生き生き生き生きて生の始めに暗く
死に死に死に死にて死の終わりに冥し (空海)
変わった蝉がいた。
その蝉は何よりも変わっていたが、誰もそれに気付かなかった。
この世界に何億匹といる蝉の、たった一匹の不審な挙動など、誰の興味も惹かなかった。
変わっていたのは、鳴かないこと。
蝉のくせに鳴かなかった。
雄のくせに鳴かなかった。
求愛の歌を、生涯で一度も歌わなかった。
蝉はただ、飛び回っていた。
木から木へ、いくつも渡り歩きながら、樹液を僅かに舐めとると、すぐにまた別の木へと移るのだ。
まるで自分にとっての、たった一本を探しているかのように
その蝉は、短い生を小さな羽ばたきで、ただただ一本の木を探すことに費やしていたのだろうか。
この広い世界にあるたった一本を。
そもそも、そんな一本が、この世界にあるものだろうか。
蝉の考えることなど、誰にもわからない。
蝉が考える生き物かどうかも分からない。
成虫としての短い寿命が終わると、蝉はアスファルトの上に落ちた。
虫カゴを持った子供が、拾い上げて、捨てた。
黒い蟻が群れをなして運んでいった。