―――― * * * ――――
『…………ごこはいいトコだなぁ』
顔を上げ、辺りを見渡す。つられてCも同じように見渡す。
白銀の世界――――同胞の残骸も、争いも、それを許容する無情な荒野も、ここには見つからない。静かで、優しい時だけが包む真っ白な世界。
『……いづか、あの人にも見ぜてあげだいなぁ。……あの人は綺麗で……優じいから……きっと戦場なんかより、ごこの方が似合ってると思うんだ』
《愛していたのか?……その人を》
Cの問いかけに、カムベアスは苦笑しながら首を横に振る。
『いやぁ…ぞんなんじゃあねえよ。けれど…そうだなぁ……』
その気品に憧れていたのは確かかもしれない。ミュートスレプリロイドとして、主を護りたいと言う使命感があったことも否定できない。しかし、それ以上に――――
『あの人は……いづも何処か寂じげでな……』
懐かしむように目を細める。
『裏切ってしまったのかもしれない』と、今更ながら後悔を感じていた。
今でも覚えている。あの人は、ミュートスレプリロイドでありながら戦いから逃れようとする自分の申し出を、少しだけ哀しげな瞳をしながらも、ほんの僅かにも躊躇うこと無く受け入れてくれた。
しかし、だからこそ忘れられない。
彼女の信頼を、過去を、弱さを知りつつそれらに目を背け、茨の道から逃れようと背を向け彼女の前から去った。
そんな自分の弱さを彼女は赦してくれたというのに、自分はもう何一つ返すことはできないだろう。
流れる雲を、黙り込んだままカムベアスは目で追いかける。
《……見せればいい》
ポツリと呟くように、Cの声が脳裏に響く。
《『見せたい』と思ったならば見せればいい。いつかこの場所にその人を連れてくればいい》
思わずCの瞳を見つめる。表情を表すことなどできるはずがないアイカメラのガラスカバーが、その時はどこか力強く確信に満ちた微笑を浮かべているように見えた。
《優しいその人は、きっと君の厚意を受け入れてくれる。きっとこの場所を、気に入ってくれる。君が今、この場所を愛しているように》
『本当にそうだろうか』と問い返そうとした。けれどCの眼差しに、その強い輝きに、カムベアスは返す言葉を見つけられなかった。代わりに溢れたものは優しい、心からの笑顔だった。
「貪り尽くす者」の名を冠するボレアス山脈。しかし、その厳つい名称とは裏腹に、そこには争いも、哀しみもない平和な世界が広がっていた。
Cの言葉通り、カムベアスはこの地を愛していた。きっと彼女も――――いや、この景色を目に焼き付ければ、他の如何なる者達もこの場所を愛してくれるだろうと思えた。
同時に、「もしも世界中がこの山脈のようだったら」と、思わずにはいられなかった。
16th STAGE
世界を覆う白雪の上で
―――― 1 ――――
専用武装である「フロストジャベリン」を所持していなかったことを後悔した。
今回は査察だけで、こんな辺境の地で戦闘状態に――――しかも、かの紅いイレギュラーと出会してしまうとは思いもしていなかったために、本国に置いてきてしまったのだ。
とは言え、こうも簡単に後ろを取られてしまっては自慢の愛槍があったとしても、どうにもならなかったことだろう。
「こんな辺境に何の用かしら?」
レヴィアタンは喉元に当てられたビームの刃を睨みつつ、彼の目的を問いただす。あくまでも毅然とした態度で。凛とした声色で。
「…ちょいと“正義の味方ゴッコ”でもやらせてもらおうかと思ってよ」
ゼロは冗談めかして答える。笑みを浮かべてはいるが、内心、どんな罠が待ち受けているか分かったものではないと、センサーの感度を最大限に発揮し、警戒し続けていた。
「“正義の味方ゴッコ”?」
「そ。名付けて『白熊救出大作戦』ってとこかな」
「白熊救出大作戦」とまたしても冗談めかして答えるゼロ。だが、レヴィアタンはその言葉に強く反応する。
――――まさか……
ベンハミン達の報告から、カムベアスがレイビット達と親睦を深めていたこと、レイビット達が意思を持っていたことを知っていたレヴィアタンは、彼のその一言からある仮説を立てる。
レイビット達は何らかの方法を用いて紅いイレギュラーと交信し、カムベアスの件を彼らが望む方向へ解決することを依頼した。そして紅いイレギュラーはそれに応じ、このボレアス山脈へと足を運んだのではないだろうか。
いったい彼にどんなメリットがあるかは不明だ。しかし、先程の「白熊救出大作戦」という単語から察するに、そう考えれば辻褄が合う。
成程、確かに“英雄”と呼ぶに相応しい行動であると、半ば呆れ気味にレヴィアタンは納得した。
――――しかし、それならば……
レヴィアタンは一人、静かに考える。妖将としての責務、四天王としての尊厳。気に食わない計画、科学者達の欲望。信頼していた部下、その哀れな末路――――…‥
そして今、自身の命を脅かしている紅いイレギュラーの存在。
あらゆる要因を秤に掛け、思考を巡らす。
ふと、ビームの刃から目を逸らし、当たりを包む雪景色を見つめる。そして、一つの答えに辿り着いた。
それは、驚くほど自然な動きだった。殺気も闘気も感じさせぬまま、レヴィアタンは後ろ髪を掻き分け自分のうなじを露わにし、外部接続用のインターフェースを惜しげもなく晒した。
余りに自然過ぎたため、ゼロは自分が警戒を緩めていたことに、その動作を見送ってからようやく気付いた。
「動くなと……!?」
レヴィアタンの指が、インターフェースを軽く叩いて示す。接続を呼びかけているように見えた。
「……どうしたの?」
そのまま黙り込んでしまったゼロに対し、僅かに後ろを向き声をかける。
「あなたの欲しいものはここにあるわよ?」
レヴィアタンが所持しているであろう、基地内のマップデータ等の内部情報はそこから入手することができるだろう。
だが、それに素直に応じることなどできるはずもない。
電脳戦に持ち込まれたとしても、いくら情報戦の雄として名高い冥海軍団の団長とは言え、サイバーエルフを所持していないレヴィアタンに対して、サイバーエルフを所持しているこちらが圧倒的有利なのは確かだ。方法によっては精神プログラムへの攻撃も可能である(もちろん、成功したとしてもサイバーエルフは無事に済まないだろうから、そのようなことをするつもりはないのだが)。
ともすれば、彼女しか知りえないネオ・アルカディアの機密を入手することもできるかもしれない。
状況は明らかにゼロが優位に立っている。立ち過ぎている。だがそれ故に、こうも素直に情報を明け渡そうとする彼女の行動が不可解でならなかった。
「……焦らされるのは好きじゃないの、“する”なら早くして」
扇情的な笑みを浮かべ、そう急かす。しかし、そこには殺気や闘気だけでなく、敵意すら微塵も感じられない。それが益々ゼロを不安にさせる。
だが、迷っていても仕方がない。
――――こちらにはレルピィがいる……
左腕に装着したコアユニットを見つめ、意を決する。ペロケが特別に調整した彼女がいる限り、万が一のことがあろうとも遣り過ごすことができるだろう。
ゼロは自身のうなじに手を伸ばし、ケーブルを引っ張り出すと、レヴィアタンのうなじのインターフェースに接続した。
直後、ゼロの脳内に幾つかのデータが一斉に送り込まれた。「やはり罠だったか」と軽く舌打ち、レルピィを瞬時に電脳内に走らせてそれらのデータの対処に当たらせた。
一瞬でも気を緩めてしまったことを悔やんだ。もしもネオ・アルカディアが特殊なウイルスデータを開発し、こういう状況に備えて彼女が所持していたとしたら――――レルピィでも対応しきれなかった場合、それは即ち“死”を意味する。その想定ができていなかったのは手痛い失態だった。
だが、そうしたコンマ数秒の自責の後に、レルピィがゼロに示したのは以外な事実だった。
〔ダーリン、落ち着いて。これ、全部無害よ。……それどころか……――――〕
レルピィの声につられて、ゼロもそれらのデータを確認する。驚いたことに、送られてきたのは基地内のマップデータ、構造、警備用メカニロイドの配置等、潜入するためには欠かせない情報ばかりであった。
〔ボレアス山脈の研究所は大きく三つの棟に分かれているわ〕
不意に、脳裏にレルピィとは違う声が響く。その主は間違いなく、今目の前にいる彼女以外に考えられなかった。
〔要塞設備の管理を担ったコントロールルームがある十二階建ての中央棟。冥海軍団の兵舎などの施設を複合した三階建ての西棟。そして研究、実験関係の備品や被験体の調整、及び保存場所として使用される五階建ての東棟〕
マップが詳細に示されてゆく。東棟のとあるポイントが強調され、そこまでの道筋も示される。
〔あなたの目当ての“白熊”はここにいるわ〕
そこは、ポーラー・カムベアスが軟禁されているメンテナンスルームの所在地だった。
勿論、ゼロには確認のしようがないため、こうも容易に要求を満たされては、逆に疑惑を抱いてもおかしくはなかった。しかしどうしてか、ゼロは淡々と説明を続ける彼女の声を、素直に受け入れるつもりになっていた。
〔これより二時間後、私は一旦ここを離れる。それから三時間後に“紅いイレギュラー”討伐のために冥海軍団の増援を引き連れて戻ってくるわ〕
その情報は、間違いなく機密と言ってよかった。紅いイレギュラー――――即ち、ゼロ討伐のための部隊がそのタイミングで来るというならば、絶対にそれ以降の時間は避けねばならない。
〔また、第十七部隊が戦略研究所職員の要請に応え、紅いイレギュラー討伐のための戦力を整えているという情報を耳にしたわ。おそらく……確実とは言えないけどこちらも三時間程度の時間を要すると見ていいでしょうね〕
またしても機密情報を、平気で晒してしまう。こうも軽く明かされてしまっては、信じて良いのか流石に躊躇してしまう。しかし、その真偽がどうあれ自分の侵入が敵側にとって周知の事実となっているのは間違いないだろうし、仮にそれが偽りであったとして、何の情報も所持していなかった時よりも警戒しやすくなったのもまた確かである。となれば、ここはこの情報に乗せられてみるのも悪くないかもしれないと再び納得する。
〔つまり、“妖将レヴィアタン”と、第十七部隊が同時に不在なのは、これから二時間後からのおよそ一時間……ってことになるわね〕
わざわざ自身の名を強調するのは、基地内で出会えば、現在のような気晴らしの散策中に起きた突然の遭遇とは、対応が違うという意志の表れなのだとゼロは理解した。
