―――― 1 ――――
自分で言うのも難だが、俺を作った野郎はかなりイカレた奴だと思う。
救世主の守護者として受注をされながら、そいつが翳した設計思想は「救世主を超える戦闘能力を持った純戦闘用レプリロイド」とかいうふざけたもんだ。
四天王計画のために支給された研究、開発にかかる諸経費をテメエの好き勝手に使いまくりやがって。
おかげで身体は筋肉隆々、この頭ん中は「闘い」に関すること以外全部そっちのけで、俺自身までぶっ飛んだ脳みその持ち主になっちまった。
けれど、別に恨んじゃいねえし、憎んでもいねえ。
何故ならそのおかげで、俺はこんなクソみたいな世界の中でも、そこそこハッピーな頭で生きることができてる。
巷にゃビクビク人間どもに怯えながら暮らしてる哀れな臆病者共だっているってぇのに、俺様はそんなもん少しも怖くねぇ。
何故なら俺は強いからだ。
同じようにして生まれてきた、堅物なガキや、陰険野郎とやり合ったって負ける気はしねえ。てか、絶対に勝つ。
……あぁ? あの阿婆擦れ?
あいつとは闘うイメージねえからな。ベッドの上ならヒィヒィ言わせてやる自信はあるけどよ。
まあ、言いてえのは、
俺の脳みそは自分で分かるくらい相当イカレてるってことと、誰よりも強ぇってこと。
それこそ上でふんぞり返ってる“救世主さまさま”よりもな。……いや、実際にそれだけは口が裂けても言えねえんだけどよ。
けれど世の中ってやつは残酷で、こんなに素敵な俺様の耳には少しも美味そうな話が、それこそ、欠片も入ってこなかった。
件のガキは前線に出張りやがって、陰険野郎は裏でこそこそ好き放題。阿婆擦れは……まあ、いろいろ大変みてぇだけど……全部“お仕事”で片すような奴だから、どうでもいい。
で、なんで俺だけ後ろで構えながら人形共に指図して戦争しなきゃいけねえんだよと。
いやまあ、俺様の優秀さに目をかけて、それなりの大軍団を拵えてくれたってのは悪くねぇよ? でも、その指揮に徹して「動くな」言われて、納得できるような行儀の良いオツムじゃねえのよ。
さっきも言ったように、俺は『イカレてる』からな。
ぶん殴る相手がいなけりゃ拳のやりどころに困るし、怒鳴り散らそうが直ぐにビビッちまうような連中ばかりじゃ張り合いがねえ。じゃあ、大人しくしてろって言われてもさっきから言うように俺の性分的には絶対無理。
そんなこんなでここんところはストレスが溜まりまくって、仕方がねえ。
そろそろ俺様にだって美味いもんを口にするチャンスが巡ってきたっていい筈だろ? 血が滾るような肉汁たっぷりの厚切りステーキがよ。
それがダメだって言うんなら、美人で巨乳のネエちゃんを百人ぐらい連れてこい。あの元老院のクソデブみてえに毎日乱交パーティーでも催してハッスルしまくってやらあ。
――――つっても、そんなくだらないもんじゃ、俺の狂った心は満たされねえ。
じゃあ、どうすれば満たされるか?
簡単だ。
闘いてえ
どんな相手でも構わねえ。三秒でおっ死ぬような干物野郎でも構わねえ。その三秒間で“絶頂”が味わえるならそれで十分よ。
――――とか何とか言っても、やっぱり俺は「それじゃ足らねぇんだろうな」……って思う。
つまりよ。
つまみや前菜だけバクバク食い続けたって、やっぱり誰も満足できやしねぇよな…ってことよ。その辺から毟った貧相な菜っ葉だけだったら尚更さ。
やっぱり欲しいのは“厚切りステーキ”。
簡単にゃ噛みちぎれないような分厚い奴がいい。「熱ぃ!」とか「固ぇ!」とか「食いにく!」とか散々文句を喚きながらも、いざ口に入れてみると嘘みたいに溶けやがって、「生きててよかったぁ!」って思えるくらいメチャクチャ美味ぇ、そんなステーキ。
そんなメインディッシュがいつか目の前に出されねえかと、夢見ながら、涎を垂らして待ち続けてきたわけよ。生まれてからの十年間ずっとさ。
それで結局そんなもんは一回だって現れちゃくれなかった。
この十年間、ずっとだ。
どれだけ望もうが、願おうが、そいつは一度だって香りすら漂わせてくれなかった。
だから俺は正直半分諦めてた。「ああ、もう俺はそんな美味いもんにはありつけねぇんだろうな」ってよ。後ろの方でふんぞり返って、顎でパシリ共を使い回して、全部が終わった日にゃ夕日に向かって「クソッタレコンチクショウ!」とか叫んで俺の一生って奴はお終いなんだろうなって覚悟してた。
しかし、そいつが今になって突然現れた。
十年待ち続けても現れなかったもんが、ようやく出てきやがった。勿論、最初はハズレじゃねえかと、流石にちょっとだけ慎重になったぜ?当たり前だろ、今までがそんなんだったんだからよ。
けれどそいつが“本物”だって分かった時、俺の涎は止まらなかった。おっ勃ったもんは少しも収まらねえし、その味を何度も想像しては軽くイッちまいそうになった。
そしてとうとう俺は我慢ができなくなった。
収まらねえもんを抱えて、みっともない涎も垂れ流したまんまで、俺はナイフとフォークを手に、食卓に突っ込んだ。
もしもこいつで火傷を負うなら俺は本望だ。
なにせ十年も待ち続けたんだからよ……この瞬間を。
けれどまあ、一つだけ間違いねぇことがある。
火傷は負うかもしれねぇ、
だけど、俺は絶対に負けねえ
それだけは揺らぐことの無い事実だ。
だから叫ぶぜ。俺を突き動かすイカレた心のままに――――……‥
「俺 様 と 闘 え ぇ ! 紅 い イ レ ギ ュ ラ ぁ あ あ ぁ !」
