アパートを出た玄人は夜浜市の郊外から中心部へと足を向ける。
例の事件の影響で定期的に街を巡回する警察の目を避ける為に、マギは拳銃を象った小型のアクセサリーに姿を変えていた。拳銃の見た目だろうと、少女の見た目だろうと見つかれば、少々面倒なことになるからだ。
それにしても、様々な姿に変わることの出来るアバターはつくづく便利というか出鱈目な存在である。
十五分ほど人通りを歩き、駅の近くの大型マンションがズラリを立ち並ぶ地区へと辿りついた。
ここは人の出入りが激しく、住居する人間の数が膨大な為、顔を覚えられる可能性はほとんどない。
玄人は十棟の内、右から数えて九棟目のマンションへと向かう。玄関先でカードキーによるセキュリティを通過し、エレベーターで最上階へと駆け上がった。
エレベーターから出ると、最上階に人影はなかった。この階層は玄人の所属する組織によって貸し切られている。つまり関係者以外は立ち入らないということである。
宛てがわれた部屋の前に立ち、玄人はチャイムを鳴らした。
それから数秒の後、
『お持ちしておりました。玄人様。今お開け致します』
カメラ越しに此方の姿を確認したのか、チャイムに内蔵されたスピーカーから篭った声が響いた。
カチャリと錠を解除する音が聞こえ、ドアが開く。
「どうぞ、お入りください」
中から現れたのはメイド服を着たミドルヘアの女性。顔は無表情で声に抑揚はない。その振る舞いは無機質な彫像を連想させる。
彼女の存在を定義するのは難しい。ある人は人間だと言うが、ある人はロボットだと言うだろう。
体の半分ほどが機械で出来た人造人間(レプリカント)、それが彼女なのだから。
「じゃ、入らせてもらうぞ、ペスカ」
ペスカと呼ばれた彼女は頷くと玄関の横で控え、スペースを空ける。玄人は中へ入り、玄関で靴を脱いで部屋へと上がろうとするが、
「お待ちください。玄人様」
ペスカに後ろから服の襟を掴まれ、玄人はおもいっきり引っ張られた。
「えっ、おい! 何を――」
担任である朱音と遜色ない怪力で玄人は手繰り寄せられると、突然ペスカに匂いを嗅がれた。放課後の学校で起こった出来事と似通ったシチューエーション。
玄人に近づき、頻りに鼻を鳴らしたペスカは、
「見知らぬ女性の方の匂いがします。誰ですか、玄人様?」
そう言った。無表情のまま詰め寄るペスカ。その様相にはえも云えぬ圧力があった。
「何だ、いきなり? 多分匂いの元は学校の担任だ。お前と同じようにいきなり首根っこを掴んで匂いを嗅いできた。煙草の臭いがする、って言ってな」
どうでもいいと言わんばかりに語る玄人の目をペスカはじっと見据えていた。
「……そうですか。ではこのまま少しお待ちください」
部屋の中へと戻ったペスカは一分ほどして出てきた。手には喫煙者の強い味方、フ○ブリーズが握られており、
「消臭致します」
シュ、シュ、シュ、シュ、と霧状に吹き出るファブリ○スを玄人は浴びせられた。
いつもながらペスカの行動は意味不明であるが、教師に煙草臭いと言われたので丁度いいと玄人が大人しくしていると……、
シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ。
「……………………………」
シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ。
「………………………………………………」
シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ。
「…………………………………………………………………、おい」
玄人はファブリー○を握ったペスカの片腕を掴む。明らかな過剰行為。玄人の服や髪はしっとりと濡れていた。
「やり過ぎだ。程度を弁えてくれ」
諭すように玄人はペスカを注意したが、
「大丈夫です、玄人様。フ○ブリーズの半分は優しさで出来ていますので」
「違げぇよ! それはバファ○ンだろうが!! わざとやってるのか?」
思わず突っ込んでしまう玄人。
「見事な突っ込みだと感心しますが、どこもおかしくありません。ペスカは正常です」
「つまりわざとか?」
玄人の問いにペスカは頷いた。
「はい、あの女の匂いがしたもので、つい」
「あの女って。ペスカお前、仏野先生の事、知らないだろ?」
「知りませんが、先日偶然見たテレビドラマで、家に帰ってきた男性に対し女性がそのような台詞を使用していたので、会話の中に取り入れて見ました。人間らしい振る舞いだったでしょうか?」
無表情ながらも玄人を見つめるペスカは真剣な様子であった。
人造人間(レプリカント)であるペスカにはどうやら重要なことらしい。
正直な感想を玄人は述べる。
「まだまだ人間の機微は理解できてないが、何かになろうとする姿勢は人間らしくていいと思うぞ」
