今回は、ハリー視点です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日は、せっかくのホグズミード村へ行ける日なのに、風と雪が容赦なく窓を叩いている。僕は、ウィーズリーおばさんの手編みのセーターを何枚も重ね着し、マントやマフラーと手袋も用意し、完全防寒したつもりだったのに、まだ寒かった。
風と雪が舞う中を、僕はロンとハーマイオニーと一緒に歩く。顔の下半分にマフラーを巻きつけていたけど、さらされている肌がヒリヒリと痛み、すぐにかじかんだ。村までの道は、刺すような向かい風に身体を折り曲げて進む生徒でいっぱいだった。暖かな談話室で過ごした方がよかったのではないか……という考えが、何度も脳裏を横切る。ようやくホグズミードに到着しても、去年までの華が咲いたような賑やかさは、どこにも見当たらない。お気に入りの店だった『ゾンコの悪戯専門店』に板が打ち付けられている。
僕も、ロンもハーマイオニーも口を開かない。黙って身を縮ませ、ダイアゴン横丁と同様に変わり果てたホグズミード村を歩いた。どこの店も先程の悪戯専門店みたいに、板が乱雑に打ち付けられている。そして、その上からダイアゴン横丁みたいに、この夏に配布された紫色のポスターとだが、まだ手配中の『死喰い人』の動くモノクロ写真が張り付けられていた。『もう帰ろうか』という言葉が喉の辺りまで出てきたとき、ロンが手袋に分厚く包まれた手で、お菓子の専門店『ハニーデュークス』を指した。ありがたいことに、開いている。僕とハーマイオニーは、ロンの進む後を、よろめきながら歩いた。
他の人気の店が閉店してしまっているからだろう。いつにも増して店内はホグワーツ生で混雑していた。
「助かったぁ」
ヌガーの香りがする温かい空気に包まれ、ロンは体を震わせた。
「午後はずっとここにいようよ」
「しっ、黙って…ロン」
ハーマイオニーが、小さいけれども鋭い声を発した。僕とロンが眉間に皺を寄せる。そんな僕たちの様子を見たハーマイオニーは、苦虫を潰したような表情を浮かべると、そっと前方を指さした。ハーマイオニーが指差す方向に顔を向けた時、どうしてハーマイオニーが妙な表情を浮かべたのかが分かった。
ハーマイオニーの指の先をたどると、そこには同学年のスリザリン生…ダフネ・グリーングラスと話し込んでいるスラグホーン先生の姿があったからだ。巨大な毛皮の帽子に、おそろいの毛皮の襟のついたオーバーを纏い、砂糖漬けパイナップルの大きな袋を抱えている。スラグホーン先生は、新聞で『選ばれし者』と呼ばれている僕や、学年トップクラスの頭脳を持つハーマイオニーのことを気に入っていた。でも、僕はスラグホーン先生のことを、あまり好きになることが出来なかった。あの人はあの人なりに、いい人なのだろうとは思ったけど。まるで、僕のことを『ハリー・ポッター』としてではなく、『蒐集物の宝石』としか見ていないような、不愉快な感じがするのだ。
「早く行こうぜ。スラグホーンがインチキ娘と話している間に」
「ロン、失礼よ」
ハーマイオニーが、ロンを小さな声で諌める。だが、ロンは首を横に振った。
「インキチだろ。だって…いきなり魔法薬の成績が学年トップになったんだぞ?」
ハーマイオニーは、開きかけた口を閉ざした。ダフネ・グリーングラスは、この6年間、さほど目立つ生徒ではなかった。だけど、今学期になってから、いきなりに魔法薬の成績が学年トップに躍り出たのだ。僕やロン、そしてハーマイオニーは、一体なんで彼女の成績が跳ね上がったのかを密かに調べている。何か裏があるに違いない、スリザリン生だし。
「それに、あのゴーントの親友だった奴だし。闇の魔術に傾倒してるのかもしれないぜ」