その遣り取りの後、レヴィアタンは一方的に通信を打ち切り、自身のインターフェースから接続端子を引き抜き、ゼロに投げ渡した。
「何故……ここまでする?」
受け取ったケーブルをうなじに仕舞い込んだ後、思わず問いかける。喉元に突きつけていたゼットセイバーの刃先は、既に地面に向いていた。
「“ここまで”…って?」
またしてもレヴィアタンは妖艶な笑みを浮かべた。
自分のしたことが分かっていないのか、その表情からはまるで悪気を感じない。
「……これは明らかな裏切り行為だろう」
一軍団の将である前に、彼女はあの四天王の一人だ。救世主への忠誠が揺らぐことなど、まず考えられない。
だが彼女は今、自身が預かる要塞基地の情報を、紅いイレギュラー討伐のための計画を、仇敵である紅いイレギュラー本人に自ら漏洩させてしまった。それも何の躊躇いもなく、脅迫的に要求されるより先に、何の悪気もなく……である。
「“バレてしまえば”、私は処分されるでしょうね」
またしても「フフフ」と軽い笑みを零す。「バレてしまえば」と強調するのは、つまり「バレなければ良い」という意図の表れだった。
ゼロには不可解過ぎて仕方なかった。罠を貼っているにしては、殺気も敵意も全く感じられない。この状況でも救援要請を出しているかと思えば、敵襲を受ける気配は全くない。それどころか、ゼットセイバーを下ろした今ですら逃げ出そうとも、戦おうともしない。
ここまでのやり取りで確信できるのは一つ。おそらく先程、提供してくれたデータは真実だろうということだ。根拠も何も無いのだが、それだけは間違い無いと思えた。
「処分されると分かっていて……何故だ?」
問いを繰り返す。レヴィアタンは少しだけ面倒くさそうに溜息を吐くと、雪景色に再び視線を移す。
「“気に食わない”……ってだけじゃダメかしら?」
「破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画」が気に食わないというのは実際、レヴィアタンにとって正直な気持ちだった。だが勿論、レヴィアタンにとってもそれが全てではなかったし、ゼロがこの裏切り行為を理解するにも、動機として不十分であった。「けれど」とレヴィアタンは言葉を続ける。
「私にどんな意図があろうと、あなたは情報を手に入れた。それで十分じゃない? ――――勿論、それが真実かどうかの判断は必要でしょうけど…ね」
彼女の言うとおりだった。
これ以上の押し問答は、いくら続けようと無駄だろうとゼロは観念し、ゼットセイバーを左腕に仕舞い込む。そしてレヴィアタンに背を向けた。
「あら、帰るの? 丸腰の美女が目の前にいるのに。……好きにしてくれて構わないのよ?」
「悪いが、お前ほどの美女を初対面で平然と襲える程の度胸は無いのさ。何処に“棘”があるかも分かったもんじゃない」
「案外、ウブなのね」
レヴィアタンはまたしても笑みを零す。
「言っとくけど、基地内の至る所でDNAデータの照合が必要になってくるから、今の情報だけじゃ侵入は容易じゃないわよ」
「その辺は慣れっこさ。どうとでもできる。――――敵とは言え、女を組み敷いてまで、これ以上のアドバンテージを得るつもりは無いしな」
「むしろ貰い過ぎだ」と苦笑する。元々、「出たとこ勝負」だと覚悟をしていたくらいで、この遭遇と情報入手は幸運と言って良かった。
ゼロはそのまま地を蹴り、駆け出した。背中から「また会いましょう」と声を掛けられたが、それに応えはしなかった。
「ここで斬っておけばよかったかもしれない」と罪悪感に似た感覚が胸の奥に渦巻く。この先も、そう思うことがあるかもしれない。きっとその時は、手遅れなのだろうが。
しかし、彼女の真意を確認できない以上、それをすることは、ゼロにはどうしても出来なかったのだ。
今はただカムベアスの救出にのみ専念しようと、ゼロは戸惑いを風とともに振り切った。
そうして雪原に刻まれた足跡を視線でなぞり、レヴィアタンはどんどん小さくなってゆく紅い背中を見つめる。
「所詮はレプリロイド」――――先程、胸に突き刺さるようにして心に浮かんだ言葉を反芻する。
感情も、思い出もプログラムの力に押し負けてしまう運命なのだろう――――そう割り切っているつもりだった。
しかし、ついさっきの自分の行動はどうだ。
結局は今も、微力ながら、僅かながら、どうにか抗おうとしていた。どうにかして運命を変えようと裏切りにまで手を伸ばした。その様はきっとレプリロイドとしては愚かで滑稽だろう。
けれど、それでも構わないと思えた。
そうしてまた、美しい白銀の世界を見渡す。
綺麗で平和なそこは、先程よりも輝いて見えた。
「私……此処、好きよ」
誰にともなくそう呟く。
そして、静かに祈った。
―――― * * * ――――
寒空の下、ヘリポートに着陸した一台の輸送ヘリに向け、レヴィアタンは足を踏み出す。
ボレアス山脈研究所自体には空間転移装置が設置されておらず、本国へと戻るには麓にある基地施設に一度移動する必要があった。その連絡手段として今回のように輸送ヘリが用いられているのだ。
ふと、もう一台ヘリが着地していることに気づき、眉をひそめる。
――――あれは……?
ヘリから数人が降り立ち、こちらへと歩き始める。彼らが何者であるかに気付いた瞬間、レヴィアタンは驚かずにはいられなかった。
そこにはよく見知った顔ぶれが確かに揃っていた。
元第九部隊副隊長マティアスに元第十四部隊副隊長マイア、その他に五名ほどの部下を後ろに引き連れている先頭の男――――元第一部隊長にして現第十七部隊長のクラフト。紛う事無き第十七精鋭部隊のメンバーである。
――――まさか……こんなにも早くお出ましとは…ね
流した情報を大きく覆され、レヴィアタンは苦笑する。
数だけ見れば、対紅いイレギュラー戦を想定しているにしては、些か少なく感じられる。だが戦力的には決して見劣りしなかった。
特に、救世主の後継者として中心に立つクラフトの実力はもちろんの事、光速の剣技を自慢とする“黒髪のマイア”も参戦するとなれば、如何な紅いイレギュラーといえど、苦戦は必至だろう。
軍団を集結させるよりも、クラフトを中心とした精鋭のみに絞ることで、時間を短縮したのだろう。
成程、紅いイレギュラーを取り逃さないためには賢明な判断と言えた。彼の目的が不明瞭な以上、何時その姿をくらますか分かったものではない。この機を逃す訳にはいかないと思ったのだろう。
紅いイレギュラーに対する危機感と警戒心、そして彼を討伐するという使命に対する意気込みの微妙なズレが、レヴィアタンの想定を狂わせたのだ。
「お久しぶりね、クラフト隊長」
あくまでも落ち着いた声色で呼びかけるレヴィアタン。その声に気付いたクラフトは、その場で足を止め、敬礼をする。後ろの部下達もそれに釣られ、素早く敬礼の構えをとった。
「これは妖将殿。確か“第弐部隊の乱”以来…でしたか」
「ずいぶんお早い到着ね。イレギュラーハンターさん達はそんなにお暇なのかしら?」
どこか挑発的なレヴィアタンの言い草に、マティアスが僅かに反応した。だが、クラフトの視線がそれを制す。
「紅いイレギュラーの討伐は我々の存在意義と言っても過言ではありませんので」
「他の雑事には一切目もくれず、ここへ参じたというわけね。正直、頭が下がるわ」
そうは言うものの、その表情は相変わらず挑発的な笑みを浮かべたままだった。
だが、クラフトはそんなことに微塵も動じることない様子だった。その落ち着いた物腰に、堂々たる振る舞いに、レヴィアタンは内心で素直に称賛を送ると共に、紅いイレギュラーの苦戦を痛烈に確信した。
とは言え、こればかりはもうどうにも仕方がない。どれだけ悔やもうと賽は投げられたのだ。紅いイレギュラーの健闘を祈るしか無いだろう。
「私もなるべく早く合流させてもらうわ。それまで命を大切になさい」
ヘリに乗り込む際に、そう最後の声をかけた。無論、本心の言葉ではない。
だが、その言葉に応答せんと振り返るクラフトの目は、どこまでも真っ直ぐな輝きを放っていた。
「慌てず、ゆるりと準備を整えていただいて結構ですよ。四天王の手を煩わせるまでもないということを、我々の力で証明してくれましょう」
嫌味ともとれる発言だが、クラフトは紛れも無く本心からその言葉を返していた。その純朴さに、レヴィアタンはいよいよ毒気を抜かれてしまうのだった。
飛び立つヘリの窓から、屋内へと入ってゆく十七部隊の面々を見つめる。
自分が居ぬ間に決着はつくだろう。
カムベアスの安否も、紅いイレギュラーの生死も、自身の行動がどういう結末を呼び寄せるのかも見届けることはできない。
この美しい山脈が、その雄大さと優しさを損なわない終りをどうか迎えて欲しいと、今はただ祈るだけだ。
レヴィアタンは複雑な想いを抱えたまま、ボレアス山脈を後にした。
―――― 2 ――――
「各員、武装チェック」
クラフトの声に従い、十七部隊の面々は武装の点検を始める。細部に至るまで異常がない事を確認し、順にクラフトへ合図を送る。クラフトは全員が完了したことを確認すると、一際大きく声を張り上げ指示を出す。
「これより紅いイレギュラー討伐任務に入る。シメオン率いる第六班到着次第、山内捜索を開始。それまでは基地内にて待機」
「第六班の到着は如何ほどで?」
「おそらく三十分程度だ。但し、気は緩めるな。奴がいったい何の目的でこの地に足を踏み入れたのかは分かっていない。この基地が襲撃される可能性も十分に有り得る。各員、常に警戒態勢を取れ」
集められた七名の部下は「はっ」と威勢の良い返事と共に敬礼で応えた。
冥海軍団の兵舎の片隅に陣を構え、腰を下ろす。相変わらず四軍団の兵士たちからの視線は気分の良いものではなかったが、しばらく本陣に留まっている間に慣れてしまったらしい。今では、かつて感じていた息苦しさは微塵も感じられない。
マティアスとマイアは窓の外を眺める。
「すげえ雪だな…本当によ」
「これほどの雪は本国ではありえないからな。情報として知っていたとは言え、正直私も驚いた」
天候を管理局によりコントロールしているネオ・アルカディア本国では、季節感の演出程度のみで、ここまでの大雪はまず積もることはなかった。国外へ任務に出るのは今回が初めてとなるため、マイアもマティアスも、そしてクラフトでさえも雪山での戦闘経験は皆無だった。データベース上にある戦闘データバンクから経験情報をフィードバックしているとは言え、不安が無いとは言えない。
「こんだけの雪じゃ足が取られて思うように動けねえだろ?ご自慢の光速剣技も、発揮できんのか?」
