―――― * * * ――――
「すまん……これ以上は無理だ」
頭を抱えながら俯き、そう零すコリニーをじっと見つめてから、ネージュはきっぱりと答えた。
「分かっています。今までありがとうございました」
言葉と共に腰を曲げ、頭を下げる。それは間違いなく本心からであった。
顔を上げると同時に、ネージュは右足の踵を基点にして何の迷いもないというように、少しのブレもなく振り返り、そのまま扉へと一直線に歩いていった。
その様子を、同僚たちはチラチラと確認してはいるが、誰も彼女と視線を合わせようとしない。しばらく相棒として働いていたフランツでさえも。
しかし、そのことについては理解している。何のことはない。皆、自分の生活が第一であり、厄介ごとには関わりたくないと言う、ただそれだけなのだ。それは至極当然な思考であり、恨むつもりも睨むつもりもない。
ただ一つ気になることがあるとするならば、自分が退室するまで――――いや、した後も暫く頭を抱えていたであろう、コリニー部長の心境だけだった。
オフィスを出てから、ネージュは小さく伸びをし、空を見渡す。
二週ほど前に書いた記事――――元老院による元老院議長マクシムスへの粛清疑惑に関する記事が原因で、ネージュは公安委員会により一週間程度の取り調べを受けた。
そして、それから暫くの間監視をされ、結果、「オリンポスプレス社退社命令」「ニューオリンピア及びアースガルズ全域からの強制退去命令」が公安委員会より下されたのだ。
これから数日中にミズガルズの外れへと住居を移さなければ、それ以上の刑罰もあり得るそうだ。
政府のことを考えれば、当然の動きと言って良い。現体制に対し、不満があるのも事実であるし、それが如実に表れた記事であったことも否めない。
だが、自分はただ正しいことを伝えようと努めただけだ。事実を捻じ曲げ、都合の良いように社会を牛耳ろうとする輩の方が断じて許すことができないし、それを正しいと認めたくはない。
そんな信条が許されないというのなら、何故ジャーナリストなどという職が、こんな終わりかけの世界でも残り続ける必要があるというのか。
とは言え、今の彼女は職を追われた一介の庶民に過ぎない。「フリージャーナリスト」を名乗って活動もできようが、政府の目がある以上は難しいだろう。結局は生活保護を受けるただの“無職”となるわけで、そんな自分が正義がどうだと吠えた所で、誰の耳に入るわけでも無ければ、説得力の欠片もあったものではない。
そもそもそんな事よりも、今後の生活に関することの方が厄介だ。結局、あのゴミ溜めのようなスラムに逆戻りしてしまうわけなのだから。
過去の記憶、そしてそれと照らしあわせて想像した今後の生活を考えるだけで一際大きな溜息が思わず出てしまう。
そんな憂鬱な気分で見上げた空は、いつもよりやけに狭く感じられて仕方がなかった。
どうしようもない事だと思いながらも、悩まずにはいられない頭を抱えてネージュは街を歩く。この街の無神経な賑やかさに、今の彼女はただ憤りを感じるだけだった。
「あれ? ……ネージュ…さん…ですよね」
不意に聞き覚えのある声に呼ばれ、立ち止まる。振り返るとそこには声同様、確かに見覚えのある男――――レプリロイドが立っていた。
「あなたは……確か…」
「あ、どうも。元第一部隊副長、現隊長代理のディックっす」
そう言って微笑みながらディックは軽く頭を下げた。
17th STAGE
理想の表裏
―――― 1 ――――
一歩二歩と、奥へと進むごとに、周りを囲む者達の視線が痛い程に突き刺さるのを感じる。その眼には、本国への憎しみや怒りだけでなく、自分達の塒へと突然足を踏み入れてきた仇敵とも言える相手に対する直接の感情も、当然ながら含まれていた。
だが、相手がたった一人だと分かっていながら、彼らは手を出すことができない。それは力の差が歴然としていることを理解しているからだ。故にその瞳には、怯えの感情も確かに見えた。
荒廃した世界に、過去の遺産とも呼べる廃墟の街を利用して作り上げられたレプリロイド達の集落。その集団のリーダーとも呼べる男の前に立ち、大型ランチャーの銃口を向け、クラフトは問いただす。
「ここに紅いイレギュラーが頻繁に現れると聞いた。本当か?」
突き付けられた厳つい兵器に、相手はあからさまに怯えてみせる。周囲の者達も、身を強張らせているのが目の端で分かった。
「答えれば危害は加えない。俺の目的は紅いイレギュラーだけだ」
そうは言うものの、「ネオ・アルカディアの“飼い犬”とも言えるイレギュラーハンターの言うことなど信用できない」とでも言うように、ただ怯えて身体を震わせている。
『本当か?』――――そう聞いてはいるものの、「本当だ」と答えなければ、この脅迫まがいの尋問を続けるつもりでいることを、クラフトは内心で自嘲した。
だが、しばらく銃口を突きつけていても、男は口を割らない。いや、怯えきってしまい、まともな回答が出来ずにいた。
クラフトは半ば呆れ気味に息をつくと、ランチャーを渋々肩に背負い直す。そして一際大きく声を張り上げた。集落の者たち全てに聞こえるように。
「先日、この集落の者から情報提供を受けた。故に、ここに紅いイレギュラーが出没するという話が真実であることは既に分かっている。隠そうとした所で無駄だ」
周囲を訝しむような目で見回す者たち。無理もない、自分達の中に密告者がいるのだと宣告されたのだから。その様子を見てから、クラフトはさらに言葉を続けた。
「もし君たちが友好的な意志を見せるてくれるのであれば、私は第十七精鋭部隊長の権限を以って、この集落を我々の管理下に置き、保護することを誓おう」
自分を囲むほぼ全ての眼に、動揺が見られたのをクラフトは見逃さなかった。
暫くの沈黙の後、ざわざわと声が聞こえ始める。相談を始めた。クラフトの交換条件を呑むか否かを。その様子から、紅いイレギュラーがこの集落とは本当に関係しているのだろうと揺るぎない確信を得た。
しばらくすると、一人の男がヘコヘコと頭を下げながらクラフトの下へと擦り寄ってくる。
「へへッ……旦那も人が悪いや。そういう話なら最初からそう言ってくださいよ。最初に情報流した俺のことは助けてくださるんすよね? ね?」
「チャン! 貴様か!」
男は、どこからか聞こえたその声に、肩を竦める。チャン――――そう言われたこの男こそが、クラフトに情報を流した密告者だった。
「助けてやった恩を忘れやがって! 新参が!」
「許さねえ! 裏切り者!」
次々と罵声を浴びせてくる周囲に対し、チャンは「うるせぇ! 命あってのなんとやらだ!」と怒鳴り返す。
そんなチャンの態度がどうにも気に食わなかったクラフトは、彼と視線を合わせないようにしながら尚も呼びかける。
「脅迫に来たのではない。これは交渉だ。もう一度言う。我々の保護を受けろ」
『我々の保護を受けろ』――――紅いイレギュラーを差し出せ。そう再度要求をする。
クラフトの威圧感に気圧されながら、誰もが頭を悩ませる。皆、紅いイレギュラーを差し出す訳にはいかないと思いながらも、気持ちが揺らぐ。もし要求を受け入れなかった場合どうなるか――――それを想像すれば当然のことだった。
長い睨み合いが続く。重い沈黙が場を包む。
それを切り裂くように鳴り響いたのは、一発の銃声だった。
思わずクラフトは音の方へと視線を向ける。すると、そちらから一人のレプリロイドが慌てたように走り込んでくる。
「リーダー! 奴らだ! 来やがったぁ!!」
集落のリーダーへとそう叫んだ瞬間、彼の脚に光の弾丸が命中する。「ぐぁっ」と声を上げ、その場に転がった。
騒然とする集落内に、五、六人のレプリロイドがライドチェイサーで乱入してくる。見たところ、全員、戦闘用レプリロイドらしかった。それどころか、よく見れば数体のパンテオンも引き連れている。ライドチェイサーもよく整備されているようで、どうやらネオ・アルカディアの兵らしい。
戦闘に立っているいかにもチンピラのような顔をした男が、下卑た笑みを浮かべながら言い放つ。
「オラオラ! イレギュラー共ぉ! 久々に遊びに来てやったぜぇ! ヒャハハハハッ」
クラフトはその男の顔を瞬時に判別する。――――間違いない。塵炎軍団の構成員だ。
総司令官であるファーブニルがヘルヘイムに拘束されてから、元老院より聖騎士団から代理の団長が派遣された。しかしその手腕と統率力は、まさに“流石温厚育ちの貴族様”というところで、それ故に塵炎軍団の統率は乱れ、野盗紛いの行動に出た部隊が少なからずいるという話は、塵炎軍団の一基地の隅を拠点にしているクラフトの耳にも既に届いていた。
もしも彼らの牙がネオ・アルカディアや人類へと向けられるのならば、イレギュラーとして対処しなければならない。しかし、その辺りをよく理解している彼らが襲撃するのは決まってイレギュラー達の集落であり、ネオ・アルカディアに逆らうような動きは一つも見せないことから、処分せよという指令は下されていない。
先ほど声を上げた男が手で合図をすると、部下達はライドチェイサーを乗り回し、集落の者達へ威嚇を始める。そして、女性レプリロイドに関してはその身体を引きずるようにして連れていこうとしていた。
虫唾の走るような光景ではあったが、クラフトは一喝したい気持ちを抑え、息を潜める。
処分対象でない限り、手を出す必要はない。ここで無用な騒ぎを起こすことこそ、好ましいことではないだろう。
――――仕方ない……また出直すか……
そう思った瞬間だった。
目の端に紅い影が跳躍するのを捉えた。思わず、そちらへ勢い良く振り返る。
するとそこには、光の剣を手にした、紅い背中のレプリロイドが確かに見えた。振られたビームサーベルの切っ先は、塵炎軍団員の鼻先を僅かに掠めた。
「ぐっ……! 紅いイレギュラー!?」
「くそ! またか!」と男は声を上げ、他の団員に合図する。
百体以上のネオ・アルカディア勢を相手に一人で立ち回り、数体のミュートスレプリロイドを撃破した挙句、あの闘将にまで勝利した。そんな紅いイレギュラーの実力は、既に塵炎軍団員にとって周知の事実であり、彼とまともにやり合う気になる者など何処にもいなかった。
出会ってしまったならば逃げろ――――ミュートスレプリロイドでもない普通の戦闘用レプリロイドならば、それをした所でなんら恥ではない。
かくして塵炎軍団員達は「いつかぶっ殺す」などと情けない捨て台詞を吐き捨て、嵐のように去って行った。
直後、去りゆく塵炎軍団員達の背中を見つめていた紅いイレギュラーの腕を掴み、クラフトは即座に足を払って、その場に組み敷いた。
「油断禁物だぞ…紅いイレギュラー!」
一瞬の隙を突き、紅いイレギュラーを捉えた。落ち着きを取り戻そうとしていた集落内は再び騒然とする。
クラフトは、俯せになった紅いイレギュラーの後頭部にエネルギーガンの銃口を押し付ける。「観念しろ」と声をかけるが、紅いイレギュラーもジタバタと体を動かし抵抗を試みている。
「やッ! やめろッ!!」
「『やめろ』と言われてやめる奴があるか」――――そう言った瞬間、妙な違和感が脳裏に走る。
――――待て
紅いイレギュラーはこんなにも小柄だったか。
いや、それだけではない。先ほどの声も、どこかトーンが高いような気がしてならない。よく見れば髪の色も僅かに違う気がしてきた。
違和感に気を取られていると、紅いイレギュラー(?)は腕を振り、クラフトを払いのけようとしてきた。咄嗟に胸元を抑え、身体を地面に圧しつける。――――と、妙な感触が、抑えた掌に走る。
――――………柔ら……かい……?
