「…遅い…」
2月の肌を刺すような寒さを、温め呪文で緩和させているとはいえ、待たされるのは嫌な気分だ。大興奮で話している観客達は、毛皮のコートを着たり、手編みのマフラーを着けたりして防寒対策ができるからいいが、私達…代表選手はこれから極寒の湖の中に潜らなければならないので水着なのだ。隣にいるフラーは競泳用の水着だし、セドリックもクラムも水着だ。ちなみに、私はタンクトップに短パン型の水着だ。ポケットには、今回は持ち込みが許可されているナイフが入っている。
眼鏡はダフネに預けておいた。この間みたいにアステリアに預けようかと思った。だが彼女の姿が見つからなかったので、ダフネに預けたのだった。
……それにしても、ハリーがまだ来ない。
何段にも組み上げられたスタンドは、すでに超満員で、下の湖に影を映している。スタンドに設置されている大時計を確認すると、課題開始まで10分をきっていた。
「来ないと思うかい?」
眼下に広がる湖に映った自分の顔を凝視しているセドリックが、問いかけてくる。
「ハリーに限ってそれはない」
ハリーは、ここで逃げるような奴ではないと思う。ここで逃げる程度の男なら、1年生の時に『賢者の石』を護ろうとしなかっただろうし、『秘密の部屋』に行こうとはしなかっただろう。それに、課題でおそらく何をするかということを、ハリーは知っているのだ。一昨日の『魔法薬学』の時間のやり取りが、つい数分前のことのように脳裏に浮かぶ。
あの日、教室に足を踏み入れ、いつも座っている自分の席が視界に入った直後、無言呪文を使い、その席を破壊した。
一緒に教室に入ったダフネやミリセントが、いきなり壊れた私の席を見て悲鳴を上げる。すでに教室に入っていた生徒たちも、何が起きたのか分からないみたいだ。
もちろん、あの程度なら簡単に直せる。だが、私は『直すのが面倒』と言って、ハリーの隣に腰を下ろしたのだった。スネイプ先生が「何を企んでいる?」という疑惑の目で見てきたが……申し訳ないけど、無視することにした。
ハリーは、私が隣に座ったことで動揺しているみたいだった。ハリーの反対隣りに座っているロンが私を睨んでいる。その眼には、明らかに嫌悪の色がチラついていた。
授業が始まってもロンが私の方を睨んでくる。だが、手元をあまり見ていないので、作業がおろそかになり、イチジクを刻むはずなのに、自分の手を刻もうとしていたり、蛇の牙を砕こうとしたのに、そばにいたコガネムシを砕こうとしていた。だが、残り15分になっても私が黙々と魔法薬を作っているのを見ると、何もする気がないと判断したのだろう。ロンは、ようやく自分の魔法薬作りに集中し始めた。スネイプ先生が他の生徒のところを見ている時を見計らって、ハリーに話しかける。
「…卵の謎は解けたか?」
ハリーは一瞬…ニガヨモギを刻む手を止めたが、何事もなかったかのように刻み始める。
「もちろん」
一見すると自信満々に言っているハリーだが、目が少し泳いでいる。ハリーは、見栄を張ってウソをついている可能性が高い。たぶん、何もわかっていないのだろう。
私は小さなため息をついた。
「第二の課題は1時間以内に湖の中で探し物をすること。それが卵に隠された謎だ」
「えっ…何それ?」
隣でニガヨモギを刻んでいるハリーが聞き返してきた。私はスネイプ先生が、こちらに背を向けているのを確認すると、殆ど口を動かさないで言う。
「何度も言わせるな。第二の課題は1時間以内に湖の中で探し物をすること。それが卵に隠された謎」
私は立ち上がり、アルマジロの胆汁を入れると琥珀色に変化した液体を、かき回す。ハリーは刻み終えたニガヨモギを鍋に入れるため立ち上がった。
「それって…本当?」
「嘘をついて、何の得がある?私は優勝する気なんてない。名誉も金にも興味がないし、目立つのは嫌いだ。他の誰かに優勝してもらわないと困る」
