―――― * * * ――――
あたり一面を彩る白銀の世界。肌に触れる風は冷たくも優しく、照らす陽の光はガラスのような結晶に眩しく反射する。
ここは最北の地、「ボレアス山脈」。年中、見渡す限りの全てが雪に覆われた、汚れ無き純白の地。
その風景は現在繰り広げられている血で血を洗う世界戦争の存在すら、まるで夢であるように感じさせる程、何もかもが澄み渡っていた。
思った以上に深く踏み込んでしまった足を引き抜き、また前へと進む。
普段ならば面倒くさく感じていただろう、歩き難い積雪さえも、争いの欠片も見当たらない白い大地に魅せられては、何処か愛おしさを感じてしまう。
けれど、どんな世界であれ完全はない。
左手を眺めると、遠方に人工の建造物が見える。その存在こそ、ここが敵の勢力圏の真っ只中であることを印象づけていた。
ゼロはそこから視線を外し、もう一度辺りを見渡す。そこに見えるのは全てを覆う“平和の白”。
それから一人、軽く目を瞑ると、ふと理由も分からず込み上げるやりきれない思いと共に、小さくため息を付いた。
15th STAGE
レスキューコール
―――― 1 ――――
「『“貪り尽くす者”の名を冠する安息の地より、救いの手を求めん』」
それは突然のことであった。
とある正体不明の暗号データがどこからともなく白の団へと送られて来た。
そのデータの送り手は、自身の足跡を残さぬよう様々な策を講じたらしく、どこから送り込まれてきたものなのかすら突き止めることができなかった。
侵入経路も、目的も、送り手も分からぬ、その謎のデータのおかげで団内は一時騒然となった。
ウイルスデータである可能性も考慮しつつ、慎重な解読作業が行われた。厳重な暗号に対し二日がかりで行われた作業の結果、たった今シエルがモニター越しに口にしたその一文をようやく拾うことができたのだ。
「『“貪り尽くす者”の名を冠する安息の地』?」
ゼロはたった今聞かされた不可解な文章に眉をひそめる。
「“貪り尽くす者”――――おそらく“ボレアス山脈”のことを指してるんだと思うわ」
モニター内でシエルの顔を映しているウインドウが端へと縮小し、代わりにマップデータが示される。そこには最北の地として名高いボレアス山脈の場所が示されていた。
「この一文とは別に、暗号から解読したデータを入力すると……」
マップデータに特定のポイントが示される。おそらくこの場所に何かがあるのだ。
「『救いの手を求めん』――――……ということは、そこで誰かが助けを求めている……ということでしょうか?」
ペロケの問いにシエルは小さく頷く。
「多分そうだと思う。……思うんだけど……もし本当に誰かが助けを求めているというなら助けてあげたい……んだけど、問題があるのよ」
ボレアス山脈は当然のことながら現在、ネオ・アルカディアの勢力圏内である。イレギュラー戦争時に扱われていた要塞が、戦略研究所の実験施設として利用するべく整備され、冥海軍団がその守備を行なっている。
「そう簡単に足を踏み入れていい場所ではないし……エルピスも『研究施設へと手を出すより、もっと重要な戦略拠点を叩くために力を温存しておくべきです』って……」
不可解な文章一つのために、そのような場所へ出向く必要はないし、リスクを冒すメリットも見当たらない。エルピスの言い分は明らかに正しかった。
しかしゼロには、シエル自身は納得し切れていないことがその表情から手に取るように分かった。
「それでも救いたいんだろ?」
少し意地悪そうに笑う。シエルは本心を言い当てられ、苦笑する。
「流石ね……。うん、ゼロの言うとおりよ」
送り手が分からぬように、容易に解読されぬよう厳重な暗号に不可解なメッセージを隠したのは、それだけ重要な意味合いがあるはずだ。
それこそ、敵の罠と考えるには余りに手が込みすぎているし、容易に無視して良い物ではないだろうと思えた。
だからこそ、ゼロにこの話を伝えたのだ。
「仕方ないな。任せろよ、小娘」
「ごめんね。ありがとう、ゼロ。――――とにかく確認するだけでいいから。もしも敵と交戦するような事態になったら、無理せず帰ってきて」
「了解」と返事をすると共にゼロは振り返り、扉へと向かった。――――が、何かを思い出したようにその足を止める。
「なあ、小娘。一ついいか?」
「なに?」
振り返り、もう一度モニターに映るシエルの瞳を見つめる。
「俺が眠っていた場所――――“忘却の研究所”を、お前は一体どうやって見つけたんだ?」
シエルはその問いに思わず「え?」と声を漏らす。このタイミングで聞かれることとは思っていなかった。
だが、よくよく考えてみればゼロの問いはもっともだった。「ゼロ」という重要機密が保管されたポイントを探し出すことはそれ程容易なことではないだろうし、そもそも百年も昔の旧式レプリロイドに頼ろうという考えも、それ以上に、その存在自体を十四歳の少女が知り得ていたのは自然な事とは思えない。
それから、少しだけ迷うように目を泳がせた後、シエルはその問いに答える決心をした。
「あなたが眠っている場所を教えてくれたのは“マザー”よ」
ユグドラシルに据えられたスーパーコンピューター――――「マザー」。過去、世界各地に設置され世界のネットワークを管理、統括していたそれは現在、その機能を一台に統合させれながらも稼働を続けていた。そこにはもちろん、百年以上前から現在に到るまでのあらゆるデータが保管されており、確かにゼロの存在を記録していたとしても何らおかしくはない。
「私がネオ・アルカディアを出る時、『おじいさま』と“彼女”が一緒にサポートをしてくれたの。そして、あなたのことを教えてくれた。『いつかその力が必要になった時のために』……って」
マザーは意思を持っていた。
レプリロイドほど高度な感情と呼べるものを持ちあわせてはいない。しかし、いつから備えられた機能なのかは分からないが、自ら思考し、決断するだけの意思を確立していた。
「なるほど…ね」
呟きながら、ゼロは小さく頷いた。
自分がレジスタンス側として目覚めさせられたのは、シエル個人の考えからではなく、他者からの助言あってのことだったのだ。それならばいくらか合点がいく。――――先日の疑問への答えとしても。
「急にどうしたの?」
考え込むようにしてじっと黙るゼロに言葉をかける。だが、ゼロは「いや、なんでもない」と笑いながら答えた。
「ちょいと気になっただけさ。ありがとよ」
