SIDE:ドラコ・マルフォイ
僕は、様変わりしたダイアゴン横丁を足早に歩いていた。
色鮮やかに飾り付けられたショーウィンドウの呪文集も魔法薬の材料も大鍋も、その上に張りつけられた魔法省のポスターに覆われて見えない。くすんだ紫色のポスターのほとんどは、この夏に配布された魔法省パンフレットに書かれていた、防衛に関する気休めの心構えを拡大したものだった。だが中には、まだ手配中の『死喰い人』の動くモノクロ写真もあった。
例えば、1番近くの薬問屋の店先で、伯母上(ベラトリックス)の手配写真が笑っていた。
その隣には、この間…脱獄したセレネの手配写真も張り出されてある。不敵に口元だけ笑みを浮かべているセレネの手配写真を見たとき、どす黒い感情が湧き上ってきた。
数日前、セレネはバジリスクの手を借り、僕の父上たちを助け出し脱獄した。でも、僕の父上達は『あの人』の所に真っ先に戻って来たのに、セレネだけ戻ってこなかった。なんでも他にやることがあるのだとか。
それを聞いた『あの人』は意地悪い笑みを浮かべた。僕は、よく覚えている。あの血を思わす深紅の目をギラつかせて、報告した僕の父上を睨んでいたその顔を。 『あの人』は笑っていた。この展開が読めていたかのように。そして、傍に控えていたディゴリーに告げたんだ……「セレネを探しだせ、もし抵抗するようであれば……分かってるな」って。
その言葉を聞いたディゴリーは、少し眉間に皺を寄せた後「それは…殺せということですか?」と尋ねた。『あの人』はニンマリとした笑みを浮かべるだけで、肯定も否定もしなかったけど…あれは、間違いなく『肯定』の笑みだ。
僕は眼を疑った。セレネは僕の父上と同じ死喰い人で、しかも父上達を助け出してくれたのに。すると、僕の心を読んだのかもしれない。『あの人』は僕を睨みつけた。あの人睨みで僕は、凍りついたみたいに動けなくなってしまった。
『あの人』は、セレネのことを最初から始末する予定だったらしい。ダンブルドアをセレネに殺させたら、その後は殺すつもりだったようだ。『破れぬ誓い』で『セレネとセレネの仲間に危害を加える』ことは出来ないが、それは『あの人』がセレネに直接危害を加えられないだけ。他の方法でなら、危害を加えられる。現に、『あの人』は『セレネを殺せ』と一言も言っていない。
あの時、思わず『どうして、セレネを殺そうとするのですか』と口走ってしまった。すると、『あの人』は、高笑いをし始めたのだ。
『スリザリンの継承者』は2人もいらない。ただ、セレネの『眼』の力には興味がある。あの力を手にすることが出来れば、もっと強大な力を手に入れ魔法界を統べるために必要な時間を大幅に短縮できる。だから、まだセレネは必要だ。……あの『眼』に宿る力を解明するために、その力を自分のものにするために。
だからといって、抵抗するようであれば、殺しても構わないということだそうだ。
どう足掻いてもセレネが殺されるということを、パンジーやノット達が知ったらどう思うだろうか?セレネに尻尾を振って付きまとっていたダフネの妹が知ったらどう思うだろうか?
