たとえばこの世界に
絶対的な正義とか
恒久的な平和とか
そういうものが存在するとして
それはいったい
どんな形をしているのだろう
輸送列車襲撃から、一月余りが過ぎた――――
9th STAGE
理想郷の詩
―――― 1 ――――
握りしめたハンドガンは冷たく、軽い。指を掛けたトリガーの、なんと小さく安っぽいモノか。
たった一度これを引くだけで、得物の先端に空いた丸い穴から、必殺のエネルギー弾が放たれる。そうすれば、力尽くで抑えつけたこの頭部は、どす黒い疑似体液まみれの屑鉄に姿を変える。
“それ”も自分の仕事なのだと分かっていながら、安易にその道をとることができない。躊躇っているワケではない。まして、悩んでいるワケでもない。
――――…ただ…虚しい…。
同じレプリロイドとして生まれてきたハズなのに、何故こうも殺し合わなければならないのか…。
――――…答えは簡単だ…
「同じ」ではないからだ。この男と、自分とに限らず、このネオ・アルカディアに生きるレプリロイド達は一人として「同じ」ではない。
特に、自分のような「イレギュラーハンター」と、この男のような「イレギュラー」達とでは、その立場から何まで大いに異なる。
――――ならばどうする?
そう自分に問いかける。もう何度その問いかけをしてきただろうか。しかし“見つけたかった答え”は何処にもありはしないのだと、今度もまた割り切ってしまう。
「考えるまでもないな…」
その呟きはおそらく、彼の下で喚きちらしている男には微塵も聞こえていなかっただろう。
「放せ! 放しやがれ!」
「――――残念ながら、オールオーバーだ…」
首を左手でさらに強く抑えつけ、ハンドガンの銃口を、頬が歪むほど強く、無理やり押し当てる。
「吐け。キサマらのお仲間は、他にどこにいる?」
「政府の糞犬がぁ!! 知りゃしねえよ!」
「吐けば、楽にしてやる。――――“イレギュラー処分”は免れるぞ?」
あくまでも冷静に言い放つ。これが彼にできる最大限の譲歩。しかし、男は嘲笑を浮かべ、吐き捨てる。
「地獄に堕ちろ! この××××」
彼は「ふぅ」と諦めたようにため息を付く。
「……連れていけ」
彼の部下が、彼に代わって男を抑えつける。そのまま手錠の電磁ロックをかけ、項にあるインターフェースに何やら手の平サイズの機械を接続し、スイッチを押した。すると一瞬白眼をむいたあと、喚いていた男は気絶した。
その体を、後方で待機していた車両に、数人が担ぎ込み、扉を閉める。護送車は無情な音を立てて走り出した。
彼はその後ろ姿を見送り、再び溜息をつく。
ネオ・アルカディア「ミズガルズ」の外れにある廃工場。そこに立ち並ぶ倉庫の一つに先ほどの男は十名ほどの同士とともに潜伏していた。
ネオ・アルカディアに反抗するレジスタンスチームの一つ――――「黒狼軍」。彼らはネオ・アルカディア内にもはびこり続け、人間の生活を脅かすような、悪質なテロ活動を行っている。
今捕らえた者達は、その下部グループの一つに過ぎない。どのグループも結束が固く、口を割ろうともしないし、「死」よりも「イレギュラー処分」を受け入れ、決して折れることはない。
どれだけ捜そうとも、どれだけ捕まえようとも、その根を絶つのは並大抵の努力では不可能だろう。
彼は今日もまた、多くの虚しさを噛み締め、一人佇んでしまう。
「イレギュラー処分」――――その名はレプリロイドならば誰もが忌み嫌う言葉である。
その場での「処理」でもなく、見せしめの「処刑」でもない。簡単にいえば、道具のリサイクルである。
この世におよそ想像できる、ありとあらゆる苦痛や悲しみ、絶望を、脳ユニットに直接流し込むことで元の精神プログラムを崩壊させ、新たに、簡易的に作り出された精神プログラムを上書きする。
その後、各地の兵器開発工場へ運び、外装を整え、パンテオンとしての生を与え、ネオ・アルカディアの兵隊として前線基地に配備してゆくという流れになっている。つまりは、この国の軍隊は犯罪者の成れの果てにより構成されていると言ってもよい。
彼は頭を掻く。
無論、全てのパンテオンがそうであるワケではない。しかし、前線に配備されたパンテオン達の半数近くが「イレギュラー処分」を受けたレプリロイドであるということも事実だ。
そもそも、人間の数に対し、レプリロイドの数は明らかに飽和している。レプリロイドの国家こそ、未だ存在していないが、その代わりに、大小様々な規模のレジスタンスチームが多数存在しているのは、間違いなくそこに理由がある。
しかし、それでも尚、新たにたくさんのレプリロイドが製造されている。
非効率的かつ大変危険に思えるこの流れに、どのような意味があるのか、無闇に詮索すべきではないのは分かっている。しかし分かってはいるのだが、どうしてもその部分に対する不信感は否めない。
――――この国は……
いったい何を抱えているのだろう?
時々不安になるが、考え出せばキリがない。
しばらくそうした後、彼の足はゆっくりとその場から動いた。そして大きめの体躯である彼のために誂えられた専用のライドチェイサーに跨り、ハンターベースへ向かって走り出した。
ネオ・アルカディア「アースガルズ」を五つに分けた内の一つ、“第二エリア”。その中心都市「ニューオリンピア」に、レプリロイドにより構成された警察機構――――「イレギュラーハンター」の本部がある。
第一部隊はその性質上、アースガルズ内のみならず、城壁を挟んだ外側のミズガルズまで任務に出ることがあり、周辺の交通網が整ったハンター本部を拠点としている。
「隊長! ――――クラフト隊長!」
基地に着き、書類整理を済ますため隊長室へと向かう途中、親しみのある声に名を呼ばれ、「クラフト」は振り返る。そこには信頼を置いている副隊長――――「ディック」の姿があった。
「どうしたディック。そんなに慌てて…」
「聞きましたか!? 今朝の元老院議会の決定!」
「聞いてるワケないだろう」
先ほどまで任務に出ていたということもあるが、そもそも今朝下されたばかりである元老院議会の決定が、そこまで広まっているワケがない。不信感を覚え、クラフトは眉をひそめる。
「まさか……お前…また…」
「ち…違いますよ!“火遊び”からはもう足を洗いました。――――たぶん、一種のプロパガンダですよ。元老院の誰かが情報を外に流したんでしょう。こんな大ニュース……隠しておくには勿体無いですからね」
「……どんなニュースだ?」
「聞いて驚きますよ」
得意げに、ニヤリと笑う。本当にスゴいニュースが舞い込んだらしい。しかし、ディックはそこから先をどう話そうかと考え始める。痺れを切らしたクラフトは「勿体振るな」と発破をかけた。
「ハハハッ。すいません。――――実はですね…」
ディックは隠し事を言うように、クラフトの耳元で、ひそひそと囁く。
「――――“第十七部隊”の召集が、決まったんですよ」
それを聞いた瞬間、驚きに目を見開くクラフトの顔を見て、ディックは「してやったり」という小憎たらしい顔をして見せる。
「……本当か?」
「嘘ならもっと大げさに話しますよ」
いつも冷静沈着であるクラフトの驚く顔が殊更面白いらしく、ディックはニヤニヤと笑いながら、話を続ける。
「俗世に疎い隊長でも、“紅いイレギュラー”は知ってるでしょう?」
「…ああ、勿論だ」
「紅いイレギュラー」――――まだ民衆には知らされていないが、政府機関に属する者なら、その名を知らない者はいない。『真紅のコートに流れる金髪』――――その正体は、封印されていた過去の英雄だと言われているが、定かではない。
しかし、その実力は、噂通りであるならば本物に間違いない。烈空軍団でもトップクラスの実力を持ったパンター・フラクロスを倒しただけでなく、これまで、その男によりネオ・アルカディア側が出した損害は、既にゴーレム数十体とパンテオン数百体に上ると言われている。更には、フラクロス以外にも、既に三体のミュートスレプリロイドが倒されたらしい。
「その紅いイレギュラーと、黒狼軍司令官“エボニー・ベルサルク”、レプリロイド解放議会軍司令官にして元第二部隊長“マゴテス”。その三人を、元老院議会は“特別指定排撃目標”――――“Sランクイレギュラー”と、認定。その排撃任務を実行するための特務部隊として“第十七精鋭部隊”の召集を決定したんです」
「第十七精鋭部隊」――――ネオ・アルカディアに一から二十一まであるイレギュラーハンターの部隊の中で、半永久的に欠番となっている伝説の部隊。
旧世紀、ネオ・アルカディアの救世主エックスがイレギュラーハンター時代に所属していたというその部隊は、国家に危機が訪れた時にのみ召集される決まりになっていた。
今回の召集が本当ならば、実に八十年ぶりの大事である。
「さらに……ですね…」
「まだあるのか…?」
イレギュラーハンターである自分たちにとってこれ以上のニュースが、一体何処にあるというのか。しかし、先程からディックが見せている笑みは、間違いなく何かあるという証だ。気になって仕方がないクラフトは、尚も勿体振る彼に「早く教えろ」と急かす。
すると、ディックは「いいんですか?」と尋ね返してきた。
「『いいんですか』……って…何がだ?」
「そりゃ、隊長にとって“この上なく栄誉ある話”を、『俺なんかの口から聞いてしまっていいのか』…って事ですよ」
ディックは、得意げに人差し指を立てる。
