10月の陽光が降り注ぐ、風の強い日だった。
陽光が当たるところは暖かい。だが吹き付ける風は、真冬程ではないが肌に突き刺さる。私は、制服の上に羽織った赤いブルゾンのポケットに手をつっこみながら、前かがみでホグズミード村を歩いた。
『ゾンコの悪戯専門店』の前を通り過ぎ、何百羽ものフクロウが鳴き声を上げている郵便局の前も通過する。だんだんと通りを歩くホグワーツ生の数は少なくなり、逆にフードで顔を隠しながら、いそいそと歩いている人の方が目立つようになってきた。
「…ここか…」
『ホッグズ・ヘッド』という小さなパブの前で、私は立ち止まった。同じパブでも『三本の箒』とはまるで違う。ドアの上に張りだした錆びついた腕木に、今にも朽ち果てそうな木の看板がかかっている。
ドアを押すと、ギィィッと音を立てて開いた。小さくみすぼらしい内装だ。山羊小屋が思い出される臭いが店内に充満している。出窓には汚れがたまっていて、陽の光が店内までほとんど差し込まない。代わりに、ざらざらとした木のテーブルの上に置いてある、小さな蝋燭が店内を照らしていた。床は一見すると、土を踏み固めた土間のように見えたが、よく見ると何年も降り積もった埃だということが判明した。
客層も一癖も二癖もありそうな人ばかりだ。誰もがフードや包帯で顔を隠している。私は小さく舌打ちをする。
…どう考えても『裏世界』に通じている店だ。なんでこんな店でハーマイオニーは『自習会』、という名目の『反アンブリッジ』の集会をする気になったのだろうか……
「注文は?」
裏の部屋からバーテンと思われる老人が出てきた。白髪に顎鬚、そしてどこかで見覚えのあるようなブルーの瞳。
「……バタービールを1つ」
カウンターに腰を掛け注文する。老人はカウンターの下から埃の被った瓶を取り出すと、私の前に置いた。
「2シックルだ」
私が財布から銀貨を2枚取り出す。ずっと不機嫌な色を崩さない老人。やはり、どこかで見たことがある。どこだかは思い出せないが。
バタービールを飲むふりをしながら、店内を少し見渡すことにする。…こういう店だったと知っていたなら、私も顔を隠せる帽子でも被ってくれば良かった。
そんなことを考えていると、パブのドアが音を立てて開いた。埃っぽい店内に、陽の光が太い帯状に差し込む。逆光なので顔はよく見えないが、3人組だということ。これから行われることと、背丈を考えると、ハリー・ロン・ハーマイオニーの3人だろう。
案の定、ドアが閉められ元の密室状態に戻った時…ろうそくの光で照らされた人物は、その3人だった。恐々といった様子でカウンターに近づいてきた。
「注文は?」
「あっ、バタービール3本お願い」
唸るように注文をとる老人に対応するハーマイオニー。先程よりも機嫌が悪い老人は、荒々しくカウンターの上に3本のバタービールの瓶を置く。……こういう店を営む老人だ。…きっと、これからこの場所で起こる『嫌な予感』を感じたのかもしれない。
「6シックルだ」
「僕が払うよ」
ハリーが財布を開き、銀貨6枚を取り出す。老人は6枚の銀かを受け取ると、汚れた布でコップを拭き始めた。
そのままカウンターから離れた目立たない場所に行き、バタービールの栓を抜くハリー達。どうやら、私に気が付いていないみたいだ。あまり目立ちたくないので、風景に溶け込めるように影を薄くしていたが、まさか気が付いてもらえないとは。
話しかけようかとも思ったが、面倒なので辞めた。
そんなことを考えていると、再びドアが開いて薄暗い店内に光が差し込んだ。それと同時に賑やかな話声も入ってくる。
先頭にネビル…続いてグリフィンドール生9名、そのうちの4人には見覚えがあった。確かクリスマス・ダンスパーティーでハリーのパートナーだった子。もう1人は以前、チャリング・クロス駅で出会った、ディーン・トーマスという黒人の子だ。
残る2人は4年生と2年生のハリーを尊敬している兄弟コリンとデニス・クリービー。特にデニスの方はアステリアの友人で、よく行動を共にしているらしいが……待て、ホグズミード村行きを許されるのは、3年生以上だったはず。デニスの方は、どうやって来たんだ?秘密の抜け道を知っているとは思えないし。
