ハリーは、目玉が零れ落ちそうになるくらい、目を大きく見開いている。それは、当然の反応だろう。自分の両親を殺して、自分の人生を狂わした男の魂(の欠片)が、自分の中に眠っていると言われたのだから。驚かないわけがない。
パイプを抜けると、再び杖を振るった。ぼぅっと壁一面の蝋燭に火が灯る。先程までひんやりと肌寒かったのだが、これで少しはマシになった。
「『フィニート‐終われ』」
軽くつぶやくと、浮いていたハリー達が静かに床に転がる。ハリーは難しい表情を浮かべていた。凍結呪文が解けたときのため、ハリー同様縄に巻かれたネビルの表情は読み取りにくかった。まだネビルは凍結呪文の効果で、顔の筋肉まで動けないのだ。だが、ネビルの唯一動かすことを許された目玉には、ハリーと同じ動揺の色が浮かび上がっていた。
「では、作戦が成功したと連絡を取ってきます」
幻覚の魔術で作り出した壁の向こうにいた舞弥が、ゆっくりと口を開く。私は頷いて了承の意を示すと、舞弥は私に背を向けて去って行った。ここではマグルの通信機器が使えない。使うためには、特別なパイプを通りホグワーツの敷地外へ出なければならない。片道の所要時間は20分前後。近いようで遠い距離だ。遠くから、舞弥がパイプを走る音が響いてくる。かつん、かつんという舞弥の足音が徐々にフェードアウトし、ついに聞こえなくなった頃、ようやくハリーの口が開いた。
「それは、本当の話?」
ハリーが戸惑うような声で尋ねてくる。私は、コクリと頷いた。
「本当だ」
ハリーの顔に、ますます動揺した色が浮かび上がってくる。苦しそうに顔をゆがめ、眉間にしわを寄せ、私を見上げている。
「確かに僕は蛇語も話せるし、ヴォルデモートの心ものぞけるよ。でも、僕の中にヴォルデモートの魂があるなんて…ありえないよ」
「ありえないことが、ありえてしまう。……それが、魔法だろ」
私は淡々と答えると、投げ捨ててしまったキャレコ短機関銃を拾う。視た感じだと壊れていないようだ。ホッと安堵の息をこぼすと、鞄の中にしまった。ハリーに視線を戻すと、まだ納得がいっていないような愕然とした表情を浮かべている。私は心の中でため息をつくと、鞄の中に手を突っ込んだ。私は昼に食べようと思っていた、みずみずしい真っ赤なリンゴを取り出す。私は掌の上に置かれたリンゴを、ハリーの前にかざした。
「これ、なんだかわかる?」
ハリーの眉間には、さらに深い皺が刻まれた。間違い探しをする子供のように、掌の上に置かれた赤い果実を見つめる。
「…リンゴ、だろ?」
「そう、リンゴ」
左手に握った杖の先で、リンゴを横断する『線』を軽くなぞる。すぱん、とリンゴは呆気なく簡単に2つに割れた。リンゴ特有の甘い香りが、ふんわりと私の鼻孔をくすぐる。私は、半分に分けられたリンゴを口に近づけた。だが、視界の端に縄で縛られたハリーとネビルの姿が映った瞬間、思わず口元から離してしまった。そして、そのまま2つに割れたリンゴをジッと見つめる。私は、小さなため息とともにリンゴを冷たい床に置き、残った片割れを更に3つに切っていた。
「食べる?」
「いらない」
ハリーは首を横に振る。私は、続いてネビルの方へ視線を向けた。凍結呪文が薄れ始めていたネビルは、やっとの思いで口を動かす。
「い、ら…ない」
「……そう」
私は半分の、そのまた3分の1になったリンゴに噛り付いた。さくっという軽快な音が、静まり返った部屋に木霊する。甘い蜜が口の中を、続いて喉を支配していく。私がリンゴをしゃくしゃくと食べた時間は、わずか数秒ほど。だが、それが途方もない長い時間のように感じられた。
最後のひとかけらをのみ込むと、私は残った2切れのリンゴを差し出した。
「…食べる?」
「いらない」