しばらく言葉の意味が分からず、クラフトはただ黙って首を傾げた。そして、その真意を理解した瞬間、驚くことも忘れて、ただディックの顔を見た。
その様子により、ディックは、クラフトが自分の言いたい事を理解したのだと悟り、黙って頷く。それから、先程まで緩んでいた表情を引き締め、背筋を伸ばし、力強く敬礼をする。
「クラフト第一部隊隊長! “第十七精鋭部隊隊長”への就任、誠におめでとうございます!」
その瞬間、クラフトは硬直した。それが事実であると、容易く受け容れることができなかった。
ディックはまるで自分のことのように、嬉しそうに笑いながら、「やりましたね」と肩を叩いてくる。しかし、クラフトはどう答えればいいのか分からず、「ああ」とだけ呟くように返す。
「あれ? 嬉しくないんですか?」
自分が思ったよりも、いまいち反応が薄い事が気になり、ディックはそう尋ねる。だがクラフトは慌てて否定した。
「そんなワケないだろう。………少し…事態が…な」
そう簡単に呑み込めるワケがなかった。
“第十七部隊”ならば、隊員として召集されるだけでも、レプリロイドとしてはこの上ない程の栄誉である。だというのに、クラフトは召集されるばかりか、そのトップとしての地位を与えられた。それは即ち、元老院のみならず、全人類から、最上級の信頼をおくに値するイレギュラーハンターであると認められた証である。
これを易々と引き受けられるのは相当な自信がなければ不可能である。――――それも、自分がネオ・アルカディアの“救世主”と肩を並べられるほどの存在であると自惚れられる程の。
「そんな謙遜しなくとも。“十七部隊”隊長なんて華々しい職が似合うのは、現イレギュラーハンター内ではあなたぐらいしかいませんよ」
「謙遜とかではない。……だが、俺にそれだけの器があるのかは…な」
確かに、『救世主の再来』などと謳われたこともあったが、実際に「十七精鋭部隊」の隊長となる程の活躍をしてきたつもりはない。ただ目前にある任務をこなして来ただけだ。――――己の信ずる平和と正義の為に、身を捧げてきただけなのだ。
不安そうに口を歪めるクラフト。だが、ディックはその不安を軽く笑い飛ばす。
「決まっちまったもんは仕方が無いでしょう。大丈夫ですよ、隊長なら」
呆れながら「無責任なことを」と口にしようとしたクラフトだったが、軽く笑っていながらもディックの眼が本気であることに気づき、口を噤んだ。
それは自身が尊敬する上司であり、信頼する無二の友へと向けた絶対的な確信の眼差しだった。その目に何度、背中を押されてきたことか。これまで第一部隊を率いてこれたのは、やはり彼の存在があってこそだと心の底から思えた。
そんなことを考えているうちに、ディックがなにか思い出したように声を上げる。
「そうそう。そういえば“副隊長”も召集されるらしいですよ!」
「…お前が『副隊長』と言うと――――……“ヒート・ゲンブレム”か!?」
四年前。マゴテスが第二部隊を率いて、離叛した後。就任して間もないクラフトを副官として補佐していたミュートスレプリロイドが、その空席に据えられた。――――それが「ヒート・ゲンブレム」である。
多くのミュートスレプリロイドが、四天王の四軍団や他の前線部隊に召集されたのに対し、彼は国内の治安維持に傾倒し、召集を拒んだ唯一の男。短い間ではあったが、共に第一部隊を率いていた彼もまた、クラフトにとっては掛け替えの無い友の一人である。普段は堅実なクラフトが、冗談を飛ばしあえる相手は、目の前にいるディック以外ならば彼くらいのものだった。
実力的にも、人格的にも信頼できる彼のような者が共に来てくれるのであれば、なんと心強いことだろうか。
「他にもそうそうたる顔ぶれが選抜されていますよ。まさに無敵の部隊です」
「お前はどうなるんだ?」
ふと気になって尋ねると、ディックは得意げに笑いながら答える。
「第一部隊隊長代理の椅子が待っているんでね。そんな危ない場所には出向きませんよ」
彼らしい答えに、クラフトは呆れたような苦笑いを見せるが、同時に少しだけ残念に思った。個人的には彼のような者には側についていて欲しいと思っていたし、殺伐とした前線に留まる任務ならば尚更だ。
そんなクラフトの胸中に気づいたのか、ディックは「そんな湿気た面を見せないでくださいよ」と励ますように言う。
「何度も言うように、隊長ならやれますって。それよりも俺は自分とこの方が心配ですよ」
「お前がそれを言うか」
冗談めかして言うディックに、またも呆れながらクラフトは言葉を返した。
そんなやり取りの中で、無意識に笑みがこぼれた。体から余分な力と緊張感が抜ける。
「マゴテスの糞野郎は勿論、相手がベルサルクだろうと紅いイレギュラーだろうと、隊長なら絶対に任務を果たせるって俺は信じてます」
揺るぎのない眼差しでディックが言う。クラフトは「やってやるさ」とそれに答える。
「ディック副隊長こそ、我が栄光の第一部隊を任せたぞ」
「喜んで。クラフト隊長」
そう言葉を交わし、固い握手をする。そこには上司と部下としての信頼と共に、友としての絆が確かに表れていた。
「やはり良い友を持った」と、クラフトは心の底から思った。
――――第十七精鋭部隊…か……
クラフトは伝説の名を心の中で反芻する。イレギュラーハンターとして、これ程までに名誉なことはない。その名を背負うことの意味に精神的な重圧を感じないとは言えないが、友がこうして信じてくれるように、自分も自分の力を信じてみようと思った。
ふと今朝の事件を思い出す。
これから十七部隊として活動するにあたって、今まで以上の強敵と出会うことになるのは間違いない。
そしてまた、この奇妙な戦争の渦の中心へと、更に近づいていくことになるのも確かだ。そうなれば、今朝覚えたような引っ掛かりには何度となく出会すことになるだろう。
――――だが、しかし……
クラフトは「それをいちいち悩んでいる場合ではない」と、割り切ることにした。
今この国が抱えているものを全て知っているわけではない。しかし、そこに果たすべき任務があること。平和を脅かす、倒すべき敵がいること。守るべきものがあること。――――それらは、紛れもない事実なのだ。
そう自分で納得し、クラフトはまた、ディックに微笑んだ。
―――― 2 ――――
「ネージュ! ネージュはいるか!」
オリンポスプレス社のオフィスで、太った男が顔を真っ赤にしながら声を張り上げる。まるで沸いたポットのように、頭から「シュッシュッ」と白い湯気が立ちそうな勢いである。
「はあ…」とため息をつき、「ネージュ」と呼ばれた女性は面倒臭そうに席を立つ。――――分かってる。どうせいつもの事だ。
毎度の事ではあるがその不穏な状況に、皆、一時的に手を休め、叫ぶ男の机に向かって真っすぐ歩いて行く彼女の背中に見入る。
「何の用でしょうか? デスク」
あくまで強気な態度を取る彼女を、デスクと呼ばれた男はさらに怒鳴りつける。
「『何の用でしょうか』じゃあない! なんだこの原稿はぁ!?」
「『なんだ?』と言うと?」
「とぼけるんじゃない! キサマ、分かっててやっとるんだろう!」
「バアン」と大きな音と共に、机に一枚の原稿を叩きつける。
「いいか!? 前にも忠告したはずだ!」
「はあ」
ネージュの締まりの無い返事に、男は更に怒りのボルテージを上げて怒鳴った。
「イレギュラーハンターを褒め称えるのは一向に構わん! それも第一部隊長クラフトのことなら尚更だ! 彼を『ネオ・アルカディアの新たな救世主』と称するキサマの記事は、オレも感謝したいくらい、大衆ウケする!! ―――しかしなあ!」
原稿を指差しながら、その大きな口から唾を飛ばしまくる。
「問題はその後ろ! 『彼らイレギュラーハンターだけでなく、多くのレプリロイドの社会的な活躍を考慮し、全てのレプリロイドに、人間同様の権利を与えるべき』というコイツはいかん!! 前にも言っただろう! うちで政府批判ととられそうな記事は御法度なんだよ! お前の首だけじゃない!! オレの首も懸かってんだよ!! こういう記事が書きたいなら、“モンサンポスト紙”にでも行ってくれ!! うちではぜぇったいにやるなぁ!!」
殊更大きく叫ぶと、誰もがその声に肩を竦ませる。しかし、当のネージュはそれを屁とも思っていないらしく、それどころか逆に、怒りが溢れるままに机を叩き、男を睨みつけ、噛みつくような勢いで抗議する。
「お言葉ですがデスク! 私の記事を、あること無いこと好き放題にまくし立てる、あの三流紙如きと一緒にしないでください!! 私は事実を言ってるまでです! 嘘なんかついてません! デスクだって知ってるでしょう!? 人間が平和と幸福を享受している裏で、私たちを支えてくれているのは他でもないレプリロイドなんだ、ってことくらい! でも、その事実から人々は目を逸らし続けている! だからこそ! 私たちジャーナリストが、この国中に真実を知らしめるべきなんです!! ――――違いますか!!」
「 キ! サ! マ! の! 言! う! こ! と! が! た! だ! し! い! と! し! て! も!!! 」
額がぶつかり合う程に、顔を近づける。互いに怯むこと無く、険しい表情で睨み合い、吠えるように怒鳴りあう。
「駄目なもんは駄目なの! 偉い人が許してくれないの!」
「それでもなんとかしなさいよ! 部長でしょ!」