玄人の言葉をペスカは少しの間吟味して、
「――そうですか、これでも『早くに人間になりた~い!』といった姿勢で務めているつもりなのですが、暗い定めはまだまだ吹き飛ばせないようですね」
「前にも思ったが、ネタが一世紀ほど古くないか? ――ってどこに行くんだ、ペスカ」
「いえ、まだまだ模倣再現の度合いが足りなったようなので、ドラマの最後を再現する為に包丁を取りに行こうかと。少々危険だと判断し、自重していましたがやはり最後の刺すところまで実演しなければ、人間とは言えないようですので」
包丁? 刺す? 嫌な汗が玄人の頬を伝う。
あの女の匂いがする、とそんな台詞のあるドロドロの愛憎劇。結末がどうなったかは想像するに容易い。
「おい、馬鹿やめろ! そこまで真似しなくていい!」
台所へ移動しようとするペスカを玄人は全力で押しとどめる。
機械化されたレプリカントの力に玄人が拮抗できたのは、ひとえにアバターであるマギの加護があったからである。
マギの加護により、超人的な肉体能力を行使することすら可能な玄人だが、それでも機械化されたレプリカントには分が悪い。
「再現のご協力ありがとうございます。確かドラマでも男性が玄人様のように抵抗していました。まぁ、最後は無残に飛び散ったわけですが……」
「無残に飛び散ったって何がだよ!?」
「さっきから何やってるの、貴方たち。新手のコント?」
玄人が必死の抵抗を続けていると、玄人のポケットが輝き、光は人の形となってマギが姿を現した。
「丁度いい所に。マギ、ペスカの奴を止めるのを手伝ってくれ!」
息を荒くした玄人は、声を荒げてマギに助けを頼んだのだが、
「嫌よ。私はさっき見ていた『ダーティー○リー』の続きを見るの。頑張って自分でなんとかしなさい」
玄関に置かれた玄人のバックから数本の映画を取り出すと、マギは玄人達をスルーして奥の居間へと行ってしまった。
「おい、ちょっと待てコラ! こっちはマジで――」
「では、そろそろペスカも茶番はやめにしましょう」
「はっ?」
ペスカは動きを止める。引き止めていた玄人は思わず転びそうになったところをペスカが玄人の腕を掴み、倒れるのを止めた。
「包丁を持ってくると言ったのは冗談です。いくらペスカでもそれぐらいの分別はありますよ。ですが――」
掴んだ腕を手繰りよせ、ペスカは玄人に軽く抱きつき。
「あまり放って置かれるとペスカは壊れしまうかもしれません。玄人様にも学校があるのは分かっていますが、偶には仕事がなくてもいらっしゃってください。ペスカはいつでも玄人様のことをお待ちしております。――でないと本当に刺すかもしれません」
頬を撫で、耳元で囁くようにペスカは玄人に告げる。告白というよりは脅迫。別に彼女は感情表現の仕方は分からないだけで、感情がない訳ではない。
学校が始まってからセーフルームを訪れたのはこれが初めて。仕事着はセーフルームに置いてあるのだが、昨日の依頼の遂行では別の人物が玄人に仕事着を届けてくれたのでペスカと会うのは一週間ぶりであった。
セーフルームを宛てがわれてから毎日のように通っていたのを考えると、一週間でも間を開けすぎた。
彼女は感情を芽生えて日が浅い、放って置けば不安になるのも当たり前であろう。
自身の思慮の浅さを玄人は心の中で猛省する。
存外にペスカが寂しがり屋であるという一面を知った玄人はペスカに掴まれた手を握り返し、しっかりと見据えた。
「悪かった。お前の気持ちを考えていなかった。これからは用事がなくても来させてもらうよ」
「……そうですか、ありがとうございます玄人様」
そう答えたペスカの表情は微笑んで見えた。
「へっ? おまえ、今――」
「ペスカがどうかしましたか?」
ほんの一瞬のことで意識した時にはペスカは元の無表情に戻っていた。
驚いた顔を作った玄人はそれから小さく口元に笑みを浮かべた。
「いや、なんでもない。ところで風呂は沸いてるか? 濡れたままじゃ、ちょっと気持ち悪いんでな」
ついでに染み付いたファブリーズの匂いもどうにかしたい。
「それでしたら準備は整っております。いつでもご入浴ください」
「お言葉に甘えさせてもらうぞ」
玄関の置いた鞄を適当な位置に移動させてから玄人は浴室へと向かった。
服を脱衣所に置かれた洗濯機へ放り込み、玄人はタオルを持って浴室に足を踏み入れた。
軽くシャワーを浴びて、汗と染み付いたファブリー○の液を洗い流して湯船に浸かる。
湯に浸かってリラックスする玄人の脳裏にあったのはペスカのことであった。
彼女のことを語るには機巧人種(アンドロイド)と人造人間(レプリカント)という言葉を説明しなければならない。
まずアンドロイドについて。アンドロイドは軌道エレベーターが完成した2080年に実用化された人の形をしたロボットである。
