第一章「ブレードラン」
「――で、行草(いぐさ)玄人(くろうと)君は何で課題をやってこなかったのかな? 言ったよね? うん、私言ったよ。確かに言った。私の脳内ナノチップにも、ちゃんと音声ログが残ってるんだよ。なんなら今すぐ君の脳内チップにログを転送してあげようか」
「いえ、あのっ――すいません、忘れてました」
夜浜学園の教師、仏野朱音(ふつのあかね)は慈愛に満ちた笑みを浮かべながらも、鬼子母神もかくやという凄まじい怒気を発していた。
時刻は放課後。既に生徒の大半は校舎におらず、空っぽになった教室(はこもの)には教師である朱音と生徒である玄人だけが向かい合って佇んでいる。
ちなみに脳内ナノチップとは22世紀では標準的な機器であり、ネット上の仮想空間に没入(ダイブ)する為の必須アイテムのことを指す。人間の本来持つ記憶能力とは別に、データとして自分の見たものや聞いたものを記録することができるのだ。
行草玄人は男性としては髪が長い方で、顔にかかった髪で瞳が隠れており、長身ではあるが覇気なく、少し姿勢が猫背で頼りない感じのする青年であった。
困ったような笑みを浮かべ、玄人は朱音の説教を受けていた。
身長は生徒である玄人の方が高い。朱音は背が低く2■歳と三十路手前ながらも女子生徒と混じっても違和感のない容姿をしている。栗色の髪を縛ってポニーテイルにしており、活発な雰囲気を持つ女性だ。
けれど独身である。誰だって片手で林檎を握りつぶせる人間とは永遠の愛は誓いたくないのだろう。
教員同士の飲み会で酔った勢いに任せ、実際に絞ってジュースにする映像を見たことのある玄人は心底そう思った。
別に両腕が機械化された義体だとか実は正体が機巧人種(アンドロイド)といったオチはなく、ただ純粋な地力でそんなことができるのが逆にホラーである。
だが、別段おかしいことでもないのが22世紀。2080年に人類初の軌道エレベーターが完成して以降に生まれた世代を新人類(ニューエイジ)と呼ぶことがある。
これはその世代の中に異様ともいえる才能を発揮した人物が多く存在するからだ。例えば中学生でオリンピック世界大会の公式記録を超える記録を叩き出した者、例えば今まで未解決であった数学の難問をいくつも解き明かした小学生。
未熟であるはずの年齢でプロやトップアスリートと並び立つという化け物のような連中がここ数十年でゾロゾロと。
そうした異常事態を、多くの人々は輝かしい新た時代を到来に合わせた人類の進化だと喜んでいるが、この春にネタバラしを受けた玄人にしてみれば素直に喜べるものではない。
今思えば仏野先生の異常なまで身体能力は例の影響のせいなのだろうか? 玄人が疑問に思っていると。
「ちょっと聞いてるの! 玄人君っ!!」
「あっ、すいま――って近いですよ先生」
朱音はいつの間にか玄人に密着しかけていた。
腕を回せば抱きつける距離で、朱音は鼻を鳴らし玄人の匂いを嗅いだ。
「あれ? ちょっと煙いよ玄人君。顔を近づけなさい」
背を伸ばし、首に手を回して朱音は強引に玄人の顔を近づけようとする。
ひと回りも、ふた回りも体格の違う大人の男性すら引き倒すことできる万力を、玄人は何とか堪えてしまう。
「え――?」
(……しまった!)
堪えられるのが異常なことだと気付いた玄人は、急いで体の力を抜き、朱音のされるがままとなる。
朱音は不審に思いつつも、玄人の髪の臭いを確認する。
「うん、やっぱり煙の匂いがする。もしかして煙草吸ってる? 春休みで悪い遊びを覚えてきたの?」
「いや、ちょっと煙に塗れた場所に居たんで匂いが移ったんだと思います」
玄人は笑みを崩さず答えた。
嘘は言ってない。春休みの間にとんでもないことに巻き込まれ、ここ一ヶ月ほど硝煙に塗れた場所に何度も立っていたのだから。
ついでに煙草も覚えたが、玄人は正直に言うつもりはない。
「へっ、バイト変えたの? 鰻屋さんとか焼鳥屋さんとかに」
「そんなところです」
ローストチキンをこさえることもあるし、似たような物である。ただ一つ違うとすれば仕事の報酬が一口数百万だったりすることぐらいだ。
「――分かった。昨日もバイトをずっとしていて私の課題を忘れていたんだね」
「はい。仕事――いえ、バイトが終わってすぐ気付いたんですけど間に合わなくて――、本当にすいません」
玄人は朱音に頭を下げた。
「……しょうがない。玄人君にも事情があるからね。課題の提出日を1日伸ばしてあげる。けど、その代わり、ほかの子よりもちょっと辛口に採点するから覚悟しなさい」
「ありがとうございます。朱音先生」
「じゃ、行ってよし!」
玄人はもう一度軽く頭を下げてから、朱音を残して教室を出た。
教室を出て行く玄人を確認した後、朱音は大きく溜息をつく。
「はぁ――玄人君か」
行草玄人――、彼は成績もどちらかといえば優秀で、問題児という訳ではないが色々と混み合った事情の持ち主。
――小学三年生の時に交通事故で両親と妹を亡くし、以後は唯一の肉親となった祖父に引き取られて育つ。その祖父も一年前に他界しており、今は天涯孤独の身。
幸い蓄えがあるそうだが、それでも将来を見据えてかバイト漬けの日々を過ごしているらしく学校ではいつも眠そうにしている。
春休み前は確かそんな人物。――だが春休みを過ぎ、進級後は少し様子が異なっているように思えた。
雰囲気が変わったのだ。全体的に大人っぽくなっている。
仕草の一つ一つが洗練されており、さえない雰囲気を醸しだしながらも、時折何とも言えない哀愁漂う男の色香さえ放つ時もある。
鋭い感性を持つ朱音だからこそ分かったことであり、同年であるクラスメイト達は玄人に違和感を覚えても、その理由には気づいていないはずだ。
一体何故、玄人が別人のように老成したのか? 春休みに何があったのか?
