―――― * * * ――――
「ゼロ! しっかりして! ゼロ!」
傷だらけの戦士を乗せてストレッチャーは壮絶な勢いで走る。その車輪がガラガラと煩く騒ぎ続ける廊下全体に、少女の悲痛な叫びが響く。
「コンディションレッド! 非常に危険な状態です!」
「集中治療用カプセルを使う! ブラウン、先に行って起動させて来てくれ!」
「了解!」
セルヴォの指示に従い、若いレプリロイドが先行する。
突然の騒動に基地中のレプリロイドが注目する。少女同様顔を青ざめさせる者、心配気に見つめる者、冷ややかな視線を送る者、「それ見たことか」と鼻を鳴らす者まで反応は様々。
しかし、そんな周囲の反応などお構いなしに、少女はただひたすら叫び続ける。
「ゼロ! 返事をしてよぉ!」
血のように紅かったコートは、彼の血と飛び跳ねた泥に塗れ殊更生々しく濁った色に変わり、豪雨に晒された為に酷く濡れている。
美しかった金髪も、その輝きを失っていた。
「シーダ! シエルを抑えてくれ! 邪魔だ!」
「シエルさん! 離れて!」
セルヴォから指示を受けた女性レプリロイドが少女をストレッチャーから無理矢理引き離す。
「でも! ゼロが! ゼロが!!」
「どけ! 前に出るんじゃない! 聞こえないのか! どけぇ!!」
いつも冷静なセルヴォの怒号が飛ぶ。それに弾かれるように、ストレッチャーの前を行く者たちは皆壁際に寄り、道を開ける。
騒ぎ続ける車輪と共に、ストレッチャーはだんだんと小さくなってゆく。
その様子を潤んだ瞳に映しながら、少女はひたすら彼の名を叫んだ。
「ゼロぉーーーっ!!」
基地中に響き渡りそうな程の、悲鳴にも似た大声。
しかし、それに答えてくれる声は、遂に聞こえて来なかった。
6th STAGE
キズダラケ
―――― 1 ――――
白の団本拠地へと無事に到着したティナは、ゼロがネオ・アルカディアの軍団と戦闘状態にあることをエルピス達に伝えた。罠ではないかという意見もあったが、ゼロと共に出撃した筈のデルクルを連れていたことで、その問題はすぐに片付いた。
ゼロの支援、及び状況確認のために招集がかけられると、マークチーム全員がその作戦に立候補し、再び派遣されることとなった。
彼らが現場に到着した時には既に、全てが決着した後だった。敵レプリロイドの姿は残骸ですら確認できず、本当にその地が戦場だったのか、疑ってしまうほどだった。そして降り続ける雨の中、クレーターのように大きく窪んだ大地を歩き、ようやく見つけたのは泥の中、傷だらけで倒れていた英雄だった。
治療室のランプが消えると、セルヴォが扉から出てきた。
シエルはシーダに付き添われて待っていた。先ほどのように取り乱しておらず、一応は落ち着いて見える。横にはアルエットが寄り添い、サイバーエルフも三体ほど宙に揺れていた。
「ゼロ…は……?」
心配そうに、シエルが尋ねる。
「大丈夫――――とは言い切れないが、命に関してなら問題ないよ」
セルヴォが優しく答える。
「――――ただ…いったいどんなことをしたのか分からないが……外部も内部も損傷が酷い」
シエルの顔が更に曇る。しかしセルヴォは「心配しないでいい」と言葉を続ける。
「私が最善を尽くすんだ。必ず元通りにして見せる。――――…それとも、シエルは私の腕が信用できないのかな?」
「……でも」と不安げに言葉を続けようとするシエルに対し、セルヴォは頭を「ぽんっ」と撫で、尚も微笑みながら言う。
「物事はいい方に考えなさい。――――彼は生きて帰ってきたんだよ。約束どおりにね」
セルヴォの言う通り、確かに生きて帰って来てくれた。だが、その状態はどうだ。何一つ反応を見せることもままならないような様子で、決して無事などとは言えなかった。
それに、どれだけ『大丈夫』とセルヴォから聞かされようと、シエルは一向にその表情を緩めることはなかった。表に出すことはなかったが、普段以上に見せるセルヴォの微笑みがどうしても信用できなかったのである。
「中にはいっても、だいじょうぶ?」
シエルの不安を余所にアルエットが尋ねる。「何もいじらなきゃね」とセルヴォが返すと「わかった。行こ」とアルエットはシエルの手を引いて、治療室へと入った。
複数のコードが繋がれた治療カプセルの横にはロシニョルが座っていた。カプセルの中には傷だらけのゼロが仰向けで寝ている。その姿を見て、シエルの顔から血の気が引く。
「シエル。大丈夫かい?」
ロシニョルが心配して声をかける。
「平気……。大丈夫…よ」
――――ゼロに比べれば…。
改めて見ても、ゼロの損傷具合は尋常なものではなかった。
コートの下はまるで内側から何かが噴き出たように、惨たらしい傷がいくつも見受けられる。腕部、脚部のアーマーも、ヒビが入り、今にも崩れそうなほど無惨である。壁に掛けてあるコートも、鈍く変色し、本来の鮮やかさは少しも見受けられない。
まさに満身創痍。しかし、顔だけは安らかに眠っているようだった。
「ゼロ」と彼の名を呼びながら、シエルはカプセルの透明なカバーに手を添える。それからもう片方の手をアルエットが優しく握る。さすがのサイバーエルフたちも、いつものように騒ぎだすことはなかった。
突然ロシニョルが「ほらほら」と言いながら手を叩き、皆の注目を集める。
「せっかくだけど、みんな外に出ようかね。ここで見ていても、治りが早くなるワケじゃないよ」
アルエットはそれに従い、外に出ようとしたが、シエルが振り向きすらしない事に気づき足を止める。
「……おねえちゃん?」
「私……ここで待ってる」
振り返る気配も見せず、ただジッとゼロの顔を見つめたまま、シエルはそう答えた。
アルエットが「でも」ともう一度呼びかけようとすると、ロシニョルは肩に手をおき、首を横に振る。
