ミルディアンに面した近海。その海上を二人の魔導士が舞う。音速もかくやという人間の限界を超えた領域。シャクマとジーク。互いに杖を駆使しながらの空中戦。世界最強の魔導士を決めるに相応しい魔法戦が今繰り広げられていた。
「ふん」
自らに並走しながら疾走するジークに向かって超魔導シャクマは無造作に指を振るい続ける。本来なら魔法を行使する際には詠唱が必要。しかしそれを破棄することもできる。咄嗟に魔法を使う際に行われる手段であり、瞬時に発動させられるメリットはあるものの代わりに魔法の威力が落ちてしまうリスクがある。だがそんな常識すらもシャクマは超越する。
「っ!」
まるでそれを予期していたかのように杖を操りながらジークはシャクマが放った魔法を躱す。だがその魔力弾はそのまま海へと着弾した瞬間、爆弾がさく裂したかのような爆音と衝撃が辺りを襲う。もし地上であったなら巨大なクレーターができていたに違いないほどの破壊力。先のハジャを葬ったのも同じ攻撃。大魔道ですら防ぎきれない大魔法。超魔導の扱う詠唱破棄した魔法はそれほどの出鱈目な威力を誇る。
「フム、ならばこれならばどうかな」
ジークの動きを観察するような仕草を見せながらシャクマは再び指を振るいながら魔法を放たんとする。違う所はそれが両手であったこと。扱われる指が増えたことに呼応するように放たれる魔法の数も無数に増えて行く。さながらマシンガンのような弾幕。しかもその一つ一つの威力は先と全く変わらない。
「くっ……!」
体を翻し、海面すれすれを高速飛行しながらジークはそれを回避し続けるもその圧倒的な数の暴力に抗うことはできない。とても避けきることができない飽和攻撃。もはや為す術はない。あるのはハジャと同じように無残に死体すら残さず消滅する未来だけ。そう、それが大魔道のジークであったなら。
それはまるで鏡映しのような動き。ジークはシャクマと向かい合いながら自らも指を振るい魔力を操る。瞬間、圧倒的な魔力が充満し魔法となって放たれていく。奇しくもシャクマが扱っている詠唱破棄魔法と同じもの。その無数の光がシャクマの光を迎撃し撃ち落としていく。互いの魔法が激突し魔力爆発を起こす光景は巨大な花火が無数に炸裂するような閃光を巻き起こし海を蹂躙していく。だがその光景は魔導士が見れば正気を失ってしまうほど。何故ならその一瞬の攻防で消費された魔力の量はミルディアンの魔導士全てを優に超えるほどのものなのだから。
それがジークとシャクマの戦い。超魔導の域に至った者達の実力の片鱗だった。
「もう距離を稼ぐのはいいのではないかね。これ以上場所を変える意味はないと思うが……」
「……気づいていたのか」
「当然だろう。わざわざ疲労を押してまでこんな場所まで移動する理由など他にあるまいよ」
シャクマは杖の上に胡坐をかいて座ったまま同じく杖の上に乗っているジークに向かって問いかける。その内容に一瞬表情が変化するもすぐさまジークはすぐに魔導士としての顔を取り戻す。だがその胸中は穏やかな物ではなかった。
「何故それに気づきながらここまで着いてきた」
「ふん、時の民などいつでも始末できる。今の私にとっては重要なのは主を始末することだけ。それに久しぶりにまともな魔法戦ができる機会だ。主もそろそろ力の使い方が分かってきたのではないか」
「全てお見通しというわけか……」
まるで全てを見通しているかのようなシャクマの余裕と言動にジークはただ圧倒されるしかない。自分がミルディアンに被害が及ばない海上に移動しようとしていたことも自分がまだ魔力を扱いきれていなかったことも全て見抜かれてしまっている。超魔道の称号は伊達ではない。先程までの攻防もシャクマにとっては準備運動、お遊びに等しい。しかしその慢心、余裕のおかげでジークは自らの状態を把握することができた。
(魔力の量も質も以前とは桁違いに上がっている……恐らく単純な魔力ならシャクマにも後れはとらないだろう……)
ジークは自らの手を握りながら己が内に渦巻いている魔力の奔流に恐怖すら感じる。とても自分の魔力だとは思えないような感覚。どれだけの力が引き出せるのか分からない程の高揚感。大魔道の壁を突破した者だけが得ることができるもの。初めは暴れ馬に乗っているように上手くコントロールできなかったものの先の攻防でそれは解消できた。無詠唱の魔法での威力が互角であった以上魔力においてはほぼ互角と見ていい。故にジークにとっての問題、勝負は二つの要素で決まる。
