――少女は、絶望していた。 春の使い魔召喚の儀。それは神聖にして絶対のもの。生涯の『パートナー』たりえる存在を呼び出し、それが持つ性質を見て、進むべき専門課程を決定する――いわば今後の進路を左右する大切な場で真の名前を用いなかった、その報いがコレなのか。この世界の『始祖』は、どこまでわたしに試練を与えれば気が済むのだろう。 ――彼は、困惑していた。目に映る……今の自分を取り巻く環境に。 抜けるような青い空と、広く豊かな草原。それはいい。周囲にいるまだ子供といってもよい年齢の人間たちと、見たこともない妖(あやかし)ども。そして己の目の前に立つ、氷のような瞳の内に深く暗い絶望の色を宿す青い髪の少女についても、まあ後で考えればいいだろう。だが……。「何故に、わしだけがここにおるのかのう……」 ……しかし、その疑問に答えてくれる者はなく。「おいおい、雪風のタバサが平民を呼び出したぞ!」「まさか、召喚に失敗したのか?」「彼女はトライアングルだよ? ありえないだろ。ゼロのルイズならともかく」「ちょっと! わたしならってどういう意味よ!!」 自身以上に困惑した声が響くのみであった。が、ほんの少しだけ状況を判断するに足る発言があったのは確かである。 まずひとつ。彼らに『雪風のタバサ』と呼ばれている者が、自分をこの地へ連れてきたのであろうということ。 ふたつ。その際に、何らかの手違いがあり――何故か、自分『だけ』がここへ引き寄せられてしまったのであろうということ。 そして最後に。目の前にいる、小柄で痩せた少女こそが『雪風のタバサ』。つまり、自分をこのような状態にした本人であろうということ。 だが、推測のみで判断すべきことではない。まずは、この異常事態を生み出した原因と思われる者に確認を取るべきだろう。そう判断し、彼は口を開いた。 ――男性は、狼狽していた。 毎年春……フェオの月に行われる<使い魔召喚の儀>。それは、このトリステイン国立魔法学院において、2年生へと進級するために必要な試験にして、神聖な儀式である。男性――この儀式における、監督責任者『炎蛇』のコルベールの記憶においても、また、過去の歴史を鑑みてもありえない『事故』を目の前に、彼は激しく混乱してしまった。 この事故を起こした少女は、非常に優秀な生徒である。そんな彼女が、まさか取り扱いの簡単な汎用魔法のひとつである<サモン・サーヴァント>を失敗することなどありえない。いや、実際失敗ではないのだろう、なにせ『呼ばれた者』が目の前にいるのだから。 では、いったい何をして彼をここまで困惑させているのか。それは<召喚>された者が人間だということだ。<サモン・サーヴァント>は、使い魔をこの世界の何処かから呼び出す魔法。しかし、人間が呼び出された例など過去にない。 それだけならばまだいい……いや、よくはないのだが。タバサの前にいる少年――年の頃は、おそらく15~6といったところであろう彼の服装は、あきらかに自国の民が身に着けるようなものではなかった。純白の布を頭に巻き、橙色の――国内では見たこともない造形の胴衣を着ており、さらには濃紺のローブ、ともマントとも言えるような、これまた不可思議な造りの外套を身に纏っている。 周囲にいる生徒達は呼び出された少年をひと目見ただけで『平民』と断じてしまったようだが、それは彼が『杖』を手に持っていない、ただそれだけの理由だろう。だが、コルベールの目から見るに、少なくともただの平民ではないように思えたのだ。もしも呼ばれたかの少年が異国の貴族であったなら、最悪国際問題に発展しかねない。 それに。今のところ、かの少年に敵意――周囲の者たちに対し、何らかの抵抗をしようといった雰囲気はない。しかし、状況の推移によってはどうなるかわからない。だから、コルベールは事態に介入すべく動いた。 ――少年は、少女に問うた。「雪風のタバサ……と、申したか? わしをこの地へ呼び出したのは、おぬしで間違いないかの?」 少女は少年の声を聞き、コクリ……と、小さく頭を縦に振った。 頭痛がする。おそらくは、自分だけが強制的に引っ張り出されたせいだろう。頭を振りながら、少年はさらに質問を続けた。「なるほど。で、いかなる理由でわしを……」 ――が、その言葉は最後まで紡がれることなく、他の声に遮られた。「お話中のところ申し訳ありません……私はジャン・コルベール。二つ名は『炎蛇』。このトリステイン魔法学院で教師を務めている者です。ミスタ、えー、大変失礼ですが、お名前を伺ってよろしいでしょうか?」 真っ黒な長衣に木の棒を持った、年齢の割に頭髪のやや寂しげな男が声をかけてきた。おそらく、この場の責任者的存在なのであろう。少年は、そう判断し――改めて『観察』を始めた。 この人物は、周りにいる子供達と異なり、柔らかな空気を醸し出してはいるものの……それ以外の全て――たとえば移動のための動作ひとつとっても全く隙がない上に、さらに周囲の者たちに一切それを悟らせていない。この者に、武術の心得があるのは間違いなさそうだ。それも、ほぼ確実に実戦の経験がある。 今のところ、彼らに敵意はないようだが……『半身』から引き剥がされ、見知らぬ土地へ連れてこられた今、自分にどれほどのことが可能なのか判断がつかない。ならば、こちらから攻撃を仕掛けたりするのは愚の骨頂であろう。まずは、情報を集めることから始めなければならぬ。瞬きするほどの間で、そこまで検討を行うに至った少年は、大人しく問いかけに答えることにした。 名前……か。いくつかの名を持つ自分だが、今この状態で名乗るのならば、これが最も適切であろう。「わしの名は『太公望』呂望(たいこうぼう・りょぼう)。太公望と呼ぶがよい」