深い雪を小さなブーツで踏み分けながら、村への道のりを一歩一歩歩いていく。空気は肌を刺すように冷たく、吐く息は白い霧みたいに見える。だが、数日ぶりに吸う外気は新鮮で肺の奥まで透き通るみたいに感じた。ただの空気がどことなく甘いような感じがするのは気のせいだろうか…
クリスマス休暇を、私はオッタリー・セント・キャッチポール村というところのはずれで過ごしていた。そこは、切嗣が以前…隠れ家として暮らしていた掘立小屋だが、地下に修練場のような場所が設けられていた。
私はそこで、クリスマス休暇中ずっと、朝から晩まで切嗣の助手である『久宇舞弥』と名乗る女性に、銃火器の使い方を学んでいた。
本来なら頼んでおいたモノの引き渡しとともに、それの使い方に関する指導は切嗣がやってくれる予定だったのだが、急に年末年始に予定が詰まってしまったのだそうだ。だからクリスマス休暇中、助手の舞弥が私に手ほどきをしてくれている。
舞弥は、色白の端正な美人で、いつも鋭く訝しげに眇めているかのような切れ長の眼差しを、まっすぐ私に向けている。表情の変化が乏しく、感情があるのかないのか分からない人だった。……そのことを蛇のバーナードにつぶやくと、『お前が言うな』と言われた。
今日も朝から夜まで…学校が始まると、滅多に修練をする時間が無くなるので、その分まで取り込もう…と張り切っていたのだが、目が覚めると舞弥に『明日は学校に戻る日だから、今日は身体を休めなさい』と言われた。
とりあえず寝ることにしたが、朝から夜まで寝ているだけというのは健康上良くない。だから、気分転換に少し離れたところにある村の近くまで散歩をすることにしたのだ。お気に入りの赤いブルゾンをシャツの上に羽織り、少し前かがみになって雪を踏みしめていく。
私は村に入る一歩手前の丘に辿り着いたとき、足を止めた。眼下には古民家という雰囲気の家々が密集している。どの家の煙突からも白い煙が立ち上り、氷空に吸い込まれて消えていく。小さい子供がはしゃぎまわる声が、風に乗って丘の上まで響いてきていた。
村に入って、ぶらりぶらりと店を見て回りたい気もする。だが…私は、村の人間ではない。変な散策をされたら、あとが面倒だ。こうして暖かそうな村を眺めているだけでも、暇つぶしになる。
「貴方は……ゴーント…さん?」
ふいに、背後から声をかけられる。振り返ると、そこにいたのはどこかで見たことがあるような女性だった。折れそうなくらい細い女性で、白髪が混じっている。やつれた顔をした女性は、眼をこれでもかというくらい大きく見開いていた。
……何処かで見た顔だが、用心は大切だ。私は、相手に気が付かれないように、胸ポケットにしまってある『P230自動拳銃』と袖に隠してある使い慣れたナイフがあることを確認した。
「えっと……貴方は覚えていないと思うけど、私はアリス・ディゴリー。セドリックの母親です」
「…あっ、久しぶりです」
そうだ。第三の課題の日の朝、一瞬だけ見かけたセドリックの母親だ。記憶の奥底から当時の光景が蘇ってくる。あの時は、息子を心配する傍ら、どことなく幸せそうな顔をしていたが……その色はどこにもない。元は美しかったその顔に浮かんでいるのは、疲労感だけだった。
「本当に久しぶりね……あの時は息子を連れて帰ってきてくださり、ありがとうございました」
丁寧に頭を私に下げるディゴリー夫人。私はディゴリー夫人から顔をそむけた。……なんだか私の胸の中に暖かいものが広がった気がする。
「当然のことをしただけです。…それより、貴方はどうしてここに?」
「私はもう少し南に行った場所に家があるんです。村で少し買い物をした帰りにあなたを見かけて、つい話しかけてしまいました。……貴方はどうしてここに?」
不思議そうに尋ねてくるディゴリー夫人。私は、微かに笑みを浮かべてから口を開いた。
「父の友人の別宅がこの近くにあるので、そこに滞在させてもらっているんです」
……まさか言えない。クイールの友人の弟子に、銃火器の使い方を教えてもらうため、その人の隠れ家で暮らしているなんて。…なんで銃火器の使用方法を学んでいるということまで話さないといけなくなるだろう。
――銃は杖と比べ機能性が悪い――
静止物に向けて発砲するのは楽だが、運動をしている物体だと難しい。頭の中で的が数秒後、標的がどういった行動をしているかを考え、それを先回りした場所に狙いを定めて引き金を引かなければならない。…まぁ、その一連の動作は、魔法を使用する時とほとんど同じだ。持ち運びは両方とも楽。だが、銃には難点がある。それは、発砲した時に、下手をすれば脱臼しかねない程の反動が来るということ。魔法には反動がない。
そう考えると、銃は杖と比較し効率が悪いモノのように見えてくる。純血魔法族のドラコが常日頃言うように『マグルの低俗なおもちゃ』なのかもしれない。
…だから私は、その盲点を突く。