琥珀色から夕焼けのような茜色に液体が変化してきたところで、混ぜるのをやめて座る。
ニガヨモギに続いて、アルマジロの胆汁を入れ終えたハリーも、席に着く。もう彼の目は泳いではいなかったが、今度はドラゴンと対決する前の時みたいに、ハリーの表情から不安な様子がにじみ出ていた。
「でも……1時間も息を止めるなんて、死んじゃうよ」
「『死人を出さない』ということを前提に課題を決めているはずだ。…出来ないと思うなら、発想を変えてみたらどうだ?」
丁度、教室に授業終了のチャイムが鳴り響く。…ここまでヒントを教えたのだから、あとは自力で出来るだろう。ハリーにはハーマイオニーがついているし。後、知らなそうなのは、セドリックだ。でも今回はドラゴンの時と違い、ヒントは出ているのだ。セドリックのことだから、ハリーとは違い見栄を張ることはないと思うから、きっと、寮監のスプラウト先生に助けを求めて、解決できるに違いない。
私は出来上がった薬を試験管に詰めて、提出するために席を立ったのだった。
「お、遅れてすみません」
泥に足を取られながら、私たちの方へ走ってくるハリー。…時間は課題開始の3分前。本当に運がいい男だ。よほど焦ってきたのだろう。いつも以上に髪が乱れているし、眼鏡も斜めに曲がって掛けられていた。クラウチの代理の赤毛の青年が、どこか威張った感じで注意する。
「いったい、どこに行ってたんだ!?課題が間もなく始まるというのに!!」
「まあ、まぁ、パーシー。息ぐらいつかせてやれ」
心底ホッとした様子のバグマンが、パーシ―と呼ばれた青年を、いさめた。ダンブルドアもハリーに『安心しろ』というように微笑みかけていたが、マダム・マクシームとカルカロフは、嬉しくない様子だった。……きっと、ハリーが逃げ出したのだと思っていたのだろう。第一の課題を高得点で通過したハリーは、優勝候補の1人に上がっているのだ。マダム・マクシームとカルカロフは、ハリーに課題から逃げ出て欲しかったに違いない。
ハリーの息が落ち着くのを確認したバグマンは、杖を自分の喉に向け、『ソノーラス‐響け』と言った。すると、バグマンの声が暗い水面を渡り、スタンドに轟く。
「さて、全選手の準備ができました。代表選手たちは、それぞれの奪われたものを取り返しに行きます。制限時間は、きっちり1時間!では、3つ数えたら始めます。いち…に………さん!!」
ホイッスルが冷たく静かな空気に、鋭く鳴り響いた。スタンドは拍手と歓声でどよめくのを耳にしながら、私は杖を振って『泡頭の呪文』を使うと、湖に飛び込んだ。
呪文の効果で、頭の周りに大きな泡がついて、新鮮な空気が確保できた。呪文の効力で、余裕で1時間は水の中で行動できる。…水の中は動きにくいので、あとは体力がなくならないことを祈ろう。
私は杖を右手で握ったまま、バタ足で湖の奥へ進む。
見たこともない暗い霧のかかったような景色を下に見ながら。とりあえず、湖の中心辺りを目指して泳ぎ続けた。何か手がかりになるものはないかと、慎重に辺りを見渡しながら進む。…他の代表選手が泳ぐ音も聞こえない。どこまでも静寂に包まれた世界だった。
もつれあった黒い水草が、左右にユラユラと揺れる森。泥の中に鈍い光を放つ石が点々と転がる平原。
小さな魚が、私の脇を銀の矢みたいに輝きながら、通り過ぎて行った。淡い緑色の水草が、目の届く限り先まで広がっている。1メートルにも満たない水草が生える様子は、まるで手入れの行き届いていない牧草地のようだった。このように水草が集まっているところには、近づかない方がいい。
水草に足を取られて溺れてしまうかもしれないし、何かが隠れているかもしれない。実際に、水草と水草の合間から、長い指のようなものが揺らめいているのを見た気がした。
