恋は、ある点では獣を人間にし、他の点では人間を獣にする。 (シェークスピア)
生物の欲とは尽きぬもの、いわんやそれが、知能持つ生き物であればなおのこと。
満たされる以上に、何かを欲してしまう。
それが生き物の罪であり、宿命なのかもしれぬ。
生きるという行為は、砂漠に降る雨に似ているかもしれない。
水は無慈悲に大地に消え、とどまることを知らない。
砂は無限にひろがり、終わりを知ることはない。
止むことのない渇望に対し、ただひたすらに足掻きつづける、それが生きるということなのではないだろうか。
だがしかし、例えほんのひと時の気まぐれだとしても、雨は熱砂をわずかながらに鎮めてくれる。
水は地下を染み渡り、それが集まれば流れとなり、やがてオアシスとして湧き出すかもしれない。
結局は、それを幸せと呼ぶのではないだろうか。
少し難解なたとえ話であったかもしれない、つまりは何がいいたいかというと、
おなかもいっぱいになったので、交尾がしたい。
アーリーモーニング樹液でわたしは朝の心地よい渇きを癒す。
エディンバラの貴族たちは、ベッドの上で飲む一杯の紅茶で目を覚ますというが、
私は世界樹のうろで目を覚まし、朝一番のみずみずしい樹液を嗜む。
朝の樹液というのは格別だ。木というものは夜の内に大地から水や養分を大量に吸い上げるため、昼や夜の樹液よりも栄養を多く含くんでいる。
そのくせ、サラリとした飲み応えで胃の中にいくらでも収まってしまうのだ。
ましてやこれは大樹ユグドラシルの樹液。その味たるやわざわざ述べるまでもないだろう。
彼女の樹液の味は、情報の共有がその最たる目的である言葉という手段では到底表現しえぬものなのだから。
樹液の最後の一滴を舐めとった時、ユグドラシルの声が頭に響いた。
「‥ふっ、はぁっ…はぁ。…おはようございます、昨晩はよく眠れましたか?」
私は彼女に朝の挨拶と、樹液への賛辞と謝意を伝えた。
頭に響く彼女の声は、森林を抜ける木漏れ日のように柔らかく、私の耳に心地よい。
ユグドラシルは私の仮初の巣となった。
昨日、樹液を心ゆくまで愉しんだ私は、ユグドラシルの近くに居を構えようと決めた。
先代の竜が住んでいた巣は、大樹からはいささか遠いのである。
それに、なんとなくではあるが、あの場所は彼の亡骸が眠る墓としておきたかった。
彼の魂は天上に登ったか、あるいは輪廻の輪に還ったか。もはやあの場所に存在するわけではないということは、一度死んだ私にはよくわかっている。
墓という物は魂が眠っているわけではない。亡骸が眠っているだけだ。生きていたという証が残されているだけに過ぎぬ。
それでも皆、墓を作る。それはきっと死んだ者の為にではなく、生きている者達の為に。
私はあの場所を、彼の為の墓とすることに決めた。私の為に。
私はこの近くに居を構えようと考えている旨をユグドラシルへと告げた。すると彼女は、
「あら? それでは私たちはご近所さんになるのですね。‥そうだわ、よい場所が見つかるまで私の所に住んでみてはいかがでしょう?」
そういって、彼女はうろの中へと私を誘ってくれた。
世界樹の中にある空洞。そこは私の竜の体よりもさらに大きく、まるで巨大な聖堂のような神秘的な静謐さを湛えていた。
一目でわたしはこの場所を気に入ってしまった。森をギュッと凝縮したような、それでいてほのかに甘いユグドラシルの香りが、この空間を満たしていた。
これ以上の場所がこの世界に存在しているなどとは思えなかったが、私は「自らの巣をみつけるまで」という条件で、彼女の厚意に甘えることにした。ユグドラシルは
「ふふふっ、短い間でしょうがよろしくお願いしますね。同居人さん」
そういって、生命の母たる世界樹らしい大いなる優しさと、世界樹らしからぬ茶目っ気が伺える声で私を受け入れてくれのだった。
世界樹のうろの中での初めての眠りは、幸せの泉の底にゆっくりと沈んでいくような、前世も含めて今まで経験したことのない満ち足りた眠りであった。