第十四部隊副隊長「黒髪のマイア」と言えば本国でも有名なイレギュラーハンターである。高出力ビームソードを駆使した彼女の剣技は知覚すら難しいことから“光速剣技”などという異名を取っており、多くのイレギュラーがそれによって処分されてきた。女性らしい華奢な体でありながら、他のハンターたちが彼女に一目置くのは、その剣技と実力が本物である証だ。
「ま、鬱陶しくなったら綺麗さっぱり俺が吹き飛ばしてやるぜ」
「マティアス、“雪崩”というものを知っているか?爆破は程々にした方が良い」
あくまでも冷静にマイアは言葉を返す。大小様々な爆発物を巧みに操るマティアスであるが、この雪山では己の命の心配もする必要があるようだ。
「ところでマティアス、お前はどう思う?」
「『どう思う』?」マティアスは質問の意味が分からず首を傾げる。
「紅いイレギュラーの目的だ。こんな辺境にいったい何があるというのか……」
「ああ、なるほどな。まあ……あると言ったらこの研究所くらい…か」
そもそも紅いイレギュラーの行動には不可解な点が多い。
多くの四軍団基地を壊滅させておきながら、二度の接触に成功したシューター達特殊班に対しては、トドメを刺すまでに至っていない。かと思えば闘将ファーブニルに対しても、彼を討ち取りはしなかった(おかげでファーブニルはヘルヘイムに収容されることになってしまったわけだが)。
また、狙われている身でありながら、各地に散らばるレプリロイド達の集落に足を運んではその様子を逐一確認したり、保護したり、果ては死者の弔いまでしているという情報が流れている。
空間転移装置を多用しているらしく、行動拠点の特定も難しく、ここしばらくはその足跡を掴むことすらできていなかった。
このボレアス山脈に現れたという情報が掴めた事自体、幸運と言える。だからこそ、例え最小限の戦力でも、できる限り迅速に準備を整え、馳せ参じたのだ。
「願わくば、ここでケリを着けたいものだ」
それにはマティアスも同意見であった。
ふと、クラフトが紙束を手にしているのが見える。それはどうやら新聞――――クラフトが愛読しているオリンポスプレス紙だった。
『常に警戒態勢を』と言いながら、「自身は暇つぶしか」とマティアスは半ば呆れる。クラフトはじっくり読み込むのではなく、ただ眺めているだけだったが、その表情は固い。
ヒョッコリと紙面を覗き込む。
「こいつはまた…何とも…」
そこに掲載されていたのは元老院議長、マクシムスの暗殺事件に関しての記事であった。
先日、元老院議長、マクシムスは自室にて愛玩用女性型レプリロイドの、突然のイレギュラー化により殺害された。これは、国内にまで影響を及ぼしているレジスタンス組織、黒狼軍の暗殺作戦であるとの見方が現在、強まっている。
元老院議会はこの事件に屈すること無く、イレギュラーの掃討と、ネオ・アルカディアの平和の為により一層努めてゆくとの声明を、最高議長であるヴィルヘルムが発信していた。
しかし、現在クラフトが眺めている記事はその渦中に投じられた一石と言って良い。
「『マクシムス卿の殺害は、元老院議会による粛清の線が濃厚』……って」
「よくぞ調べ上げたものだと、感心してしまうだろ」
クラフトは苦笑いを浮かべる。
記事によれば、黒狼軍による暗殺とされているマクシムス殺害事件は、裏でレジスタンスと繋がっていた彼に対する元老院からの粛清であるとの線が強いというのだ。
それだけではなく、黒狼軍を事件に関連させる物的証拠が無いに等しいという事実や、マクシムスがレプリロイド解放議会軍総司令官マゴテスと通じていたのだという証言など、地道な取材から得た様々な証拠を裏付けに、真相を炙り出そうとしているのが分かる。
「これ…結構まずいんじゃないすか?」
「“結構”どころじゃないな。相当危険だ」
マゴテスがマクシムスと通じていた事実は、元老院に対する不信感増長の可能性アリとして、大衆に対しては秘匿事項とされていた。元老院議長にまで登りつめた男がテロリストと手を結んでいたというのが事実で知れれば、国策が揺るぎかねない事態になることは想像に難くない。
イレギュラーハンター達は勿論のこと、事件に関わった全ての者達が口を封じられていたのだが、どこから漏れてしまったのか、国内でもトップの新聞社に堂々と記事が載ってしまうとは誰も予想できなかっただろう。今頃元老院による事態の抑制と、紙面の総回収が行われている頃だろう。そして間違いなく、この記事を書いた記者は無事に済まない筈だ。
「例の彼女…っすよね?」
クラフトは頷く。そう、こんな記事を書き上げられるのは国内でも彼女しかあり得ない。クラフトをネオ・アルカディアの新たな救世主として称え、レプリロイド達の権利を訴える彼女――――オリンポスプレス社の敏腕記者として名高いネージュ以外には。
この記事も、要点をまとめてゆけば、最終的にはレプリロイドの権利主張となっていた。人類のトップである元老院議長の暗躍は、敵がレプリロイドのレジスタンスだけではないことを示し、人類が神聖な存在では決して無いことの証明であり、同時に、レプリロイドとのよりよい関係づくりと共通理解こそが、今後のネオ・アルカディアには重要であると、力強い言葉で記されていた。
「嬉しい限りではあるが……ここまでいってしまうと……」
ネージュの身が心配になる。
政府批判と取れるだけでなく、機密事項を流布してしまったのだ。最低でも職を失うことは間違い無いだろう。そして、今後もまともな職になど就ける筈がない。まともな資金繰りができなくなればニューオリンピアでの居住も難しくなり、いずれはミズガルズのスラム街へと追いやられてしまうだろう。命まで失うことはないにせよ、社会的な抹殺というのは大いにあり得た。
「しかし……気にしたところでどうにもできん。俺達にできることはただ、彼女の無事を祈ることだけだ」
クラフトは誌面を四角く畳み、マントの下に仕舞い込んだ。
「そう言えば…新たな元老院議長の選出が行われていますね」
クラフトに気を遣ったのか、マイアは話題を変える。
「議会内投票だがな。ヴィルヘルム卿が推すアーブラハム卿が最有力だと言われているが……どうも状況が思わしくないらしい」
「と、言いますと?」
「名誉議長殿が久しぶりに動きを見せているそうだ。なんでも、若手のレオニード卿を擁立するつもりだとか」
バイル元老院議会名誉議長は就任して以来、噂程度が飛び交うことはあったが、目立った動きを見せることはなかった。その為、最高議長であるヴィルヘルム卿の権威拡大を抑える者はなく、議会はほぼヴィルヘルム最高議長の思うがままに動かされていた。
だが、そのバイル卿がついに動き出す。それも若手最有力株として名高いレオニード卿を議長団に捩じ込もうというのだ。
「いくら民衆の支持が厚いレオニード卿といえど……相手が悪いのでは?」
既にヴィルヘルム卿が議会の大勢を握ってしまっている今、対立関係にあるバイル卿の候補となれば、当選は難しいと考えるのが妥当である。
しかし、クラフトは首を振る。
「最高議長のやり方に反感を抱いている者も少なくないと聞く。それに、“あの”名誉議長殿のことだ。その擁立が真実であるならば、勝つ為の根回しを徹底的に行なっていることだろう」
ヴィルヘルム卿の思うままに議会が動かされているとは言え、バイル卿の存在がこれまで無視されることがなかったというのもまた事実である。そもそも八十年前の大反乱の首謀者であると目されていながら、名誉議長に就任し、ネオ・アルカディアの中枢にとどまり続けてきたのには、それなりの理由があるのだ。
「レオニード卿と言えば、かの歌姫のお兄様っすよね?」
軽い調子でマティアスが口を挟む。
「“虹の歌姫”か。その通りだが…そのニヤケ様は………まさか」
「自分、ファンっす」
はにかみながらマティアスが白状する。
“虹の歌姫”――――現在、ネオ・アルカディアにおいて民衆から最大の称賛と人望を集める歌手。旧世紀で言うところのアイドルだ。
歓喜、悲哀、哀愁、愛憎……様々な感情を、時に優しく、時に切なく、時に力強く歌いあげる彼女は、その歌声を“虹”に例えられ、ラジオや雑誌を通して“虹の歌姫”として人類だけでなく、レプリロイドからも支持されていた。
政府関係者にもファンは少なくなく、メモリーに記録して前線で聴くというレプリロイドもいる程で、彼女の人気は留まることを知らない。
レオニード卿が民衆から支持されている理由には、メガロポリス大学の元人気講師であるという以外にも、彼女の存在が一つとして挙げられる。
ニヤニヤと顔を緩ませるマティアスに呆れたのか、クラフトは溜息を吐く。
「いつまで卑猥なニヤケ顔を隊長に見せているつもりだ」とマイアがマティアスの頭を軽く叩いた。
瞬間、爆音が鳴り響く。
突然の事態に、マティアスは慌ててマイアと顔を見合わす。
「なん……!? …えっ…………お前!?」
「なわけ無いだろう! 隊長!」
「どうやら奴さんの方から来てくれたようだな」
そう言って、クラフトが重い腰をあげる。
その緊張感に、隊員たちの顔つきが変わる。先ほどまでニヤケ顔を晒していたマティアスですら、硬い表情をしている。
それから鳴り響く警報は研究所と兵舎中に、敵の襲来を五月蝿い程に知らせていた。
こんなところに現れる敵など、通常は考えられない。今、このボレアス山脈内に潜伏していた紅いイレギュラー以外には。
クラフトの脳内に基地内のデータリンクシステムが情報を送る。紅いイレギュラーはどうやら格納庫内から侵入を仕掛けたらしい。
「第十七部隊、出撃する。目標は格納庫内にて警備メカニロイドと戦闘中。目的が未だ掴めん。用心して掛かれ」
「了解」と威勢よく返事をし、マイア達は各々の武器を手に、クラフトの後について兵舎を出ると、廊下を駆け抜けた。
基地中のメカニロイドとパンテオンがそこに集結しつつあった。
―――― 3 ――――
ライドアーマーのコクピットに乗り込み、シールドカバーを閉じる。
起動したばかりのメインカメラから、ノイズ混じりの映像が眼前に映し出される。
侵入の際に発した爆音を聞きつけ、咄嗟に駆けつけたメカニロイド達が、自身に取り付けられたエネルギーガンの銃口をこちらに向けている。既に入り口付近は固められ、これ以上の侵入には、敵のバリケードを突破しなければならない。
だがその程度で、怯むつもりはない。
「派手に行かせてもらうぜ!」