じっとその手のあたりを見つめる。自分の目を疑い、何度か瞬きをして、確認する。だが、間違いない。そこには小振りだが、確かに柔らかな膨らみがある。さらに、掴んだ方と別のものがもう一つ横に見える。無論、そちらはクラフトの手が圧し潰していない分、はっきりと曲線を描く膨らみが見える。
それから、おそるおそる視線を顔へと移す。そして、確信した。――――相手は紅いイレギュラーでは無い。いや、それどころか……
「…お…んな……?」
「離せバカぁ!」などと喚き散らし少女レプリロイドは尚も暴れる。
その光景を見ていた集落の者達は、皆、頭を抱える。チャンとクラフトだけが、その少女を呆然と見つめていた。
―――― * * * ――――
「停めてちょうだい」
可憐な声にそう告げられ、絢爛な屋敷の前に並ぶ車の列の最後尾に、一台の白い高級車が停車する。
しかし既に十数台が並んでおり、ここからあの大きな入口の前までは幾らか距離がある。
心配した老運転手は「よろしいのですか」と彼女に声をかける。だが、彼女は朗らかな笑みを見せながら「大丈夫よ」と答え、いつも運転手に開けてもらっていたドアを自分の手で開け、そのままドレスのスカートを少しだけ持ち上げて走っていった。
その様子を危なっかしく思い、慌てて運転手は降りる。
「そんな格好で走っては危険ですぞ! イーリス様!」
彼女――――イーリスの名前を、張り上げるようにして呼ぶが、イーリスは「聞く耳持たず」という感じで、重いドレスのまま走ってゆく。
無理もない。今日は彼女にとっても特別な日であるのだから。
しかし不意に、バランスを崩し「キャッ」と声を上げ躓く。調子に乗って、いつもより少し高めのヒールを履いたのが災いした。そのまま地面へと倒れ込みそうになる。
その身体を咄嗟であるが、あくまでも冷静に受け止める一人のレプリロイド。イーリスは顔を上げて、相手の顔を見る。
「アレクサンダ!」
アレクサンダ――――そう呼ばれた、白銀の髪に、中性的な顔をしたレプリロイドはイーリスの身体をそのまま両手で抱えて歩き始める。「大丈夫だから、下ろして」とイーリスは顔を赤らめて喚くが、アレクサンダは表情を変えぬまま首を横に振る。
「いけません、イーリス様。先程のような様子では、とてもではありませんが放っていられません」
その声もまた、性別が分からぬような極中性的ものであった。あまり彼と交流を持たぬ者であったなら、違和感を感じたかもしれない。しかし、幼い頃より十数年共に過ごしてきたイーリスは少しも気にすること無く、ただ不満そうに頬を膨らませる。
「それに、例えメガロポリス内といえど、どこにイレギュラーが潜伏し、貴方様の命を狙っているか分かったものではありません」
そう、ここはネオ・アルカディアの国家首都であり中枢、メガロポリス。一流の特権階級のみが暮らすことを許された、人類ならば誰もが憧れる夢の街。セキュリティレベルも並大抵の高さではなく、ここに侵入できるようなレジスタンスは正直考えられない。だが、それも以前までの話だ。
昨今では紅いイレギュラーや黒狼軍首領エボニー・ベルサルクなど、Sランク判定を受けるようなイレギュラーが出現してきたのも事実であり、例えメガロポリス内であっても、油断は禁物である。
しかし、「大丈夫よ」とイーリスはアレクサンダの腕の中で微笑む。
「私とお兄様には、あなたがいるもの。アレクサンダという最強の騎士が…ね。――――でしょ?」
悪戯っぽく笑ってみせたイーリスに、アレクサンダは呆れたように苦笑する。
その背中を、老運転手は微笑ましく見送った。
―――― 2 ――――
会場内は穏やかではあるが確かな盛り上がりを見せていた。いくつものテーブルの上に、豪華な料理が並び、アルコール類からお茶類まで様々な飲み物が揃えられている。
今日の主賓であるレオニード卿を囲み、元老院議員、各界の重鎮、そしてその家族などがパーティーを楽しんでいた。
「誕生日おめでとう、レオニードくん」
白髪の老人がグラスを向け、レオニードに語りかける。レオニードは獅子の鬣のようなウェーブかかった金色の長髪を揺らし、微笑みを浮かべて振り返る。
「これはこれは……ドナート卿。今日はいらして頂き、誠にありがとうございます」
「何を言うかね、レオニードくん。感謝するのは私の方だよ。こんな素敵なパーティーに招いてもらったのだからね」
そう言って、老人――――ドナートは快活に笑う。
「しかし……まさか君に抜かれてしまうとはね。元老院議長の座を。次は私かアーブラハムのハゲオヤジかと思っていたんだが」
ドナートの嫌味っぽい視線に、レオニードは苦笑する。
大学講師時代から師としてきたドナートとは良い信頼関係を築いてきた。だが、今回の元老院議長補充の件については、彼の先を行ってしまい、そのことについて言われては返す言葉がうまく見つからない。
そもそもドナート卿は候補にすら上がっておらず、そのことを自虐的に皮肉る程だから、本人も相当気にしているのだろう。
「いえ…まだそうと決まったわけではありませんので」
苦笑いを続け、渋々そう返すレオニードに、ドナートは「ハハハ、ジョークだよ」と笑って肩を叩く。
「しかし、そう謙遜する必要はない。見給え会場内を。これだけの人間が何故集まったのか……分からないわけではないだろう?」
有名所の元老院議員が十数人に、その関係者、各市長、管理局長など、政界に携わる者、レオニードと関係のあった大学関係者達だけでなく、オリンポスプレスなどのメディア各社、不動産建設関係、金融関係から、果ては食品関係と言った各業界の社長、重鎮が揃って出席している。
たかが一人の元老院議員の誕生パーティーだからと言ってこれだけの人間が一堂に会する事などあり得ない話であったし、中にはレオニードとは一度も面識のない人間すらいるのだ。それは、彼が単に民衆から支持を集める若手元老院議員だからという理由だけではない。
「皆、新たな元老院議長に取り入って甘い汁を吸いたいと思っているのだ。――――人間とはかくも欲深き生き物よ」
あのバイル卿の擁立ということで、誰の目から見ても、当選は既に確実。そんな彼が誕生日を祝うパーティーを催すというならば、それに駆けつけ、取り入るのに理由はいらないというわけだ。
かつての友人も含め誰もが、レオニードが手にするであろう、元老院議長の特権の恩恵をあずかりたいと思いここへ足を運んできている。元老院議長とはそう言う立場なのだ。
「気をつけたまえ。これから君を利用しようとする者、敵となる者が今まで以上に増える。敵味方の判断は細心の注意を払い給え。それが例え、“かつての師”であってもな」
そう鋭い目つきで忠告するドナート。少しだけ考えた後、レオニードは問い返す。
「忠告、痛み入ります。――――それではお聞きします。ドナート卿は私の敵でしょうか? 味方でしょうか?」
予想外の質問にドナートは、しばらく眼を点にして硬直した後、幾度か瞬きをする。
それから、快活な笑い声を上げると、またしてもレオニードの肩を叩いた。かと思えば、口に笑みを浮かべながらも、鋭い目付きでレオニードを見つめる。
「なに……それは自分で見極め給え。ただひとつ言えるのは、この後先短い老いぼれにとって、その座は“長年片思いを続けた憧れのマドンナも同然だ”ということだ」
「それは………丁重に扱わねばなりませんな」
ドナートはもう一度笑いながら肩を軽く叩くと、「それではまた」と他の出席者に挨拶へと向かった。
その直ぐ後、会場の扉が勢い良く内側へと開かれる。そして、「お兄さま」と声を上げ、栗色の髪をした可愛らしい少女が駆け寄ってくる。そして、飛び込むように抱きついてきた。
「お兄様、お誕生日おめでとうございます!」
「やあ、イーリス。今日も元気で何よりだ」
レオニードは駆け寄ってきたイーリスの頭を優しく撫でる。それから「けれどね」と言葉を続ける。
「君ほどの有名人が、周囲の目も気にせずこのような姿を晒してはいけないよ。周りをご覧」
イーリスは「ハッ」として周囲を見渡した。気づけば、突然のことに周囲は言葉を失い、こちらを呆然と見つめていた。
それからイーリスの頬が、紅潮してゆく。
「やだ……私ったら……」
そう言って、レオニードから慌てたようにして離れる。
その光景を見て、思わずどこからか吹き出すような音が聞こえる。それが伝染するようにして、場内は一気に笑いに包まれた。イーリスの顔は恥ずかしさのあまり更に真っ赤に染まり、仕舞いには顔を覆い隠してしまった。そんな彼女を眺めながら、レオニードも嬉しそうに笑う。
「お兄様まで……笑わないでください!」
赤い顔のまま頬を膨らませ、イーリスは不満気に言う。「分かった分かった」と繰り返しながら、レオニードは尚も笑いながら、イーリスの頭を撫でた。
元老院議長候補レオニードと“虹の歌姫”イーリス。ネオ・アルカディア内でもこれほど名の知れ渡った兄妹はいないだろう。
二人共類まれなる才能を持ち合わせながら、レオニードは女性だけでなく男性すら虜にすると噂される程の整った顔立ち、イーリスは虹のような歌声と花のように可愛らしい容貌まで兼ね備えており、多くの民衆から憧れの兄妹とされていた。
彼ら美男美女のあまりの仲睦まじさに、二人の出自のせいも相まって、怪しい噂が流れてしまうこともしばしばあった。
そんな二人のもとに、体格のいい色黒の男が近づく。