「部長でもサラリーマンなんだよ! 給料貰って生活してんだよ! 上の機嫌とるのも大事なんだよ!!」
「こんの強欲大王! やっとこさ登りつめた地位から降りたくないだけじゃない!」
「ああ、そうさ! キサマの言うとおりだ! 汗水垂らしてやっと漕ぎ着いた編集デスクの地位だ! キサマ如き小娘のせいでみすみす失ってたまるものか!! だいたいオレにはキサマと違って家庭があるし! 二人も子供がいる! オレだってもうじき四十半ば! 今更職を失うワケにはいかんの!!」
保身を訴えるような“デスク”の言葉に、ネージュは更に怒りを大きくして吠える。
「何よそんなの! 本当に自分勝手! 安心してよ! 最低限の生活保証なら国がやってくれるわ! 人間“様”だものね!」
「なっ! ……他人事だと思って勝手言いやがって! 最低限ってどんなか分かっとんのか!?」
「飯食って寝れれば十分でしょう!」
「キサマがやってみろ! 小娘ぇ!」
「やりましたよ! このケチ!」
「クソアマぁ!」
最終的には、子供のような、ただの罵声の浴びせあいとなってしまう。いつもどおりの展開に、それを眺めている社員たちは呆れて「どうしたものか」と収集のつけ方を考える。そんな中、罵声が飛び交うオフィスの扉を開け、一人の小柄な男が「ヒョイッ」と入ってきた。
「ネージュさーん」
ネージュは自分を呼ぶ男の声に気づかないまま、デスクと言い争っている。
「デスクー」
次に男は“デスク”を呼ぶが、やはりこちらも気づいていない様子である。
「毎度のことだ」と諦め、男はそのまま用件を話し始める。
「先ほど、仕入れた話なんすけど。元老院がイレギュラーハンター第十七部隊の召集を決定したらしいっす。んで、その隊長にクラフト第一部隊長が――――」
「出るわよ! フランツ」
“クラフト”の名が出た途端、ネージュは彼の名を呼び、振り返る。“デスク”はそんなネージュに尚も食い下がる。
「待て! ネージュ! オレの話を最後まで聞けぇ!!」
「デスクの説教を聞いてて、他紙に先をこされたら本末転倒ですよ」
先程までの言い争いから一転、冷静な態度で尤もな意見を返され、“デスク”は苦虫を噛み潰したような顔で言葉をつまらせる。
「そういうことで、取材行ってきます! ――――行くわよ」
フランツを引き連れ、ネージュが部屋を出ようとする。
「帰ってきたら覚えてろ!! ――――それとなぁ、ネージュ! ニューオリンピアと言えど、何時、何処でテロに巻き込まれるか分からん! 護衛のレプリロイドも連れてけよ!!」
“デスク”は彼女の背中に向かって声をかけるが、それを最後まで聞かないまま、ネージュは行ってしまった。
オフィスに平和が戻り、皆、自分の仕事に向き直る。“デスク”はため息と共に、椅子に深く腰掛ける。
「…ったく。なんでああなっちまったんだろうなあ」
愚痴をこぼす彼の机の引出しには、今でも“あの日”の記事が大事に仕舞われていた。
ネオ・アルカディアの居住区画は「ミズガルズ」と「アースガルズ」に分けられている。
税が払えない貧困層が暮らしているのが、「ミズガルズ」。円形のアースガルズを、巨大な城壁を挟んだ外側から囲むように構成している。
貧困層と言っても、国から十分な生活保護は受けているし、レプリロイドの家事手伝いくらいは、ほとんどの家が所有している。また、身分証明さえしっかりできるならば、アースガルズに入ることも許されており、裕福な生活こそできないが、多くの者は、生活において特に苦を感じることはない。
税が払え、経済的に標準以上のレベル、またはそれ以上の人々が生活しているのが「アースガルズ」。首都「メガロポリス」を中心とした「第一エリア」。その周りを反時計回りに、「第二」から「第五エリア」が四分している。
平穏で通っているアースガルズ第二エリア内でも、主都ニューオリンピアは特に治安の良い都市で有名だ。というのも、ちょうどこの街にはイレギュラーハンター本部があり、最強と謳われている、あのクラフト隊長率いる第一部隊の膝下でもあるからだ。
そのイレギュラーハンター本部へ向かう車の中。護衛についたレプリロイドが運転している後ろで、ネージュは尚も煮え切らない想いを抱えていた。
「実際ヤバいっすよ……ネージュさん…」
「何が? どうヤバいの?」
忠告をしようと口を開くフランツに、ネージュは冷たい声で返す。その重い空気は、怒鳴りつけられる方がマシに思えるほどだった。
「編集部で、ネージュさんのこと厄介者扱いしてる人もいるらしいんすよ。あんまり過激なこと書いてたら、本当に首切られちゃいますよ」
フランツは、そう言って自分の首を切るような仕草をしてみせる。しかし、ネージュはそれを鼻で笑う。
「あなたまで過激とか言うのね」
「別に、俺がそう思ってるワケじゃないっすよ! ただ…そういう風に言うヤツもいるって話です」
身を案じてくれている同僚に対しても尖った態度を見せる辺り、ネージュの機嫌はすこぶる悪いようだ。
「あのね。私が言ってることはやけくその嘘でも子供の夢でも、ましてくだらない妄想でも無いの。分かるでしょう? ――――事実よ! 現実よ! 真実なのよ! ……それなのに、どうして私が怒られなきゃいけないの? 別に私はテロリストを肯定してるワケじゃない! あいつらのせいで死んだ人だっている! あいつらは弁護する価値もないクソ野郎共よ!! ……けど! 社会の役に立っているレプリロイドだっているのよ! イレギュラーハンターだけじゃない! それこそ大勢!」
最後に「間違ってる」と小さく呟き、ネージュは一人頷く。
「そりゃ…ニューオリンピアの住民なら分かってると思いますよ。でも……ねえ…」
国家体制、とりわけ元老院に背くようなことをすれば、どうなるか分かったモノではない。それが例え人間であろうともだ。
不意に車道脇の歩行者を見る。護衛や荷物持ちのレプリロイドを傍に連れ、人々は皆、笑顔を浮かべている。しかし、レプリロイドの中にも、穏やかな表情が窺える。アースガルズでも、特に平和なこの都市ならではの光景だ。
何もせず、黙って法や政府に従っていれば、人間なら誰でも十分な生活を送れる。それなのに何故、彼女はこんなにも危ない橋を渡ろうとするのか。フランツにはそれがいつも不思議だった。
「“テレビ”って言って分かる?」
突然、ネージュが尋ねる。
「はあ……。確か、旧世紀に流行った、映像を使用した情報媒体っすよね」
「“インターネット”は?」
「知って…ます。一部政府機関では、今も使用しているとか…」
「おかしいと思わない?」
「はっ?」
先程までの怒りを抑え、代わりに、何時になく真剣な表情でネージュはフランツを見つめる。
「民間に出回ってる情報媒体は、“新聞”“雑誌”“ラジオ”のみ」
「それが……何か?」
「どうしてもっと有効なツールを普及させようとしないのか。あなたは気にならない?」
特に生活が不自由なワケではないため、フランツには彼女の言っていることが理解できなかった。
しかし、よく良く考えてみれば、確かにおかしな話かもしれない。
旧世紀では世界中の人間がインターネットと呼ばれるメディアで繋がっていたという話は何度か聞いたことがある。仕事や娯楽など様々な情報を発信し、互いに共有することが可能な、非常に便利なメディアである。
しかし、それ程便利な物ならば尚の事、何故それらを民間から取り上げたのだろう?
「フン」と鼻を鳴らし、ネージュは語気を強めて自身の考えを主張する。
「私は政府のヤツらなんか信用してないわ。これには、絶対裏がある」
「……言い切りますね…」
ネージュの政府嫌いには理由があるのだが、それを知っていたフランツは、それ以上、政府の話題を続けたくなかった。
しかし、話題を変えようと模索した挙句、辿り着いたのは結局、これまた身近の面倒事についてだった。それ以外にはどうしても見つからず、今の話題よりはマシだと諦めて渋々話を始める。
「それにしても、もうちょっとデスクのことを考えてあげた方がいいんじゃないすか?」
ようやく抑えた怒りを蒸し返されるようなその言葉に、ネージュは再び不満気な顔をする。だが、なんとか冷静になろうと、怒りを最小限に抑えた。
「何度も言ってるけど、私は真実を伝えたいだけなの。別に迷惑かけたいワケじゃないわ。ただ、正しいことをしたいだけなの」
「正しいこと……とは言っても…ねえ」
周囲により認められない“正しいこと”を貫き続けるのは、それ程容易いことではないはずだ。しかし、それでもネージュは“それ”を貫こうとするのだろう。――――そう思うと、フランツは返す言葉がなくなる。
そこで急にネージュが黙ったかと思うと、今度は少しだけ寂しげなトーンで呟く。
「それに、変わったのはデスクの方よ」
先程までの怒り散らしていた彼女とは違う雰囲気に、フランツは安心するとともに、真剣に話を聞くべく耳を傾ける。
「知ってるでしょ? 私の入社した時の話」
「もちろんすよ」
ネージュの入社時の話といえば、社内では有名な逸話だ。
「若干十七歳のあなたが、当時、平記者だった“デスク”――――コリニー部長に弟子入りを志願したっていう、あの話でしょう?」
取材に出掛けようと、オフィスビルから外に出たコリニーに、彼女はいきなり弟子入りを懇願した。
「あの人が書いてた記事は、私にとって衝撃だったわ。ろくな学校も行けず、独学で知識を詰め込んだ私でも、あの人の記事を通して、“現実の出来事”を感じ取ることができた…」