ロンは、光り輝くショーウィンドーを覆い隠すように張り出されていた、脱獄したセレネの手配写真を指した。不敵に口元だけ笑みを浮かべているセレネの手配写真を見たとき、魔法省での出来事が脳裏に浮かび上がってくる。僕は、その光景を消し去るように頭を振るい、扉を開けた。
ハニーデュークスの甘いぬくもりの後は、なおさら冷たい風が、ナイフの様に顔を突き刺す。そんな肌を刺す風の音に負けてしまいそうなくらい小さな声で、ハーマイオニーは呟いた。
「…セレネを悪く言わないで」
ロンは何も答えない。僕も何も口にしなかった。黙りこんだまま、足早に歩き続ける。僕たちの足は、自然と暖かな光を放っているパブ『三本の箒』に向けて動かしていた。『三本の箒』に入ると、以前と同じように愉しそうに弾んだ会話が、あちらこちらで飛び交っていた。でも、どんよりと重たい沈黙が僕たちの周りには漂っている。バタービールの瓶を開けたとき、ようやくハーマイオニーが口を開いた。
「セレネは、死喰い人じゃないわ」
「死喰い人さ」
僕は思わず力を込めて言い返すと、バタービールを一気に飲む。凍えきった体の内側から暖かくなるような感じがしたけど、いつもに比べると実感がわかなかった。
「違うわ。だってセレネは―――」
「『ヴォルデモート』の名前を口にしていた、だろ?」
聞き飽きたという風に手を横に振ると、ロンもバタービールを飲み始めた。ハーマイオニーは、辛そうに顔を歪めている。ハーマイオニーは凍えきった両手を温める様に、バタービールの瓶を握りしめていた。そんなハーマイオニーの様子を見たロンは、大げさにため息をついた。
「何度も言わせるなよ、ハーマイオニー。アイツは『死喰い人』だって。5年間、ずっと君を騙し続けてたんだ」
「そんなことないわ!」
ハーマイオニーは鋭く尖った声を出す。テーブルの木目の辺りを、親の仇でも見るかのように睨めつけている。
「でも、死喰い人だ。僕もハーマイオニーも騙されてたんだよ」
思い出すだけでも胸の奥がムカムカする。だって……セレネは、ダンブルドアに攻撃したんだ。しかも、ダンブルドアの右腕も切り落としていた。何もためらうことなく、スパっと。
「ダンブルドアが言ってた。『セレネ・ゴーントは義父を亡くしたショックで気が狂い、進むべき道を誤った』って」
「先輩は正常です!!」
甲高い声とともに、バンっと机をたたく音が店内に響いた。先程までとは打って変わり、しん、と静まり返る店内。
音がした方向を見ると、女の子が僕を睨みつけていた。僕を睨みつけている瞳の中では、憎しみの炎が燃えている。彼女と同じテーブルにマルフォイが座っているところから察するに、スリザリン生なのかもしれない。
「セレネ先輩は正常です!先輩は……先輩はダンブルドアの爺とヴォ、ヴォルデモートのハゲに騙されてたんです!!」
半分泣きそうな顔をしながら、歯を食いしばって言葉を放つ女の子。誰もが同じテーブルについている人と額を合わせ「誰アレ?」「何言ってんだ?」という言葉を交わす。バーテンのマダム・ロスメルタは、驚いた表情を浮かべ固まっていた。注いでいる蜂蜜酒がグラスから溢れているのに全く気付いていない。
女の子は何か言いたそうにしていたけど、同じテーブルに腰を下ろしていたマルフォイが何か耳打ちすると、開きかけた口を閉じた。そして荒々しく席を立つ。女の子はマルフォイと一緒に出口へと歩き始めた。
だけど、僕たちのテーブルの傍まで来たとき……一瞬立ち止まり、口を開いた。
「アンタは……何もわかっていません。アンタはダンブルドアの、掌で踊るピエロです」
小さい声で、絞り出すように呟いいた女の子は、僕たちの方を見ずに去って行った。
ダンブルドアのピエロ?僕が、いつピエロになったんだろう?そういえば、セレネも似たようなことを言っていたっけ?