「虹の歌姫といえど、お転婆お姫様は今も健在ということかな」
「あら、エッカルト様。お久しぶりです」
「エッカルト」とレオニードも嬉しそうに彼の名を呼ぶ。色黒の男――――エッカルトは「久しぶりですな、レオニード卿」と言葉を返す。
「いや、レオニード元老院議長殿と呼ぶべきか?」
「君までやめてくれ。昔どおり『レオ』と呼んでほしい」
苦笑しながらそう言うと、エッカルトは笑って「りょーかい」とおどけたように返した。
エッカルトは空のグラスをイーリスに差し出す。それからワインを注ごうとすると、イーリスはそれを片手で制した。
「おや、酒は早かったかな?」
「いえ…そういう訳ではないのですが……」
もじもじと口篭るイーリスに、エッカルトは首を傾げる。レオニードも「別に飲んでも構わんが」と不思議がる。
レオニード、そして前の壇上にチラチラと視線を送るイーリスの様子に気がついたエッカルトは、一度グラスをテーブルに置き、「ちょっと待ってろ」とどこかへ歩いて行ってしまった。それから少しして、何かを注いだティーカップを手にして戻ってくる。そしてそのカップをイーリスに手渡した。
「ハーブティーだ。これならいいだろう?」
「エッカルト様! ありがとうございます!」
イーリスはお礼を言うと、嬉しそうにカップに飛びつく。そして、自分が思うより少しだけ熱いことを確認すると、小さい口を尖らせ「フゥー」と息を吹きかける。
その様子が子リスのように可愛らしく、思わず見とれてしまう者が何人かいた。しかしレオニードは尚も首を傾げるだけだった。
「それにしてもレオが元老院議長か……。どんどん遠くに行っちまうなぁ」
エッカルトは少しだけ寂しそうに目を細める。
レオニードとエッカルトは大学時代の友人であった。学業もサークル活動も協力しあい、時には争い、時には無茶もして、互いに高めあってきた親友である。
しかし、レオニードは首を横に振る。
「そんなことはない、エッカルト。私はいつまでも私だ。故に、私たちはいつまでも良き友だよ。君が拒まぬ限りは…ね」
「誰が拒むもんかよ。そう言ってくれると嬉しいぜ、レオ。そんな親友が元老院議長だってんなら、俺も鼻が高いってもんさ」
そう言って元気よく笑う。
それから二人でしばらく談笑を交わす。かつての他愛のない思い出や、失敗話、最近の情勢や互いの近況についての話に花が咲いた。
その途中、不意にレオニードがキョロキョロと周りを見回し始める。
「どうした?」
「いや…イーリスがいない」
妹がいないことに気づき、周囲を探す。エッカルトも場内を見渡す。しかし、どれだけ探しても、あの可愛らしい人形のような少女の姿は見当たらなかった。
「手洗いにでも行ったのだろう」とレオニードが見当をつけ、探すのを諦める。そこで急にエッカルトが肩を叩いた。それから彼が「見ろ」と指を差した方へ視線を遣る。すると、その先――――壇上にイーリスが立っていた。
「皆様! 今日は私の兄、レオニードの誕生パーティーにお越しいただき誠にありがとうございます!」
マイクを手にそう言うと、一礼する。可愛らしい歌姫の挨拶を、場内は拍手で迎える。
「僭越ながら、妹である私イーリスから、敬愛するお兄様と、会場の皆様へのプレゼントとして一曲差し上げたいと思います。――――それではお聴きください」
そう言って、再び丁寧に一礼すると、またしても場内から拍手が送られる。それが静まり始めたのを見計らって、待機していたピアニストに目配せする。
切ない旋律が場内に奏でられ始める。そして、イーリスが歌い出す。
その可愛らしい歌声は、場内全てを包み込むように響き渡る。優しく、温かい歌だった。
気づけばそこにいた全ての人の視線が彼女に釘付けとなった。華奢な体から発せられる、切なくも力強い魂を感じられる歌声。誰もがその虜となっていた。
感情を揺さぶるような一分程の演奏が終わる。
場内が沈黙に包まれる中、イーリスが「ご清聴ありがとうございました」と最後にまた丁寧に頭を下げる。だが、反応がない。
不安になって前を見ると、誰もがこちらを見つめたまま硬直していたのが分かった。「何かまた粗相をしてしまったのでは」と思い、イーリスは内心で焦り始める。
突然、一人が拍手を始める。レオニードだった。優しい微笑みを浮かべながら、手を叩いた。
それから次々と、拍手が上がる。そして、ついに場内は歓声に包まれた。イーリスの歌声に、途切れること無く賛辞が送られる。
その歓声に答え、イーリスはもう一度丁寧にお辞儀を返した。
―――― * * * ――――
扉の外にまで聞こえる歓声。アレクサンダはその声から、イーリスの企画が成功したことを確認した。
数週前から、「プレゼントは何がいいかしら」と相談を受け続け、最終的に「最も気持ちを込められる物を用意できたなら、それが一番では」と進言していたのだ。
自身も、今なお続く歓声に、安堵の溜息を吐いた。
「あら…番犬はやはり外で待たされてるのね」
挑発的な声に反応し、アレクサンダはそちらへと向く。
そこには少女が立っていた。腰まで伸びた金茶色の髪に、翡翠色の瞳。蒼いドレスワンピースを着ている。
「……あなたでしたか」
アレクサンダも彼女についてはよく見知っていた。
「フフ……。中はとても楽しそうね」
彼女はそう言って扉を見つめる。その怪しい雰囲気に、アレクサンダは咄嗟に身構えた。しかし、その様子を見て彼女は「クスクス」と小さく笑う。
「大丈夫。私は招待されていないし、ここに立ち入るつもりもないわ」
「ならば何故ここへ?」
尚もあからさまに警戒し続けるアレクサンダ。だが、彼女は相変わらず小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべたままだ。
「少し様子を見に来ただけ。いつまでも籠の中では退屈してしまうもの。――――あなたなら分かるでしょう?」
「退屈などと……そんな理由であなたに出歩かれては困る。そもそもそんな格好で『様子見』等と言われて納得ができるとお思いか」
「もしもの時の為よ。普段着で十六のか弱い乙女がこんな所を歩いていたら、余計怪しまれるでしょ?」
彼女の、どこまでが本気なのか分からないこうした態度が、アレクサンダは正直なところ苦手だった。
思わず口端を歪めると、彼女は笑みを浮かべたまま近づき、扉に触れる。だが、先程も言ったように中に入るような様子は見せなかった。
「“おじいさま”はいらっしゃっているのかしら?」
不意に、彼女が問いかける。その声は珍しく、人並みの感情が込められているような気がした。
「いえ、今日は……。ですが、我が主は“近い内に対面の機会を設ける”と仰っておりました」
「そう、ザンネン。なら、もうしばらく“籠の中”で待たせてもらうわ」
そう言って扉から手を離すと、クルリと小さく振り返り、廊下を戻ろうとする。
「私は未だにあなたを信用しておりません」
堪え切れず、アレクサンダは後ろからそう声をかける。
彼女の足がピタリと止まる。
「あなたの抱えた闇の深淵が、私には未だ見ることができない。しかし我が主は、それでもあなたを迎え入れた。――――私にはそれが危険なことに思えてならない」
すると、彼女はまたもクルリと軽快に振り返る。その表情は相変わらずの笑顔のままだった。
「私はただ壊れる様を見たいだけ。あの男がそれを見せてくれるというのなら、私はそれを静かに楽しませてもらうまでよ」
彼女は無邪気な顔で、そう軽く言い放つ。
しかし、その眼が決して冗談ではないと物語っているのを、アレクサンダは見逃さなかった。
「例えば、そうね――――」と彼女はさらに言葉を続ける。殊更悪戯めいた笑みを浮かべて。
「あんな聞き苦しい歌が二度と聞こえなくなるような世界になってくれたなら、私は満足よ」
それは彼女なりの、世界に向けた呪いの言葉だった。
―――― * * * ――――
「クラフト隊長は?」
本部に帰還したばかりのヒート・ゲンブレムはその巨体を揺らしながら、待機室で休息をとっていたシメオンに問いかける。
第二班班長にして、第十七部隊副長であるゲンブレムに、シメオンは敬礼をとる。それから、クラフトのことを考え、ため息と共に軽く項垂れた。
「その様子だと……また単独行動か」
「ええ……第一班を俺に押し付けたままで。全く……困ったもんです」
ボレアス山脈での一件があった後から、クラフトは何を思ったのか、一人で戦場を駆け回り、紅いイレギュラー捜索に当たっている。責任感からの行動であったならそれでも構わなかったのだが、シメオンやゲンブレムから見る限り、それとも執念ともまた違った雰囲気が感じられていた。
「まあ、マティアスからの話を聞く限り……カムベアスとの遣り取りでなにか思う所があったんでしょうね……」
「ふむ……破壊衝動プログラムに関した話で言えば……確かにショッキングな話ではある。――――それを考えれば納得できないこともない」
誰よりも付き合いの長いゲンブレムはクラフトの性格をよく理解していた。故に、行動それ自体に違和感を感じる事はなかった。しかし反面、彼の精神面を思えば、その危うさに心配は募るばかりだ。
「そう言えば副長の方は…?」
不意に問われ、ゲンブレムは少し迷った後、素直に首を横に振った。
「またしても“外れ”だ。それどころか、何時勘付かれたのか……備品を寸前で持ち去った跡があった」
