ババアVS最強の生物
夜の繁華街。
赤々と赤や黄色の色とりどりのネオンが光り輝き、一日の仕事疲れを癒すために店に入っていく背広姿の人間達の雑踏で道は埋まっていた。
その人波の中で、一人異様な服装をした人物が歩いていた。
胸元を大きく開いた艶かしい巫女装束と袴という煽情的な服装に、首には大粒の白壇の数珠を下げている。
その容姿も美しく、腰まで下げた艶やかな黒髪と、白い滑らかな肌が特徴的な、百人の人間が見れば、百人全てが振り返るであろう妖艶な美貌を誇っている。
これだけ特徴的な人物ならば、この人ごみの中でも目立ち、人々の視線を集めているはずである。が、誰も彼女を気にしない。まるで彼女という存在に気がついていないかのように、人ごみは次々と通り過ぎていく。そして、その人ごみの間を縫うように、彼女は道を進んでいく。
彼女こそ“闇”の無手組最強の一影九拳が一人、“妖拳の女宿”櫛灘美雲である。“技10にして力要らず”と言われる櫛灘流柔術を極めた達人であり、一影九拳では唯一の女性でもある。
一見すると二十代にも見える若々しい容姿をしているものの、この容姿は櫛灘流の秘伝の一つである不老長寿法によって保たれたものであり、その実年齢は同じ九拳の一人である“拳魔邪神”シルクァッド・ジュナザードよりも上である。
彼女の弟子である櫛灘千影も、幼い頃から櫛灘流を仕込んでおり、今では幼いながらもその実力は他のYOMIと比べても遜色の無いものとなっている。
だが・・・、
(やはりまだ、心が弱いかのう)
美雲は人ごみを縫うように歩きながら考える。ちなみに、このような目立つ服装と容姿で人々の視線にさらされないのは、彼女が巧みに人の感覚の隙間を縫って歩いているからである。彼女ほどの達人にもなれば、特に意識しなくとも、このような動作は容易く行える。
それはともかくとして、彼女は今悩んでいた。原因は彼女の弟子である千影である。
無論彼女の実力に対するものではない。彼女が気にしているのは、弟子の心についてである。
(梁山泊の弟子がラフマン殿の弟子に潰されるのを見せ、千影の心を闇に落とすのは失敗した、が、今回ならば問題あるまい)
彼女の弟子である千影は、まだ完全には闇の思想に染まりきっては居ない。
それはまだいい。千影はまだ年齢的にまだ幼いため、時間を掛けて闇の思想に染めていけばいい、美雲はそう楽観的に考えていた。
しかし、彼女の目論見を破綻させかねない存在が現れた。梁山泊唯一の弟子、白浜兼一である。
最初は取るに足りないものだとして、千影の試金石代わりにしようとでも考えていたが、あの弟子との交流によって、千影の心が惑わされていると感じていたのだ。
このままでは“一なる継承者”以前に今まで教え込んできた闇の精神に綻びが出かねない、そう考えた美雲は、本来は千影が行うはずだった兼一との決闘を後回しにし、同じ九拳の友人である“拳持つブラフマン”セロ・ラフマンの弟子、イーサン・スタンレイと決闘させることにしたのである。実力的に言えばスロースターターの兼一よりイーサンの方が上、ましてや姉を失うかもしれないという恐怖に後押しされたイーサンならば、確実に勝てると踏んだ上での選択である。
そして極めつけは千影を決闘の立会人にしたことである。彼女に活人拳の弟子が殺人拳に倒される様を見せて、再び闇の思想に傾倒させようという計画だった。
が、結局予想ははずれ、イーサンは兼一に敗れた。恐らくあの隼人が何かしたのであろう。失敗はしたものの、千影の育成はそれなりに進んでおり、武器組との組み手でも問題なく勝利できた。表面上は再び元の通りに戻ったようである。・・・あくまで表面上は、だが・・・。
しかしいずれにしろあの弟子は排除しておくべきである。その為にもジュナザードを唆して隼人の孫娘を誘拐させた。あの娘が誘拐されれば白浜兼一は救出に行かざるを得まい。
今頃ジュナザードが帰還したティダード王国に向かっている頃だろう。恐らく梁山泊の達人のいずれかも着いていっているだろうが、関係は無い。あのジュナザードには、たとえ梁山泊の達人でも勝つのは難しいだろう。勝ち目があるのはせいぜい隼人位のものだ。そしてティダード王国の国民はジュナザードを崇拝するものばかり。探索も救出も容易にはいかないだろう。
「ただ・・・、懸念要素が一つ、じゃの」