あまりもの眠りの深さゆえに、あるいはこのまま目がさめることがないのでは?と錯覚するほどであったが、もしそうであったとしても、わたしは微塵も後悔などしなかったであろう。
前世も今世も卵生であったわたしには知る由もない事だが、赤ん坊が母親の胎盤の中で眠るという感覚は、ああいうことなのではないだろうか。
こうして、一時的ではあるにせよ、わたしは期せずしてこの世界で最高の食物と住処を手に入れることができたのだ。
さて、生活の安寧が成れば生き物はなにを次に求めるか。
食足りて 住落ち着けば 色を知る。
そう、交尾だ。今こそわが前世の無念を晴らすときがきたのだ。私はユグドラシルに今からつがいを探しにいくことと、日が沈むまでには帰ってくる旨を伝えた。
彼女はすこしきょとんとしたあと、
「ふふふっ、素敵なお嫁さんがみつかるとよいですね。いってらっしゃい。」
と、やはり母のような慈愛に満ちた言葉で見送ってくれたのであった。
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出会いとは突然に訪れるもの、運命とは必然に導かれるもの
ヒノキが群立する深い森の中で私は彼女に出会った。
しなやかでキュッとしまった肉体は、まるで古代の大理石彫刻のように均整がとれていて、
エヴァーグリーンに輝く体表は、あたかも森の緑をそのまま固めて宝石にしてしまったかのように美しく、
光に輝く4枚の羽は、内に雲母を宿した白水晶のように繊細である。
ああ、この世界でもやはりあなたは美しい…
ツクツクボウシさん
私は彼女を驚かせぬように、そっと岩山の影から彼女を見つめる。彼女の姿を見つめるだけで、私の体は熱を帯びる。
なぜ、ツクツクボウシなのか、それは好みだからとしか答えられぬ。
生き物とはそれぞれ好みというものをもっている。
言葉でも語ることのできる特徴、言葉では語ることのできない衝動、この二つを足したものが「好み」なのだ。
樹液をすする姿ですら、静かな気品を兼ね備えている、セミ界のクールビューティー、それがツクツクボウシである。
もちろん、美しいのはツクツクボウシだけだはない。
たとえば、ヒグラシの夕焼けから生れ落ちたような深い橙色は、我らに言い様のない郷愁をいだかせるものであるし、クマゼミのむっくりとした肉体は、種の保存への官能的な衝動を呼び起こす。
この世に魅力なき蝉などは存在しない、どの蝉もそれぞれに長所と個性を持っているのだから。
しかしそれでも、私にはツクツクボウシがもっとも輝いてみえてしまう。それが好みというものなのだろう。
ああ、ひとつ訂正しておこう。この世に魅力なき蝉などいないといったが、アブラゼミだけはだめだ。
品のない色、下卑た泣き声、無駄に大きな図体、全てにおいて気品というものがない。
名は体を表すというが、あれらにアブラゼミという名を与えた人間を私は賞賛する。
群れるだけしか能がないあの集団に、前世のころは樹液争いで何度苦汁を舐めさせられたことか‥。
もう一度言おう、アブラゼミだけはだめだ。
‥と、少し話がそれてしまったが、要するにつがいを選ぶという行為は、人生のおおよそを決めることに等しい。
長い人生にたった一人、自分の好みに従い、我侭に相手を選ぶべきなのだ。
そこに妥協などあってはならぬ。童貞だからとて、いや、童貞だからこそ、道を誤ってはならぬと言えよう。
私を例にあげるなら、妻にするならツクツクボウシただひとつを選べということ、ヒグラシでもいいとか、クマゼミもかわいくみえてきたとか、ましてやアブラゼミで我慢しようなどとあってはならない。
さあ、ツクツクボウシさん、聞いてくれ!わが求愛のう・・
―ツクツクボーシ ツクツクボーシ―
私が求愛の歌を歌おうとしたその矢先、あたりに私以外の求愛の歌が鳴り響いた。
私の目の前のツクツクボウシは、羽を僅かに振るわせたあと、その歌に導かれるように森の奥へと消えていった。
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ね と ら れ た
なんたることか!!! いまいましきツクツクボウシ(♂)め!