確かに銃火器だけだと、魔法の前では『おもちゃ』に見えてしまうかもしれない。だが、マグルにだって魔法のような『科学技術』が存在する。ホグワーツに通って感じたことは、魔法使いが魔法に頼っていることを、マグルは科学技術で賄っているということだ。むしろ、魔法使いよりもマグルの方が快適に暮らしているかもしれない。
同じことが銃火器においてもいえる。
魔法でも相手を傷つけることは出来るが『アバタ・ケタブラ』以外の呪文は、殺傷能力が低かったり、発動までに時間がかかったりするものばかりだ。それに、今年(・・)以外(・・)の『闇の魔術に対する防衛術』の教科書を読めばわかることだが、記されている防衛術を突き詰めていけば、どれも『いかに“抗魔的措置”をとるか』というところに辿り着いた。
だから魔法界になじみのない科学技術の結晶である銃火器を使用すれば、大抵の魔法使いの……あわよくば大物魔法使いも簡単に倒すことが出来るのではないだろう。そう私は考えたのだ。
誰でも予想だにしなかった不意打ちには弱い。そう私は三校対抗試合で学んだ。相手の意表をついて『守護霊の呪文』を放ったり、『眼』を使ってナイフを振るったり、『クソ爆弾』を投げたとき……相手は動揺して動作が遅れた。だから私は―――
「ゴーントさん?顔色が悪いけど大丈夫?」
ディゴリー夫人の声で、私は現実に引き戻された。少し自分の世界に入ってしまっていたみたいだ。私は急いで笑みをディゴリー夫人に向ける。
「問題ありません。心配をかけてしまい、すみません」
「そう?…ならいいですけど…」
心配そうにするディゴリー夫人。
…だんだん雪に浸かっている足が、痛くなってきた。そろそろ動かないと凍傷を起こしてしまうかもしれない。私はディゴリー夫人に頭を下げた。
「それでは、そろそろ私は行かなければならないので」
「そうね……私もそろそろ帰らないと夫が心配するわ」
『夫』という言葉を聞いて、思わず私は眉間に皺を寄せてしまった。今日は休みの日ではない。普通に仕事がある日だ。ディゴリー氏は役所に勤めていると聞いたが、私の記憶違いだったのだろうか。
そんな私の表情を見て、ディゴリー夫人は寂しげな微笑を浮かべる。
「夫はセドリックにあんなことが起きて以来……気を塞ぎこんでしまって、今は仕事を休んでいるんです」
それでは、と頭を下げて去っていくディゴリー夫人。……無理もない。自慢の一人息子が突然……死んだように目を覚まさなくなってしまったのだから。
しかも、聞いた話だと……明日か1年後か10年後かそれとも永遠にか、いつ目覚めるかわからないこん睡状態に陥っているらしい。
……大事な息子を亡くしたといっても、過言ではないだろう。
予想していなかった状況に直面したディゴリー氏は、這い上がる気力がなくなってしまったのかもしれない。
明日から、再び学校が始まる。以前と変わらずに授業が開始され、以前と変わらずに授業が終わる。
その中に、セドリック・ディゴリーという生徒の姿はどこにも見当たらない。彼の目が覚めることは、あるのだろうか…
舞弥が待っている家に、戻ろうと歩き始めたが、数歩歩いたところで後ろを振り返ってみた。
ディゴリー夫人がどこにいるのか、一瞬わからない。だが、目を凝らしてみると小さくディゴリー夫人の白いコートが目に入ってきた。
白銀のベールに包まれた山々の方向へ歩いていくディゴリー夫人の後姿は、どこか寂しげで、そのまま背景に溶け込んで消えてしまいそうに思えたのは……私の気のせいだろうか?
SIDE:???
―――その日の夜中―――
俺は、暗い暗い廊下を歩いていた。
病院独特の薬品のにおいが満ちている廊下を、忍び足で歩くいている。ご丁寧にも廊下に掲げられた数多の肖像画の目に留まらぬよう、買ったばかりの透明マントを羽織った状態で。
俺は『特殊治療室』と記された頑丈そうな扉の前で立ち止まった。取っ手に手を触れまわしてみるが、思った通り。触っても、びくともしない。コートの内側から杖を取り出すと、無言のまま杖先を扉に向けた。
ガチャリ
一秒もたたないうちに、音を立てて……俺を従順に招き入れるように扉が開く。俺は、無表情のまま治療室へと足を踏み入れた。
…しん…と静まり返ったその場所には、誰かいるとは思えなかった。
部屋の中にいるのは、今のように静まり返っていないと聞こえないほど小さな呼吸を繰り返す青年のみ……側に置いてある花瓶に、少し萎びはじめた花がいけてあるが……他にインテリアのようなものはなかった。俺は、顔立ちの整った青年の顔を覗き込むと、にやりと楽しそうに笑った。
「久しぶり、ディゴリー」
その声に返事をする者は誰もいない。俺は死んだように眠り続ける男に、杖を向けた。
「そして、さよなら」
杖の先から放たれた光が、薄暗い病室に満ちたことを、俺以外、誰も知らない。
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11月18日:誤字訂正