一つがお互いの持つ魔法の優劣。詠唱を必要とする大魔法の攻防においてシャクマを上回ること。先のハジャとの戦いと同じように例え魔力で拮抗しようとも扱える魔法で劣れば敗北は必死。
もう一つが疲労と負傷。これはジークにだけある一方的なハンデ。例えかつてを超える魔力を手にしようとも先のハジャとの戦いでの疲労と負傷は変わらず。満身創痍に加え疲労困憊。いつ倒れてもおかしくない程のレベル。故に持久戦という選択肢はジークにはない。一秒でも早く、全力でシャクマを倒すしかない。
「余興はここまで。本気で来るがいい。超魔導の真の意味を思い知らせてやろう」
その全てを見透かしながら超魔導は一切の油断なく、王者の風格を以て告げる。魔導の頂点に立つ者のみが持てる高み。その頂きに挑むべくジークは己が全ての力を解放する。
「―――!」
瞬間、初めてシャクマは目を見開く。ジークがいきなり乗っていた杖を海に投げ捨てるという理解できない行動によって。移動手段でもあり、魔導士にとって武器でもある杖を放棄するなどあり得ない。だがそれはジークにとって問題とはならない。何故なら元々ジークは杖を使う魔導士ではない。それを使ったとしてもシャクマの前では付け焼刃に過ぎない。そして何よりも重要なこと。それは
今のジークにとって杖など不要だということ。
「―――行くぞ!」
刹那と共にジークの姿が消え去る。だが正確には違う。シャクマの瞳にも映らないような速さを以て光を纏いながらジークは空を駆ける。
『流星』
それがジークが身に纏っている魔法。天体魔法と呼ばれるこれまで存在しなかったジークだけのオリジナルの魔法。超魔導の魔力を光に変換し、速度に全てを費やすことで限界を超えた高速移動を可能にする移動魔法。術式だけは既に完成していたものの大魔道のジークでは扱うことができなかったもの。今、ようやくその封印が解き放たれた。
シャクマは瞬時に見失いかけたジークを補足し、魔法の弾幕によってそれを撃ち落とさんとするもその全ては空を切り海へと落ちて行く。今のジークはその名の通り流星。空を駆ける星を撃ち落とすことは何人にもできない。縫うように縦横無尽の動きを見せながら瞬く間にジークはシャクマとの距離を詰めて行く。その速度にシャクマの魔法は追いつかず対応できない。だがそれは当然。流星の速度は閃光のDBであるライトニングに匹敵、凌駕する。加えて魔導士は距離を詰めてくる相手との戦いは不得手。魔導士にとって制空権を確保すれば後は遠距離戦、固定砲台のような戦い方がほとんど。優れた魔導士であればあるほどそれは顕著となる。だがだからこそジークにとってはそれこそが確かな勝機となり得る。
(――――ここだっ!!)
流星となったジークはシャクマの魔法の嵐を掻い潜り一瞬でその背後を取る。ジークが流星を習得した理由。それは接近戦こそが魔導士にとって有効であることを誰よりも理解しているからこそ。魔導士の中でもジークは戦士に近い、近接戦も可能な存在。遠からずハジャやシャクマといった魔導士達と相対することを確信していたジークはこれまでの時間の多くを近接戦の修行に当てていた。速度という点においてはジークはシャクマすら超越した。全てはこの瞬間のため。ジークはその手に生み出した魔法剣に力を込める。
『吸収の剣』
斬られた者の魔力と体力を奪う魔法剣。奪うだけでなくその魔力と体力はそのまま剣の持ち主の物となる。剣の一撃で仕留めきれなくとも魔力を、何よりも体力を奪い回復することはジークにとっては死活問題。完璧なタイミングと速さを以てその一刀にジークは全てを賭ける。一閃によってシャクマの身体が両断されんとするも
「――――無駄よ」
それは全てを見抜いた賢者の声によって妨げられる。同時に火花が両者の間に飛び散り、鍔迫り合いのように両者は睨み合う。違うのはジークが手にしているのが魔法剣なのに対してシャクマはその手にある杖を以て対抗していたこと。完璧に背後を取ったにもかかわらず間髪いれずに杖を以て防御する。魔導士であれば考えられないような反応。だがそれをシャクマは為し得る。
「狙いは悪くないが付け焼刃の剣など私には通じんよ……私を剣で殺したければ剣聖を連れてくるのだな」
それが答え。かつて五十年前に剣聖シバに後れを取った醜態。その経験がシャクマにはある。同じ過ちを繰り返すほど甘くはない。接近戦、剣という魔導士にとっての天敵もシャクマには通じない。剣聖の称号を持つ者の剣でなければ今のシャクマには届かない。
「くっ!!」
「どうやらその魔法剣で形勢を変えたかったようだが当てが外れたな。次はどうする、ジークハルトとやら」