唯一懸念すべきことがあるとすれば、九拳の同僚である“人越拳神”北郷晶の動向である。
つい最近、あの男が弟子二人と共にティダード王国に向かったという報告を聞いた。
ジュナザードは、隼人の孫娘を攫う際に、本郷を利用したらしいから、それが本郷の逆鱗に触れたのだろう。
しかし、同じ一影九拳とはいえ、かつて救国の英雄として列強の軍隊と長年戦い続けたジュナザードと、本郷晶との間には決定的な経験の差が存在する。
無論、本郷と梁山泊の達人が手を組んでジュナザードと闘えば、ジュナザードも苦しいだろうが、武人としてそれはないだろう。一対一ならばジュナザードが有利だ。
元々一影九拳は単なる不可侵条約のようなもの。仲間意識が無い人間が多い。本郷晶とは特別親しいということは無かったから、同士討ちをしたところで此方にとっては痛くもない。
そして、かの地であの弟子も死んでくれれば儲けものだ。あのジュナザードのことだから弟子にした隼人の孫娘と白浜兼一を闘わせる等のことをするかもしれない。そうすれば力量的に風林寺の娘の優位で勝利が決まろう。万が一倒されてもその時はジュナザードの配下か、ジュナザード自身が手を下すであろうから、問題はない。
美雲は内心ほくそ笑みながら、路地外れの自動販売機でペットボトルのお茶を購入した。
キャップを捻って開け、ペットボトルを口に近づけ、グイっと煽る。味は玉露のような高級茶葉には及ばないものの、喉を冷たいお茶が通り過ぎていく感覚が、中々に心地いい。
そして、お茶を飲みながら、再び人だかりのある路地を歩む。無論、誰にも気付かれることなく。
「もうすぐ、か」
美雲は空を見上げ、感慨深げに呟く。
もう直ぐ、“闇”が待ちわびた“久遠の落日”が訪れる。
大いなる戦乱、世界大戦。多くの闇人が待ちわびる時。
だが美雲の視線は“そこ”には無い。
彼女の目的は、“とある存在”を打ち倒すこと。
その存在は、自身と、自身の流派と、否、この世に存在する武術全てと相容れないもの。
その存在を打ち倒し、自身の流派こそが最強と証明する。
それさえできれば彼女にとって、久遠の落日などどうでもいい事なのだ。
「そのためにも、我が弟子の育成を急がねばな」
万が一にも自分がその戦いで命を落としたとき、自らの極めた技、秘伝が失伝する事はあってはならない。
その為にも、弟子の育成を急ぐ。千影は、心がまだ未熟とはいえ、その潜在能力、才能共にこれ以上無い逸材だ。自身の技を受け継がせるに相応しい。万が一の時には、あの子が我が櫛灘流を・・・。
「ん?」
と、美雲は異様な気配を感じ、脚を止めた。
その気配は、此方をうかがっている、まるで、自分を誘っているかのように。
しばらく意識を研ぎ澄まし、その気配をうかがっていると、突如その気配が移動を開始した。
「・・・ついてこい、とでもいうのかの」
美雲は一気に残ったお茶を飲み干すと、薄い笑みを浮かべた。
一影九拳の一人である自身の名は、それなりに広まっていると自負はしていた。一部には自分が死んだと思っている連中も居るようだが。ゆえにこの首を狙いに来た達人、柔術家は、十人や百人は下らなかった。無論全員返り討ちにしてやったが。
(しかしこの気配、そやつらとは違うな・・・)
だがこの気配の主は違う。気配からして今まで闘ってきた相手とは別物だと分かる。相当な使い手であるのは間違いない。それこそ、自分達一影九拳と比肩するような・・・。
「ふむ、少し挑発にのるのも面白いかもしれんの」
美雲は空になったペットボトルを握りながら、気配の後をついていった。
人だかりの多い路地を抜け、街頭で照らされた道路を歩き、どれほど歩いただろうか。美雲はいつの間にか公園に到着していた。
昼間は子供たちが楽しく遊んでいるであろう滑り台やブランコといった遊具も、夜には誰も乗る者がおらず、明るく光る外灯の光を反射して黒い影絵のような姿をさらしている。
美雲は自分をわざわざ此処に誘った人物を探して辺りを見回す。しかし、先ほどまでの気配が全く感じない。まるで、最初から誰も居なかったかのように。
「出てくるがよい、わざわざこのような年寄りにこのような場所まで歩かせたのじゃ。少しは労いの言葉でもかけたらどうじゃ」
美雲は声を出して自分を公園に隠れている何者かに呼びかける。
が、公園は沈黙で静まり返ったままだった。美雲が気のせいだったか、と思いかけた瞬間
(・・・!!後ろか!!)