「今はそっとしておいておあげよ」という言葉に、アルエットは渋々了解し、二人と三体はシエルを置いて部屋の外に出た。それから無機質な音と共に扉が閉まる。
誰もいなくなると、シエルはカプセルに体を寄せた。まるで心音を聴くかのように、カバーに頬をつける。表面はひんやりと冷たい。
聴こえてくるのは、「ゴウンゴウン」というカプセルの低い駆動音だけ。どんなに耳を澄ましても、決して声など聞こえない。
瞼を閉じると、うっすらと涙が滲む。
「………ごめん…ね……」
誰に向けたものか分からないその呟きは、悲しく光る雫とともにカバーの曲線を伝い、流れていった。
―――― 2 ――――
「復帰は……不可能だ」
深刻な面持ちで、セルヴォはそう強く断言する。その表情には悔しさ、憤り、戸惑いと言った感情が入り乱れながら滲み出ていた。
「落ち着いてください、セルヴォさん」
椅子に腰かけたまま、エルビスはそう言ってセルヴォを諌める。
「まず現在、どういう状況なのか、詳しく説明していただけますか?」
冷静に問いかけるエルピスの声に、セルヴォもまた、至って冷静であろうと努めながら、ゼロの状況について説明を始めた。
「先日伝えたデッドラインについては覚えているな?」
自己修復回路の五割を超える損傷。解析不能箇所でもあるゼロの自己修復回路の著しい損傷は、白の団にある治療機器では対処することが適わず、完全な治療は望めないということをセルヴォは確かにエルピスへと伝えた。
「外部の損害箇所、損傷率、及び既に解析できている内部回路のそれらを照らし合わせた結果から推測したところ、ゼロの自己修復回路の損傷率は間違いなく五割を超えている。――――つまり、戦線復帰は不可能だ」
改めて、残酷な事実を先程以上にはっきりと言葉にする。無意識のうちに、セルヴォは奥歯を噛み締めていた。
だが、エルピスは尚も冷静に考察していた。
「その結果に間違いはないのですね?」
その問いにセルヴォが若干険しい表情をしたため、慌ててエルピスは意図を説明をする。
「別にセルヴォさんの目を疑っているわけではありませんよ。ただ、事を慎重に判断したいだけなのです。六割が解析不能でありながら、そんなにもハッキリと状態を断言できるのかどうか……」
「もちろん何度も確認したさ」
吐き捨てるように言う。
「ただ、それだけ体の損害が酷いということなんだよ。一体何をどうやったらあそこまで酷くなるのか…。それこそ見当もつかない程の酷い有様なんだよ。五割という数字だって実際には希望的観測で、もっと酷い可能性も考えられる」
その口調からは苛立ちを感じられた。しかしそれは、エルピスに向けたものでは決して無く、どうにもできない自分の無力さへと向けられたものだった。
再度「落ち着いてください」とエルピスが諌める。
「分かりましたセルヴォさん。そこまで言うのならば信じましょう。残念なことではありますが…ね」
セルヴォの鬼気迫る様子から、この最悪の状況が覆ることはないのだと、エルピスもまた確信した。「しかし」と、エルピスは言葉を続ける。
「だとしてもセルヴォさん。あなたには全力を尽くして彼の治療に当たってもらいます」
「言われるまでもないよ、エルピス。それが私の仕事だからね。しかし、元の健康体へと復帰させることは約束できない」
「元通りとは言わずとも、ある程度の行動は可能にできるでしょう。最悪、不具合は生じるかもしれませんが部品を交換すればよいでしょうし。とにかく、“戦えるかどうか”を差し置いても、彼が“この場にもう一度立てるかどうか”――――それこそが問題なのです」
セルヴォはエルピスの言動に、何処か歪んだものを感じた。何故そうまでして、エルピスはゼロの復帰にこだわるのだろうか?ゼロの無事を望んで…と考えることは確かにできるが、エルピスの口ぶりからはそれ以外の何かを感じてならない。
そう訝しんでいると、ある一つの予想が生まれる。そしてそれを確かめずにはいられなくなり、恐る恐るエルピスへと問いかけた。
「まさか、エルピス。ゼロをもう一度戦場へ向かわせる気か?」
「ええ、勿論です」
その答えはやけに短く、あっさりとしたものだった。途端にセルヴォが声を荒げる。
「バカな! 彼の状態は今伝えた筈だ! 戦線復帰は不可能だと!」
「確かに本調子での復帰は不可能でしょう。しかし、他のメンバーに劣るまでに性能が劣化するとは考えられません。故に私は彼が回復し次第、作戦に起用させてもらいます。もちろん使い方は変わってきますが……」
「ふざけないでくれ、エルピス!」
こらえ切れず、セルヴォは机を両手で強く叩き、怒鳴りつけた。
「あそこまで傷ついた彼を、もう一度戦場に戻そうだなんて……正気じゃない!」
「私はふざけてもいませんし、至って正気ですよ、セルヴォさん」
語気を強め、睨みつけるエルピスの眼差しに、セルヴォは息を飲んだ。静かに腰を上げ、エルピスも机に手を付く。
「あなたは何も分かっていない。これは戦争なんですよ――――我々の命運を懸けた、“戦争”なんです」
その迫力に、セルヴォは気圧され、思わず後ずさる。
「戦うことができなくなろうとも、彼が“英雄”であることに変わりはない。ならばそれなりの使い道は十二分に考えることができるんですよ。それなのに、あなたはその有用性すらも捨て去れというのですか?」
たとえ戦力として用いることができずとも、“英雄”であるゼロの利用価値は他にいくらでもある。戦場にただ立たせるだけでも、敵味方問わず、その士気に影響することは間違いない。
「私たちの相手はあのネオ・アルカディアなのです。この世界に残った唯一の国家を相手にしているのです。――――切れるカードの全てを用いても、理想を遂げられるかも分からない……そういう戦争をしているんですよ」