「賢明な判断だわね」
どこかで聞いたような声がする。振り返ると『秘密の部屋』に通じるトイレを根城としているゴースト『嘆きのマートル』がいた。私の目の前に朧気に浮かび、分厚い半透明のメガネの向こうから私を見ている。
「…なんでここに?」
呪文の効果で声が出なかったので、口の動きだけでマートルに伝える。そんな私の様子が可笑しいのだろうか?マートルはクスクスと笑い始めた。
「ちょっと試合観戦をしようと思ったの。あっちを探してみなさいよ」
マートルが斜め向こうを指さす。
「私は行かないわ。あの連中、好きじゃないの。1位になりたいなら、急いだ方がいいわよ。さっき蛙みたいな水掻きをつけたハリーが、ここを通り過ぎて行ったから」
「ありがとう」
私はマートルに別れを告げると、再び泳ぎだす。
……ハリーはおそらく、『鰓昆布』を使ったのではないだろうか?『鰓昆布』というのは、特殊な水草の一種で、食べると1時間ほど水中で活動できるように体の構造を維持的に変えてしまう効果がある。『蛙みたいな水掻き』とマートルが教えてくれたことから考えて、『鰓昆布』以外の何物でもないだろう。
そうでもない限り、私より先にたどり着くなんてありえない。入手困難な水草だが、きっとスネイプ先生辺りなら持ってそうな気がするので、頼み込んで手に入れようかと思ったが…あの水草は『淡水』で使用可能なのか、それとも『海水』で使用可能なのかが、ハッキリわかっていないのだ。
そんな危ないものを使用して、死んでしまったら元も子のないので『泡頭の呪文』を使った。でもどうやら、鰓昆布でも問題がなかったみたいだ。
……水を掻くたびに、黒い泥が巻き上がり視界を遮る。
遠くから不思議なコーラスが聞こえてきた。『金の卵』から聞こえてきた歌だ。
「探しにおいで 声を頼りに
取り返すべし 大切なモノ
…時間は半分 ぐずぐずするな
求めるモノが 朽ち果てぬよう…」
……歌の細部が違う。奪われたモノが何なのかは、まだ予想がつかないが、とにかく制限時間1時間のうち、半分の30分は過ぎてしまったということだ。私は、歌の聞こえてきた方に水を思いっきり掻いた。
……しばらく進むと、藻に覆われた荒削りの石の住居の群れが、薄暗がりの中から突然姿を現した。あちらこちらの暗い窓から覗いている顔、顔、顔。おそらく水中人だろう。彼らの肌は灰色味を帯び、眼は黄色く、首には丸石を繋げたロープ…おそらく首飾りを巻きつけていた。鎧をまとい槍を構えた威圧的な亜雰囲気を醸し出している。
だが、襲ってこない。私のことを遠巻きに眺め、ヒソヒソと仲間内でささやいているようだ。
集落のような場所を抜けると、広場にたどり着いた。その真ん中で、水中人のコーラス隊が先程の歌を歌っている。その後ろに、荒削りの大きな水中人をかたどった石像が立っていた。
その像の尾の部分に4人の人が括り付けられている。その4人を心配そうに眺めているハリーがいた。なぜか水中人に拘束された状態で。ちなみに、その4人とは、ロン、ハーマイオニー……フラーを小さくしたような銀髪の11歳にも満たない少女…それから、最後にノットが括り付けられていた。何かの魔法薬の効果だろうか。呼吸をしているみたいに見えなかった。4人ともぐっすりと眠りこんでいるみたいに、全く動かない。どうやら、意識がないようだ。
この瞬間、ずっと理解できなかったダンスパーティーの謎が解けた。きっとあのパーティは、代表選手がダンスのパートナーに選ぶくらい大切な者を、審査員が確認するために開かれたのだろう。
ハーマイオニーは、おそらくクラムの人質だ。ダンスパーティでの様子を見る限り、『クラムにとって大切な者』は、ハーマイオニーだろうから。