「それじゃな」と再び振り返り、廊下へと出ていった。
「どうしたのかしら……?」
ゼロが出ていった後、シエルはモニター越しに扉を見つめながら心配そうに呟く。ペロケがその声に答える。
「どうも……デュシスの森での一件があった後から、時折、なにか考え込んでいるようで……」
「そう……」
また何かを一人で抱え込んでいるのではないかと不安になる。
これまでもずっと、ゼロはいつだって、弱音も吐かなければ何か相談してもくれていない。どんなトラブルがあろうとも一人で解決しようと孤独に奮闘する。
心配懸けまいとしてくれているのは分かる。だが、時折その背中がどこか痛ましく見える。ここ最近は特に。
何かを吹っ切ったかと思えば、また何かを抱えてしまったようで、シエルにはそれがとてつもなく心配だった。
せめて何か少しでも、その負担を分けてくれれば良いのにと思わずにはいられない。
けれど――――……‥
「まあ、心配していても仕方ないわね。話してくれるのを待ちましょう」
「ですね。とにかく全力でサポートをさせて頂きますよ」
ペロケは、シエルに気を遣ったのか、笑ってそう答えた。
――――そう、心配しても仕方ない。
「分けてくれ」と言うこともできる。だが、英雄として“それら”を抱えようと、きっと彼は決心したのだ。それならばその誇りを尊重してあげたい。
――――それに……‥
自分もまた、誰にも言えずにいるモノを抱えている。だからこそ、無用な詮索をされたくない者の気持ちも分かるのだ。
―――― * * * ――――
自室のベッドに腰を掛けながら、ゼロは考えを巡らせる。
シエル達、白の団をサポートしたマザーの存在。彼女が自分の存在をシエル達に教えたというならば、先日の謎にはマザーが関わっているのだろう。
『貴様はな……生かされているんだよ。とある命により……な』
ウロボックルの台詞がまたしても木霊のように耳の奥で響く。
ここまでで間違いがないのは、ある程度の権力を持った者が、ネオ・アルカディア内の現体制に対し叛意を持っているということ。そしてその勢力は既に四軍団内にまで及んでいるということである。
それが例の“おじいさま”である可能性もあるが、決して高くはない。既に一線から退き、隠居状態であると聞く彼にそこまでの力は無いと考えられる。だが、おそらくは“おじいさま”と関係している“元老院内の何者か”だ。現体制――――つまりは救世主に対する叛意を持っている権力者なのだから。
“おじいさま”と結託しているであろう、バックに居る何者かが、マザーにゼロの存在をシエルへ教えるよう指示を出した。
そして今現在も、この戦いの行く末を見守り続けている。
ゼロを生かす理由――――それは即ち救世主への対抗馬としての必要性。
おそらく白の団によるレジスタンス活動よりも、その何者かにとってはゼロという存在が無事に救世主を討ち果たすことが出来るかどうかが重要なのだろう。
だからこそ、白の団の犠牲を無視しながらも、ゼロの命だけは失われぬよう予防線を張っているのだ。
何故、自らゼロを使い、反乱に打って出ないか。
まず一つは、白の団にゼロを見つけさせることで、ゼロが自然とこの戦争へと介入できるよう促したという点が考えられる。
実際に、ゼロはこうして戦う意義をここに見出し、ネオ・アルカディアと戦っている。
そしてもう一つは、自身の地位を保ったまま計画を進めるということ。その理由は反乱の体制が整っていないという可能性も考えられるが、現在の地位を最終的に利用しようとしているのではないかということが考えられる。
「なんにしろ気分の悪い話だぜ……」
その人物は裏で糸を引き、舞台が思い通りに進んでいることに対し、殊更嬉しそうにほくそ笑んでいることだろう。傷つくことも、苦しむこともないままに。
「やれやれ」と呟きながら、ベッドに体を預ける。だが、今はそれでもよしとしよう――――ゼロはそう思った。
どんな裏があるにせよ、シエルの作る未来の為に剣を振るおうという決意に何ら変わりはないのだ。そしてまた、もう一つ抱いた新たな誓いにも。
「……どいつもこいつも間怠っこしいもんだ」
その“何者か”も、先程の救援要請にしても。――――そして、自分自身も。
もっとストレートに物事を整理できたなら、楽だっただろう。しかし、それができないからこそのレプリロイド――――感情を持った擬似生命体なのだ。
それから、寝転がったまま大きく伸びをして、起き上がる。
そして、寒冷地用の調整をするためにメンテナンスルームへと足を向けた。
―――― 2 ――――
そして、“それ”は死を覚悟した。
傷ついた同胞の身体を運ぼうとした瞬間、“それ”は“彼”がそこで待ちぶせていることに気付いた。しかし時既に遅く、“彼”が目と鼻の先に立ちはだかり、退路は断たれてしまった。
“彼”は理性を失いながらも――――本能というものなのか――――獲物を狩るための知恵を未だ維持していたのだ。きっとそれも、いずれ失われてしまうのだろうが。
“それ”は、こちらを睨みつける“彼”の、意思という光を失った虚ろな眼をじっと見つめ返す。
“それら”と“彼”はかつて友であった。その筈だった。
世界にただ一つ残る最終国家――――“彼”はその軍に属していたが、とても穏やかな心を持ち、遥かに永い時をこの雪山の中で隠れ過ごしてきた“それら”に友愛の意を示し、護り続けてくれた。
だが、数週前より“彼”は少しずつ変わっていった。
初めは、時折、何かを忘れたように虚ろな瞳を見せる程度だった。それからしばらくして、突如呼吸を荒げるようになった。それからまたしばらくすると、“彼”は一度姿を消した。
そして再び現れた時、“彼”は今のように理性を失いながらこの雪山を散策しては、帰ってゆくという行動を繰り返した。
今ではもう、“それ”がどれだけ言葉をかけようと答えてくれることはなくなってしまった。
“それ”は、“彼”に起きた異常を何とかしてやりたいと思い立ち、旧友に願いを込めた。結果、そのメッセージは届けられた。先日のことである。
だが、それもまた遅かった。
今、ただの殺戮兵器と化してしまった“彼”により、“それ”は破壊されるだろう。
“それ”は死を覚悟した。
しかし、“それ”にとって自身の死など、どうでも良いことであった。
――――自分たちは、もう十分に永く生きた…………
正確に数えるなら、“それ”自身が生きた時間は百五十三年四ヶ月と十九日、二時間十七分三十八秒。――――三十九……四十………
