―――― * * * ――――
ライドチェイサーのエンジンを切り、ヒラリと降りる。入り口に立っていた二体のパンテオンは、見慣れない彼の姿にバスターを構えるが、DNAデータの照合をすると、警戒を解き、内部の者に連絡をした。すると、一人のレプリロイドが扉を開けて現れ、「どうぞ、中へ」と彼を招き入れた。
そこで行われたのは入念なボディチェック。彼が味方であることは分かっていたが念のため、送られたデータ以外の武装を身に着けていないか調べているようだ。腕につけたコアユニットから、左腕に収納されたビームサーベルまでを確認すると、奥の部屋へと彼を通した。
白の団の基地とも同様、旧世紀の遺産であるこの岩山の奥に作られた基地はところどころ埃掛かっており、古臭さを感じさせる。それもその筈、つい先日までこの拠点は使用すらされていなかったのだから。
基地の最深部。とある一室の扉の前に辿りつくと、付き添って来た者は自身のDNAデータを照合し、モニター越しに、その部屋の主に確認を取る。すると、「入り給え」という声と共に扉のロックが解除され、横にスライドして開いた。付き添いの者はその場に留まり、彼だけを中へと入れる。
後頭部から腰まで伸びた金髪が完全に部屋に入ったことを確認すると、扉は閉められた。
彼は部屋の中を見渡す。
客人を饗す様に置かれた横長のソファー。小さな机の上には彼のために用意されたと思われるグラスが置かれていた。隅には小型のワインセラーが見える。
しかしそれらよりも、まず目についたのは正面の壁を覆う深海の風景。色とりどりの魚類達は、どれもゆらゆらとまるで本物のように泳いでいたが、よく目を凝らせば壁紙型の電子スクリーンであることが分かった。つまりは、そこの光景は虚像であった。
「……綺麗なものだろう?」
こちらに背を向けたままの肘掛け椅子に腰掛けていた、恐らくこの部屋の主と思われる男の声が、彼に問いかけた。
「ネオ・アルカディアに住む人間は本物の海を知らない。……いや、海だけではない。川も、林や森も、野原も、そこに咲き乱れる可憐な花ですら知らない。だからこうして、シュミレーターで再現した自然の風景を愛でる習慣が染み付いた」
海中に差し込む陽の光。揺れる海藻。優雅に泳ぐ魚たち、時折現れる軟体動物。そのどれもがまるで現実に存在する生物のように感じられた。
「しかしそれだけで満足し切れなかった人間は、人工の自然を生み出し街中を彩った。自らの周りに自然を欲し、そして手に入れた。――――だが、それでも海だけは未だに手に入れることができていない」
過去のツケ――――汚染された海水は人類にとって、そしてまた他の生物にとっても有害なものとなったため、遠ざけられた。それを再現するための試みは行われているが、そこに含まれた雄大さと生命の神秘性を完全に再現することは不可能であった。
「だから今でも、こうして空想の産物にしがみついているわけ…か」
彼が返した言葉に、男は「その通りだ」と答える。
「シュミレーターでの再現といえど、所詮は“空想”だ。単なる妄想と異なるのは、そこに理論的、科学的な裏付けと根拠、そして過去のデータが在るというだけだ。だが、ここに見えている色鮮やかな魚類たちのどれもが実在したかどうかは、本質的には決して証明し得ない。だからこれは結局“空想”止まりなのだ。――――しかし、それでも人間はそれを手放すことができない」
肘掛け椅子はくるりと回り、そこに座る男の目が彼を真っ直ぐに捉える。
「君は、それをどう思う?」
突然の問いに彼は一瞬だけ考えたが、殆ど間を置かず答えた。
「愚かだ。――――だが、それを俺たちは笑えない」
男はその答えに、満足気に微笑んだ。
「そうだ。……我々レプリロイドとて空想や妄想、或いは過去の栄光といった類のものに縋ろうとしてしまう事実を否定できない。だからそんな人間達を笑えはしないのだ。――――もし彼らを笑うのならば、私が君をこの場へ招待することは決して赦されないことだろう」
そう言って、椅子から立ち上がり、彼に近づく。そして右腕を差し出し、握手を求めた。
「ようこそ、“伝説の英雄”――――紅いイレギュラー、ゼロ。私がレプリロイド解放議会軍総司令官マゴテスだ」
ゼロは、そう自己紹介をする、痩せ型の体躯に、知的さを感じさせる切れ長の目をした男――――マゴテスを一度見つめると、差し出された手に従い握手に応じた。マゴテスは微笑みと共に「よろしく」と告げ、ソファーに腰掛けるよう促した。
12th STAGE
ウラギリ
―――― 1 ――――
「先日お知らせしたとおり、レプリロイド解放議会軍は塵炎軍団の襲撃を受け、壊滅状態に陥りました」
モニターからエルピスが説明をする。
塵炎軍団を率いる、闘将ファーブニルが直々に動き出したという報は白の団にも届いていた。彼が率いる部隊は、犠牲も厭わず力の限り進撃を行い、ついには解放議会軍の本拠地を陥落させたのだ。
「しかしマゴテス総司令は命からがら少数の部下と共に脱出し、万が一のために用意していた予備拠点へと移り、身を隠していたのです」
しばらく解放議会軍との連絡は途絶していたが、ちょうどゼロがスタグロフの拠点を襲撃する二日程前に通信が回復し、突然の救援要請を受けた。
「ルージュさん、説明を」とエルピスが横にいたルージュに促すと、ルージュは電子ボードを手に説明を始める。
「今日より三日後、ネオ・アルカディアに潜伏し諜報活動を行っていた解放議会軍メンバーから機密情報を携えたメカニロイドが基地へ向け放たれる手筈になっています。しかし、そのメンバーへは当然ながら本拠地壊滅の報は知らされておらず、つまりは、そのメカニロイドは敵が管理している本拠地跡に到着するわけです」
塵炎軍団の真っ只中にそのメカニロイドがただ一機辿り着けば、鹵獲されることは間違いない。そうなれば機密情報を逃すどころか、ネオ・アルカディアに潜入していた諜報員も危機に陥ってしまう。その事態は避けなければならない。
「そこでマゴテス総司令から直々に、白の団に所属しているゼロさんへ協力の申し入れを頂きました」
「つまり、俺にそのメカニロイドを回収しろと?」
ゼロの問いに、エルピスとルージュは頷く。