私が目をつけていたツクツクボウシ(♀)を目前で攫ってしまうとは、なんと卑劣な男よ!!!
私は空に向かって咆哮を放つ。
わが咆哮に雲は裂け、空は歪む。
しばし無制御に猛ったあと、私は取り乱した自分を猛省するのだった。
そして、わが浅ましき嫉妬の心を恥じた。
確かにツクツクボウシ(♀)と私が繋がることはかなわなかった。しかし、彼女が幸せであるならばそれでよいではないか。
嫉妬などもってのほか、例え私以外の誰かでも、彼女を幸せにできるのであれば、わたしは彼と彼女に祝福の言葉をおくるべきなのではないか。
そうして私は思うのだ、ヒグラシも素敵じゃないか、クマゼミでもいいじゃないか。いっそのことニイニイゼミだって悪くはないのではないか。アブラゼミでさえなければいいでないか。
遠くの宝石に執着するあまり、目の前の幸せを逃してしまう愚かな男に私はついぞ成り下がるところであった。
私は気持ちも新たに森へとわけいっていく、まだ見ぬ花嫁たちに再び心を躍らせながら。
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ね と ら れ た (×3)
なぜだ、なぜだ、なぜだ! 私の花嫁となることの一体なにが不満だというのだ!
ツクツクボウシも、ヒグラシも、クマゼミも、ニイニイゼミも、なぜ私の歌を聴こうとせぬのだ!
私は、もう一度空に向かって咆哮を放つ。吼えて、吼えて、吼えて、私はふと、あることに気がついた。
…ふむ、私は竜だった。
‥どうやら、交尾をしたいという蝉としての前世の妄執が私を縛り付けてしまっていたようだ。
おまけに、先だって樹液の味を思い出してしまったため、すっかり自分が蝉であるような気になってしまっていた。
蝉を伴侶にしたところで、私はいったいどうやって交尾をするつもりであったのだろうか。
我が生殖器の1000分の1にも満たぬ大きさの固体と、交尾などできる訳がないではないか。
想像してみろ、私は竜なのだ、竜によりそう蝉など、どこからどう見ても羽休めに止まっているか、そうでなければ寄生虫の類ではないか。
竜ならば、竜にふさわしき花嫁を見つけるべきなのだ。
…まったく、すこし考えれば気づきそうな事さえわからぬとは、これも二つの魂を宿す転生の弊害というものなのであろうか。
もっとも、このちぐはぐな魂も、直に完全に竜のそれへと変わるのであろうが…。
そう、我は竜なのだ。
魔獣だろうが、幻獣だろうが、いかな高貴な生き物とて、我先にと子種を欲する。生物の王者、竜なのだ。
我が花嫁となる喜びを知れ、わが妻となる幸福を偲べ、
私は空に向かって吼える、
聞こえるか、島の生き物たちよ、我が花嫁たらんとするものは、我のもとへ馳せるがよい。
ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン
聞こえているか?未だ見ぬ竜の花嫁たちよ、我とともにこの島で、生果てるまで生きてゆこうではないか。
ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン
そうして、太陽がちょうど真上に昇ったころ、
私の目の前には10体のメスが集まっていた。この島には私以外の竜はいないゆえ、あつまったのは皆異種族である。
さまざまな種族が私の呼び声に答えてやってきたようだ。
キマイラにケルベロス、ハーピーやラミアにリザードマン、ガルーダにセイレーンとアラクネとペガサスと巨大なカエル。
…んん?