俺は闘将、ファーブニル
闘うために生まれた、力の化身
13th STAGE
闘将
―――― 2 ――――
右のランチャーの先端部がワニの顎のように大きく開き、身体を捉えようとしてくる。その攻撃を咄嗟に躱し、ゼロは左腕から一息にゼットセイバーを引き抜き、大きく斬りつけた。それをファーブニルは、ギリギリのところで地を蹴り、後方へと飛び退くことで躱す。
「へへっ……やるじゃぁねえか」
そう嬉しそうに言うと、舌舐めずりをする。まるで目の前に極上の肉料理でも見えるのかという程、その眼は輝いていた。
「とんだご挨拶だな……闘将さんよ」
臨戦態勢に入りながら、ゼロも口を開く。
自ら出撃し解放議会軍の本拠地を壊滅させたという話は聞いていたが、このようなところで出会してしまうとは思っていなかった。
「悪ぃ、悪ぃ。一応、試させてもらったわけよ。あんなもんでやられちまうような雑魚じゃあ困るからよ。まあ、俺の眼に狂いはなかったわけだが」
「いいのかよ、軍団の大将さんがこんなところに出張ってきてさ?」
痛いところを突かれ、ファーブニルは苦笑いをする。
「それな、実際やべえんだよ。俺様の軍団が一番デカイからよ。端まで気を配れるようにとかで、『後ろで指示出せ』ってハル公や元老院のジジイ共から言われてたワケ」
“ハル公”とは四天王のリーダー格である賢将、ハルピュイアのことだろう。
「けどよ、テメエの活躍聞いてたら居ても立ってもいられなくなっちまってよ。とりあえず手始めにマゴテスの野郎をぶっ潰してやろうと思ったわけさ。まあ予想通り、あの卑怯者は尻尾巻いて逃げやがったんだけどよ」
「そもそも、何故マゴテス如きがSランクイレギュラーと認定されたのか分からない」という風に、ファーブニルは肩をすくめる。どうやら彼にとって一軍を率いる智将というだけでは評価に値しなかったらしい。
同時に、隠密部隊である斬影軍団にすら行方が分からない程、息を潜め、身を隠しているベルサルクについても全く興味がないようだった。
「で、ちょいと愉快なパーチーが催されるって聞いてよ……なら俺様も参加させてもらおうかなぁと思ったら――――案の定、テメエが出てきてくれたのよ」
ニヤリと笑いながら、右腕のランチャーでゼロを指し示す。
無論、第十七精鋭部隊が作戦を展開するという事実以外の詳細――――マゴテスとマクシムスの謀略など――――は全く周知されていなかった。それでも「何かある」と感じて足を運び、ゼロを見つけたことを「案の定」と言い切ってしまう辺り、戦いに対する嗅覚は流石という外ない。
それ故に、ゼロにとってはこの軽い調子の男がとても危険に感じられた。
「……ってことは上の指示を無視してきたんだろ? ……早く帰らないとヤバいんじゃないかい?」
「ご心配ありがとよぉ。……けど、もうたぶん遅いぜぇ。テメエを殺そうが、捕まえようが、軍団ほっぽり出して単独で出張っちまった以上、謹慎処分どころじゃ済まねえだろうなぁ」
自身の責任と、それを放り出した事への処罰の程度が分からないほど馬鹿ではないらしい。しかし、そんなことよりゼロが引っかかったのは、ファーブニルが「負ける可能性」について言及しないことである。「殺す」か、「捕まえる」――――どれも自分の勝利を固く信じているが故の言葉だった。
「だからよ……もう後には退けねえんだよなぁ」
そう言った瞬間、空気が変わる。ファーブニルの全身を、激しい闘気が包んでゆくのが分かる。
それを感じると、ゼロもまた、この闘いが避けては通れないものであることを確信した。
「なあ、紅いイレギュラーよぉ……俺はテメエと会うのが初めてな気がしねぇんだよ……」
それについてはゼロも同意見だった。「初めてではない」どころか、この数分の遣り取りだけで、とても親しい相手であるような気すらしていた。出会い方が違っていれば背中を預けあえる戦友となっていたのかもしれない。
しかしそれもその筈で、決して偶然からでは無い。何故なら四天王たちのDNAデータとそれに伴う精神プログラムは、ゼロにとってかつての友であった救世主の物を参考としていたのだから。
「だからよぉ、分かるんだよな……。こうして間近で会うと、ビンビンによ。テメエがどれだけ強ぇのか。テメエにはどれだけの力を出していいのか。俺様の持てる力をどれだけぶつけていいのか……がよ」
実際の所、その感覚は四天王全てが感じ得るだろうものではなかった。戦闘に特化して誕生したファーブニルだけが持ちあわせる抜群の戦闘センス、戦士としての嗅覚がその感覚を助けていた。
「だからよぉ……嬉しいぜぇ。テメエがこうして現れてくれたことがよぉ」
両のグリップを握りこみ、トリガーに指をかける。
「俺は、できればお前とはこんなタイミングで会いたくはなかったけどな」
そう本音を言いながらゼロもまた、ファーブニルから視線を、文字通り一ミリも逸らさないまま、ゼットセイバーの柄を握り締める。
「ハハッ……人生ってやつはいつだって突然の出来事ばかりで溢れてるんだぜぇ……この命だって、いつ何がきっかけで燃え尽きちまうか分からねえし、この世界だって明日にはないかもしれないんだぜぇ? だからよぉ……」
二つのランチャーをゼロへと向ける。ゼロも両足に力を込める。
「――――この一瞬を遊び倒そうぜぇえぇええぇっ!!」
咆哮とともに銃口から、炎弾が絶え間なく放たれ始めた。