「勿論、あなた一人で……というわけではありません」とエルピスはゼロが不安に思うであろうことについて、問われるより先に説明をする。
「ゼロさんには一旦解放議会軍の予備拠点へと立ち寄って頂き、彼らが所持する改造パンテオン部隊を率いて、その回収へと向かって頂きたいのです」
解放議会軍は戦力の差を補うため敵のパンテオンを鹵獲し、その脳内データを改竄、改造し、自軍の戦力として扱っていた。
ゼロは複雑な表情を浮かべたが、頭を掻きながら「仕方ないな」と溜息をつく。
「これまで敵として自らの手で処理し続けてきた者たちと、戦場で轡を並べる事に抵抗感はあるのでしょうが理解していただければと思います」
「大丈夫、分かってるさ、団長殿。……これも仕事だ、了解したぜ」
「ありがとうございます。それでは早速、当日の作戦経過について予定をまとめさせてから送信しますので、それまではゆったり待っていてください」
「それでは」と言葉を残し、エルピスは映像通信を終えた。
「元イレギュラーハンター第二部隊隊長にして、現レプリロイド解放議会軍総司令官――――“裏切り”のマゴテス……ですか」
自身のコンピュータ内にある解放議会軍のデータを眺めながら、ペロケは眉をひそめる。
「別に……エルピスさんを非難するつもりはないんですけど………それでも、どうして彼のことをそこまで信用できるのか、私には疑問でならないんですよ」
レプリロイドによる議会の開催と、元老院へのレプリロイドの参加要求という大義を掲げてはいるが、ネオ・アルカディアにおける治安維持の核たるイレギュラーハンターの一部隊の隊長でありながら、その責任と信用を全て捨て去り、部隊ごとレジスタンスとしての活動を開始したその行動は第三者的に見て、確かにあまり好感の持てるものではない。
一度大きな裏切りを経験している以上、同様の行為に走る可能性は大いにありうるのだ。
「あの坊ちゃんも、信用しきってるわけじゃあ無い。もし腹の中から完全に信用してるんなら、基地の所在を今日まで隠し切る必要もないだろ」
ゼロの言葉通り白の団はその本拠地を、たとえ協力関係にある解放議会軍といえど、明かしてはいなかった。いや、それは白の団のみに限らない。ほとんどのレジスタンス組織が、自らの情報をそう容易く開示しないよう心がけている。
場合によっては他のレジスタンス組織がネオ・アルカディアとの“交渉”に用いる可能性もあるからだ。それによって過去に壊滅した組織が実際にいくつかあることを誰もが知っていた。
基地などの詳細情報の開示は、よほど信頼の置ける協力組織に対して、もしくは今の解放議会軍のように、絶体絶命の危機に陥った時に、初めて行われると言って良い。
「まあ……それもそうなんですけどね……」
ペロケは渋々納得しようとするが、それでも不満を隠せないようだった。それはエルピスにというより、マゴテスに対して向けられているのだということがゼロには手に取るように分かった。
「なに、心配すんなよ。万が一、ヤツらが腹に一物抱えていようとも、そう簡単にこの俺様はやられない」
自信あり気に微笑むゼロに、ペロケもようやく、「そうですね」と微笑む。
「それじゃ、作戦の準備もあるし、しばらく俺は休ませてもらうぜ」と、ゼロはその後の通信の対応などをペロケに任せ、彼に背を向け扉を開けた。――――と、その瞬間、「あ!」とペロケがなにか思い出した様に声を上げる。
「待ってください、ゼロさん!」
椅子から小さい体を乗り出し、一歩扉の外に出ていたゼロを引き止める。
「どうした、そんなに慌てて?」
「思い出したんですよ!」
そう言ってから颯爽と振り返りキーボードを叩くペロケに、「おいおい、何をだよ」とゼロは頭を掻きながら渋々出かけた足を引き返した。
「え~…っとですね……少々言い難いのですが…………この前、少し“遊ばせていただいていた”時のことです」
子どもが、自分の仕掛けたいたずらを親に暴露する時のような、どこか恥ずかし気で且つ誇らしそうな表情を浮かべる。「“遊び”ね」とゼロもまた何処か意地悪そうに笑う。
そうしてペロケはモニターに、先日気にかかったある情報を映し出す。ゼロは眉を潜めながら、その記録をじっと眺める。「ここに注目してください」とペロケは指で差し示す。言われるままその箇所を見つめ、ゼロは「ん?」と目を細める。
「……なるほど…こいつは…………」
ゼロは視線をモニターから離し、宙へと移す。そして、しばらく考えた後、ペロケの頭をわしわしと撫でた。
「とんだ“遊び”の副産物だな。……ペロケ、後のこと、頼めるか?」
笑みを浮かべながらも、真剣な眼差しでそう問われ、ペロケは直ぐに「勿論です」と強く頷いた。
―――― 2 ――――
「今になって何故、以前より活動していたベルサルクと私が、君と同時にSランクイレギュラーに認定されたか分かるか?」
そう言いながら、マゴテスはセラーからワインを一本一本手にとって品定めをする。
「体裁を保つためさ。元老院の…な」
ようやく一本を決めるとそれを手にし、予め手にしていたソムリエナイフと共に、テーブルへと持っていく。
「元老院の管轄であるイレギュラーハンターから、私のような謀反人を輩出してしまったことは、元老院にとっての失態だ。ベルサルクについても――――詳しいことは知らされていないが――――その責任は元老院の側にあると言われている」
ソファーに腰掛けると、ボトルのキャップシールをナイフで華麗に切り取る。手馴れた手つきだった。
「目の上のたんこぶを排撃するために、彼らは当然のことながら、国内の優秀な戦力を募るべく、Sランクイレギュラー認定を考慮した。しかし、そこで一つ問題があった」
ボトルの口を塞ぐコルクの丁度真ん中に、スクリューの先端を突き刺す。そして、回しながら奥へと刺し込んでゆく。
「四天王の存在だ。救世主直轄の戦力として生み出された彼らは、救世主からのみならず、国民からも厚い信頼を受け、いつの間にかある程度の権力と地位を獲得していた。それについて、殊に元老院議長団は快く想っていなかった」
そもそもの原因は命令系統の曖昧さにあった。国家の運営において元老院は救世主の次点と言って良い位置にある。そしてまた人間であることから、その言動に大抵のレプリロイドは抗うことができない。しかし、救世主エックスから直々の寵愛を受ける四天王だけは、元老院にとっても追及し難い存在であり、同時に負けられない競争相手でもあった。