当時を懐かしむように、ネージュは語る。
元々、ジャーナリズムに興味があったのは確かだが、彼の記事に刺激され、その時は居ても立ってもいられなくなった。
「独自に取材した原稿を突きつけて、自分を弟子にするよう、何度もお願いしたんすよね。――――それで、その原稿を見たデスクはあなたの才能を見抜き、傍に置くようになった」
コリニーはネージュの才能に惚れ込み、自分の技術を叩きこんだ。そしてまた、彼女を娘のように可愛がった。――――だからこそ、彼はネージュを手放したくないのだ。
「そして、“あの日”――――」
五年前。ネオ・アルカディア転覆を企むテログループが、八十年前の「大反乱」を模倣し、アースガルズ第三エリアで無差別テロを画策していた。
しかし、ある一人のイレギュラーハンターが、そのテロ計画を未然に食い止めることに成功した。――――そのレプリロイドこそ、現第一部隊長であるクラフトである。
ちょうど同日行われていた第一部隊隊長任命式という晴れ舞台を放り出しての大手柄に、ネオ・アルカディア中が湧き立った。
「各新聞社がこぞって、その一大事件をベテラン記者に取材させる中、当時のデスクにコリニーさんは、あなたに取材させるのを許すよう、頭を下げた」
当時二十歳になったばかりのネージュに、コリニーはその記事を書かせたのだ。
「クラフト隊長を『ネオ・アルカディアの新たな救世主』として取り上げた、その記事が大当たり。事件の全容だけでなく、クラフト隊長への真摯なインタビューが掲載されたその記事からは、まるで実際の息づかいが聞こえてくるかのよう。その記事のおかげで、今日のクラフト隊長人気が形成されたと言っても過言ではない。――――社内の売上部数記録も更新しましたしね」
それからしばらくして、コリニーは現在の地位に。ネージュはオリンポスプレスの看板記者として有名になった。
二歳も年上のフランツがネージュの下で働かされているのは、小動物系のフランツの外見や、彼の方が入社時期が遅かったからというだけではないのだ。
「それが今じゃ、原稿書くたびに喧嘩ばかり。……どうなんすか? その辺」
「当然、感謝はしてるわ。私がこうしてここにいられるのはあの人のおかげだもの。けど――――」
編集デスクになってからというもの、彼の働き方は変わってしまったように見える。
「――――私は平記者だったコリニーさんを尊敬してるの。自分の立場を気にするような臆病者じゃない。真のジャーナリストを尊敬してるのよ」
なんの隠し事もない正しい現実を、己の想いや祈りを込めつつ、嘘偽りなく、大衆に届ける。――――そんなジャーナリストになりたいと思った。
「だから、“今”のあの人には……」
少し口を噤んでから、窓の外を見る。そして、ため息混じりに呟いた。
「――――失望してるの」
その言葉に、フランツはまたも返す言葉を見つけられなかった。
ハンター本部に到着し、車を降りる。運転していたレプリロイドも、二人の護衛をするべく先頭を切って歩き出す。
「ほら、見てよ」
ネージュはそう言うと、自分たちの前に立って歩く背中を目で示す。
「やっぱり、私たちはレプリロイドに守られてる」
その言葉に、フランツはただ黙って頷いた。
―――― * * * ――――
長い廊下を一人の男が歩いている。
通常よりも二回りほど大きな赤いショルダーアーマーを装着しており、腕部、脚部のアーマーも赤々と塗られている。髪は、まるで炎のように逆立ち、上着は、その作り込まれた肉体を見せびらかすかのように、前が開けている。
目的の場所に辿り着くと、そこで立ち止まり、その屈強な太い腕で扉を開く。
入った部屋は驚くほどに暗く、窓から漏れる光くらいしか、照らすものはなかった。中央にはドーナツ形の、数十人は席につけそうな程、とても大きなテーブルが設置されている。しかし、席はたったの四つで、その内二つは、既に埋まっていた。
「遅いぞ」
先に、席に着いていた一人が彼を叱る。
「ヘヘッ。ワリイワリイ」
そう謝る気のないような謝罪の声に、少し「ムッ」としながらまたも注意する。
「しかも、何だその格好は。必ず礼服を着てくるように言ったハズだ」
そう厳しく言い放つ、緑の髪をした少年は、白い礼服をまとっていた。
「しゃあねえだろぉ。このクソ忙しい中、前線から超特急で来たんだぜぇ」
慌てて詫びの言葉を入れる彼に、別のもう一人が「残念でした」と嘲笑うように言う。
「あんたなんかより数倍遠くにいた私でも、きっちり時間通りに来れたのよ、ファブ。当然、ウザったい礼服も着てきたしね」
その青くて長い綺麗な髪をした女性は「ふふっ」と笑って自分の髪を撫でる。
「ちっ。黙ってろクソアマ」
「ファブ」と呼ばれた彼は、ぶつくさ文句を垂れながら、乱暴に席に着く。
「あと一人。遅いわね……」
「もうそこにいる」
少年に言われ、女性が横を向くと、男が陰からひっそりと現れ、静かに席に着いた。
その男の容姿を見て、少年は「お前もか」と呆れて溜息をつく。現れた男は、地に着くほど長い、黒のコートを着ていた。漆黒の髪が左目を隠している。
「……まあ…いい」
「おいおい! そりゃあねえだろぉ!」
現れた男を自分同様に叱らなかったことについて、「ファブ」が激しく抗議する。
「この陰険野郎に対する態度と、俺様への態度がどうしてそんなに違うんだぁ!? ええ、おい!?」
「口を慎め。“ファーブニル”。キサマがその態度を改めるなら、俺も改めてやる」
少年はファブ――――「ファーブニル」を鋭く睨みつける。
「上等じゃねえかクソガキ! 表出やがれぇ! カタつけてやらぁ!!」
乱暴に椅子から立ち上がり、怒鳴るファーブニルを、女性が止める。
「よしなさいよ、ファブ。ハルも喧嘩売らないで」
「“レヴィ”! テメェは黙ってろ! これは俺様と、そこの童顔野郎の問題だぜぇ!」
「“レヴィアタン”。俺は喧嘩を売ってなどいない。そこの戦闘バカに思うままを言っただけだ」
なかなか冷静にならない二人の態度に、「レヴィ」――――「レヴィアタン」は頭を抱え、呆れたようにため息をつく。
「私も“ファントム”も、あんたたちの喧嘩を見にきたワケじゃないの。――――ねえ、ハル。普段は映像通信だけで済ますところを、大事な話があるから、わざわざ集まったんでしょう? ……ファブも。ハルなんかよりもっと楽しい相手がいるって話、聞きたくない?」
レヴィアタンの冷静な言葉に、ファーブニルは舌打ちをしながらも渋々引き下がる。それを見て「ハル」は「フン」と鼻で笑う。
「さぁさ、始めてよ。ハル」
「……その前に一つ、レヴィアタン。あと、ファーブニルも」
何処か恥ずかしそうに、「ハル」は言う。
「いつも、言ってるが……いい加減、“ハル”などと馴れ馴れしく呼ぶのはやめろ…」
「ハル」の言葉に、レヴィアタンはキョトンとした顔で答える。
「なんで? 言いやすいし、可愛いし、いいじゃない。“ハルピュイア”なんてコードネーム、そもそも言いにくいわよ」
「なんならテメェもいいんだぜ? ――――『ファブお兄ちゃん』とか『レヴィお姉ちゃん』とか呼んでくれたってよ」
そう言って「ガハハ」とファーブニルが豪快に笑う。「ハル」――――「ハルピュイア」は「分かった。もういい」と諦めたように言った。
「……おふざけもここまでにして、そろそろ本題に入る」
ハルピュイアがそう言うと、皆の顔が引き締まる。
ただ一人――――「ファントム」だけは、相変わらず何を考えているか分からないような仏頂面で、一人黙り込んだままだった。
「これより、“四天王”緊急会議を始める」
ハルピュイアの声が、部屋中に凜と響いた。
―――― 3 ――――
いつの世も「闘い」を望む者は尽きない。
命を賭けた「闘い」というものは、人々の心を異様に興奮させ、日々のフラストレーションを一気に解放する特効薬と成り得る。もちろん、「己は観戦者に徹する」――――つまり、「自分の身は安全である」という前提が必須条件ではあるが。
ネオ・アルカディア首都「メガロポリス」に構えられた国立コロシアム。そこにはいつでも熱気が溢れ、絶えることがない。
「ご覧ください! ここに並ぶは世界を破滅に導かんとするイレギュラー共、その軍団ッ!」
マイクを握りしめ叫ぶ、司会と思われるその男が示したのは、軍団と言うには程遠い、二十体ばかりのレプリロイド。皆、怯えた顔をしながら、ライフルやランチャーを携えている。
観客から湧き上がるブーイングの嵐。投げ入れられる暴言とゴミが散乱する。それに対し、司会の男は慌てて注意の言葉を添える。
「皆様、ゴミは投げないでください! マナーを守ってください!! ……さてさて、この野蛮なイレギュラー共を倒すため、我ら人類の前に現れるは! お待たせしましたっ! 正義の英雄――――」
司会の男が一旦そこで言葉を途切り、大きく息を吸い、その名を力いっぱい叫ぶ。
「アンカトゥス兄弟が次男ッ! クワガスト・アンカトゥス!!」
ブーイングが一気に歓声へと変わる。響く残響をかき消すように、熱気は高まってゆき、場内が揺れる。盛り上がりは最高潮と言っていい。
突如、青い閃光が、フィールドに飛び出す。風を巻き起こしながら、客席を守る透明なシールドすれすれを飛んでみせる。
観客の中には、立ち上がり、拳を掲げる者もいれば、叫ぶ者、口笛を吹く者など――――とにかく皆、誰もがミュートスレプリロイド「クワガスト・アンカトゥス」の登場に興奮を隠せずにいる。