「オラオラオラオラオラ………オラオラオラオラァァアァァアァ!! ヒャーーーーーーーーッハッハッハッハッハァァアァァアァ!!」
狂ったように笑い声を上げ、炎弾を撃ち続ける。地表に着弾した炎弾は爆炎を放ち、砂埃を巻き上げる。視界を覆うほどの砂塵に気にも留めず、ファーブニルは狂ったようにトリガーを引き続ける。
そして、後方より振り下ろされる緑の閃光。今までの相手であれば、例え最も苦戦を強いられたあの黒豹であろうと絶対に捉えられるであろう、そう言う一太刀をゼロは放った。――――筈だった。
「……ッ!?」
どこに眼をつけていたのか。どうやって察知したというのか。砂埃に紛れたゼロの一撃に対し、ファーブニルは身を翻し、右腕のランチャーから炎を刃のように吹き出してその一太刀を防ぐ。そして左のランチャーがまたしてもゼロの身体を捉えようと口を開けて襲いかかる。
ゼロは万が一に備え、僅かに貯めていた左腕のエネルギーを放った。小さな爆発に身を任せ、後方へと飛び退く。そのエネルギー波がファーブニルのはだけた胸元に浅くも確かな傷を与える。
「ハハッ! クソッ、痛ぇっ! ヒャハハハ! 痛ぇッ!」
そう言いながら顔はとびきり嬉しそうに笑っていた。まるで親からプレゼントを受け取る子供のように。
二つのランチャーの銃口を合わせ、エネルギーをチャージする。その危険性を察知して、ゼロも左腕にエネルギーを貯める。
「痛ぇッ! 痛ぇぜぇ! 紅いイレギュラーよぉぉぉぉおおぉぉぉおお!!」
ゼロの身体すら包みこむ程、巨大な炎弾を発射する。咄嗟にアースクラッシュを放ち、応戦した。
炎弾とエネルギー波の衝突。そしてそれらが同時に弾ける光と爆音は、視覚、聴覚センサーに一瞬のノイズを挟ませる。――――そして気付いた瞬間、ファーブニルはその場にいなかった。
「ヒャァーーーーーーーッホォォオォ!!」
奇声とも取れる叫び声が頭上から聞こえてくる。見上げると、丁度真上に、ファーブニルの姿が見えた。南中した太陽の光線をその背に受けながら。ランチャーをゼロへと向けている
瞬間、ゼロはその戦闘センスに驚愕した。
間違いなく、ファーブニルのセンサーにも影響はあった筈である。その影響は、例えゼロほど優れたレプリロイドに対しても相手の動作予測を鈍らせ、自身の次の戦闘行動を決定するのに一瞬の躊躇を与える程大きいものだった。
しかし、ファーブニルのその行動には躊躇いがなかった。視覚、聴覚の狂いなど物ともせず、地を蹴り、敵の頭上に舞い上がった。――――そう、“視覚の狂いがあるにも関わらず、丁度真上に、ランチャーをゼロへと狙い定めて舞い上がった”のだ。
「弾けちまいなぁぁぁぁあああぁあぁ!!」
そして二門のランチャーから放たれる炎弾。それはまるで滝のように降り注ぐ。
立ち上る爆炎と、巻き上がる砂埃に、再びゼロの姿は見えなくなった。
―――― * * * ――――
「『破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画』……ね」
埃一つ見当たらない無菌室のような会議室にてソファーに座りながら、戦略研究所第三研究室主任ベンハミンより手渡された書類に目を通すと、レヴィアタンはその名を口にしてため息をつく。
「はい。計画の概要はこちらです」
ベンハミンはニタニタといやらしい笑みを浮かべながらレヴィアタンの直ぐ側に寄り、計画書を指でなぞりながら説明を始める。
前線に投入された、メカニロイドやパンテオン以外の兵に、ネットワークを介して「破壊衝動プログラム」を注入する。
その効力は、戦闘時における破壊衝動の増大、思考、感情の一時的短絡化による戦闘レスポンスの引き上げである。つまりは、戦闘において無駄な感情を切り捨て、対象を効率的な破壊マシーンにすることをその目的としていた。
そのプログラムを初期段階より導入するよりも、実戦経験を積み、複数の戦術、戦略パターンをその身を持って実践してきた者に導入した方が効力が高まること、また、プログラムを一度の注入だけで導入しようとすると精神プログラムの拒絶反応を引き起こす可能性があることから、定期的且つ段階的にネットから注入することが適切であるとされた。
「よくもまあ、こんな下衆なこと思いつくわね」
嫌味を込めて言ったつもりだったが、ベンハミンは嬉しそうに笑っている。
「私の計算によればこのプログラムを活用することで、ただでさえ強力なミュートスレプリロイドや、あなた方四天王ですら、今より三割近くの戦力向上が望めます」
「……私は遠慮させていただくけどね」
嫌悪感を顔中に纏ったまま、そう吐き捨てる。ベンハミンは「そう仰らずに」と尚も笑う。
「それ程的はずれな考えではないはずですよ。――――例えば闘将様。あの方の戦闘センスは、それこそエックス様すら凌駕する程だと聞いています。このプログラムとは異なっておりますが、戦闘衝動に特化したが故の結果でしょう? だとすれば、このプログラムを用いれば同様の効力が望めるかと――――……‥」
「ファブが無駄な感情を持ち合わせない戦闘マシーンだとでも?」
言葉を遮り、そう素早く切り返すレヴィアタンの目は鋭利な刃物のような冷たい輝きを放っていた。
その恐ろしさに、慌ててベンハミンは取り繕う。
「いやいや! そこまでは言っていませんよ!? ――――似たような例というか……なんというか……」