意を決すると共に、アクセルを限界まで踏み込む。取り囲もうと集結してきたメカニロイドとパンテオン達を物ともせず、ゼロが乗り込んだライドアーマーは入り口まで一気に突撃を掛けた。
残骸と擬似体液が無惨に飛び散る中、レプリロイド用に誂えられた入り口を、壁ごと破壊し、廊下に飛び込んだ。その際に崩れた瓦礫が、既のところでライドアーマーの轢殺から逃れたパンテオン達を圧し潰す。
素早く右に回頭する。そして、次々と迫り来るパンテオンとメカニロイドの群れに向け、更に加速させる。後方から浴びせられる銃撃を、体躯に対して遥かに狭い廊下の中、致命傷は避けるように細かく身を捻りながら躱し、目的の場所へと向け突き進む。
脳内にマップデータを展開し、位置を確認する。大丈夫、この道で間違いはない。
「……っ!?」
ガクンと、突然バランスが崩れる。どうやら敵の一撃が右足の関節部にヒットしたらしい。しかし、流石は軍用の最新型で、その程度でいきなり転げてしまうようなことは無い。とは言え、このまま進んでゆけば、間違いなく負荷にやられて無様に転倒してしまうだろう。
だが、だからと言って、なにか手があるわけではない。
「ええい……ままよ!」
崩れかけのバランスをギリギリの所で保ちながら、走行を続ける。そして、目的の地点――――エレベーター前に辿り着く。
ゼロはライドアーマーを一旦停止させ、オートパイロットに切り替える。そしてコクピットを開けて飛び降りた。格納庫からライドチェイサーまで持ちだして追撃を続けていたパンテオン達は、その様子を訝しむ。すると、ライドアーマーは即座に振り返り、再び動き出す。敵部隊へと向け、一気に駆け出した。
状況を理解したパンテオン達は後方へ切り返そうとするが時既に遅い。ライドアーマーは、とうとう負荷に耐え切れなくなり、上体を崩し、転がるようにして敵部隊へと突っ込む。そして、エネルギー炉が臨界に達し、自爆した。
その様子に目もくれず、ゼロはエレベーターに乗り込む。そして、上階へと登り始めた。
コントロールルームで、この要塞の防衛を任されている司令官のシラーがオペレーター達に向け怒号を飛ばす。
「防火シャッターの作動は!? エレベーターは停止せんのか!?」
「それが、一部の基地施設のコントロールに対し、何者かがクラッキングを仕掛けているらしく…」
「弁解はいらん! なんとかしろ!」
弱音を吐く部下に、シラーは苛立つまま叱咤する。
ゼロの侵入の手間を少しでも省くため、レルピィとペロケによる電子攻撃が行われているのは、言うまでもない。
その甲斐あって、ゼロは目的の階まで一度も停止すること無く登ってゆく。
「どうやら基地内のコントロールが一部奪われているようです」
代わりにデータリンクを終えたマイアがクラフトに報告する。
「相当、腕の立つクラッカーがバックアップに付いているということか……。弱ったな」
瓦礫と残骸に塗れた廊下を進み、クラフトが壁に手をつく。
彼らが到着した瞬間、格納庫から飛び出たライドアーマーは、そのまま逃げるようにして去って行ってしまった。崩れる瓦礫を躱し、ライドアーマーの背中を呆然と見送ることしか出来なかった。
「マティアス、警備兵の動向は?」
「はっ。全機、エレベーターの上昇を追うようにして、上階へと登っています」
「エレベーターの停止を確認」と、マイアが口を挟む。場所は六階。十二階まである中央棟では中間地点。
「最上階のコントロールルームだと踏んでいたのだがな……アテが外れたか…」
自身の推測の裏を掛かれ、クラフトは眉を潜める。
コントロールルームを襲撃し、要塞内のコントロールを掌握する――――その後の動きはともかくとして、要塞侵入を謀った場合のパターンとしてはそれが一番しっくりくる。だが、紅いイレギュラーはそうしなかった。
「『そうしなかった』というのが重要だ……。詰まる所、目的は要塞の攻略ではない」
他に、こちらが予想だにしない目的があるのだろう。だからこそ、裏をかかれるのだ。
「お前らはどう思う?」
マイアとマティアスに順に視線を向け、問いかける。すかさずマイアが答える。
「少々派手――――というのが私の印象です。格納庫への潜入からライドアーマーの奪取までは良いとしても、そこから先は……要塞への侵入にしては動きが雑過ぎる」
警備部隊にその侵入が大々的に知れ渡り、挙句、それにも懲りず、更に奥へと侵入を続ける。位置が既に割れてしまっている上に、戦力差も開きすぎている。いくら紅いイレギュラーとは言え、無謀にも程がある。
だが、その動きが無意味だとも思えない。
マイアの「派手」という印象に、マティアスも頷く。クラフトも同意見だった。となれば、現在の味方部隊の動向も踏まえた上で単純に考えると、答えは自ずと導かれる。
「陽動…か……」
クラフトは紅いイレギュラー包囲作戦を一度白紙に戻し、再び策を練り始めた。
しかし、そうこうしている内に、ゼロは迫り来る軍勢を次々と斬り伏せてゆく。ゼットセイバーの閃光が縦横無尽に駆け巡る。
そして、自分から進んで隅へと突き進み、壁を背にした。
「この辺でいいかな?」
ニヤリと呟くと、何を思ったのかゼットセイバーを左手に収納した。パンテオン達は思わずその動作を警戒する。それもその筈で、紅いイレギュラーのこれまでの戦闘データから、その動作の後には決まって“あれ”が発動されるからだ。
しかし、ここは地上とは違う。ここであの攻撃を行えば、中央棟が崩れかねない。そうなれば、紅いイレギュラー自身も無事に済む筈がない。だが、どうやらそれすらも、今の彼は厭うつもりはないらしい。
左腕にエネルギーが蓄積される。制御限界ギリギリのエネルギー量だった。
「なあに……楽しもうじゃないか!」
そう叫ぶと、左腕を地面に突き立て、一気にエネルギーを開放した。滅びの技――――アースクラッシュの発動。
その惜しみない壮絶な威力は、その場にいた者たちだけでなく、そのフロアを丸々消し飛ばした。それから何が起こるのかは、想像に難くない。
「…ぬぁ!?」
シラーは突然の事態に素頓狂な声を上げる。景色が傾いている。いや、景色だけではない。自分の立つこの床が――――フロア自体が傾いている。
「ろ……六階部分消失! 中央棟…崩れ――――…っ!」
オペレーターが言い終わる前に、コントロールルームを含む中央棟の七階より上は、西棟側に向け、呆気無く崩れ落ちた。それに伴い、五階より下部分もまた、降り注ぐ瓦礫と振動により、大打撃を受ける形となった。
紅いイレギュラーの侵入より十数分程度での出来事である。
―――― * * * ――――
耳を劈くような騒がしさに、ポーラー・カムベアスはカプセルの中で瞼を開ける。
ガラスカバー越しに聞こえてきたのは、侵入者を知らせる警報のけたたましい音。そして、しばらくして基地内を駆け回る警備部隊の気配を感じる。
どうやらこんな辺境の要塞に、わざわざ侵入を試みた物好きがいるらしい。愚かしいことである。
現在ここで進行しているのは「破壊衝動プログラム」の試験のみで、他に目立った試験は行われていない。これまでの試験や実験の産物に関しても、それ程有用なものがあると思えなかった。
それからしばらくすると、激しい振動が部屋中を揺らす。何かが崩れ落ちたような爆音を響かせながら。
その後、ベンハミンが部下を引き連れながら、大慌てで扉から現れた。
「研究資料を急ぎ回収しろ! 急げ! 何が起こるかわからん!」
どうやら相当の手練が要塞に侵入してきたらしく、状況は思わしくないようだ。
ベンハミン達は最低限必要なデータをディスクに移し変え、持ちだそうとしている。そして作業をしながら、カムベアスヘと視線を移した。
「貴様も来い! 万が一の場合には働いてもらうぞ!」
「また戦いか」とカムベアスは項垂れる。
とは言え、既に「破壊衝動プログラム」に侵されたこの身と精神は、疲弊しきっており、抗う術はどこにもない。
ただ指示を受けるまま、戦いに赴かねばならない。何よりも忌み嫌う戦いへ……。
突如、爆音と共に天井が弾け、崩れ落ちる。
声にならない叫びを上げ、ベンハミン達はその瓦礫に圧し潰された。カムベアスは訳がわからないまま、呆然とその光景を見ていた。
視界を遮る砂埃がようやく落ち着くと、そこには輝く金髪と血のように紅いコートを身に纏った男が立っていた。
「……つっ……作戦は…成功か。しかし……ちょいとやり過ぎたな」
カムベアスはその姿に見覚えがあった。
「紅い……イレギュラー…?」
紅いイレギュラーはその声に反応し、カムベアスへと視線を遣る。すると、柔らかく微笑んだ。
「久しぶり……と言うより、まあ初めましてと言っておこうか。あんたがポーラー・カムベアスだな。俺が紅いイレギュラー――――ゼロだ」
少しだけよろけながら、ゼロはカプセルへと近づく、そして解放スイッチを手でまさぐり当て、押す。
バクンと音を立て、カプセルのカバーが開いた。先日雪原で一戦交えた白熊型のミュートスレプリロイドが幾本ものケーブルに繋ぎ止められて、そこにいた。
ゼロはカムベアスの身体から丁寧にケーブルを外してゆく。そして全て外し終えると、倒れそうになるカムベアスの身体を、支えた。とは言え、ゼロの身体もだいぶ疲弊していた。
「ここに来るまで結構荒っぽいことやらせてもらったんでな。少々ガタが来てるみたいだ」
中央棟の六階を吹き飛ばした後、背にした壁を破壊し、外に飛び出した。その先には、一階分下に東棟があった。半球状の屋根に辛うじてしがみつくと、そこを突き破り、それから一気にカムベアスの整備室まで、床を突き抜けながら降りてきたのだ。
一フロアを吹き飛ばすほどのエネルギーの放出、落下と着地、数回の障壁破壊――――尋常ならざる侵入行動から受ける反動は正直なところ、無視できたものではない。だが、多勢の中に潜り込み、誰かを救出するためにはそれなりのリスクを冒さなければならなかった。
「…どうじて……そごまで……」
フラフラと瓦礫の中を歩き出しながら、カムベアスが問いかける。
「Cさ。……あいつに頼まれたんだよ。『救ってくれ』って」
成程、あの対峙の後、事情をCが説明して、彼に依頼したのだろう。「友を救って欲しい」と。だが、それでも何故――――……‥
「ぞれでも……なんで……ごんなに危険な…ごと……」
見ず知らずの、会ったばかりの相手の願いを聞き入れ、敵であった者の救出等に命を懸けられるのか。
すると、ゼロは何処か自嘲めいた苦笑いを浮かべる。
「……やっぱ…馬鹿みたいか…?」
自分でも気づいていないわけではなかった。