黒狼軍首領エボニー・ベルサルクの所在特定と、処分を任されたゲンブレムの班であったが、数ヶ月程過ぎた今も一向にその手がかりは掴めないままだった。
ここ最近では黒狼軍による軍施設へのテロ、奇襲攻撃が相次いでいたのだが、その中にもベルサルクの姿は一向に見当たらない。それどころか、捕虜としたレプリロイドの脳内を調べても彼についての情報は露程も拾うことが出来なかった。実際のところ、近づいている感覚も、気配も掴めず、ベルサルクという存在が実在するのかどうかすら訝しむ者が出てき始めていた。
「この休息の後、再び活動を開始するつもりだ。まずは最近の情報を纏めるところからだが」
「なら、俺も手伝いますよ。まだ少し部下を休ませてやりたいんで」
二人はそのままデータルームへと向かった。
―――― 3 ――――
塵炎軍団の一部が野盗紛いの暴挙に出始めてからというもの、各地に点在するレプリロイドの集落は幾度もの襲撃を受けており、その緊張感と恐怖は日頃に増すばかりであった。
装備の整った正規兵と、国を抜けてから、反抗の意思もまともに持つこと無く、平穏を求め暮らしていた彼らとではその力の差はあまりにも大きい。いいように命は奪われ、弄ばれた。
そんな時、紅いイレギュラーの噂が耳に入った。
ある塵炎軍団員は彼の姿を見ただけで、命惜しさに尻尾を巻いて退却したのだという実しやかな噂。
実際、奪い、侵すためだけに乱暴狼藉をはたらく者には、命の危険を冒してまで、そのような要注意人物と張り合うつもりなど毛頭なく、その行動にも合点がいった。
そこでこの集落の者達は、紅いイレギュラーのトレードマークとも呼べる金の長髪を持つレプリロイドに、同じくトレードマークである紅いコートを着せることで、偽物を仕立て上げ、塵炎軍団員達への牽制とすることにしたのだ。
果たして、先程の様子が物語るように、その効果は絶大で、幾度もの襲撃を防ぐに至った。
しかし、今その“紅いイレギュラー”の正体は第十七部隊長クラフトにより暴かれてしまった。
「そのビームサーベルはいったい何処で調達した?」
他の者達が見守る中、クラフトによる尋問が始まる。流石に今となってはランチャーや小銃を突き付けていないが、その威圧感は相当なものであった。
しかし“紅いイレギュラー”は少しだけ怯えたように後ずさりながらも、そっぽを向いて「まともに応対しない」という態度を前面に押し出していた。
だが、クラフトが眉間に皺を更に強く寄せると、一瞬ビクリと反応し、ぶっきら棒ではあるが、渋々答え始めた。
「拾ったんだよ、その辺で。……たぶんネオ・アルカディアのやつだけど」
四軍団のレプリロイドが戦場でやられた際に落としたものを修理、調整し、使用していたというなら確かに合点がいく。
まあ、そもそも一般レプリロイドが戦闘用に開発、訓練されたネオ・アルカディアの軍属レプリロイドから武器を奪うなどできるとは考えられない。
まして、この“紅いイレギュラー”のような少女型レプリロイドなら尚更だ。
「成程……よくもこんなやり方で我々を欺けたものだ。感心するよ、“紅いイレギュラー”」
「うっさい! “オレ”の本当の名前は“レイラ”だって、さっきも言ったろ!」
クラフトの嫌味っぽい言い方に、レイラと名乗る少女レプリロイドは口を尖らせ文句を吐く。仕舞いには「べー」と舌を見せてきた。
「分かっている。それに、紅いイレギュラーのコートはもっと暗い血の色だ。金髪も、もっと鮮やかに輝いている。さらに言えば、お前は些か以上に華奢過ぎる。背も当然のことながら…な」
初見で気づけなかったことを恥じながら、本物との差を口にする。先日のボレアス山脈で遭遇した時の視覚データを用いていれば、こんな手に引っかかることはなかっただろう。流れる金髪に、紅いコート、そして、この集落では新参者であるチャンからの「紅いイレギュラーが現れる」という事前情報にすっかり感情が昂ぶり、そうした先入観にすっかり惑わされてしまった。
――――情けないことだ……
クラフトは反省する。だが、その想いは自身だけに向けたワケでもなかった。
周りを見回す。しかし他の者達は皆、クラフトと視線を合わせようとしない。それどころか怯え、震えているものまでいる。
今眼前では、曲がりなりにもこれまで自分達を救ってきてくれた、自分達より幼い少女型のレプリロイドが一人でイレギュラーハンターの前に立っているというのに。擁護するために前に出てくるどころか、誰もが自分大事に様子を窺っている始末。
突然思い立ち、クラフトは「来い」と言って、レイラの手を掴もうとする。
レイラは咄嗟に、怯えたように手を引っ込めて躱した。
「な…なんだよ!」
「……いいから、とりあえず来い」
その形相が鬼にでも見えたのか、レイラは肩を落としながら、クラフトの後について渋々歩き始めた。すると、戸惑う者達の中からチャンが飛び出てくる。
「待ってくださいよ、旦那!」
周囲の視線を振り切って、チャンもまたクラフトとレイラの後ろについて歩いていった。
他の者達はただ呆然とそれを見つめていた。
イレギュラー戦争が起こるよりも前ならば、多くの人々が足を運んでいたであろう巨大ショッピングモール。その廃墟の屋上に登る。傍らには鳩のマークをした巨大な看板が見える。
クラフトはその場に座り込み、地の果てを眺める。「お前も座れ」と促すが、当のレイラは「こんな所に何の用があるのか」と不満そうな顔をしていた。
それからしばらくの沈黙の後、クラフトが口を開く。
「何故、お前みたいな少女が紅いイレギュラーのフリをする」
「は?」
「……紅いイレギュラーと言えば国家公認のSランクイレギュラー。場合によっては俺のようなイレギュラーハンターに殺される可能性もあった。いや、先程も……俺が躊躇わずに引き金を引いていたらどうするつもりだった」
そう叱りつけるように言われ、レイラは表情を強張らせる。
クラフトの言うとおり、正直なところ彼女の存命は奇跡に近い。今まで塵炎軍団の下級兵士に出会うくらいで済んでいたことが本当に幸いで、十七部隊の面々であったならば、その生命はあっという間に狩られていたかもしれない。
特に、現在特殊班として行動しているシューターのように、何処か抜けていながらも腕だけは確かな男ならば尚更だ。その正体が見破られぬまま、殺されていただろう。
戸惑いながらも、「だって…」とまたしても不満そうに口を尖らせる。そしてクラフトと視線を重ねた。
クラフトの目は彼女を強く睨みつけていた。だが、そこには彼女の愚行に対する怒りが見えた。決して欺かれたことではなく、自身の命も顧みない軽はずみな行動に対する怒り。それは彼女にとって意外なことだった。
それからレイラは静かに膝を抱えて座る。クラフトの横に。
「だって……オレがやんなかったら……みんなが殺されるかもしれないだろ」
そう言って、視線を逸らす。先程にも増してしおらしい雰囲気に、クラフトはそれが純粋な本音であることを確信した。
「しかし、お前が殺されていたかもしれない。――――先ほどの様子を見ただろう。奴らは誰も、お前のことを救おうとも護ろうともしなかった」
ただ怯えて、状況を傍観していただけだ。彼女が体を張って護ろうとしたというのに。彼女の命などどうなっても良いと言うように。
「それなのに、お前が命を懸ける必要など有るのか」
クラフトは、自分の為を思って言葉をかけてくれているのだと、レイラにも分かった。イレギュラーハンターという立場でありながら、自分のことを心配してくれているのだ。
だが、だからと言って全てを認めるわけにはいかなかったし、認めたくないと思った。
「いいんだ…別に。オレは自分で選んだんだから」
その事実に、クラフトは驚いた。誰かに仕立て上げられたものだと勝手に思い込んでいた節があったのだが、それは早々に裏切られた。
「オレが決めたんだ。紅いイレギュラーのフリして、上手くやってやれば、アイツらを追っ払えるんじゃないかって思ってさ」
そして、実際にそれは上手く行ってしまった。これまでにも数度、敵を退けてきた。その度に仲間達からは感謝された。
「だからと言って……続けていけば、今回のようにバレる時が来る。その時に後悔した所で遅いんだぞ」
語気を強め、厳しく言い聞かせる。
だが、レイラは「うっさい」と悪態をつく。
「元はと言えば、アンタ達みたいなハンターや兵隊がいなけりゃこんなことしなくて済んだんだ。アンタ達がイレギュラー呼ばわりしてオレ達のこと殺そうとするから……」
そう言われてはクラフトも、確かに返す言葉がない。今こうして彼女の身を案じた言葉をかけてはいるものの、彼女達がこのような廃墟で暮らすようになった理由は国を追われたからに他ならないのだから。
「だが」とクラフトは、それでもなんとか反論する。
「それは人間に危害を加えるからだ。決して不当な理由で捌いてきたわけじゃない。だが今は違う」
瞬間、レイラの眼の色が変わった。怒りを顕に声を張り上げる。
「違くない! さっきの奴らみたいのだっているんだ! 誰かがみんなを守んなきゃいけないんだよ! ――――みんなオレを必要としてくれるんだ!」
それから飛び上がるようにして勢い良く立ち上がると、恐る恐る様子を見守っていたチャンに肩をぶつけながら横切り、登ってきた階段の方へと駆け出した。慌ててクラフトも追いかける。
「待て! 何処へ行く!」