よくよく見れば、彼女たちは皆、昨日一度は餌として捕獲し、そして逃がしてやった生き物たちではないか。
‥はて? 私は求愛の歌を歌ったはずなのだが、なぜ彼女たちが再び私の目の前に集まっているのか。
その疑問に答えたのは、件のリザードマンの巫女であった。
曰く
私が彼女たちを食さなかったことにより、我が大いなる友愛の心にうたれたと。巣に戻っても昨日の出来事を思い出さずにはいられなかったと
そんな時、聞き覚えのある声が空に響き、それが求愛の歌であると気づいたときに、竜の妻となる幸運を夢見て巣を旅立ったこと、
道すがら、同じく私の方を目指していた仲間と出会い、共にここへたどり着いてきたということ。
…なるほど、恐怖が裏返って愛情となったか。
メスとは、本能的に強者をもとめる、強い子孫を生むために、自らの庇護をもとめるためにだ。
昨日の出来事は、彼女たちに我が力を示すには十分なものであった。彼女たちに残した我が力への畏怖が、求愛の歌を聴いたとき、同じ大きさの思慕へと変わったのではあるまいか。
ふむ…、まあ過程などはどうでもよいか。今考えるべきは私の前に10体ものメスが集まっているということだ。
なぜならば、私は彼女たちの中からたった一体を選んでしまわねばならぬのだから。
ハーレムだなどと馬鹿なことをいうつもりはない。愛とは切り売りできぬもの。つがいとは、二つで一つだからこそつがいなのだ。
共に生き、共に歌い、共に食し、共に眠る。
死が二人を分かつまで、共にありつづけるという誓いを結ぶ。それがつがいとなるということだ。
彼女たちには悪いが、私はこの場でたった一人を選ばせてもらおう。
そして私との縁がなかったものも、いつかどこかで誰かとの縁を結ぶだろう。
幸せとは無限の形がある。彼女たちの未来もまた、無限の可能性を秘めているのだから。
さあ、憂いも躊躇いもなく始めようではないか、竜の花嫁を選定の儀を!
最初に目があったのは、キマイラであった。私ほどではないが、たくましい巨体を誇っている、獅子の金色の鬣が雄雄しく背中へとながれていく、ヤギの胴体は・・・・
…たてがみ???
いや、私の記憶が確かならば鬣のある獅子はオスだろう。
私の問いかけにキマイラは羞恥に顔を染めながらも、獅子の頭と蛇の尻尾は雄のものであるが、肝心のヤギの胴体は雌であると身振り手振りで答えた。
…ふむ、さすがはキマイラ、よもや性別まで混ざっているとは考えてもみなかった。
わたしはしばし熟考したのち、彼女に断りの旨を伝えた。
キマイラは悲しそうに森の深くへと去っていった。
私のこころがチクリと痛む。許せキマイラよ。3分の2が雄の生き物をつがいとして愛する自信がなかったのだ。
いつか彼女が3分の2が雌のキマイラと出会えることをこころから祈るのみだった。
続いて目があったのは、ケルベロスだ。
ケルベロスは、三つの口からハッハッと息を吐きながら、私の足元へとやっ来ると、ゴロンと腹をみせて、服従の証を見せた。
私は地獄の番犬をじっと見下ろした後、厳かに彼女に断りの言葉を告げた。
ケルベロスは「「「くぅーん」」」とないて、とぼとぼとその場を去っていった。
すまぬな、ケルベロスよ、しかしこれはお互いのためでもあるのだ。
結婚とは服従ではない。妻と夫の対等な関係こそが幸せな結婚生活をつむいでいくのだ。
わたしはいつか彼女が対等に付き合える雄を見つけられることを心から願った。
さて、次に目があったのは声を亡くしたハーピーの少女だ。彼女は少し躊躇いがちに目線をあちこち動かせながら、わたしの方へと進んで来た。
やはり、竜という生き物への生理的な恐怖はぬぐえぬものか、その目はじんわりと潤んでいた。しかしその潤みは、いささかの熱を帯びているようにも見えた。
パタパタとせわしなく羽を動かしながら、彼女は私の前でパクパクと口を開く。
そして口の利けぬ自身の身の上を思い出したのであろうか、しゅんと肩を落としてうつむいた。
ふむ‥、私は彼女に手を伸ばし、人差し指を頭に乗せて言葉を使うことなく語りかける。
こうすれば、私の伝えたいことも、彼女の考えていることも、体の一部を通して通じ合わせることができるのだから。