冷静に考えて、今回の戦いは避けても良いはずだった。白の団の作戦でも、シエルの依頼でさえもなく、その上リスクばかりで見返りなど一つも期待できない。
それでも引き受けた。そして命懸けで遂げようとしている。“愚か”としか言いようがないかもしれない。
「それでも……俺は決めたのさ」
今にも倒れそうなカムベアスの身体を、残った力で懸命に支え、ゆっくりと歩を進める。扉はすぐそこにある。
「『救う』って……『救ってみせる』って……」
自分の力で、可能な限り。零さぬよう、散らさぬよう。命を懸けて。
英雄と呼ばれるからではない。期待されるからではない。
ただ救いたいと思った。壊すばかりの戦いの中でも、一つでも多くの命を。遺体や残骸を積み上げるばかりでなく。死者を弔い、別れを嘆くばかりでなく。自分の非力さを悔やむばかりでなく。
“救世主”の居ない世界で。――――思い出の中に残る“あいつ”の居ないこの世界で。
自分の力で、「救おう」と誓った。
「“ヒーロー”が居ないなら……『俺がなってやろう』ってことさ」
瓦礫塗れの暗い部屋を抜け出した。
警報が未だ鳴り響いてはいるが、電灯に照らされた明るい廊下に出る。
あとは脱出だけだ。マップデータから、事前に決めていた脱出ルートを確認する。レルピィとペロケが道を開けてくれている筈だ。
だが、トラブルというものは常に、予想だにしない状況で起こるものだ。今この瞬間のように。
「どうも、今日の俺達は運が良いらしいぜ?」
見慣れない男が視界に入り、ゼロは足を止めた。いや、男だけではない。黒髪が印象的な女性もいる。当然ながら、どちらもレプリロイドだった。
「運? ……隊長の読みが当たっただけだろう」
この状況でも落ち着いた物腰。間違いなく、それなりの手練と見て良かった。
「まさか」とゼロは身構える。まさか――――いや、きっとそうだ。冥海軍団員でもミュートスレプリロイドでもない。彼らが何者であるか。
レヴィアタンの情報に偽りはなかった。基地の内部も、彼女がここから一時的にいなくなるという話も。だから、おそらく彼女の読みが外れたというのが正しいのだろう。ただ一つだけの不確定要素が。
「我が名は第十七部隊所属、マイア。紅いイレギュラーよ、ここで貴様の命運も終わりだ」
「丁寧に自己紹介かよ。俺はしないぜ?」
あくまでも冷静に構えるマイアに対し、マティアスは呆れたように肩をすくめる。
それから挑発的な笑みを浮かべ、ゼロを睨む。
「まあよ。手を抜くつもりは無いから、安心してくれよ。紅いイレギュラーさん」
先程、黒髪の女性が言ったように、彼ら二人は第十七部隊の一員であると見て間違いないのだろう。
レヴィアタンの予想より早く、要塞に到着していた。ただそれだけのことだった。それだけの誤算だった。
体力的に疲弊した状態でありながら、同じく弱り切った仲間を守りながらの戦闘。決して容易なものではない。
「少しばかり手を抜いてくれた方が…俺としては嬉しいんだがな……」
万事休すといった状況に、ゼロはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
―――― * * * ――――
「おの…れぇ……」
瀕死の身体を無理やり引きずり、ベンハミンはなんとか瓦礫の下から這い出ることができた。
紅いイレギュラーの侵入により、基地内の設備は破壊され、大事な被験体も連れ去られてしまった。動力炉をやられた自分の身体も、もう永くは持たないだろう。
しかし、このままでは終われない。
自身の研究は完璧であった。間違いなくネオ・アルカディアの勝利に貢献する筈であった。その華々しい功績と、成果と、研究者としての栄光を無惨にも砕かれてしまった。
その恨みを返さずして生き絶える訳にはいかない。
辛うじて生きているコンピューターを起動し、キーボードを叩く。基地の監視カメラを確認すると紅いイレギュラーと被験体が支えあっているのが見えた。しかし、すぐそこにはイレギュラーハンターがいる。
「ク……クククククッ……」
ベンハミンは思わず笑みを零した。
最高のシチュエーションだと思った。これまでの研究の成果を確認し、自身の怨念を昇華するのには申し分ないキャストだと言って良い。
破壊衝動プログラムを検索する。しかし、基地のデータベースには既に見当たらない。
それもその筈で、基地内のデータベースは何者か(おそらくは紅いイレギュラーの共謀者)によりクラッキングされ、壊滅的打撃を受けていた。
だが、勿論そんなことは想定済みだ。今のはただ、確認をしただけだ。そして次が大事なのだ。
コンピューター内の防壁を即座に修復し、生きている回線を見つけると、強度の高いプロテクトをかける。
侵入しているクラッカーの手から察するに、ほんの数分あればまた破られてしまうだろう。だが、その数分があれば十分だ。
ベンハミンは慌てること無く懐に手をやると、小さなメモリーカードを取り出した。
それをスロットに差し込み、保存しておいた破壊衝動プログラムのコピーを起動する。
「まだ……試してない…実験が…一つだけ……あったなぁ……」
不気味に頬を吊り上げながら、弱った指でキーボードを叩く。
段階的なプログラムの注入――――それは精神プログラムの崩壊を恐れるがゆえの措置だった。しかし、それは理論と計算から導き出された結果に他ならない。事実として確認されてはいない。
ならば、もし“それ”を行ったらどうなるのか。
プログラムの危険値と、注入値を最高まで引き上げる。そして、その送信を開始した。
間も無く画面上にはプログラムの注入を開始したことを告げるウインドウが提示される。
それと同時に、「うへ…へへへ」と不気味な笑みを浮かべながら、ベンハミンの身体は虚しく床に崩れ落ちた。
しばらくした後、笑い声は止み、彼の機能は完全に停止した。
―――― 4 ――――
紅いイレギュラーと共にいるレプリロイドに首を傾げる。
どう見てもミュートスレプリロイドの筈だ。それなのに、何故か紅いイレギュラーと身体を支えあっているように見える。
「……冷静に見ると些か状況が掴めないが…」
躊躇う余裕はない。疲弊しているとは言え、紅いイレギュラーは死に体となっているわけではない。いったいどの様な手を繰り出してくるか、用心して然るべき相手だ。
マイアはビームソードを構える。
「ここで仕留めさせてもらう!」
地を蹴り、跳びかかる。その速度は、髪色のせいもあって、黒い光かと見紛う程だった。
ゼロは「すまん」とカムベアスの身体を壁に預け、引き抜きかけのゼットセイバーでマイアの一太刀目を防いだ。
「見事……だが!」
バックステップを踏み、距離を取ると、そこから斬撃を連続して浴びせる。尋常ならざる剣速は、普通のレプリロイドでは捉え切れなかっただろう。
だが、ゼロはそれを一つ一つ丁寧に捌いてゆく。斬撃を防ぎ、時に力を流し、身を翻し、ダメージを避ける。反撃の糸口は掴めないものの、敵の一撃を受けることもない。根比べとも思える激しい攻防。
しかし突如、マイアが斬撃を止め、倒れこむようにしてその場を離れる。刹那、謎の物体が二つほど、彼女の後ろからゼロに向かって投げ込まれた。
既のところで断ち切ると、それらの物体は斬られた瞬間に爆発して破片を散らした。それらはマティアスが投げ入れた手榴弾だった。破片がゼロの身体に微力ながらもダメージを与える。
「知らせろ、馬鹿!」
自身への配慮がない事に対しマイアが怒る。「いや、気づくと思ってよ」とマティアスは平謝りを返した。
緊張感のない間の抜けた二人の遣り取りを尻目に、ゼロは膝をつく。確かに味方への配慮という点ではどうかと思うが、奇襲攻撃としては成功と言えた。敵ながら天晴である。
だがこの二人、共闘は慣れていないと見える。
それもその筈で、第十七部隊は優秀なハンター達を招集しているとは言え、寄せ集めであることに変わりはない。個々のスキルが高くとも、連携という点で言えば、先ほどのような穴があるに決まっている。そこに勝機を見い出せる筈だ。
僅かばかりの勝機に賭け、反撃に移ろうと構える。
だが、事態は一瞬にして悪化する。
「二人共、どけ」
低い声が廊下に響く。その声を聞くやいなや、マイアとマティアスは壁際へと素早く身を躱す。すると、真っ直ぐ伸びる赤いレーザーポインターがゼロの頭部を捉えた。
「当たれ」
掛け声と共に、直径三十センチ程のビームがゼロ目掛けて放たれる。
ポインターを向けられていることに気付いた瞬間、反射的にその場を飛び退いたことが幸いし、大事には至らなかった。横に流れた髪が若干焦がされる程度で済んだ。
しかし、状況は最悪と言って良かった。現れた男――――彼の顔と名前は既に覚えていた。
「“救世主の後継者”クラフト……か…」
「伝説の英雄に名を知られているとは…光栄だな」
第十七精鋭部隊長クラフト。まさか彼自ら、ここに来ていたとは。ゼロは思わず舌打ちをする。
「残念ながら、オールオーバーだ。ここまでの手際は見事だったが……この状況を見れば分かるだろう?」
身長と同サイズ程のビームキャノンを右肩に軽々と背負い、左手でハンドガンを構える。そして、真っ直ぐこちらへ歩を進めてくる。威圧感を醸しながら。
「十秒やる。武器を捨て、投降しろ。さもなくば此処で処分する」
「気の短い奴だな……もう少し時間をくれたら喜ぶぜ?」
この窮地で、ゼロは苦し紛れに冗談めかして言葉を返す。だが、クラフトはそれに耳を貸す様子なく、「十…九…」と数え始めた。
「クソ」と悪態をつくゼロ。他の二人だけであれば、まだなんとかなったかもしれない。しかし、目の前にはあのクラフトがいる。
実際に手を合わせたことがないとしても、その佇まいと雰囲気から、彼がどれだけの力を持っているかは直ぐに分かった。彼のこれまでの実績についても知っていたため、出会うことがあれば、苦戦を強いられるだろうことは予想していた。
しかし、このタイミングで遭遇してしまうとは。運が悪いにもほどがある。
クラフトが「五」まで数えた時、のそりと白い影がゼロの前に出た。カムベアスだった。
まるでゼロを庇うような動きに、思わずクラフトも数えるのを止めてしまう。
「ゼロ……逃げろ…」
「なっ!?」
突然の言葉に、驚く。
「ふざけるなよ! 何の為にここまで来たと思ってる!」
「感謝じてる………けど……お前…ごこで…死ぬべきじゃ……ない……」
ゼロとクラフト達の間に、カムベアスは仁王立ちする。
クラフトは瞬時にデータ照合をし、彼が冥海軍団に所属している「ポーラー・カムベアス」であることを知る。
――――どういうことだ…?