だが、ハリーの返答は、ぐぅっという音に掻き消された。音の発信源はネビルの腹。ネビルの頬は、ポッとリンゴのように赤く染まった。私は、チラリとハリーの左腕を黙視する。ハリーの左腕につけられた時計の針は、12時をとっくにまわり、1時に差し掛かりかけていた。腹が減っていても、なにも不思議ではない。
「…僕は食べたいな」
「ネビル!」
ハリーがネビルを制しようとする。おそらく、このリンゴに何かが仕掛けられていると思っているのだろう。敵が与えてくる食べ物には、手を出さない。それは、普通のことだし逆の立場だったら手を出さないことだろう。もっとも、このリンゴは毒リンゴでもなんでもない普通のリンゴ。しいて特質する点を挙げるのだとしたら、蜜入りリンゴということくらいだ。
「大丈夫だよ、ハリー。だって、あのリンゴはセレネも食べたんだよ?毒リンゴなら、セレネは食べないはず。だから、食べても大丈夫」
ネビルは、私に挑戦するような視線を飛ばしてきた。私は少し微笑を浮かべると、2切れ目のリンゴをネビルの口元に差し出す。ネビルは口を大きく開け、リンゴに噛り付いた。ネビルの口からはリンゴの黄金の汁が、つぅっと滴り落ちる。
「ありがとう、セレネ」
「どうも」
私はそれだけ言うと、ネビルの傍から離れた。そして最後の一切れのリンゴを、ハリーに差し出す。ハリーは、様々な気持ちと葛藤しているようだ。ハリーは、悶えたり苦しんだりしないネビルを、横目で見る。そして私の掌の上に置かれているリンゴに、視線を戻した。
「……」
「見返りを求めたりしない。私はただ、1人で食べるのが嫌だっただけ」
私はハリーの口に、リンゴを突きつける。しばらく固く結ばれたハリーの唇だったが、堪忍したかのように少しだけ開かれた。しゃくしゃくと小さな音を立てて、ハリーはリンゴを食べきる。
「……ありがとう」
「どうも」
ハリーの返答を聞いた私は、リンゴの汁で濡れたナイフを丁寧に拭った。
「食べたリンゴは、戻ってこない」
「そりゃ…そうだよ。まさか、今食べたリンゴを返せっていうのか!?」
ハリーは、騙したのかとでも言いたそうな表情を浮かべた。私は首を横に振るって異議を唱えた。
「言っただろ、見返りは求めないって。
食べたリンゴは戻ってこない。だが、完全な形ではないけど、リンゴはまだここに『存在』している」
床に置かれたままの片割れを、再び掌の上に乗せた。ろうそくの明かりに反射され、きらきらと黄金の側面が光り輝いている。その中央にある黒い種は、小さな黒曜石のようだ。
「それと同じだ。人は殺されたら、そのまま死ぬ。だが、もし魂をこうして事前に半分にしておいたら、残された魂は死から逃避し、この世に存在し続けることが出来る」
私の言葉を聞いたネビルは、頭上に『?』を浮かべていた。だが、ハリーは何かに気がついたように、目を大きく見開く。
「まさか……僕を襲った時に、ヴォルデモートが死なずに済んだのは……事前に魂の一部を切り離していたから?」
ハリーの呟きを聞いたネビルは、目玉が転げ落ちるのではないかというくらい見開いた。私も少し驚いてしまった。もう少し、理解するのに時間がかかると思っていた。だが、ハリーも成長したらしい。私は微笑を浮かべた。
「正解だ、ハリー・ポッター。ヴォルデモートは事前に魂を一部…というか、複数に分割していた。だから、生き残ることが出来た」
「セ、セレネ!それは、ありえないよ」
ネビルが慌てたように口を開く。顔は真っ青に青ざめ、ぶるぶると震えていた。
「だって、それは…禁忌だよ!そんな恐ろしいこと、出来るわけない!」
「それが出来るのが、ヴォルデモート。アイツが禁忌なんて気にすると思うか?むしろ、1つ2つ破っていたって不思議ではない」