クワガストはフィールド中央に浮遊し、目下に集う“イレギュラーの軍勢”を見つめる。
どの瞳にも、恐怖と諦めの色しか見えないことを確認すると、クワガストは軽く舌打ちをした。
「さあさあ、勝つのは果たして悪のイレギュラー軍団なのか!? いやいや我らが英雄なのか!? 最後まで目を逸らすことのないように! それでは! 始まり始まりぃ!!」
煽るように“闘い”の始まりを告げる、男の昂ぶる声を合図に、大きな銅鑼が鳴らされる。
その瞬間、クワガストは自慢の高速機動で一直線に空を突き進む。頭部に装備された大型のハサミが、鋭く光る。
「よ…避けろ…! ……に…逃げろぉおぉ!」
内の一人が大声で叫ぶと“イレギュラー”たちはその場から離れるべく一目散に駆け出した。クワガストはそれを容赦ないまでの速度で追ってゆく。
瞬く間に、一人、また一人と自慢のハサミで斬り砕き、そこら中に疑似血液を撒き散らす。その惨状を目の当たりにし、観客たちは更に興奮を高め、場内の熱気がさらに高まってゆく。
覚悟を決めた数名が、まともな言葉にならない叫びをあげながら、手にした武器を撃ち始める。しかし、「怯えた気をまとった攻撃など、恐るるに足らず」とでも言うように、クワガストは華麗にかわしながら、その弾幕の中へ飛び込んで行く。
“イレギュラー”たちの血が噴き出て、辺りに飛び散る。幾人かの無惨な残骸がフィールド上に虚しく散らばる。
クワガストは自身に振りかかる返り血すらも気にすること無く、この圧倒的な“鬼ごっこ”を只管に続ける。しかし、高まってゆく観客の熱気とは裏腹に、彼の胸中はひどく複雑な憂いを帯びていた。
そんな中、狩りも終盤に差し掛かる。獲物は残り僅か三人。
「た…頼む! お願いだから……お願いだから…やめてくれぇ!!!!」
同朋の死を間近で目にし、三人固まって、尻餅をついている。クワガストは静かに着地し、彼らの下へゆっくりと歩を進め、近づく。
そして“青い死神”は、救いを求める哀れな“イレギュラー”たちを冷たいまなざしで見下した。
「コ・ロ・セ!コ・ロ・セ!――――……‥‥」
観客の、無慈悲で残酷な言葉が頭上から、途切れること無く降り注ぐ。
「お願い…です……クワガスト様ぁ……」
恐怖に満ちた情けない顔と声で、懇願する。
「同じ…‥‥…同じ…レプリロイドじゃ…ないですかぁ…」
その瞬間、クワガストの瞳が鋭く光る。その威圧感に恐怖心を更に煽られたのか、“イレギュラー”たちは息を詰まらせ、黙りこむ。
しかしクワガストは、彼らの首を一瞬ではねるかと思いきや、ただ一言問いただした。
「何と言った?」
その問いの意味が分からず、首を傾げる一同に、クワガストは「今、何と言った」ともう一度問い直した。その異様な雰囲気に、“イレギュラー”の一人は一縷の望みを信じ、震える声で答えた。
「『同じ…レプリロイド…じゃないですか』……と……」
視線が交錯する。それから訪れる数秒の沈黙。なにやら尋常ではない光景に、観客たちもまた、声をピタリと潜めた。場内全体が異様な空気に包まれる。
そして次の瞬間、クワガストの怒号がその空気を一気に切り裂いた。
「た わ け が ぁ !!」
その言葉の直後、三人分の悲鳴と、体の砕ける音と共に、クワガストのハサミは一瞬にして血にまみれた。途端に、場内は一際大きい歓声により埋め尽くされた。
仕事を終えたクワガストは、一度だけ腕を振り上げ、勝利の雄叫びをあげる。その瞬間、クワガストを称える司会者の声すら掻き消すほど、またも場内の歓声が大きくなる。そして、そんな大地を揺るがすほどの歓声の中、クワガストはフィールドに背を向け、そのまま退場していった。
後に残ったのは虚しく転がる二十機分の残骸と、夥しい量の擬似体液だけだった。
―――― * * * ――――
「ご苦労だったな、クワガスト」
「……兄者」
フィールドから下がり、控え室へと続く通路を歩いていると、兄であるミュートスレプリロイド――――「ヘラクリウス・アンカトゥス」が待っていた。
しかし、己に掛けられた労いの言葉に、クワガストは苦々しい顔をする。
「何も苦労などしていない。全く。……つまらぬ闘いだった」
人間を楽しませるためとは言え、あそこまで情けない相手と闘わなければならないとは。正直言って、彼にとっては苦痛でしかなかった。
そう思い悩むクワガストの後ろでは、もう次の「ショー」が始まろうとしていた。二十機程のパンテオンと、六、七人のレプリロイドが場内へと集う。
どうせあれも予定通り、パンテオンの圧勝で終わるのだと、クワガストは鼻を鳴らす。
「兄者…俺はもう嫌だ」
「どうした?」
突然の言葉に、ヘラクリウスが尋ねる。
「闘いに疲れたか?」
「違う。そうではない」
少し逡巡した後、クワガストは兄の眼をまっすぐ見つめ、自身の思いの丈を正直に話した。
「俺はもっと強い敵と闘いたい」
あのような情けない軍団ではない、真に敵と成り得る強者と相見えたいのだ。
そう訴えるクワガストの声に、ヘラクリウスは少し困りながら「あとで俺ともやるだろう?」と宥めるように言う。しかし、クワガストは大きく首を振った。
「それは“ショー”だ! “デキレース”だ!! ……命を賭けた、本当の“死闘”をしたいんだ」
こんな、最初から結果の見えた闘いなど面白くも何ともない。
戦闘用レプリロイドとして生まれたからには、己の力を存分に発揮できる場所に行きたい。己の力を試せる相手がほしい。
握りしめた拳には自然と力が入っていた。
「…兄者も聞いただろう? “紅いイレギュラー”の話を」
勿論、耳にしていた。
救世主エックスの友にして伝説の英雄であると噂の、紅いコートをトレードマークとする謎のイレギュラー。――――今朝、「Sランクイレギュラー」に指定された、ネオ・アルカディアにとっての危険人物。
「血が騒がないのか…? 兄者は…」
そう問われ、ヘラクリウスは直ぐに言葉を返せなかった。
それもその筈である。彼自身、非常に複雑な想いを抱えていたのだ。
『血が騒がないのか』と聞かれれば、勿論、騒がないワケがなかった。烈空軍団ナンバー2の実力を誇った雷霆の黒豹――――パンター・フラクロスに勝利したと言う話を耳にした時から、ヘラクリウスの体は疼いていた。
今すぐネオ・アルカディアを抜け出し、その男と闘ってみたいと、何度想いを馳せたことだろう。
「兄者も…同じ気持ちなのだろう?」
クワガストにはそんなヘラクリウスの気持ちが、手に取るように分かった。
「前線へと飛び出して、その男と一戦交えてやろう」と、クワガストの眼が語っているのが痛いほどに分かる。そしてその無謀な誘いに乗りたい気持ちもある。
しかし、それでも――――……‥‥
「それは叶わぬ願いだ」
刀で斬るように、否定の言葉を述べる。兄ならば理解してくれるであろうと期待を膨らませていたクワガストは「何故!?」と声を荒げる。
「我々の仕事は国防と、ここでのショー。私利私欲で動くワケにはいかん」
ヘラクリウスはあくまでも冷静に、自分たちに課せられた任務を全うすべきだと説く。クワガストはそんな兄の言葉に言い返すことができない。
兄の言うことは正しい。与えられた任務を忠実に守るその姿勢は、ミュートスレプリロイドの鑑とも言うべきもので、反論などできよう筈がなかった。
打ちのめされたように黙りこむ弟の様子を見兼ねたのか、ヘラクリウスは少し考えた後、彼の肩を優しく叩く。
「安心しろ、クワガスト。噂ほどの猛者ならば、いつか必ず我々の前に現れる。……気長に待っていれば、後は天がどうにかしてくれる」
「兄者……」
それは、ただの慰めとして取るには、余りにも涼やかな声だった。
国防を司るものとしてはあるまじき考えではあるかもしれない。しかし、一人の戦士として、そのような猛者が自分たちの下へ辿りつく日を、楽しみに待ってみてもいいかもしれない。
兄の言葉を信じ、クワガストは渋々納得した。
突然、フィールドから人々の大きな歓声が聞こえ、驚く。勝負が着いたのだろう。
だが聞こえる声は歓声というよりも、むしろ悲鳴に近かった。何事かと並々ならぬ様子に気を取られるクワガストだったが、ヘラクリウスは彼を引き止めるように「それにな」と言葉を付け足す。
「案外、近くにいるかもしれんぞ。我々と対等に渡り合える強者が…な」
普段ならば到底信じられぬような言葉ではあったが、直ぐそこで起きている異常事態に、クワガストは騙されたと思ってみることにした。
そんな二人のやりとりを他所に、会場では尚も悲鳴が方々から上がっていた。フィールドは疑似血液で、紅黒く染め上げられ、そこに散らばる残骸は、勿論“イレギュラー”たちのものもあるが、それだけではない。なんとパンテオン二十機分の残骸も、無残に散らばっていた。
目も当てられぬような殺戮の跡に、一人のレプリロイドが堂々と立ち尽くしていた。
英雄か
悪魔か
それとも別の何かなのか
いずれにしても
この物語に“彼”が再び顔を出すのは
しばらく先のことである
―――― 4 ――――
薄暗い部屋の中、テーブル中央の空間に立体映像が映し出される。そこで剣を振るっている男こそ、彼らが倒すべき敵である。
流れる金髪に、紅いコート――――手にしている鮮やかなグリーンのビームサーベルが、荒廃し、寂れた大地の上に彩りを与えている。しかし、同時に撒き散らしているどす黒い擬似体液が、そこが戦場であることを示していた。