完全に虚をつかれたジークは一瞬動きを鈍らすもすぐさま腕に力を込め、その場から離脱せんとする。己にとって有利であったはずの近接戦においての狙いが外れてしまった形。だがまだ速度では己の方が上。しかしその一瞬の隙がジークの初動を鈍らせる。ことこの領域の戦いにおいてそれは致命的な隙となる。
それは遅延魔法と呼ばれるもの。発動のタイミングを術者のタイミングに合わせることができる設置型、罠に近い魔法。結界にも似た無数の遅延魔法が既にジークが離脱しようとしている空間に設置されている。先の無詠唱魔法の打ち合いの際に先を見越してシャクマが仕掛けていた物。数多の戦場を潜り抜けてきた者のみが持てる予知にも近い先手。もはや流星を以てしても逃げ場はない。だが
「七つの星に裁かれよ……」
時の番人ジークハルトもまたそれは同じ。詠唱共に空に巨大な魔法陣が姿を現す。その数は七つ。一つ一つが宇宙魔法に匹敵する星。その全てを既にシャクマの攻撃を流星で躱しながら上空にジークは描いていた。流星も吸収の剣も全てはこのための布石。己が持つ最高の魔法を繰り出すため。
「天体魔法……真・七星剣――――!!」
かつての宇宙魔法を超える天体魔法である七星剣。大魔道では為し得なかった超魔導の魔力を持つジークだからこそ可能な奥義。一つ一つの星の剣がかつての七星剣に匹敵する威力を誇る殲滅魔法。その光の柱がシャクマの魔法を飲みこみながら全てを消滅させていく。もはや防御も回避も不可能。
「なるほど……確かに大魔道を超えておる。もし主が十年早く生まれておれば勝負は分からなかったやもしれんがこれも『時の運』 知るがよい、時間、知識と経験の差をな……」
だがそれすらも超魔導は覆す。宣告と共に瞬く間に空が雲によって覆われ、昼と夜が入れ換わる。天変地異の前触れ。だがそれは天災ではない。それを示すように人の力、魔力が空に満ちて行く。天候すらも操る程の魔力によって巨大な魔法陣と共にそれは現れた。
『星座崩し』
隕石を操る古代禁呪。かつてシンフォニアで見たはずの奇跡が再びジークに向かって襲いかからんとする。奇しくもそれはジークと同じ瞬間に用意されていた魔法。だが違うのは知識と経験。超魔導の域に達しただけでは埋められない。五十年という時間の差の中で生まれた覆しようがない力の差。
「さて、本物の流星に敵うかどうか見せてもらおう」
それを証明するかのようにシャクマの宣言と共に巨大な隕石が降り注ぐ。紛れもなく音速を超えた大質量の暴力。振動だけで波が荒れ、嵐が巻き起こる程の大災害。その古代禁呪の前では唯一シャクマに勝っていた速度ですら無力と化す。流星であっても星座崩しは躱すことはできない。古代禁呪と天体魔法の間にある絶対の壁。
「はああああ―――!!」
だがジークはシャクマに向かって放たれようとした七星剣を強引に星座崩しへと目標を切り替えることによって乗り越えんとする。七つの光が隕石を止めんと突き刺さるも熱量と質量の差から防ぐことは敵わない。だがわずかではあるが軌道を逸らすことに成功し、ジークは紙一重のところで星座崩しを回避する。同時に海へと着弾し、爆発によって一帯は吹き飛んでいく。凄まじい蒸気と水しぶきは嵐が起きたかのような規模を以てジークを襲うもそれすらもシャクマの手の内だった。
「さらばだ、時の番人」
死の宣告と共に最期の追撃が放たれる。もう一つの星座崩しという逃れようのない死の一撃。古代禁呪の連続魔法という極致。ジークの最後のあがきすらも読み切った超魔導の策。もはや回避は不可能。できるのは最大速度で距離を取ることだけ。だが所詮は悪あがき。数秒で星座崩しは流星となったジークへと迫る。七星剣によって軌道を変えてもどうしようもない状況。しかしたった一つだけ手が残されていた。もはや博打にすらならないような、狂気の沙汰とも思える賭け。
「おおおおお―――!!」
ジークは己の閃きにその数秒を賭ける。瞬間、巨大な魔法陣がジークの上空に生まれ、もう一つの奇跡が具現する。その光景にシャクマは目を見開くだけでなく初めて純粋な驚愕の表情を見せる。それほどの信じられない事態。見間違うはずのない魔法をジークは発動させる。
星座崩しというシャクマしか扱えないはずの古代禁呪。目には目を、歯には歯を。そんな当たり前の、想像すらできないような発想と才能。
二つの古代禁呪、隕石の衝突によって全ては閃光に包まれた――――
「…………」
「ハアッ……ハアッ……!!」