レヴィアタンは鼻で笑った後、「やれやれ」とため息をつく。
「とにかく、私としてはこの計画には賛同できないわ」
「そう言わずに」と、腰を低くしてベンハミンは宥める。
「既にミュートスレプリロイドを用いた評価試験をボレアス山脈の研究所にて実践中であります。一度、その眼で確かめてから判断してください」
「…………分かった、査察日程を組んだら連絡するから」
引き下がる気配がないベンハミンに嫌気が差したのか、レヴィアタンはそう言って書類を返却し、怒ったようにソファーから立ち上がった。
「あ、妖将様……今度、ディナーでもしながら今後の研究方針を――――……‥」
「悪いけど、口臭の臭う男と食事したくないの。美味しくなくなるから」
呆れながらそう断り、慌てて口臭を確かめるベンハミンを尻目に、「バァイ」と軽い挨拶をして会議室を後にした。
レプリロイドの口臭が臭うわけがないのは、言うまでもない。
自室に戻り、マントを脱ぎ捨てる。ヒールを脱ぎ捨てて、ベッドに腰掛け、細長い足を組み、窓の外に目を遣る。
「……“ファーブニル”……身体が硬い鱗に覆われ、鋭い爪と牙を持ち、口からは毒の息を吐くドラゴン……」
しかし、その正体は魔法を使えた小人のドゥエルグ、その三人兄弟の一人だった。
財宝のために父を手にかけ、兄まで殺し、ドラゴンの姿に変身し、財宝を独り占めしようとした。いずれ勇者に、その腹を貫かれ息絶える運命だとも知らずに。
「別に……正直言って、私は財宝なんか欲しくないわ」
“それ”を賭けた競争を提案したのは確かだが、自身がその使命に縛られたくないがための虚言だった。
臆しているわけではないし、怖気付いたわけでもない。ただ、“縛られ”たくなかった。自身の存在を。
とは言え、自分はこの場所から飛び出す事もできないし、背負った過去を振り切れる程早く歩くこともできない。結局、彼女は束縛から逃れることはできない。しかし、それ故に新たな束縛を受けたくはない。――――そんな囁かな反抗だった。
「……だから、独り占めしたければ好きになさい」
優しく微笑み、そう呟く。誰に向けるでもなく。
時々、ひどく羨ましく感じる。そうやって衝動のままに飛び出せるだけの素直さが。
自分は決して持ち合わせていないものだったから。
けれど――――
「……そう言えば、翼はなかったわね」
自室の窓から青い空を見上げ、そう呟く。
誰もがそうだ。真に空へと羽ばたける翼など無い。いや、翼を持った者たちでさえも特有の問題を抱えている。――――完全な自由など何処にもないのだ。
つまりは、勝手気ままにやっているように見える彼でさえ、きっと彼なりの“何か”を抱え、抗い、闘いながら生きているのだろう。
仲間として、友として、兄弟として……――――それを認めてあげたいと、心の底から思った。
―――― 3 ――――
着地したファーブニルの眼前で、巻き上げられた砂埃が落ち着いてゆく。晴れた視界の中、最も鮮明に映ったのは、真紅のコートと流れる金髪。あれだけの攻勢の中、紅いイレギュラーは無事にその身を保っていた。
いったいどうやって防いだのかと、手にしたゼットセイバーを見る。するとその刀身が水を纏っていた。
「なるほどぉ…。そいつで身を守ったわけだ……流石だぜぇ」
エネルギーを水へと変換し、攻勢が止むまで頭上に放出し続けた。炎弾に対し、流水で対抗したのだ。
「馬鹿みたいにバカスカ撃ちやがって……」
ゼロは舌打ちをしながら、そう吐き捨てる。咄嗟の判断でなんとか遣り過ごすことができたが、非常に危険な状況だった。万が一の事態を覚悟せざるを得ないほどに。
「ハハッ! 仕方ねえだろ? “ソドム”も、“ゴモラ”も、今まで退屈で仕方なかったんだぜぇ? 叫びたくて叫びたくてよぉ……血が滾ってんだよぉ」
そう言ってランチャーを示す。右腕の「ソドム」、左腕の「ゴモラ」――――二丁一組の、ファーブニル自慢の専用マルチプルランチャーである。
そして再びそれらにエネルギーを蓄積してゆく。ゼロは、それを阻止すべく斬りつけるか、それともどの様な攻撃が繰り出されるのか警戒すべきか、躊躇ってしまう。
「もっと……! もっともっともっと! もぉおおぉぉおっと叫びてぇとよぉぉおおぉぉおお!!」
そして戦術を決めかねるゼロに構わず、そう叫びながらソドムとゴモラを振りかざすと、大地に向けて銃口を一息で突き刺し、エネルギーを放つ。
刹那、大地は大きく揺さぶられ、地表は砕かれ、その隙間から火柱が次々と立ち上った。
「なんつぅ……出鱈目な!」
ゼロはそう悪態をつき、火柱の間スレスレを掻い潜りながら、ファーブニルの元へと駆けてゆく。ギリギリで躱した火柱に、僅かに触れた髪が焼け焦げる匂いが鼻につく。
「黙ってろ!」
ゼットセイバーに水を纏わせ、足を踏み込み、突きの構えを取る。その瞬間、ファーブニルは地面に突き立てたソドムとゴモラを傾け、自分とゼロとの間に炎の壁を噴き上げる。
「ままよ!」と、炎に触れない程度のところで踏み込む足を止め、水の刃による高速の突き――――水烈閃を繰り出す。その刀身は炎の真ん中をファーブニル目掛けて突き抜ける。しかし、手応えはなかった。
「……いいぜぇ…いい動きだぜぇ…紅いイレギュラー…」
炎により遮られた視界の中、頬に掠ったとは言え、既の所でゼロの一撃を躱した。その反応速度に、またもゼロに寒気が走る。
「だがよぉ……それじゃあ俺には勝てやしねえぞぉおぉおぉ!」