私は掌の中のリンゴを見つめながら、出来る限り淡々とした口調でネビルの問いかけに答える。
「…方法は十中八九『分霊箱』。人を殺すことで、引き裂かれた己の霊魂を隠し保存しておく入れ物という意味だ。『ホークラックス』とも言うな。……分霊箱に納められた魂の断片は、魂をこの世に繋ぎとめる役割を持ち『完全な死』を防ぐ効果を持つと言われている」
「そ、そんな魔法があったなんて」
愕然とした表情をネビルは浮かべた。彼が口を閉ざしたのを見計らったように、今度はハリーが口を開いた。
「でも……その『分霊箱』は、どこにあるの?」
「とりあえず、私と切嗣さんとで破壊した。数は4……いや、5つか。後はヴォルデモート本人が持つ魂と、形状も所在も分からない分霊箱が1つ。それから……アンタの中にあるヴォルデモートの魂を破壊すればいいだけ」
最後の言葉を口にすると、ハリーの表情もさぁっと青ざめた。私は半分になったリンゴの皮を丁寧に剥きながら、言葉を続ける。
「大方、アンタの母親の魔法で跳ね返った『アバタ・ケタブラ』がヴォルデモートの魂を破壊し、破壊された一部が、その場に居合わせた唯一生きていた人間……つまり、赤子だった頃のアンタの魂に引っかかったんだろうな。『アバタ・ケタブラ』と『分霊箱』を作り出す呪文は密接に絡み合っているし」
「……だから、『一方が生きる限り、他方は生きられぬ』なんだ」
ハリーは、消え入りそうな声で呟いた。ハリーの顔には、何の表情も浮かんでいない。だが、これは何も感じていないということではなさそうだ。あまりにも激しい恐怖と絶望で、感情同行では表せない領域に突き抜けてしまったのだろう。
「そんな……あんまりだよ。酷すぎる」
ネビルの震えた声が、『秘密の部屋』を木霊する。ネビルは涙で顔をくしゃくしゃにさせ、嗚咽を繰り返している。私は黙って、半分になったリンゴに噛り付いた。先程と同じリンゴのはずなのに、何故だろうか。口の中に広がっていく甘さが、半減している気がする。
「…今の話は、本当ですか……ミス・ゴーント」
入口の方から、細く震える声が響いてきた。私は危うく、齧りかけのリンゴを落とすところだった。入口に、人がいたことに気がつかなかった。もし、敵意を感じる『来客』がいた場合、アルファルドが警告を発してくれる手はずになっているから、警戒を怠っていた。まだ未熟な自分の落ち度に対して、下唇を少し噛みしめる。
だが、アルファルドが警告を発しなかったということは、『来客』が私に対して敵意を抱いていないということ。私は、そっと顔をあげて『来客』を見つめた。
「はい。ハリーの魂とは別の魂が、ハリーの中にあるのが視えるので、間違いないですよ……マクゴナガル先生」
マクゴナガル先生が胸元を押さえながら、立っていた。そこにいたのは、マクゴナガル先生だけではない。その隣には、さらに一回り背が高くなったロン・ウィーズリーとジニー・ウィーズリー。そして、スネイプ先生が立っていた。どの顔も、ひどく衝撃を受けたような色を浮かべている。
「で、でたらめを言うな!!そう言って、僕たちを騙そうとするなんて……」
目を真っ赤に充血させたロン・ウィーズリーは、私に真っ直ぐ杖を向ける。だが、ロンの震える手を降ろさせたのは、スネイプ先生だった。驚いたようにロンは目を見開き、スネイプ先生の顔を見た。
「いや、その話は本当だ」
「そうだとも!………え?」
ぽかん、とロンの口が開く。私も眉間にしわを寄せてしまった。ハリーの中にヴォルデモートの魂があるという考えにいたったのは、秘密の部屋に戻ってきてから。このことは、切嗣と舞弥にしか話していないのだ。なのに、スネイプ先生が知っていたということは、先生は独自に調べていたのだろうか?