「フンだ! アンタだってレプリロイドのくせに! 人間なんかの味方しやがって! アンタなんて救世主の後継者だかなんだか言われていい気になってるだけだろ!」
「ええい…とにかく落ち着け! 話を聞くんだ!」
「うっさいうっさい! オレのおっぱい揉んだクセに偉そうにすんな! このロリコンセクハラエロ救世主!!」
思わず「んなっ!?」と素頓狂な声を上げる。
「あれは不可抗力だ」と慌てて言い訳するクラフトを無視して、レイラは再び舌を「べー」と見せつけ、逃げるようにその場を去っていった。
それからクラフトは一人「クソッ」と悪態をつく。どうしてこうも伝えたいことが上手く伝わってくれないのか。
「旦那…? どうしやした?」
そわそわと機嫌を伺うチャン。クラフトは「何でもない」と一言だけぶっきら棒に答え、階段を降りていった。
レイラについては一旦自分の中で保留とし、クラフトは本部へと通信を入れた。
「隊長、自分であります」
「ゲンブレムか?」
任務から既に帰投していたゲンブレムが答える。気心の知れた部下が出たことに正直なところホッとした。
気を取り直し、本題を伝える。
「これから俺の視覚データを送る。そこに写っているレプリロイドの所属を教えて欲しい」
「了解であります」とゲンブレムが答えたのを確認すると、データの送信を始める。ネットワークは本部側からサイバーエルフが二重三重に防壁を張り巡らせているので、容易く進入はできないようになっている。
クラフトが送ったのは、先程集落を襲撃した塵炎軍団のデータだった。ゲンブレムは少しだけ奇妙に感じながらも、命令通り解析を始める。そして、本国のデータベースにアクセスし、その所属を確認した。
「塵炎軍団第二十三独立遊撃隊所属、サイモンであります」
「その部隊の隊長は?」
「隊長は……」と答えかけた所で、不意に口篭った。「どうした」と問い詰めると、少しだけ間をおいた後、ゲンブレムはその名を口にする。
「ガラノフ……であります」
その名を聞いた時、ゲンブレムが口篭った意味がよくわかった。なんとも懐かしい名前だった。
戸惑いの色を悟られないようあくまでも冷静に、「了解だ、ありがとう」と短く答え、通信を早々に切った。ゲンブレムが何か言おうとしていたのは分かったが、問われることもなんとなく分かっていたので、聞かないようにしたというのもあった。
「ガラノフか……」
もう一度確かめるように、その名を自身で呟く。
ハンターとなる前――――養成課程でのこと――――共に競い合った、好敵手とも呼べる男のことは未だに覚えている。
ここ数年、会うことも思い出すこともなかった相手が、まさかこのようなところで関係してくるとは。そういえば確かに、奴はイレギュラーハンターとならず、四軍団入りをしていた。塵炎軍団の前線部隊を配属希望にしていたのも覚えている。
よく意見が食い違って衝突したのも、思い出として覚えている。無論、レプリロイドにとってそれは思い出というには淡白な、単なる情報記録に過ぎないのだが。
意を決し、ライドチェイサーに跨る。そして、第二十三独立遊撃隊の位置情報を取得し、アクセルを回した。
―――― 4 ――――
喫茶店のテラス席に向い合って座る。するとディックは慣れた態度で、案内をしてくれた店員のレプリロイドにコーヒーを二杯頼んだ。
「よく来るの?」
「ええ、まあ……たまに」
ディックははにかみながら答える。
「第一部隊長代理でしょ? そんな暇有るの?」
「正直、ここ最近は出動が少ないんですよ」
闘将の謹慎処分からレジスタンスの動きには少しずつ変化が表れていた。
黒狼軍も、内部では以前程活発な動きを見せず、むしろ外の拠点などへの攻撃行動が増えている。
紅いイレギュラーの活躍が目立つため、これに便乗し、軍に対抗しようという動きが窺える。また、精鋭を欠いても尚強力なイレギュラーハンターとやり合うより、各地の軍事拠点への奇襲作戦の方がハードルが低いのも確かだった。
また、十七精鋭部隊に関しても、紅いイレギュラーとベルサルク本人の討伐が目的であるため、雑兵にまで目を向けていないという現状も関係していた。
「成程ね……」とネージュは納得の声を上げた。
会話がそこで一旦途切れる。
ディックがふと街の方を眺めたので、ネージュは店の中へ視線をやった。人間のカップルや夫婦、友達だけでなく、人間とレプリロイドが談笑している姿も見える。これこそニューオリンピアならではの光景だ。人間とレプリロイドが主従の隔たりに臆す事無く、生活のパートナーとして支え合う様子。――――それが二度と見れなくなると思うと、胸が苦しい。
「先日の記事、読みましたよ」
ディックに話しかけられ、ネージュは我に返る。
「先ほどの黄昏気味な様子は、それに関係するんじゃないかと思っているんですが…どうっすか?」
「……流石ね」
隠すような話でもない。ネージュは溜息混じりに説明を始めた。
これまで再三に渡り、政府から厳重注意を受けていたこと。それを聞き入れず、己の信念のまま記事を書き続けたこと。そして先日の記事が原因で公安委員会の目に止まり、「オリンポスプレス社退社命令」「ニューオリンピア及びアースガルズ全域からの強制退去命令」という重い処分が下されたこと。
可能な限り片方に偏ることのないよう気をつけながら、ネージュは関わる全ての事情を話した。
「成程…そいつは困りましたね」
数分前に店員が既に運んできていたコーヒーを、今になってようやく一口啜り、ディックは戸惑いと共にそう言った。
「……分かってるのよ、自分が悪いんだってことは」
突然という話ではない。忠告は受けてきた。
コリニーが、なんとかしてネージュを社に残そうと尽力してくれていたことも知っている。間に入り注意することで、ネージュと上が直接衝突しないよう取り計らってくれていたことでさえも。
しかし、そう言った諸々の事を無視して、ネージュは自身の理想を貫くために突っ走ってきた。速度が落ちることはあったが、歩みを止めることは一日足りともなかった。無論、方向を変えることも。それ故、このような事態を招いてしまったのだ。
そんなことは初めから分かりきっていた。
「けど…。ねえディック、一つ教えて頂戴」
改めて名を呼ばれ、ディックは真っ直ぐ自身を見つめる瞳と視線を重ねた。
そして、少しだけ躊躇いがちに、悔しそうに、ネージュは言葉を搾り出す。
「……私、間違ってないよね」
それだけが知りたかった。
「私……間違ったことしてないよね」
再度問い直す。
“自分はただ正しいことを伝えようと努めただけだ。事実を捻じ曲げ、都合の良いように社会を牛耳ろうとする輩の方が断じて許すことができないし、それを正しいと認めたくはない”――――そう信じて今までやってきただけだ。
それなのに、何故この世界はそれを赦してはくれないのか。正しいと信じた道を歩もうと努め、まして善人を貶めるつもりも無く、誰かを苦しめたわけでもなく……それどころか、力強く生きようとする者、己の使命に命を懸ける者、日々の生活を支えてくれる者達の事実をありのままに伝えようとしてきた。いや、実際に伝えてきた。
それの何が間違っているというのか。何故認められないのか。どうして「生き方を変えろ」と形のない刃を突き付けられるのか。
何故この世界は正義を否定しようとするのか。
ネージュはそれだけが知りたかった。
その問いに答える言葉を探しているのか、ディックはしばらく言葉を発さなかった。
彼の様子に、ネージュは「ごめんなさい」と口にした。
「イレギュラーハンターのあなたに答えられる話じゃなかったわね」
今やネージュは強制退去を命じられた危険人物だ。そんな彼女の言葉に、素直に頷いてしまえば、確かにディック自身の現在の立場も危うくなると考えて良かった。
それに苦笑しながら、ディックはようやく口を開いた。
「隊長、この前紅いイレギュラーと交戦したらしいです」
突然投げ込まれた話題に理解が追いつかず、ネージュは顔をキョトンとさせる。それから「隊長」が誰なのかを理解すると、驚きの声を上げる。
「嘘っ! ついに!? ……どうなったの?」
興奮を自重しながら、恐る恐る結果を聞く。すると、ディックはまたも苦笑交じりに首を横に振った。
「いろいろと事態がイレギュラーで…取り逃がしたらしいです。――――本人曰く『反省が必要』だそうですよ。…あ、ここだけの話で」
『反省が必要』――――そう聞いた瞬間、ネージュはあの少々厳つい顔をした男が、眉尻を下げ、困ったように笑う様が思い浮かんだ。
「そっか……」と声を漏らし、背もたれに体を預ける。
如何な“救世主の後継者”と呼ばれる男でさえ、そう容易く紅いイレギュラーほどの相手を捉えることは出来なかったということだ。予想出来なかったわけではないが、期待していたのも事実で、少し残念な思いは拭い切れない。
「それどころか、今回は本当にいろいろ大変だったみたいで……」
ディックはボレアス山脈での一件を、クラフトから聞いた内、言える範囲を選んで話した。
ある実験に使われていたミュートスレプリロイドが紅いイレギュラーを庇うようにして楯突いたこと。そこでのやりとりの一部。部下の負傷。取り逃がした紅いイレギュラー。
ディックの話を静かに聞いた後、「なんだか、ちょっと心配ね」と苦い顔をしてネージュは言う。
「そうすね…まあ……なんだかんだであの人――――」
「ん~」と言おうか言うまいか迷った挙句、ネージュがその言葉を掠めとった。