「Sランクイレギュラー認定と、それに伴う部隊召集は最終的には国民からの了承を得なければ達成し得ない。しかしその為には自身の失態の詳細と、事後処理に苦戦している事実を克明に明かす必要がある。故に元老院は、彼らと比較されることを恐れ、そこまでの策に踏み切りはしなかった……がそこで、君――――紅いイレギュラーの登場だ」
紅いイレギュラーの活躍は、四天王の失態と言えた。その登場から、度重なるミュートスレプリロイドの損失、果ては大型輸送列車の損失まで、四天王は全て確認できていたにも関わらず、それらの暴挙を許してしまったのだ。
手応えから適度な所でスクリューを止め、片方の手でボトルを抑えて、コルクを引き抜き始める。
「その紅いイレギュラーをSランクイレギュラーに認定し、手駒であるイレギュラーハンターに処分させることが出来れば、四天王よりも優位に立てる。――――が、それをしてしまえば、今度は紅いイレギュラーの強大さを国民に知らしめてしまうことになる。故に、元老院は“目の上のたんこぶ”を活用することにした」
同時に三体のSランクイレギュラーを仕立てることで、それぞれの心理的影響を和らげることにしたのだ。結果、それは成功と言ってよかった。国内における世論では、Sランクレベルのイレギュラー三体の同時出現を八十年前の大反乱以来の国家危機とし、それに立ち向かう元老院と四天王を応援する声が大きくなっていた。
全ては元老院が、自身への非難を避けるためにとった、体裁保持の手段であった。そしてそれをマゴテスが愚かなことだと感じているのは、浮かべた嘲笑から分かった。
綺麗に、垂直に上がったコルクを、最後は手で優しく引き抜く。引き抜いたコルクとナイフを片付けると、マゴテスはボトルを傾けた。
トクトクと囁かな音を立て、二つのグラスに赤ワインが注がれる。そしてその内の一つを向かい側に腰掛けている英雄へと差し出す。
「任務中だ……などと無粋なことは言わんでくれたまえよ。命からがら運びだした貴重な残りを、是非君と酌み交わしたいと思っていたのだ。そしてその為に、作戦予定時刻より早く出向いてもらったのだからね」
そう言ってマゴテスは「この出会いに」とグラスを向ける。ゼロは黙ったまま、それに答えるようにしてグラスを向け、カチンと涼やかな音を鳴らした。
一口含んだところで、ゼロはあることに気づき、思わず口からグラスを離してまじまじと見つめてしまう。その様子に、マゴテスは満足そうに「流石だ」と微笑んだ。
「お察しの通り、これはレプリロイド用の特殊加工品などではない。正真正銘、人間たちが味わっている“本物”だ」
その微笑は、どこか嘲笑のようなものも含んでいた。
「確かにレプリロイドの内部構造への負担は、特殊加工品の方が遥かに低い。だが、我々は決して“本物”を飲むことができないわけではない」
そう言ってマゴテスもまた一口含むと、舌の上で転がすようにして味わい、静かに飲み込んだ。
「それは食品においても同様だ。肉汁の滴るステーキも、瑞々しさが溢れる野菜も、我々は人間と変わらずその味を楽しむ事ができる」
含まれる栄養分の内、エネルギーとして変換可能な物は余すことなく擬似消化器官において吸収される。そしてそれ以外の残滓は消化系ナノマシンによりミクロン単位まで分解された後、空気中に排出される。特殊加工品とは結局のところ、レプリロイドがエネルギー変換可能な栄養素のみに絞り、消化、排出の作業を潤滑に行えるような分解しやすい素材のみで構成された偽りの食品に他ならない。それで事足りてしまうのは、レプリロイドはエネルゲン水晶を利用したエネルギー炉を備えているため、食事によるエネルギー摂取を必要としないからだ。だが、それでも特殊加工品が存在するのは、食品に味覚的な娯楽としての存在価値を見出したからに他ならない。
レプリロイドの身体には、人間と変わらぬ生活を送ることを想定されてか、そう言った仕組みが備えられていた。そしてそれは、食事のみに限定されることではない。
「我々は多くの部分で……いや、我々の姿形、共通する基本的内部構造の八割は人間を模して作られていると言って良い」
眼球型のアイカメラ。聴覚センサーをカバーする耳殻。味覚センサーを備えた舌。音声発生を可能にする人工声帯。頭皮を覆う毛髪。身体中にエネルギーを運搬する擬似体液、それを内包する循環チューブ。人工筋肉。骨格。表皮――――……‥
「果ては、子を腹に宿すこともないというのに、擬似的に備えられた生殖器と、伴う性感帯を利用し、性的快楽を得ることまで我々には可能だ」
「馬鹿らしいことだが」と、マゴテスは鼻で笑う。
「凡そ人間が得られる快楽の類の殆どを我々は経験することが可能であり、同時に苦痛も感じることができる。――――しかし、これは今に始まったことではない」
レプリロイドという存在が誕生した時、既にそうした構造と機能は当然の事のように備えられていた。――――というより、その様にして人間、またはそれ以外の生物を模した形で作られた者こそが“レプリロイド”であった。
「……進化の袋小路に陥った人類は、自分たちをも含めた、地球上のあらゆる生物を模した機械を造ることで、新たな進化を求めた。――――それが俺たち、レプリロイドだ」
ゼロがポツリと呟くように言った言葉に、マゴテスはまたしても満足気に「そうだ」と頷く。
「生物を模して造られた存在。故に我々は“レプリロイド”。――――名前の由来については諸説あるが、とある山中より発見された我々のプロトタイプが、人間に酷似し過ぎていたために、その者自体の呼称として用いられたことが始まりであるという説が最も有力だ」
一息にグラスのワインを飲み干すと、マゴテスは新たに一杯注ぎ入れる。つられるようにしてゼロもまたグラスを空ける。マゴテスはそれを見とめると、ゼロのグラスにも新たに注ぎ入れた。
「生物の“レプリカ”。――――だが、我々は自分自身がそんな小さな器だけに収まる存在でないことを知っている」
グラスを揺らす。表面に照り返す仄かな灯りが水面の動揺と共に形を幾度も歪めてゆく。