「セブルス、どうして…断言できるのですか?」
マクゴナガル先生は、戸惑いを隠せない声色でスネイプ先生に尋ねる。スネイプ先生の顔は、若干青ざめているようにも見えた。
「セレネ・ゴーントの言っていることの内容は、考えられない事柄ではない」
「それは、そうですけど………でも、でしたらポッターは……」
マクゴナガル先生は、ふらふらっとよろめくと壁に背を預けた。だが、壁に背が当たった瞬間、ハッと何かに気がついたような表情を浮かべた。そして、私に素早く視線を走らせる。
「…ミス・ゴーント、貴女は『ヴォルデモート』の魂だけを斬ることが出来ますか?」
さすがマクゴナガル先生だ。頭の回転が速い。私は最後の一口を口の中に押し込むと、笑みを浮かべた。
「先生の言うとおり、私なら『ハリー・ポッター』を殺さずに『ヴォルデモートの魂』だけ殺すことが出来ます」
そう言った瞬間、うなだれていたハリーが顔をあげた。負の感情が大きすぎて虚ろだったハリーの瞳に、『希望』の色が浮かんでいる。
「本当なの、セレネ!?」
「ただ……1つ問題がある」
私はしゃがみこみ、ハリーの目を見つめた。
「私は、『ある目的が達成するまで、ヴォルデモートを攻撃しない』という『破れぬ誓い』を結んでいる。だから、目的達成までヴォルデモートの魂に攻撃できない」
「ある…目的?」
ハリーが聞き返す。『秘密の部屋』で呼吸している生物のすべてが、私に注目をしている。私はゆっくりと頷くと、口を開いた。
「アルバス・ダンブルドアを殺すこと」
周囲に動揺が走った。せっかく温まった『秘密の部屋』が、一段と冷え込んだ気がした。私を見つめていたハリーの瞳には、再び絶望の色が浮かび上がる。ハリーだけではない。ハリーの横で転がっているネビルも目にも、入口の所に立っている
先生方やロン、ジニーの目にも、明らかな動揺が浮かんでいた。ジニーが、ひぃっと小さな悲鳴を上げる。
「つまり……貴女は、貴女は…ダンブルドアが死ななければヴォルデモートに危害を加えることが出来ないのですか?」
マクゴナガル先生が、やっとの思いで絞り出したような震える声を出す。
「先生、その…分霊箱を壊す方法は……この人の『眼』を使う以外にないの?」
ジニーが恐る恐るという感じで、マクゴナガル先生に尋ねる。だが、マクゴナガル先生は答えない。代わりに答えたのはスネイプ先生だった。
「『バジリスクの毒』や『悪霊の火』で壊すことは可能だ」
「なら……」
「だが、ミス・ウィーズリー。それは『通常の分霊箱』の場合だ。ポッターにバジリスクの毒を注入すれば、確かに闇の帝王の魂は破壊できる。だが、それと同時にポッターの肉体も死ぬ」
スネイプ先生は、苦虫を潰したような顔をしていた。スネイプ先生の言葉を聞いたジニーの青かった顔色は、幽霊のように白く変化した。
分霊箱を壊すことは、簡単だ。今も監視を続けてくれているアルファルドに頼み、牙で一刺ししてくれればいいのだ。だが、それだと『ハリー・ポッター』という肉体まで滅んでしまう。肉体という器がなくなったハリー自身の魂は、行き場をなくしそのまま死ぬしかなくなる。同様のことが、悪霊の火など他の方法にも当てはまるのだ。
「じゃあ、『アバタ・ケタブラ』は?それで、ヴォルデモートの魂だけ殺すんだ!そうだよ、そうすれば、こんな奴に頼る必要なんて、ないじゃないか!」
ロンが『名案だ!』とでも言わんばかりの表情で叫ぶ。だが、マクゴナガル先生は渋い顔のまま首を横に振った。
「ですが、……ポッターの魂が殺され、ヴォルデモートの魂が生き残る可能性もあるんですよ」
「あっ……」
若干昂揚していたロンの表情が、一気に萎んでいく。
『アバタ・ケタブラ』で、ヴォルデモートの魂だけを殺せる可能性はある。もともと、ハリーという魂に付着している寄生虫のようなもの。ハリーの盾代わりになって、ヴォルデモートの魂だけ死ぬかもしれない。だが、ヴォルデモートの魂だけが残って、ハリー自身の魂が死んでしまう可能性もあるのだ。肉体の主導権を得たヴォルデモートの魂は、『ハリー・ポッター』になり替わってしまう。そうなってしまったら、大問題だ。