「言い方悪いけど……ちょっと“ヘタレ”なとこあるわよね、彼」
「ええ、仰る通り」
“悩める男”などと言えば聞こえは良いが、実際のところ、彼は自分の信条に自信が持てず、正しいのかどうかを常に考え、己の道に迷い続けている。
きっと今回も、紅いイレギュラーに対する失態も勿論のことながら、ミュートスレプリロイドから言われた理想論に対し、否定しきれない想いを持ちながら、現実とのギャップに苦しんでいることだろう。
「それなのに、変な時だけ怖いもの知らずで意固地ですからね。“あの日”なんか典型ですよ」
二人からヘタレ等と称されてはいるが、“あの日”――――五年前の任命式の時は、来賓にネオ・アルカディアトップの錚々たる面子が揃っていたにも関わらず、それを放り出して事件解決に動いていた。
結果的に事件を食い止め、ネージュの記事により“新たな救世主”と盛り立てられたが故にその功績は認められたが、もししくじっていたなら……と思えばゾッとする。しかし、それでもクラフトに今、あの日のことを聞けば『無我夢中だった』としか答えなかった。
「そんなあの人が、戦場に行っても常に本国から取り寄せ続けたものが何だったかわかります?」
突然の問いに、ネージュは首を傾げた。
本国から取り寄せると言うのは、それ程簡単な話ではない。補給部隊は常にレジスタンスからの襲撃の危険に晒されるし、それを護衛するための兵たちの緊張度は正直なところ並大抵のものではない。前線程命の危険を感じる機会が少ないとは言え、皆無ではなかったし、気を抜いたときに奇襲を受けるというのはよくある話だ。
そのため、補給物資というのは必要最低限のものに絞られる。娯楽品の類も完全に無いわけではないが、ネオ・アルカディアにおいてレプリロイドの立場を考えれば、戦場でそんなものを手にすることこそ憚られることだったので殆どが軍事関係の備品だった。
そんな状況だから、クラフトがそうまでして前線でも手にしたいものが何なのか、見当がつかなかった。
だが、ディックは少しも勿体ぶること無く、さらりと答えた。
「新聞です。オリンポスプレス紙をきっちり一週間七日分を一部ずつ」
「は?」
呑み込めず、ネージュの目が点になる。
どうしてわざわざ新聞などを前線に取り寄せるのか。本国の情報なら管理局から一括でデータ送信されている筈だ。それなのに、どうして新聞などに手を伸ばす必要があるのか。
それから、オリンポスプレスの名前を確かめるように、ぼんやりと口にする。
「さっきまで自分が勤めていたところなのに忘れちゃったんですか?」と茶化すようにディックが笑ったので、その理由に思い当たった。
「……まさか、私が書いてるから…?」
「そのまさかですよ」
ディックはコーヒーを啜りながら答える。しかし、ネージュは尚も信じられないというような顔をしている。
「そんな……別に私の記事なんか、大したもんじゃないわよ。前線に行ってまで読みたくなるようなものは別に……」
「それでもあの人は読んでたんですよ。あなたの記事を。毎週ね」
クラフトは前線に行ってからも毎週欠かすこと無くオリンポスプレス紙を取り寄せ続け、ネージュの記事には必ず目を通していた。時には傍らに仕舞い、戦場に持ち携帯してゆくこともあった。暇があれば記事を読んでいた。勿論、その様子をディックは見たことがなく、聞いた話ではあるが。
「どうしてだと思います?」とディックにからかうような目で問われるが、それが分からないから戸惑っているのだ。コーヒーを二口、三口と口にするが、答えが見つからない。
仕方なしにディックが答えた。
「欲しいんですよ、支えが」
「え?」
「さっきも言ったでしょ、あの人は“ヘタレ”だって」
自身の正しさを信じられず、使命感のみで戦い続けている。しかしそれ故に、道に迷い、生まれる反省は尽きることがない。
精神的な面で、折れそうになることもしばしばだ。抱きたい理想と、直面している現実との間に挟まれた時は特に。しかし、そんな時こそ、彼はネージュの記事に目を通した。
「あなたの記事は、あの人にとっての“支え”であり、“道標”だったんですよ。自分を肯定してくれる、正しいことを正しいと認めてくれる、そういう…ね」
ネージュという一人の人間が叫ぶ正義が、自分を肯定してくれていることを感じた。自分の取り組みを応援し、背中を押してくれる――――そんな支えに感じていた。他の誰でもない、人間であるネージュだからこそ、そう思えた。
だから前線でも、一部は必ず肌身離さず懐に入れていた。折れそうになった時、正しさを見失いそうになった時、ネージュのことを思い出した。
ネージュの言葉によって、クラフトは赦され、認められてきたのだ。だから、第十七精鋭部隊という重い任を請け負っても尚、ここまでやってこれたのだ。
そんなディックの話が信じられず、ネージュは尚も自身の耳を疑う。
だが、不意に思い出す。十七精鋭部隊長としての任命が決まった時の取材での時、彼が一言だけ零した言葉。
『……君は、強いな』
あの時の困ったような笑みは、自身の弱さを認めたからこそ滲み出てきたものだったのだろう。
「ネージュさん、お願いします」
ディックはそう言って、いつになく真剣な表情でネージュを見つめた。
「書き続けてください。何処に行っても…続けてください、ジャーナリスト」
「え?」
それは思いも寄らない頼みだった。ディックは少し恥ずかしそうに頬を掻く。
「なんだかんだで俺ら、あの人のこと好きなんすよ。だから、力になれるなら……なってやりたいんです」
遠く離れてしまったが、何か力になれることがあるならばそれをしてあげたい。
ネージュの書く言葉が、信じる正義が支えとなるならば、どうかそれを絶やさないで欲しいと頼むしか無い。
「きっとこれからもっと、想像以上に厳しいでしょうけど……そのまま変わらずに、ネージュさんはネージュさんのまま、その信念のまま書き続けて欲しいんです」
「ディック……」
ネージュのためではない。無論、クラフトのためだ。
けれど彼の願いは、ネージュにとって天啓に等しかった。
思わず微笑み、言葉を返す。
「大丈夫よ、ディック。私は書くわ」
いや、きっと書かずにはいられないだろう。ジャーナリズムに懸けた信念がこの胸の中に燻り続ける限り、書くことは絶対にやめられない。
「正直、これからどうなるかは分からないわ。だけど……うん………書いてみせる」
何より、こうして自分の信じた正義を信頼し、支えとしてくれる者がいるのだと分かった今、彼女もまた心強く感じられた。
だから、きっとこれから降りかかるであろう困難の中でも、筆をとり続けられるに違いない。そう確信できた。
「ありがとうございます、ネージュさん」
礼を言うディックに、ネージュは首を横に振る。「お礼を言うのはこっちの方よ」とはにかんで見せた。
それから他愛の無い世間話をして、二人は別れた。
ディックはこれから基地に戻り書類整理をしなければならないらしい。
ネージュもまた、自宅の整理をしに帰ることにした。出ていくならば早い方がいい。急かされた方が気分は悪い。
――――懐かしのスラム暮らしね
そう思い、空を見上げた。
再び思い出される過去。母と二人、最低限の生活保障を受けながら、貧しく暮らした毎日のこと。二人を捨てた父親への恨みつらみを抱えて生きていた日々のこと。
しかし、今は違う。
もうネージュは成人し、一人の人間として自分の道を歩んでいる。――――そして何より、それを肯定してくれる人達がいる。
こんなに心強いことはない。
不意に彼のことを思い出す。そして、遠くに流れてゆく白い雲を見つめた。
――――クラフト……
きっと彼は今も、この世界のどこかで理想と現実の狭間で、もがき、闘い続けているのだろう。
そう思えば、心の底から闘志にも似た感情が自然と湧き上がってきた。
澄み渡る広い空の下、ネージュは軽い足取りで自宅へと向かって歩き始めていた。
―――― 5 ――――
依頼を受けて集落を回り、塵炎軍団と一戦交えながらも、数人のレプリロイドを救出して帰還すると、ゼロは早速シエルとの映像通信を始めた。
「良かった、間に合ったのね」
シエルはホッと胸を撫で下ろす。
ここのところ、野盗と化した塵炎軍団の部隊による被害が広まりつつあるのだが、出来る限り早期に手を打とうと、シエルは寝る間も惜しんで状況を分析し、ゼロへ情報を提供していた。よく見れば目の下に隈も見える。
「あまり無理をしすぎるなよ。あっちの作業も進めながらだろ?」
『あっちの作業』とは、無論、シエルが現在進めている準無限エネルギー循環システム“システマ・シエル”の設計である。
膨大な計算と、実験を繰り返しているのだが、正直なところ、白の団本拠地にある旧世紀の設備ではまともな成果を期待できるはずもなく、作業は難航していた。だが、それでもシエルは諦めること無く、その設計計画を推し進めている。
近況分析作業と、どちらも手を緩めること無く行なっているため、十四歳の発達途上の身体にかかる負担は相当なものだろう。
だが、それでもシエルは「平気よ」と笑ってみせる。
「ゼロだって…命と体を張ってみんなを助けてくれてるんだもの。私が頑張らない訳にはいかないでしょ?」
「小娘の身体と俺の身体とじゃ、“デキ”が違う」
「一つしか無いのは変わらないわ。それに…そんなに無理はしていないつもりよ」
ゼロがなんと言おうと、いつもこの調子で、話を聞き入れて休息を取るような素振りは一向に見せてくれない。