その隣に浮かんでいたのは、ロン・ウィーズリーだった。ダンスパーティでハリーのパートナーだったパーバディは、その後ハリーと上手くいかなかったので、彼が選ばれなかったのだろう。代わりに親友のロンが人質になったということか。
同様のことが、フラーにも言えるのかもしれない。まるで、『フラーのミニチュア版』と言っても過言ではない、完璧な幼女が浮かんでいた。恐らく、フラーの妹なのではないだろうか。フラーが双子だという噂は聞いたことがないが、姉妹がいるとは小耳にはさんだことがある。幼女の銀色の髪が、ゆらゆらと揺れている。そういえば、クリスマス直後に異常なくらい意気消沈しているフラーのパートナーを見かけたことがあった気がする。足元がふらついていて焦点も定かではない様子だったのは、フラーに振られた直後だったのかもしれない。
……で、私はノットということか。
ダンスパーティで踊った後も、ハリーやフラーのパートナーのように、仲違いせずに付き合っていたから、友人としてだけど。それにしても、なんでハリーは自分の人質(ロン)を助けないのだろうか?…グリフィンドール特有の『騎士道精神』『英雄思想』が原因かもしれない。きっと、他の人質も助けようとしているに違いない。他に誰も来なかったら、来なかった人の分の人質も助けて帰還しよう、といったところだろう。
まったく、私には理解できない。なんで知りもしない人まで助けようとするのだろうか?
ハリーが何か言いたそうな顔をしていたが、無視してノットを縛ってある縄を切ることにした。私はポケットの中にしまっておいたナイフを構える。縄である滑り易そうで頑丈な水草の『線』を、『眼』を使って見定めると、『線』にそって切り裂く。ノットの全体重が私に圧し掛かってきたので、ふらつきかけたが体勢を立て直す。
「早く来い」
声が相変わらずでないので、口の動きでハリーに伝える。ハリーは首を縦に振った。ハリーの手や足には鰭が付いていた。案の定、鰓昆布を使ったのだろう。
私は思いっきり水を蹴って、湖面を目指した。
湖面までの水は暗く、遠い道のりだったが、ただまっすぐ上を目指して泳ぎ続ける。
ハーマイオニーとロンの間に不自然なくらい空いている場所があった。消去法で考え、セドリックの大切な者――おそらくダンスパーティーで見かけた東洋系の少女だと思う――が囚われていたのだろう。その大切な者の姿が見えないということは、すでにセドリックは人質を助け出し、浮上したということ。ぐずぐずしている暇はない。私は懸命に足を動かした。
私の様子を鑑賞するように、水中人が楽々と私の周りを泳ぎまわっている。槍を携えているが、先程同様、攻撃する気配はまるでない。吹き矢を持っている水中人もいたが、かまえてすらない。やる気がなさそうに吹き矢を握っている。
それにしても、湖面に到着するまで、予想以上に距離がある。面倒なので魔法を使い、上昇することを思いついた。そうすれば、時間短縮にもつながる。私は杖を取り出すと、キラキラと太陽の光で反射している湖面に向けた。
「アセン…」
だが、呪文を全て言い終える前に、杖を硬く握っていた右手に鋭い痛みが走る。なんとかノットを抱えている左手は離さなかったが、痛みのあまり杖が右手から抜け落ちて、くるくると湖底へと沈んでいった。右腕に矢のようなものが刺さって、傷口から血がにじみ出ている。
途端に私の周囲で湧き上がってくる濃厚な殺気。
敵意のかけらも感じられなかった水中人たちが、それぞれ槍を構えている。先程までやる気なさそうに漂っていた水中人も、黄色い眼を異様なまでに光らせて吹き矢を咥えている。……間違いなく、戦闘態勢だ。
これは、私を試すための課題なのだろうか?それとも、何か水中人の掟を冒涜する行為を気が付かないうちにしてしまったのだろうか?