私は微かに震えているハリー・ポッターに視線を戻した。そして、この場にいるすべての人に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ダンブルドアを殺して、ハリーを救うか。ダンブルドアを殺さずに、ハリーを殺すか。ヴォルデモートを倒す選択肢は、それしかない」
どの人の瞳も、葛藤が浮かんでいる。
ダンブルドアが死んでも、ハリーが死んでも、魔法界に奔る戦慄は激しいものとなる。どちらも(恐らく)この場にいる人達の心の柱であり、反ヴォルデモート運動の象徴だ。だが、ヴォルデモートを倒すには、そのどちらかを亡くさなければならない。まさに『苦渋の決断』だろう。
息が詰まるくらいの沈黙が続く。そして、それを最初に破ったのは……
「僕は……」
ハリー・ポッターだった。ピリッとした緊張感が、秘密の部屋に奔る。……まさかハリーが最初に口を開くと思わなかった。てっきり、マクゴナガル先生かスネイプ先生、または私を否定する言葉をロンが叫ぶと思っていた。じぃっとハリーの虚ろな瞳を見返す。
ハリー・ポッターは、絞り出すように……自分の意志を口にした。
SIDE:アルバス・ダンブルドア
帰ってきたワシは、座りなれた椅子に腰を掛ける。歴代の校長たちを描いた肖像画が、口々に『おかえりなさい』と告げる。ワシは彼らに軽く会釈をすると、そっと目を閉じた。
だからといって、眠ったわけではない。これまでの考察を整理することにしたのじゃ。
分霊箱のありそうな場所の特定が出来た。トム・リドルが、孤児院時代に訪れた洞窟じゃ。もう少ししてから、ハリーに分霊箱の件を話そう。ハリーが分霊箱を壊そうと決意して初めて、ワシの計画も最終段階へと進む。トム・リドルも、まさかワシがここまで行動しているとは予想していないじゃろう。トムが魔法界最強の杖、通称『ニワトコの杖』を探している間に、確実に奴の退路をワシは潰していく。まさか、『ニワトコの杖』はワシの杖で、それはトムの目の前で破壊されたとは想像もしていないはずじゃ。そして、トムが我に返った時、すでにハリーに課した全ての準備が整っているはず。その頃には、ワシは死んでいるということにしておこう。ワシがいたのでは、ハリーがワシを頼りにしてしまい、一歩前に踏み出せん。すべての伏線が仕上がったら、死を偽装して、遠くで暮らすことにしようかの。
『ヴォルデモート』を倒し、英雄としてイギリス魔法界の頂点に立つ。その役目の適任者は、『生き残った男の子』であるハリーしかおらん。
ただ、1人、要注意人物がいる。
ワシは、義手となってしまった右腕に目を落とした。
『セレネ・ゴーント』。『スリザリンの継承者』であり、『直死の魔眼』を持つ少女。元・封印指定執行者のクイール・ホワイトに育てられたと知った時には、魔術もたしなんでいるのかと疑ったのじゃが……そんなことはなかった。クイール・ホワイトは魔術の存在自体をセレネに教えなかった。恐らく、『普通の少女』として生きてほしかったのじゃろう。それは、ワシにとって好都合じゃ。
下手に、魔術師と敵対できないからの。時計塔と戦わなければならなくなったら、いくらワシでも少々キツイ。だから、セレネが魔術師じゃなくて本当に助かった。
最初の年、放っておいたのじゃが…ハリーのために用意した課題を、いとも簡単に解いてしまった。あれでは不味い。そう考えたワシは、気を失ったセレネ・ゴーントに『記憶修正魔法』をかけようとした。じゃが、ワシは魔法をかけるのをやめた。セレネには『他の人と異なり、セレネだけ記憶を操る術が効かない』と言ってあるが、あれは嘘じゃ。
空気をためすぎた風船が破裂するように、負の感情をためすぎた人間は爆発する。
それを狙ったワシは、わざと嘘をついたのじゃ。もっとも、『』と脳が密接に関係しているせいで、記憶を操る術が効きにくいということは確かじゃがの。