「これはポイントE-42Pにおいて、パンテオンやゴーレムが記録していた映像を編集したものである」
ハルピュイアが説明を始める。
彼の言うとおり、破壊されたパンテオンやゴーレムから回収した映像を編集したものではあるが、殆どのものが、正確に彼の動きを捉えきれていない。そのため、映像を一目見ただけでは分かりにくい、速度や反応予測値等をまとめたグラフや表が映像上に提示された。
「見ての通り、奴の基本戦闘能力はミュートスレプリロイドをも上回るものである。パンテオン程度の戦力ではヤツには歯が立たないどころか、無駄に戦力の浪費を招いているだけなのが分かるだろう。――――ちなみにこの戦闘では、パンテオン二十機と支援メカニロイド三十五機、及びゴーレム二機を失った」
それなりの規模の部隊ではあったが、紅いイレギュラーにとっては、自身に傷をつけ得ることもない、雑兵共に過ぎなかったのだろう。
最後の一機が切り裂かれるのを主観視点で確認した後、映像が切り替わる。
「次は塵炎軍団第八方面軍基地における、ホッパー・アバドニアンとの戦闘記録映像」
バッタのような姿をしたミュートスレプリロイドは自慢の跳躍力を見せつけ、紅いイレギュラーを翻弄する。時折放つビームを、紅いイレギュラーはビームサーベルにてひたすら防いでいた。
一見、防戦一方であるようにも見えるが、実のところ、アバドニアンは決め手を欠いていた。そしてとうとうこらえ切れず、脚部と肘に備えられた刃で、紅いイレギュラーの身体を八つ裂きにしようと跳びかかる。しかし、その時を待っていたというように、紅いイレギュラーは上空へと一気に刃を斬り上げた。その瞬間、彼の得物は激しい炎を纏い、アバドニアンの身体を見事に焼き斬った。
「勝ちを急ぎやがったか」と、ファーブニルは自分の部下であるミュートスレプリロイドの失態を、まるで他人事のように鼻で笑った。
「そして次に見せるのが……――――少し前のものになるが――――…一ヶ月前の輸送列車襲撃戦における、パンター・フラクロスの戦闘記録映像」
こちらはアバドニアンのように基地のカメラが撮影した映像ではなく、フラクロス本人の脳から再生したデータである。
四天王ですら眼を見張るほどの高速、且つ激しい攻防を繰り広げた末、フラクロスは紅いイレギュラーをあと一歩と言う所まで追い詰めた。しかし、最後は彼の奇策に足を掬われ、敗北してしまった。
途中まで情けなく見えていた男の姿が、最期の瞬間には輝いて見えた。――――おそらく、記録者が高等なレプリロイドだっただけあって、その想いが映像に影響を及ぼしているらしい。忠実だった部下が最期に見た背中を、ハルピュイアは奥歯を噛み締めしめながら見つめていた。
「……先程の戦闘記録と合わせてみれば分かると思うが、奴の戦いにおける技は非常に多彩である」
幾つかの映像が並行して再生され、ちょうど良い部分で停止される。その中で、紅いイレギュラーのビームサーベルは、雷、炎、氷をその刀身に纏っていた。
「まず、奴が主に使用する武器は、高出力ビームサーベル。左手に収納されていることは確認できているが、右手は不明。その威力は、ゴーレムの巨体ですら難なく両断してしまう。そして、このビームサーベルには奴自身のエネルギーを他の性質に変換する能力が備わっていると考えられる。それらを応用した技はこのように確認できるが、他にいくつの剣技があるかは、現段階では知れない。……が、これだけではない事が十分に予測できる。注意を怠るな」
次に再生された映像では、パンテオン数十機が一瞬にして光に包まれた。後には塵も残っていない。
「特に注意すべき技がこれだ。自身のエネルギーを一瞬で増幅させ、腕から放つ。威力や範囲等、奴はこれを自在にコントロールできる。更に言えば、両腕からの放出も確認されている。奴と一戦交える場合は、この破滅的な威力を、十分に警戒しておく必要がある。――――もちろん、威力の分、リスクも大きいだろうがな」
以上で説明を終え、立体映像は霧のように消えた。
場を包む沈黙の中、レヴィアタンが最初に口を開く。
「それにしても、なかなかいい男ね。お近づきになりたいくらい」
笑みを浮かべながらそう呟く彼女に、ハルピュイアは眉間にシワを寄せる。
「そんな話をするために呼んだワケではない。口を慎め」
「大丈夫、分かってるわ。そんなにカリカリしなくとも…ね。でもまあ、自分が殺す相手はちゃんと品定めしておきたいじゃない」
そう言って少し小馬鹿にしたように、またしてもレヴィアタンは笑う。ハルピュイアは「本気で分かっているのか」と少々怒り気味に言おうとしたが、それをファーブニルの低い声が遮った。
「で、どうすんだぁ? ハル公」
口元はハルピュイアを嘲笑うかのように歪んでいたが、その目は鋭く光っていた。
「俺んとこは使いっ走りのバッタ野郎がしくじりやがったし、レヴィんとこはデブ野郎の一人が先走って死にやがった。……が、それくらいなら実際のとこ大した痛手じゃねえ。――――けど、テメエんとこはフラクロスが殺られた」
「何が言いたい?」
不満そうにハルピュイアは睨みつけるが、ファーブニルは意に介さないまま、嘲笑とともに言葉を続ける。
「テメエの部下にしちゃ、勿体無い野郎だったが……ヒデェ負け方したもんだよなぁ。“上司様”はいったいどんな教育をしていたんだろうなぁ?」
「キサマこそ……部隊を無駄に浪費したどころか、実験兵器であるアヌビステップを損失しながらも即時報告を怠った。俺を責める権利はキサマにない」
しかし、ファーブニルは動じず、それに反論する。
「パンテオンなんて量産機に、一体どれだけの価値があるよ? ……アヌビステップ? あんな欠陥品がどうなろうがお国は困りゃしないぜ。……けどよ、フラクロスの輸送列車は国家の力の象徴の一つとも言えるんだぜ。そいつがぽっきり折られちまったワケだしよぉ。――――こりゃ、奴の“上司様”にも責任があるんじゃねえの?」
名指しで非難されたも同然であるハルピュイアは、思わず声を荒げる。
「黙れ! ……確かにこれは烈空軍団、曳いては俺の失態ではある。だが、ミュートスレプリロイドが――――量産機であるガネシャリフも含め――――四体も、奴一人に倒された。この事実こそが問題だ!」
「二人とも、そうやって直ぐに熱くならないの」
二人のやりとりを見兼ねて、レヴィアタンが冷静に口を挟む。
「それで、ハル? 彼に関するお話がこれだけってわけじゃないでしょ? ――――さっさと続きをお願い」
ハルピュイアは渋々引き下がり、心を落ち着け、再び、口を開く。しかし、今度は何処か重たい様子だった。
「…今朝、元老院が“第十七精鋭部隊”の召集を決定した」
その瞬間、ファントム以外の二人の顔に緊張が走った。ハルピュイアは三人の表情を一通り確認した後、説明を続ける。
「“紅いイレギュラー”、黒狼軍首領“エボニー・ベルサルク”、イレギュラーハンター元第二部隊隊長にして現レプリロイド解放議会軍指導者“マゴテス”を“Sランクイレギュラー”と認定し、その排撃任務を果たすためにだ」
「八十年前の“大反乱”以来ね」
ハルピュイアは黙って頷く。
八十年前――――……N.A.歴四十四年六月四日。
元老院により、「人類保護法」が成立した翌年。ネオ・アルカディア各地で起こった、レプリロイドによる集団蜂起。それが世に言う「大反乱」である。
数千人規模の死傷者を出す、ネオ・アルカディア建国以来初めての惨事に、元老院は、特に優秀なレプリロイド達を国中からかき集め、一つの部隊を編成し、鎮圧に当たらせた。その結果、長期化すると思われた最悪の事態は、僅か一週間という短い期間で収束する。
ネオ・アルカディアの平和を守り抜いたその部隊は、救世主エックスが所属していた部隊に肖って「第十七精鋭部隊」の称号を授かり、この事件は「イレギュラーハンター」結成と、「レプリロイド審査法」制定のきっかけとなった。
「その時の首謀者は確か……」
「嫌疑が晴れ、元老院“名誉議長”の椅子に座り、今ものうのうと生きている。……正確には『首謀者と目される男』だがな」
ハルピュイアは「そんなこと、今はどうでもいい」と言って話を切り替える。
「今回の召集が意味するところは二つ。我々に対する元老院の信頼が失われたということ。そして、もしこれが成功となれば、国防を担う我々の存在意義を疑われるということだ」
「おいおい、ちょっち待てよ」
ファーブニルが口を口を挟む。
「『もしこれが成功となれば』ってよぉ。たかがイレギュラーハンターなんぞに、俺達が遅れを取るとでも思ってんのかぁ?」
そう問われ、ハルピュイアは苦い顔で答える。
「……その可能性があるからこそ言っている。なにせ、第十七部隊の隊長はあのクラフトだからな」
レヴィアタンもファーブニルも、その名が出た瞬間、驚き、少しして納得の顔をした。『ネオ・アルカディアの新たな救世主』とまで言われる著名なイレギュラーハンターの名は二人ともよく知っていた。
「…まあ…そうよね。今のイレギュラーハンターで言ったら、彼が適任ね」
「こいつぁさらに面白くなってきたなぁ」
そう言って二人ともどこか嬉しそうに笑う。しかしその目には、ライバルへの競争意識から生まれたのか、闘志が宿っていた。