僕は頭を振って、雑念を振り払った。セレネの心配は後回し。僕は……僕に与えられた仕事をやり遂げて、マルフォイ家の名誉を取り戻さないといけないんだ。父上は戻って来たけど、父上の失態を『あの人』は赦していない。僕が……マルフォイ家の名誉を取り戻さないと。僕がやり遂げないと、僕も母上も父上も、みんな殺されてしまう。
でも、本当にできるのだろうか。
『夜の闇(ノクターン)横丁』を歩きながら、僕は自問自答する。
あのセレネでさえ出来なかった『ダンブルドア殺害』が、僕なんかに出来るのだろうか?ホグワーツに増援の死喰い人を招き入れる方法は考えてある。険しい道のりだと思うが、これしか手はない。セレネが度々言っていた言葉が脳裏に浮かぶ。
『ダンブルドアの裏の裏のそのまた裏を読まないと、ダンブルドアに勝てない』という言葉。ダンブルドアは策略家だ。それを上回ることなんて……でも、上回らないと、罰として僕が殺される。僕は……まだ死にたくない。
ふぅっと息を調えると、『ボージン・アンド・バークス』の扉を開く。この店には度々、父上と一緒に来たことがある。闇の魔術がかけられている物を手広く扱っている店だった…僕の記憶が正しければ、僕が必要としている物が売っていたはずだ。店主のボージンは、僕が入ってきたのを見ると驚いたように目を開いた。
「これはマルフォイ家の若様」
「久しぶりだなボージン、『姿をくらますキャビネット棚』は残ってるか?」
ボージンは眉を上げた。そして、僕の考えを読もうとしているかのように、じっと僕の目を見る。
「まだありますよ。こちらに……しかし、これは不良品です」
黒い大きなキャビネット棚の前に立つボージン。僕はキャビネット棚に触れた。壊れている様子は、ぱっと見当たらない。
「ボージン…お前は、この棚の効果を知っているか?」
「はい……名前にもある通り、この棚を使えば『姿くらまし』が出来なくても『姿くらまし』をすることが出来ます。しかし、この『キャビネット棚』と対になっている『キャビネット棚』にしか『姿くらまし』をすることが出来ませんし、そもそも…この『キャビネット棚』と対になっている『キャビネット棚』が壊れているらしく………これは不良品です。お求めになっても無意味かと」
僕は、少しだけ気分が高揚した。ボージンでさえ知りえなかった秘密に僕は気が付いたんだと思うと、少し嬉しかった。
「いや……実は、これの対になっているキャビネット棚を、僕は知っていると思う。ただ、直し方が分からない。知っているか?」
ボージンは考え込む仕草をした。
「拝見いたしませんと何とも…店の方にお持ちいただけませんか?」
「出来ない。どうやるのか教えて欲しいだけだ」
ボージンが神経質に唇を舐める。
「さぁ……大変難しい仕事でして…もしかしたら不可能かと。何もお約束できない次第で」
「嘘は泥棒の始まりと言いますよ、ボージン」
何かを躊躇っているボージンの声を遮るように、声が被さった。店の奥に座っていた女の影が立ち上がる。
「君は……!」
今度は僕が目を見開く番だった。なんで、なんで彼女がここにいるんだろう?ボージンは僕の表情をチラリとみると、口を開いた。
「若様は御存じでいらっしゃいますかな?グリーングラス家の次女であり次期頭首『アステリア・グリーングラス嬢』でございます。アステリア嬢、こちらは…」
「ドラコ・マルフォイですよね。知っていますよ。先輩と仲が良かった男子の1人ですから」
アステリアは僕の方に一歩近づいた。僕はアステリアが浮かべている表情に、驚いて1歩後ろに下がってしまった。いつも浮かべていた子供らしい無邪気な色は影をひそめ、深い寂寥が刻まれている。
「…ダフネはいないのか?」
「姉様はいませんよ。姉様は先輩があんなことになってから、部屋に閉じこもっているんです。先輩が『あの人』に手を貸してまでダンブルドアに復讐しようと考えていたことに気が付かなかった自分を責めて。母様は友達とサロンパーティに行っていて、父様も仕事なので、いません。ここに来たのは、私だけです」
キッパリと言い放つアステリア。その様子は、僕より3つ年下の少女には見えない。僕よりもずっと年上で、社会で働いている女性のような雰囲気を纏っていた。
「私はボージンと……とある契約をしています。私が相続する予定になっているグリーングラス家の財産の全てを、ボージンに譲渡することで結んだ契約です。先輩を助け出すためなら、この程度のことは造作でもないので」
アステリアの口調は淡々としていて感情がこもっていなかった。僕が知っているアステリアとは違いすぎる。『ポリジュース薬』を用いた別人なのではないかと疑いたくなった。
「それで……それの直し方を知っているのですか、ボージン?」
「……はい、存じ上げています。ただ、若様に申した通り非常に難しく、直る可能性は五分五分です」
俯き気味に打ち明けるボージン。先程の僕に対する態度とは違う。いったいアステリアは何を契約したんだろう?