尚も深海を再現し続けるシュミレーターの中。一匹の魚が、小魚の群れに口を開けて近づき、そのまま捕食するのをゼロは目の端で捉えた。
「これはわざわざ言葉を凝らす必要もないことだ。分かるだろう?――――人間の“レプリカ”として生まれた我々が、人間を遥かに超越した存在であるという紛れも無い事実は」
人工筋肉、骨格により生み出される力は人間のそれを遥かに上回り、人間にとっての重傷であろうと自己修復機能による回復が可能。痛覚や視覚、聴覚の操作による感覚ポテンシャルの意図的上下動。生存可能圏の許容範囲や耐久年数という名の寿命まで、あらゆる点において、人間を凌駕している。
「感情というプログラムによる個体差はあるにせよ、平均的な合理性、判断力、決断力、知識の運用など、知的活動においても我々レプリロイドの方が人間を上回っている。――――だと言うのに……」
マゴテスは湧き上がる憤りを鎮めるように、一息つく。そしてワインを一口だけ喉に流し込む。
「この世界を見給え……。何故、人間を超えた新たな“種”である我々レプリロイドが、人間に支配されるがままとなっているのだ?」
その声は、目の前にいるゼロへと向けられたが、問い自体は、何処かにいる他の誰かに向けたもののようだった。
ワインを口に含み、味を確かめ、流し込んだ後、ゼロは口を静かに開く。
「それがあんたの“理由”……か」
マゴテスは、今度は自嘲気味に「そうだ」と認めた。
「私は、レプリロイドが人間の下に甘んじている、この状況が許せなくなった。優れた者はその能力に見合う権利を得るべきだ」
「だからこその、レプリロイドによる議会の開催、そして元老院への参加要求……」
ネオ・アルカディアの頂点に君臨する救世主でさえ、その行動原理の中心は“人間”にある。
「だが、それなら何故、白の団と手を組む?」
「人間を淘汰したいわけではないからだ。人間より優れたレプリロイドが、人間未満の権利に収まることが許せないというだけで、私は何も人間全てを否定するつもりはない」
そう言って、マゴテスは柔らかく微笑む。
「君たちの行動原理の中心にいるDr.シエル。確かに彼女もまた人間ではある。だが、彼女はレプリロイドと共に歩むことを理想としているし、何より彼女自身、我々の側に近い存在と言って差支えがない。故に、問題はないのだよ」
『我々の側に近い存在』――――ゼロは、シエルが確かにレプリロイド同様、人間の手により“作り出された人間”であることをセルヴォから聞いていた。
ネオ・アルカディアの研究者たちによって、“未来のリーダー”足りうる存在として優秀な知能を持った人間を生み出すことは建国の頃より計画されていた。そして研究の末、完成された個体は決して多くなく、中でも優秀な頭脳を持って生み出されたシエルは、ネオ・アルカディアにとっても貴重な存在だったのだ。
「……成程ね」
そう言いながらも、ゼロは「だが」と口にする。
「確かにある程度の部分では人間を上回ってると言えるな。けれど、俺たちにだって、できないことはあるぜ?」
「ほう……それは?」
思わぬ反論に、マゴテスは興味深げに身を乗り出す。ゼロは少しだけもったいぶった後、その答えを教える。
「俺たちは、涙を流せない」
そう短く告げられた後、意味がよく理解できなかったのか、マゴテスは呆気に取られた。そしてようやく理解すると、小さく笑った。
「英雄ともあろう君が、そんな瑣末な事を口にするとはね」
「それは本当に『瑣末な事』と言えるか?」
どこか挑戦的なゼロの態度に、マゴテスは少しだけ「むっ」と眉を寄せる。
「確かに我々は涙を流せない。しかし、構造としては誰もがそれを可能としていることを、君も知っているだろう。だが、それでも感情的に流すことがないのは“流せない”のではなく“流さない”――――流す必要がないからだ」
「そういう風に結論づけられているのは俺も知っているさ。けどよ、それでも――――」
「フッ」と不敵に笑って、一旦グラスに口をつける。ワインの芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
「それでも?」
勿体ぶるゼロに苛立ちを感じたのか、マゴテスは答えを急かす。その様子が可笑しかったのか、ゼロはニヤリと笑う。そして、グラスをテーブルの上に置き、マゴテスに顔を近づけ、囁くように答えた。
「それでも、あの救世主は涙を流すぜ?」
ネオ・アルカディアの頂点に君臨している救世主エックス。レプリロイドである筈の彼もまた「涙を流す」。
マゴテスもまたそれを噂としては聞いていたが、「たかが噂」とバカにしている節があった。だが、今彼が聞かされたのは単なる噂ではない。他でもない、その救世主の親友とも呼ばれた一人のレプリロイドがそう言ったのだ。
それを事実と認める以外に道はなかった。
「……“涙”がどれほどのもんなのか、俺にも明確には説明できない」
そう言いつつも、ゼロは言葉を続けた。
「だが、“できないことがある”って事実は見逃しちゃいけない。――――そしてそれが、あの救世主と、俺たちみたいに地べたを這いずり回る連中とを隔てている差であるということも…な」
「……成程、胸に留めておこう。しかし――――」
マゴテスは視線をシュミレーターに遣る。つられるようにして、ゼロもそちらを見る。
「私はいずれ、天を掴むよ。地べたを這いずり回り続けるのは趣味ではないからね」
例え虚像とは言え、鮮やかな色の魚が、そのしなやかな身体で優雅に泳ぐ様がその目にはとても印象深く焼き付いた。
「君との話――――特に“涙”についての論議は、もう少し続けたかったが……残念ながらそろそろ時間だ」
作戦時間が近づいていることをマゴテスが告げる。
「仕方ないな。俺もあんたとはもう少し話したかったぜ」
そう言ってゼロは名残惜しそうに苦笑する。すると、マゴテスはワインボトルを揺らし、微笑む。
「作戦成功後にでもまた語り合おう。――――生憎、ワインはまだ残っている」
「そいつは俺の仕事ぶりでも肴に味わってくれよ――――…っと、悪いが通信機器を借りていいか?」
「どうした?」とマゴテスがその意図を尋ねると、ゼロは少し言葉に迷ったように頬を掻く。そして、照れくさそうに少しはにかみながら答える。
「作戦前の、儀式みたいなもんさ」