背後から此処に誘った者と同質の気配を感じ、すぐさま振り返ると、空のペットボトルを投げつけた。
が、それは途中で真っ二つに割れて地面に落ちる。やがて、地面を踏みしめる音と共に、何者かが此方に近寄ってきた。
「おいおい、いきなりペットボトルを投げるのはいかんだろ。ゴミはゴミ箱に入れろって教わらなかったのか、お嬢さんよ」
気配の主の声が聞こえる、声の質からすると男のようだ。美雲は肩を竦めて返答を返す。
「是非もあるまい、夜中の公園にいきなり誘われたのじゃ。どこぞの不審者かと思うたぞ。して、そちはなにものじゃ。我が名は櫛灘美雲という」
美雲の自己紹介を聞いた謎の影が、驚嘆の声を上げた。
「ほう・・・こりゃ驚いたな。既に失伝したと言われ、伝説とも呼ばれた櫛灘流の使い手、櫛灘美雲が、こんな別嬪さんとはね。てっきりよぼよぼの婆さんかと思ったが」
気配の主は、喋りながらゆっくりと美雲の方へ近づいてくる。まるで影法師のようにしか見えない姿が、段々と輪郭を伴って見えてきた。手には、何か鎖につながれた鎌と分銅を持っている。おそらくは鎖鎌、それで美雲の投げたペットボトルを斬ったのだろう。ならばこの男は武器使いか?
「やれやれ、このような美女に向かって婆さんとはの。まあ確かにかなりの年はくっておるのは事実じゃが、これでも若い者には負けてはおらんぞ?」
「確かに。街中で妙な気配の人間が居たから少し誘いを掛けてみたら、どうやら当たりを引いたようだ。いや、今夜はいい夜だ」
男の声に、美雲はクッと笑みを浮かべる。
「はてさて、真にいい夜かはしらぬぞ?下手をすればそなたの命日やもしれぬ。それで、ぬしの名は何じゃ?」
「おっと、こりゃ失敬。まだ名乗ってなかったな」
やがて、男の姿が外灯に照らされて、完全に露になる。男の髪は伸びるにまかせており、あごには無精髭が生えている。両手には無造作に鎖鎌が握られており、それがなければ何処にでもいそうな中年の男に見えたであろう。
「某の名は、本部以蔵と申す」
男の名乗りを聞いた美雲は感嘆の吐息を吐いた。
「ほう、かの本部流柔術の創始者か。なるほど、道理で・・」
美雲は背後に下がって距離をとり、ゆっくりと構える。一方の本部以蔵は、両手の鎖鎌を無造作に下げたまま、しかし両目は油断無く美雲を捉えていた。
「こちらも、かの一影九拳が一人、櫛灘美雲にお目にかかれるとは、光栄の至りといったところか。ま、夜は長い。じっくりと楽しもうじゃないか」
本部の言葉に、美雲は笑みを深めた。
「いやはや、最近は雑魚ばかり喰ろうて飽きてたところじゃ。久しく、燃えそうじゃの」
そして、夜の公園で二人の柔術家の決闘が始まった。
あとがき
どうも皆さん、今回も前編後編に分けてお送りいたします。
今回はババアこと櫛灘美雲VS『公園』最強の生物、本部以蔵との戦いです。
・・・え?勇次郎じゃないのかだって?何言ってるの?最強の生物は本部さんじゃないか。公園限定で。
次回、遂に本部と美雲のバトル開始です。乞うご期待を!!