次に入ってきたのはハッフルパフ生は5人。私と同じ監督生のアーニー・マクミランとハンナ・アボット。それから『秘密の部屋』事件の被害者の1人、確かジャスティンとかいう名前だったと思う…と、何かと私に絡んでくるハッフルパフ生、ザカリアスとかいう不愉快な奴。あとの1人は、見知らぬ長い3つ編みを1本背中に垂らした子だ。
次に入ってきたのはジニー・ウィーズリー。その後ろからレイブンクローのネクタイを締めた少年が2人入ってくる。そのうちの1人…背の低い方は、ジニーと好い関係なのかもしれない。背の低い方はジニーと仲良く話しているが、もう1人の方は2人の半歩後ろを気まずそうに歩いていた。
クリスマス・ダンスパーティでセドリックと踊っていたアジア系のレイブンクロー生が、同じくレイブンクロー生の女子生徒と話しながら入ってくる。でも、楽しそうに頬を赤らめているのはセドリックのパートナーを務めた少女の方だけで、もう片方の少女は笑ってはいるが、どことなく不機嫌だった。その2人の後から…まるで迷い込んできたみたいに入ってきたのは、ルーナだった。久々に見かけたが、以前とあまり変わっていない。『ザ・クィブラー』と印刷された雑誌を大切そうに抱えている。
そして最後に入ってきたのは、フレッドとジョージとリーの3人組だった。手に提げているはち切れそうな袋からは、ゾンコの悪戯グッズが顔を覗かせている。
合計…23人……か。
ハーマイオニーが呼びかけたと聞いていたが、意外と数が多い。集まった生徒を眺めて嬉しそうな顔をしているハーマイオニーは気が付いていないのだろう。それから楽しげに話を続けている集まった生徒たちも。
予想以上の人数に驚いた表情のままのロンや、セドリックのパートナーだった子をチラリチラリとみて鼻の下を伸ばしているハリーも、誰もが気が付かついていない。
店内の空気がガラリと変わったことに。
…カウンターでコップを拭いていた老人が、固まっている。なんだか『面倒なことに巻き込まれた』という色が瞳に見え隠れしていた。怪しげなフードや包帯で顔を隠している人たちも、それぞれの作業を中断させて、ハリー達にを視線を向けていた。
「え――みなさん、こんにちわ」
緊張しているのだろう。若干上ずった声で挨拶をするハーマイオニー。楽しげなしゃべり声が消えて、視線がハーマイオニーに注がれる。…この店内にいる人達の視線が…バーテンの老人だけがコップを汚れた布で拭いていたが、集中してハーマイオニーの話に耳を傾けているみたいだ。
「……つまり、ハリーの…(この時ハリーが物凄い勢いでハーマイオニーを睨んだ)……私の考えでは……ここに集まったのはいい考えだと思うんだけど。…『闇の魔術に対する防衛術』を学びたい人が……つまり、アンブリッジが教えるような屑みたいな授業じゃなくて、自主的に本物を勉強指定という意味だけど。
あの授業は誰が見ても『闇の魔術に対する防衛術』とはいえません!」
そうだそうだ、と合いの手を入れるレイブンクロー生の背が高い方。緊張気味だったハーマイオニーの表情に、少しずつ自信の色が戻ってきた。
「それはつまり、適切な自己防衛を学ぶと言うことであり、単なる理論ではなく本物の呪文を――」
「だけど、君は『闇の魔術に対する防衛術』のOWLもパスしたいんだろ?」
今度はレイブンクロー生で背が低い方…ジニーと仲良く話していた方が口を開いた。
ハーマイオニーは力強く頷く。
「もちろんよ。だけど、それ以上に、私はきちんと身を護る訓練を受けたいの…なぜなら…」
ハーマイオニーはここでいったん言葉を区切った。そして大きく息をついこんでから最後の言葉を告げる。
「何故なら、ヴォルデモート卿が戻ってきたからです」
そこら中から、息を呑む気配がした。
痙攣をしたり身震いをしたり奇声を発したり、そして生徒たちの目がハリーに向けられた。私の位置からだと表情の確認はできないが、何か期待をしているような雰囲気だった。店内の他の客は、指一つ動かさない。……そのことに、ホグワーツ生達は気が付いているのだろうか?