嵐が吹き荒れる荒波の上でジークとシャクマは対峙する。その姿はあまりにも対照的な物。ジークは呼吸が荒く肩で息をしながら何とかその場に浮かんでいるもいつ倒れてもおかしくないような満身創痍。その疲労の度合いは先の比ではない。短時間とはいえ魔法の応酬と古代禁呪の使用によって魔力ではなく肉体の限界が訪れようとしている。大してシャクマは無言のまま、息一つ切らすことなく杖に乗ったままジークを睨んでいる。だがその胸中はジーク以上に驚愕に満ちていた。
感嘆と驚愕。超魔導のシャクマであっても言葉を失ってしまうほどの絶技をジークはやってのけたのだから。確かにその魔力は驚嘆に値する。自分と魔法を打ち合える魔導士など存在しない。だがこと魔力だけなら無限の魔力を持つハジャの方が優れているだろう。故に真に驚嘆すべきは恐ろしいほどの才能。
この短時間で魔力を使いこなし、あろうことか初見であるはずの古代禁呪を一目で己がものとし反撃に転じてくる。
もはや才能という言葉ですら生ぬるい天賦の才。敵であったとしても同じ魔導士として称賛せざるを得ない程の存在。同時に間違いなくこのまま生かしておけばルシアにとって、エンドレスにとって害となる男。
故にシャクマは決意する何を置いても目の前の魔導士。ジークハルトを抹殺することを。
「認めよう……お主はまさしく超魔導に相応しい。だがこの世に超魔導は二人いらぬ……悪いがもはや容赦はせぬ。全力を以てお主を葬らせてもらおう」
シャクマは宣言と共にそれまで決して下りることがなかった杖から下り、両手で構える。自らの全力によってでしか発動し得ないもう一つの古代禁呪を扱うために。ジークは本能で何かが起きようとしているのを察知しながらいつでも動けるように構えるも既に余力は全く残されていない。先の攻防によって手札はそのほとんどが封じられた。流星も、七星剣も、魔法剣も通用しない。星座崩しを習得できたもののそれはシャクマも同じ。だがジークは一つの布石を打っている。それは海に捨てた杖。魔力をわずかに残したそれを操ることがジークにはできる。ハジャには通用しなかったものの魔法で上回ることができなかった以上やはり決めては魔力を持たない攻撃となる。星崩しによってシャクマの星崩しを防ぎながら流星で接近し魔法剣で攻撃。先の攻防の焼き回しである以上防がれてしまうのは明白だがそれに加えて杖を遠隔操作し、魔力を使いきった状態で背後からシャクマを貫く。残された手段で考え得る最期の策。体力の問題から次の攻防が最後。ジークは覚悟し動かんとするもその動きは寸で止まってしまう。それは単純な恐怖。人間であれば誰であれ避けることができない原初的な本能。ジークはただその光景に目を奪われるしかない。そこには
全てを飲みこまんとする超巨大な津波が押し寄せてくる絶景があった。
古代禁呪『天涯海角』
シャクマが持つもう一つの古代禁呪。かつて太古の文明を滅ぼしたと言われる津波を操る魔法。飲み込まれれば生きて脱することはできない死がそこまで迫りつつある。
だがジークが驚愕しているのはその津波だけではない。確かにその規模は天災に匹敵する。いかにジークといえども瞬時に己が物とすることができない程の凄まじさ。しかしその速度は星崩しには及ばない。流星を持つジークであれば回避することも可能。にもかかわらずジークは回避することができない。否、回避することなどできるはずがない。何故なら
「さて、どうするね。そのまま避ければ後ろのミルディアンは全滅してしまうが……?」
その津波の先にはミルディアンが、時の民達がいるのだから。
「き、貴様っ!? まさか最初からそれを狙って―――」
「当然だ。でなければわざわざ主の言葉に従うわけがなかろう。これが私と主の決定的な差。王者としての戦いというものだ」
心底愉快でたまらないといった笑みを浮かべながらレアグローブの王は嗤う。天涯海角によってミルディアンごとジークを圧殺する。それこそがシャクマの狙い。ジークの提案に乗るように海上に場所を移したのも全てこのため。海でしか扱えない天涯海角を発動させるため。ミルディアンを狙えばジークは天涯海角を避けるわけにはいかないと分かっていたからこその狡猾な罠。何よりもこれ以上ジークに知識と経験を与える暇を与えないために。己が勝つためならどんな犠牲も厭わない覇道を往く者のだからこそできる策。そして犠牲を許すことができないジークにとっては抗うことができない敗北を意味するもの。
(ダメだ……!! もうオレでは天涯海角を止めることができん……!!)