今もまだ進み続ける生の秒針は、老朽化しても尚、正しく時を刻み続けている。
正直の所、百二十年程前――――世界の終焉たる大戦の折には既に死の覚悟ができていた。
いや、「覚悟」という表現は正確ではない。そもそも死というものに対し抵抗などなかった。何故なら死というものは“それ”にとって単なる事実でしか無かったし、意思や命を持つ者たち全てに、共通に訪れる事態であると認識していた。
――――だからこれは「覚悟」ではない
“彼”が振り上げた右腕の爪を見つめながら思う。
言うなれば「悟り」。「ここで死ぬのだ」と、極めて冷静に理解した。今この時、この場所で自分は死を迎えるのだと認識した。――――ただそれだけだ。だからそんなことはどうでも良い。
それでもただ一つだけ心残り(この表現も厳密に言えば誤りであるのだが、最も理解しやすい表現であるためにこのように呼ぶ)があるとするならば、やはり“彼”のことである。
“彼”はこのまま、ただの殺戮兵器と成り下がり、戦いの中で命を散らしてしまうのだろうか。あんなにも平和を尊び、温かく、優しかった“彼”が、そのように死を迎えてしまうのか。
そう思えば、自身の行動の遅れを恨まずにはいられない。そしてそれを“彼”に詫びたいという思考で脳内は埋め尽くされた。
“彼”との遭遇からここまでで、二分十四秒。そろそろ終わりの時だ。
願わくば、かの英雄が“彼”の魂(これもまた言葉のアヤでしか無い)を救ってくれることを願うばかりである。
そして荒い鼻息と共に、極太の腕に備えられた四本の氷の爪が、七十センチ程しかない“それ”の身体に向け、素早く振り下ろされた。
――――瞬間、“彼”はその手を止めた。
“それ”は淡い期待を抱いたが、即座にそれを捨て去った。“彼”は背後より高速で接近してきた第三者の反応を知覚し、素早く振り返ると、そのまま右腕をそちらへ向け振りぬく。
背後より“彼”へと光の剣を振り下ろした真紅のコートを纏ったレプリロイドは、その剣で咄嗟に“彼”の一撃を防いだ。しかし、強烈な一撃に、後方へと弾き飛ばされる。
「なん…っつう馬鹿力だ…!」
現れた男はそう悪態を吐きながら、無事に着地する。
――――あれは……
“それ”は男を視界に捉え、その容姿からデータを照合する。そして何者であるかを確認すると、僅かに安堵した。
――――間違いない……彼は……彼こそが……――――……‥
―――― * * * ――――
――――状況を整理しよう………
ゼロはゼットセイバーを構え、ここまでの流れを思い返す。
ボレアス山脈に辿り着いた後、敵の反応を警戒しつつ目的のポイントへと向かっていた。その途中、この雪景色のような白い背中を視界の端に捉え、足を止めた。それこそが今対峙しているミュートスレプリロイドの背中であった。
一時は身を隠し、遣り過ごそうとしたのだが、ミュートスレプリロイドが殺気を放ちながら何か小さいものと向かい合っているのを確認すると、その尋常ではない雰囲気に思考を改めた。
そして、そのミュートスレプリロイドが見るからに力強そうな右腕を、対峙している何者かへと向け、大きく振り上げるよりも早くその場から飛び出し、ゼットセイバーを引き抜き、斬りかかった。
弾かれ、そのまま着地し、応戦の構えをとる。そして、ミュートスレプリロイドが今にも殺そうとしていた相手が何者であったのかを確認した。――――そこで、ゼロは予想外の事態に呆然とした。
――――奴が襲いかかろうとしていたのは……
一瞬、その形状からレプリロイドであるかと思ったのだが、正確な識別をしたところそれは誤りであった。
――――あれは……
間違いない。そこにいたのはメカニロイド。兎の形状を模して作られた、紛れも無いただのメカニロイドであった。
だがそれは、傷ついた同型のメカニロイドを、まるでその身を呈して守るように、ミュートスレプリロイドと対峙していた。感情も、心も持たぬ筈のメカニロイドが――――である。
このような雪山の真ん中で、ネオ・アルカディアの四軍団内でも幹部クラスに据えられる程優秀なミュートスレプリロイドがただ一機で、ただのメカニロイドを破壊しようとしていた。
このような雪山の真ん中で、今にも破壊されようとしながらも、感情を持たないメカニロイドが――――プログラムに忠実に動作する筈のメカニロイドが、己の危険も顧みず、同型のメカニロイドを護ろうとしていた。
――――なにが……どうなって……
その異様な光景には、奇妙な違和感しか感じ得ることが出来なかった。天地がひっくり返る程、壮大な事態が起こったわけではない。もっと微妙で、些細な異常事態だ。しかし、それ故にどうにも受け入れがたい事態であり、整理がつかないのだ。一瞬、自身がどうしてこのような場所に来たのかすら忘れてしまうほど、ゼロはただ呆然としてしまった。
その隙を突くように、ミュートスレプリロイドがゼロへと襲いかかる。ゼロは間一髪のところで目の前の事態を無理矢理呑み込み、左腕の一撃を躱す。
「ごちゃごちゃ無駄なことを考えてる余裕はないな……」
どんな異様な事態の中であろうと、今対峙している相手はミュートスレプリロイドである。その実力を舐めてかかってはいけない。もう一度強くゼットセイバーを握り直し、敵を睨む。――――そしてまた新たな違和感がゼロを襲う。
――――こいつ……なんだ……?
その眼に輝きはなかった。虚ろになりながらただ殺気だけを放っている。また、気づけば先程から荒く鼻を鳴らし続けている。まるで興奮の絶頂の中にいるように。
それは明らかに正常ではなかった。
異様な状況、異常な敵――――ゼロはまたしても思考を巡らしてしまう。そしてその隙を突くように、ミュートスレプリロイドは地を蹴り、一気に間合いを詰め、右腕を振り上げる。
「しまっ……!」
躱すことも、防ぐことも手遅れであろうその状況に、ゼロは己の失態を呪い、恥じた。そして一撃を受ける覚悟を決め、歯を食いしばる。
――――刹那、ミュートスレプリロイドの腕が、ゼロの身体を捉える寸前でピタリと止まった。そして、何を思ったのか、彼はゼロから視線を外し、当たりを見回す。まるで何かに呼ばれたように、ある一方向へと視線をやった。
またしても不可解な状況に、ゼロは戸惑う。だが、動きを止めたミュートスレプリロイドの腹部が無防備であることを確認すると、その戸惑いを振り払った。
――――なんなんだか知らないが……その隙、命取りだぜ!