―――― * * * ――――
「……して、作戦は順調であるか?」
モニター越しに尋ねるヴィルヘルムに、醜い体を晒したままマクシムスはニタリと嫌らしい笑みを浮かべ自信満々に答える。
「報告によれば、既に八割方完了とのことでございます。あとは時が進めば、クラフトめが上手くやってくれましょう」
マクシムスは膝上に乗せた女性型レプリロイドの身体を片手で弄び、喘がせる。その様に若干の嫌悪感を顕しながら、ヴィルヘルムは冷たい目でマクシムスを見つめる。その眼には睨むような鋭さと凄みがあった。
「貴様の手駒……信用できるのであろうな?」
「勿論でございます。これまでも、奴が私の期待を裏切るようなことは決して無かったですからな」
そう言ってマクシムスはだらしなく垂れ下がった顎の肉を緊張感無く揺らして笑う。そして後ろから抱きついてくるもう一人の女性レプリロイドと口唇を強く重ねる。
どこまでも愚かしい様を恥ずかしげもなく晒すマクシムスをヴィルヘルムは更に凄みを持った眼で睨みつける。そして、殊更低い声で、告げる。
「分かっておろうが、万が一のことがあれば……貴様の身もただでは済まんぞ?」
その脅迫まがいの言葉に、マクシムスは重ねた唇も、弄ぶ指先も、全ての動きを一瞬止めた。
「問題はありませんとも」
そう自信あり気に答えたマクシムスだったが、その声は実際の所、ヴィルヘルムへの恐怖に震えていた。
ヴィルヘルムはそれに対し「フッ」と鼻で笑う。
「期待していよう」
そう言って、通信を終えた。
「くっ……老いぼれめが……」
先ほどのヴィルヘルムの顔を思い出し、冷や汗をかきながら、マクシムスは悪態をつく。
「あの狸といい……とっととくたばってしまえばいいものを……」
そう言って乱暴に二人のレプリロイドの体をまさぐる。すると二人は違わず艶かしい吐息と喘ぎ声を上げ、さらに快楽を求めるように、そのしなやかな肢体をマクシムスの身体に擦り寄せた。
元老院議長第四席――――元老院議長団の中でも高位の立場であり、次期最高議長就任も夢ではない。
今でも十分な暮らしと権力を手にしてはいるが、マクシムスの野望と欲望はそこで満ち足りることはなかった。
元老院最高議長の椅子に座り、さらに欲望と快楽に溺れた暮らしを手にすることこそが彼の目的だった。
「その為にもこの作戦、必ず成功させてもらうぞ……」
そう言いながら、自分の“手駒”のことを思い浮かべ、模造された偽りの乳房に顔を埋めた。
―――― 3 ――――
「承服できません!」
先日、ヴィルヘルムより告げられた作戦内容を、集合した各班長達に説明した直後、クラフトに返された第一声はそれだった。第六班班長シメオンからだった。
クラフトは眉間に手を当て、対応を考える。しばらく悩んだ後、「どうしても…か?」などと少しも捻りのない問い返ししか出来なかった。すると、シメオンは唇を噛み締める。
「……どうしてもです」
「隊長、私も同意見です」
今度は第十三班班長の女性レプリロイド、マイアが特有の冷たい声で言う。
「それは我々の――――特に、命を懸け己の使命を遂げようと、“奴ら”との戦いの中に散っていった同胞たちの“誇り”を汚す……。言うのは憚られますが、これは元老院からの、我々の忠義に対する裏切りに等しい」
彼女の言葉に溢れ返る憤りは、クラフトの胸に湧いたそれと大きく一致していた。それ故に、クラフトは言葉に迷った。
「……だが、これは元老院による決定だ…………」
口を衝いて出たのは、またしても、少しも気の利かない台詞だった。だが、クラフトが言えるのはそれだけだったのだ。
「……これに歯向かう権利は我々にはない。承服できずとも、呑み込め」
「ならば、隊長は納得できるのですか!?」
第八班班長マティアスは班長陣の並びから足を踏み出し、クラフトに詰め寄る。
「あの日、どれだけの仲間が命を散らしたか! 信じていた同胞に裏切られ! 志を汚され! そうして、いつか必ず討ち果たすべしと誓った相手を、ようやく処分できる機会にありついたというのに! 今度は、他の脅威を取り除くために、その裏切り者を許せと!? ……誇りを! 誓いを! 志を捻じ曲げろとそう言われ、隊長は納得できるのですかっ!?」
吠えるように、激情のままに言葉を続けるマティアス。他の班長たちも同じ想いであることは、明らかだった。クラフトは奥歯を「ギリッ」と噛み締め、答える。
「同胞の死は無駄ではない。……この作戦が成功すれば……人類の脅威が二つ取り除かれるのだ…。……そうすれば…命を散らした者たちも浮かばれよう…」
「バカな!!」
マティアスはそう言って、クラフトの襟元を掴み上げ、食い下がる。
「本気で言ってんのかよ、アンタ!? 『救世主の後継者』だなんて騒がれて、あの日の屈辱を忘れちまったのかよ!? ええ!? クラフトぉ!!」
その勢いに、ついに場が乱れる。同じようにクラフトに詰め寄る者、それを抑え込もうとする者、息を殺して必死で堪える者、様々だった。
押し合いの中、クラフトは拳に憤りを込め、擬似血液が滲むほど強く握り締める。同時に噛み締める奥歯は既に削れていた。
「何とか言いやがれ! クラフトぉ!」
何回目かのマティアスの罵言に、騒ぎ立てる十人ほどの班長陣に痺れを切らし、とうとうクラフトは一言、怒号を放った。
「 い い 加 減 に 聞 き 分 け ろ !!」
一瞬にしてその場は鎮まり返る。
それからクラフトは一度だけ溜め息をつくと、班長達に再び並ぶよう手で指示する。マティアスも含め皆引き下がった。そして、クラフトは自身を落ち着かせると静かに口を開く。
「マイア…俺達の使命は何だ?」
そう問われ、マイアは少し逡巡した後、答える。
「ネオ・アルカディアの治安維持、延いてはそれを脅かす脅威の排撃……」
「ハンター養成所の学習プログラムからやり直せ。……シメオン、お前は?」
マイアの回答を遮り、今度はシメオンに問いかける。しかし、シメオンもまた口ごもるばかりで答えられない。
「マティアス、お前はどうだ…?」
マティアスは「え……あ……」と、声を漏らす。答えを考えていたが、少しも分からなかった。
クラフトは他の班長の顔を見回す。しかし、誰も悩むばかりで答えにたどり着ける者はいそうにない。いや、もしその答えが浮かんでいたとしても、それを自信を持って答えられる者はいそうになかった。