ジークは残された体力と魔力の全てを注ぎ込みながら天涯海角を制御せんとするも叶わない。既に動きだし、加えて今もシャクマが操っている天涯海角を止めることなど不可能。シャクマを止めるために攻撃を加えんとすればその瞬間、天涯海角はミルディアンへと瞬時に到達する。もはや詰み。奇跡が起こってもどうにもならない終焉。魔導士としてのジークが告げる。もう手遅れだと。ならここは退いて次を考えるべきだと。それは正しい。誰もジークを責めることはできない。ミルディアンの民達も全て同じことを言うだろう。例え自分たちが死んだとしてもジークが生き延びることにこそ意味があると。
(違う―――!! それではあの時と何も変わっていない!! オレが見てきたものは、信じたものはそんなものではない!! オレは――――!!)
ジークは叫ぶ。心の内で。それは違うと。時を守るためにはいかなる犠牲も恐れない。だがそれは犠牲をよしとするものではない。犠牲がなくとも目的を達成できることをジークは知った。あきらめないことが、信じる心があればそれができる。そう信じるに足る者達を見てきた。それを証明するためにジークは全てを賭けて力を振るう。だが押し寄せる津波は止まることはない。覆すことができない真理。それが全てを飲みこむ前に確かにジークは聞いた。
時の、世界の声を――――
(な、何だ……!? 一体何が……!?)
今、シャクマは極度の混乱にあった。何もおかしいところはない。だが何かがおかしい。何がおかしいかが分からない。そんな理解できない状況。分かるのは先程自分がジークを殺したということ。間違いなくそれを為した感覚がある。にも関わらずシャクマには分からない。自分が何の魔法を使ったのか。まるで過程だけがすっぽりと抜け落ちてしまったかのような感覚。時間が飛ばされた。そんな表現がしっくりくるような奇妙な状況。しかしこれと同じ経験をシャクマはしている。それがいつだったか思い出そうとするよりも早くあり得ないような光景が目の前に現れる。それは
何の損害も受けていない健在なミルディアンの街と先程までと変わらぬ姿で自分と対峙しているジークハルトがいる光景だった。
「ば、馬鹿な……!? 何故貴様が生きておる!? 確かに私は貴様を……」
「…………」
シャクマは知らず恐怖しながらジークへと問いかける。まるで死人が目の前に現れたかのようにシャクマは戦慄する。自分が何かを行いジークはそれに巻き込まれた。それが何なのかは分からないがシャクマには確信があった。自分がジークを葬ったのだと。だがジークはシャクマの驚愕を知ってか知らずかただ自らの右腕を見つめ続ける。そこには先程まではなかったはずのものがある。
「それは……命紋か? 何故そんな物が……」
『命紋』
魔導士が好んで身体に刻む刺青。呪い、願かけにも近い意味を持つもの。その証拠にジークの顔にもそれが刻まれている。だがジークの右腕に刻まれている物は腕全体にも及ぶほど。まるでその力を証明するかのよう。それは当然。何故なら今ジークの右腕に刻まれている物は命紋の源流とでもいえる印なのだから。
「命紋ではない。『クロノス』……それがこの紋章の名だ」
ジークはその名を告げる。ジークには既に全てが理解できていた。まるで知識のレイヴを得たレイヴマスターのようにその存在が何なのか、役割が何なのかが手に取るように分かる。今自分の右腕に宿っているのが間違いなく魔都の中心に封印されていたクロノスなのだと。
「ク、クロノスだと……!? そ、そんなはずはない! あれはただの力の塊! 人では手にすることができぬもの……それが何故お主などに……!?」
「違う。クロノスはただ待っていただけだ。それがオレだった……それだけだ」
シャクマは理解できない事態の連続に狼狽し声を上げることしかできない。シャクマはクロノスが魔法ではないことを知っていた。遥か太古から在り続ける力の塊。その伝承も作り話に過ぎない虚構。確かにそれは正しい。クロノスは魔導精霊力に最も近い魔法。手に入れるためには大魔道の生贄が必要。それらは間違い。だがその能力は、力は確かに存在している。ただこの並行世界が生まれた瞬間から現在に至るまで担い手が現れなかっただけ。