使える駒は使う。敵が強大であるからこそ、戦争に勝つためにどんな手段を用いることも厭わない。それはエルピスなりの覚悟だった。
思わず黙りこむセルヴォ。エルピスの言うことは、個人的には容認し難かったが、間違いなく正しかった。
しかし、どれだけ正しいと理解していたとしても、セルヴォにはどうしても受け入れられなかった。その理由は他でもない――――
「同じことを……シエルに言えるのか?」
セルヴォが思わず口にしてしまった名前に、エルピスは確かに反応した。
どれだけ傷つこうと、どれだけ苦しもうと、利用価値がある限りは“英雄”としてゼロを利用する。――――そんなことを、あの優しい少女に言えるのか。
少しばかり口を閉ざした後、視線を僅かに逸らし、先程までとはまるで打って変わった力無い声で、エルピスはその問いに答える。
「シエルさんなら、分かってくれます」
幼いといえど、彼女は聡明だ。この戦争に勝つことが容易でないことも、そしてゼロという存在に対する利用価値についても理解してくれるはずだ。
確かに、最終的にはそうなるだろうとセルヴォにも分かった。
「だが、それでも……いや、だからこそ惨すぎる」
ゼロを大切に思う気持ちと、戦争のための合理的な判断との狭間で彼女の心は苦しめられるだろう。現に今、彼女は治療中のカプセルのそばから離れず、寄り添い続けている。まるで何かの懺悔のように。
それからしばらく、二人は言葉を失った。場には重い沈黙が漂う。ようやく言葉を切り出したのはセルヴォだった。
「最善は尽くそう。だが、君がゼロをそういうふうに利用しようというのには賛同できない」
エルピスの目を見ずにそう告げると、セルヴォは背を向け、静かに部屋を出て行った。一人残されたエルピスは、椅子に再び深く腰掛ける。背もたれにその身を預け、眼を閉じる。
もう一度、頭の中で思案を巡らす。しかしどれだけ考えても、彼の答えは唯一つだった。
―――― * * * ――――
基地内はゼロの話題で持ちきりだった。聞こえてくる声には同情的なものも確かにあったが、大半はその実力を疑う非難の声であった。普段はゼロを支持していた筈の者たちも、ほとんどが掌を翻したように態度を変えるばかりだった。
「何が英雄だよ、あっさりやられちまって」「あれだけ偉そうに言ってたくせに、結局これかよ」「あいつのために死んだ仲間が浮かばれねえな」
そんな声をいくつか耳にしながら、コルボーは居住区画の一画にある談話室へと入っていった。中にはマークとトムスがテーブルに着いて待っていた。
「全く……酷いもんですよ」
不満に鼻を荒々しく鳴らしながら、コルボーも席に着く。
「どいつもコイツも皆、自分勝手な非難ばかりで……ゼロさんがどれだけ俺達のために体を張ってくれていたのか、誰も分かっちゃいない」
「文句を垂れても仕方ないだろ」
トムスが宥めるように言う。
「言いたい奴には言わせておけばいい」
「けど!」
憤りを抑えきれないコルボーを、今度はマークが落ち着くようにと諭した。
「実際、理解されないのは仕方ないことさ。この基地にいるのは生き残った者たち――――つまり、作戦に成功し続けている者か、作戦に出ていない者しかいない。俺達のように、作戦をミスして死線をさ迷いながらも生き残った奴はいないし、まして、あの人の力で直接的に命を救われた者もいないんだ」
そう言って溜息をつく。悔しい思いをしているのはマークも同じだった。そして勿論、トムスも。そう理解すると、憤慨する心を何とか抑えつけ、コルボーは大人しく口を閉じた。
「しかし、あのゼロさんがあそこまでやられるとは……敵は何者だったんでしょうね?」
「四天王クラスか、あるいはミュートスレプリロイド……どちらにしろ、強敵であることは間違いないだろう。だがそれよりも、俺が気になったのはあの大きく窪んだ地面。明らかにあそこだけ何かがおかしかった」
ゼロを見つけたポイントは、確かに何かが違っていた。敵の残骸が見当たらなかったというのもあるが、それ以上に、その地形自体が異常だったのだ。
「元々ああいう地形だったとは考えにくい。……もしかしたら、ゼロさんの体があそこまで傷ついたのと何か関係があるのかもな」
地形を変えるほどの強大なエネルギーの放出があったならば、その主が敵であろうと、またゼロ自身であろうと、重傷を負った理由が説明付けられるかもしれない。
「まあ、どれだけ俺達が頭を悩ませても仕方ない。とにかくゼロさんが無事に復帰することを祈るばかりだよ」
そうマークが話をまとめると、どこからともなく舌打ちする音が聞こえた。
「あいつが無事に復帰したところで、どうにかなるのかよ」
声の主はヘルマンだった。その刺々しい言い方にトムスは不快感を感じて睨みつける。
「何が言いたい……?」
「勘違いしないでくれよ。別に、あいつのことを悪く言うつもりはねえのさ」
慌てて敵意はないことを弁明する。
「ただよ、実際の話、あれだけの力を持った奴が、ああも簡単にやられちまったんだ。ネオ・アルカディアの連中が本気になってかかってきた時、本当に俺達は太刀打ちできんのかって……お前らは不安にならねえのか?」
ヘルマンの言うことは尤もだった。どのような経緯であれ、ゼロがあそこまでの重傷を負わされるに至ったのは事実である。となれば、束になっても彼一人程の力にも満たない自分たちに、この先戦い続けてゆくことが本当に可能なのだろうか。