「兎に角、そう言う計画です。皆さんが一緒にやりたければ、どうやってやるかを決めなければなりません」
「『例のあの人』が戻ってきたっていう証拠がどこにあるんだ?」
ザカリアスが喰ってかかるような声で言った。
「まず、ダンブルドアがそう信じていますし……」
「ダンブルドアが、その人を信じるって意味だろ?」
ザカリアスはハリーの方に顎をしゃくった。
「セレネ・ゴーントは、何も教えてくれないし。……ハリー・ポッターが幻か何かを見ただけかもしれないじゃないか。僕たちは、なぜ『例のあの人』が戻ってきたなんて言うのか、正確に知る権利があると思うよ」
正面切っていうザカリアス。ネビルが、何か言いたそうに口をモゴモゴさせていた。だが、ザカリアスはネビルの方を見ずにまっすぐハリーを睨みつけるように見ている。
…そんな光景を見ていると、今学期が始まってから数日後の出来事が脳裏に浮かんできた。
新学期が始まってすぐ、ザカリアスは、同じような内容を私に尋ねてきたのだ。最初は適当にはぐらかしていたのだが、毎時間毎時間…空いている時間が出来るごとに尋ねてくるのだ。『セドリックは誰にやられたのか』『あの人は本当に復活したのか』『そのことについて、一緒に茶でも飲みながら語り合わないか』などなど…
あまりにもしつこいのでハッフルパフの寮監……スプラウト先生にストーカー行為ということで訴えた。その選択は正解だったらしい。それ以後、ザカリアスは私を付け纏うことをしなくなった。
噂だと、スプラウト先生から説教を受けた後、スネイプ先生からも説教と反省文提出を宣告されたとか。
私が、そんなことを思い出している間にも話が進んでいる。
「君は先学期、ダンブルドアが言ったことを覚えていないのか?」
「覚えているさ。だが、セドリックがどうして気絶したまま今も目を覚まさないのかを教えてくれなかった。僕たち、もっと何が起こったのかを知りたいんだ!」
「ヴォルデモートがセドリックに何をしたかを聞きたくて来たなら、今すぐ出て行け」
……おいおい。思わず椅子からずれ堕ちそうになった。ヴォルデモートがセドリックを気絶させたわけじゃないだろ。というか、その場面をハリーは見ていないし。訂正しようかとも思ったが、不自然なくらい静まりかえった店内で声を上げるのは少し気が引ける。
「それじゃ、さっきも言ったように、みんなが防衛術を習いたいのなら、やり方を決める必要があるわ。会合の頻度とか場所とか」
「守護霊を創り出せるって、ほんと?」
集まった生徒が関心を示してざわめいた。……守護霊の呪文は習得が難しい呪文だ。私も習得するのに普通の呪文の倍以上の時間がかかった。
あれは理論や知識を覚えて出来るというレベルの呪文ではない。ハーマイオニーのように理論を覚えてから行動に移す人には、難しい呪文だと思う。…どうやら、ハリーも習得できていたらしい。きっと3年生の時に習得したのだろう。
「うん」
ハリーが答える。少しだけ身構えているようだった。
「有体の守護霊を?」
「あ――君、マダム・ボーンズを知ってるの?」
ハリーが閃いたような表情になる。…どうやら、何か思い当たる節があるらしい。女子生徒がにっこりした。
「私の叔母よ。私はスーザン・ボーンズ。夏休みに叔母があなたの受けた尋問のことを話してくれたの。それで、あなたが牡鹿の守護霊を創るって」
「本当だよ。でも有体の守護霊ならセレネも作り出せるし…」
スーザンの表情を読み取り、ハリーが躊躇いながらも頷いた。というか、尋問って……ハリーは何をしたんだ?
「すげぇぞ、ハリー!全然知らなかった!」
リーは、心底驚いたという表情を浮かべている。そんなリーを見たフレッドとジョージがニヤリと笑った。
「「お袋が言ったんだ。そのことについて、吹聴するなって」」
その時、ぽつんと座っていたベールをかぶった魔女が、座ったまま居心地が悪そうに少しだけ身体をモゾモゾと動かしているのが視界の端に映った。その魔女を詳しく観察しようと視線を何気なく向けた。だが、すぐにある1人の発言によってハリー達の会話に耳を戻した。
「テリーから聞いたんだけど、君はダンブルドアの校長室にある剣で『バジリスク』を殺したのかい?」
背が低い方のレイブンクロー生が言う。ハリーは少しだけ笑みを浮かべた。だが、眼が泳いでいる。
「あ……まぁ、瀕死にさせたというか」
「すげぇ…バジリスクって蛇の王者だろ?」
ジャスティンがつぶやく。グリフィンドールの女子生徒が「うわぁ!」と小さく叫んだ。クリービー兄弟は尊敬で打ちのめされたように目を交わしている。ネビルも顔を真っ赤にさせて口を開いた。
