足が地面を打つのを感じた。優勝杯から、ようやく手が離れる。
「ここはどこだろう?」
ハリーが心配そうな声を出す。セドリックは首を横に振り、辺りを見渡していた。
ホグワーツから完全に離れていた。何キロも。下手したら、何百キロも遠くまで来てしまったのかもしれない。城を取り囲む山々さえ見えなかった。私たちは、闇に覆われている荒れ果てた墓場に立っていた。墓石はどれも長年手入れされていないらしく、欠けたまま放置されているものや、蔦が巻き付いて字が読めなくなっているものが多い。向こうの方に小さな教会らしい十字架を掲げた黒い輪郭が見えた。左手には丘がそびえ、その斜面には堂々とした古い館が立っている。
…気のせいだろうか、どこかで見覚えのある場所だ。
「優勝杯が『移動(ポート)キー』になっているって、君たちは誰かから聞いていたか?」
いまだに青く輝いている優勝杯を見下ろしているセドリック。ハリーは首を横に振りながら杖を持ち直していた。
「全然」
「私も知らない」
そうか、これが『移動(ポート)キー』なのか。教科書で読んだことがある。確か、瞬間移動ができる魔法。『移動キー』に触れることで移動できるらしい。鍵となる物は、何でも良い。『姿あらわし』や『姿くらまし』よりも安全性が高く、複数人が同時に移動でき、かつ未成年者でも合法的に利用可能なのだそうだ。
「これも課題の続きなのかな?」
「分からない…杖を出しておいた方がいいかもしれない」
ハリーとセドリックは不安げな感じで話し続けている。まだ、ヴォルデモートとその部下が来る気配はない。その前に逃げないといけない。
「早く、もう一度『移動キー』に触れるぞ」
「えっ、でも、これが課題の続きだったら」
「そんなわけないだろ」
声を低くして、困惑するハリーを睨みつける。
「どう考えても罠にはめられたんだ、私たちは!早くしないと、取り返しのつかないことに…」
「しっ、誰か来る」
セドリックが口をはさむ。暗がりで目を凝らすと、墓石の間を間違いなく私たちの方に近づいてくる人影が見えた。フードつきのマントを被った人影は、何か赤ん坊のようなものを抱えている。
謎の人物が一歩…一歩…私たちの方に近づいてくる。なのに、誰も動かない……まるで、そこに縫い付けられてしまったみたいに。
「早く走れ!」
杖を怪しげな人影に向けたまま叫んだ。我に返った様子のセドリックと一緒に、私は地面を蹴ったが、ハリーだけがうずくまってしまった。
「ハリー!?」
「あ、頭が――!!!」
両手で額を覆い、地面に座り込んでいるハリー。指の間から見える顔は、苦痛の色で染まっていた。
「よけいな奴は殺せ!」
冷たく甲高い声が響く。怪しげな人影は杖を振り上げた。
「『クルーシオ‐苦しめ』!!」
迫りくる閃光。私はセドリックの前に躍り出ると、ナイフで閃光を斬る。
「ありがとう、セレネ」
「礼はあとだ……っ!?」
前の敵ばかり気にしていて、背後がおろそかだったのが原因かもしれない。背後から物凄い力で大きな蛇に締め付けられた。さすがにアルファルド程大きくはないが、家に残してきたバーナードの倍以上の大きさだ。何とかして脱出しようと身体を動かそうとした。だが、しっかりと締めつけられているので手足を動かすこともままならない。
肺が酸素を求めているのが分かる。息ができなくて苦しい。蛇に話しかけようと口を開くが、酸素をヒューヒューと酸素を求める音が出るばかりで、肝心の声が出ない。ますます締め付けてくる蛇。身体中の力が抜け、右手に握りしめていた愛用のナイフが、カラン…と音を立てて地面に落ちた。
セドリックが、謎の人物に向けていた杖を、蛇に向けているのが見えた気がした。