ゼットセイバーを腹部へと狙い定め、勢い良く振る。――――が、既のところで、ゼロもまたその刃をピタリと止めた。
「………な…………!?」
ゼロとミュートスレプリロイドの間に、先程の兎型メカニロイドが、今度はミュートスレプリロイドを庇うように立ちはだかった。ゼロをじっと見つめている。
「おい……退いてろ!」
思考が追いつかぬまま、その兎型メカニロイド――――「レイビット」に怒鳴りつける。だが、レイビットはゼロを見つめたままその場から動く気配を見せない。それどころか、その見つめる眼差しには、異様な気迫のようなものを感じられた。――――ただのメカニロイドであるというのに。
そうこうしている内に、ミュートスレプリロイドは右腕を静かに下ろした。そして、何も言葉を発さぬまま、ゼロとレイビットに目もくれず、何処かへと向け歩き始めた。
「ちょっと待て!」
その理解しがたい行動に、戸惑うまま声をかける。そして追撃をかけようと、地を蹴ろうとした瞬間、脚に何かが擦り寄っていることを確認した。
「……お前…」
先程のレイビットだった。まるで今度は「放っておけ」とでも言うように、ゼロを見つめている。それに気を取られている内に、ミュートスレプリロイドの背中は遠ざかり、ついには見えなくなってしまった。
追撃ができなくなったことに複雑な想いを抱きながら、ゼロはゼットセイバーを左腕に収める。そして、身を屈め、レイビットを見つめる。
先程から、眼の前にいるこのレイビットの行動は不可解なものばかりであった。同型機を守るように、そしてミュートスレプリロイドを庇うように――――その動きは、まるで意志を持っているかのようだった。
いや、そもそもこれだけ古い型のメカニロイドが、自分同様、今でもこうして稼動していることに驚きを隠せない。間違いなく、「レイビットシリーズ」は百年前――――ゼロが活躍していたイレギュラー戦争時代以前のものである。それがこのような雪山で一体何をしているというのか。
「お前は………なんなんだ……?」
思わず問いかける。
〔『なんなんだ』という君の問いに対し、私は幾つかの回答を提示することができる。君が望むのはどれだ?〕
突如として脳内に響く音声に、ゼロはぽかんと口を開ける。
「今の……は……?」
〔『今の』というと、先程私が行わせてもらった、君への音声通信のことであろうか? それならば、申し訳ないが白の団が扱っている通信コードを借用させてもらった。君と直接語り合いたいのでね〕
またしても声が響く。どこからともなく語りかけてくる、初めて聞くその声に、ゼロは思考を巡らす。――――だが、どれだけ考えても、ある一つの答えにたどり着いてしまうのだった。いや、だからこそ受け容れ難く、理解が出来なかった。そんなゼロへ、声は語りかけ続ける。
〔その表情からすると君は、私――――眼前にいるレイビットが声の主であることにようやく気づきつつも、その事実を容認できないというところであろう。無理もない。私と出会った者は必ず、事実を受け容れるまでにある程度の時間を要する。焦ることはない、じっくり受け容れてくれれば良い〕
レイビットはそう告げ、さらに言葉を続ける。
〔それでは先ほどの問いに答えよう――――と、その前に、せっかくこのような辺境まで足を運んでくれたのだ。歓迎の挨拶をさせていただこう〕
そう言うと、レイビットは佇まいを直すようにして、未だ呆然としているゼロと向かう。そしてお辞儀をするように頭を下げる。
〔ようこそ、伝説の英雄ゼロ。私“たち”は君を歓迎する〕
気がつけば二十数機のレイビットが辺りを囲むようにして並び、同じように頭を下げていた。
ゼロは混乱する一歩手前で、意識を保つのに精一杯で、状況を受け容れるまでに十数分程、呆然と目の前のレイビットを見つめていた。
―――― 3 ――――
ボレアス山脈研究所内の一室。手渡された資料を一通り眺めた後、そこに記された詳細な数値とその意味を細かに確認してゆく。
感情の起伏、動作精度、行動パターン、戦術認識……――――試験開始後からの、被験体に起きたありとあらゆる反応の経過がそこに記載されていた。
「予想以上の結果ね………」
レヴィアタンが思わず呟くと、横で待機していたベンハミンがニタリといやらしい笑みを浮かべる。
「でしょう? 正直な所、ここまでの結果は我々自身も予想だにしていませんでした」
戦略研究所第三研究室が手がける「破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画」――――戦闘時における破壊衝動の増大、思考、感情の一時的短絡化による戦闘レスポンスの引き上げを目的とした「破壊衝動プログラム」の開発とその注入計画。その評価試験がこの研究所にて現在進行中であり、レヴィアタンは査察の為に足を運んでいた。
実際のところ、彼女自身この計画についてはあまり乗り気ではなかった。責任者であるベンハミンへの嫌悪感も相まって、適当な理由をつけて何度か延期を重ねたのだが、執拗なベンハミンの要請にとうとう折れてしまい、嫌々ながらもこのような北の果てまでわざわざ出向いてきたのだった。
しかし幸か不幸か、計画自体は無下にしていい結果とはならなかった。
プログラム注入後のデータからは、攻撃的な感情に脳が支配され、理性的な言動や思考は著しく減少している。しかし被験者が元々備えていた戦闘能力、戦場で培った戦術的な思考等はその行動に確かに反映されていることが計測されたデータ上では確認できる。
つまりは注入した者を「効率的な破壊マシーン」へと変化させるという、この計画の目的は達成に近いところまで来ていたのだ。
「それにしても……まさか、彼を被験者に選ぶとはね」
被験者であるミュートスレプリロイドの名前を指でなぞり、どこか懐かしそうに目を細める。
「そういえば、彼は妖将様の部下でしたな」
「……一応ね。戦うことを嫌って、一線から退いたけれど。……まさか、戦うための戦闘マシーンに改造されてしまうなんて、思いもよらなかったでしょうね」
あれは三年ほど前のことだったか――――
その体躯と腕っ節の強さから、彼の戦場での活躍には目覚しいものがあった。他のミュートスレプリロイドも彼には一目置いていたし、レヴィアタン自身も彼の力を認め、信頼していた。いつしか彼は冥海軍団きっての猛将として知れ渡るまでになっていた。
しかし実際の所、彼は戦いを好まなかった。
敵であろうと傷つけること、壊すこと、殺すことを嫌った。そこにはある種の恐怖のようなものさえ見えた。
そして今より三年前に、「戦うことに疲れた」と彼は後方支援への転属を願い出た。そして、レヴィアタンはそれを受諾した。
彼は前線を離れ、このボレアス山脈の防衛戦力としての任に就いた。
「優秀な戦力でありながら、戦うことを好まぬ性格――――この計画の素材としては完璧でした」
ベンハミンはニタニタと笑いながら、レヴィアタンの顔に近づくようにして、彼女が見ている資料を覗き込む。
「定期的なプログラム注入により性格が段階的に変貌し、より好戦的な思考へと変わっていく様がこのように確認されています。しかし、その状態での戦闘シミュレーションの結果から、戦闘において有用な戦術の認識、活用能力への負の影響は僅かな数値に留まっている。これは実戦に投入するのに十分な結果であると結論づけられます」