「……我々がネオ・アルカディアに生まれ、僅か十年。エックス様より信頼を得て、元老院からも一目置かれるようになったのは、数々の輝かしい戦績があったからだ。しかし、それが今、たった一人のイレギュラーによって崩されようとしている。これは由々しき事態だ。もっと危機感を持て。今こそ四軍団が総力を上げ、この危機を脱しなければならない」
一息で言った後、ハルピュイアは横で寡黙に話を聞いていた、ある一人を睨みつける。
「当然キサマにも言っているぞ、ファントム。……この七年、一向にベルサルクの所在が突き止められないことについて、お前はどう考えている」
名を呼ばれたファントムだったが、微かな反応も見せない。ハルピュイアは更に語気を強める。
「確かに、烈空、冥海両軍団も、ここ数年捜索を開始したが成果は挙げていない。しかし、隠密活動を主としたキサマの軍団が見つけられぬモノを我々が見つけてしまえば、それこそ“斬影軍団”の存在意義に関わる――――そうだろう?」
「……もちろん承知している」
そこでようやく口を開く。その声は鋭利な刃物のように鋭く、冷たい響きだった。微かに驚きを見せる他の二人を尻目に、ハルピュイアへと視線を向ける。
「……それで、“賢将”。この程度の話をするために、御主はわざわざ任務中であった我々を呼び出したのか」
「なんだと?」
思いもよらぬ返答にハルピュイアは僅かに動揺する。それを見て、ファントムは鼻を鳴らして返す。
「……くだらん。時間の無駄であった」
そう言って席を立ち、扉へと足を向ける。ハルピュイアが「待て」と声を荒げる。
「キサマ、それでも四天王の一員か!」
「……『四天王の一員』?」
眉を潜め、ハルピュイアを睨みつける。
「……確かに我らは“四天王プロジェクト”により生まれた同胞ではある。…が、仕える主、守る国が同じだけで、“共に闘う”つもりなど無かったハズ。……それを今さら、たった一人のイレギュラーのために『互いに手を取り合おう』と、キサマは言うのか?」
苦い顔で「しかし」とハルピュイアが反論しようとしたが、そこで突然、ファーブニルが笑い声を上げた。
「その陰険野郎の言うとおりだぜ、ハル公。確かに“野郎”は強ぇ。けどよ、『共闘でもしなきゃ敵わない』ってんなら、それこそ“四天王”の名が泣くってもんだろ?」
既に四体のミュートスレプリロイドが敗れ、輸送列車までもが破壊された。しかし、“その程度”の損害で“四天王”と名が付く者たちが恐れを成したとあっては、国家からの信用に関わる。
救世主を守護する者として、「敗北」という状況を――――「敵わないという可能性」ですら――――想定すること自体、“四天王”には許されない。
ファーブニルはニヤリと笑いながら、言葉を続ける。
「要は、“俺達の内の誰か”があの野郎をぶっ潰しさえすれば問題はねえ筈だ」
三人の様子を見兼ねたらしく「なら、こうしましょ」とレヴィアタンが人差し指を立て提案する。
「“誰が一番早く彼を倒せるか競争”ってことで。共闘しようが何しようが自由よ。彼を倒しさえすればいいわ。――――もちろん、“四天王としてのプライド”をどう解釈するかも自由よ」
「そりゃいいな!」とファーブニルは殊更嬉しそうに笑い出す。ハルピュイアは不満気ではあるが、“四天王としてのプライド”に関する二人の理屈は、四天王の長として納得せざるを得なかった。
ファントムだけは、まるで興味がないというふうに、背を向ける。
「拙者はやりたいようにやらせてもらう。“闘将”も、“妖将”も、己の好きなようにすればいい。……勿論御主もな、賢将」
そう言われ、少し考えるように目を瞑る。数秒の沈黙の後、ようやく整理がついたのか、ハルピュイアは「ふっ」と軽く笑みを浮かべて席を立つ。
「この会議が無駄であったとは思わん。情報の共有は必要なことだった。……だが、隠将ファントム、闘将ファーブニル、妖将レヴィアタン――――キサマらの言う事にも一理あるとして、この場は引き下がろう」
「やれやれ」と苦笑を浮かべながらレヴィアタンも席を立つ。
それに続いてファーブニルも席を立つ。その目はこれからの闘いに、ある種の“期待”のようなものを確かに抱いていた。
「……誰でも構わん。ネオ・アルカディア、そして我らが主の敵。紅いイレギュラーの首を必ずや討ち取ってこい!」
そう力強く言い放った後、ハルピュイアは「以上、解散」と会議の終了を告げた。
皆、胸の内にそれぞれの思惑を秘めながら、薄暗い会議室を後にし、各々の戦場へと足を向けた。
そして、物語は加速する。
―――― 5 ――――
『どちらに……行かれるのです…?』
青年はまっすぐな瞳で、去り行こうとする逞しい背中に尋ねた。
背中の主は振り返り、少し哀しげな微笑みを浮かべ、答えた。
『後のことは、君たちに任せるよ』
『お待ちください!』
青年は声を上げる。
『あなたの存在が、この国には――――世界にはまだ必要なんです! 我々には、これからもあなたが必要なんです! それなのにあなたは――――』
青年の言葉は、彼の『大丈夫』と言う声に遮られる。揺るぎない確信を含み、同時に重たく響いた。
力強く、温かい眼差し。多くのモノを背負い、信じ続けてきた者が持つ光。
『君たちなら、大丈夫』
あっさりとそう言ってのける彼に、青年は思わず問いただす。
『……何故、そんな風に信じられるのですか?』
これまで、彼はたくさんのモノに裏切られてきた。
同胞の死を幾つも経験し、ようやく掴んだ理想を踏みにじられ、守ろうとした者たちには、その正義を疑われた。そうして、誰よりも信頼していた無二の“友”を失くしてしまった。
それでも彼は『信じる』と言う。彼を裏切った、当の本人達を『信じる』と。その理由が、青年にはどうしても理解できなかった。
だが、青年の問いに、彼が返した答えは至極短く、単純なものだった。
『信じているから』
たった一言そう言われ、訳がわからないというような眼で、青年はただ呆然と彼を見つめる。
彼は、教え諭すように、繰り返し、その答えを告げる。
『僕は君たちを信じてる。――――信じているから、信じられる』
その、どこか幼稚な答えは、答えになっていないようで。――――けれど、彼にとっての、それが真実だった。
そして、尚も呆然と見つめる青年に向かって、彼は自身が持つ、最も大切な願いを託す。
『きっと平和な未来を――――“懐かしい未来”を、君たちが築いてくれるって……僕は信じてる』
その言葉は、如何なる信頼よりも重く、眩しい物だった。
ふと、彼は空を仰いだ。青年もつられて、仰いだ。
眼前に広がる青い空は、悲しみも、苦しみも、そして願いも、希望も――――この世の全てを優しく包み込むような雄大さが滲んでいた。
まるで彼のようだと、青年は思った。
再び青年を見つめると、彼はただ一言、別れの言葉を告げる。
『じゃあ、行ってくるよ』
青年は、湧き上がる感情を無理やり抑えつける。
旅立つ彼を、不安にさせないように。未来への望みを、受け取ったことを確かに示すために。
確かな眼差しで彼をまっすぐ見つめ、敬礼と共に言葉を返す。
『……お気をつけて』
彼は再び微笑み、無言で、小さく手を振った。
そして、背を向け、独り、ゆっくりと歩き出す。一歩ずつ、死地へ赴く足に迷いはなく。彼の姿は、世界を照らす太陽のように、輝いて見える。
その儚くも優しい輝きに、青年は堪えきれず、涙した。
―――― * * * ――――
――――あれから百年……か
移動型延命カプセルのカバー越しに見る空は、あの日となんら変わらず、青く、広く、世界を包み込んでいる。
けれど、議事堂の廊下と庭を隔てる太い柱の隙間から差し込む陽は、どこか冷たさを感じさせた。
ネオ・アルカディアの中央、首都メガロポリス。その中心区域「ユグドラシル」。
ここには元老院議会が開催される議事堂の他、元老院直轄「聖騎士団」の兵舎、国立研究所等の政府機関、そして「救世主」のための宮殿が構えられている。
廊下を行く彼は、後ろに八人の部下を引き連れており、内一人が彼のカプセルを押していた。
過去への追憶を中断し、彼は今朝の議会を振り返る。
紅いイレギュラーの“Sランクイレギュラー”認定、及び、第十七精鋭部隊の召集――――今のところ、概ね彼の予定通りに世界は動いている。元老院と四天王は躍起になって紅いイレギュラーを討ち取ろうとするだろう。
――――……それでいい
あとは、紅いイレギュラーがあっさり退場さえしなければ――――……‥‥
「これはこれは、“名誉議長”殿。いかがなされましたかな?」
前方より聞こえてきた、嫌味な声が、彼の思考を遮る。その声の主に目を遣る。
そこには、首が肉に埋まる程、丸々と太った、強欲そうな男が立っていた。嫌々ながらも、それをおくびにも出さず、彼は答えた。
「…これはこれは……マクシムス卿。いや、なに……少し…散歩をと思いまして……」
「散歩ですか。ハッハッハッ。それは結構。連れているのは、噂の“ナンバーズ”ですな。バイル卿は本当に部下と仲がよろしい」
「マクシムス」の憎たらしい笑いに合わせ、「バイル」もまた笑って見せる。
「……それにしても、気になりますな」
マクシムスは突然、訝しむように眉間にシワを寄せ、彼に尋ねた。
「バイル卿を含む、我ら九人の議長団の中で、聖騎士団から騎士を選抜していないのはバイル卿だけですぞ。……何か理由がおありなのですかな?」
目の前にいる無能な男をバイルは内心で嘲笑った。
――――聖騎士団……?