朱音は聞かなければとも思ったが、家庭の事情という名の特大地雷を踏むのが怖くなり、質問するのをやめていた。
とりあえず担任として朱音に出来ることは玄人の学校生活を最大限サポートすることだけ。
――それにしても、
「いい匂いがしたな、玄人君」
煙草のような煙の匂いの隙間からクラクラするような確かな男の香りを朱音は感じた。安心を覚えるその匂いはまるで頼りがいのある父親のようで。
「――って、何考えるの。私!」
いつの間にやら頬を染めていた朱音は頭をブンブンと振って自分の考えを打ち消した。
生徒相手にナニをしようと言うのだ。不祥事では済まない。これも彼氏イナイ歴=年齢の弊害なのだろうか。
「彼氏欲しいな。お見合いはこのところ全滅で、合コンもいつの間にか誘われなくなっちゃったし。このまま三十路とか――、もうこの際、誰でもいいかな、むしろ玄人君を……」
そんな危ないことを呟きながら、朱音は妄想という益体の無い海に己を沈める。
「きゃっ! だ、駄目だよ、玄人君。私達教師と生徒なんだから……」
体をクネクネと揺らし、独り言を口にする朱音。
幸いにも、その光景を見たものは誰もいなかった。
玄人は学校を後にすると自宅へと真っ直ぐに帰った。
祖父と住んでいた一軒家は既に財産の整理の一環として売却しており、今はこぢんまりとしたアパートに住んでいるわけだが――
サビの目立つ鉄の階段を上り、玄人がアパート二階の自室のドアノブに手をかけたところ――
「あっ?」
誰も居ない筈の部屋からテレビの音が聞こえてくる。銃撃と爆発の効果音だろうか? ……だとすると映画かドラマ、はたまたアニメか?
なんにしても、中に誰が居るのかについてはだいたい想像がつく。
鍵を刺さずともノブを回せばドアが空く。玄関をくぐり、キッチンとトイレ、風呂場に挟まれた廊下を抜けると、六畳ほどのスペースに映画鑑賞に勤しむS&W〈M29〉の化身、マギの姿があった。
畳に寝そべり、煎餅を食しながらダーティー○リーを鑑賞する黒いドレスの金髪少女。とてつもなくシュールな光景だ。
他にも『俺が○マーだ!』とか『タクシー○ライバー』などのM29とその派生が出てくる作品が床に散乱していた。どれも一世紀ほど前の半ば古典と化した代物で、映像録画再生機器の規格が変わるたびに復刻され続けた名作である。
外の天気は曇り。日のささぬ暗い一室で、己自身とも言える拳銃の活躍を眺めるマギはまるで過去の栄光に振り返るボクサーの如く退廃的で、諸行無常の趣を感じさせた。
「――マギ、部屋で大人しくしろって言ってなかったか、俺」
学校の制服のネクタイを外し、首元を緩めながら玄人は話しかける。
「ええ、だからこうして部屋で映画鑑賞しながらおとなしくしているじゃない」
「そんな映画、俺は買った覚えがないんだが?」
「部屋では大人しくしていたけど、ちょっと暇すぎたからちょっと散歩に出ての。そしたらワゴンセールで売っていたから、つい懐かしくなって」
どうやら齟齬が生じていたようだ。玄人は外に出るなという意味で言ったつもりだったのだが。
「部屋を出入りするところを誰かに見れなかったか? 変な噂を立てられたら目も当てられない」
「大丈夫よ。それに今時、もっと凶悪な犯罪が横行しているじゃない。移民政策の実行でこの国の安全神話をすっかり崩壊しているしね。ニュースを見た。あの事件、これで5件目だそうよ」
そう言うと、マギが映画を停止し、チャンネルをテレビのニュースに合わせた。
テレビのテロップには【白昼の凶行、未成年連続誘拐事件。これで五件目】と表示された。
「例の事件か。マギ、ちょっと没入(ダイブ)して見てくる」
「分かったわ」
玄人は脳内チップに収められた没入接続アプリを起動させ、接続先を現在のチャンネルに合わせる。
「――没入開始(アクセス)」
電子の海へと玄人の意識は瞬く間に沈み込んでいく。――気がつくと玄人はニュース映像に映っていた事件現場に居た。
手品のタネは没入による感覚共有、現地に居るニューススタッフの誰かが視覚や聴覚などの感覚を、脳内チップを介してニュースに没入してきた人間に提供しているのだ。