レヴィアタンは資料を投げるように返し、興奮し荒くなったベンハミンの鼻息から逃げるようにして立ち上がった。
「彼と話はできないかしら?」
「ええ、まあ……プログラムが完全に定着してはおりませんので、本来の自我を取り戻す時間は僅かですがあります。その時でしたら可能でしょう」
精神プログラムの崩壊を招く可能性も懸念され、破壊衝動プログラムを一気に注入するようなことはできず、段階的な注入が行われていた。
そのため、プログラムの効力が発揮される期間は、現在のところ限定されている。
「今は?」
「今――――ですか……」
レヴィアタンの問いに、ベンハミンは何処かバツが悪そうに口端を歪める。
「何? どうかしたの?」
「ええ、まあ申し上げにくいと言うか……実は現在、予定外試験も進行中でして……」
「『予定外試験』……?」
その言葉にレヴィアタンは眉を潜める。ベンハミンは慌てて取り繕うように、笑顔を作る。
「ああ…いえ、先に言っておきますが決して隠すようなことではないのです。しかし……少し説明がしづらいもので……」
「どういうこと?」とレヴィアタンが問い詰めようと口を開いたと同時に、部屋の扉が勢い良く開く。そこから一人の男が「主任」とベンハミンを大声で呼びながら、慌てたように駆け込んできた。
その様子に、ベンハミンは思わず声を荒げる。
「貴様、妖将様がいらしているのだぞ! 無礼であろう!」
「も…申し訳ありません! しかし緊急事態が!」
部下と見られる男はベンハミンの傍へと駆けより、何かを耳打ちする。すると、ベンハミンは驚くままに目を見開く。
「それは本当か……?」
半ば疑うように問い返すベンハミンに、部下は「ええ、間違いなく」と確かに頷く。
それから、その様子を静かに見守るレヴィアタンを一瞥した後、ベンハミンは腕を組み考え込む。そして意を決すると、部下に頷き返す。
「申し訳ありません、妖将様。……しばらくこちらでお待ちを――――……‥」
「紅いイレギュラーが来てるんなら、私に言うべきなんじゃなくて?」
ベンハミンとその部下は、会話の内容を言い当てられ、ビクリと首をすくめる。レヴィアタンは小さく嘲笑を浮かべる。
「今度から内緒話は有線通信で行うことね。――――それで? どういう状況?」
回答に戸惑うベンハミンを尻目に、部下はレヴィアタンに問われるまま、答えた。
「はっ。ボレアス山脈に出現した紅いイレギュラーは予定外試験中の被験体に対し、攻撃。一時交戦状態となりましたが、我々の判断により帰投命令を送信、紅いイレギュラーを怯ませ、基地へと無事帰投致しました」
「なるほどね……。それではベンハミン主任?」
「クスッ」と笑いながらベンハミンへと視線を移す。
「『予定外試験』とやらについて、洗いざらい話してもらうわよ」
戸惑いの後、観念したベンハミンは小さくため息を一つ吐く。それから「こちらへ」とレヴィアタンを連れて部屋を出た。
―――― * * * ――――
山の斜面にできた洞穴の中は、入口の周辺までしか太陽光が届かないため、奥深くに行くに連れ非常に暗くなっていた。
ギリギリ明かりが届く位置で、傷ついたレイビットの応急処置を済ませ、ペロケが「ふぅ」と一息つく。
「浅いとは言い切れない傷でしたが、とりあえずはこれで大丈夫な筈です。あとは自己修復機能で直に治ると思いますよ」
手当を受けたレイビットは、まるで意思があるかのごとく、お礼をいうように頭を下げた。
「それにしても……本当に驚きですね……まさか大戦前のメカニロイドが今もこうして稼動しているというだけでなく、意思を持ち、コミュニティーを形成しているとは」
洞穴内にいるレイビットたちを見渡す。
ゼロに連れられてこの場所に来たのだが、ペロケもまたゼロ同様、音声通信により自らの意思を伝えるレイビットと向かい合った時はしばらく思考が止まってしまった。
〔過去には数百機のレイビットがここに存在していた。しかし、老朽化し機能を停止する者、自ら犠牲となり我々の一部となった者……そうこうしている内にこれだけの数になってしまった〕
レイビット達のリーダー格――――自らを“C”と名乗るレイビットがここに至るまでの経緯を説明する。
〔ある研究の過程で私には、ここにいるレイビット群が直接アクセス可能なハブ電脳が搭載された。これは群の思考統率を効率化し、並列化を容易にした〕
軍事利用を目的としたものであったか、それとも研究者の興味本位か、その電脳を搭載されたCはレイビット群の思考を統率するリーダー機として据えられ、このボレアス山脈に放たれた。その時にはCにも自我や意思と呼べるものは存在しておらず、他のメカニロイド同様、プログラム通りに単純な思考と行動だけを繰り返しただけだった。
だが十数年が経過した頃、異変が起きた。
〔ネットワークとの接続を続け、私は情報や知識を積み上げた。同様に、サイバー空間上に漂っていたと思われる、他のレプリロイドの精神プログラム――――その断片とも呼べるデータも蓄積されていった〕
ネットワークと接続をしたまま機能停止したレプリロイドの精神プログラムの断片が、サイバー空間に放流されるという話は実際にいくつかあった。
そしてサイバー空間上に放流された精神プログラムの断片が、ネットワークを経由し、他のコンピューターに何かしらの影響を及ぼすというトラブルも極稀ではあるが確認されていた。
〔いつしか私は“私”を認識し始めた。――――もっとも、ハブ電脳を搭載しているのが“この個体”であるから、私は“この個体”を“私”としているだけで、意思自体はサイバー空間上の仮設領域で群の思考を収束させることにより成立している。更に付け加えるなら、この“私”は先ほど述べた精神プログラムの断片が堆積した結果、誕生したとも考えられる。つまりは“私”と言えど、今現在稼動しているこの身体に元々宿っていた意思という訳ではないということだ〕
収集した精神プログラムのデータからか、はたまた学習経験としてのデータからか。感情と呼べるものが未だ芽生えていないというだけで、その思考能力は既にレプリロイド並に複雑化していた。
「面白いもんだな。……まあ、データだけで生命体を名乗る連中がのさばる時代だ。メカニロイドが意思を持つなんてのもおかしくないのかもな」
「『のさばる』って…もっと良い言い方があるでしょ」
ゼロの言葉に対し、「データだけで生命体を名乗る」電子生命体のレルピィが不満気に口を尖らせる。
〔イレギュラー戦争前は、メンテナンス等は人間の科学者たちが適度に処置してくれた。だが戦争が始まり、戦場が拡大するに連れ、この山脈も安全とは言えなくなり、人間たちは避難した。そして、それから二度と帰ってくることはなかった〕
ボレアス山脈における研究データは十分に収集できたからか。それともどこかで戦争に巻き込まれ死んでしまったのか。科学者たちはこの雪の山脈にレイビットたちを残したまま、離れていった。
〔しばらく経った頃、耐久年数を超過したものが機能を停止していった。数が減ってゆくことは、やがては群の死を意味する。既にレプリロイド並みの知能を得た我々は死を回避すべく、その方策を取った〕
Cの背中のカバーが開き、複数のケーブルが飛び出す。その先には作業用のマニピュレーターが取り付けられていた。