自分で作りだした炎の壁を突き破り、伸ばした右腕。ソドムの顎がゼロへと喰らいついた。
「んなろっ!」
「弾けとベェ!!」
挟んだ身体をそのまま軽々と持ち上げ、頭上にかざす。そして、天へとめがけ、炎弾と共に撃ち上げた。
ゼロは直前に、挟まれた腹部へと水のエネルギーを走らせダメージをカバーする。が、その爆風で上空に投げ出されてしまう。そして、身体の自由が効かないままゴモラの口が自分へと向けられているのを察知する。
「さぁ! さぁ! さ あ ! どぉうするよぉぉ!?」
そして三度の炎弾連射。ゼロは咄嗟に脚部の緊急加速装置を作動させ、地面に向け飛び込むようにして回避する。その勢いのまま、二、三度転がり、ファーブニルの立ち位置を確認。すると、こちらへと飛び掛ってくる姿が目に映った。
「う ぉ お お お ぉ お ぉ ぉ お お ぉ ぉ !!」
咆哮とともに、炎を口から吹き出したままのソドムを振り抜く。ゼロはそれを咄嗟に躱し、ゼットセイバーを力いっぱい振り下ろす。ファーブニルは、それを感知したのか、直ぐ様地を蹴りその場から飛び退く。しかし、ゼロの刃から発せられた衝撃波がその身体を捉えた。弾き飛ばされ、地面を転がる。
それでも体勢を立て直したその顔からは、笑みが絶えない。むしろ、その顔はさらに嬉々と輝いている。
「ヒョォオ! すげえ! すげえぜ紅いイレギュラー!! なんつぅ攻撃だ!!」
渾身の一振りにより、射程は短いが高威力のエネルギー衝撃波を刃から発生させる「波断撃」。その衝撃波に当てられても尚、ファーブニルは少しも怯まない。
だが、ここまでの遣り取りからそれすら予想し、ゼロは既に次の攻撃、高速接近攻撃「疾風牙」を繰り出す。しかし――――
「ぬ ぅ ぅ ぉ お ぉ お ぉ お !?」
刃を振り抜こうとした右腕目掛けて、ゴモラの口が振り下ろされる。疾風牙で斬りつけようとしてきたゼロに対し、それに向かって飛び込むことで応戦したのだ。ゼロは瞬時に右腕を止め、地を蹴る。ゴモラの攻撃を躱せたが、無理な体勢から加速装置の照準を乱したことで、地面に身体が叩きつけられる。
「あぁらよっとぉ!!」
ファーブニルがソドムを地面に向けて打ち付ける。するとその衝撃波が大地を伝ってゼロの身体を捉え、またしてもその場から弾き飛ばされる。だがゼロは素早く立ち上がり、次に繰り出されるファーブニルの追い打ちに対し身構える。案の定、ファーブニルは地を蹴り、ゴモラでゼロに食らいつこうと飛びかかってきた。
ゼロはそれに対し、防御の構えを取る。が、ファーブニルは何を感じたのか、瞬時に距離を取った。
「危ねぇ……嫌な感じがしやがるぜぇその構え…」
ファーブニルの直感は正しかった。敵の攻撃の勢いを上乗せするカウンター攻撃「獄門剣」。ゼロの構えはまさしくそれだった。だが勿論、この技をファーブニルに対し見せつけたことはないし、そもそも他の戦闘においても扱ったことがなかった。つまりは、自分の直感だけでこの技の危険性を察知し、予防線を引いたのだ。
――――こいつは……危険過ぎる……
これまでの攻防を振り返り、ゼロがファーブニルに対して下した評価はそれだった。
その攻撃行動は煩雑としか言い様のないものであったが、その欠点を補って余りある驚異的な直感力、刃物のように研ぎ澄まされた戦闘センス、そして自身に向けられた脅威に対する嗅覚――――どれもが一流を超えていた。
獄門剣を構えた瞬間、ゼロはその効力を百二十パーセント発揮するべく、意図して闘志を最小限に抑えたつもりだった。しかし、それすらも見ぬいてしまうほど、ファーブニルの感覚は飛び抜けていた。
このような相手から勝利をもぎ取るには、生半可な方法では不可能である。
――――そう……生半可なやり方じゃダメだ
そのために必要なのは、リスクを冒す精神力――――“度胸”というやつだ。
ゼロは覚悟を決めると、セイバーを構え直す。そこから煌々と感じられる闘気が、威圧感が、ファーブニルの心を大きく揺さぶった。
「おぉ!? おお!? おお! おお! おおぉぉおお!!」
子供のように目をキラキラと輝かせ、その様を嬉しそうに見つめ、驚きの声を上げる。
「まだ来んのか!? まだ出せんのか!? ――――いいぜぇ!! いいぜぇ、紅いイレギュラー!! メチャクチャいい!!」
そして、ソドムとゴモラを構える。
「それじゃぁよぉ……ガチンコ勝負と行こうやぁ!!」
そう言うと、叫び声を上げながらゼロへと駆け出す。それに対し、ゼロもまた、地を蹴り飛び込んだ。
ソドムを前方に向け、トリガーを引き、炎弾を乱射する。ゼロはその攻勢を掻い潜り、巻き上げられる砂埃の中、ファーブニルの懐へと潜り込む。それも、ゴモラを構える左側へと――――……‥
その瞬間、ゼロの捨て身の攻撃を察知した。が、ファーブニルはあえてそれをそのまま受けることにした。ゴモラの口を大きく開き、ゼロの身体へと振り抜く。
「ゥオラァァアァアアァ!!」
咆哮とともにゴモラがゼロの身体を真っ直ぐ捉える。そしてそのまま、再び頭上に翳そうと振り上げた――――その刹那だった。
「ヌオッ!?」
咄嗟にゴモラの口を離す。が、「バァン」と大きな破裂音と共に、爆発的な衝撃と閃光が一瞬にして弾けた。
その衝撃に、ファーブニルは弾き飛ばされる。気づくとゴモラの銃口と開口部が大破していた。ゼロもまた空中へと投げ出され、叩きつけられるようにして地面に落下する。