介護や当時始まったばかりの宇宙開発など、人間にとってつらい仕事を請負う為に生み出された存在だが、最大の問題として製造コストが異様に高かった。数体で戦車が一台作れると言えば、どれだけの額がかかるのか理解できるだろう。
問題を解決する為にある科学者は急速な発展を続けていた生体工学に目を付けた。培養することで安価に生産できるようになった人の生体器官を、アンドロイドに組み込むことを思いついたのだ。
最初は目、ついで耳、筋肉、神経と生体パーツを組み込むたびアンドロイドの一体の値段は下がっていく。
そして脳までもが生体パーツで作られたアンドロイドが世に出回った時、ある人間がこう言った。
『これは、このアンドロイドは、人間とどう違うのか?』
その発言が一石となり、世論を揺らす波紋となり、波となって全世界に広がった。
人権団体はアンドロイドを人間と同じように扱うべきだと言った。今を行われているのは過去の悪しき奴隷制度の再現だと企業と国を批判した。
宗教団体は言った。アンドロイドの生産を即刻全て停止にすべきだと。これは神の御意思に反する悪魔の行為だと、国と企業を糾弾した。
一方裏では、生体工学により生身の体を丸ごと培養し、制御用のナノチップを埋め込んだアンドロイドが生産されていた。
希少な金属も高分子材料も使用する必要がなく、タンパク質や炭素、ケイ素、カルシウムのなどの物質で安価に生産できるアンドロイド。
但し、人間に同じ制御チップを埋め込めば同じものが出来上がる。
これを皮肉り、完全生体アンドロイドを人造人間(レプリカント)と呼ぶようになった。
2088年度の国連決議により、生体脳を使用したアンドロイド、そして裏で出回るレプリカントの生産を国際条約によって禁止した。近年では生体脳を使用したアンドロイド全てがレプリカントとして定義されている。
企業は批判を怖れ、アンドロイドのデザインをわざと人から遠ざけるようになった。アンドロイドが人間とは違うということを一般の人々に認識してもらうために。
後にレプリカントショックと呼ばれる生体脳の使用に関する倫理問題は今でも議論が絶えず、人を模したアンドロイドの製造は敬遠され続けている。
だが肝心のレプリカントは世界人口最大の某国家や、その属国といって差し支えない独裁国家では今でも生産されているのが現状。労働力としてはこの上なく有用で、人間と何らかわらない人形を求める好事家たちには高く売ることもできる。
麻薬と同じように非合法であるが、莫大な利益を生むビジネスとしてレプリカントの生産は裏の社会に定着してしまった。
そんな社会の闇が生み出した落し子の一人がペスカなのだ。
玄人は裏稼業に足を突っ込んで正式に請け負った最初の仕事で彼女を見つけて助けたのである。
まぁ、仕事に同行した〈社長〉には同情心で要らぬ荷物を拾っただけだと皮肉られたのだが。
その仕事の後、玄人は現在のセーフルームを宛てがわれ、玄人は彼女をセーフルームの管理人として雇うことにした。自分の所業には自分で責任を取れと、これまた社長に気を回してもらったのである。
気配りのできる人物なのだ。ペスカのことや春休みの最初に助けてもらったことなど玄人は多数の恩を受けていた。しかし、それでもとてつもなく物騒な人物であるから玄人は無闇矢鱈に近づきたくないし、今日会うこともあまり気乗りはしていない。
ともかくとして玄人にはペスカの面倒を見る責任がある。しばらく通いつめて様子を見よう――、玄人がそう思っていると、
サッ、と浴室と脱衣所の扉が開いた。
「失礼致します、玄人様」
浴室へと入ってきたのはスクール水着を着たペスカだった。片腕にはプールでよく見かけるキャラ物のエアーマットを挟んでおり、片手には異様にヌルヌルすることで最近有名となっている無色透明の美容液体石鹸、『ママーラ』が握られていた。
ペスカの姿を正面に捉えた玄人はしばし硬直した後、訝しむようにも呆れるようにも見える顔を作る。
「……おい、何しに来たんだペスカ?」
「いえ、日頃の感謝を示そうと思ったのですが」
「ちなみに誰の入れ知恵だ?」
「先日、社長が訪れた際にお知恵を拝借致しました。こうすれば玄人様はイチコロだと」
エアーマットをタイルの上に敷き、正座をするように座り込んだペスカはママーラの詰まったボトルを持って玄人を見つめる。
「さぁ、どうぞいらっしゃってください」
玄人は溜息をつき、
「ペスカ、お前……、意味わかってやっているのか?」
「いいえ。社長より渡された資料はペスカには難解でした。ペスカが資料を分析し理解できたのは、男性の方はマットの上に寝転んで、やたらとヌメヌメとした液体で洗浄させるのが好きだということだけです」
「……そうか」
再度、大きく溜息をつく玄人。まだまだペスカに教えるべきことは山積みらしい。
社長の余計な入れ知恵に頭を痛めながら、玄人は風呂場での一般常識をのぼせるぎりぎりまでペスカに語ることとなった。