〔機能を停止した仲間の部品を使い、生き残ったものを整備することにした。数が減っていくことを止めることはできなかったが、その速度を緩めることはできた。かくして、我々は数十機の仲間を失いつつも、生き延びることができた〕
仲間の血肉とも呼べる部品や回路を自らの身体へと移植することで、命をつなぎとめた。
しかし、そうしてイレギュラー戦争後の危機を乗り越えると、また新たな弊害が現れた。
〔この世に残る唯一つの最終国家、ネオ・アルカディア。その軍団がこの雪山を支配下に置いたのは二十年ほど前のことだ〕
この地に、戦後より残されていた研究施設を占拠し、要塞化。ボレアス山脈を手中に収めた。
警備用メカニロイドや巡回していたパンテオンにより、発見された者はイレギュラーとして処分されてしまった。
〔そのおかげで更に数は減っていき、今では洞穴に暮らす私達しか残ってはいない〕
百年以上昔、自由に雪山を駆け巡っていた数百機のレイビットは二十数機にまで数が減り、このような洞穴の中で肩を寄せ合い生きていた。
「それで、あの暗号データか…?」
白の団宛てに送りつけられてきた、救いを求める暗号文。それはこの場にいるレイビットたちからのレスキューコールだった。
〔……サイバー空間上で知り合った、私達にとって“友”と呼べるものが君たちについて教えてくれた〕
「『友』……?」
〔何者であるかを詳しく教えることは“彼女”の意にそぐわないため、申し訳ないができない。だが、サイバー空間上で意思の遣り取りを可能とし、君たちへの通信経路を把握している者と言ったら見当がつくだろう〕
ゼロとペロケは顔を見合わせる。Cの説明から、二人が考えついたのは唯“一つ”――――おそらく、互いに同じ物を思い浮かべていた。確かにネットワークを司る“彼女”であるならば、サイバー空間上に漂うCの意思と交信し、白の団との仲介も可能とするだろう。
〔あの厳重な暗号は、様々なトラブルを想定した上での保険と、君たちの興味を惹くために“彼女”が考案してくれたものだ。その予想通り、君たちはそのメッセージに惹かれ、この場所へと足を運んでくれた〕
「まんまと踊らされたわけか」と、ゼロが苦笑いを漏らす。成程、“彼女”は白の団――――特にシエルの思考をよく理解していたらしい。流石と言ったところだろう。
おそらく、出会った時のCの口ぶりから、派遣されてくるのがゼロであるということも予測済みだったのだろう。確かに、このような敵地に、怪しげな暗号文の事実確認に向かわされる者といえば、現在、白の団においてはゼロ以外に考えられない。
「……それで…? 『救いの手を求めん』って言うのは……つまりはネオ・アルカディアの連中を追っ払ってくれってことか?」
単純な思考能力しか持たぬメカニロイドであったなら生への執着など生まれなかったことだろう。それはおそらく、群となり、複雑な思考能力を身に付けてしまったが故に芽生えたものだった。
C達にとって、この雪山はもはや安全なものではない。ネオ・アルカディアによる処分に怯えて暮らさなければならないような、命懸けの戦場となっていた。
事実、ゼロがここに辿り着いた時、ミュートスレプリロイドの手によって、Cは破壊されそうになっていた。
ネオ・アルカディアをこの雪山から追い出さない限り、レイビット達はこれからも命の危険に脅かされ、その自由を制限され続ける。
だが、Cはゼロの問いに首を横に振った。
〔君の予想はもっともなことであるが、実際には、私達にとってそれは大した問題ではない。確かに生きることを求めてはいるし、その為の手を打ってきてはいるが、もしも駆逐されてしまうならば、それはそれで仕方のないことだと考えている〕
C達が持ち合わせる「生への執着」は通常のメカニロイドには無いものであるが、レプリロイドや人間のそれに比べれば遥かに低い水準のものだった。「まだここにいるから生きようとする」というただそれだけのことだった。そもそも「生きたい」というような、願望と呼べるものを持ってはいなかった。
しかし、それでは何故、ゼロをここに呼び寄せたのか。
〔救って欲しいのは私たち自身ではない。私たちの“友”だ〕
「『友』って……まさか」
Cはまたしても首を横に振る。〔先ほど話題に上がった“彼女”ではない〕とゼロの予想をあっさりと否定した。――――実際、『彼女』に何かが起きたのであればネオ・アルカディアが対処しているはずである。
それから壁の方を向き、Cはアイカメラを光らせ、壁面に件の“友”の像を映し出した。最初はピントが合わず、画像に乱れが生じたが、徐々に鮮明な形を成してゆく。
〔“彼”は三年前に、この地に現れ、私達に理解を示してくれた。そして、ネオ・アルカディアの一員であるにも関わらず、私達を護ってくれた。そんな“彼”に異常が起こった〕
映しだされた『彼』の姿を見ると、ゼロは思わず声を失う。その姿には見覚えがあった。それもつい最近――――いや、“ついさっき”この目で見たばかりである。
ゼロの二倍ほどある巨大な体躯に、雪のように白いカラー。先刻、Cに襲いかかり、ゼロと刃を交えた、熊を模して作られたミュートスレプリロイド。
〔ネオ・アルカディアに所属するミュートスレプリロイドの一人――――ポーラー・カムベアス。……ゼロ、君の力でぜひ彼を救って欲しい〕
またしても虚を衝くような想定外の事態に、ゼロはしばらく返す言葉を見つけられなかった。
―――― 4 ――――
転属初日から雪景色の中、『気晴らしに』と外を歩いてみた。
延々と続く荒野の上で数多の敵と戦い続けてきた彼にとって白銀の世界はとても新鮮味があり、神秘的な神々しさすら感じた。無論、データでは知っているつもりであった。だが、それらを実際に直視した時の感動は何とも言い難く、三年が経った後でも心がそれを覚えていた。
そこで彼は二体の旧式メカニロイドに出会う。
巡回していた軍のメカニロイドにやられたのか、片方は傷つき倒れ、もう一体はそれを気遣うようにして寄り添っている。彼は奇妙な人間味を感じ、思わず太い腕を差し伸べた。
傷ついた方を基地へと連れ帰り、修復する。そして、寄り添っていたもう一体と共に、再び雪山へと返した。二体は振り返る。次の瞬間、彼の脳内に声が響く。
〔君の協力により、私の同胞が救われた。心より礼を言わせていただく。本当にありがとう〕
彼はしばらく目の前のメカニロイド達を呆然と見つめた。
〔目の前にいるメカニロイドが音声通信により意思を伝えているという事実に困惑していることだろう。だが焦ることはない、じっくり受け容れてくれれば良い〕
メカニロイド――――レイビットはそう再び音声通信により言葉を伝えてきた。
彼は信じられない事実に直面し、呆然と目の前のレイビットを十数分ほどの間、眺め続けた。
それが出会いだった。
彼――――ポーラー・カムベアスは暇を見つけるとその“C”と名乗るレイビットと並んで雪山を歩いた。
Cと共に数日過ごし、いくつもの信じ難い現実をカムベアスは知った。
Cが引き連れるレイビットの群れは二十数機ほどの数がいること。百年以上昔からこのボレアス山脈を棲家としていたこと。メカニロイドに偶発的にも意思が生まれたこと。生き長らえようと策を巡らせていたこと。
同時に、Cは過去の世界のことを語り聞かせた。