この技術の御蔭でグルメ番組では味覚を共有することで実際に食べた気分となり、バラエティ番組では実際に自分も観客やゲストになった気分が味わえる。
但し色々と悪用が聞く技術なので扱うには免許がいるのだ。感覚共有を受け入れる側だけなら免許は不要だが、感覚を提供する側になる場合や、特別な状況下で他者の同意なしに他人の感覚を共有する場合はこの免許が必要となってくる。
吹き抜ける風が肌をくすぐる。他人になる感覚はいつまで経っても慣れないものだと玄人は思いながらも辺りを見回す。
見回す――といっても実際に首や体を動かしているのは赤の他人なので、もどかしさを感じながらも見えるてくる風景を確認しているだけである。
現場にはパトカーが数台止まっており、マスコミと野次馬が周りを囲んでいる。見覚えがある場所だ。県内で起きていたのは知っていたがこんな近場でも事件が起きたのか。
「誘拐された○○○○さんは自転車で帰宅の最中に突然近づいてきたワゴンに横付けされ、車の中に引きずりこまれたとのことで一緒に帰宅していたA子さんの証言もあり――」
野次馬の声をバックにレポーターの声が聞こえてくる。
玄人の脳内チップにはニュース番組から被害者や放置された鞄と自転車の写真、誘拐犯が犯行に使用したであろうワゴンの車種の詳細が転送され、被害者家族の情報を求める悲痛な声が添付されていた。
『お願いです! あの子、事件に関する情報があったら、直ぐに連絡してください!」
「……………………」
黙って会話ログを閉じた玄人は、感覚共有を解除し、没入解除(ダイブアウト)。意識を急速に現実世界へと浮上させる。
「どうだった?」
「どうもこうも、凄い騒ぎだ。誘拐された子は未だに見つからないのに被害者は増えるばかり、遠目だったけど警察もかなり焦った様子さ」
「それは憔悴しているでしょうね。無関係な人間でも疑わしきは捕まえるぐらいには。気を付けなきゃね。金髪の女の子を部屋に囲い込んでいる誰かさんは特に」
嫌味ったらしい笑みを浮かべるマギ。
「そいつは大変だ。居候させている恩を仇で返すような奴は直ぐに部屋から追い出さないとな」
「追い出したら叫ぶわよ。――ロリコン誘拐犯だって」
目から火花を散らして見つめあう二人、だかそれも数秒のことでほぼ同じタイミングで深い溜息をつき。
「不毛だな」
「ええ、もっと建設的な話をしましょう」
「ああ、そうしよう」
玄人は壁に立てかけられた、折りたたみ机の足を立てると、
「昨日の課題、期限を今日一日だけ伸ばしてもらったんだ。さっさと片付けたいから、そこをどいてくれ。机を置く邪魔になる」
学生として玄人は建設的な提案をした。
「そうなの。――でもさっき〈社長〉から連絡があって『今日は帰宅次第、セーフルームに待機しておくように』だそうよ。直々に会いに来るとも言っていたわ」
「――マジかよ」
玄人はストレスで頭を痛め、眉間を抑える。
社長というのは玄人にとって恩人であり、一ヶ月前に玄人を裏稼業に引き釣りこんだ張本人でもある。
見た目は麗しく、お淑やかな女性ではあるが中身はニトログリセンリンでも詰まっているようなどうにもアレな人物だ。
玄人としてはできれば直接会いたくないのだが、連絡が回って来たならば行かなければならない。
何しろ、連絡はお願いなどではなく絶対的な命令なのだから。
「なんでそれを先に言わないんだ、マギ」
「だって帰ってくるなり、説教しようとしたじゃない。反論に忙しくて、言うに言えなかったの」
「悪かったよ。だが勝手な外出は控えてくれ、欲しいものは代わりに買ってきてやる。誘拐犯に間違われて、目をつけられたんじゃ、笑えない」
今の玄人は善良な市民などではなく、叩けば埃が出てくる立場にいるから、警察と関わるのはできるだけ控えたい。
「分かったわ。じゃ、行きましょうか」
「ああ、だがその前に着替えだけさせてくれ。……予定が台無しだが、しょうがないな。課題もセーフルームでやるとするか」
課題を家で片付ける予定を変更し、玄人は外出の準備をした。