「それを考えちまうと、どうにも俺は不安でならねえんだよ。あの英雄が無事に復帰したとしても、いつまた同じような目に遭うかも分かったもんじゃねえ。それどころか、あれが敵にやられた傷だってんなら、あいつの力は、お前らがどんなにフォローしようが、他のヤツらが言うように見掛け倒しだったってことになるんだぜ?――――そう考えると、ヤツが復帰することに、本当に意味があんのか……俺は疑問で仕方ねえんだよ」
トムスもマークも、返す言葉が見つからず黙りこむ。考えたくはないことだったが、確かにその通りだった。
ゼロの力がネオ・アルカディアに通じないというならば――――いったい自分たちはどうすればいいのか。これからどう戦っていけばいいのか。答えが見つからない。
「……でも、俺は――――」
重い空気の中、静かに口を開いたのはコルボーだった。
「――――そういうの抜きにしても、あの人が無事に復帰することを願うよ」
嘘偽りない純粋な願い。つられて他の三人も頷いてしまう。憎まれ口を叩いていたヘルマンですら、本心では確かにゼロの無事を祈っていた。
―――― 3 ――――
それから二日が経った。
ゼロが目覚める気配は一向になかった。外傷の応急処置は済ませられたものの、未だ完全な治療の目処すら立たないまま、カプセルの中で眠り続けている。
「……おねえちゃん…ごはん…もってきたよ」
自動扉が冷たい駆動音を鳴らして開くと同時に、食事の乗ったトレイを持ってアルエットが治療室に入る。治療カプセルの側に座っているシエルは、僅かにアルエットの方を向き、力なく微笑む。
「ありがとう。そこに置いといて…」
一言だけそう言うと、またカプセルの方に向き直った。
アルエットは言われたとおり、横の机の上に優しくトレイを置き、そのまま部屋を出ようとした。
扉の前で、もう一度だけ振り返る。しかし、シエルがこちらを向くことはない。アルエットはそれを確認すると、静かに廊下へと出て行った。
三日目だというのに、シエルはカプセルの傍を離れようとはしなかった。何度かロシニョルやセルヴォが声をかけたが、中途半端な返事をするばかりでそこから動こうとしない。それどころか、非常に張り詰めた空気を纏っているせいで、他の者達もあまり強く言うことができず、結局そのまま見守るだけとなってしまっている。食事だけはなんとかとってくれているようで、それだけが救いだった。
――――おねえちゃん……大丈夫かな…
ただ哀しんでいるだけではない。明らかにシエルは何らかの、他の者達とは違う想いを持って、ゼロの傷と向き合っている。それがいったい何なのか、アルエットには勿論分からなかったし、だからこそ知りたいと思った。そしてそれをたった一人で抱え込んでしまっているシエルの力になれないことを悔しく思っていた。
両手で抱き締めるぬいぐるみも、なんだかいつもより元気が無いように感じられてならない。
「あれ? アルエットじゃん。何してんの?」
不意に軽い調子の声が聞こえた。シエルのことで悩みながら俯き加減で歩いていて気がつかなかったが、直ぐそこには五人ほどのレプリロイドがこちらに向かって歩いていた。基地内でも「悪ガキ」と有名な少年レプリロイドのメナートと、その取り巻き連中だった。
あまり得意ではない相手の登場に、アルエットは思わず半歩下がり、恐る恐る答える。
「……おねえちゃんにごはん…もって行ったの…」
いまいちピンと来ない顔をして、周りの仲間と顔を見合わせる。それからようやく「ああ」と理解する。
「そういやシエル、あの“英雄様”のトコにずっといるんだっけな」
皮肉めいた『英雄様』という呼び方に、どこか刺々しさを感じてならない。そしてその感覚は間違っていなかった。
「それにしても笑っちゃうよな~。偉そうなこと言うワリに、あっという間にこの様だぜ? な~にが英雄だよ。なあ?」
仲間達に、小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、同意を求めるように言う。仲間達も、それに合わせてニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる。
「シエルもシエルだよ。あんなヤツに何をそんなに期待してるんだか」
やれやれと肩をすくめる。
「てか、可哀想じゃね? 絶対シエルも騙されてんだよ。『伝説の英雄』とか言う話にさ」
それからも連々と、メナートはゼロへの非難とシエルへの皮肉めいた同情を、語り続けた。その間もどこか可笑しいことを話すような笑いを浮かべ、取り巻き連中達もエスカレートしてゆくメナートの発言にだんだん笑いが大きくなる。
詳しい内容は耳に入らなかった。いや、聞きたくなかった。聞きたいと思えなかった。代わりに、ぬいぐるみを抱き締めるアルエットの腕に、少しずつ力が入ってゆく。
「……『いっぺんに何人かかってこようが、俺様は負ける気がしない』とか言ってたのが、コレだぜ~? てか、パンテオンの部隊を迎撃してたってのも、ホントはテキトーに逃げてただけだったりしてな。こっちじゃめっちゃ偉そうにしてたけど、敵の前じゃすげ~しょぼかったりして。直ぐ土下座とかして『命だけは~』みたいな。あ、そんなことしてちゃ殺されちゃうか……」
「……やめてよ」
小さいけれど、ハッキリと耳に届いたその声に、メナートは反応した。
「は…?」
「やめてよ……ゼロのこと…そんなふうに言うの」
メナートはそのアルエットの様子に少し驚いた。いつもは見せないような強い眼差しで、こちらをじっと見つめている。そして声も、いつも以上に語気を強めているのが分かる。
「ゼロのこと…どうしてそんなふうに言えるの…?」
取り巻き連中は訳がわからずポカンとした顔をしていたが、アルエットと視線をあわせているメナートには分かった。
「お前、なに……」
――――怒ってんのか…!?
