦士はやれやれとため息をつく。
これだけのことをやってのけても彼にとっては、まだまだ足りなかったようだ。
「…凄い…」
シエルはそれに驚くばかりだった。十機以上いたパンテオンを、ほんの一分もかからず、且つたった一人で薙ぎ払ってしまった。
地面に散らばる敵の残骸はどれも悲惨な姿をしている。
「…これが…“ゼロ”…」
シエルの呟く声が聞こえたのか、彼は振り向き、腕についていたコードの残りを引き剥がし、投げ捨て、近づいてきた。
鋭い眼差し。細部まで整った顔。揺れる金髪。その姿にシエルは無意識に顔を赤らめた。想像以上に全てが完璧な戦士だったのだ。
彼は直ぐ傍で立ち止まり、手を腰にあて、シエルをまじまじと見る。いったい何を語りかけるのだろうか。胸が高鳴り出す。
しかし、その口から出てきたのは、今までの光景よりもさらに想像を絶する言葉だった。
「どんな女かと思えば…。ただのガキじゃないか……」
シエルはしばらく彼の言葉を理解できなかった。
―――― * * * ――――
「何が…どうなっている……」
パンテオンのアイカメラから一部始終を眺めていたリーグは驚きを隠せないでいた。
「何者だ……あのレプリロイドは…」
突然目覚めては、ネオ・アルカディアの兵隊に恐れることもなく、素手で立ち向かい、あっさりと勝利を収めてしまった謎のレプリロイド。
もしやこれが、ネオ・アルカディアが自分たちにまで秘匿としていた最重要機密だというのか。
「どうします?」
オペレーターの一人が対応を問いかける。
彼は戸惑いをどうにか隠しながら、あごに手を当てしばらく考えた後、決断した。
「…ただちにゴーレムを向かわせろ」
たとえどんな機密であろうと、あの戦士は間違いなくネオ・アルカディアに仇なすものに間違いない。
彼の直感はそう告げていた。
「我々も現地に向かう。ナイロ、イーガ、来い。…それと、至急レヴィアタン様に報告」
「なんと?」
「『謎のイレギュラーを発見。危険と判断。ただちに処理に向かう』――――と」
部下を連れ、管制室を出る。そして廊下を駆け足で突っ切った。
しかし不穏な黒い影が、背後を通り抜けたことに、彼らが気づくことはなかった。
NEXT STAGE
剣