ここで刺さっている矢を抜いたら、出血すること間違いなしだ。こんな水中で出血したら、血が固まりにくくて最悪な場合、出血死をしてしまうかも知れない。私は、腕の痛みを我慢しながらナイフを再びポケットから出す。痛みに我慢すれば右手は動かせた。
杖は湖底。左手には自分の倍の背や体重のノットを抱えている。
対する水中人は4人。…槍を持っているのが3人と、遠くで吹き矢を咥えているのが1人。
面倒だが、仕方ない。
私は声にならない言葉をつぶやいた瞬間に放たれた吹き矢を避ける。間一髪だったようで頬にかすりそうになりながらも、矢は当たらずに湖底へと沈んでいった。
それを皮切りに、瞳に狂気の色を浮かべて襲いかかってくる水中人。私の喉元目掛けて3匹の水中人が槍を伸ばしてきた。私は右手に走る痛みで顔を歪めながら、槍に纏わりついている『死の線』を切り裂く。途端に槍は形を保てなくなり、私の喉元に達する前に3人の槍は解体された。
槍使いの水中人が、何が起こったのか理解する前に、1番近くにいた水中人の腹を思いっきり蹴り飛ばして、その反動で上昇する。
だが次の瞬間、何とも言えないヌメリとした不快感が足に纏わりつく。得物がなくなった3匹の水中人が、私の足をつかんできたのだ。そのまま湖底へ引きずり降ろそうとしてくる。足に痕が残るのではないかと思われるくらい、強い力でつかみ、そのまま引き摺り下ろそうとしてくるのだ。
振り払おうと足をバタつかせるが、その瞬間に鋭いモノが脇腹を切り裂く。矢がかすった痛みを感じる前に、頬から深紅の液体が霞のように水中で広がっていく。吹き矢を咥えている水中人が悔しそうな表情を浮かべていた。再び次の矢を装てんしようと動く水中人。
このままだと、体力切れで負けてしまう。
私は未だに眠ったままのノットを抱えている左手を動かし、彼の杖を取り出した。私に忠誠心を抱いていたない他人の杖だと、杖に拒絶されて、自分の杖を使う時みたいに本来の力を発揮することができない。だから、本当は人の杖を無断で使いたくないが…自分の杖がない以上、仕方ない。私は迷わず杖を宙に掲げて叫んだ。
「『アセンディオ‐昇れ』!!!」
身体が水中人たちの力とは比べ物にならないくらいの力で、一気に持ち上げられた気がした。そのまま魔法に身を任せていると、頭が水面を突き破るのを感じた。途端に『泡頭の呪文』の効果で頭を覆っていた泡も音を立てて砕ける。冷たく澄んだ空気が、私の濡れた顔を刺した。隣で、目を覚ましたノットが咳き込む音が聞こえる。
スタジアムの観衆が歓喜の声を上げるのが耳に入った。私は、そのままスタジアムの方へ泳ごうとしたが……
「がっ!」
呪文の効果が切れたことで、再び足をつかんでいる水中人が、湖底に戻そうとしてくるのだ。少し水を飲みこんでしまった。下からくる力に逆らうように、思いっきり足をバタつかせて浮上する。再び水面に顔を出して酸素を吸い込む。そして握りしめたままの杖を、水面に透けて見える血走った眼をした水中人たちに向けた。
「『レラシオ‐放せ』!』
紅い火花が奔り、3匹の水中人に直撃する。私の足をつかんでいた手を放したのだろう。途端に身体が軽くなって動きやすくなった。が、それと同時に身体の底から湧き上がってきた疲労感。誰かが息絶え絶えに叫ぶ声がする。壁なんかないはずなのに、壁の向こうから聞こえてくるような…
とにかく岸に辿り着かないといけない。私は最後の力を振り絞って水を掻きわけ、足を動かした。途中から自力で泳いでいるのか、誰かに引きずられるようにして泳いでいるのか分からなくなってきた。
小さな影が、水しぶきを上げて駆け寄ってくるのが見える。その後ろからは、蒼白な顔をした何人もの人が走っている。そのうちの1人が、前を走る小さな影を追い越し、白いタオルを広げた。誰かが広げた白いタオルに倒れこむようにして包まれた時……私の意識は途切れてしまった。
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10月15日:一部改訂
24日:〃