データによると、ポーラー・カムベアスはこのボレアス山脈研究所において、ある実験の被験体として扱われていた筈だ。それが何故、紅いイレギュラーを庇うような動きを見せるのか。
「ポーラー・カムベアス……――――“氷刃の熊将”と恐れられた冥海軍団の猛将が…いったいどういうつもりだ?」
「クラフト…オデも聞かせで…もらう…。……お前ぼどの男が……何故ごんなぐだらない戦いに……?」
カムベアスの言葉に、クラフトは眉をひそめる。
「くだらない戦い」――――カムベアスは確かにそう言った。
「……どういう意味だ?」
クラフトの問いに「ぞのままだ」と答え、カムベアスは懸命に踏ん張り、自らの体を何とか支えて立ち続ける。そして、クラフトから少しも視線を離さずに、睨みつける。
「ごの男を……殺じた所で………………平和が来るのか?」
クラフトの身体が思わず強張る。
「ごいつ一人を殺じた所で……人類が守れるのか? イレギュラー共を殺じた所で…世界に平和が来るのか……? ……ごんな戦いに………ごの戦争に……命を懸けで……いったい何が得られるんだ?」
ボレアス山脈という辺境で。世界の片隅のような場所で。命を懸けてただ一人のイレギュラーを処分した所で、いったい何が変わるというのか。
命を懸けて今眼の前にいる敵を討ち果たしたところで、本当に掴みたいものを掴むことができるのか。
「壊じて……殺じて…………何が残るんだ?」
その言葉は、重くクラフトの心にのしかかった。前線で数多くの、“イレギュラー”と呼ばれた同胞達を処分してきた男の言葉。それはそのまま真実を映し出しているように聞こえた。
そして、それはゼロにも同様に突き刺さっていた。
カムベアスは尚も言葉を続ける。まるで命を振り絞るように声を荒げる。
「第十七部隊? …救世主の後継者? ……聞いで呆れる! ごの雪山を見で……純白の世界を目に焼き付けで……何も思わながっだのか!?」
今現在世界を包んでいる戦争の渦。そこから外れた辺境の山脈。白銀に輝く平和な世界。
その中でしばらく過ごすうちに、Cと言葉を交わし分かり合うことで、カムベアスは確信した。
「今やるべきごとは、ごんなごとなのか! 違うだろう!!」
壊すことも、殺すこともしないまま。共に手を取り合い、互いに助けあい、笑いあい――――そんな風に生きることができるはずだ。今からでもきっと。
クラフトは思わず唇を噛み締める。そんなことはとうの昔に分かっていた。同じ事を願い、想いもした。
しかし、それでも……――――……‥
「理想だけを吠えたところで、救える世界ではない!」
声を荒げ怒鳴り返す。
イレギュラーハンターとしてネオ・アルカディアを守り続けるうちに、彼が辿り着いた答えはそれだった。いや、それだけだった。
掲げたい理想がないわけではない。命を奪わないまま平和を勝ち取れたなら、それに越したことはない。
しかし現実に、平和を乱そうとする輩は後を絶たない。時に己の利益のために、生存のために、信念のために…………世界に国家がたった一つとなった今でさえ、心が完全に一つになってはくれない以上、争いは大なり小なり、必ず生まれてしまう。
それならばどうするか。
そこでクラフトは戦うことを誓った。人間のために。か弱く尊い命のために――――
「その男の存在がネオ・アルカディアの平和を脅かすのは事実だ。それならば、俺はイレギュラーハンターとしてその男を処分する」
愚直と呼べばそれまでかもしれない。しかしそれでも、人類の脅威と成りうる者を処分すると誓った。排除し続けると誓った。
「それが俺の使命であり、存在意義だ!」
クラフトにとって、それが全てだった。
カムベアスはそれを聞き、「仕方ない」とため息を吐いた。そして弱った身体で構えを取る。
残念ながら戦闘は避けられないらしい。それならばこの男だけは護ろうと思った。
「逃げろ……ゼロ…早ぐ」
先程の遣り取りから確信した。
多くの者達の命を真に救おうと足掻いている彼こそが、この世界をきっと真の平和に導いてくれるだろうと。
だからこそ、この男を此処で死なせてはならない。自分如きのために、命を散らせるようなことはあってはならない。
だが、ゼロは無理やりカムベアスを押し退け、前に進み出た。
「ゼロ……お前……!?」
「言っただろう……俺は…“ヒーロー”なんだよ」
自ら「そうあろう」と決めた。死にゆく者を、危機に瀕した者達を救いたいと思い、戦おうと決めたのだ。これから先、ずっと。
「だから、こんなところで……我が身大事に引き下がる訳にはいかないんだよ。……じゃないと…俺は“あいつ”に合わせる顔が無いのさ」
ゼットセイバーを両手で握りしめ、再び構える。しかし、「だけどよ」とカムベアスに視線を向ける。
「こんな馬鹿げた旅路にお供してくれるってんなら……いつでも大歓迎だぜ?」
カムベアスはその言葉に嬉しそうに微笑み返す。そして、共に戦闘の構えをとった。
「どうやら二人共……処分されたいらしいな」
クラフトがハンドガンを再び構え直す。すると、ここまで黙って聞いていたマイアとマティアスの二人も、それぞれの武器を構えなおした。
「その信念や見事……だが、我が剣はそれでも貴様の首を刈り取ってみせる」
「めんどくさい話はともかくとして……この状況で取り逃がすわけには行かないんだよ。俺達にも面子ってもんがあるからな」
どこか活き活きとした表情で構える二人に、クラフトが「注意しろ」と警戒を促す。
「いくら疲弊しているとは言え、相手はあの二人だ……。全力でかかれ」
その言葉に「了解」と威勢よく答える。
二対三――――……他のフロアを張っていた残りの隊員達が合流すれば二対七となる。しかし、そんな圧倒的優位な状況であっても、クラフトは尚も気を緩めることが出来なかった。
状況的にも、体力的にも、そして精神的にも追い詰められてしまっているというのに、二人の目には未だ強い闘志が漲っている。いや、むしろ先程よりも強く輝いていると言っていい。
ともすれば、容易に状況が逆転してしまうだろうと、直感が告げていた。
しかし、「それでこそ」と思う自分がいるのも確かだった。それは味方の二人も感じているに違いない。だからこそ、二人の表情はこんなにも活力に満ちているのだろう。
張り詰める緊張感。先に手を出すべきか、後の先を狙うべきか……互いの手を読み合う内に時が流れる。ほんの数秒が数十分にも思える重い沈黙。
それを一瞬にして引き裂いたのは、基地中に響き渡るような“絶叫”だった。
その場にいた者達は皆、その声の主へと視線を移す。
叫び声の主――――カムベアスは自身の頭部を両手で抑え、ひたすら言葉にならない叫びを発し続けた。
その光景に唖然とし、戦闘のタイミングを誰もが見失う。
そして、その叫びが止むと、カムベアスはだらりと両手を下に垂らした。
「……カムベアス……………?」
ゼロの声に、カムベアスは何一つ反応を見せようとしない。いや、それどころか雰囲気がおかしい。先程までの様子とはガラリと変わった、何処か禍々しいものを感じる。
瞳は次第に虚ろな輝きを見せ始め、異様な殺気を放ち始める。そして、鼻息もまただんだんと荒くなってゆく。
その光景はまさに――――……‥
呆然と見つめていたクラフトの視界に、マイアが強く踏み込むのが見えた。突然の異常事態に生まれた、紅いイレギュラーの隙を突かんと、ビームソードを構えて飛び込もうとしている。
だが、クラフトの感じた異様な雰囲気が、警告する。今、“奴”の射程内に入るべきではないと。
「待て! マイア!!」
しかし、その言葉が耳に入るより先に、マイアの足は地を蹴っていた。紅いイレギュラーがこちらの気配を察知するより早く、その首をはねるために。
――――覚悟っ!!