だが、そんなシエルの願いだからこそ、ゼロもまた、戦地に躊躇うこと無く向かっていけるのだ。
「それはそうとね、ゼロ。最近なんだけど…」
不意に表情を曇らせ、口篭る。口にしかけてから、言うまいかどうしようか迷っているようだ。
「どうした?」とゼロが心配げに聞くと、シエルはようやく話を続ける。
「それがね…基地の中でちょっといろいろゴタゴタがあって……」
ゼロが本拠地から今の「ホーム」に移ってからというもの、白の団内では少しずつ“ゼロ派”と“エルピス派”という二つの派閥に分かれ始めていた。無論、本人たちはそんなことを知る由もなかった。要はエルピスのやり方に不満を持った者達が、ゼロという英雄の存在を盾に、エルピスに反抗的な態度を取り始めたというわけだ。
しばらくの間は、大きな問題が出ることはなかった。状況が大きく変わったのは、解放議会軍をゼロが出し抜いたという話が広まった辺りからだ。
エルピスが贔屓にし、信頼していた解放議会軍が白の団を裏切り、更にはゼロをネオ・アルカディアに差し出そうとしたという話だけでも、エルピスの面子に傷をつけてしまったというのに、ゼロがその裏を読み、出し抜いたのだというのだから、益々エルピスの立場は悪化してしまったわけだ。
それからというものゼロ派を名乗る者達の中には、そんなエルピスの失態を詰るばかりでなく、あからさまな命令違反を犯しまうなどといった問題も出始めてしまった。
元はと言えば、英雄の存在を利用し、白の団をまとめ上げようと画策していたエルピスだったが、逆にチーム内が割れてしまうなどとは思っても見なかっただろう。
「ねえ、ゼロ……近い内に、みんなを説得してもらえないかしら。画面越しでも構わないから……」
どうにかしなければ、白の団が本当に分裂してしまうかもしれない。シエルはそれだけが不安だった。
だが、ゼロは「それはダメだ」と首を横に振る。
「それこそ、アイツの面子を潰すことになる。それに、そんな逆境を何とか乗り越えてこそ、リーダーってやつだろ」
エルピスの立場を真に立てるには、エルピス自身の力で解決してもらうしか無い。ゼロの言葉は正論だった。
シエルも「確かにそうね」と理解を示す。だが、その表情は尚も不安そうに曇らせている。
確かにその問題は無視できたものではない。しかし、これ以上の介入は難しいし、何よりゼロはゼロで彼女に聞きたいことがあった。
「なあ、小娘」と呼びかける。
「一つ聞きたいんだが…いいか?」
「なに? ……どうしたの?」
いつになくどこか躊躇いがちに聞いてくるゼロに、シエルは首を傾げる。
ゼロも、正直尋ねようか迷っていた問題だったのだが、ようやく意を決してその問いを口にした。
「エックスは…結局どんなヤツだ?」
「え?」
シエルは一瞬、驚いたような顔をする。
「どういうこと?」
「いや…な……。少しだけ気になってさ」
そういえば、目覚めてこの方、エックスについての問いをゼロは殆どしてこなかった。考えてみれば今までも、記憶喪失なのだから、かつて友だったと言われる男のことについてもう少し興味を持ち、質問をしてきてもおかしくはなかったくらいだ。
「成程…そういうことね」と、シエルは一人納得したような声を出した後、どこか安心したような表情を見せた。それから、「そうね」と言葉を選び始めた。
ネオ・アルカディアの創始者にしてトップ。救世主と呼ばれ、レプリロイドで現在唯一、人間にまで崇められる存在。そして、全てのレジスタンス達にとっての仇敵でもあった。
しかし、ゼロの記憶の断片に見える姿は、親友以上の存在であることをいつも思い知らせてくれる。愚直なまでに正義を信じ、誰かの為に涙を流しては、巨大な敵へと他者のために立ち向かえる。そんな男だったと教えてくれる。それ故に、現在の彼の在り方とのギャップに違和感を感じてならなかったのだ。
しばらくして、シエルは「フッ」と優しい表情を浮かべる。
「“正しい”人よ。間違いなく。優しさも、慈しみも持ち合わせていた」
まるで過去を懐かしんでいるような表情だった。不思議そうな顔をするゼロに、シエルは補足をする。
「私は、もともと彼付きの技師だったの。メンテナンスとか任されてね。正しくは“おじいさま”の手伝いだけど」
「それは……結構な身分だったんじゃないか…?」
救世主とされるレプリロイドの身体を調整するのだ。ただの“小娘”ではできるはずもなかった。流石は“リーダーとなるべくして作られた個体”だ。
「だから……正直、彼との関係も決して浅くないのよ」
物心ついてからというもの、ほとんどの時間を彼と過ごした。その時間は、ゼロを解放するために犠牲となったパッシィと過ごした時間に引けを取らない。
「だが、そんな“正しい”奴が…どうしてこんな世界に?」
レプリロイド達が虐げられている現状をそのままに、救世主などという椅子に座り続けているのか。ゼロにはそれが納得出来なかった。
「私が思うに……だけど。……彼は道を間違えただけだと思うの」
困ったような顔をして、シエルはそう答えた。
「ちょっとだけ…ほんのちょっとだけズレちゃったんじゃないかな……って。心変わりしたとかじゃなくて、本当に少しだけ道を誤ってしまった。それだけだって思う」
“正しい”と思い歩いてきた道。だが、百年以上の間歩き続けてきたのだから、どこかで誤ってしまったとしてもおかしくはない。
ついでに言えば、政策に関して言うならば、元老院の存在もある。彼らのやり方に左右されてしまったというのもきっとあるだろう。
国を創る前と後では、彼自身が変わらなくとも、周囲の環境との関わり方が、関係が変わってしまったのだ。ならば初期に抱いていた理想がどこかで捻じ曲がってしまったとしてもおかしくはない。
「なるほど…な」
そう言った事情であれば、確かに納得できた。
彼自身がなにか大きく変わったわけではない。だが、シエルが言うとおり、ほんの少し何かがズレて、そのままそれが大きくなりここまで来てしまったのだろう。
「だからね……。あんまりエルピスには言えないんだけど……」
またしても、言葉を選ぶように口篭る。そして、哀しげな微笑みを浮かべた。
「あのね、ゼロ。私は、エックスのことも助けたいの」
それは予想外の願いだった。シエルは更に続ける。
「さっきも言ったとおり、エックスは“道を誤っただけ”だと思う。でも、道を間違えたなら、それを誰かが正してあげればいいって思わない?」
彼自身が今でも昔と変わらぬ魂と意志の持ち主であるならば、シエルの言うとおり、過ちに気付かせ、正しい道に引き戻してやれば良いのだ。
「それは……ごめんなさい、私にはできなかった……」
傍にいた彼女にすら、それはできなかった。だが、過去の親友だったならどうだ。
「だからこその、俺か」
レジスタンス活動の力としてだけでなく、エックスの対抗手段というだけでもなく、彼本人を救うためにもゼロの力が必要となったのだ。
シエルは頷く。
「私も…『もっと声をかけてあげればよかった』って思うの。だけど……今はこうなっちゃったから…ここまで来てしまったから……」
俯き加減になりながら、困ったように反省の言葉を呟く。そして再びゼロを見つめ直す。
「だからお願い、ゼロ。エックスをどうか救ってあげて」
「小娘……」
そして黙り込む。突然過ぎる依頼であり、願いだった。軽く返事ができるわけもない。考えこむその表情は真剣そのものだった。
だが、ゼロはしばらくの後、「フッ」と微笑みを見せると、「仕方ないな」と零した。
「ワガママお姫様の願いを聞いてやるのが俺の仕事だ。任せろよ」
「……ありがとう、ゼロ」
シエルは柔らかく微笑み、心からお礼を口にした。
それからシエルの後ろからセルヴォが声をかける。何か用事があるらしく、そこで別れを言って、映像通信を切った。
そのままゼロは背もたれに寄りかかる。
――――エックス……
不意に右腕を天井に向けて伸ばす。そして、何かを掴むように掌を開いた。
正直に言えば、取り出せない記憶の中でも、ゼロという存在にとって“なくてはならないもの”であるが故に、さして気にする事もなかったというのが今までだったのだ。
だが、戦いを繰り返し、エックスという存在を追いかける内に、ゼロは彼の詳細な人物像を掴みたくなった。そして、どうにか彼の背中を捉えたいと思った。
それでも、握りしめた拳の中には、当然のことながら何も掴めていなかった。
先日のボレアス山脈での一件が、今でも尚、脳裏に焼き付いて離れない。
――――『エックスをどうか救ってあげて』……か
あの雪山の中でゼロは、“救う”にはあまりにも己が無力過ぎるということを思い知らされたばかりだった。だと言うのに、シエルからは“救う”ことを頼まれる。ゼロの心中を詳しく知らないのだから仕方がないのだが。
「……簡単に言ってくれるよな」
そう独り言つ。だが、ゼロは嬉しそうに頬を緩めた。
それでも尚、彼女は頼ってくれるのだ。ならば、それに応える為に挑み続けるしかない。
一人でいじけてみせたところで、何も状況が変わりはしないのだから。
「やるだけやってやるよ」
そう言って席を立つと、作戦終了後の調整をする為に、メンテナンスルームへと向かった。
―――― * * * ――――
「また紅いイレギュラーか……」
情けなくも逃げ帰ってきたサイモンを睨みつけながら、ガラノフは忌々しい名前を呟く。