「全員、国へ帰って学び直してこい、バカ者共が」
憤りと、怒りと、呆れを含ませ、クラフトは語気を強める。
「……俺たちの使命は、イレギュラーを処分することでも、己の誇りを守ることでも、復讐を果たすことでもない。“人間を守ること”だろう」
その言葉に、皆「はっ」と気付かされる。そしてクラフトは、今度は諭すように優しく言い聞かせる。
「お前たちが感じた、その怒り、憤り、悔しさ、苦悩……全て忘れろとは言わない。だが、自身がイレギュラーハンターである事実も、そして背負った使命も決して忘れるな」
そう言うクラフトの拳に血が滲んでいることに、誰もが気付いた。そして、それ以上は異議を唱えることが出来なかった。自分たちにとっては酷く理不尽なこの作戦に対し、悔しさを堪えているのはクラフトも同様だったのだ。
ふと、マティアスが小さく呟く。
「…………モーリッツが……親友が目の前で“奴ら”に殺されたのを、俺は未だに忘れられません」
親友が殺されたわけではないにせよ、同様の想いは、その場にいる誰もが抱いていた。
するとクラフトは、自分の左胸辺りを右手で握り締めるようにし、簡潔に言う。
「仕舞え。そして進め」
その言葉にマティアスは、力無く「はい」と答えた。
静まる部下の顔を見渡した後、クラフトは指示を与える。
「それではこれより十三時間後、明朝○六○○より作戦を開始する。出撃準備、掛かれ!」
「はっ」と皆、力強く答えその場を後にした。
一人残されたクラフトは叫びたい衝動をぐっとこらえ、自身もまた出撃準備に向かった。
―――― * * * ――――
「作戦前の儀式……か」
シエルとゼロの遣り取りを見て、可笑しそうに笑うマゴテス。恥ずかしさを隠しきれないゼロは苦笑いを浮かべ、おどけて言う。
「まあな……心配性のお子様には、お出かけ前の挨拶はちゃんとしてやらないといかんのよ」
「成程な」
「クックッ」と尚もマゴテスは笑う。
そうこうしていると、オペレーターの一人がパンテオン部隊の準備が整ったことを告げた。作戦予定時刻はもうすぐだ。
「さて、そんなわけで俺は行かせてもらうぜ」
「ああ、すまない。よろしく頼む。私もここから君の活躍を拝見させてもらうよ。――――こいつを片手に…ね」
そう言って、先ほどのワインボトルを揺らして見せる。互いに笑いあう。
「それじゃ、またな」とゼロは扉の前で挨拶をする。マゴテスも「また後で」と声を返す。
閉まる扉、背を向け合う二人。――――互いに微笑みを浮かべていたが、その眼はどちらも笑っていなかった。
―――― 4 ――――
「作戦、開始。健闘を祈ります」
いつもとは違う声に見送られ、ゼロはライドチェイサーのアクセルを絞る。数十機のパンテオンが同様にライドチェイサーを走らせ、彼の後ろに続いていた。
その様子を、大型モニター上のレーダーでマゴテスは確認する。ゼロの位置を示す赤い点が順調に所定のポイントへと走ってゆく様を、ほくそ笑みながら眺めた。
「全て滞り無く済みましたね」
副官のアシルは安堵の表情を浮かべるが、マゴテスは「まだ早い」と諌める。
「作戦は始まったばかりだよ。最後まで油断せずに…な」
しかし、口端を歪めた表情は自らの勝利を確信していることを如実に表わしていた。
「それよりどうだ? 君も一杯。祝杯と言うには早すぎるが、成功を祈願して乾杯といこうじゃないか。ちょうどグラスは二つある」
「頂きましょう」
素直にそのグラスを受け取り、ワインを注いでもらう。実際の所、マゴテスが自分のコレクションを他者に振る舞うなどというのはよっぽどのことがない限りはあり得なかった。つまりは英雄への敬意にも、この作戦の成功に対する感情にも偽りはなかった。
「……涙を流すレプリロイドがいたとして、君はどう思う?」
ふと、マゴテスが問いかける。
「涙……ですか…。――――それは、悲哀を表す感情的な涙のことでしょうか? それとも、アイカメラの洗浄等に関する機能的な涙のことでしょうか?」
「無論、前者だ」
アシルは鼻で笑い、躊躇無く答えた。
「欠陥ですな。レプリロイドとしては」
それを聞いて、マゴテスは「ハハッ」と軽く笑い声を上げる。
「私も同意見だよ。――――全く、馬鹿らしいことだ」
レプリロイドは涙を流さない。――――それは百年前の頃から既に存在している常識の筈だった。そしてそれは「レプリロイドには涙を流す必要がないから」という理由で結論づけられ、揺るぎ無い事実としてほぼ全ての者の頭に認知されていた。
「だが、紅いイレギュラーが言うには、ネオ・アルカディアの救世主は涙を流すらしい」
そう言いながら嘲笑を浮かべる。それは紅いイレギュラーと、救世主の二人に向けられたものだった。
「所詮はイレギュラーの戯言でしょうが……もしそれが事実なら、救世主は恐るるに足らずですな」
アシルもまた、嘲笑を浮かべる。
救世主と仰がれる存在が、無意味且つ、無価値な行動をするような欠陥品であるとは何とも馬鹿げた話である。そのような欠陥品に、レプリロイドのトップとも呼べる四天王も、人間の頂点でもある元老院も頭を垂れているというのだから、更に馬鹿げていると言って良い。
「この世界の頂点が、そのような欠陥品であると言うなら、私に越えられぬ壁ではない」
グラスを翳してそこに映る自身の姿を見つめる。
「その頂を、天に上りて見下してくれよう。――――これはその序曲だ」
オペレーターが、レーダーの反応から目的地到着までのカウントを始める。「十……九……」とカウントが進むに連れ、その場にいた者たちは固唾を飲み、作戦の成功を確信してゆく。そして、レーダー上で補足できているもう一つの集団の存在を確認すると、誰もが口端を歪めた。
「…五……四……」
勝利の時は近い。手にした盃が、祝杯へと変わってゆく。
「派手に踊ってくれ給えよ、紅いイレギュラー」
「二……一……零!」
レーダー上の赤い点が、五十を超える別の反応に接触した。
瞬間、場を包む沈黙。そこに流れる緊張感は、次に聞こえてくるだろう通信の一言まで緩むことはない。誰も、一言も発さず、ただその時を待った。
「…どういうことだ……マゴテス!?」