ネットワーク上で収集したあらゆる逸話や、各地の風景、今は既に消えてしまった沢山の国のこと。この山脈にも、他の生物がいたこと。
対して、カムベアスもまた語り聞かせた。
荒廃した現代の世界。それでも尚、生きようとする人類のこと。残された最後の国、人々が暮らす街、人工物とは言え街中を彩る植物など。救世主のこと、四軍団のこと。戦争のこと。そして――――
『オデはたくざんの同胞を壊じてきだ……』
鼻が詰まったような抜けの悪い特徴的な声で、まるで懺悔をするかのように語り続ける。
『初めはそれでいいと思っだ。戦争だから……オデは冥海軍団の一員だがら……。“猛将”と呼ばれ…頼られで…そでが誇りだった』
だが、ある時ふと後ろを振り返った。
そこに遺っていたのは誰が処理するわけでもない、自らが手を下した者たちの残骸、悍ましいまでの擬似体液の染み――――それら全てを腹の上に乗せても尚、表情ひとつ変えない無情な大地。
カムベアスの大きな胸に、何かが突き刺さった。それはジワジワと侵食し、心を蝕んだ。やがて、体中が“それ”に包まれると、カムベアスは耐え切れなくなり、転属を願い出た。
『おかじな話だよな』
そう言って苦笑いを浮かべる。
『四天王の部下とじて、戦士とじて生まれだっていうのに……オデは戦うごとがもう嫌なんだ。情けないけど…戦うのが怖いんだ』
生まれてきた理由を否定したのだと言っても差し障りない、ミュートスレプリロイドとしてあるまじき心持ちであった。我ながら本当に愚かしく感じられた。
しかし、Cはそれを否定しなかった。
〔それでもいいのではないだろうか〕
脳内に響く声につられ、カムベアスはじっとこちらを見つめていたCの顔を、同様にして見つめ返す。
〔君がそう決めたのならば、何も問題はない。それがポーラー・カムベアスという一人のレプリロイドの生き方なのだから〕
確かにミュートスレプリロイドとしては、存在意義を自ら棄却するような決意だったかもしれない。
けれど、一人のレプリロイドとして生き方を選択しただけのことだ。臆病者と、愚か者と謗られようと、その生き方を曲げる必要はない。
〔それに私は、他者の命を慈しみ、平和を尊ぶ今の君を肯定したい。その道は、誇っていいものだ〕
争いを好み、他者の命を奪い、自らの力を誇示するような者よりも、他者の死の悲哀に嘆きながらも、平和な世界を望む優しさと慈悲深さを持ち合わせる者でいて欲しい。そんなカムベアスだからこそ、友として寄り添うことができたのだから。
そう言う、表情がないはずのCの顔がどこと無く微笑んでいるような気がして、思わずカムベアスも柔らかな笑顔を浮かべる。
『……ありがとな、C…』
それから、Cの身体すら包み込めそうな程大きな手のひらで、Cの頭を優しく撫でた。感謝と慈しみの心が、ただただ溢れていた。
そんな時間が終わりを告げたのは、それから一年以上後のこと。
―――― * * * ――――
〔彼――――ポーラー・カムベアスは既に本来の自我を失い始めている〕
カムベアスの様子がおかしくなり始めた頃、Cは例の“彼女”に連絡を取り、その事実を確認した。
そして現在、「破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画」の被験者として彼が扱われていることを知らされた。
〔あれ程争いを嫌い、平和を求めていた彼が、今ではただの破壊マシーンと成り果てようとしている〕
元の精神プログラムに上塗りするような形で注入されてゆく破壊衝動プログラム。Cの話だけだというのに、ペロケとレルピィはその効力に悪寒を感じずにはいられなかった。
Cは佇まいを直し、ゼロへと向かい、再び頭を下げる。
〔お願いだ、ゼロ。君の力で彼を救って欲しい。今ならばまだ、彼の自我を取り戻すことが出来る筈だ〕
計画は精神プログラムの事情から段階的に進められており、現段階ではまだプログラムの効力が切れる瞬間が見られるほどに、定着しきってはいないのだ。
その隙を突き、計画から彼を解き放つことが出来れば、どうにか救うことが出来るだろう。
「要するに、『研究所をぶち壊して、囚われの白熊を救いだせ』ってことか」
〔そうだ〕とCは首を縦に振る。
ペロケとレルピィが不安気に見つめる中、ゼロは一人考えこむ。
即決という訳にはいかなかった。
この話自体が罠である可能性も十分考慮することができた。勿論、これほどまでに回りくどい方法を執る必要性があまり思いつかないのだが。
だが、この話のままゆけば敵の拠点へと単身乗り込むことになる。敵の戦闘員がどれほどのものかは分からないがある程度の危険があることは確かだ。そういったリスクを冒してでも果たすべき依頼であるかどうか……。
方針を決めかねる中、ふと脳裏を掠める友の背中――――その記憶。
「――――悩んでいても埒が明かない……か」
そう呟くと、決意を固め、Cに向かって不敵な笑みを浮かべながら頷く。
「いいぜ、C。俺に任せな」
〔ゼロ……すまない、恩に着る〕
またもやCは頭を下げた。
「そうと決まれば戦支度だ。まずは……ペロケ、お前さんを家まで送り届けよう。こんなとこに居られたんじゃ気になって仕方がない」
「了解です。私も戦闘のお邪魔をするわけにはいきませんからね」
ペロケは整備用に持ち込んだ道具一式を工具箱に詰め込む。
「ペロケを無事に送り届けた後、敵の拠点に向け進軍する。レルピィ、お前さんも用意はいいか?」
「問題ないわ、ダーリン」
レルピィが得意げな笑みを浮かべ、顔の周りを軽やかに一周する。
〔既に計画は最終段階に移行している。もう数日も余裕はないだろう〕
「『善は急げ』だ。可能な限り迅速に取り掛かる。そう、不安がらずに待ってな」
そう言って、Cの頭を優しく撫でる。
――――成程、流石は英雄といったところか……
決して容易な戦いではないというのに、この堂々とした立ち振る舞いは確かに安心感を与えてくれる。その背中が「きっと大丈夫だろう」と強く信じさせてくれるのだ。
しかし、Cは少しだけ疑問であった。
――――彼の異名は“紅の破壊神”……
知っている限りの情報では、戦いの中ではあくまで冷徹に刃を振るい、敵を処分し続けてきた、伝説のイレギュラーハンター。
だが今眼の前にいる彼は、見ず知らずのメカニロイドのために、その身の危険を顧みず、一人のミュートスレプリロイドを魔の手から救おうと言う。
「相反する」とまでは決して言わないが、その非合理的且つ慈善的な態度は、聞いていた印象とは些かズレが生じているような気がした。
―――― 5 ――――
青い髪を靡かせながら、レヴィアタンは一人雪原を歩いていた。遠方には険しい山々が連綿と続き、陽光が白銀の大地を一際白く輝かせている。
その美しさに溜息の一つも吐きたいところであったが、彼女の心の中はそのような幻想的な風景に浸る余裕などなかった。そう言った余裕が欲しいからこそ、息が詰まる様な研究室の外にこうして出てきたわけだが、それでも彼女の心は容易く晴れてはくれない。
「予定外試験」――――ベンハミン達がそう呼び、行なっていたもの。それは破壊衝動プログラム作動中のカムベアスに、彼の友人とも言うべき旧型メカニロイド達の群れを攻撃、殲滅させることだった。
事前に予定していた試験においては、破壊衝動プログラムは十分な結果を弾きだした。しかし、そこに一つの穴が見つけられた。