今までに一度も、アルエットが怒ったことなど無かったし、見たこともなかった。だが、メナートは「ふん」と鼻を鳴らす。
「なんか文句あんのかよ?」
更に刺々しく、高圧的に問う。しかし、アルエットは少しも臆した様子を見せなかった。それどころか、その瞳は力強さを増してゆく。
「ゼロのこと…おねえちゃんのこと…何にも知らないくせに……」
半歩引いていたはずの足が、今度は前に出る。
「ゼロは…わたしたちのためにたたかってくれてるのに……!」
仲間達のために体を…命を張って戦って…そして傷つき、眠っているというのに――――
「かってなこと、言わないで!」
今までアルエットからは聞いたことのない、大きな声に、メナートたちは思わず後ずさった。
小さな肩が上下に揺れる。その時間違いなく、アルエットは怒っていた。しばらく言葉を失った後、「ちっ」と舌打ちをし、メナートは取り巻きたちに顎で促す。
「……行こうぜ」
目を合わせないようにしながらアルエットの横を通り、そのままどこかへ去っていった。
「ふぅ」と深く息を吐き、自分を落ち着かせる。冷静になると、アルエットはついさっきの自身の様子に自分で驚いた。生涯で初めて怒ったかもしれない。
それからふと、ぬいぐるみと顔を合わせる。猫のような犬のようなそのぬいぐるみの額に、自分の額を当てる、柔らかく、温かい。
「ゼロ……」
――――早く元気になってね
祈るように、心のなかで呟いた。
―――― * * * ――――
廊下に響き渡る声に、思わずコルボーは足を止めた。
「彼の傷はいったいどうなっているんですか!? まだ治らないんですか!?」
「抑えてください! さっきから言うように、今それについては何とも説明できない状況なんです!」
耳をつんざくような二つの声。どちらも女性だ。片方は技術局に所属しているセルヴォの部下――――シーダであるのが分かったが、もう片方の聞き慣れない声の主が分からない。
尋常でない様子に、どうしてもそのまま放っておくことができなくなり、声のする方に足を向けた。
「なんとか答えてください! じゃないと…あたし! あたし!」
「とにかく! この場はもう下がってください! こう何度問い詰められても困ります!!」
技術局治療班の仕事部屋の入り口前で、シーダが見慣れない女性に詰め寄られていた。
「ちょっと二人とも落ち着いてください! 何があったんですか!?」
物々しい雰囲気の二人の間に、コルボーは割って入る。しかしその瞬間、聞き慣れない方の声の主は乱暴に身を翻し足早にその場を離れた。
微かに目に捉えた横顔に、若干の見覚えがあった事に気づく。確かあれは…――――
「“黄金の鷲”の生き残り……ティナさんよ」
思い出すよりも先にシーダが答えてくれる。
そう、ティナだ。あの日、雨でずぶ濡れのままこの基地を訪れ、ゼロが不利な戦闘状態に陥っていることを伝えてくれた女性レプリロイド。その報せから、エルピスはコルボーが所属するマークチームを招集し、ゼロの援護に向かわせたのだ。
「その……ティナさんが何を?」
「ゼロさんの様態についてよ。昨日も、一昨日も尋ねてきたの。あんな調子でね」
やれやれとシーダが肩をすくめる。あれだけの尋常ならざる様子で何度も問い詰められては、相当気疲れしていることだろう。
「……でも、実際のところどうなんですか? ……ゼロさんの様態は」
三日も経つというのに、回復の知らせは一向に耳に届いてこない。ティナだけでなく、他のメンバーも気にかけているのは当然だった。
コルボーの問いにシーダは思わず渋い顔をする。
「それが、私たちにも詳しくは知らされていないのよ。ゼロさんの治療経過についてはセルヴォ局長とブラウンの二人がチェックをしているんだけど……」
そのために、シーダはティナの問いに明確な返事をすることができなかったのだ。
「まあ、二人が見てる限り、悪い方向には行かないと思うから。時間はかかっているけど、直に良くなると思うわ」
そう行って話を纏めると、「それじゃ」と軽く手で挨拶をして、シーダは自分の仕事場へと戻っていった。
一人その場に残されたコルボーもそのまま自室に戻ろうと踵を返した――――が、不意に先程までここにいたティナのことが気になり始めてしまい、その場に立ち止まる。
先程までの様子を思い出すと、次第にどうにも心配で堪らなくなり、結局コルボーは基地内を捜し歩くことにした。
程なくして、肩を落としたまま廊下に佇むティナを見つけることができた。コルボーは半ば躊躇いながらも、思い切って声をかけた。
「ティナさん……ですよね?」
問いかける声に、少し驚きながらティナが顔を上げる。
「俺はコルボーって言います。――――ほら、先日ゼロさんの援軍に向かったマークチームの……」
「……どうも…はじめまして…」
そう言って、小さく会釈を返す。だが、すぐにティナの視線は目の前の扉に向かった。つられて、コルボーもそちらを見る――――そこは、ゼロが未だ眠り続けている治療室だった。
「まだ……治らないんですね」
しばしの静寂を破って、今度はティナが呟くように問いかける。「みたいですね」と短く答える。しかし、そのあとに「けど」と付け加える。
「あの人は、必ず元気になって戻ってきてくれますよ。……なんてったって、“伝説の英雄”様ですから」
苦笑いを浮かべながらも、決して嫌味ではなく本心からそう答えた。ティナもそう聞いて小さく笑うのだが、その顔は直ぐに曇ってしまう。そしてまた、扉の方を見つめるのだ。
「ティナさんはどうしてそこまで……ゼロさんのことを?」
思わず問いかける。先程からの様子や仕草、シーダを問い詰める姿など、余りに普通のこととは思えない。いったい何故そこまで、ゼロの治療経過を気にかけるのか。
しばらくティナは戸惑っているように、迷っているように、悩んでいるように……何度か扉を見ては俯くという仕草を繰り返し、それからようやく、まだ少しばかり躊躇いながらも問いに答えてくれた。
「扉を……開けたんです」
「扉を……?」
ティナは頷く。しかしその答えが、答えとしてまるで理解できず、コルボーは疑問符を顔に浮かべる。するとティナは、言葉を選びながら、慎重に続きを語ってくれた。
「ゼロさんの容態が気になって、中を覗いてみたんです――――そうしたら……少女の背中が見えました。とても小さな……背中でした」
シエルのことだと、コルボーは直ぐに見当がついた。そう言えばこの三日間、シエルはゼロに付きっ切りなのだと聞いていた。それこそ、周りが心配になるほど。
ティナが覗いた風景を想像してみる。コルボーには彼女の目に写ったその光景が容易に想像できた。――――傷だらけの英雄が眠る治療カプセルと、それに寄り添い続ける幼い少女の背中。
「ゼロさんは……あたしたちを守るために傷ついて……あんな事になってしまって……」
声が震え出す。シーダを責め立てていた声とは全く逆の弱く力のない声。
あの状況の中、自分は何一つ彼に協力することができなかった。ただ守られ、生かされ、味方を呼んだだけ。たったそれだけしかできなかったのだ。――――そしてその結果、彼はあれだけの重傷を負った。
「彼女に……申し訳なくて…」