「それでも、キャビネット棚を修理するのですか?ドラコ・マルフォイ」
アステリアが、僕に視線を投げかけた。その眼差しには憎しみの色も怒りの色も浮かんでいない。ただ感情が浮かんでいない目を僕に向けている。
「ああ…僕は修理しないといけない。だから、こっちのキャビネット棚を安全に保管しておけ、ボージン」
「しかし……本当に難しく危険な方法でして、何しろ空間転移に関わる魔法ですから。まだ若様には扱えない魔法でございますし」
そんなに僕に協力したくないのか。僕はだんだんイライラしてきた。ボージンに近づき、袖をめくり、そこに刻まれている『闇の印』を見せた。ボージンの顔に、恐怖の表情が浮かぶ。
「僕に協力しろ、ボージン。協力しないと痛い目にあるぞ。フェンリール・グレイバックを知っているな?僕の家族と親しい、時々ここに寄って、ちゃんとソレを管理しているか確かめさせるぞ」
「そんな必要は―――」
「僕が決めることだ。さぁ、僕はもう行かないと。母上が心配するからな」
僕は、出口に向かって歩いた。そして扉を開ける時になって、振り返って未だ恐怖の色を浮かべているボージンに命令する。
「誰にも言うなよ、ボージン。僕の母上を含めてだ。お前もだぞ、アステリア・グリーングラス」
「もちろんですよも、若様」
ボージンは深々とお辞儀をする。それでいい。僕は満足感に浸っていた。これで、僕がダンブルドアの裏の裏のそのまた裏をかいた作戦に一歩近づいたんだ。僕は、店を出た。その後を追うようにしてアステリアが店を出てくる。
「何か僕に用があるのか?」
「ありますよ!ありますから出てきたんです!!」
…僕は耳を疑いそうになった。先程の淡々とした声とは雲泥の差だ。僕より背が低いアステリアの顔を見下ろす。すると、いつも浮かべていた無邪気な色に戻っているではないか。
「おい……お前、さっきと違いすぎじゃないか」
「そりゃそうですよ。あれくらいしないとボージンには舐められちゃいますって。舐められたら試合終了なんですから」
当然のように言うアステリア。確かに舐められたら終いだが、よくボージンを騙す演技が出来たと驚いてしまう。
「さてと、本題はココからです」
アステリアは、僕に手を差し伸べてきた。一体何を考えているのか、さっぱり僕には理解できない。アステリアは満面の笑みを浮かべると、口を開いた。
「『ダンブルドアのクソ爺とヴォルデモートのハゲ親父を殺そう同盟』を結びませんか?」
「……はぁ?」
真面目な顔をして、なんてことを言うのだろうか。ダンブルドアを殺すだけでなく、『あの人』まで殺すなんて。大真面目な顔をして何夢みたいなことを。
「だって、ダンブルドアのせいでセレネ先輩はヴォルデモートに手を貸すことになったんですよ?そりゃあ、セレネ先輩にも…多少は非があると思います。しかし!セレネ先輩を、道具の様に扱う奴らを許すことは出来ません!!」
アステリアの瞳には、強い意志が宿っているように見えた。絶対に折り曲げない。絶対に翻さない。そういう強い意志で満ちていた。
それと同時に脳裏に浮かぶのは、セレネを『道具』として見ていた『あの人』の声。そして、僕が今から行おうとしているダンブルドア殺害計画。
「返事は新学期が始まってからでも構わないです。ただ、このことは他言無用でお願いします。さすがにバレたら不味いので」
僕が迷っていると、アステリアはそれだけ言って人混みの中に消えて行った。
ダンブルドアと『あの人』を殺す計画。そんなことが可能なのだろうか。出来るなら参加したいと思っている僕がいた。
でも………バレてしまったら………確実に殺される。ダンブルドアを殺し損ねたら『あの人』に殺されるし、『あの人』を殺し損ねても…『あの人』に殺される。要は成功すればいい話だが、果たしてそう簡単にいくのだろうか。
窓に板が打ち付けられた店の前で、何かを、おそらく僕を探すようにキョロキョロと頭を動かしていた母上の所に歩き出した。何事もなかったかのように、平然とした足取りで……
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11月28日:一部訂正
12月3日:〃