彼女は私に声が届くということに驚きと喜びの表情を隠さない。そうしてしどろもどろながらも私に語りかけてきた。
私の大きな翼がとてもきれいだと、私が雲よりも高く空を飛ぶのをみてとても格好良いと思ったと、わたしの大きな咆哮がとても羨ましいと。
今まで言語をしゃべったことがなかった為であろう。彼女の言葉はちぎれちぎれで、あまり要領を得ないものではあったが、懸命に何かを伝えようという心は十二分に理解できた。
私はこのいじらしい生き物にぐらりと心を動かされそうになってしまったが、それを必死に押しとどめ、彼女に断りの言葉を伝えた。
ハーピーの少女は泣きそうな顔をしながら、しかし、この結末をさも最初から予感していたかのようにあきらめた表情を浮かべると、小さく息をはいた。
そして一礼したあとに、彼女はすぐにでも飛び立とうとした。
「ちょっと待て」と、私は彼女を押しとどめる。もう一度彼女の頭に指を乗せ、私の心からの言葉をつたえる。
私が彼女をとても好ましくおもっていること、彼女が歌えないことは私にとってなんの関係もないこと、しかし、彼女はわたしにとって、幾分“小さすぎる”ということ。
彼女は小さすぎるという言葉に、不思議そうに私の体を見つめた後、はっと何かに思い当たり、手と翼で顔を覆い隠した。手の隙間から私を見上げ、視線をゆっくりと下げて、あるところで顔を真っ赤にしてうずくまった。
蝉よりはるかに大きいといえども、ハーピーの体格は人間のそれとほとんど変わらぬ。彼女の細い胴体よりも大きいそれを、受け入れることなどできるわけがないのである。
うずくまる彼女にもう一度優しく指をのせ、再び彼女に言葉を伝える。
娶ることは無理かもしれぬが、友にならなれる筈だと、
私の翼が羨ましいなら、私の背にのるがいいと。
雲の上、望みとあらば成層圏の近くまでつれていってやろうと。
ハーピーの少女は、ここで初めて、宝石のような笑顔を私に見せた後、何度もお辞儀をしながら東の空へと飛び去っていった。
私はこの世界で始めてできた友人という存在に、心を弾まさずにはいられなかった。
次に私の前へと進み出たのはラミアであった。ラミアという種族は、竜ほどではないにせよ、そこそこの巨体をもつ種族である。
また、柔軟性に富むその肉体は多少の「無理」も利く。竜にも近い存在であるし、本来であれば是非とも我が花嫁に迎えたいところなのだが…
やはり、ラミアのおなかはぽこんと膨らんでいた。
ああ、勘違いしないでもらいたい。私は別に女は生娘でなければならぬなどと子供じみたことをいうつもりはない。
男と女の初めてとは、二人が初めてまぐわったその時でよいではないか、過去になにがあったかなど私には関係のないことだし、例え子連れだとしても私はその子供ごと愛する覚悟がある。
だが、しかしだ。
おなかの大きい女性とまぐわうような鬼畜な真似はできぬ。
世の中には、それこそがよいなどという外道な輩もいるそうではあるが、生まれてくる子にどんな影響があるかもわからない。
もちろん、ラミアが子供を出産するその日まで、待つという選択肢だって私にはあるのだが…。
私はラミアに告げる。私を愛しておらぬ者を妻に迎えることはできないと、
ラミアは私の言葉に驚き、自らへの皮肉といささかの諦めを含んだ笑みを浮かべた後、おなかを大切に抱えながら、私に背を向けた。
去っていく後ろ姿にわたしは声を届けた。
―ああ、言い忘れていたが、食は足りているとはいえ少し狩りの練習もしたくなってな、明日から毎日、そなたのもとへと獲物を届けよう―
ラミアは振り返り、何度も礼と謝罪を繰り返した後、北の泉へと帰っていった。
私は気づいていた、ここに集まった10体の中で、実は彼女だけは私に気持ちが向いていなかったということを。彼女が本当に愛していたのは、おなかの子供だけなのだから。
身重のラミアが一人で生きていくには並々ならぬ苦労がある。彼女はおなかの子供を生かすために、私に身を預けようとしたのだろう。
彼女の繰り返した謝罪の意味とは、打算で私の妻になろうとしたことへの懺悔である。