彼に寄り添う少女の背中は、哀しみとも憤りとも取れぬ、何か重い空気に包まれていた。そしてそれを一目見ただけで、ティナは事の深刻さだけでなく、己の罪すら感じ、何か見えないものに酷く責め立てられた。非力であったこと。無力であったこと。彼が酷い姿で帰ってきた原因が自分にあるのだと思えば思うほど、胸が苦しくなって仕方が無い。
きっと、人間だったら涙を流していただろう。そんな顔をしていた。
その話のあと、コルボーは何も言葉をかけることができなかった。もしかしたら自分も同じ立場になっていたかもしれないと思えばこそ、掛ける言葉が見つからなかった。彼にできたことは、ただ、ティナが気持ちに区切りをつけてその場を離れるまで、傍に呆然と立ち尽くすことだけだった。
―――― * * * ――――
「局長!」
そう声をかけられ、セルヴォは勢い良く開いた扉の方へ振り向く。部下のブラウンが、解析資料を記録している平たい電子ボードを手に、セルヴォの仕事場である技術局長室へと駆けこんできた。
この三日間における、ゼロのメディカルチェックデータを解析していたはずだが、いったい何が起きたというのだろう。彼を呼ぶ声にどこか興奮した勢いがあることを感じ、セルヴォはなにか特別な事態が起きているであろうことを素早く察知し、席から立ち上がった。
「どうした、なにがあった?」
短く尋ねる。するとブラウンは一度自身の気持ちを抑えるために息を深く吸い、それを吐いてから、「これを見てください」とセルヴォに電子ボードを差し出す。
セルヴォは素直にそれを受け取り、画面に提示されている解析資料に目を通す。どうやら、ゼロの治療経過についての情報らしい。しかしそれは、いつも目を通している資料であり、セルヴォが期待したような特別なことは見受けられない。
「これが……どうした?」
肩透かしを喰らったような気分を抱え、問い返す。
「次のページです。早く目を通してください!」
そう急かされ画面をタッチし、次のページに目を通す。それはある一点に限った、修復状況を日毎の折れ線グラフに整理したものだった。
「……これは!?」
そのグラフから読み取れる驚愕の事実に、セルヴォは目を見開き、息を飲む。
そこに明かされた情報はどうにも信じ難く、けれど確かに希望と呼べるものだった。
―――― 4 ――――
カプセルを覆っていたガラスカバーが、数人の治療班メンバーの手によって取り外される。「治療が順調に進み、回復が近いから」とセルヴォに説明を受けた。治療開始から四日目の晩のことだった。
ガラス越しに見ていた時と何らかわりなく――――いや、「忘却の研究所」で眠りについていた時とも寸分違わず、ゼロの顔は途方もなく安らかで、だからこそ、目覚める時がはるか遠い未来のように思えてならなかった。
「……ゼロ」
また独りきりになってから、彼の名を呼んでみる。しかし、それに答えてくれる声はどこからも聞こえない。どこか小馬鹿にしたようで、それでいて優しさと親しみを含んだあの声を、しばらく聞いていない。
椅子の上で、シエルはその小さな膝を抱える。
どうしてこんな事になってしまったのか。それは自分自身が一番よく分かっていた。
それからしばらくして、不意に誰かが扉を二、三度程、軽くノックした。しかし、シエルはそれに答えない。今は誰にも会いたくない。そういう意思表示でもあった。なんと子供じみた、我侭で傲慢な態度だろうと自分で苦笑しそうになる。
やがて、シエルの了解を得ないまま、扉が開かれる。けれど、シエルは振り向かない。聞き慣れた足音のリズムと、背中から感じられる雰囲気で誰が来たのかはすぐに分かった。
「シエルさん……もうお休みになってください」
ノックの主――――エルピスが、シエルを気遣い声をかける。だが、シエルは小さな声で「平気」とだけ答え、その場を離れようとはしなかった。
その様子に戸惑いながらも、エルピスはもう一度出来る限りの毅然とした態度で言葉をかける。
「レプリロイドならともかく、人間の……しかもまだ幼いあなたが、休息を取らずにいてはいけません。自室に戻ってください」
「……食事も睡眠もしっかりとっているわ。大丈夫よ」
エルピスの方を振り向くこと無く、シエルはそう答え、忠告に従う気配すら見せない。だが、エルピスもそう簡単に退こうとはしなかった。
「セルヴォさんが言うように、もうゼロさんは完全な回復に近づいています。あなたが見守っている必要も無いでしょうし……それに万が一、あなたが体調を崩しでもすれば、それこそ本末転倒というものですよ」
「そんなにヤワな体じゃないわ。知ってるでしょ」
遺伝子操作によって産まれたシエルの体は、確かに免疫力も高く、病気などになることも殆ど無い。だが、エルピスにとってそんな事実はどうでも良かった。彼女の、まるで八つ当たりのような態度に引っ掛かりを感じてならない。
めげること無く、三度説得の言葉をかけようと口を開く。だが、胸の内を覆う靄々とした想いが、喉を詰まらせる。彼女を気遣う言葉を飲み込み、代わりに、その想いが言葉となって漏れ出す。
「そんなにその男が大切ですか?」
唐突な問いに、思わずシエルはエルピスの方へ振り返った。そうしてようやく、二人の視線が交錯する。もちろんシエルも戸惑いの色を浮かべていたが、口を衝いて出たその問いにエルピス自身、戸惑いを隠すことはできなかった。どこか嫉妬じみた、無様な言葉であったと我ながら思う。弁解の言葉を探したが、それを見つけるより早く、シエルが答えを告げた。
「……大切だよ。みんな…大切」
そう言いながらシエルは微笑んだ。どこか空虚で、哀しい微笑み。
彼女がそういう少女であることを、エルピスも理解していたはずだった。仲間だけでなく敵の命すら愛おしみ、傷つく者がいれば心を痛め、死にゆく者がいれば胸を掻き毟られる、そういう少女だった。
「『みんな大切』というのであれば…――――」
けれど今の彼女の姿は、エルピスにはどこかいつもと異なっているように見えて仕方がなかった。
「――――…何故……その男にばかり…そこまで……」
他に傷ついた仲間はいくらでもいる。死んだ仲間も大勢いる。だというのに、何故、ゼロというただ一人の戦士が“重傷を負った程度”で彼女はここまで心を病んでしまったのか。エルピスにはそれが理解できなかった。――――いや、理解したくなかったのかもしれない。
「…エルピスの言うとおりね」
シエルは乾いた苦笑を浮かべる。
「私のやっていることはひどく不公平で……私の言葉は偽りに聞こえるかもしれない」
少しだけ俯き、足元を見つめる。言い過ぎてしまったかと、エルピスは何とか取り繕うための言葉を探したが、見つからない。そうこうしていると、シエルは言葉を続けた。
「多くの仲間が傷ついて、殺されて、死んでしまって……」
ミランやパッシィ、その他にも大勢の仲間が死んでいった。
「たくさんの仲間を失ったわ。この戦争で…戦いの中で……理想を求めて」
それでも尚、戦いは続く。ネオ・アルカディアとの激闘は続いてゆく。いつか信じる未来を勝ち取れるその日まで、決着することなど無いのだ。――――この先、どれだけ多くの犠牲を払うことになろうとも。
「けど」