横一線に、光の刃を振りぬく――――筈だった。
「ボグッ」と鈍い音が身体の芯から響くのを感じる。次の瞬間、マイアの華奢な体は壮絶な勢いで壁へと叩きつけられていた。「カハッ」と擬似血液を吐き出す。
「マイア!」
マティアスが名を呼び駆け寄る。クラフトはその状況を呆然と見守った。
ゼロは直ぐそこにいる、カムベアスをじっと眺めていた。
「カムベアス………お前………」
マイアを片手で軽くはじき飛ばした。彼女の勢いに臆すことも、まして嫌いな暴力を振るうことに躊躇うこともなく。殺意のみを纏ったままに。
「お前……まさか…」
間違いない。「破壊衝動プログラム」が起動している。それも、今までとは比べものにならない程の強制力を持って。
「 逃 げ ろ !」
思わずゼロはそう叫ぶ。しかし、その声よりも先に、カムベアスは雄叫びを上げながら、瀕死のマイアを抱き上げるマティアスへとその拳を振り上げた。
既のところでカムベアスの右腕はマティアスを外れる。その軌道は、クラフトが咄嗟に放ったハンドガンにより逸らされた。
「戻れ! マティアス! ……急げ!」
しかし、カムベアスの左腕がマティアスの横っ腹を狙い振り回される。その氷の爪を、今度はゼロがゼットセイバーで受け止める。
命からがら、マティアスはクラフトの下へとマイアの身体を運び込んだ。
「おい、マイア! しっかりしろ!」
名を大声で呼びかけても、マイアは虚ろな目をしたまま返事をしない。どうやら人間で言うところの気絶に近い状態に陥っているらしい。
「マティアス、マイアを担いで後退しろ。あれは危険だ」
クラフトはそこに仁王立ちし、ビームランチャーを構える。
マティアスは悔しさに奥歯を噛み締めながら、「了解」と答え、命令通り、マイアを担いで後方へと退がった。
ゼロをはじき飛ばしたカムベアスがクラフトへと駆け出す。その勢いに半ば気圧されながらも、クラフトはビームランチャーの照準を合わせ、引き金を引いた。
だが、その危険の匂いを感じ取ったのか、銃口からビームが放たれるよりも早く、カムベアスは地を蹴り、跳び上がる。空を切るビームの真上――――突き抜けるかという程の勢いで天井に身体をぶつけ、そのままクラフトの眼前に「ドスン」と着地する。床に亀裂が走る。
「くぉッ!」
咄嗟にランチャーの先から銃剣を突き出し、カムベアスの爪を受け止める。
先程までの疲弊仕切っていた様子が嘘のように、目の前の白熊は俊敏かつ重厚な動きを見せ、襲いかかってきている。本能のままに、獲物を狩ろうとしている野生の獣のように。
受け止めた掌から、急激に冷気が噴き出し始める。
「しまった!」と声を上げた時には既に遅く、あっという間にクラフトのランチャーは凍りづけにされ、それを握っていた両腕の自由も効かなくなってしまう。
そのままカムベアスはもう片方の腕を振り上げる。だが、後方からの気迫を察知したのか、咄嗟に振り返り、自身の項を狙って振り下ろされたゼットセイバーを受け止めた。
「そうだ……コッチに来い!」
「遊んでやるよ!」とゼロは挑発的な声を上げ、後方へ跳び退く。それを追いかけるように、カムベアスも地を蹴る。そして、横へ跳んだゼロの身体目掛けて再び右腕を振る。ギリギリで躱したゼロの後ろの壁が、カムベアスの打撃で崩れた。
ゼロはカムベアスへと刃を振り、掠り傷を負わせると、その穴から向こう側へと抜け出す。それを追うようにしてカムベアスもそこから抜けだしてしまった。
クラフトはその攻防を目で追った後、立ち去った脅威に素直に安堵し、腰を降ろした。
「隊長……紅いイレギュラーは…」
「いい、マティアス。予想外の事態が起きた。これ以上の追撃はいらない」
そう言って、駆け出そうとするマティアスを引き止めた。
「それより、シメオンに連絡だ。救護班を回すようにな。――――マイアが相当危険だ」
「了解」
氷漬けにされた腕を下ろし、同時に胸を撫で下ろす。
それから沸々と湧き上がる、自らの非力さと、任務の失敗への悔しさをぶつけるように、凍ったままのランチャーの柄で床を勢い良く殴り付けた。
―――― 5 ――――
カムベアスの攻撃を紙一重の所で躱しながら、ゼロは基地の外へと飛び出した。
途中、回収したレルピィの報告により、基地内でほんの少しの間だけ復旧したコンピューター伝いに、破壊衝動プログラムが注入されたのだろうという話を聞いた。
天高く登った太陽に照らされて、煌く白い大地。
雪に足を取られないよう気をつけながら、とにかく基地から離れるようにして走った。
疲弊し切った今の状況で、見晴らしのいい場所に出るのは得策ではない。だが、それは敵を倒すことを念頭においた場合の話だ。
カムベアスがこれ以上ネオ・アルカディア側の攻撃を受けてはならないし、敵陣の真っ只中で今の彼をどうこうできるとは到底思えなかった。故に、こうしてリスクの高い選択を強いられてしまったのだ。
だが、たとえ自分の命が危険に晒されようと、カムベアスを救いたいという想いの方が遥かに強かった。
「あいつの脳内に侵入は…?」
「無理! 今は完全なスタンドアローン状態で、とてもじゃないけど外部からの侵入は難しいわ!」
如何なレルピィと言えど、侵入口がなければハッキングをかけることもままならない。あるとすれば方法はただ一つ。
「……有線での通信か………っ!」
カムベアスの爪をゼットセイバーで受け止める。だが、なりふり構わない攻撃を受け切れる程の力は既になく、その勢いのまま、ゼロの身体は数メートルほど後方に弾き飛ばされてしまう。
「ダーリン!」
レルピィが悲痛な叫びを上げる。「喚くなよ」とゼロは平気な顔をして起き上がる。だが、当然無事に済んでいるはずがない。ダメージの影響が出始める。
雪を払いのける足の力が弱くなり、足取りが覚束なくなる。雄叫びを上げながら近づいてくるカムベアス。その勢いは留まること無く、同様にゼロの身体を三度もはじき飛ばした。
「もう無理よ! 逃げよう!」
これ以上は見ていられないと、ゼロを説得する。だが、ゼロは応じる素振りを見せない。それどころか「黙って見てろ」と一喝する。
状況はこれまでにない程に追い詰められている。
倒すだけなら簡単だ。このまま懐へと飛び込み、切り裂けばいい。勿論容易な戦いではないが、今までの経験から考えれば、十分に勝機はある。
だが、目的は“救う”ことだ。悪しき呪縛から、彼を解き放ち、その命を解放する。それが目的だ。
――――今の俺に……何が出来る…?
ここまで弱りきってしまった自分に、いったい何ができるのか。
そろそろ止めを刺そうかと構えながら、ゆったりとした足取りでこちらへと近づいてくる。もう猶予はない。
その目は虚ろな輝きを放ったままだった。あんなにも愛していた山脈の中でも、破壊衝動プログラムに侵されたその眼は輝きを見せてはくれない。
――――……そんなもん…なのか…
不意に、悲しさと虚しさがこみ上げてきた。
それがいったい何処から来るのか、分からなかった。ただ、目の前のレプリロイドの無惨な姿に、何かを感じたのだ。――――愛した場所の中にいても、何一つ感じることのできない哀れな姿に。
――――そんなもんだったのかよ……
それから湧き上がってきたのは怒りにも似た感情だった。
次の瞬間、覚悟は決まった。
「ボハー…!?」
まともな思考ができるはずもないカムベアスだったが、“獲物”のあり得ない行動に、初めて戸惑いを見せた。
ゼロは身を守るために使っていたゼットセイバーを地面に突き立てた。まるで「もう使わない」とでも言うように。
「ダーリン…何を…」
困惑するレルピィだったが、ゼロは答えない。だが、その表情は諦めの色を浮かべてはいないし、まして、ヤケクソという風にも見えなかった。
ただ、瞳の中に強い意志があることだけは分かった。
「…………違うだろう……カムベアス…」
静かに、しかしハッキリと自身の名を呼ばれ、ピクリとカムベアスの手が反応する。
「俺たちは…レプリロイドだ…」
何とも形容し難い威圧感を纏いながら、ゼロはその場から一歩も動くこと無く、ただ静かに言葉をつなげる。
カムベアスは、戸惑いからか、ただ様子を窺っているのか、ゼロの方をジロジロと眺める。その足取りは先程までに比べて明らかに遅くなっていた。
「俺達は…“感情”を持つレプリロイドなんだよ…」
その言葉に、威圧感に、カムベアスの足は遂に止まった。言葉が通じたのか。想いが届いたのかは分からない。
ただピタリと足を止め、ゼロと視線を交錯させた。
相変わらず虚ろな瞳。それを見つめ、やりきれない想いを噛み締める。
「そんな俺たちが…感情を持つ俺達が……他人の作ったプログラムごときに…いいように動かされるなんて…――――…‥」
フラつく身体を、突き立てたゼットセイバーで懸命に支える。柄を握る手には限界まで力が込められた。
そして、心のずっと奥の方へと、響くことを祈って、叫んだ。
「 違 う だ ろ う !! なあ、カムベアス!! そうじゃないだろう!?」
レプリロイド――――生物を模して作られた擬似生命体。プログラムにただ従い、忠実に動く機械人形ではない。
自分で思考し、選択し、生き方を選ぶことができる。
感情を持っている。
命を奪うことに躊躇いを感じ。傷つけることに憂いを感じ。争いの中に迷いを感じ。平和を愛し、求め、掴みたいと願い、足掻くことができる。
破壊のために生み出されようとも、未来を掴みたいと願う。戦うために生み出されても、強いられても、平和に寄り添いたいと想ってしまう。
白く輝く大地の上で、穏やかな日々を生きたいと祈ることができる。――――そして、それを叶えることも。
それなのに、今のカムベアスはどうだ。
破壊衝動プログラムに汚染され、感情を侵されてしまった。誰よりも平和を愛し、慈しみ、願っていたというのに。その感情は、心は、踏みにじられてしまった。何一つ抵抗することもなく。
「そんな簡単に負けていいもんじゃないだろう!」
突然、カムベアスは「ボハァァアアァァァァアアァ」と頭を抱え、叫びを上げる。明らかに苦しみ悶えている。プログラムと感情の狭間――――カムベアスの自我はそこで足掻いているのだ。