私は、彼女の姿を見送りながら、もう幾月もすれば生まれてくるであろう子供に思いを馳せた。彼女の子だ、きっと強い子が生まれて来るに違いない。
次に私の前に進み出たのは、件のリザードマンの巫女だった。
私は丁重にお断りした。さようなら。
そのまま速やかに次のガルーダと面談しようとする私に、リザードマンの巫女はすがりついてきた。なぜ駄目なのかと問い詰めて来た。
いろいろと理由はあるのだが、とりあえずサイズがちがうだろうと面倒くさそうに私は答えた。ハーピーや人間より一回り大きいとて所詮は亜人。私を受け入れることなどできるわけがない。
しかし彼女は、私を見上げて堂々とこういった。
曰く
挿入できなくともやれることはいくらでもあると。
発想と工夫を凝らせば子を宿すことも可能だと。
たとえ行為の最中に体が壊れたとしても本望だと。
なお、もしも壊れてしまったときは遠慮なく彼女を食してくれと。
‥なぜ、一度も女性体験のない私が、そんなアブノーマル極まるプレイに興じねばならぬのか。
私は、頭痛にさいなまれながら、ガルーダに目で合図する。ガルーダはやれやれといわんばかりに、彼女の両肩をつまみ上げ、西の空へと飛び去っていった。
空の上で、なおも聞くにたえぬ単語を連ねるリザードマンの巫女。
巫女というものはもっと清楚なものだとおもっていたのだが、それは男性の勝手な幻想なのだろうか。
あるいは、竜を信仰する宗教の信者とは、皆このように変わっているのであろうか。
私はすこしだけ、彼女が崇める自分という存在に疑問をもった。
さて、ガルーダもいなくなってしまったから、残りは4匹。
まずはセイレーンであるが、彼女も亜人ゆえ、私にはやはり小さすぎる。
そう伝えると彼女は自信満々にこう答えた。
「大丈夫です、私たちの性交とは魚類と同じでかけるだけですから」
こ い つ も か
私は彼女にお引取り願った。そんな悲しい初体験は望んでいない。
次は女性の上半身に巨大な蜘蛛の下半身をもったアラクネである。
・・であるのだが。
私は、蝉であったころ危うく蜘蛛の巣に羽をとられかけたことがあり、そのときのトラウマで蜘蛛というものが苦手になってしまっているのだ。
ましてや欲情などできるわけがない。
もちろん、それを正直に伝えられるわけもないゆえ、私は彼女が傷つかぬよう、当たり障りのない言葉で謝辞を伝えた。
その次に出てきたのはペガサスである。
亜人よりはふた周りは大きい彼女ではあるが、ペガサスの雄の男性器が馬並みであるならば、わたしのそれは竜並みである。
無理をすればどうにかなるのかも知れないが、彼女は件のリザードマンのような歪んだ性癖など持ち合わせてはいないだろう。
わたしは、彼女に素敵な馬族の雄を見つけなさいと告げる、ペガサスは一度だけ高くいななき、南の空へと帰っていった。
…さて、いろいろ回り道をしてしまったのだが、実は私には、最初からたった一つの選択肢しかなかったようだ。
私は一人残された彼女を見つめる。
彼女もうつむき加減に、こちらを見つめながら、
「ゲーコゲコゲコゲコ」
と鳴いた。
ふむぅ………
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・・・・・・・・
・・・・・・・・
…まあ、…アリかな。
つがいを見つけることにおいては、妥協などあってはならぬ、‥などといったような気もするが、
世の中、理想だけでは立ち行かぬ。
妥協こそ、種の保存の為の生物の本能なのだ。妥協なき種など、個体数を減らし、ただ、滅ぶ運命にあるのみだろう。
それによくよく考えてみれば、彼女は花嫁としてそれほど悪いものでもないのかもしれない。
サイズ的には問題はない。体長はわたしとほぼ同じ、すこし恰幅がよすぎる気もするが、それは引き換えれば子供を産む能力が高いことを示している。
爬虫類ではないが、両生類という比較的近い種族であるところも高得点だ。生まれてくる子供がおたまじゃくしかもしれぬのが、いささか不安ではあるが。
ピンク色の肌もなかなかに女らしい。すこし濡れた体表がつややかさを引き立てているような気もする。