「聖騎士団」とは、国防の為の最後の砦として「ユグドラシル」に存在する元老院直轄部隊である。
しかし、“聖”などとつければ聞こえはよいが、実際のところ、さして戦闘に参加していない上に、戦闘データのフィードバックなどもされていないため、経験値が浅く、本当に役に立つのか分かったものではない。また、基本スペックも、四天王に比べれば遥かに劣っているし、前線で戦うミュートスレプリロイドにも敵わない。唯一勝るものがあるとすれば、ボディの装飾くらいだろう。
実際、聖騎士団から騎士を選抜する元老院議長たちは彼らの性能などに興味はなく、見栄を張るためだけの理由で側に置くものばかりで、戦時のことなど誰も考えてはいなかった。
バイルはそのような者たちを滑稽に思いながら、謙遜したような言葉で答える。
「この生い先短い老体には…そのような華々しい者達は不釣り合い……。心の知れた部下さえいれば…それで良いのですよ……」
「あ〜あ〜…そのような寂しいことを申されるな、バイル卿。ネオ・アルカディアを知り尽くしたあなたの知恵が、まだまだ我々には必要なのですよ。気を強く持ってください」
大袈裟に憐れむようなマクシムスの仕草に、バイルとその部下たちは笑いを押し殺すのに必死だった。
「では、これで」とマクシムスは別れを告げ、そのまま会釈をして、バイル達とすれ違い、去ろうとした。――――と、少し進んでから、「あっ」と何か思いついたように足を止める。
「そう言えば、バイル卿」
バイル達も足を止める。しかし、お互いに振り返ろうとはしない。
「二年前に起きた、一千体以上が加担したと言われるレプリロイド集団脱走事件ですが……。あの時、レプリロイド共を率いて一緒に姿を消した少女は………あ〜…シエルとか言いましたかな?――――…彼女は…………」
少し考えるように言葉を切る。そしてわざとらしく、ついさっき思い出したかのように言った。
「確か……バイル卿がお育てになっていたとか?」
とぼけたような声で尋ねるマクシムスに、バイルは答えること無く、ただ黙り込む。
数秒の沈黙の後、バイルは静かに口を開いた。
「馬鹿な小娘です。……育ててやった恩も忘れ……そればかりか…仇で返そうとは。やはり、養子とは言え……人の子など持つものではありませんな」
バイルの答えに、マクシムスが笑って返す。小さく舌打ちをした音を、バイルと、その部下たちは聞き逃さなかった。
「ハッハッハッ。ですなあ。その点レプリロイドは良いですぞ。どう扱おうが、命令には服従。関係を持とうとも、子は孕まず……あ〜…いやいや、失敬。少々下品でしたかな。ハッハッハッ…」
言うほど気にしているわけではないようで、また下品な笑い声を上げる。
「それではまた、議会で。名誉議長殿」
そう一言だけ言い残し、マクシムスは足早に去って行った。
「やめておけ、フォクスター」
今にもマクシムスの後を追おうとしていた部下の一人を、バイルは引き止める。
「フォクスター」はどこか不満げに「良いのですか?」と問い返す。だが、そんなフォクスターとは対照的に、バイルは嘲笑を浮かべて答える。
「良い。……放っておけ。どうせ何も掴めていやしない……“手駒”の調子が思わしくなくて…焦っておるのだろう」
マクシムスごときの男に裏を掻かれる程老いてはいない。
「それより、ヘルバット……“アレ”は…どうした?」
突如、自分に向けられたバイルの鋭い問いに、「ヘルバット」は渋い顔で答える。
「申し訳ありません…バイル様。依然、捜索中で……」
怒りを恐れてか、自信なさ気に答えるヘルバットに、バイルは「構わん」とあっさり許しの声をかける。その上で、「だが、急げ」と注意を促す。
「舞台に乗り遅れんように、な」
励ますようにそう言われたヘルバットは、「ハッ」と力強く敬礼をした。
それからしばらく進んだ後、バイルはカプセルを押している部下に、止まるよう合図する。他の七人の部下たちも、それに合わせて足を止める。そのまま、柱の間から空を見上げた。
白い雲の流れが、いつもより遅く感じられる。
「……バイル様」
「…どうした、フリザード…?」
カプセルを押していた部下――――「フリザード」が思わず尋ねる。
「何を…急いでいるのですか……?」
計画の進行に問題はなく、また、シナリオ的に見れば“アレ”の捜索に関しても、それ程急ぐ必要はないように思われる。だと言うのに、フリザードの目には、バイルが事を急いているように見えた。
決して「老い先短いから」などという理由ではない。しかし、他になにか急がなければならない理由があるのかと考えれば、見つからない。では、その“焦り”はどこから生まれているのか。
しかし、その問いにバイルは思わず笑いを零す。
「何がおかしいのでしょうか?」
フリザードは慌てて尋ね直すと、バイルは答える代わりに一言、問い返してきた。
「フリザードよ……お前には聞こえんか?」
「……なにが…でしょうか?」
まるで解せないというフリザードの反応に、バイルはまたも笑う。
それから、フリザードの居た堪れなさ気な表情に根負けしたのか、ようやく答えについて語りだした。
「……音だよ…」
「……音?」
「うむ」とバイルは頷く。
その時、澄んだ空をゆったりと動いていた白い雲が、陽を遮る。するとそこに大きな陰が落ちる。
「何の…音でしょうか?」
恐る恐るではあるが、またも問いかけるフリザードに、今度は少しも笑うことなく、バイルはただ一言、特有の嗄れた声でこう答えた。
「……“崩壊の音”だ…」
その声に煽られるように、少し強い風が、柱の間を吹き抜けた。
―――― 6 ――――
今宵は満月。街灯は仄かに道を照らすが、街中に人影はない。どうやら人々は皆、眠りに就いた頃らしい。丸く輝くそれの下、生気を感じさせない道の脇に一台の車が停まる。
運転席の扉が開くと、黒いスーツを着た男が静かに降り立ち、後部座席の扉を開ける。すると、白いマントで体をすっぽり隠した一人の男が、降りてきた。大きな白い三角の頭巾で隠れて、顔は全く分からない。
「行ってらっしゃいませ」
運転手の言葉に返事をしないまま、男は一軒の小さなバーに入って行く。
客は一人もいない。というより、元々店自体が開いていたわけではなかった。それでも、カウンターに一人だけ、バーテンと思われる男が立っている。
頭巾の男はおもむろに小さなカードをカウンターに差し出す。バーテンはそれを、品定めするかの如く丁寧に眺めた後、男に向かって表情も変えずに「お待ちしておりました」と告げる。
「どうぞこちらへ。“集会”は既に始まっております」
バーテンは店の隅にある扉を示し、火のついた蝋燭が立っている燭台を男に渡す。男はその扉の向こう側にある地下へと続く暗闇の階段を、何の躊躇いもなく降りて行った。
狭い通路の壁や天井に反響して、靴の音が不気味に響く。
ようやく最深部に辿りつくと、石で囲まれたその広い空間は、地下礼拝堂とも呼べるような作りになっていた。
燭台のついた太い柱が並ぶ通路の先の方へ視線を遣ると、彼と同じ格好をした白い集団が何やら騒いでいるのが見える。
男はそこへ向かって一直線に、早足で向かう。どうやら少し遅れてしまったらしい。――――皆、自分の言葉を待っている。
そこは異様な熱気を帯びていた。
集団は地面にある、大きな鍋のような鉄の窪みを囲んでいる。
その中に見えるのはレプリロイドの残骸。そして、人の肉。骨。それぞれの体液が混ざり合ったどす黒い液体。
そしてその中にまた、ぐったりと生気の抜けた女性レプリロイドの体が投げ込まれる。人間によって良いように扱われたらしく、薄汚れた裸体のままだった。生きているハズなのに、悲鳴の一つも上げない――――というより、声を出す気力もなく、上げることができないのだ。
突然、囲んでいた集団の内の一人が、槍で彼女の体を突き刺す。そして、横にいたもう一人も、彼から槍を受け取り、突き刺す。
それを何人もが、同様に繰り返してゆき、彼女の身体をさらに惨めな姿にかえてゆく。とうとう彼女の身体は、先に入れられていた具と同じような姿へと変わってしまい、最後には大きな棒で混ぜられる。
その一連の動きの後、集団の者たちは皆、歓喜にも似た声を上げる。
その集団を避けて通り、遅れてきた男は全員を見渡せる台の上へと登った。それに気づいた者達は彼を見て、またも声を上げる。場は一気に興奮の渦へと変わる。
男は今日の集会がいつも以上の盛り上がりを見せていることに、気づいたが、「無理もない」と納得する。
彼らの悲願が叶う、その日が近づいているというのだから、当然のことだった。
男が片手で制すると、皆、それを見て鎮まった。
彼は一旦、勿体ぶるように咳払いをしてから、話を始める。
「既に知っている者もいると思うが、数日前、ようやく“無の鬼神”がこの世界に復活した」
皆、「オーッ」と声を上げるが、男はまたもそれを鎮める。
「……これで、世界には“無限の救世主”と合わせ、二人の英雄が現れたことになる!」
またしても声が上がるが、彼はもうそれを止めない。それどころか、その弁に更なる熱を入れてゆく。
「皆の者! ついに神話の役者が揃い始めた! こうなれば、“総てを和する”我らが神の復活! そして! 世界の終末、“ラグナロク”の日は近い!」
さらに熱が高まる。抑えきれなくなったのか、いつしか誰もが拳を高く掲げた。
「祈れ! この世の破滅を! 願え! その再生を! 全てが果たされた後! “総和の神”が統べる下! 我らの世界は再びその栄華を取り戻すであろう!!」
その瞬間、そこにいるすべての者達が、大きく雄叫びを上げた。
その高まる声に、上がりきった熱に、地下礼拝堂は包まれる。夜が明けたとしても、この興奮が冷めるにはしばらくの時を要するだろう。
しかし、盲目な信仰の果てに、いったい何が生まれるのか、何が壊れるのか。
その日が来るまで、彼らが真実を知り得ることは、決してないだろう。
―――― * * * ――――
「そう。みんな動き出したんだね」
「……はっ。そのようで」
黒いコートは膝をつく。ただ一人の主を前にして、頭を下げたまま「いかがいたしましょう?」と判断を仰いだ。
しかし、縦長の窓から空をぼんやりと眺めていた彼は、「アハハ」と少し小馬鹿にしたような、それでいて爽やかな笑い声と共に答える。
「僕に尋ねるまでもないだろ?……君は分かっているはずだ」
そう言って振り返ると、黒いコートの男へ真っ直ぐ近づいて行き、その目の前に立った。黒いコートの男は少しだけ顔を上げ、彼と目を合わせる。
「他の三人がどうするかは知らない。……けれど…“彼”は僕の“親友”だ」
そう言った彼の声と瞳には、どこか狂気にも似た、脅迫じみた色が含まれている。
「これまで通り……決して目を離さないように。――――いいね、ファントム」
そう告げられ、ファントムは頷き、それから再び頭を下げ、いつも通りの一言で自身の意志を答える。
「……我が主、エックス様の御心のままに…」
忠誠を誓う、その言葉を聞き、救世主「エックス」はほくそ笑んだ。
物語は加速する
NEXT STAGE
紅いイレギュラー