聞こえてきたその台詞は、マゴテスが予想したあらゆる反応の範疇であった。マゴテスはこの瞬間、高笑いを上げた――――筈だった。
「なん……だと……?」
しかし、聞こえてきた声の主はその台詞に対しては予想外の人物だった。
「『どういうことだ』とは……どういうことだ…クラフト!?」
音声通信を入れてきた第十七精鋭部隊長クラフトに、マゴテスは慌てて問い返す。アシルも含め、その場にいた者たちは戸惑うばかりだった。
クラフトは冷静に辺りを見渡し、静かに状況を教える。
「……ここに紅いイレギュラーはいない。いるのは貴様のパンテオン部隊だけだ」
「 バ カ な !!」
マゴテスは慌てて身を乗り出す。ワインが溢れるのも構わず、レーダーを確認する。しかし、そこにはしっかりとゼロの存在が示されていた。自らのパンテオン部隊と、第十七精鋭部隊により囲まれる、紅いイレギュラーの存在が。
「貴様! この私を謀ろうというのか!?」
「その言葉、そっくり返すぞ。――――紅いイレギュラーの身柄と交換に、貴様のネオ・アルカディアへの復帰許可と一定の報奨を与える協定だった筈。それを違えるとはどういうつもりだ?」
叱咤するクラフトの声に、マゴテスはたじろぐ。そして、オペレーター達に状況を解析するよう必死の形相で指示を出した。オペレーター陣も、訳が分からないまま、状況を整理しようとキーボードを叩き始める。
しかし、モニター上には間違いなく紅いイレギュラーの存在が確認されている。データにも異常は見当たらない。だが、クラフトの様子からその言葉は嘘でないだろうことがわかった。それ故に、マゴテスたちの混乱はただ拡大する一方だった。
「これは……紅いイレギュラーの仕業では…?」
マイアがそう進言する。
戸惑っているのはイレギュラーハンター達も同様だった。そして、おそらくマイアの言うとおり、紅いイレギュラーが何かトリックを用いてマゴテス達を出しぬいたのだろう。となれば、早急に紅いイレギュラーを捜索すべきだ。
しかし、クラフトは人差し指で、マイアに何も言わぬよう促した。そして、マゴテスへの通信を続ける。
「協定を破棄するというつもりならば…マゴテス、ただでは済まんぞ」
「待て! クラフト、待ってくれ!!」
叫ぶように訴える。
「違う! 我々にはそんな意志はない! 考えても見ろ、これ以上貴様らと争った所で、瀕死の我々に勝ち目はないことくらい分かる! それなのにどうして――――…‥」
「信用できんな、貴様の言葉は」
クラフトはその一言で一蹴する。
確かに、マゴテス達の僅かな戦力で、精鋭のハンター達に敵うはずもない。しかし、裏切り者のマゴテスの言葉こそ、そう簡単に信用すべきものではない。――――と言うより、信用する気はなかった。
「これ以上、貴様がその身大事にくだらぬ言い訳を続けるというのならば、俺達はイレギュラーとして処分させてもらうが、どうだ!?」
「待て!! 待ってくれっ!! ――――そうだ!」
尚も訴え続ける。そして激しい混乱の中、マゴテスは自らを守るために最後の切り札を切る事を決意する。それは紛れも無い、“ジョーカー”だった。
「いいことを教えてやる! クラフト! ……我々が謀反を企てたその裏についてだ! 聞きたくないか!?」
そう問われしばしの思考の後、クラフトは「ほう」と興味深げな声を出す。横でその様子を見ていた隊員たちは固唾を飲んで見守っていた。
「聞かせてみろ」
そう言われ、マゴテスは全てを暴露する。
「マクシムスだ……奴が唆したのだ! ネオ・アルカディアを外側から変革する力の中心となるよう、奴が我々を唆し、離反を提案した! その後も奴は外に情報を流し続けた! 我々だけではない! 他にも多くのレジスタンス組織に流し続けている! 奴こそが諸悪の根源であり、元凶だ! ――――我々は奴に踊らされているに過ぎん!」
「なるほど……」と、クラフトは納得したように呟く。
マゴテスはその声に、一瞬安堵した。しかし、いつもの冷静さが保てていれば、このような失敗は冒さなかっただろう。それは早計だった。
「今の証言は記録したな?」
確認するクラフトに「バッチリです」とシメオンが不敵に笑いながら答える。他の隊員たちも笑みを浮かべながら頷く。
その遣り取りに、マゴテスは唖然とする。クラフトは素早く指示を出す。
「オペレーターに通達。先程の通信記録を公安委員会にデータ送信。逆賊の名は元老院議員マクシムス。その身柄拘束を進言。また、ヴィルヘルム卿に直ちに伝えろ、『協定は破棄された』」
そして、全隊員に告げる。
「交渉の決裂により、協定は破棄。これよりレプリロイド解放議会軍の掃討を開始する!」
力強く、右腕を前に出し、突撃の合図を示す。
「Sランクイレギュラー、裏切り者マゴテスを処分せよ! 総員、突撃!! ――――先鋒は第八、十三班! マイア、マティアス、任せたぞ!」
「「了解!」」
クラフトの命令を合図に、十七精鋭部隊の選抜チームは一斉にパンテオン部隊へと襲いかかる。そして、解放議会軍の予備拠点へと向け、駆け出した。
次々にロストしてゆくパンテオンたちの反応に、解放議会軍の混乱はピークに達した。
「クラフト……貴様!! ……キ サ マ は ぁ !!」
混乱と怒りの入り交じった激しい感情を顕に、マゴテスは吠える。
「キサマはどうしていつも私の邪魔をする! キサマさえいなければ! キサマさえ存在しなければ私こそがハンターのトップだった!! 私以上に優秀な者はいなかった! いや、キサマですら私には及ばないというのに! それなのに――――」
普段の冷静さのかけらもなく、マゴテスは取り乱したまま恨みつらみを吐露してゆく。
「何故だ!? なぜ、キサマがそこにいる!? 第十七精鋭部隊長などに、どうしてキサマがなった!? なぜ私がこんなところにいる!? なぜこんなところで敗れねばならん!? ……答えろ!! 答 え ろ ク ラ フ ト ぉ !!」
「それが分からぬから、貴様はそこにいるのだ。マゴテス」
かつての同胞の名を呼び、唯一言でその答えを告げた。
十七部隊の進軍に恐れをなし、部下たちは次々に裏口より退避をしようと一目散に駆けてゆく。懸命に引きずって行こうとするアシルの腕に構わず、マゴテスは「チクショウ、チクショウ」と頭を掻き毟る。そこにかつての智将の姿はなかった。