破壊衝動プログラムにより、非攻撃的な感情は塗りつぶされ、より好戦的な行動をとるはずであった。だが、カムベアスはプログラムに身を任せても尚、レイビットたちを傷つけることが出来なかったのである。
プログラム注入後の野外模擬戦闘を行った際に、偶然発見されたこの穴は、計画のコンセプトに対し大きな影であり、見過ごすことのできない重大な欠陥に成り得た。友への情を切り捨てられない今の状態では、このプログラムは完全とは言えない。あの時ベンハミンが口篭った訳がよく分かった。
しかし、計画の中止や凍結を決定する理由としては余りにも弱かった。事実、紅いイレギュラーに遮られはしたものの、カムベアスはレイビットへの攻撃行動に成功し、その欠点は解消されようとしている。
やり切れない複雑な想いが胸を締め付ける。
――――所詮、私たちはレプリロイドなのよ……
正直な所、抗って欲しいと願っていた。
大切な者との記憶を、思い出を、時間を裏切るような行為を、それを強制するプログラムなどには屈して欲しくないと思った。
そういった類の物が、恒久的なものであると信じたかった。
だが、現実は冷ややかにその喉元へと刃を突きつける。「所詮はレプリロイド」――――生物の形を成した模造人形。感情も、思い出もプログラムの力に押し負けてしまう運命なのだろう。
だから、この胸に残る「あの人」の記憶も、ただのデータに過ぎず、やがては不要なものとなるのだろう。
――――カムベアス……
先刻のやり取りが心の隅に焼き付き、離れようとしてくれない……‥‥
―――― * * * ――――
『久しぶりね、カムベアス』
整備用カプセルのカバーに手を当て、懐かしそうに声をかける。
つい先程まで閉じられていた瞼が開き、黒い瞳がレヴィアタンを見つめる。
『……妖…将……ざま…』
僅かに残った自我と、本来の思考を振り絞り、言葉を発する。
『……ベンハミンから話は聞いたわ』
「予定外試験」まで、全ての事情を洗いざらい聞き出した。
『貴方らしいわね、旧型メカニロイドに肩入れだなんて』
「フフッ」と優しく微笑む。まるで現実を誤魔化しているようだと我ながら思った。
不意にカムベアスの手が弱々しく動き出す。そして、カバー越しにレヴィアタンの手と重なる。
『オデ……全部…覚えで…る……』
震える口が発するその言葉の意味を理解した時、レヴィアタンは唇を噛み締めた。
プログラムに支配された身体で受けた試験、模擬戦闘。レイビット達と対峙したこと、傷つけたこと、殺そうとしたこと。そして紅いイレギュラーと交戦したこと。
『全部……オデ…やった……』
仲間を庇うようにして立ちはだかったCの姿。自分を庇うようにして紅いイレギュラーとの間に入ったCの姿。
『全部…覚えで…る…』
『悪い夢よ』
カムベアスの虚ろな瞳を見つめながら、ただ一言、そう言い放つ。
『――――覚めれば忘れられるわ』
その夢が覚める時はいつなのか。そう問われても、彼女は答えを持ちあわせてはいなかった。
静かに手を離し、振り返る。そして扉に手を掛けた。すると、背中の方から軽い笑い声が聞こえた。
『……あなだ……やっぱり…優じい…人だ…』
『え…?』
思わずカムベアスを見つめる。カムベアスもまた、彼女のことを見つめていた。
『あなだ……戦場に…いるべきじゃ…ない』
『……何を馬鹿なことを』
妖将として生まれた。四天王の一人、救世主を守護する戦士の一人として創りだされた。この身体はネオ・アルカディアを守る歯車の一個でしかない。戦場に立たずして、いったいどこに立てと言うのか。
そう、“妖将として生まれた”。
『オデ…知ってる……あなだ………過去………………哀しい…背負っでる…』
『カムベアス……あなた…』
誰よりも理解してくれていたのかもしれない。だからこそ、誰よりも信頼できたのだろう。そう、今になって気づく。
もしも前から分かっていたなら、あの申し出を受け容れず、ずっと側に置いていたかもしれない。そうすれば、誰も傷つかずに済んだかもしれない。
だが、時既に遅い。今ここにいる“彼”はもうじき消える。
『ごこ……綺麗……平和……あなだ…ぴっだり…』
微笑みを浮かべ、言葉を振り絞る。いつかこの雪景色を見せたいものだと思っていた。平和な白銀の世界を。
『だから………ずっと…ごこに……』
『もういいわ』
言葉を遮る。これ以上聞いてしまえば、耐え切れなくなる。
『ありがとう、カムベアス。――――あなたのそういうところ、嫌いじゃなかったわよ』
そう言って微笑みを返す。だが、その笑みはすぐに消え、レヴィアタンは再び背を向ける。
『けれど、私は冥海軍団団長“妖将”レヴィアタン。戦場に背を向けることは生涯あり得ない』
そう言って扉を開く。そして、ただ一言だけ最後の言葉をかける。
『さよなら』
それが届いたかどうかは分からないが、今生の別れに等しい瞬間だったと互いに確信していた。
―――― * * * ――――
見渡すかぎりの白い世界を哀しげな瞳で眺める。
「私は……“優しい”わけじゃない」
成程、確かにここは綺麗で、平和な場所だ。けれど、ここに立ち続けることは叶わない。背負った使命が、役目が自分にはあるのだ。
この戦争の中、救世主を護り、彼が創り上げた理想郷を、そこに住む人類を守るという大きな役目が。
だがそれ以上に、この胸に強く突き刺さるのは過去の記憶。
恨み、呪い、拒絶し、記憶の隅に追いやろうとしたもの。思い出せない、「あの人」の言葉。
誰よりも愛した人の言葉。
「私は…弱いだけよ……」
過去と向き合うことを恐れ、拒絶し続けている。使命と役目を盾に、戦場へと身を投じることで逃げ続けている。それだけだ。
そんな自分に、この美しい場所に立ち続ける資格などないのだろう。
「一瞬の隙が命取りだぜ」
気付いたときには既に鮮緑の刃が首に当てられていた。
「しまった」と心のなかで悪態をつく。感傷に浸っている内に、索敵を怠っていた。センサーの感度には自信があった。普段ならばどれだけ気配を消されようと、後ろを取られるようなことなど無かったはずである。
――――最低の失態…ね……
情報があったというのに……この男が基地の周辺まで来ていると知っていたのに、警戒を解いてしまった。まさに「何たる不覚」。
「まさか……こんなところで会えるとは思っても見なかったわ…」
「俺もさ。こんな美女が辺境の雪山を一人散策してるなんてのは予想外だったぜ。なかなか似合ってたが。……おっと、変な動きはしてくれるなよ?」
振り向こうとするレヴィアタンに対し、首に当てたビームの刃を強調する。
「フフッ……挨拶くらいはさせてくれないかしら?アナタみたいないい男と出会えたのは久しぶりなの」
「本当に奇遇だな。俺もそう思ってたよ。こんな場所でなけりゃ一杯酌み交わしたいくらいさ。――――しかし残念ながら、俺様も必死なのさ。自己紹介はそのままで頼むぜ?」
抵抗しようにも武器を携行してきていなかった。レヴィアタンは観念し、「やれやれ」と自嘲した。
「お前は“妖将レヴィアタン”で…間違いないな?」
「ええ…初めまして、紅いイレギュラー。……あなたのことはよく知っているわ」
「そりゃ、どうも」と警戒はそのまま、ゼロは不敵な笑みを浮かべた。
NEXT STAGE
世界を覆う白雪の上で