そう言葉を切って、シエルは顔を上げる。そして、エルピスと再び視線を合わせる。その瞳は涙で滲んでいた。
「 ゼ ロ は …… 違 う ! 」
精一杯、語気を強める。その声は部屋中に響いた。
「ゼロは……! ゼロが戦う理由は……」
シエルが言い切る前に、エルピスはようやく全てを理解した。彼女が何を口にしようとしているのか。そして、彼女の真意がどこにあるのか。
「ゼロには……ネオ・アルカディアと戦う理由なんか無かった!」
その言葉を、それに続く台詞を口にさせるべきではないとエルピスが感じたときには既に手遅れだった。
シエルが抱えていた想いが、抑えていた気持ちが、堰を切って溢れ出す。
「だって…! だって彼は眠っていたのよ! ずっと! この世界とは関係の無い場所で! ずっと眠っていたんだもの!」
「忘却の研究所」と呼ばれた場所で、この世界の争いとは関係の無い場所で、彼は眠り続けていた。誰に出会うことも、誰かに侵されることもないままに、彼は眠り続けていた。もしかしたら、今もずっと眠り続けていたかもしれない。けれど――――
「それを…私が目覚めさせた……!」
大粒の涙が一つ、また一つと床に零れて弾ける。「もういいです」とエルピスは慌てて制止の言葉をかけた。しかし、その声はシエルの耳に届かない。言葉は溢れ続ける。大粒の涙と共に。
「私が英雄に縋ったから! 私がゼロを頼ったから!!」
救いを求めた。「英雄」という名の伝説に。自分たちの理想を遂げるための、手段として。無関係だった彼を、この世界に引きずり込んだ。
「それなのに、ゼロはそれを受け入れてくれた! ゼロは私の願いを受け入れてくれた! 戦ってくれた!! みんなのために! 私たちのために戦ってくれたのよ!!」
幼い少女が掲げる遠い理想を。弱者達が求める僅かな希望を。それら全てを受容し、彼は戦うことを承諾してくれた。かつての親友に刃を向けることすら、構わないと。そして剣を振るった。仲間を救うため。守るため。
「戦って! ……戦って! ……戦って……!」
そして今、彼は――――……‥‥
「もう、いいです!」
今度はエルピスの声が部屋中に響く。シエルは涙を流し続けながら、再び俯く。肩が震えている。
なんと言葉をかければいいのか、分からない。
どれだけ高度な頭脳を持っていようと、合理的な判断ができようと、気持ちに思考が追いつかなければ意味が無いのだとエルピスは気づいた。いや、もしかしたら、思考が進みすぎてしまったのかもしれない。気持ちを置いてきぼりにしたままで。
自責の念に駆られながら、エルピスは振り返り、部屋を出ようと足を扉へ向けて運び出す。扉の前に立ったとき、シエルがボソリと小さく呟く。
「目覚めさせなければ……よかった…のかな……?」
こんなにも傷つくならば。こんなにも苦しめてしまうならば。出会わなければ良かったのかもしれない。目覚めさせなければ良かったのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
扉の前で立ち止まったまま、エルピスは最後に一言だけ、言葉をかけた。
「彼のおかげで助かった者たちもいます。それは……確かなことです」
誰のためでもない、シエルのための言葉だった。
それから、無機質なシャッター音と共に、エルピスは部屋を出て行った。一人残ったシエルは、再び、ゼロの顔を見つめる。けれど、涙で滲んではっきりとは瞳に映らない。
――――分かってる
全て、理解している。ゼロのこと、そしてこの戦争が激化した原因――――どれもこれも、全て自分の責任であることくらい、彼女はとうの昔に理解している。
そして、その責任とまともに向きあうことすら出来ない弱い自分も、理解していた。だからこそ、想い、悩む。
――――どうして…私は……こんなにも…
どうしてこんなにも
愚かに生まれてきたのだろうか
胸が締め付けられる想いの中、嗚咽を堪えながら、シエルは咽び泣く。
後悔、贖罪、自責――――…様々な想いに苛まれながら、どれだけ泣こうとも枯れることのない涙を、流し続けた。
―――― 5 ――――
――――ここはどこだ……?
血のように染め上げられた紅の空の下、暗闇に蝕まれた大地の上、“彼”は立ち尽くしていた。
――――……たくさん…殺した
両の手は殺戮の感触が生々しく残り、目前には己が築き上げた屍の山が堆くそびえ立っている。
天に浮かぶ暗黒の雲と太陽。
きっとここは世界の終わりなのだろう。
――――俺がやったのか…?
しばらく立ち尽くし、考え込んだ後、確信した。
そうだ、俺がやった。
多くの者達を斬り捨て、なぶり殺し、破壊の限りを尽くしては、この地上を地獄へと変貌させた。
“俺”がそうした。
憎むべき敵だけでなく、途方も無い数の同胞の亡骸を積み上げ、友の肢体を八つ裂きにし、そして最後には愛する“彼女”までも手にかけた。
他の誰でもない、この“俺”がそれをやり遂げたのだ。
――――なんて…………
およそ正常なレプリロイドの行いとは思えないほど、なんて惨く、醜く、凄まじい所業なのだろう。
それなのに……
――――なんて…………
体の奥から、熱い血潮と共に湧き上がってくるこの感情は。後悔でも、苦悩でも、悲哀でもない。この感情は。衝動は。それはまさに……‥‥
――――なんて…………“気持ちいい”のだろう
“快感”としか言いようがなかった。
不意に頭の中で声が、冷たく、鋭く響く。
(モット壊セ)
鐘が打ちつけられるような衝撃と共に、切り裂かれるような激痛と共に、頭の中で声が響く。
(モット殺セ)
ぐるぐると頭の中で、声が駆け巡る。
(モット壊セ モット殺セ)
その声に導かれるまま、彼は剣を振った。
――――もっと壊して、もっと殺して……
もっと斬って、もっと千切って
もっと砕いて、もっと抉って
――――もっと壊して、もっと殺して……
宙に舞う首。飛び散る体液。崩れ落ちる肢体。
そうしてまた、山を積み上げるのだ。
自分が作り上げた無数の死体の山を端から端、下から上までまじまじと見つめ、それからようやく、彼は全てを理解した。
――――そうか…。そうだったんだ
そういうことだったんだ。“俺”の存在。 “俺”の意義。 “俺”の理由。
その全てを理解した。
まさに今、この光景を作り上げることこそが、それら全ての答えだったのだ。
――――俺は…“破壊”のために生まれた……
“破壊”のために作られ、“破壊”のために生きる。
――――そして、俺は
誰のためでもない。己のためでもない。
――――ただ“破壊”のために戦うのだ
破壊して、破壊しテ、破壊シテ……
ソシテソノ果テニ、イツカ………
「ハハ…」
思わず、笑いがこぼれる。
「ハハハハハハハハハハハハ…」
運命を、宿命を呪うように、嘲笑うように、雄叫びにも似た悲痛な笑い声を上げた。
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……‥
――――駄目だよ…ゼロ
湧き出る高笑いを遮るように、聞き覚えのある声が頭に響く。
――――“そんなもの”に呑まれちゃいけない
その声は確かに、眠りから目覚める時、ゼットセイバーを引き抜く時、遺跡で導いてくれた“あの声”だった。
――――本当にそれでいいの?