「離れろ、『レラン…」
「『クルーシオ‐苦しめ』」
セドリック目掛けて閃光が奔る。途端に、セドリックの悲鳴が、墓場に響き渡った。
朦朧とする意識の中、隣にいるはずのセドリックが、どこか遠くの方で叫んでいる気がした。
「おい…殺せと俺様は言ったはずだ」
「殺すのはあっという間だけどさ、殺したらお終いだと思わない?簡単に殺すなんて言っていると、心が狭い人に思われるって」
どこかで聞いたことのある声がする。だが、それが誰の声だか思い出す前に、気が付くと無理やり大理石の墓石に、頑丈な縄で縛り付けられた。先程の蛇の締め付けよりは拘束されていないが、身体に力が入らない。拘束から逃れるよりも、身体は酸素を欲しているみたいだ。
荒い息をしながら、眼でセドリックとハリーがいる場所を探す。
セドリックも、私と同じように、近くの墓石に縛り付けられていた。先程の『磔呪文』の痛みが尾を引いているらしい。ぐったりとしている。そのさらに奥の、ここにある墓石の中で一番大きく立派な墓石では、ハリーが縛り付けられている最中だった。ハリーは、額の傷が動きに支障を侵すほど、痛むみたいだ。ほぼ無抵抗で縛り付けられている。
「……誰…?」
ハリーがつぶやく。マントを被った人物は、それを無視する。大鍋に火をつける。何か水のような液体が、なみなみと満たされていた。ピシャピシャっと液体が跳ねる音が聞こえる。液体の表面が、すぐにマグマみたいにゴボゴボと沸騰し始めた。紫色の湯気が空に昇っていく。
「…あつー」
マントを被った人物は、フードを脱ぐ。パタパタと手を扇代わりにしていた。
「あっ、まさか…あなたはレイブンクローの」
セドリックが『信じられない』という顔をした。ハリーは誰なのかわからないらしく、顔を痛みで歪めたまま、その人物を凝視していた。
「よく覚えていたね、ディゴリー。初めまして、ポッター。ゴーントは久しぶり」
整った顔とスラリと高い背。どこかで見たことがある気がする。私が眉間に皺を寄せて思い出そうとしていると、火加減を見ているソイツは肩を落とした。
「…まぁ、思い出せないみたいだから名乗るか。俺の名前は『シルバー・ウィルクス』。レイブンクローの卒業生で、今は魔法省に務めている。んでもって、帝王様の下僕」
1年以上も前の、すっかり忘れていた私の記憶が蘇る。そうだ、シルバー・ウィルクス。『決闘クラブ』で出会いった先輩だ。セドリックは悲痛で顔を歪ませながら、身を乗り出すようにして叫んでいる。
「なんで、なんでウィルクス先輩が…これはいったいどういうことですか!?」
「うるさい、そいつを黙らせろ、シルバー」
シルバーが片手で楽々と抱えている包みがモゾモゾと動きながら、声を上げる。だが、叱責されても、シルバーは笑顔を浮かべたまま、セドリックを殺そうとしない。
「了解っと……『シレンシオ‐黙れ』」
杖をめんどくさそうに振る。途端にセドリックから声が奪われた。口は動いているのに、言葉が出ていない。
「ちょっと黙ってて欲しいんだ、ディゴリー。後でたっぷり話してあげるから」
今や液面全体が火花で眩いばかりの鍋を見つめているシルバー。鍋はダイヤモンドを散りばめられてあるみたいに輝いていた。
「んじゃあ、行くよ…帝王様」
包みをゆっくり、私たちに見せつけるように開く。中に包まれていたものがあらわになった時、ハリーは悲鳴を上げたのが分かる気がした。
縮こまった人間の赤ん坊…に見えなくもないが、あんなに赤ん坊らしくない生き物は見たことがない。髪の毛はなく、鱗に覆われたような皮膚。今にも折れてしまいそうなくらい細く弱弱しい手足。そして、憎しみの色でギラギラと輝く赤く染まった瞳。