誰に気付かれること無く、溢れたワインが血のように広がってゆく。マゴテスとアシルの手からいつの間にか投げ出されたグラスと、ワインボトルの残骸がその上に虚しく散らばっていた。
ふと、怪しい影を見つけ、シメオンがクラフトを呼ぶ。
「あれは……」
そこにはライドチェイサーを駆り、高速で去りゆく紅いコートの背中が見えた。
クラフトはそれを僅かに眺めた後、「フッ」と笑ってシメオンに言った。
「我々は何も見ていない。マゴテスの処理に夢中で…な」
シメオンはニヤリと笑って、「はっ」と答えた。
――――この借りはいずれ返すぞ、紅いイレギュラー
クラフトは心のなかでそう誓い、マゴテスの首を討ち取るべく、駆け出した。
―――― 5 ――――
「目には目を、歯には歯を……裏切りには裏切りを…ってな」
ゼロは笑いながらそう呟く。
「いやはや……しかしあそこまでハンターさん達がやってくれるとは思わなかったぜ。おかげでパンテオン共に攻撃指令を出す手間が省けたな、ペロケ」
「私もあそこまでうまくいくとは思いませんでした」
そう言いながら、ペロケも自身の仕事ぶりに満足いったのか、通信機の向こう側で嬉しそうに笑う。
ペロケがネットサーフィンに興じ、政府のデータサーバーなどにハッキングを仕掛けて情報を暇つぶしに閲覧していた所、ある通信回線に対しここ数日――――白の団が解放議会軍からの要請を受ける前日まで――――暗号通信が頻繁に行われていた履歴を発見した。そして、その暗号はイレギュラーハンターが用いるものと同種でありながら、外部からのアクセスであることをペロケは不審に感じていたのだ。
慎重な調査の結果、暗号通信の主が解放議会軍であること、そしてゼロが議会軍の要請を受け出撃する同日に、イレギュラーハンターが何かしら特別な作戦を展開するところまでを解明することができた。そして、今回の企みを予想できたのである。
「まさか元老院のプライベート回線にあんな暗号通信をしているとは……。確かに、プライベート回線の閲覧が御法度中の御法度だと言え、ハッキリ言ってやることが杜撰だと思いますよ」
ペロケはあっさりと指摘してのける。
「流石、稀代のハッカー様。情報戦の雄として名高い解放議会軍を『杜撰』と言ってのけるとは。元情報局御用達の腕は伊達じゃないな」
「おかげで国を追い出されたんですけどね」
嫌味を込めて褒めちぎるゼロに、ペロケはバツが悪そうに苦笑いをする。
しかし、確かに切羽詰まった解放議会軍が杜撰な策を巡らしたとは言え、ハンターが用いる暗号通信からその発信源を突き止めたこと、そして何より、白の団との通信を利用しサイバーエルフによるクラッキングで解放議会軍コンピューターを操作し、レーダーの表示やパンテオン部隊の思考を改竄して且つ、その痕跡をほんの僅かも残さず消し去るその腕は賞賛に値した。
「しかし、シエルさんたちには教えたんですか? 今回の、私たちの作戦……」
少し心配そうに尋ねるペロケに、ゼロは「いや、まだだ」と答える。
「あまり綺麗なやり方じゃないからな。小娘たちには成功するまで話さないでおこうと思ってたのさ」
「ということは……何も知らないで協力した形になっていたのですね……」
ペロケが特製のサイバーエルフを解放議会軍のメインサーバーに潜り込ませたのは、ゼロがシエルと通信を交わしたちょうどその時だった。マゴテスも白の団のお人好しさは理解していたため、その通信を許可し、その為に侵入を許してしまったのだ。
だが、ペロケは少し複雑な気分だった。まるで何も知らない純粋な少女を騙して利用していたことに、少なからず罪悪感を感じてしまう。それが分かったのか、ゼロは「お前が気にするなよ」と声をかける。
「指示したのは俺だぜ? ……それに、ここで俺がくたばっていれば、そんなもんじゃ済まなかったんだからな。お前は大手柄さ」
「はい」と、ペロケはそれでも少し躊躇いながら、答えた。
「さぁて、さっさと帰って祝勝会だな! レルピィ、速度上げてくれ」
「ダーリン……あたし、今回の出番これだけ~?」
ライドチェイサーの先頭部にあるコアユニットから、項垂れたような声でレルピィが不満を漏らす。解放議会軍基地内で軽率な動きをさせないため、ゼロはレルピィにしばらく黙っているように指示していた。
「そう、不満気な声を出すなよ。こんなくたびれる作戦の後で俺を癒やせんのは、お前の運転操作くらいなんだからさ。仲良くツーリングと洒落込もうぜ?」
「もー! 口ばっかりいい調子で! そんな事言われて嬉しくないわけ無いでしょーがー!」
怒っているのか喜んでいるのか、いまいち分からない反応のまま、レルピィはライドチェイサーの速度を上げた。
突然の爆音が空を割る。
「レルピィ!?」
咄嗟にライドチェイサーから飛び降りて、ゼロはその名を叫ぶ。
なんとか直撃は避けたが、乗り捨てられたライドチェイサーは岩にぶつかり損傷してしまう。――――が、幸いにもコアユニットは無事なようだ。
「ゼロさん! どうしましたか!?」
通信を介して聞こえてきた爆音に、慌ててペロケが安否を確認する。
「攻撃を受けたらしい……が…敵は――――……‥っ!?」
「流石だぜぇ……紅いイレギュラー……」
猛々しい笑いと共に、不意打ちの初撃を避けたゼロへ、その男は賛辞を贈る。
「あんな一撃でくたばってちゃぁ、闘い甲斐も無ぇからなぁ」
両腕に持つのは巨大な二本のランチャー。二回りほど大きなショルダーアーマーと、はだけた胸元の作りこまれた肉体が目に留まる。
「お前は……」
ゼロは、突然現れたその男に対し戦闘の構えを取る。その男については白の団のデータベースで既に眼を通していた。
「なあよぉ……紅いイレギュラー。この日が来るのを俺は楽しみにしてたんだぜぇ? ……簡単におっ死んでくれんなよなぁ…」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、炎のように逆立つ髪がその激しい闘争本能を象徴していた。
「俺 様 と 闘 え ぇ ! 紅 い イ レ ギ ュ ラ ぁ あ あ ぁ !」
そう叫ぶと共に、現れた男――――闘将ファーブニルは、脇目もふらずにゼロへと襲いかかった。
NEXT STAGE
闘将