パッチリと大きな瞳は、彼女のチャームポイントだ。すこしぎょろぎょろと動きすぎるきらいもあるが、まあ、許容範囲とよべるものだ。
それに、なにより‥
「ミーンミンミンミン」
「ゲーコゲコゲコゲコ」
私の求愛の歌に、彼女もまた、歌で答える。
「ミーンミンミンミン」
「ゲーコゲコゲコゲコ」
彼女の声はまるで、チェロの音色のようにあたりに響いた。私は彼女の声がすっかり気に入ってしまったのだ。
「ミーンミンミンミン」
「ゲーコゲコゲコゲコ」
彼女、いや、ゲーコさんとでも呼ぶべきか、ゲーコさんと私は目線を交わした後、即興で音楽を奏で始める。
「ミーンミンミンミン」
「ゲーコゲコゲコゲコ」
二つの異なる旋律は、時には平行に、時には交わる。
「ミーンミンミンミン」
「ゲーコゲコゲコゲコ」
リズム&トーン、アップ&ダウン、フォルテ&ピアノ
まるでそれは、デュオのジャズセッション
我ら二人の音楽は、森に、島に響き渡る。
「ミーンミンミンミン」
「ゲーコゲコゲコゲコ」
幸せな結婚生活を送るための一番の条件を知っているだろうか。
それは趣味の一致である。
生き物は老いる、若さの象徴たる美しさだけでは、相手を一生つなぎとめることなどできはしない。
だが、姿は老いても、趣味は決して老いることはない。
こと、趣味という点においては、私とゲーコさんはこれ以上ないカップルなのであろう。
この日、この歌の為に、ゲーコさんと私は出会うべくして出会ったのではないだろうか。
私達は無心で歌い続けた。きっとこの島の全ての生き物がわれらの音楽に聞きほれていたのではなかろうか。
「ミーンミンミンミン」
「ゲーコゲコゲコゲコ」
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
太陽が白から黄色へと光を転じ、うっすらと夕焼けがはじまったころ、私とゲーコさんの音楽は、どちらからともなく終わりを迎えた。
私と彼女はじっと見つめあう。影法師がゆっくりと伸びていく。
私たちの間には、もはや声も歌も必要ではなかった。
二つの影はゆっくりと近づいていき・・
その影が重なり合う直前、私はふと、ユグドラシルの事が頭にうかんだ。
日が暮れるまでに帰るといいながら、太陽が沈むまでには帰れぬな…。と、そんなことを考えた。
もちろん、優しい彼女のことだ、多少遅れたとて許してくれるのだろうが…。
私はユグドラシルのことを思い、なぜかちくりと胸が痛んだ。
おそらくこれは、日が暮れるまでに帰るという約束を守れないことからくる罪悪感なのだろうと、私は思った。
それでも今は、私とゲーコさんの長い影が重なって、ひとつになっていく。そして…
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ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン
私は、“約束どおり”日が暮れる前にユグドラシルの元へと戻ってきていた。
凄まじい速度で空をかけ、帰ってきた私を、ユグドラシルは驚きながらも受け入れてくれた。
私は大樹にすがりつき、ただひたすらに鳴きつづけた。
まるで、迷子の子供がようやく見つけた母親のスカートの裾を、もう二度と離すまいとしがみつくように。
ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン
大樹は私に何も聞かない、
だから私も、なにも話さない。
夕日が沈み、空の最後の紫光が消えようとするころ、
「…ご飯、まだですよね? 樹液、飲みますか?」
とだけ彼女は聞いてきた。私はそういえば、夜どころか昼ごはんも食べていないことを思い出した。
私の返事はもちろん肯定である。
彼女の樹液は、幸せで、懐かしい味がした。
ゲーコさんとなにがあったのか、ここでは語るつもりはない。
たが、私のほかにもこのような思いを味わう者がいないよう、ただ一つだけ、真実を伝えておこうと思う。
セミもカエルもメスは鳴かない
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誰かが男の娘が流行りだって言ったから