『エンドレス』
太古に人類最後の生き残りが星の記憶に辿り着き、時空操作によって並行世界を作り出した代償に生まれた力。それと対を為すのが究極魔法魔導精霊力。世界は安定を求めるが故に生まれたもう一つの力。破壊と創造。表裏一体の関係。だがもう一つ、知られていない三つ目の力が存在する。
『クロノス』
この並行世界における世界の意志。現行世界の意志であるエンドレスに対抗するための、世界の生き残ろうとする力。だが現在に至るまでその力は振るわれることはなかった。上位の世界である現行世界の力には並行世界の力では対抗できないため。何よりもそれを扱い得る担い手が存在しなかった。エンドレスにはダークブリングマスター。魔導精霊力にはレイヴマスター。だがここについに三人目の担い手が現れる。
それがジークハルト。大魔道を経て超魔導に至り、並行世界を守るに相応しい心を持つ魔導士。時の民とミルディアンが生まれたのも全てこの時のため。クロノスをジークハルトが生まれ、器として満たされるまで守ることこそがその使命。
今この瞬間、真の『時の番人』が誕生した――――
(クロノスだと……!? ならこの人外の魔力もその力なのか……!?)
シャクマは距離を取りながらもジークの右腕から生まれ出ているこの世の物とは思えない圧倒的な魔力の奔流に気圧されていた。超魔導のシャクマをして怯えてしまいかねない規模の力。並行世界の、星の記憶の力の産物。それがジークにとっての力である魔力へと置き換わっている。もはや魔力においてジークに対抗し得るのは魔導精霊力のみ。だが気圧されながらもシャクマは未だにあきらめはない。魔力だけでは魔導士の優劣は決まらない。扱える魔法が変わるわけではない。その証拠にジークの疲労も負傷も回復したわけではない。知識と経験。魔導士においてはそれが最も大きな武器となる。いかに強力な魔力を持っていても五十年以上の差がある自分がジークに負けるなどあり得ない。だが
「無駄だ……お前の最期は既に五十年前から決まっている……」
まるで心を読んだかのように時の番人は宣告する。さながら判決を言い渡す処刑人。ゆっくりとその両手が交差する。十字架を象った構え。シャクマですら見たことも聞いたこともないもの。何故ならそれは魔法の構えではない。
クロノス。エンドレスや魔導精霊力に近い力を持つ三つ目の力。だがその本質は単純な力ではない。その特性こそが真価であり、禁忌。あまりの危険さゆえに並行世界の誕生から一度も人の身に委ねられたことのない神秘。その力がシャクマへと注がれる。それは
「な、何だこれは!? 我の身体が消えて行く!? き、貴様がこれをやっているのか―――!?」
『時空操作』
星の記憶でしか為し得ない歴史を改竄する奇跡。同時に終わり亡き者を生み出してしまう禁忌。クロノスを手にした者は『存在を消す』という一端のみにおいてその力を手にすることができる。
クロノスによってシャクマは為すすべなく身体が光となり消え去って行く。粒子となった身体はただ並行世界に還っていく。身体だけではない。シャクマという存在そのものが世界から消え去って行く。それが時空操作。存在をなかったことにするもの。先の天涯海角を消し去ったのもこの力。津波自体をなかったことにし、人々の記憶からすらも消し去る。時の番人たると認められたジークにしか許されない権利。
シャクマは声を上げることもできないままただ恐怖する。走馬灯のように自らの記憶が蘇っては消されていく。その中で犯してきた数えきれない罪。エンドレスという免罪符の元に己の欲望のままに世界を破滅に陥れんとした罪。無限の欲望すらも霞んでしまうほどの所業。その全てを理解した上でジークは宣告する。
「――――悔い改めろ」
『時の審判』
歴史上から姿を消し、全ての人間の記憶、記録からも消滅する。それがシャクマ・レアグローブの最期であり王国戦争の妄執の終焉。そして未来を司る新たな超魔導が生まれた瞬間だった――――