「すいやせん、隊長。……で…でも部下は今のとこ…」
「泣き言や言い訳は聞きたくねえんだよ。黙ってろクズ野郎が」
低くドスの利いた声でそう叱咤され、サイモンは見を縮めて口を閉じた。
あの紅いイレギュラーが現れてからというもの、女や奴隷、“代替用の部品”も略奪する事ができなくなっていた。
既にこれまで略奪してきたレプリロイド達は殆ど使い物にならなくなってきており、早急に補充が必要だ。無論、自分達の欲求と不満を満たすためだけであり、それ以上の、それこそ戦略的理由などは、一つもないわけだが。
「あぁ…クソ。最近“溜まって”仕方がねえんだよ。……なあ、サイモン。俺の言ってる意味、分かるよなぁ?」
脅すような迫られ方をして、サイモンは「ヒッ」と小さく声を漏らす。傍で見ていた他の隊員たちはサイモンを嘲笑いながらも、ガラノフのストレスの捌け口が何処へ行くのか、内心で怯えていた。
突然、ガラノフの太い足がサイモンの腹を蹴り上げる。鈍い音と共に「グェ」と呻き声を上げ、その身体は数メートル先まで転がっていった。
ガラノフは再びガラクタの山に腰掛ける。
「紅いイレギュラーとやりあえとは言わねえよ。けどなぁ……何も収穫なしにおめおめと尻尾巻いて……それも一回や二回じゃねえ、四度も逃げ帰るだけってのは役立たず過ぎやしねえか? なあ、オイ!?」
怒りを顕に怒鳴りつける。サイモンは尚も痛む腹を抑えてうずくまりながら「すみません」と小さな声で、途切れながらも謝った。
「隊長!」
不意に、一人の隊員がガラノフの下へと駆け寄ってきた。何か火急の要件があるようだ。
「どうした」と耳を傾けると、隊員は思わぬ来客を告げた。その名を聞いて、ガラノフは驚くと共に、考えこむ。そして「構わねえ。入れろ」と短く答えた。
そして、ガラノフの前にその客人は姿を現した。
「随分と小汚い場所を塒としているようだな、ガラノフ」
周囲を見渡し、率直な感想を述べる。
ガラノフが現在塒としているのは旧世紀に活動していたと思われる、廃工場の一角だった。
元はと言えば国抜けをした者達が潜み暮らしていた場所だったのだが、襲撃をしてから、この場所が気に入り、部隊ごとこの場所を拠点としていたのだった。
よく見ると、隅の方にガラクタのように捨て去られたレプリロイド達の無残な姿が見えた。ガラノフ達にその身体をいいように扱われ、投げ捨てられたのだろう。思わず眉を潜めてしまう。
「これはこれは“第十七精鋭部隊長”殿。お久しいですなあ」
ガラノフは皮肉っぽくやけに丁寧な言葉づかいで、現れた客人――――クラフトに言葉を返した。
「貴様も随分と変わったな。敬語が使える程度には知恵を付けたか」
「ハッ。……テメエも、人に嫌味を返せる程度には賢くなったみたいだなぁ」
互いに不敵な笑みを浮かべる。だが、瞳はどちらも穏やかな輝きを見せてはいなかった。
やけに重苦しい雰囲気に、ガラノフの部下達も、固唾を飲んで見守っていた。
地面でうずくまっているサイモンを視界に捉えながら、クラフトは要件を伝える。
「率直に言わせてもらう。ガラノフ、現在行なっている蛮行の全てを今すぐやめろ」
「ああん?」
積み上げられたガラクタの山から腰を上げ、クラフトを見下ろす。
その一挙手一投足に、部下達が怯えたような反応を示しているのが印象的だった。
「テメエ……どういうつもりだ?」
「そのままの意味だ。貴様らの蛮行は、四軍団に属するレプリロイドだけでなく国家に携わる全てのレプリロイド達の品格を貶めると言って過言ではない」
また、風紀の乱れは結束にわだかまりを生む要員にも成りかねない。そういった事情を考慮しても、ガラノフが現在行なっている所業の数々を許すべきではないと感じていた。
だが、少しも堪えた様子を見せず、ガラノフは鼻で嘲笑う。
「要するに、テメエの“名前”に傷がつくから大人しくしろ…ってか?」
「そういう意味ではない!」
ねじ曲げた捉え方に、クラフトは思わず声を荒げる。
「そもそも立場は違えど、同胞だろう」
「“同胞”? ……相変わらず甘ぇなぁ、クラフト」
「…彼らは国を抜けただけで、人類の脅威として動いてはいない。無闇に手を出す“必要”も“理由”もないと言っているんだ」
「理由ならあるぜぇ?」
一歩二歩と前に進み、クラフトに近づいていく。かと思いきや、下でうずくまっていたサイモンの身体を軽く蹴飛ばした。するとサイモンは大きく跳ね上がり、二度程バウンドをして散らばっていたガラクタに衝突した。
その様子に、唖然とする。それから、薄ら笑いを浮かべるガラノフに気づくと、クラフトは奥歯を噛み締めた。
「簡単さ。“弱ぇ”からだよ」
ガラノフの口端は更に醜く歪む。
「昔から言ってんだろ。“所詮この世は弱肉強食”。弱ぇ奴から“奪って”“毟りとって”、俺達“強者”が“欲を満たす”。それがこの世界の構図さ」
その言葉に、ガラノフという男がまるで昔と変わっていないのだということを、クラフトは実感した。
戦闘員養成課程の頃から、彼のその考えに異を唱え続けたが為に、衝突を繰り返したのだ。
「……どうしても、貴様が行動を改めないというのなら…俺がお前を――――」
「――――“処分する”か?」
瞬間、ガラノフが片手を上げると、部下達が手にしたエネルギーガンの銃口をクラフトへ一斉に向けた。
怯えながら、ただ話を聞いていただけではない。流石はこのガラノフに付き従ってきた部下達だった。
ガラノフは笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「物騒な話はやめにしようや、クラフト。ここでやりあったところで互いに何の得もないぜ?」
「心にもない事を……」
忌々しいものを見るように、クラフトはただ睨みつける。
「それによ、俺は役立たず共で遊ばせてはもらってるが、“人間様”に刃向かったことは一度もないぜ? 知ってるだろ?」
彼の信条である“弱肉強食”とは、決して奢りからきた言葉ではなかった。人類が自分達レプリロイドよりも常に上の立場であることも気に留めていたし、それ故に人類へと反抗的な態度を取ることはなかった。
「俺を処分できる真っ当な理由をテメエは持ち合わせていねえ。だから、堅物のテメエが俺を処分することなんざできる筈がねえ。そうだよな?」
痛いところを突かれ、クラフトは思わず言葉を失う。相手のことを理解していたのはガラノフも同じだった。
だが、そう簡単に引き下がるつもりもなかった。
「貴様の言うことも尤もだ。だが、これ以上の横暴が続くならば、軍の風紀を乱す者として賢将様に報告をさせてもらう」
四天王のリーダーであり、統括者である賢将ハルピュイアならば、ガラノフの所業をただ聞き流すということもないだろう。
それには流石のガラノフも舌打ちをせずにはいられなかった。
「あーあー…分かったよ。クラフト隊長サマサマ。しばらくは大人しくさせてもらうよ」
そうは言うものの、反省の色は見えない。
だが、これ以上はどれだけ言葉を凝らそうと伝わりはしないだろう。クラフトは「分かればいい」とだけ、返事をし、背を向けた。
足早にその場を去ろうとするクラフト。だが、ふとガラノフが思い出したように言葉をかける。
「そう言えばよぉ、クラフト。ついさっき紅いイレギュラーがどっかの集落に現れたって話、聞いたか?」
「……いや、聞いていないな。本当か?」
クラフトは少し間をおいて、振り返ることもなくそう答えた。
「ああ、そうか。ならいいのさ。いや、ちょいと小耳に挟んだからよぉ」
「……もしもまた聞いた時は知らせてくれると助かる」
「任せな」とガラノフが答えたのを聞いたかわからない内に、クラフトはその場から去って行った。
何より居心地が悪く、それ以上その場にいたくはなかったのだ。
クラフトが去った後、ガラノフは急にその場で考え始めた。
部下の一人が「どうしました」と恐る恐る尋ねる。
「クラフトの野郎が……『聞いていない』?」
ガラノフは違和感を感じてならなかった。
あの実直かつ堅物であるクラフトのことだ。紅いイレギュラー討伐の任を負っている以上、紅いイレギュラーに関する情報には絶えずアンテナを張り巡らせていることだろう。
それならば何故、ここ最近、紅いイレギュラー出没が噂されるあの集落のことも、そこについ先程現れた紅いイレギュラーのことも知らないのだろうか。
そもそもガラノフ達の所業を気にするのならば、“狩場”としているあの集落のことも情報として知っていておかしくはない。そして、もしそれを知っていたなら、紅いイレギュラーの情報にも気を配り、今頃こんな場所に脚を運ぶこともなく、紅いイレギュラー討伐のために動いているのが普通ではないか。
――――なにかがおかしい……
不審感は募るばかりだ。
すると、部下の一人が慌てて駆けより、ガラノフに耳打ちをする。
「隊長…先程入ってきた情報なんですが……」
その内容に、ガラノフは言葉を失う。
そしてまた考えこむ。タイミングよく飛び込んできた情報と、現在の疑問との辻褄を合わせるには――――答えは一つしか無かった。
それから、すぐにサイモンの名を大声で呼んだ。
「おい、サイモン。テメエの頭の中を今すぐ見せろ」
まるで玩具を見つけた子供のように、ガラノフは笑みを浮かべてみせた。
NEXT STAGE
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