ソレをそっと液体の中に入れるシルバー。ジュっという音とともに、その姿は液体の中に沈んで見えなくなった。その途端に、悲鳴を上げ続けるハリー。気のせいか、ハリーの額の稲妻型の傷が赤く光ったように見える。セドリックは吐き気を催しそうな顔をしていた。
「父親の骨…知らぬ間に与えられん」
途端に、ハリーの足元の墓の表面が、パックリと割れた。そこから、灰色の骨が1本…宙に浮かぶ……そして、静かに鍋の中に沈んでいった。途端に、ダイヤモンドのような液面が割れ、蛇の声のような音がした。四方八方に火花を散らし、液体は鮮やかな…されど、どこか毒毒しい青色に変化した。
「しもべの肉、喜んで差し出されん。しもべは御主人様を蘇らせん!」
今にも鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気を漂わせていたシルバーの顔が、急に引き締まった。そしてマントの中に杖をしまい、代わりに、細長い銀色に光る短剣を取り出す。左手を鍋の上に伸ばし、もう片方の短剣を握っている右手を、思いっきりを振り上げる。そして……一気に振り下ろした。
左手首が音を立てて鍋の中に沈んでいく。左手首の断面から、しめ損なった蛇口のように鮮血が迸る。痛みで顔を歪めるシルバー。ナイフを地面に落とす。そして、マントの中から先程しまった杖を取り出し、一振りさせると、嘘のように血が止まった。
液体は、アルカリ絵の具みたいな原色に近い…混ざり気のない赤色に変化した。少しふらつきながら、地面に落ちたナイフを手に取ると、シルバーはハリーに近づいていく。ハリーは固く目を閉じていた。
「敵の血……力ずくで奪われん。汝は、敵を蘇らせん」
どこか楽しんでいるように言うシルバー。すぐ近くで声がしたからだろう。ハリーがギョッと目を大きく開けた。逃げようと体をねじらすハリーだったが、縛られているので逃げられない。
少し鮮血が付着している銀色の短剣が、ギラリと光った。その切っ先が、ハリーの右腕の内側を貫く。ローブの袖に深紅の液体が滲み、ポタリ…ポタリ…と滴り落ちた。ハリーの血で染まった短剣を鍋の上まで運ぶ。その血を大切そうに煮えたぎる鍋の中に落とす。
…これが完了したら……ヴォルデモートが復活してしまう。頭では分かっていた。だから阻止したい。…でも…縄で縛りつけられているので動けない。私は、歯を食いしばった。
鍋の中の液体が、混ざり気のない白に変化した。しばらく、何も起こらなかった。ハリーが苦痛でうめく声と大鍋がグツグツと煮えたぎる音だけが、静まり返った墓地に響き渡る。
……失敗したのだろうか……
そう思った時だった。
一気に四方八方に眼を眩ます閃光が奔った。そして、それと同時に鍋が一気に黄金の炎と白い蒸気に包まれる。黄金の炎と白い蒸気は、鍋を完全に隠した。ようやく炎が鎮圧してきたが、蒸気がまだ立ち込めている。その蒸気の中に隠されている大鍋の中から、何かがゆっくりと立ち上がったのを見た気がした。
セドリックの顔から表情が消えている。ハリーは痛みでうめいている。シルバーは失われた左手を押えながら、恍惚とした表情を浮かべていた。
「ローブを着せろ」
蒸気の向こうから、甲高い冷たい声がした。地面にあらかじめおいてあった、黒いローブを拾い、恭しく蒸気の向こうにいる痩せた男に着せるシルバー。
蒸気がだんだん消えていく。痩せた男は、じっとハリーの方を見て…それから、私の方を見た。…その男は、人間離れをした顔をしていた。骸骨よりも白い顔…細長い深紅の目……蛇のように平らな鼻……切れ込みを入れたような鼻の孔……。
ヴォルデモート卿が復活した。