マグルの世界に『原子力』というモノがあると聞く。原子力は『電気』を発生させ、マグルの暮らし向上に大きく貢献しておる。だが、使い方を間違えれば、世界崩壊の危機に直面する破壊力を秘めているのだそうじゃ。それと同じで、セレネ・ゴーントは味方に付いてくれればこれほど頼りになる戦力はいない。だが、それと同時に不安要素じゃ。ヴォルデモートの血縁として、裏切る可能性がある。ワシがいくら『信用しておる』と公言しているセブルス・スネイプでさえ、元死喰い人だから騎士団から忌避されている。『継承者』であるセレネが入団したら、セブルスより一層嫌われるじゃろう。だがセレネは、ああ見えて人望があるのじゃ。現にスリザリン生からの信用は厚く、ハーマイオニー・グレンジャーやネビル・ロングボトムといったグリフィンドール生からも信用されている。騎士団員にしてしまったら、確実に『ハリー派』と『セレネ派』に分かれ、『不死鳥の騎士団』が内部分裂を起こしてしまう。そんな未来が浮かんでくるのじゃ。
だから、ワシはセレネをわざとトムの陣営に入るように仕向けた。
ハリーの友人らしいが、不安要素は取り除いておくのが大切じゃ。すべては、出来る限り最小の犠牲でトム・リドルに勝つため。可哀そうじゃが、セレネには表舞台から退場してもらわなければならぬ。もちろん、殺すという意味ではない。記憶をけし、マグルの世界で新たな人生を歩めるようにバックアップするつもりじゃ。『スリザリンの継承者』『ヴォルデモートの身内』という汚名を背負い、魔法界を生きていくよりも、全てを忘れてマグル界で生きていく方が……彼女のためじゃ。
ワシがセレネを取り除こうとしていることを、素早く察知したクイール・ホワイトの行動は見事としかいえん。ワシの手が届かぬ日本へ、いつでも逃げられるように手はずを整えるなんて感服じゃ。しかも、リドルが復活するはるか前から行動するなんて、ふつう考えられん。まぁ、実際に逃げる手はずについてセレネに伝える前に、カルカロフに殺されクイールが立てた計画は、全て水の泡になったようだがの。『教師』として行動したのが仇になったようじゃ。『父親』として観客席に腰を掛けておれば、死なずに済んだのに。
今までの計画で、誤算じゃったのは『アステリア・グリーングラス』にかけた『忘却呪文』が切れていたことじゃ。完璧にかけたはずなのに、なぜ解けてしまったのじゃろう?おかげで、アラスター・ムーディを誤魔化すのに苦労した。謎を解明すべく、ワシは自然な流れでアステリアと接触をしようとしたのじゃが、ミス・ブルーの訪問で接触できなかった。何でも『近くに寄ったから、遊びに来たわ』と言っていたが……果たして本当にそうなのじゃろうか?
それから、バジリスクことも気になる。遅かれ早かれセレネ・ゴーントは脱獄したじゃろう。だが、その方法にバジリスクが加担するとは予想外じゃった。この城からアズカバンまで、動物の足では3か月かかる。いくら蛇の王者バジリスクでも、人目につかずに、たった数日でアズカバンまで到着するなど不可能。いったい、だれが連れて行ったのじゃろうか。
あの数日、城に誰かが不法侵入した形跡はない。セレネは気がつかれていないと思っているが、秘密の部屋から外に出るパイプは、常日頃…不死鳥のフォークスに監視させておる。だが、そこからも侵入した人物はいなかった。ということは、内部犯の仕業じゃ。一番最初に候補として挙げられるのはセブルスじゃが、セブルスは違う。セブルスには、もし裏切った場合、それが判明する魔法をかけてある。その魔法が発動していないということは、まだ裏切っていないということじゃ。では、誰じゃ?生徒とは考えにくいが……
ワシは、大きく息を吐き出す。そして椅子から立ち上がったワシは、すたすたと戸棚の方へ歩いた。あの戸棚には『憂いの篩』が収納されておる。あれに今考えたことを蓄積させ、あとでもう一度見直すことにしよう。
そう考えながら、戸棚の途に手をかけたときじゃった。杖の先端のような感触が、背中に突き付けられたのじゃ。
「…アルバス・ダンブルドア」
静かな怒りに満ちた声が、背後から聞こえてくる。まさか、こんなに早くここまで来るとは思ってもみなかった。じゃが、それも計画のうちじゃ。
ワシは心の中で笑みを浮かべると、背後の生徒に話しかけることにした。まるで、昔からの友人と話すみたいに。
「君が来るのを、待っておったよ」
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12月27日…一部訂正
1月1日…〃