ゼロは捉えられた瞬間、ゴモラの口に添えた左腕からアースクラッシュを放った。無論、自らへのダメージは避けられないと覚悟しての策だ。とにかくファーブニルが持つ二つの牙の内、片方を削ぐことに徹したのだ。そしてそれは成功した。
「まあ……代償は安くなかったけど…な……」
腹部を押さえ、立ち上がる。
「ハハッ……やりやがるぜぇ……紅いイレギュラー……」
だがそれでも尚、ファーブニルはとても嬉しそうに、腹の底から笑い声を上げた。確かに、形勢が大きく傾いたわけではない。しかし、自身が優勢になったわけでもない。
「けどよぉ……まだまだこっからだぜぇ!」
そう言って飽くなきまでに笑い続ける。その様子は“イカレている”としか形容できなかった。だが、それに対しゼロも「当たり前だ」と何処か嬉しそうにゼットセイバーを構えなおした。
「ハハッ! ヒャハハハッ! 最っ高だぜぇ! 紅いイレギュラぁあああぁああ! テメエはよぉおおぉぉおぉおおぉぉお!!」
叫ぶと共に、地を蹴る。ゼロは応戦の構えを取る。戦闘の緊張感が最高潮に達する――――……‥
瞬間、何処からとも無く放たれた絶え間ない銃撃が、ゼロの身体を撃ちぬいた。
―――― 4 ――――
「クッ……クククッ………フハハハ…… ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ !!」
射線を辿り、その方角を見上げると、丘の上に狂ったような高笑いを上げる男が、二十人程の部下を連れて立っていた。
「ザマあないなぁ! 紅 い イ レ ギ ュ ラ ァ ァ ァ !」
その言葉に比類なき怨念を込め、現れた男――――マゴテスは笑い続けた。
ファーブニルは呆然と立ち尽くしたままマゴテスを見つめ、その後、撃ちぬかれたゼロの方へと視線を移した。
突然過ぎる不意打ちから察するに、ダメージは相当なものだ。しかしコートにより軽減されたおかげか、なんとか生きていたらしく、よろけながら立ち上がろうとしている。
「この私を出し抜こうとした報いだぁ……クハハハハハハハハハ!!」
「チクショウ……ちゃんと仕事をしてくれよな…イレギュラーハンターさんよ……」
打ち所が悪かったのか、左腕が上手く動かない。また、衝撃のせいで、ゼットセイバーのエネルギーラインにも支障を来したらしく、出力異常が起こっている。
「所詮はイレギュラー……貴様ごとき雑兵がこの私に敵うはずもないのだよぉ……ええ?」
そう言って、片手で射撃準備の指示を出す。それに従い、部下たちも手にしたライフルの銃口をゼロへと向けた。
「……天に昇りしこの私に逆らおうとした愚か者がぁ……その罪は測りしれんぞぉ?」
気違い染みたその表情は、まるで悪魔が憑いているかのような悍しさを感じさせる。
「……死んで罪を償えぇえ! 紅いイレギュラァぁぁぁぁあああぁあぁ!」
マゴテスの絶叫と共に、ライフルのトリガーが再び引かれた。
「 ク ソ ッ タ レ が ぁ あ あ あ ぁ あ あ ぁ あ あ あ ぁ あ あ ぁ あ あ あ ぁ あ あ !!!」
ファーブニルの咆哮と共にソドムの口からマゴテスの部隊へと無数の炎弾が放たれた。
激しい爆音と巻き上げられる砂塵。それらに塗れ、相手が視認できなくなっても尚、ファーブニルの怒号と炎弾の乱射は続いた。
やがて、ソドムのエネルギー残量が底をつく。カチカチと空のトリガーを十回以上引いた後、ファーブニルはようやくその腕を下ろした。
先ほどまでマゴテス達の姿が見えていた丘は大きく形を変え、そこには人っ子一人、影も形も見当たらなくなった。
「……ハァ……ハァ……ハァ……」
叫び終えると、ファーブニルは切れる息を落ち着かせようと深呼吸をする。そしてようやく落ち着くとまたしても「チックショォォ!」と叫び声を上げた。その声は悲痛な響きを秘めていた。
そうして一仕切叫び終えた後、ゼロを見つめる。それからソドムを投げ捨て、戦闘用のジャケットをショルダーアーマーごと脱ぎ捨てた。上半身が露になる。
「五分……とは言えねえか…」
落胆したような声でそう呟く。すると、ゼロは「いや」と言葉を返す。
「問題ない……かかって来いよ。本気出でさ」
出力以上を起こしたゼットセイバーを左腕に仕舞う。ボロボロの体だが、かろうじて右腕のアースクラッシュの回路は使える。
片やファーブニルは、身体の状態は安定しているが、武器を持っていない。
「ヘヘッ……ならよ……“こいつ”でケリつけるか…」
そう言って拳を示す。ゼロはそれに対し強く頷く。
「とは言っても…悪いが俺は、使えるもんは使わせてもらうぜ?」
「構いやしねえよ……それでも俺は絶対に負けねえ」
互いに笑みを浮かべる。
不思議な感覚だった。湧き上がる高揚感は、決してファーブニルだけが感じているわけではなかった。ゼロもまた、この勝負に水を差されたことに怒りを感じ、そして真っ当な闘いの末に決着をつけることを望んでいた。
互いに拳を握りしめ、相手を睨みつける。そして、力強く地を蹴ると、一気に接近した。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラァァアァアアァ」
ファーブニルの連打を軽いフットワークで躱す。そして、一気に伸びきった右腕を掻い潜り懐に一撃を加える。強力なボディーブローはファーブニルの巨体を跳ね上げ、後方へと退かせた。