そしてまた、カムベアスの巨体が少しずつゼロへと寄ってゆく。悶えながら、苦しみながら、ゆっくりとした足取りで。自分を苦しめる対象を破壊しようと。そして、楽になろうとしていた。
片腕を振り上げる。ゼロの身体を射程内に捉えて。レルピィは顔を覆う。
その様子に、ゼロはただ叫んだ。想いは届くと、信じて。
「そんなふざけたプログラム如きに負けてしまうような……そんなヤワな魂だったのかよぉ!! カ ム ベ ア ァ ス !!」
心を突き抜けるような悲痛な叫びだった。
刹那、カムベアスの爪は止まった。僅かに触れたゼロの頬から、紅い擬似血液が一筋流れる。その軌跡は、まるで涙のようだった。
「……ゼ…ロ……ぉ……」
喋ることもままならなかった筈のカムベアスが、遂に口を開いた。そして、ゼロの名を確かに呼んだ。
「…カムベアス……」
カムベアスの瞳に輝きが微かに灯る。けれど、それは直ぐに消えてしまいそうな程、弱い光だった。
「ゼ…ロ………ダメ……オデ………もう……できない…」
僅かに意識が戻ったカムベアスだったが、自身の限界が直ぐそこにあることは分かっていた。このままプログラムに蝕まれ、ただの殺戮兵器となるだろう。
『もう……できない』――――プログラムに抗うことも。平和を求めることも。願うことも。
そんな諦めの声だった。
「だが…ら……殺じて……オデ………お前…………殺じたぐ…ない」
ほんの少し言葉を交わしただけだった。けれど、きっと彼がこの世界を救ってくれるのだと思えた。だから、今此処で死んでほしくはない。自分のこの手で殺したくはない。カムベアスの悲痛な願い。
しかし、それでもゼロは諦められなかった。いや、許せなかった。
「『殺したくない』なら…負けるなよ! お前の心の……魂のために!!」
そう思える心はまだ残っている。抗うことがきっと出来る。そう信じたかった。
それに答えるように、カムベアスが叫びを上げた。苦しみに塗れた痛々しい声を。息も絶え絶えに、ゼロの名を呼んでいた。その声は「逃げろ」と伝えるように聴こえた。
それでもゼロは動かなかった。カムベアスから少しも視線を逸らすこと無く。彼の名を叫んだ。
「ボハァアァ……ゼ…ロぉ………」
「 カ ム ベ ア ァ ス !!」
一際大きくカムベアスの名を叫ぶその声は、山脈中に反響しようかという程の大声だった。
その反響が消えると同時に、レーザーの束が一点に収束し、カムベアスの胸を貫いた。
カムベアスは再び振り上げていた右腕を、ピタリと止めた。そして、呻き声を上げながら、雪上へと仰向けに倒れた。
ゼロは呆然とその光景を見届けた。
それからしばらくして、レーザーの軌跡を辿るように、自分の後方へと振り返った。
そこにはレイビット達が並んでいた。
Cを中心に、耳を模して作られたレーザー砲をこちらに向けながら。
そして、この雪山に初めて来た日と同様、状況が整理できないでいたゼロの脳内に、無機質な声が響く。
〔私たちが撃った〕
その声の主がCであることは、あの日と違い、直ぐに分かった。
―――― 6 ――――
〔君が悔やむことはない。君はよくやってくれた〕
カムベアスの亡骸を弔った後、Cはそう言った。
どうにも心配になり、C達は近くまで来ていた。そして、偶然にもゼロとカムベアスの遣り取りを見守ることになったのだ。
繰り返す葛藤の末、ついにゼロを殺そうと、腕を振り上げたカムベアス。Cはそれを察知し、同胞たちにコンマ数秒の意思疎通を行い、結果、“伝説の英雄”を守るために、百年近くの間一度も使うことのなかった唯一の武器を使うことにした。
そして、カムベアスを撃ち抜いた。彼の動力炉をピンポイントで。
〔しかし、世の中にはどうにもならないことがある。今回がそれだった。ただそれだけのことだ〕
あくまでも冷静に、諭すようにCは言う。
〔それでも、君という英雄を失う訳にはいかなかった。だから我々は決断した〕
ゼロを守るために、長年使うことのなかった武装を使った。これから先も、二度と火を噴くことはないだろうレーザー砲を。その意味は、決して軽くはない。
〔けれど〕とCは言葉を区切った。そして暫く考えるような間の後、一言だけ呟いた。
〔何かが足りない気がするんだ〕
それを聞いたゼロは、ただ「すまない」と口にした。
そして、遠くまで広がる真っ白な雪原をぼんやりと眺めた。
―――― * * * ――――
倒れた巨躯へと寄って、その顔を覗き込む。
『カムベアス』と名を呼んだ。
動力炉を貫かれた。だが、カムベアスは辛うじて、まだ生きていた。直に機能が停止してしまうだろうことは間違いなかったが。
『ゼ…ロ……』
搾り出すような声。プログラムの効力は見られず、最後の力を振り絞ったのか、どうにか正気でいるようだった。
いつしか、C達も寄って来た。そして、カムベアスの身体を囲むようにして集まった。死にゆく友の最期を見届けようとしていた。
『なあ……ゼロ………』
カムベアスが呼びかける。ゼロは『なんだ』と聞き返す。
『オデ……思うんだ………』
そう言って、遠くを見つめる。
『もじも……この世界が………この山みだいに………何の穢れもなぐ…美じぐ…優じいものだったなら……』
この場所に住むようになってから、毎日のように思っていた。
レプリロイド同士が血で血を洗う様な、そんな戦争が果て無く続く世界。それが、このどこまでも広がる白銀の雪景色のような世界だったなら、穢れも知らない優しい世界だったなら、きっと――――……‥
『争いも…殺じ合い…も……なぐなる…の…が………な…』
理想を問う声に、少しだけ黙った後、こちらを再び見つめる瞳にゼロは『ああ…そうだな』と一言だけ答えた。それを聞いて、カムベアスは微笑み、そして息絶えた。優しい雪に抱かれるようにして、安らかな眠りに就いた。
その頬を舐めるように、Cが寄り添った。それから暫くの間、じっと傍を離れなかった。
C達がカムベアスに寄り添う様子を見つめながら、ゼロは思った。『果たしてそうだろうか』と。
白く穢れない世界だったなら、争いも殺し合いもなくなるのだろうか。
答えは簡単だ。“否”である。
どれだけ白く穢れのない世界だったとしても、美しく、優しい世界だったとしても、争いや殺し合いが無くなることなどあり得ない。
それはたった今、カムベアスが自身の身を持って示したばかりではないか。
もしも争いも、殺し合いもない世界だったならば、急所を射ぬかれた亡骸が天を仰いで倒れ込んでいることなどあってはならない。
しかし現実に、この雪山の中でカムベアスは死んだ。状況はどうあれ、その胸を貫かれ、命を落とした。
それだけではない。ネオ・アルカディアの要塞基地も崩壊した。その中で多くのレプリロイド達が、争いの中で命を落とした。
平和に見えるこの雪山の中でさえ、純白で穢れないように見える世界の中でさえ、争いも殺し合いも絶えることがなかった。
故に、それらが真に無くなる世界などあり得ないのだ。
突き付けられた現実に、ゼロはただ立ち尽くすことしか出来なかった。
―――― * * * ――――
〔ありがとう。君が来てくれて良かった〕
去り行き際に、Cはそう言ってくれた。ゼロは苦笑することしか出来なかった。
「俺は、結局何も出来なかったよ」
救って欲しいと言われた。けれど救うことは出来なかった。“また”出来なかった。
だが、Cは首を横に振る。
〔先程も言ったように、君はよくやってくれた。彼の魂は、きっと安らかに眠れるだろう。私はそう信じている〕
そう言って遠くを見つめるC。きっとカムベアスの事を想っているのだろう。
Cはきっと哀しみを感じているのだろうと、ゼロは思った。
それでも、彼はそれが何なのか、特定できないでいるのだ。
知識として知っている哀しみとは違う、本物の喪失を経験して、感じずにはいられなかった哀しみ。
ただのメカニロイドでいたならば、感じられることのなかった感情。
しかし、それを感じさせてしまったのは、間違いなく自分だ。
〔我々はこれからもこの雪山で生き続けるよ。彼が愛したこのボレアス山脈で〕
友の死の哀しみを抱え、これからも生き続けるのだろう。静かに命が停まるその時まで。
どうか、せめてその日までは、ここが平和な場所であって欲しいと祈らずにはいられなかった。
それから互いに別れを告げ、ゼロは歩き始めた。
後ろを一度も振り返ること無く、十数分ほど歩いた後、足を止めた。
そして、辺りを見渡した。
どこまでも広がる白銀の大地は、雄大で、優しくて、そして哀しかった。
――――もしも…“あいつ”だったなら……
雪景色を眼に焼き付けるようにして眺めながら、不意に想像してしまう。
もしも自分ではなく、“あいつ”が此処に来ていたなら。同じ状況の中に立ったなら。いったいどうしただろうか。
雪に埋もれる脚もそのままに、暫く考えた末、辿り着いた答えは一つだった。
きっと“あいつ”は撃った。
葛藤の末に決断し、C達が撃つよりも速く、引き金を引いていたに違いない。
カムベアスとC達の友情と、誇りのために。自らの手で、カムベアスの命を絶っただろう。
そしてそのあとで、涙を流すのだ。
奪った命への懺悔と、救えなかった非力への後悔とを受け容れ、糧にし、またいつか誰かを救うために。
その姿に、きっとC達も、そして死にゆくカムベアスも――――誰もがまた、別の形で救われるのだ。
その光景は、想像といえど、鮮明に思い浮かべることができた。
それに比べて、自分はどうだ。
いったい何が救えたか。何を護って誰を救えたというのか。
出来る精一杯のことをしたつもりだ。けれど、自責の念はいつまでも頭の中に絡まり続ける。
きっと、これから先もそうなのだろう。
救いたいものを真に救えないまま、何度もこうして悔しさと憤りとを噛み締め続けるのだろう。
込み上げる、やり切れない想いが口を衝いて漏れ出す。
「俺には……できない…」
ポツリと呟いたその言葉は、白く広がる雪原に静かに溶けて、消えていった。
NEXT STAGE
理想の表裏