「何ガダ?」
問いの意味がわからず、問い返す。
声は少しだけ間をおいた後、ただ一言で返した。
――――“戦う理由”
それを聞いた瞬間、彼は不満気に姿のない“声”の主を睨みつけた。
「オ前二、何ガ分カル?」
俺は“破壊”のために作られた。
“破壊”のために生まれた。
それならば進む理由は“破壊”であるべきだ。
戦う理由は“破壊”であるべきだ。
生きる理由は“破壊”であるべきなのだ。
それなのに、それ以外に一体何を求めるというのか。何を理由としてゆけばいいというのか。
どれだけ時間が経とうと、どれだけ世界が変わっても、破壊者として生まれた自分には破壊者としての生きる道と、破壊者としての末路しか用意されてはいないのだ。
そう――――
“自分を含めた全ての破壊”
そんな終焉にしか辿り着けはしないのだ
自嘲めいた言葉を投げる彼に、“声”はある一点を、その見えない指で指し示した。
――――聞こえない?
「何ガダ?」
何が何だか分からないという彼に、“声”はくすりと、しかし決して嫌味っぽくなく笑いながら教えた。
――――もっとよく耳を澄まして。……消えちゃいそうなほど、小さな声だから
その声のとおりに、耳を澄ましてみる。じっと息を殺して。静かに、黙ってただ耳を澄まし続ける。しかし、しばらく耳を澄ましてみても“声”が示しているらしきものはどこからも聞こえてこない。
相変わらず、静寂だけが立ち込めている。
痺れを切らし、どういうつもりだと“声”を問い詰めようとした――――その時…
「…………コレハ…」
聞こえる。涙まじりの少女の声が。
目覚めたあの日に聞こえたそれと何ら変わりなく、彼の耳に届いた。
――――あの子の声だよ
あの心優しい少女の声だよ。
――――本当にいいのかい?
「全ては破壊のためだ」と他の物何もかもを切り捨てて、振り切って、そういう生き方で構わないのか。戦う理由がそれだけで本当に良いのか。
そう問い質され、彼は戸惑った。
「……なら…どうすればいいんだ…?」
“破壊”のために生まれた自分は。“破壊”のために作られた自分は。
「“破壊”のために生きるな」と言うならば。「“破壊”のために戦うな」と言うならば。
生まれてきた意味を否定するならば。
一体何を求めればいい?
なんのために戦えばいい?
なんのために剣を振ればいい?
「何のために在れば良いと言うんだ?」
“声”は再び笑った。爽やかに、優しく、柔らかく。
その瞬間、暗黒の世界に一筋だけ光が差した。眩しく、鮮烈な光。
いや、それだけではない。その光の差し込む一点から徐々に、世界は色を取り戻してゆく。暗黒の太陽と雲は白く塗りつぶされ、血のように紅かった空は雄大な青へ姿を変えてゆく。築き上げた屍の山は砂と化し、風に消え、大地は緑に覆われていく。
そして、その大地に一輪の花が咲く。優しく、温かく、穏やかに吹く風の中、その花は揺れている。ゆらゆらと揺れている。
その花の名前は、確か……
――――その答えは、僕から言うことはできない
“声”は言った。
――――けれど、必ず見つけられるはずだよ
かつての君が、それを見つけたように
――――あの子の為に……みんなの為に戦い続けてほしい
彼女が流す涙の向こう側に、きっと君の求める答えがあるはずだから
その声に、言葉に包まれて、いつしか視界はぼやけてゆく。
“声”と、この世界と別れる時が来たのだ。
「待ってくれ! …俺は…まだ……」
答えを得られぬまま、戸惑いを抱えたまま去ることはできない。しかしその言葉もかき消される。それだけではない。その場にあったはずの自分の体も、感覚も、文字通り全てが暗黒に呑まれてゆく。
世界が閉じてゆく。
――――ゼロ。みんなを任せたよ
最後に頭に響いたのは、またしても目覚める前と変わらぬ、ただ一言だった。
―――― * * * ――――
「…ゼ…ロ……?」
涙を拭う手に気づき、シエルは彼の顔を見る。カプセルの中で眠っている筈のゼロの瞼が半分だけ開いて、彼女の方を見つめていた。
「……ゼロ…」
こみ上げる想い。胸が熱くなってゆく。
「…ゼロ」
その名を呼ぶ度に、様々な感情が止めどなく溢れ始める。
「ゼロぉ!」
一際大きな声で彼の名を呼び、横たわっている彼の体を抱き締める。枯れたはずの涙をボロボロと零しながら、強く、強く抱き締める。
「……く…な…」
掠れていて聞きづらいが何か言葉を発している。泣き喚く彼女に向けて、彼は声をかけている。
「泣…く……な……小…むす…め」
ようやく聞き取れたその言葉に、シエルは泣きながら怒ったように、けれどどこか嬉しそうに、言ってやった。
「『泣くな』なんて言うなら……泣かせるようなこと…しないでよ…」
ゼロの手が、慰めるように優しく頭を撫でる。
その手から発せられる熱が、彼の生還を確かに感じさせてくれた。
NEXT STAGE
渇望/葛藤