だが、それでもファーブニルは臆す事無く、左足を軸にして回し蹴りを繰り出す。咄嗟に左肩でガードをしたが、ゼロはそのまま弾き飛ばされ地面に転がった。
右手を付き、上体を起こす。それに向かってもう一度距離を一気に縮めようと駆け出すファーブニル。飛び込んできた彼に対し、ゼロはアースクラッシュを発動させた。
崩れる足場と、巻き上げられる砂塵。だが、ファーブニルはそれでも正確に、後方から奇襲を仕掛けようとしてくるゼロの存在を感知し、彼の右腕をガードする。――――が、そのままガードした腕を鷲掴みにされ、投げ飛ばされた。
宙に浮いたファーブニルの身体へ追撃をかけるゼロ。だが、地面へと叩きつけようと繰り出した左足を、今度は逆に掴まれる。そして反動を利用し、体勢を入れ替えられ、そのまま地面へと投げ飛ばされた。
右腕に残していたエネルギーを放ち、その衝撃で、かろうじて直接的なダメージを避ける。地面を転がり、そのまま起き上がると飛びかかってきたファーブニルに対し足払いをかける。倒れこんできた顔面に向けて右ストレートを放った――――が、既の所でファーブニルは左腕を地面につき、力尽くで飛び退き、攻撃を躱した。
互いに立ち上がり、体勢を立て直す。
「ハハッ……紅いイレギュラーよぉ…やっぱりテメエは面白いぜぇ」
「俺は何も面白かないけどな……。次で決めてやるよ、暴れん坊将軍殿」
「そいつはコッチの台詞だぜぇ?」
そう言って、己の持てる力を拳に注ぐ。実際、ダメージ的に優勢なのは間違いない。しかし、それでも簡単に勝利を掴ませてはくれないだろうことが身体中のセンサーが知らせていた。――――だからこそ“面白い”。
「ようやく十年がかりの願いが叶ったんだぁ……」
待ち焦がれていた瞬間。最高の一瞬。最上の相手と拳を交えるという、至福の時。十年の鬱憤が全て解き放たれる。
「けどよぉ……勝つのは…」
想いの全てを拳に込め、地を蹴り出す。
「勝つのは……こ の 俺 様 だ ぜ ぇ !!」
咆哮と共に駆ける。そして、構えるゼロへと向かい、拳を振り抜いた。
――――俺は闘将、ファーブニル
闘うために生まれた力の化身。
それ故に、闘いのない一生など、何の意味もない。
勿論、救世主への忠誠は本物だ。
自身の任務の重要性も分かる。
けれど、“闘い”の中で生きられぬなら、生きていないのも同じこと。
しかしまあ……何とも笑える話だ。
闘争本能に特化し
“闘い”についてだけを思考するよう造られたというのに
この心は満たされぬ事への“嘆き”と“憂い”で
溢れ返っていたのだから……‥‥
―――― 5 ――――
気がつくと、仰向けに寝転がっていた。自分を見下ろす金髪の男の姿が目に入る。
「ヘヘッ……見事だぜぇ……チクショウめ…」
そう悪態をつきながら、尚も笑う。
ファーブニルの全力の拳を躱したゼロは獄門剣同様、その勢いを逆手にとったカウンターパンチを顔面にヒットさせた。とてつもない衝撃に、ファーブニルは意識が飛び、そのまま崩れ落ちたのだった。
咄嗟に感じた悪寒に従っていれば、このような無様な敗北を味わってはいなかっただろう。だがそれでも、あの一瞬に全てを懸けてみたかった。自分の直感を超えて、新たな何かを掴み取ろうとした。――――その結果の敗北ならば悔いはない。
「ほら……トドメでも何でも刺しやがれよ…」
決して諦めではない。倒れこみはしたが、正直の所まだ戦える力は、僅かだがある。
しかし、自分は負けた。それ故に、潔い幕切れを望むのだ。
だがしばらくして、何を思ったのか、紅いイレギュラーは背を向け、歩いてゆく。そしてひっくり返ったままのライドチェイサーを立て直すとそのハンドルを握り、押して歩き始めた。
ファーブニルは上体を起こし、「おい」と呼びかける。すると、彼は足を止めた。
「情けなんざかけられたくねえんだよ…俺は――――…」
「借りを作りたくないんだよ」
ポツリとそう答える。
マゴテスの部隊への攻撃のことか或いは、ソドムを投げ捨て拳での戦いを提案したことか、どちらかは分からないがファーブニルは納得できなかった。
「“借り”なんて………そんなつもりはねえ!!」
「お前さんにそのつもりがなかろうが、こっちは嫌なんだよ」
笑いながらそう答える。それから「それに」と付け加える。
「いずれ、本当の決着をつけようじゃないか。邪魔者抜きで…さ」
「『本当の決着』……」
思わず繰り返す。
「そうさ、ファーブニル。覚えておけよ」
そう指を差されながら、名を呼ばれる。呆然と口を開けた後、「フッ」と微笑む。
「テメエこそな……“ゼロ”。絶対にぶっ潰してやるから覚悟しときやがれぇ」
そう答えると、ただライドチェイサーを押して歩く背中を見つめた。それが小さく、見えなくなってゆくまでずっと、見つめ続けた。
それから、じわじわと込み上げてくる不思議な感覚に、笑いが漏れる。
「ブハッ……ヒャハハハハハハハハハハハハハハ…」
そのまま大笑いしながら再び倒れこんだ。
見上げた空は、変わらず青いままだった。
―――― * * * ――――
「お待ちくださいヴィルヘルム卿!」
公安委員会が派遣した特務警察にその身を抑えこまれ、マクシムスは必死に訴える。
マゴテスの証言を元にマクシムスへの捜査令状が下ると、過去数年分の通信記録等の調査の末、有罪と決定。その身柄拘束に乗り出した。
その訴えに対しヴィルヘルムは冷酷な視線を投げる。