「それに1年生の時には『言者の石』を『例のあの人』から救ったよ!」
「『賢者の石』よ」
ハーマイオニーが訂正する。…いつの間にか、私はバタービールの瓶を持つ手に力を入れていた。ハリーは嬉しそうな、でもどこか戸惑っているような表情を浮かべている。
「まぁ……でも、あれは運が良かっただけで…」
「それにまだあるわ」
ハリーの言葉を遮り、話し始めたのはセドリックのパートナーだったアジア系の少女。
「先学期、3校対抗試合で、ハリーがどんなに色々な課題をやり遂げたか。ドラゴンや水中人、それから大蜘蛛なんか色々と切り抜けて……」
アジア系の少女の少女に賛同する声が、生徒たちの中から上がった。ハリーの顔は熟れ過ぎたトマトのように赤く染まっている。
「聞いてくれ!」
ハリーが少し大きな声を出す。すると、たちまち店内に静けさが戻った。
「僕……僕、何も謙遜するとか、そういうわけじゃないんだけど。僕はずいぶん助けてもらって、そういういろんなことをしたんだ…」
「ドラゴンの時は違う。助けはなかった。あの切り抜け方は本当に、かっこよかった」
レイブンクローの背が低い方が口を開く。ハリーは、戸惑った表情を浮かべたまま固まった。
「うん…まぁね……」
「それに、夏休みに『吸魂鬼』を撃退した時も、誰も貴方を助けはしなかった」
スーザンがハリーの方をまっすぐ向いて言う。
「ああ。そりゃ、まあね。助けなしでやったことも少しはあるさ。でも、僕が言いたいのは…」
「『賢者の石』を最終的に『あの人』から守ったのは君でしょ?」
「『秘密の部屋』の怪物(バジリスク)を退治してくれたのも、ハリーだ」
「いや、そうだけど…でも……」
私はここで、耳を傾けるのをやめてしまった。
私はハーマイオニーやネビルから『OWLに合格する程度の防衛術の自習』をすると聞いたから来た。だが、これだと『ハリー・ポッターを褒め称える会』になっているじゃないか。だが、あくまでこれはオリエンテーション。最初こそこういう会合だが、次回からは『自習』をするのだろう、たぶん。
「ェヘン、ェヘン!」
アンブリッジに、そっくりな声が聞こえてきた。ついにバレたか、と思い振り返ると、どうやらジニーの声真似だったらしい。
「防衛の練習で、どこに集まるか、決めるところじゃなかったの?」
ジニーが話を元に戻そうとしているらしい。『褒め称える会』が終わったらしいので、私は再び耳を傾けることにする。
「とりあえず、場所を探しておきます。見つけ次第、伝言を回すわ」
ハーマイオニーはテキパキというと、鞄を探って羊皮紙と羽ペンを取り出した。それから、ちょっと何かをためらうようにしてから、意を決したように口を開く。
「私…私、考えたんだけど、ここに全員の名前を書いて欲しいの。私たちのしていることを、言いふらさないと全員が約束するべきだわ」
ハーマイオニーが名前を羊皮紙に書き込む。それの後に続くけるようにして、フレッドやジョージが、他の人達が次々に自分の名前を書き込んでいく。だが、何人かはリストに名前を連ねることに乗り気になれない人もいた。
その筆頭がアーニー・マクミランだった。
「あの、僕は…いや、僕たちは『監督生』だ」
苦し紛れというような感じで口を開くアーニー。…どうやら彼は『監督生』だということに誇りを持っているみたいだ。自習会の内容には賛同できるが、監督生の資格を失いかねない危険な行為をしたくないのだろう。
「その……自習会を行うのは、大切だし、何よりも、あの授業だと確実にOWLを合格できない。だが万が一…万が一だ。このリストがバレたら」
ハーマイオニーは、戸惑いを隠せないアーニーに詰め寄った。
「アーニー。私がこのリストをその辺に置きっぱなしにするとでも思ってるの?」
「そ、そんなことないさ。僕………書くよ」
少しだけ安心した顔になったアーニーは、名前を書きこんだ。そのあとは特に誰も異論を唱えることがなかった。ただ…アジア系の少女の友人の子が、恨みがましい顔をしているのが見えた。もしかしたら…無理やり連れてこられたのかもしれない。話を聞いているときだって、あまり乗り気には見えなかったし。
ハーマイオニーは羊皮紙を回収した。慎重にそれを鞄の中に入れると、3人は帰り支度を始める。これで今日の会合は終了したみたいだ。腕時計を見て時間を確認する。…私が店に入ってから、あと数分で1時間、といったところだろう。意外と早く終わって助かった。
私は2シックル払い席を立つと、3人を追うように外に出る。眩い陽光の中に戻った時、一瞬眼が眩みそうになった。