「出ましょう、ハリー」
気が付くと、ロンとハーマイオニーが席を立ちあがっていた。僕は黙って頷くと、立ち上がった。もう今日は散々だ。……暖炉がパチパチと燃えている暖かい談話室にいればよかった。
天気は、ここにいる間にもどんどん悪くなっていた。マントをきっちり体に巻きつけ直し、マフラーを調えて手袋も嵌めた僕たち3人は、外に出るとハイストリート通りを戻り始めた。
雪が降り積もって凍りついた道をホグワーツに向かって一歩…また一歩と踏みしめながら歩いていると、ふと前方から誰かが近づいてくるのが見えた。
どう見ても若い女性の体形をしているから、ホグワーツの教師ではないことは確実だ。服装も、『魔法使い』らしくはない。なんというか、マグルみたいだ。これ以上ないというくらい白い雪が混じる風に、長い深紅の髪を遊ばせている。
「あれ誰?見たことないけど」
ロンが耳打ちをする。ハーマイオニーは困惑した表情を浮かべると、首を横に振った。
「分からない。ホグワーツの教師ではないから、きっと魔法省の役人…か生徒の保護者じゃないかしら?」
女性との距離は少しずつ縮まっていく。大きなトランクを右手で握り、深々と積もった雪を颯爽と踏みしめて歩く女性。赤いコートを纏っているけど、あれだけじゃ寒いはずだ。彼女よりも分厚いコートを着込み、マフラーを幾重にも巻いている僕達でさえ、身体を丸めたくなるくらい寒い。それなのに、彼女はピンと背筋を伸ばしていた。寒さを感じていないのだろうか?
「君は……もしかして、ハリー・ポッター?」
女性の蒼い瞳が、僕の額に刻まれている稲妻型の傷跡をとらえた。珍しいものを見たという風に稲妻型の傷跡を眺める。
「そうですけど、あなたは?」
「そうね……『マジックガンナー』や『ミスブルー』って呼ばれてるわ。まぁ、もう会うことはないだろうけど」
マジックガンナー?ミスブルー?全く聞き覚えのない言葉だ。ロンに尋ねようと顔を横に向けると、お手上げだというように頭を横に振った。その隣に立っていたハーマイオニーにも分からないらしい。眉間に皺を寄せて、何かを考え込んでいる。女性は楽しそうに笑みを浮かべると、トランクを少しだけ開き、中から眼鏡ケースを取り出した。
そして、その眼鏡ケースを無理やり僕に握らせる。……僕に新しい眼鏡をくれる、という意味なのだろうか?
「えっと……」
「その眼鏡を『セレネ・ゴーント』に渡してほしいの」
笑みを浮かべたまま女性は、全く予想してなかった返答をした。僕は口を大きく開けて、女性を見上げる。
「なんで、セレネに?あなたが直接渡せば…」
「私、これから『仕事』があるのよ。弱小組織の下請けの仕事。本当は他の子に預けたいんだけど、あの子に会えなかったから、君にお願いするわね。……セレネって子、その眼鏡がなくて困っていると思うから」
そう言いながら、女性は僕たちの横を通り過ぎた。僕は急いで振り返り、女性の背中に声をかけた。
「セレネと僕が次ぎ会う時は、セレネが死ぬかアズカバンに送られる時です」
そう告げると、女性の動きが止まった。立ち止まったまま俯いて、先程までの笑みを浮かべた顔を僕に向ける。
「そうじゃないかもしれないわよ。じゃあね、ハリー・ポッター。縁があったらまた会いましょう」
何でもない事のように女性は言った。
すると、少し強い風が吹いた。雪が混じった風で、霧がかかったように辺りが真っ白に染まって何も見えなくなった。
そして、風が収まった時……まるで、先程の風にさらわれたかのように、女性の姿は綺麗に無くなっていた。ホグズミード村に向かったわけでもなさそうだ。
だって、村へ続く雪の積もった道には…僕たちの足跡しか無かったのだから。
-----------------------------------------
12/15…一部訂正