「貴様には失望したぞ……まさか元老院議長でありながらレジスタンス共と繋がっていたとはな」
「なぁ!?」
無論、今回の作戦の立案はマクシムスからであったが、ヴィルヘルムも協力をしていたのは事実だ。だが、その物的証拠はない。
「ヴィルヘルム卿……貴様はぁ……」
だらしない身体ではあるが百キロを超える醜くも大きな体を揺らし、警官たちの腕に抑えられながらヴィルヘルムへと詰め寄ろうとする。
「貴様こそ! 貴様こそ真の謀反人であろう、ヴィルヘルム! ネオ・アルカディアの変革を誰よりも先に説いたのは貴様であったろうがぁ!」
「…くだらぬ言い訳は見苦しいぞ……マクシムス。そのような証拠があるならばこの場に出して見せい……」
「こ……こぉの老いぼれめがぁ!!」
叫びと共に警官たちを振り切り、ヴィルヘルムへと飛び掛かろうとする。だが、その一瞬に轟音が鳴り響く。すると、胸に手を遣るような動作をした後、白目を向いて、マクシムスの身体が虚しく崩れ落ちた。
ヴィルヘルムは懐から取り出した拳銃で、その脂肪に包まれた胸部を撃ちぬいた。
「この肉塊を処理しておけ」
警官たちにそう冷静に指示をする。
「哀れなものよ……快楽に興じた挙句“愛玩用レプリロイドの一体に叛意を持たれ、殺されてしまった”とはな……」
その言葉に警官は頷き、マクシムスの寝室へと向かった。その後、女性型レプリロイドがその警官の手により引き摺り出されたのは言うまでもない。
「……さて…非業の死を遂げたマクシムス卿の為にも…早急に元老院議長の空席を埋めねばな」
ヴィルヘルムはそう言って「フッ」と鼻で嘲笑うと、その場を後にした。
―――― * * * ――――
「チク……ショウ」
アシルに肩を支えられ、マゴテスは身体を引きずるようにして歩く。
闘将の攻撃に、辛うじて生き残った部下たちも半数が死に絶えてしまった。
「こうなったら……白の団だ…」
白の団へと要請し、救援を出してもらおう。そして、紅いイレギュラーが知らせるより早く、奴の反乱を捏造し、言いくるめる。そして再び返り咲こうじゃないか。
いや、それよりもあの組織の本拠地をネオ・アルカディアへと垂れ込むのもいいかもしれない。そうすれば所属している紅いイレギュラーも行き場を失う。
「クッ……クククッ……フハハハ」
――――まだ終わらんよ……私の覇道は……
いずれ天へと駆け上るこの私がこのような場所で朽ち果てる運命にあるわけがないのだから――――……‥
「何だ貴様!?」
突然、耳元でアシルが声を上げる。考えを巡らせていたマゴテスはそちらへと視線をやる。
そこに立っていたのは、不気味な仮面で顔を隠した、漆黒のコートを纏う謎の男。
「名乗れ! でなければ……敵とみなす!」
アシルが片手で指示をすると、後方にいた部下たちがライフルを構える。――――次の瞬間、男の姿が消えた。
「……何がどうなって――――……‥!」
刹那、後方の部下たちは一斉に、まるで死んだように倒れこんだ。
そしてアシルもまた、首筋に何かを当てられて倒れこむ。支えをなくしたマゴテスも一緒に倒れてしまう。
「おい!? なんだ……!? なにがどうした!?」
理解が追いつかない事態に、マゴテスは困惑した声を上げる。すると、背後に先程の男が立っていた。その恐怖に、思わず飛び退く。
「き……貴様がやったのか……?」
「……安心しろ…御主らを斬るつもりは無い…」
表情が分からぬ仮面の下から、冷たい声が聞こえてくる。
「………我が刃を汚す気はないのでな…」
「ヒッ…――――……‥ッ!!」
そのまま手刀を当てられ、マゴテスは他の部下同様に意識を失った。
それから仮面の男は歩を進める。ファーブニルの元へと、無駄のない足取りで。
ファーブニルも男の接近を感じ取り、寝そべったまま視線を向ける。
「………よぉ、どうしたよ…?」
その目的を尋ねるが、ある程度の検討はついていた。
「……“敗北者は赦さず”ってとこだろぉ? ……一思いにやっちまってくれよな…」
そう言って目を瞑る。
再戦を誓い合った直後だというのに――――全く、不運なことだ。しかし、それも仕方がない。どの様な形であれ、思いのままに私闘を行い、そして負けた以上、その報いは受けなければならないのだ。
だが、男は一向に刃を取り出す気配を見せない。じっとファーブニルを見下ろしたまま動かない。
それからしばらくすると、仮面を外してコートに仕舞い込み、手を差し伸べてきた。
普段の彼の印象からは想像つかないその行動に、ファーブニルは呆気にとられてしまう。そして、思わずその手を掴み、引き上げられながら立ち上がる。
そして肩を支えられたまま、歩き始めた。
「……どうして…だ?」
理由がどうしても分からず、問いかける。すると彼は小さく微笑んだ。それは今まで一度も見せたことのない表情だった。
「…………御主は己が背負った宿命のために闘ったまで……。……結果はどうあれ…それを罰する資格を拙者は持ちあわせていないので…な」
ファーブニルにはそれでも意味が分からなかった。しかし、支えてくれているこの体の存在こそは確かだった。それだけで十分なのかもしれないと思った。
「へッ……なんだかよく分からねえけどよ…………」
はにかみながらも口を衝いて出たのはただ一言。
「…………あんがとな」
心からの感謝だった。
やがて風に掻き消されるまで、広大な砂漠に並んだ二人の足跡は、どこまでも続いていった。
NEXT STAGE
証明