「今の会合、私も入れてくれる?」
3人の背中に話しかけると、よほど驚いたのだろう。飛び上がらんばかりの勢いで3人は振り返った。
「セレネ!いつからそこに…」
ハリーが目を、これ以上ないってくらい丸くさせて尋ねてきた。
「最初からいたんだけど」
「スリザリン生が何考えてるんだ?」
ロン・ウィーズリーが明らかに警戒心むき出しの様子で、私に歩み寄る。
「あの授業では、何も学べないから、ためしに参加してみようと思っただけ」
「そんな嘘が通じると…!」
「ロン、やめて!」
ハーマイオニーがロンを叱る。そして、すまなそうに私を見ると先程の羊皮紙を取り出した。
「貴女が参加してくれて嬉しいわ。だって、貴女もヴォルデモートが復活したって知る1人だもの。ロンだって、セレネが強いことは知っているでしょ?」
「まぁ…そうだけど…」
ロンは渋々という感じで頷いた。それを確認した私は、さっさと自分の名前を書き込む。
計画の成功率をあげるために、『セレネ・ゴーントは、ハリー側の人間』だと思わせる第一段階は、これでクリアした。だましているようで、少し罪悪感が胸を横切る。でも、仕方ない。これは仕方ないことなのだ。
「じゃあ、私はこれで」
それだけ言うと私は、歩みを止めずに『三本の箒』へと急ぐ。
人通りがだんだんと多くなり、目的地に到着する頃には人の間を縫って歩かないといけないくらい混雑していた。私は『三本の箒』の横にある裏路地に入り込むと、襟の中から小さな金色の砂時計がついている鎖を取り出した。数年前にダンブルドアがくれた『逆転時計』。1回ひっくり返すと1時間だけ戻すことができる不思議な道具だ。
私は1回だけひっくり返す。すると少しだけ薄暗い裏路地が溶けるように無くなった。とても速く、後ろ向きに飛んでいるような感覚だ。……やがて固い地面に足が付くのを感じた。時計を確認すると、きっちり1時間前。
私は路地から出ると『三本の箒』に足を踏み入れた。先程の『ホッグズ・ヘッド』とは比べ物にならないくらい活気盛んのパブで、暖かい感じがした。私はイラついた表情で椅子に腰かけているミリセントに近づく。
「まったく!」
ミリセントが私を睨んできた。
「トイレなら寮ですませてきなさいよ。せっかくホグズミード村に行ける日なのに…」
「あぁ悪かった」
愛想笑いを浮かべながら、椅子に座る。彼女には『自習会』に行くということを話していなかった。私はまだハーマイオニーやネビルと話せるからいいが、ミリセントは話以前にハーマイオニーとそれほど仲が良いわけではないし、両親が魔法省に務めている。
それに、いつも一緒に行動をしているパンジーやダフネは、それぞれの彼氏とデート中だ。1人で行動をすることが嫌いなミリセントは、数日前……私の腕をつかんで必死の形相で『今度のホグズミード村で一緒に、いい男を探しましょうよ!』と言ったのだ。…まさか『かなり反アンブリッジ運動に近い自習会に行く』なんて言えない。
だから『逆転時計』を使った。
トイレに行くふりをして『ホッグズ・ヘッド』に向かう。それが終わった後に『逆転時計』を使って何食わぬ顔をしてミリセントのところに戻ればバレない。
「…ちょっと、セレネ聞いてる!?」
ミリセントは口を尖らせている。だが、眼が爛々と輝いていた。
「どうした?」
「ほら、あの男…イケメンじゃない?何年生かな?」
視線をたどると、確かに顔立ちの整った少年が1人で座っていた。服の上からでも、引き締まった体をしていることが分かる。……体格的に私達より年上だろう。
「私、ちょっと話してくるね」
言った傍から立ち上がると、何気なく少年に近づくミリセント。わざと、少年にぶつかり少年に謝るミリセント。少年が何かミリセントに話しかけている。
私は注文しておいた唐傘飾り付きのシロップソーダを飲み始めた。バタービールとは違う甘さが、身体じゅうに浸透していく、徐々に先程までのイラつきが溶けていく感じがする。やはり、こういう時には甘いものを摂取することが一番なのかもしれない。
「最低!」
ミリセントが音を立てて席に座った。顔全体を赤く染めるほど、怒り狂っている。ミリセントは荒々しくテーブルの上に残っていたバタービールを飲み干した。
「聞いてよ、セレネ!あのさっきの人!グリフィンドール生でマクラ―ゲンとかいったんだけどさ!何よ!自分のクィディッチの自慢話ばかりで私について何も聞いてこないのよ!信じられない!どれだけナルシストなの!?そもそもよ?こういった時は……」
永遠としゃべり続けるミリセント。私は心の中でため息をつきながら、彼女の話に夕方まで付き合ったのだった。